星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

シャガールみたいな青い夜

2008-10-12 | 持ち帰り展覧会
たくさんのシャガールとの初めての出会いは、できたばかりの水庭に囲まれた高知県立美術館だった。

   愛する男女は時間の止まった宙を浮遊する
   そばには花があり、二人を祝うのは山羊や魚やニワトリやロバ。
   この世はサーカス。

まさに色彩の魔術師、的な多くの作品にくらくらして、持ち帰り一枚は選べなかったが、青い夜と赤い花と、浮遊感を持って帰った。

  ♪あなたがわたしにくれたもの キリンが逆立ちしたピアス
   …あなたがわたしにくれたもの シャガールみたいな青い夜♪

      (ジッタリンジン「プレゼント」)…若かった。

それから、ひろしま美術館で「わたしのおばあちゃん」という作品に出会った。
背中を丸めて編み物をするおばあちゃんは、シャガールがロシア生まれであることを、色を押さえた作品も描いていることを教えてくれた。温かい彼の心を感じるいい作品だった。

芦屋のマイシャガール美術館では、シャガールが、敬虔なユダヤ教徒であり、沢山の苦悩を抱えた長い人生であったのだと思った。

そして今回、兵庫県立美術館で開かれている「シャガール~色彩の詩人」展に行って、彼の魂が、故郷のヴィテブスク村から飛び立っていることに、改めて気がついた。原点はこの村と愛妻ベラにある。
モスクワのトレチャコフ美術館から初期の油絵、ユダヤ劇場の壁画がやってきたのだ。

               

それは、まさに「屋根の上のヴァイオリン弾き」の世界だった。
   
♪「サンライズ・サンセット」のメロディが聞こえてくるようだ。
 
   Sunrise, sunset, Sunrise, sunset,
   Swiftly flow the days.
   Seedlings turn overnight to sunflowers,
   Blossoming even as we gaze ♪

彼は1910~14年パリに出てキュビズムの洗礼をうけ、ロシアに帰ってベラと結婚する。ロシア革命という激動期にロシアにいた芸術家だ。1922年、故国を去り、パリからはナチスに終われ、亡命したアメリカで、愛妻ベラを亡くし、フランスに戻り、定住。
宙を飛ぶ多くのリトグラフ作品は、戦後の作品である。

…マルク・シャガール(1887~1985)
 20世紀を長く生きた、白ロシア生まれのさまよえるユダヤ人。

展示されたゴーゴリ作「死せる魂」の挿絵版画をみて、すっかり忘れていた、死んだ農奴の名簿を買い漁るチチコフというとんでもない男のことを思い出した。
ソ連が崩壊して、故郷がベラルーシという国になったことを知るまで、彼には生きていて欲しかった気がする。
コメント
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