星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

花はどこへいった♪

2007-08-16 | NO SMOKING
このところ、ディートリヒ号で毎日、入院中の母のところに通っている。私がディートリヒという女優さんの名前を初めて聞いたのは、母からだった。炎天下のサイクリングには、つばのある帽子と、両手の中指にリングをひっかける、UVカットの白いボレロが欠かせない。
この自転車は、昨年の暮れ、「愛するアニタ~♪」を歌っていた頃の植田君(知らないって?)のそっくりさんが経営する小さなサイクルショップで購入した。
その時、私は、CATVでマレーネ・ディートリヒの生涯をつづったBBCのドキュメンタリー番組をみて、ドイツ語で「花はどこへいった♪」を歌う1963年のディートリヒに、感動した直後だった。
気がついたら、自転車の選択基準は、「ディートリヒが乗りそうな自転車」になっていた。私が乗るのに…。前にも後ろにもカゴつけるのに…。

先日NHKBSで、ディートリヒの歌をまた聴くことができた。(世紀を刻んだ歌 Where have all the flowers gone『花はどこへいった~静かなる祈りの反戦歌』2000.12.5の再放送)
  
♪ Where have all the flowers gone?  Long time passing.
  Where have all the flowers gone?   Long time ago.
  Where have all the flowers gone?
  Young girls picked them ev'ry one.
  Oh, when will you ever learn?  Oh, when will you ever learn?

 花はどこへ行った?娘たちが摘んでいった
 娘たちはどこへ行った?若者たちに嫁いでいった
 若者たちはどこへ行った?兵士になって戦場へ行った
 兵士たちはどこへ行った?みんな墓場へ行った
 墓場はどこにある?墓場は花に覆われた
 花はどこへ行った?娘たちが摘んでいった
 いつになったら、人はわかるのだろう?
                
この曲を作ったアメリカの良心、ピート・シーガー(公民権運動で歌われた ♪We shall overcomeも彼が作った)本人が、「花はどこへ行った♪」は、ショーロホフの「静かなるドン」に出てくるロシア民謡にヒントを得て生まれた曲だと語る。雨の中、2000年夏にワシントンで行われた「イラク経済制裁反対集会」でこの歌を歌う81歳の彼の映像が流れた。この歌は3番までは彼の歌詞だが、4番からは、集会でみんなで歌うために後に他の人が付け加えたという。
「花はどこへ行った?」というフレーズが、多くの人の心を経ていくたびに、より普遍性のある歌に進化していったのだ。

この進化の過程に、カタリナ・ヴィットさんのフィギュア演技も登場する。
彼女は1984年サラエボ、1988年カルガリー冬季五輪で優勝し、東ドイツの国家代表としてその任務を果たした80年代女子フィギュアの女王である。
1994年のリレハンメル冬季五輪の時には、すでにピークは過ぎていたが、統一ドイツの選手として参加した。当時はボスニア紛争(1992~95)が激化し、かつて彼女が金メダルをとったサラエボは戦火のまっただ中にあった。
赤いコスチュームの彼女が、平和への思いを込めて「花はどこへ行った♪」にのせて銀盤に舞う。素晴らしい演技だった。この時の彼女は国家代表ではない。自分が氷の上で表現できる限界に挑戦するアーティストだった。彼女の「花はどこへ行った♪」という曲にこめた思いが、この歌を知る多くの人の心をつないだ。その演技から、80年代から90年代というヨーロッパの歴史の転換の中で、彼女が体験したこと、考え続けたことが、伝わってきた。それはちょうどディートリヒの歌を聞いたときの感動と同じだった。

ピート・シーガーは、自分が作ったこの歌が、歌われなくなる日がくることを願っていると言っていた。この歌を忘れてしまうほど、平和な世界の訪れを願うと。

…When will they ever learn? いつになったら、人はわかるのだろう。
コメント
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