星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

人魚亭の「迷い猫」

2007-08-01 | 劇空間
尼崎ピッコロセンター中ホールで、綺想舎人魚亭の第59回公演、
「迷い猫」を観てきた。原作ダニエル・キイス。構成・演出小林千夜詞。



「かれはうたえり 
 これ花を愛するにあらずんば すなわち死せんと欲す と
 われはこたへむ 
 死せんと欲すれど 夢に咲きいづる花 愛を誘ひてやまず と」

…チラシには、杜甫の「不是愛花即欲死」に、清岡卓行さんが応えた詩が載っている。
おー、久しぶりの、赤い薔薇一輪・汚れた赤いドレスの出てきそうな芝居、人魚亭だわー。
ゆきさんの、ドスのきいた声がまた聴ける…ワクワク。

舞台と客席の段差がないピッコロの中ホール。装置は木のテーブルと2脚の椅子だけ。
座席はフリーなので早めに来て座っていたら、足元をエアコンの冷気が走る。「寒いわー」ってつぶやいていたら、隣の席の見知らぬ高齢の女性が、幕が開く寸前に膝掛けを受付で借りてきて、なんと、「ついでですから」って、そっと私にも渡して下さったのだ。自分より年配の方の好意に少し恥ずかしくなる。それは、心まで温まる膝掛けだった。私はこんな風に歳をとっていけるかしら。

「迷い猫」という題であったが、原作はあの「アルジャーノンに花束を」だった。
赤い薔薇ではなく、青い矢車草かな。
ハツカネズミのアルジャーノンがジロキチに、チャーリーが波子さんに、なっていた。もちろん波子さんは人魚亭の不老不死の人魚、萩ゆきさんが演じた。

「彼らは、自分たちこそ迷路の中で右往左往していることに気づいちゃいない、彼らは自分たちで解けない迷路に私たちを追い込んで、謎解きをやらせようとしてる…ジロキチ、もう、彼らのために走り回ることはないのよ…」
と、波子がジロキチを連れて研究室を脱出し暮らし始めた棺桶のようなアパートの隣に住む、絵描きの哲郎…今回この哲郎を演じた志摩馨さんが、よかったー。語り口が自然で、個性的。彼の芝居、また観てみたい。

波子が作ろうとするジロキチのための立体迷路の話に、
「どこまでも続く回廊、壁、分岐点、そしてやっとみつけた出口。だが、その出口は次の入り口にしかすぎない…」
と、彼がさらっと言った台詞が、心に残る。

演出の小林千夜詞さんは、この劇に「迷い猫」という題をつけた。
実験対象になった、ジロキチや、波子が、特別な存在ではなく、誰だって、出口求めて迷路を彷徨っているんだ、と告げる役割を、志摩さん演じる哲郎が担ってる。
希望を語るはずの科学者は、いつも、袋小路に追いつめられたかのように、イライラしてる。

「私にはもう他人と分け合う余裕はないの。時間とともに自分が消えていく…」
「ダメよ、もう私はもう私じゃない。ばらばらに崩れていく…そんな私を、あなたに観ていられたくないの」と、愛する人に告げる波子は、せつない。
のどから絞り出すようなゆきさんの声、好きだなー。

最後は、「どーかついでがあったら、うらにわのジロキチのおはかに花束をそなえてやってください」という波子の声で終わる悲しい劇だった。

花束というのは、出口と入口のどちらに飾るのがふさわしいのだろう。
それは、出口と新たな入口の境目の目印なのかもしれない。
コメント (4)
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