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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

三点移動

2008-11-09 | 五七五
     ちょっと待って 刻(とき)を先行く木々の足

   
     


          大勢の落ち葉にいつもの席譲る
         
              


              
      
       夕方の光がつつむ田舎道 これでいいのと深呼吸する 

 時々、その場所とは違う所に心が飛んでいってしまう。
 あちこちに出没しても、どこにも存在していないような自分。
 ここにいる自分は、この場所でしか存在しないのに。
 もしかしたら、移動中の自分が好きなのかもしれない。  
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夏の終わり

2008-09-17 | 五七五
図書館の庭先の木々の隙間でセミが鳴いていた。
出遅れたセミさん、頑張れー、とエールを送っていたら、フッと声が消えた。
しばらく耳をすましていたが、もう再びセミの声が聞こえてくることはなかった。
…もしかしたら、夏が終わった瞬間…なの…かな?

  セミの声消えた空には秋の雲
 


                  

    自由とは美しいのだ伸びる枝



        毛糸編む魔女のしわざに見えるもの 古き木まわる飾り草

          

先週末、久しぶり(2年半ぶり?)に40人くらいの前で話をした。
内容を準備する時間が充分あったので、落ち着いて、自然に声が出た。
こちらを見つめる目を受けとめることができた。
(聴いて下さった皆様、ありがとうございました。)
さぁ、次の目標は…
   …まぁ、そう急がずに、空に枝を伸ばすように、しなやかに…
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中之島を歩く

2008-08-27 | 五七五
大阪のモディリアーニ展に行った帰り、中之島を歩いた。

      街の中 華麗なる脱皮プラタナス

         

      夏雀 曇り空とて影もなく 仔猫にも似た近づき加減 

      

   公会堂てっぺんの二人気にかかる 



造形的に、余計なものが乗っかっている感じのこの像、屋根の上で仲良しカップルが大阪の街を見下ろしているように見える。もしかしたら、気前よく、中之島公会堂(大阪市中央公会堂)の建設資金を寄付した北浜の風雲児、岩本栄之助夫妻かしら。と、帰って調べたら、ギリシャの神々だった。知恵の女神・ミネルバと職人・商人の守護神マーキュリーのブロンズ像で、戦時中の金属供出で撤去されていたが、平成14年の改装時に復活したらしい。


ところで、今日は記念日。お祝いブーケは名も知らぬこのお花。
終わりと始まりの境目に咲く。

   

       30年これから始まる30年
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蓮根畑

2008-07-21 | 五七五
最近は、週に一度、高速バスで橋を渡る。
正しいエコを実践している私は一人で車に乗らない。できるだけ公共交通機関を利用する。
神戸~鳴門間高速路線の、バス会社別運転手の爽やか度は、
神姫バス>徳島バス>山陽バス>>阪神バスの順である。
お客様を大切に扱う度、と言ってもいいけれど、これはきっと、会社が、運転手さんを大切に扱う度、と連動しているのだろうと思ってみたりする。
とにかく安全第一、いつも無事故で運んでいただきありがとうございます。



バス降りて見上げた夏空 風びゅんびゅん 目的地など忘れよう 

この日は時間的に余裕があったので、鉄道ローカル線で目的地に向かうことにした。



蓮の花涼やかに咲く遍路道

                    



単線が蓮根畑を通る里 駅のホームは待ち人ふたり

    
池谷駅は、高徳線と鳴門線の乗換駅である。通学列車が着いた。
高校生達は跨線橋など渡らない。ホームから向こうのホームまで線路を歩いて横断する。
彼らは、1時間に1本しか列車が来ないことをとっくの昔に知っている。

              

徳島県を通る鉄道はすべて単線である。上下の列車は駅でしかすれ違うことができない。上下線が譲り合って、のんびり畑の中を走っている。
普通列車は、一両のワンマンカーで、今だにディーゼル車だ。
駅は無人の駅が多い。
池谷駅のような乗換駅でも駅員さんが一人だけで、昼休みには無人となる。
駅前には飲料水の自動販売機が置いてあるだけで、コンビニに近い店もない。
周囲にあるのは、緑の畑と青い空。何もないという爽やかさと、穏やかな時間。
いつの間にか、夏は汗をかくのが当たり前と感じ、日陰の風が一番通る場所に自然に移動している、自分がいる。

「ほなけんどしょうがないわなぁ」とありのまま受け入れんとする里人の口癖

列車で登下校する高校生を見ながら、何もない田舎を嫌い、こんな所で一生を終わりたくないと思ったあの頃の自分を思い出していた。

あまりにも緑はみどり 青き空 雲はいつでも形定まらず

夏雲を見上げる背中 この地からどこかに旅立つ若さの気配
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すろっぴー

2008-06-18 | 五七五
高速鳴門で下車したら眼下に見える大きな看板。

   
    
鳴門市は渦潮と、金時芋と蓮根と、大塚製薬の町である。
今や、この企業はマラソンチームもサッカーチームも美術館も持っている。
私が小学生の時、出場した地元四国放送の「子ども音楽会」のスポンサー土産は、
金長饅頭と、金ちゃんラーメンと、御前味噌だった。
今ならきっと、ポカリスエットとチオビタがついてくる。

高速のバス停から坂道を5分くらいとことこ歩いて下りて行くと、案内所とバス・タクシー乗り場がある。
でも、私は歩かない。「すろっぴー」に乗る。
この目で見えるわずかな距離の坂道には、スロープカー(モノレール)が走っているのだ。

 

エレベーターの要領でボタンを押すと、「はいはーい」するーっと、可愛い黄色い車両が上がってくる。
全長161m、操作も合わせて2分もすれば、終点に到着する。
他に人がいないと、もう一度乗りたいと思う気持ちがむらむら湧いてくる楽しい乗り物である。

一昨日、高速バスを下りて乗り場に近付くと、「すろっぴー」がドアを開けたまま止まっていた。先の人が私を見かけて待っていてくれているのかと、「すみませ~ん」と急いで乗り込む。
中には、母と同じ年齢くらいの女性が3人、椅子に並んでちょこんと座っていた。
「これどうやったら動くんでしょう?」と聞かれた。「あっ、エレベーターと同じですよ」とボタンを押した。「まぁ、そうですかぁ」「便利なものがあるんですねぇ」「ホテルのバスはこの下?」3人が順番に声をかけてくる。「(どこのホテルだろう?)そうだと思いますが、これ降りた所に案内所があるので正確な場所を教えてもらえると思います。」と答えた。しわのある3人の笑顔が美しい。この年齢で元気にお友達同士で旅をすることができる喜びに溢れた顔だった。
すろっぴーは、こうした旅人を優しく迎えてくれる乗り物のような気がした。

後で聞いたタクシーの運転手さんの話では、雨が降ったら、荷物を持って高速のバス停まで上って行くのは大変だろうという、心遣いから生まれた乗り物らしい。
観光都市への第一歩はこんな所から始まるのだわ。

    我一人最後になるを望まぬ境地30年後を想像する

    魔女達は空気に溶ける笑顔を交わす

    すろっぴー坂道楽しむすべを知る黄色い箱入り三人娘 
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只今魔女の修行中

2008-06-03 | 五七五
緑道の大きな木に、ある日、人の顔くらいある大きな白い花が咲いていた。

 

近付くと、アラカシの木が、秘蔵っ子のようにタイサンボクを包んでいた。

    誰が人を呼び止めるのか白い顔

    あらかしが潜めし娘泰山木

近くの草むらには、釣鐘水仙が密やかな夢を見ながら咲いていた。
誰一人見ることもない場所で美しい花を咲かせる植物が地上にはたくさん生きている。
    
         

魔女は、きっと、そうしたことを、
いつ、どこにどんな花が、咲くのかを、知っているのだ。

    良き魔女になりたし日々は修行中
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明石の巻

2008-05-02 | 五七五
気がついたら、半袖の季節になっていた

新緑をまとって木々は若返る  

明石城の白鳥カップルは、どれくらいの月日、この距離感で暮らしているのだろう。
    
                     
    
この亀さんは見たところ、独り者。

            乙姫が使者を遣わす季節です

            

陸地ではのんびりしてる亀さんは、水の中では忙しそうに泳いでいる。
どちらの暮らしが好きなのかしら?この亀さんなら水の中という答が返ってきそうだ。

       ワォー、こんな方も道路に飛び出してきた。(シッシッ)

                    

            驚ろかすために生きてる動物は古からの石垣の守

お城の近く、明石市立文化博物館では「石山寺の美」展が開かれていた。
源氏ビギナーの私が、今まで知らなかった「紫式部観月図」。
日本画の世界では定番といっていいほど有名なものらしく、多くの画家が、ほぼ同じ構図で、石山寺で十五夜の月と湖面を観ながら源氏物語を構想する紫式部を描いていた。

   いにしえの湖面に届く月あかり 彼の女の心に彼の男宿る
    

1008年完成したといわれる長編物語。今年は源氏物語千年紀にあたる。
日本文学史上燦然と輝く紫式部なのに、本名不詳、生没年不詳である。
彼女は女の子を一人産んだ後、中宮彰子に仕えた。
源氏物語を書いたのは、おそらく30代、亡くなったのは42・3才であったと伝えられている。
瀬戸内寂聴さんのようなイメージだったのに、調べれば遙かに若い著者である。

高校時代古典の授業で源氏物語の切り取り場面を習った時には、六条御息所が葵の上に取り憑く場面以外、彼らの愛が理解できなかった。方違えばかりして、もののけに怯える平安貴族に嫌悪感さえ抱いた。物語全体のあらすじさえあやふやなまま通り過ぎた。
そう、私の高校時代には、まだ大和和紀さんの「あさきゆめみし」がなかったのだ。
あったとしても、当時の純朴な高校生に、「うつり香」の意味はわからなかっただろう。
源氏物語は、大人になって初めてわかる物語だと思う。憧れではなく、哀しみの人生模様。
やっとそれがわかる年齢になった(充分すぎるって?)。
今年は現代語訳→原文に挑戦しよう。
なんだか高校時代の忘れ物を取りに行く感じがする。 
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プールサイド

2008-03-17 | 五七五
この冬、近くのプールが改装工事で閉館していたおかげで、私の体重は1㎏増えた。
春の衣替えをするにあたり、これは家計の上でも一大事である。
泳ぎに行こう。

久しぶりの温水プール
…賑やかな音楽が流れ、水中エアロのショートレッスン中、おじさんも数人。
 彼らはとにかく真面目なのだ。よし、私も真面目に歩きましょう。

さて、どこを改修したんだろう?
一見して何も変化無いわねー、と思ったら、プールの底が変わっていた。
ツルツルして歩きにくい。
備品の付け替えと違って、これは大仕事だったはず。

ロッカールームには、水着の脱水機が、新しく設置されていた。よしよし。

夏の間だけ開かれる屋外プールは、まだ今の時期は、鴨さん達が、独占していて、楽しそうに泳いでいる。

             春の午後海浜プールは鴨の池

            

でも、プールサイドでは、いつもくっついてるくせに、
たった今、喧嘩して「フン」て、あっち向いてしまったようなカップルがいた。

      

いったい、何でもめてるのだろう?
「ほら、ここ、いい所だろう?」って彼が言ったら
「でも、お魚いないじゃない」って現実的な妻が、答えたのかもしれない。
「ここは、純粋に泳ぎの練習をするところだ。ほら、あの子をごらん。美しい泳ぎだ。」
「やっぱりね。若い女の子が目的だったのね。」
とか、なんとか言ってたのかなぁ。

        黄砂色かすむ目こすり春確かめる 
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ガラスに映る春の空

2008-03-12 | 五七五
ビルの壁面に春の神戸の風景が映る。



ここはHAT神戸。震災後、脇浜の神戸製鋼跡地に生まれた復興のシンボルのような街。
兵庫県立美術館も、この地に建っている。
防災センターや、国連関係の建物もあるが、壁面ガラスの建造物が多い。
確かに震災の時、耐震構造の壁面ガラスビルは、無事だった。
古い校舎の厚いガラス窓も、固定した方が割れ、可動するガラス窓は割れていなかった。
でも、この壁面ガラスをみると、まだ私の中で、不安が沸き起こってくる。
このガラスが割れて降り注ぐシーンを想像する。
あの軍手に残るガラスの破片の感触を思い出す。

六甲の山並みは、こんなに穏やかなのに。
             


   立ち止まり鏡に映る風景にはかなさ感じる弱き心は

海に近いから、オブジェが潮風をうけてゆっくりと舞う。
新宮晋「はるかなるリズム」と、ジョージ・リッキー「上を向いた2本の線」

  

美術館の隅っこで、ヘンリー・ムーアの「ゴスラーの戦士」が休憩していた。

   

ヘリコプターが攻めて来たわ。戦士よ、休んでいていいのか?



いいのよ、セーラー服を着たトト君が、休む戦士に代わって、美術館を守るから。



     散歩する君を守れる街であれ  
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メガネをかけたお雛様

2008-03-02 | 五七五
この季節、小学校で、予餞会というのがあった。
卒業生を送る会である。5年竹組は「雛祭り」という劇をした。
私は主役のお雛様に選ばれた。でも、本人は納得していなかった。
なぜなら、ど近眼の私は当時、メガネをかけていたから。
私の美意識(当時そんなものあったかどうか不明だが)からして、
メガネをかけたお雛様なんて有り得ないと思ったのだ。

お内裏様にはセイジ君、クラスでただ一人声変わりをしていた男子だった。
困ってる私に「○○さん、やろうよ」って低い声で言われて、
初めて私は、まぁメガネかけてるお雛様でもいいかぁ、自分は見えないし、という気になれた。
どんな話か覚えてないけど、劇の最後に、二人一緒に「♪サ~ク~ラ~」を歌った。
彼が6年後にタンポポの花を私にくれた時の顔は覚えていないのに、この「雛祭り」のお内裏様の横顔は覚えている。
彼も私の横顔、覚えているかしら?

       ♪おだいりさ~まと、おひなさま、ふ~たり並んですまし顔

       

        横顔は精一杯の達成感
        頬染めるメガネをかけたお雛様       
        春よ恋 さくらでんぶを散らします
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冬の空に向かって

2008-01-22 | 五七五
震災日街で出会ったお仕事犬

鳩よりも真面目な俺だと威張る君 




あの冬は空の雲さえ揺れていた

空に向かい芽を出す木々にエールを送る

               

          センター翌朝黙祷をするもう一度
         
          原点はここだと教える冬の朝
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冬眠から醒めたお正月

2008-01-03 | 五七五
大晦日は、カレンダーを変えて、年越し蕎麦を食べながら紅白を見る。
元旦は、「あけましておめでとう」の後、お雑煮とおせちを食べて、年賀状を読む。
九州・四国の親戚家族と電話で新年の挨拶。夜はTVで携帯オオギリを見る。
二日は、近くの天神さんに初詣をして、いろんなワンちゃんとご挨拶。
街に出て「王様のアイデア」の福袋を買って帰る。ハリネズミのドアストッパーが可愛い。
三日は、お客様を迎える。母はずっと笑っていた。その笑顔を見ていて幸せだった。

と、今年は絵に描いたような、家族団らんのお正月をおくっている。
これはとても素晴らしいことなんだと、先程、心の底から何かに感謝する気持ちが湧いてきた。
「2008」という数字は、とてもあたたかい文字に思える。
…やっと自分がまた、世界と繋がり始めた。それはきっと新しい世界だ。
年賀状を書こう。

           

2007年の暮れ、私は立ち止まったまま、風に吹かれていた。
この一年、新しく挑戦したことが一つしか思い浮かばなかった。
勇気を出した記憶が二回しかない。自分が守りの姿勢に入ってしまった一年だったと痛感。増えたものは体重だけではないか?「三日坊主を恐れない」という今年のテーマはどこにいったのか?
やらなければならないことを考えただけで、頭が痛くなる、という状態の自分を、やらなければならないことから解放したつもりで得た平和な日常。
追いかけられることがなくなった。でも、いつのまにか、何かを恐れるようになった。
10才の時に、「え?生きてる、ということは、死にむかってるということなの?一日生きたら、一日死に近づいてるってこと?」と、突然気付いて、立ち止まって動けなくなった時が蘇った。
あれから自分が何も学んでいない、成長していない、そんな気がした。
他人にかける言葉はあっても自分にかける言葉が見つからない。
やがて、他人の声が聞こえなくなる。
時々自分を取り巻く人々との繋がりが切れて、一人たたずんでしまう。
自分に両手があって、声があって、勇気があることを忘れてしまう。
心の冬眠状態。

そんな私にも新しい年がやってきた。
「あけましておめでとう」…良かった。またスタートラインに立てる。

「だからこそ、一日一日が大切なんだよ」という言葉を自分に向かって、また言えるようになった。

私の心もどこかの隙間から伸びていく。初詣の帰り道見つけたケイトウのように。

                   
    
    おめでとう 再起動です 正しい月
    願いただ 健やかであれ 2008
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紅葉の乱

2007-11-26 | 五七五
どうして紅葉の季節になると、京都に行こうと思うのだろう。
紅葉なんてどこでも見えるし、人がいっぱいの京都は疲れるのに。
私は赤い紅葉より、黄金色の銀杏並木の方が好きなのに。
…でも、やはり今年も行ってしまった。観光地の定点観測のようなものかしら。
凄い人波、渡月橋の上にざっと600人、これが日中絶えることなく続く。

   人渡る橋を眺める樹上の鳩に好きな季節を聞いてみる

      

今回、すれ違う人波の中に、アジアの国の言葉が常に混ざっていた。
さあ、目的は日本の紅葉。と、やや重い足を進める。

    竹林ススキに銀の風渡る
 
     

    丸い実に紅葉の小さな手が触れる

     

紅葉が美しいのは、その上下の重なりの色変化にある。
階段まで商品レイアウトをしている東急ハンズの方が、ロフトより楽しい。

                 



行き止まり戻ってくればいいだけなのに怖れを抱くは旅人にあらず

   ネコさんいないかな?
     

諍いを浄化するには赤すぎる京の狩人紅葉の乱
             
               

美しい夕暮れの空を見ながら、19才の時初めて一緒に嵯峨野を歩いた友人を思い出した。
今日はこの空を見に来たのだ。

           

              時を越え同じ夕暮れ急ぎ足
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11月の友達

2007-11-22 | 五七五
11月になると、毎年、なにかの「不在」を強く感じる。
そんな時、ホコリを被った同居人達を思い出す。いつもずっと私の味方でい続けてくれる友達。
彼らを、お風呂に入れた。ネットに入れて洗濯機でそっと洗う。久しぶりだから、目を回したかもしれない。

     

黒い目でおさげの頭振り乱し何頑張ってるのと問いかける友

ジュンちゃんは、歯を食いしばって、笑おうとしてる女の子。
私の一番古いお友達。あなたがいつから私の側にいたのか覚えていない。
気がついたら側にいた。

笑ってるネコに会っても驚かない

年中笑ってるトラさんには仔猫がいて、いつもトラさんのしっぽで遊んでいる。
仔猫の目が消えた時私は泣き顔を描いてしまった。それさえもトラさんは許してくれる。

どんべえは舞台出演夢見てる いつかのセリフ思い出すから

私の誕生日にやってきた彼は、32才。1990年代には、借り出されて何度か演劇の舞台に出演した。あの時…「ねぇどんべぇ、あなたハンサムねえ」ってちーちゃんに言われたんだよね。

ミネルヴァの森の静寂に耳すます
 
北海道からやってきた知恵の神様で、不埒にも、少女達はキャッチボールをして遊んだ。クロネコチャンは歯で右手を引っ張ったけど、神様は余裕で転がっていた。今は書斎に住んでいるフクロウさんもそろそろメガネが必要かしら。

美紅という優しき少女頬赤く伏し目がちにも直球投げる

私は女の子が生まれたら、紅(くれない)と名付けるつもりだった。その娘はこの世に誕生しなかったけど、美紅(みく)ちゃんという少女と出会った。すてきな文章を綴る心優しい少女だった。2001年ジョン・レノンが狙撃されたと同じ12月8日の朝、21才の彼女は、コンビニに牛乳を買いに行った帰り、高知の路上で、天国に旅立ってしまった。命日には彼女からのメールが残っている古い携帯を充電する。そして彼女がバイト先で買ったお土産のミッキー君のおなかをキュッキュッキュッキュッキュしながら、メールを読む。

もうひとつ洗った。でもそれは秘密。…そっと抱きしめる。
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フラワーロードを歩く

2007-11-17 | 五七五
神戸には買い物や映画など、用事のある時にしかいかないので、一人で街をゆっくり散歩したことがなかった。枯葉舞うフラワーロードを枯れ葉にならないように歩いた。

神戸市役所の北側では、日本で初めて造られた花時計が、1957年からの時を刻んでいる。今月のテーマは紅葉。トーテムポールが懐かしい。



東公園広場では、キャッチボールをする人達の横で、ルミナリエの準備が始まっていた。



豆電球の取り付け作業、今年は青と黄色が多い。
                

今や神戸市の観光事業のようになってしまったけど、
1995年の初めてのルミナリエは、本当に心に点った灯りだった。
震災の年の暮れのルミナリエ…今でも思い出しただけで涙腺がゆるむ。
あの時、あふれる涙で、豆電球の輪郭がぼやけて、光の洪水の中を大勢の人が泳いでいるようだった。隣を歩く人々の目の中の涙の上のルミナリエの灯りが大きくなってキラキラしていた。
辛い一年が終わろうとしている、その一年にあったことが、走馬燈のように浮かんできた。みんな同じこと思ってる。言葉にならない連帯感みたいなものが、そこを歩く人々にはあった。生きててよかった、と思った。

震災で倒れた東公園のMARINA像は、あの時の時刻で止まったままだ。

 

美智子皇后が震災10年目に神戸を訪れた時詠んだ
笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ
の歌碑がある。震災直後、避難所を見舞われた時の、バスの窓から「頑張って」と拳を握るファイティーンポーズを思い出す。

神戸市のメインストリートであるフラワーロードには、彫刻がたくさん立っている。

 

ただ、テーマや脈絡はない。どうしてここに?という彫像もある。

 

この角度からだと、市役所の建物も大きなオブジェに見える。

無視される像が街ゆく人を観る

この街を歩くときには背筋のび一歩ずつでも空に近付く 
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