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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

34品目サラダ

2011-08-27 | 五七五
ポツネン製薬から新発売
 「イッショウシナナイ錠」
 「シヌマデイキール錠」

                  (「小林賢太郎テレビ」より)

そうか、これ飲めばいいのか~
いいや、飲まなくてもいいのか~
などと、ボケている私の体内には、この一週間で

アデホスコーワ、メチコバール、プレドニン、フロモックス、セルベックス、
ボルタレン、エースコール、オルメテック、コメリアンコーワ、タケプロン、
イコサペント、コニール、アモバンテス、グリセオール、プリンク、
ジアイナミックス

という凄い数の薬が入っている。
喧嘩してないかなぁ。
みんな仲良くしてるといいなぁ。
今日作った「34品目のサラダ」みたいに。


記念日にシンシンみたいと告られたたしかパンダ大好きなはず

(*シンシン2月108.5㎏→6月136.6㎏)
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なでしこほまれ

2011-07-18 | 五七五
朝3時に目覚ましかけて、ぼーっと見始めたのに、
6時頃からは、立ったままチァーガールと化してしまった。
そして、  
金色の花吹雪舞う中で、一緒に涙流していた。

決勝戦で澤選手が万歩計付けていたら、いったい何歩になったのだろう。
2時間走り続けるマラソン選手と同じくらいの歩数かしら?
もし私に近々生まれる孫がいたら、男の子でも女の子でも、「ほまれ」ちゃんと名付けたい。

3・11以降、初めて爽やかな気持ちにしてくれた彼女たちに、ありがとう。
阪神淡路大震災の年、イチローのオリックス神戸が優勝したことを思い出す。
あの頃電車のホームの風景の中に、ユニフォームと同じ紺色を見つけると、意味無く嬉しかった。


なでしこの足が大地を駆けめぐり金色吹雪列島に舞う
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サヨナラ3月祈る春

2011-04-04 | 五七五
春夜空リアス式海岸形星座現る
 ~ベランダから仰ぐ夜空。星が見えない夜は、特に地上に伝えたい思いを夜空に探す。
  この空の下に大切なものをなくし、凍える夜を過ごす人たちがいる。

  神も仏もない現実の中で、人を信じるしかないじゃないかと、思う日が続く。

空襲の時の思い出語る母 靴がなくては人は歩けぬと
 ~避難所に靴を送りたいと、老母は言った。66年前神戸の空襲で焼け出された時、避難所のような所で、負傷した目の治療を受けたこと、その際ぐしゃぐしゃに破れた足下を見て靴をくれた人がいて、とても嬉しかったと。
私が、TVの映像と16年前の震災後の時間と今目の前の現実とが同時進行するような、息がつまって涙が胸からこぼれ出る時間を過ごしている時、母は遠い昔の空襲の時の神戸の街と重ねている。きっと日本中で、みんな自分が一番辛く悲しかった時のことを思い出して重ねている。

毎夜ごと申し訳なく入浴するこの幸せの共有手段
 ~「幸せを感じるのはどんな時?」って聞かれたら「お風呂はいる時」と答えるようになったのは、阪神大震災の後からだ。一部損壊でも自宅での入浴は3ヶ月後だった。当たり前の日常は、平和と安全とたくさんの営為によって支えられている。心と身体を温めてくれるお風呂に一日でも早く、と祈る。

被災地の春待つ思い抱きながら今年もふくらむハクモクレン
    ~福田美蘭「淡路島北淡町のハクモクレン」2004
              (兵庫県立美術館2009コレクション展Ⅰチラシより)

~1995年、復興の一歩であるブルドーザーによる瓦礫の片づけが始まった頃の、淡路島の倒壊した民家の庭の写真。地震で亡くなったこの家のお祖母ちゃんが愛したハクモクレンの木の枝には「この木を残してやって下さい」と家族が書いたビニルで包んだ段ボール紙がかかっていた。朝日新聞に載ったこの写真の枝を未来に伸ばして、満開のハクモクレンを花開かせた福田美蘭さんの作品を、昨年兵庫県立美術館で見た。近づくと、花の間でキラキラと、無数の星が燦めいている。震災で亡くなった人への思いが木の周りの空中に広がっていく。

鎮魂花である今年のハクモクレンは散った。
サヨナラ3月。
今日、芦屋市が募集した石巻市に送る救援物資の粉ミルクとオムツをセンターに持っていった。
このミルクを飲んでこのオムツを使ってくれる赤ちゃん、あなたの未来が幸せでありますように。

地震の国で原発をどんどん建てて電気を使ってきた私たちは、今からこの国にうまれてきてくれる赤ちゃんに、
ごめんなさいと、言わなくてはいけない。
せめてベストを尽くそう。現地でベストを尽くしている人をサポートしよう。
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寅(つつ)しんでアメンボ

2010-03-05 | 五七五
画像のアップってどうするのだったかしら?
というくらい、久しぶりのブログです。
冬季五輪も終わり、仮面舞踏会のメロディが、灯りをつけましょぼんぼりに~♪に、やっと変わった脳内。

さぁ、新しい季節よ。
ベランダのチューリップから、親指姫出てこないかなぁ。



少し足をのばせば、梅の香り。

          
    
           寅しんで呼吸してみる梅の里

お寺さんからいただいた色紙に、寅しむ(つつしむ)=いずまいを正す、という初見の言葉があって、思わず姿勢をただしてしまった。
今年のテーマはこれにしましょう。

随処作主 立処皆真=どこにいてもそこで全力を出せば、そこで真実が見つかる。
という言葉にも、最近出会った。坂本龍馬ってこんな人だった気がする。
常に全心で、全体重で、移動している。
植物園の池で、ス~イスイと、格好良く移動する、アメンボも。

                  

        動くのを止める時など考えず水面をすべる潔き日々
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寅年です

2010-01-05 | 五七五
今年は、年賀状を出せなくなったので、友人からの年賀状を借りて、新年のご挨拶。
まずは、MAOちゃん。


     ~今年もよろしくお願いします 

             口元に現れ出でし決意とは
             生きるとは温かいこと確かめる
             猫もまたひとつ歳とるお正月
   

いや、今年は、寅年でした。次は、たー画伯の傑作。


     


たー画伯、この句は「裂けるほど猫のあくびや小春空」でも、ぴったりなので、こちらで覚えていいですか?

いやいや、寅年でしたね。

父が持っていた広沢虎造全集でも聴きましょう。


             風おくる元日の夜白い月
                   
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一本道

2009-12-30 | 五七五
できたら早朝、鳥の声を聴きながら、ディートリヒ号に乗って走りたい道がある。
今日もその一本道はあった。

          …御所の玉砂利の上の自転車道。

      
      都での学生暮らし古き夢
  
向こうから、もう一台やってきたら、どうする?
その時は、一騎打ちの戦い、のような気分にならないのだろうか。
いや、先に道を譲られた方が、「負けた」と思うのが、この場所にふさわしい心持ち。

      二本目ができぬところが人の道

一本道を避けて、小石をバンバン蹴飛ばして自分の脚に当てながら走って、疲れるわぁ、と言っているような、自分なら、誉めてあげたい。
砂利道に立っているのさえ疲れるわぁ、と、もしかしたら、思ってないかな?自分。

      夢の中一輪車に乗る御所の道  
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回れ回れ

2009-12-16 | 五七五
凧揚げ大会の受付で、子ども達は、胸につける名札カードを、書いていた。
元気そうな3年生くらいの男の子が、「ウン○描いていい?」と受付のお姉さんに聞いている。
「いいけど、今日から君は、『ウン○君』てみんなから呼ばれるわよ。」
「じゃ、ボールだ」と、彼は自分の名札にサッカーボールを描き、凧には、シュートが決まった瞬間のゴールの絵を描いていた。

芦屋の浜の青い空に、子ども達が自分の夢を描いたカラフルな40の凧が、舞っていた。
グイグイ引っ張る風の力を手に感じ、心もまた、空に舞いあがっていくような体験。

     風の音風の力についていく放してはならぬ大切な糸巻

先月末、芦屋浜の南端に風車が立った。それを記念する凧揚げ大会。
新宮晋さんの「Breathing Earth(呼吸する大地)」計画の一環として3ヶ月間、この海岸に吹く風をうけて、風車は電力をおこす。
回れ、回れ。ビューンビューン。

          

そういえば、どこにしまったのか、行方不明のゲイラカイト。
だいぶ前のお正月に、西宮の御前浜で凧揚げしてたら、空の一画に、見事な編隊飛行をしている凧があがっていた。スポーツカイトのチームが練習していたのだ。

         試したいどこまであがるか長い糸
         
ところで、芦屋のキャナルパークには、こんなエコ街路灯がついている。2灯だけ。
毎夜、灯りがともっているのかしら?

                  

エコ街路灯も、風車も、数からいうと、この街では、実験段階。
日本で今発電している風車は、1517基あるらしい。
風力発電…2008年の総設備容量では、1位アメリカ25170MW(20.8%)、2位ドイツ23903MW(19.8%)、3位スペイン、4位中国、5位インド ……13位日本1880MW(1.6%)
今年中に中国が2位になるとのこと。
どうやら、この風力発電という分野、日本では、私が凧揚げしていた時代から、あまり進歩していない。日本のウィンドファームや風車を映像で見る機会も少ない。
カリフォルニアのハイウェイに沿って凄い数の風車が並んでいた「レインマン」は1988年の映画だ。
新宮晋さんが主導したこの日の凧揚げ大会には、ドイツのドキュメンタリー映画の撮影クルーがきていた。
これらの国では、映像関係者の関心度が高いのだと思う。

風力をつかった彫刻作品をつくってきた新宮晋さんの、風力発電の村をつくろうという夢は、地球規模で展開している。
日本で、この夢が、実現しますように。         
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逢魔が時

2009-06-07 | 五七五
近くの散歩道に、緑の灯が点(とも)る街灯が立っている。
 
      

夕暮れに、ここを通るたびに、この街灯の下で待ち合わせをしたいなぁと、いう思いが募っていった。
一昨日、夫と約束した。
夫のカエルコールがあったのは、夜の9時。
…大丈夫。この時間、まだ犬の散歩やウォーキングの人やジョギングの人達が、結構通って行くから。

ところが、緑の街灯がないのだ。
歩道には、並びの街灯と同じ色の灯りの街灯が並んでいて、位置からしてこれだと思うのだけど、灯りの色が違う。

この街灯は、夕暮れ時、黄昏時、のみ木の緑の葉色が街灯に照らされて、とてもロマンティックな街灯に変身するのだった。
そして太陽が沈み夜になると、ただの街灯に戻ってしまう。

上の写真を見れば、普通の丸い電灯に周囲の緑が照らされているのがよくわかるけど、実物は紛れもなく、そこだけポワ~ンと、緑が点る。なんだかその下に立っていると、自分が前髪を長く伸ばした少女のような気がしてくる不思議な灯りなのだ。。

        街灯が緑に点る逢魔が時

        思春期の色は緑とやっと知る  

        逢魔が時緑の眼をした魔女登場
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緑の箱

2009-04-25 | 五七五
毎日伸びている。風景が緑っぽく変わっていく。
建物はやがて緑に覆われる。    
      
       

       美術館 息するものに変貌する


美術館の屋上から、南には海、北には山が、すぐそこに見える。

 

海と山の間で、緑の狭間に生きている。

360度の風景の中に立つと、人は自分が世界の中心にいると感じる。
それを、四角く切り取る写真。風景画。

兵庫県立美術館コレクション展のテーマは「風景画に親しむ」だ。
なぜ画家は、自分をとりまく世界から、この部分を切り取ったのだろう。
人が描かれていない絵は、画家と、画家を取り巻く世界との静かな対話の時間を塗り込んでいるような気がする。



                 


さあ、中に入ろう。
でも、美術館から出てきたら、緑に出口がふさがれているかもしれない。

      走る蔦追いかけられて箱の中
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応援花

2009-04-13 | 五七五
それは突然のことだった。
朝つくった桜ご飯弁当(ご飯に桜の塩漬けを混ぜただけ)を持って、母と一緒に近くの公園でお花見をしていた時のこと。

       

「あのベンチの人、荷物置いてどこへいったのかしら?」なんて言ってたら、
水筒のお茶を飲んでいた母が、トコトコと滑り台の方に歩いて行って、上り始めたのだ。
「えっ!」
そして、上から「いきますよー」と言ったなり、ツーっと滑り下りたのである。
滑り台の下で、しばらくそのまま座って「あー、最後びっくりしたわー」などと言う。
私の方がびっくりしましたって。(もうすぐ貴方は80歳ですよ)
滑り台は、七十年ぶりだそうである。
しかたないなぁ、娘も後に続いて、○十年ぶりに滑り下りた。
「ツーっ」
昔より体重が増えているので加速度がつき、着地した時の衝撃は予想していたより大きかった。
母のいう最後のびっくりとは、これのことだと納得。 

     滑り台ピンクに染まった母若し 

滑り下りた時の母のテンションは、こんな感じに跳ね上がっていたのかしら。
春のお魚みたいに。 

      
      
若い漕ぎ手達を、キャナルパークの向こう岸の桜が応援していた。

            

               春に咲く桜の花は応援花       
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2本どり

2009-04-08 | 五七五
クロスステッチをやってみようと思ったのは、父の病室の壁がさみしそうだったからだった。
下手でもいいから、何か作ろうかな、と思った。できたら、月代わりで。
4月~細い足の小鳥は、果たして飛べるのだろうか、この子は何処に向かうのだろうか。

       

仕上げに足のバックステッチをしようとしたら針が通らないほどガチガチに糸が詰まってしまっていた。
結局とても細い足の鳥さんになってしまった。

初めて買った「キット」に入っているラベンダー色の糸が足りなくなった時点で気付くべきだった。
あの時「やっぱり外国のものはこういうことがあるんだわ」などと文句言いながら、手芸屋さんにAnchorというメーカーの刺繍糸を探しに行って、やっと仕上がった。
あの時気付くべきだったのだ。「2本どり」の正しい意味に。

針が通りにくくなった時点で、おかしいなと、気付くべきだったのだ。
普通、こんな事にはならないはずだと。

そもそも、新しいことをする時は、初心者用キットというものから、始めるべきであったのだ。
それにはきっと、丁寧な図解がのっていて、「2本どり」の意味が書いてあったと思う。

私は、母の本棚にあった本をみて始めてしまった。
刺繍針の穴が、他の針に比べてあまりに大きいせいだったからかもしれない。
最初に針に2本の糸を通してクロスしたら、そのクルンとした厚みが可愛く見えたからかもしれない。
その量感が、これこそクロスステッチだわ、などと誤解してしまったのだ。

昨日、4作目の花のカレンダーを作っていた時に、またもやバックステッチの針が通らなくなり、無理していたら、遂に針が折れた。
その時やっと、「何かがおかしい」と気がついた。(遅い!)
優雅な刺繍を、こんな力技で、チカラワザで、行うはずがないと、心底思った。

「2本どり」というのは、もしかしたら、針に通す糸を2本とるという意味ではなく、作品そのものが、2本の糸であることではないのか?
という、恐ろしくも当たり前のことに、やっと気付いたのだった。

本を見ると、中には3本どりで、と書いてある作品があって、私は自分の間違いをやっとここで確信した。
つまり、今までずっと2本どりで仕上げるべきものを、私は倍の太さの4本どりで作っていたのである。

というわけで、これが4本どり最後の作品。う~ん、まだ何か間違っている気がする。

          

          倍ほどの何かが詰まった四角布

          白い地に時間綴りの跡残す
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蜂とオキザリス

2009-03-11 | 五七五
ベランダに春の使者達訪れる

                       

ポカポカと暖かい昼下がり、ベランダの方を開けていたら、
突然、灰色の小鳥が部屋の中に飛び込んできた。
驚いたのは、私と、鳥と、同時だと思う。
驚きの度合いは、私と小鳥と、どちらが大きかっただろう。
小鳥は羽根をバタバタしながら2回ほどリビングの天井近くを旋回して、
自分が入ってきた場所から、またどこかに飛び去って行った。
大丈夫かしら?あの子。
でも、正確に飛び出して行ったわ。
もしかしたら、最初は「あっ、失敗失敗」なんて具合だったのに、いつのまにか、人間を驚かせるために、時々、ベランダからマンションの各部屋に突入しては、驚く人間を感じて楽しんでいる凄腕の鳥なのかもしれない。
鳥さん達から見たら、マンションだって、空中に突き出したコンクリートの大きなオブジェ。

そういえば最近、毎日、ベランダの黄色いオキザリスを訪ねてくる一匹の蜂がいる。

   
     
              


いつも一匹だけでやってきて
「これ、ぜ~んぶ僕のもんだからね」とあわただしくすべての花に顔を突っ込んでいく。
あまりのあわただしさに、花の蜜を吸っているように見えない。
これを見てるとわかる。花は花だけで生きてるんじゃない。虫たちと一緒に生きているんだ、と。

♪野の花は風に揺れ、愛することも愛されることも知らずに咲いているの(森山良子「まごころ」)

ではない。
野の花達は野の虫達に愛されている。                  

               生き物の繋がりを知る幸せ季
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縮景園

2009-03-06 | 五七五
冬の間、松の木に、コートのように巻かれた藁(わら)は、防寒の為ではない。
あれは菰(こも)という、松の害虫マツカレハの幼虫を誘い込んで樹上に帰る前に一斉に取り払って駆除する為の仕掛けなのだ。
「霜降りの日」(10月23日)に巻き、「啓蟄の日」(3月5日)に取り外される。
縮景園の松の木の菰も、昨日取り外されたのだろうか。

  

先月広島の美術館を訪れた時、初めて縮景園に寄った。
学生時代広島に5年間住んでいたのに、一度も中に入ったことがなかった。



      爆風に耐えた石橋たたいて渡る

真ん中に池がある回遊式庭園は、1620年広島藩主浅野長晟(ながあきら)が家老で茶人の上田宗箇に作庭させたもので、池には橋が14個も架かっている。
池の中央に架かる御影石の跨虹橋(ここうきょう)は7代藩主重晟(しげあきら)が、京都の庭師清水七郎右衛門を招いて改修した太鼓橋で、8月6日の原爆の爆風にも耐えた。

今もこの橋は渡ることができる。全体の丸いフォルムに合わせてあるため段が斜めになっているので、下りる時は少し足元が震える。

池の真ん中の石の上で、オブジェのように長い時間同じ姿勢で緊張感を漂わせている鳥がいる。きっとこの石は、最初から、鳥のために配置されたものに違いない。


         雨模様 水面見張る池の主

         


              

ここは原民喜の「夏の花」の中に「泉邸」として出てくる庭園である。

   梅の木の根元に届けと香り雨


 
      


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バレンタインの風船

2009-02-15 | 五七五
前日の金曜日は荒れ模様のお天気。午後から雨が降ってきて、ベランダの植木鉢がひっくり返る突風も吹いた。
翌土曜日のバレンタインデーは、まるで春のような明るい陽射しとぽかぽか陽気。
軽いコートで、神戸の元町からハーバーランドを歩いた。
港に停まったコンチェルト号の甲板では結婚式が行われている。
モザイクのベランダからは、大勢の見知らぬ人達が、彼らを見ていた。
「良かったわねぇ。いいお天気になって。」と多くの人が彼らの幸運を祝福していた。
バレンタインデーにモザイク・デートしている若いカップルの中には
「いいなぁ。いつか私達も」と夢見ている女の子が大勢いるのだろう。
などと、想像しながら、熟年カップルは、春のような風に吹かれていた。

やがて、船上の参列者が一斉に手を放し、風船が大空に飛び立った。
ピンクと白の風船の後から、ゆっくりと二つの赤いハート型の風船が、青い空に昇っていく。

  
           


風船は何処に行くのだろう。いつもいつのまにか見えなくなる。
青い空に吸い込まれていく風船を追いながら、私は、ずっと前のバレンタインデーを思い出していた。

風船を飛ばし届かぬその思い六角形のチョコレート

私が初めてバレンタインのチョコレートを買ったのは、その冬が初めてだった。
「○○さんのもとに届きますように」とだけ書いたカードをはったチョコレートに風船をつけて、下宿の郵便受けにそっと置いてきた。自分の名前は書かなかった。
今の自分には、まだ届かない人だと思っていた。その人が読んでいる本の題名を知ると、本屋に走った。一歩でも近づきたかった。
翌日「昨日チョコが空から降ってきた」とその人は嬉しそうに話していた。
自分が予想したとおりの展開になったのに、なぜだか少し悲しかった。
二人の距離はそのままで、翌年の春、その人は卒業して故郷に帰って行った。
やがて、私の思いは風船のように青空に消えてしまった。
ただ、今度、誰かを好きになったら、風船ではなく、主語をつけてチョコレートを渡そうと心に誓っていた。

次のバレンタインデーに、どんなチョコを買ったのか覚えていない。
その人は、驚くほどチョコレートが好きだった。
アポロチョコも、ラミーチョコも。

チョコ好きの我が家は毎日バレンタイン
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また会おうね

2009-01-10 | 五七五
    尼さんが自転車を漕ぐ遍路道

田舎のバスの停留所、バスは1時間に一本しかこない。
私は足元に荷物を置き、気をつけをして空を見ていた。
田舎にはゴミがたくさん落ちている。
畦道に草むらに川沿いの道にジュース缶やビニール袋。
思わず目を背けて、そこら中で一番美しい空を見る。
さっき、いつまでも手をふっていた父に「寒いから中に入って」と自分がきつく叫んだこと、
「ありがとう」を繰り返す父に何にも返す言葉が出てこなかったことなど、
思い出しながら、唇かんで広い空を見ていた。
       
そこへ左側から何か近づく気配。
一台の自転車、漕いでいるのは、作務衣を着た尼さん。
私の前を通り過ぎる時、思わず会釈を交わしあった。
穏やかな笑顔の、私と同年齢の彼女は、近くの札所の尼さんだろう。
どんな人生を送ってきたのか。
剃髪も作務衣も軽いペダルも笑顔も、彼女の一部分。
彼女なら、自分の死を覚悟して弱くなった心に届く言葉を、
きっと私よりたくさん持っているだろう。

田舎道で出会った人は、なぜか向こうから声をかけてくる。
年末、中学校の側の大きな銀杏の木の下を歩いていたら、
向こうから来た知らない高齢女性(田舎のおばあちゃん)に、
「綺麗な色の服着てるねー」「向こうから綺麗だなぁと見ながら来た」と、突然言われた。
「え?」その日はポカポカしていて暖かかったので、コートを脱いでいた。
自分が着ている赤と黄色のチェックの着古した綿シャツは、決して人に誉められるようなものではない。
きっと、そこら中一面の銀杏の落ち葉の中で、赤が、映えたのだろう。
私は思わず照れて「金色の落ち葉のせいですね」と、答えていた。
「気ーつけてねー」と優しい声を私にかけて彼女は落ち葉の上をトボトボ歩いていった。
明らかに私のほうが先に言うべき言葉だった。

そして、田舎の犬は、とても人恋しそうなのだ。
近くを通ると、吠える。そっちを向いて「こんにちわ」と言うと、シッポをなんとなく振りながら、困ったような顔でこちらを見る。
塀などない庭で、静かにずっとこちらを見ていたこの年寄り犬は誰かに似ている。

           

          去り難い…また来るから…元気で…また会おうね…きっと…
 
   また会えるこの空だっていつか見た
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