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男は甲斐性、女は愛嬌、変わる現代『我が家のヒミツ』

2020-03-08 11:52:17 | 人生を「生かす」には
「甲斐性」とは辞書では「やる気溢れた気質・根性」、と男根性を指す意味である。だが現代では女性に対しても「甲斐性」を使うが、どちらかと言うと「スマートにこなせる人」と言う感じになるのか。「男女平等」などで逆に女性にも「甲斐性」が求められる時代になったのだろう。それとネット上のやり取りが増え、相手の感情が読み取れないのか「他人への思いやり」も案外少なくなっている感がする。
『我が家のヒミツ』奥田英朗 6短編小説
1、『虫歯とピアニスト』 結婚して数年、子供ができないことで夫の実家から医者に診察に行くようにと言われ悩む。悩みを抱えたまま妻は歯医者の受付で仕事をする。そこで出会った患者の一人がファンのピアニスト。そのピアニストからの言葉「プランAしかない人生は苦しいと思う。常にプランB、プランCを用意し、不足の事態に備えている。つまり理想の展開なんてものを端から信じていない。理想を言い訳にして甘えてもいない。逆に言えばそれが一流の条件だ。だから人生にもそれを応用すればいい。あなたも・・」「人生を大袈裟に考えなければ、ほとんどのことは諦めがつくのだ。それを悲劇と捉える人と、運命と思って受け入れる人の差は、心の中のスイッチ一つでしかない
2、『正雄の秋』同期との昇進レースに敗れ、53歳にして気分は隠居。その昇格した同期にもお祝いの言葉させかけられない惨めさを感じたまま久しぶりの旅に出る。旅の中ほどで同期の親が亡くなり急遽旅を変更、葬儀に参加することに。そこで漸く同僚に心を開い思いを伝えることができた。それは同期の親元の故郷に着き同期の育った和やかで素朴な環境を見て心の癒しになったのだ。
3、『アンナの十二月』16歳になったのを機に、初めて実(血の繋がった)父親に会いにいく。今の家庭の父は血縁関係のない育ての父親で、血縁のある父は独身、著名な演出家だった。夢憧れる仕事に魅せられ、心も身も揺さぶられる。だが同級生からのアドバイスもあり、今の育ての父親の立場を考えさせられ、自分は2股をかけた夢を追いかけていたことを恥じる。実の父親が「もしかしたら離婚して、アンナを苦しめたかもしれないね。大人の都合で振り回しておいて、その後フォローもしてなかったし、申し訳ないと思っている」女の子は「運命」「将来性」「ブランド」に弱い。男は甲斐性、経済力とか、権力とか社会的ステイタス、女は愛嬌で誤魔化せる。
4、『手紙に乗せて』母が急逝。憔悴した父のため実家暮らしを再開するが食欲をなくし、睡眠も十分でなく痩せ細ってきた。娘は「残された家族三人の悲しみが10としたら、そのうちの7ぐらいはお父さんが引き受けてくれているのよ。だからお兄ちゃんと私は残りの3で済んでいる」。心配した息子の上司、同年齢で前年に妻を亡くし、辛い思いをした経験者、から1通の手紙を預かり、父に渡す。父もその上司にお礼の返事をしたため渡す。上司は「この歳になって伴侶を失うと言うのは、自分の人生の半分を失うと一緒なんだ」年配者などは縁者が亡くなったときの感情、辛さが読めるから労りの気持ちがあるが、若い世代はそうでもないと身をもって感じる。歳をとると経験から自然に他人の気持ちを思いやることができる、若者の人生経験が乏しいと言うことは、それはそれで貴重な時期だと言う。
5、『妊婦と隣人』産休中なのに、隣の謎めいた夫婦が気になって仕方がない。マンションの隣部屋に引っ越してきた1組の男女。ほとんど外に出ず、ポストにもドアにも表札がない・・「人間は普段慣れていない環境に置かれると、知らずのうちに神経が圧迫され、自覚症状のないままに幻覚や幻聴と行った超以上体験をすることがある」夫は精神的に不安定になり始める妻に忠告するが、妻は一旦疑問を持つと不安で夜も寝れなくなる。ある深夜に隣が外出すると跡をつける。と警官に止められる。隣は実は中国からのスパイで警察が監視をしていた。時間があると身近で何でもないことが気になることが起こる。
6、『妻と選挙』妻が今度は市議会議員選挙に立候補すると言い出す。夫はN賞受賞者の作家、だが今は下り坂で売れ行きも芳しくない。そんな時期出版からは書き下ろしを依頼され時間的なゆとりができる。妻の選挙活動が思うように人が集まらなく、夫も家族全員で協力すると人々の脚光を浴び、遂に当選する。

これからの転職・就職、国内だけではない『主を七人変え候』

2020-03-08 07:59:06 | 歴史から学ぶ
@「転職に次ぐ転職」七人もの主人を変えた戦国武将藤堂高虎の生涯だ。最初は禄高を求めて転々とするが、途中からは仕える主の人柄・思考・戦略等(侍大将)に傾き、城・仏閣建築に興味(建築家)を持ち、終盤には守り固め(相談役)に終始する人物に変わっていく。 現代、転職して誰もが恵まれた上司には出会えない、ましてや昨今の志望する就職難からか給与の大幅なアップが見込めないこともあり「社内での生き残り策」でもがいている社員もいるかのように見える。国内の景気にもよるが今後国内転職において良い条件での採用は困難な時代を迎えると予測できる。 それは日本経済の滞り(消費が増えない構造)、新規産業開発・発展の衰え、中高齢者の退職時期の延長、少子・高齢化による経済構造の変化、世界経済の低迷(新型肺炎など)である。必要なことは中間目標、最終目標を立て、目標に向かって日々勉強し、経験(質問し、聞く)していくことかもしれない。東南アジア諸国を旅(商用)すると多くの起業・就職の機会があると感じる。 成熟した諸国が次に歩む予測とこれから成長する諸国の動向を知ることは大切。

『主を七人変え候』小松哲史
高虎は、歴史の日陰者となった。だが素朴な疑問がわいてくる。「ゴマスリ」だけで三十二万石の大名になれるのか?なぜ七度も主人を替えたのか?なぜ家康の信用を勝ち取ることができたのか?大名取りつぶし攻勢のなかで、なぜ生き残ることができたのか?これらの“謎”を、波乱に満ちた高虎の生涯で追いかけてみよう。人を誰も信じない家康の肝をつかみ、外様にして徳川の先鋒にまで昇りつめた男。乱世にも治世にも生き残る知恵と覚悟を活写。
  • 藤堂高虎 15歳の初陣から七人の主を変えた武将
  • 1、浅井長政 小谷城1570年 父の縁で出仕 禄高なし 姉川の戦い ただ働きが嫌になる
  • 2、阿閉貞征 山本山城1572年  無録 生計が成り立たない
  • 3、磯野員昌 小川城1573年 80石(自分を入れて三人と馬の餌など)
  • 4、織田信澄  城主交代1574年 80石のまま
  • 5、羽柴秀長 長浜城1575年 300石 1581年中国遠征などで3千石加増 
    • 賤が岳合戦で4.6万石、1587年紀伊粉河で2万石の領主となる
  • 6、豊臣秀吉 伊代飯島7万石
  • 7、徳川家康 1600年関ヶ原の戦い、伊予今治20万石
    • 1608年伊賀・伊勢22万石 冬夏の陣1614年32万石
  • 近江屋主人与左衛門との出会いで得た知識、それは人柄・質素・低姿勢・商売の秘訣
    • 礼儀正しく、信用を重んじ利益は後に考える
    • 安易に金を借りて、商売を広げぬこと
    • 財は天下一の宝物なれど、悪く用いれば身と家を滅ぼす
    • 仕事を楽しみ、不平を抱かず、困難に出会っても屈してはならない
    • 職業に価値が高いも低いもない、ただ心の持ちようである
    • 小さな商いも疎かにせず、客を分け隔てしない
    • 勉強と節約とは福を招く門である
    • 一つの小さなことにも手ぬかりないようにせよ。何事も堪忍の2字を弁えるべし、さすれば万事において大成する
  • 高虎は「ゴマスリ」「風見鶏」「裏切り者」「世渡り上手」など悪評が多いが、徳川幕府では忠誠を誓う「外様」の見本として活躍、勇将な武士でありながら城・仏閣の建築で家康などから信頼を受ける。高虎と宮大工宗黄による日光東照宮・5千体に及ぶ彫刻がある。 明治まで幕府からの簡易がなく生き延びた外様は多くない。正室、久芳には子がなく養子を育てるが発狂して自殺する。途中妻帯(松寿)し長男を授かる。遺産は後継ぎの長男、松寿に多く、残りを家臣に分配した。 老後70を超えると家光、家老たちに昔話をすることが多く逸話として
    • 博打の男と遊女に走る男に「どちらに重きを置いた罰を与えるか」 高虎は博打男を軽い罰
    • 天下太平で一番大切なことは「文武両道が必要だ」(どちらもほどほどが一番良い)
  • 高虎の城建築(テクノクラート・技術官僚) 歴戦で城を攻め抜いた経験者であり、武略・知略・計略の3つを備えた武士だった。 伊賀上野城(30mの石垣)南北長さ240m、西の250mと大阪城並み敷地5双の天守閣、40箇所の蔵(8万俵を備蓄可能)、その他江戸城、(天下普請)、伏見城、増上寺、伊勢津城、丹波亀山城(再構築)丹波篠山城などを建築した
  • 高虎の目標は手柄を求め戦場に出向く、侍大将になることだったが、「平和」「幸せ」の徳川時代になり「大切な何かを失ったような・・・」があった。
  • 「人は少しくらい切られても死なない、だが、致命傷を与えるには刺すしかない」
  • 高虎の遺言「選択があるとしたら迷わず「領土」「領民」を選べ」
  • 高虎の中国出征の間違い「敵を知り己をしらば百戦危うからずが、敵を全く知らずガムシャラに猛進したことでが敗北の要因であった」
  • 徳川家康の誰一人信じない武将 「外様であろうと譜代であろうと、信用できるものは信用できるし、裏切るものは裏切る。人を図るには、まずその力量と技量で図れ。次にその姿勢と人柄で図れ。そして最後にはその人間が勝つことだけでなく負けることを知っているかどうか図れ」
  • 石田三成を筆頭の政務派vs家康らの武闘派の戦い:関ヶ原の戦い
  • 東西に分かれた関ヶ原の戦いを他所に黒田官兵衛は九州において「3分の計」を計画していたのか