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「役に立つ仕事」を模索する『喧嘩大名・木枯しの旅』

2020-03-31 07:53:15 | 歴史から学ぶ
明治初期の文明開化は士農工商解体、武士でも身を建てる方法を生み出さなければ生きていけなかった時代である。ましてや弱い女性の立場は路頭に迷う時代だったのではないだろうか。その時代の「自立」するということはどのようなことだったのだろう。武士を捨て、娼婦は解散・解放され「世間に役に立つ仕事」をすることだったに違いない。その時代生まれた仕事は「修理屋」「穴掘り屋」、変わったところでは今で言う「職業紹介業」なるものが既にあったという。 ここにその紹介する「日本職業紹介」サイトがある。 http://shokugyo-kyokai.or.jp/shiryou/gyouseishi/02-1.html

『喧嘩大名・木枯しの旅』山手樹一郎
「おいらん俥」は明治9年文明開花の時代に6万5千台という車両「人力車」がブームになった時代。明治2年、和泉要助が高山幸助と鈴木徳次郎が交通機関の車両として始めた「人力車」であった。 話は、その人力車に若い病み上がりの客・娘が一文無しで乗り付ける、ところがどうも事情があることを悟ると新助は人肌脱ぐことにした。それは明治5年に政府の人身売買を禁じ、娼婦を開放したことでその娘が見受けされた。身請け人となった男がその後娘の一切を掛け売りし、その先で病いとなり、つい先ほど退院したばかりで行き先知れずの客・娘だった。新助は当ての無い元花魁娘をまずはその男から籍を取り戻し新たな身請け人を見つける事にし、一先ず一軒の爺婆の営む古い小料理屋に留め置いた。 新助は元同僚で警察部長となった友人と相談、籍を移すことは可能だとしてすぐさま実行する。元花魁の娘は気用にもその古ぼけた侘しい小料理屋を満杯にするほどの人気を得て繁盛し始めていた。 それを知った元身元引き受け人の男が店の周りを殺気を漂わせ偵察に来いた。その時出会い頭に新助はその男から殺傷されることになる・・・。
明治の文明開化は不平不安を持った士族も多かったが、実はこういった娼婦の立場の女たちも自立出来ない苦境に追い込まれていた。実際士農工商を重んじた志士たちも急変の政府に不満を持った、その例として前司法卿前原一誠など、また薩摩征韓論で避けられた西郷隆盛などが、諸国の志士達と起こした西南の役につながった