@室町時代〜豊臣秀吉、江戸時代初期〜徳川にも国内政治体制の安定を測る為、異文化を拒否する動きとしてキリシタン弾圧は有名であり、多くの人々が命を落としたとは今までの説であるが、ここにきて新たな説・真相がある。当時のキリシタン大名が約10万人以上もの日本人を奴隷としてスペイン・ポルトガルの商人に売り渡していたという事実。「宗教弾圧」ではなかったということだ。怒涛を組んだ集合ほど恐ろしいものはない、それが宗教団体としての隠れ蓑となっている集合団体等が起こした「サリン事件」は記憶に新しい現代の事件だ。
現代では「異文化」を知る手立ては数限りなく多く、インバウンドで訪れる異国民を受け入れる素手も多くある。数年前から「ハラルフード」などサービスする施設が増えているのもその一つだろう。日本は小国であるが為、多くの異文化を取り入れ、受け入れる国に変われると思う。真に人種差別のない国として異国を知り、異国の人々を受け入れる国に変わることで国内の経済の活性化、特に超高齢化社会に向けた若い文化と層を受け入れる国に変わって欲しい。技術立国以上に 文化立国としての明日を見た対策は日本にとって待った無しの状態になるはずだ。
『密命ー見参寒月 霞斬り』佐伯泰英
- 豊後相模藩金杉惣三郎は藩主斉木高久から密命を帯びる。何者かによって奪われた蔵書の中にご禁制のキリシタン本が混ざっていた。幕府ご禁制のキリシタン本が明るみになれば藩の取り潰しは免れない。真相を探るべく江戸に潜入、藩主の分家、斉木丹波の企みを嗅ぎつける。
- 金打ちとは
- 約束を違えぬ証に侍ならば刀の鍔、僧侶なら鐘、女子なら鏡などを打ち合わせて約定すること
- 伊勢参り
- 平将門が活躍した938年〜947年ごろから盛んになり1705年には4月から5月にかけて50年間で362万人が伊勢神宮にお参りしたという。京都を通過する6歳から16歳までの子供は1万85百人を数えたという。老若男女の多くが伊勢神宮へ出かけた。
- 江戸の28蕎麦
- そば粉8に小麦粉2の二八蕎麦は1661年〜73年に生まれた。その7〜8年後には夜鷹蕎麦として浅草馬道の正直人左衛門が売り歩くようになったのが元祖という。