2月9日の東京新聞で紹介されていたバスでのミニトリップ。
「ウルトラの町から烏山の寺町へ」(より一部を掲載)
祖師谷大蔵駅を出て右にいくと、ウルトラマンの像がある
のをご存知ですか?
ウルトラマン、見るだけで楽しい気持ちになりますよ。
くるりんバスに乗って烏山の寺町に行く、というのも楽し
そうですね〜。
烏山寺町のこと、実は平成23年(2011年)の決算委員会
(10月14日)で取り上げたことがあります。
寺町といえば「蕎麦」。
蕎麦といえば「庵」。
その「庵」には興味深い話があります。
以下は、決算委員会で私が紹介した話です。
(議事録を要約。興味のある方は読んでください)
↓ ↓
1700年代の前半、もともとは浅草に一心山極楽寺称往院
という浄土宗のお寺があった。
そのお寺の院内に道光庵という支院があり、そこの庵主は
そば打ちの名人だった。
お寺の檀家さんたちに自らそばを打って振る舞っていたら、
町の人たちはそのおいしさに引かれて行列ができてしまい、
信心どころか、とにかくそばを食べに行きたいと。
それで行列ができてしまうようなありさまだった。
このそば切り寺道光庵にあやかろうと、屋号に庵をつけれ
ば、おそばで有名になれるんじゃないかといって、「庵」
という屋号が広まっていった。
その後、その称往院というお寺がどうなったかというと、
お寺さんなのかそば屋なのかがわからないような様相に
なってしまい、見かねた住職が天明六年(1786年)、
ついにそば禁止、禁断という石碑を門前に建てた。
その後、お寺さんは関東大震災の後に、浅草から烏山に
移ってきた。
烏山にお寺さんが移るときに、折れて土の中にばらばら
になって埋まっていた石碑を掘り出して組み立て直して、
今建てられている。
称往院はそば切り寺(そば禁制)として知られていた。
このように、烏山寺町には、非常に興味深い歴史があっ
たりする。
(引用ここまで)
この時の決算委員会で、何が言いたかったかというと、
烏山寺町はこのように歴史があり、興味深い逸話がある。
多くの人に知ってもらい、楽しんでもらえるように、
何か活性化することを考えてみてはどうか?という事
です。
例えば「そば打ち名人集まれ!そば打ち大会」を開催
するなど。
この質問は、委員会室中が大いに盛り上がったことを
覚えています。
町の活性化とか、観光産業の発展、というのは、車の
ナンバープレートを「品川」から「世田谷」にしても
何ら効果はありません。
もっと豊かな発想やアイディアを募集すべきだと思い
ます。
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