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内外情勢調査会懇談会 地形から見る日本文明-なぜ、家康は江戸に幕府を開いたか

2015-10-25 11:56:13 | その他
 先日、内外情勢調査会岩城支部懇談会が開催された。初めての参加である。

 演題は、「地形から読み解く日本文明-なぜ、家康は江戸に幕府を開いたか」、講師は、元国土交通省河川局長で、現在、日本水フォーラム代表理事の竹村公太郎氏。

  

  

  

 始まる前に、昼食をとるのだが、普段、昼食は控えめにしているので、少し、ボリュームがありすぎた。


 さて、講演。現在の日本地図をベースに、6000年前の地形を想定するのに、海面を5m上げる。すると、集落の成り立ちが分かる。例えば、吉野ヶ里遺跡、行ったことはないが、山の中にあるらしい。しかし、海面を上昇させると、北側を山が連なり、目の前が海になっている。好条件の場所とのこと。

 では、奈良は。盆地の真ん中に巨大な湖があり、30年から50年のスパンで大洪水が起こり、流れ込んだ土砂が肥沃な土地を作った。富の拡大が起こり、その富はみんなで分かち合っていた。そして、木材が豊富であったこと。木材は資材となりエネルギーとなる。

 なぜ遷都したのか。大きな要因は木材の枯渇。木材を求めて京都へ。京都の地形的位置づけは、地形上、自然の中心点となっている。情報(人)が集まる場所。

 家康は、なぜ江戸に幕府を開いたか。戦国時代には、畿内や中部でも木材が不足していた。当時の江戸周辺は利根川の影響で大湿地帯。家康は、利根川の河口を東京湾から銚子に振り替えた。今の堤防は、江戸時代から引き継いだも0の。結果、耕地面積が大幅に増加して、富の拡大につながった。

 最後に忠臣蔵の話。忠臣蔵は幕府の陰謀説を展開。文献によると、赤穂浪士の何人かは麹町に住んでいたという記録があるが、麹町は半蔵門の目の前、当時の半蔵門は、将軍の出入り口になっていたことを考えると、麹町界隈に浪士が住むことはあり得ない。また、吉良邸は、幕府の命で今の東京駅近くから本所に移されている。討ち入りに幕府の意図が感じられる。

 地形から歴史を見てみるという視点、実に面白い。ブラタモリ的興味を持ちながらお話を伺った。

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