それでは実も蓋も無い
熊さん 「フィクションはどのくらい許されるのかなあ。」
ご隠居さん「そうだなあ。川柳と言うのは、詠んだ人本人の句ではあるけれど、それを読む人も居るのだから、その人たちにも、ある程度、楽しくなるとか、希望が与えられるほうがよいということかな。」
八っアン 「と言うと、あまり事実だけではだめと言うことかい。」
ご隠居さん「例えば、
無駄金を覚悟で子には投資する
と言う句があったとする。
自分の子だから、当然それほど期待できるわけが無い。
それは事実である。
けれど、これでは実も蓋もないし、詠まれた子もかわいそうである。
それより、独り立ちできるように、生活費をけずってでも、子の学問にお金を使ってやろうと言うのが親心ではないだろうか。
もっと言えば、末は博士か大臣になってほしいと、なけなしのお金を使うのも、親の願望ではないだろうか。
やはり、できれば、そのような気分で詠んだほうがよいのではないだろうか。」
熊さん 「夢を見るだけなら、うちのがきにでも出来そうだな。」