あこがれのまま富士様
名峰 富士山
霊峰 富士山
美しい国日本の象徴 富士山
遠くから見てもどの方角から見ても美しい 富士山
一生に一度は登っておきたい 富士山
元気であれば何度でも登りたい 富士山
(つづく)
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昭和四四年三月三日。
美貌の歌姫、島倉千代子さんが般若寺にやってきた。
殺風景このうえなき粗末な舞台上に、あでやかな着物の文様が、花を咲かせている。
炊事夫は、まえから三列目の観覧席をしめる、幸運に恵まれた。
‘この世の花’‘東京だよおっ母さん’‘からたち日記’
島倉節を熱唱するあいまには、情熱に満ちたトークを披(ひ)露(ろう)してくれる。愛の言葉が慈(じ)雨(う)となり、少年囚らの枯(こ)渇(かつ)した心に、染みわたっているであろう。
ステージがおわった。
湧きおこった万雷の喝(かつ)采(さい)が鳴りやむと、お千代観音の声がする。
「早くここをでて、たくましく生きるのですよ」
だれもがみな、涙をうかべている。どんな制裁よりも、洪水のような説教よりも、お千代観音の語りかけが、みなそれぞれの心をゆさぶり、脳裏にこだましていくと、わたしには思われた。
魂にひびく歌声と、愛のメッセージは、わたしの胸に深い感動と、改(かい)悛(しゆん)の情をうながしてくれた。実社会で生きることの尊さ、たいせつさを教えてくれたのである。
慰問会がおわってからのこと。中央庁舎前に、キューピーら看守の多くが集まっている。 スーツ姿の島倉千代子先生を真ん中にして、得意げに記念撮影をしている光景を、わたしは、とおくからながめていた。
昭和二九年当時から、二度ほど島倉千代子さんの慰問ステージを奈少刑に提供してくれたのは、吉(よし)本(もと)伊(い)信(しん)師ですが、世界的心理療法の内(ない)観(かん)法(ほう)(内観療法)の創始者。
師は、奈良県大和(やまと)郡(こおり)山(やま)市生まれ。実業家出身で、浄(じよう)土(ど)真(しん)宗(しゆう)木(き)辺(べ)派の僧侶、刑務所の教誨師、篤志面接委員としても活躍されていました。
とても懐かしく、うれしく思います。