悪魔とも孫のためなら手を握る
これは柳誌に投稿するために詠んだ句であり、特に具体的な経験を頭に浮かべて詠んだ句ではない。
ところが、それから何か月かして、「孫」のところが別のものに変わっているだけの句を同じ柳誌で発見した。
これは、だれでも同想の句として、だれでもが詠める句だと言ってしまえばそれまでだけれど、本当にこのような句を詠んでいてよいのだろうかと考えさせられた一句である。
これは柳誌に投稿するために詠んだ句であり、特に具体的な経験を頭に浮かべて詠んだ句ではない。
ところが、それから何か月かして、「孫」のところが別のものに変わっているだけの句を同じ柳誌で発見した。
これは、だれでも同想の句として、だれでもが詠める句だと言ってしまえばそれまでだけれど、本当にこのような句を詠んでいてよいのだろうかと考えさせられた一句である。