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免許取消の回避&軽減、つまり免許停止にしたり処分無しにすることに関しては日本一を標榜しています。

行為を正当化するものは結果しかないってことです。

2013年02月01日 | 格闘技とかスポーツとか
女子選手に「死ね」、笑顔でも怖かった…告発文(読売新聞) - goo ニュース
だいたいスポーツ界の『行き過ぎた指導』っていうのは
世間一般から見れば完全に狂ってると思います。

とはいえ
限界の先で勝負するわけですから
練習の時点から文字通り狂気じみたことをしなければ勝てません。

しかし
練習のすべては勝つことにつながらなければなりません。

それでは強くなるための練習とはなんでしょう?

指導者の仕事は選手を隷属させることではなく
勝たせることのはずです。

それは『強さ』を一緒に追求していくことです。

格闘技は宗教みたいなもんで
強さっていう信仰を伝授される相手に対して信頼感さえあれば
目的達成の修行として受け入れられるんだけど
結局のところ嫌いな人間からは何をされてもマイナスにしか受け取れないし
好きな相手からされれば勝手に良い具合に脳内変換されるわけですよ。

突き詰めれば
指導者が上下関係だけでものを言って
信頼関係を作っていない、作る能力が無いということなんでしょうけど・・・

世の中の
被害妄想というか
一個の事象で脊髄反射する人たちは
曰く「昔からやられてきたじゃないか」という肯定派
曰く「体罰と受けとられるものは絶対ダメ」という否定派
曰く「叱咤激励までパワハラになってしまう」という危惧派

いろんな意見があってしかるべきですが
一番の問題は選手に選択権が無いということだと思います。

結果を出すことがすべてであるなら
勝った名声も負けた罵声も自身に降りかかるのであれば
指導者も練習方法も選べなければならないと思います。

今回は正真正銘のトップ選手が声を上げたということですが
彼女たちは小中学校時代からそれこそ普通の人なら数時間でおかしくなってしまう練習を耐え抜いてきたわけです。

練習が可視化されている物でもないですし
真相は分かりませんが、

体がきついとかって結構耐えられるし
限界超えたら機能停止するもんです。

ですが精神的ないじめって
受ける衝撃は鍛えていようが一般人だろうが
性格の問題であって個人差レベルでしかないと思うんですよ。

ましてや
物凄いプレッシャーの中で人格否定までされれば
真面目だからこそ耐えられないと思います。

『嫌なら辞めればいい』
外野はそう言えます。

しかし当事者は『辞~めた』とは言えません。

人の心をすり減らすのは
『苦しい』でも『痛い』でもなく
『選べない』事なんだと思います。

僕は体罰は肯定派です。

しかしそれは
動物を人間レベルに躾けるためであって
感情のままにぶつけるのは単なる暴行であって体罰とは言いません。

しかし今
暴行指導を叩いている連中も
次のオリンピックでメダルの数が減ったら手のひら返すのは見え透いているので
ここはやはり結果を持って黙らせて欲しいです。

でも
結果がどうあれ
国を背負って世界の舞台に立つということは
無条件で賞賛されなければならないと思うのです。

「高校柔道時代の指導者の記憶は?」と聞かれましたら
「何が嫌っていうことがコロコロ変わってその度ごとに適当な理由付けて殴られたりすることですかね、
あとは後輩への気合い入れという名の暴行傷害を命令されたりとかですね、まぁ僕はやりませんでしたけど(笑)」
と今に至る片鱗をちょっぴりお伝えしますので↓に一票よろしくお願いします
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