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【シュギョーの旅より帰宅し「メジャー」の開幕戦行く】

2008-03-29 | ・nTinDEEP



仏教のたとえに、「仏陀は満月を指し示すが、その満月を見るのは各人である」
というのがありやす。これを「指月のたとえ」といいやす。

仏教その教えは、ブッダから説かれているけど、
それをどのように学び、実践するかは、あくまでも個人の問題であり、
仏の責任とは考えられていない。

それにしても、

日本という国は、"空気"に支配されやすい国だ。
と、つくづく思うタダイマ付近の感じ。



以前から強い関心を持つエロ至上主義な私の同志でもある「乳白色」のエロい画家、藤田嗣治の世界最大の壁画油彩「秋田の行事」を観に、秋田の「平野政吉美術館」に行く。

何か一つ象徴的なことが起こると、それにかかわる人たちが
すべて同じ方向に動いていく傾向がある。

ある人が犯罪を犯したならば、その人自身に責任があります。
その人が未成年者の場合は、家族など、その人と個人的な関係があって、
その人に影響を与えた人たちにも責任がおよび、本人および家族の責任は一義的だス。
一義的というのは、それ以外に意味や解釈が考えられないつーこと。

だけども、いじめなど、学校教育の荒廃の問題であろうと、
何か象徴的なことがあると、日本人は空気に支配されて動いていきやす。

個人の責任をきちんと問わないところに、国全体がすぐに空騒ぎをする原因があるのだス。

こうした思考形態には、個人の権限や責任、
個人が自由意志で選択した結果に対する追及の姿勢がありやせん。
その原因は、ある意味で学校教育にまで遡るんだけど、
とにかく、日本では、「制度やシステムの責任」「役所や業界の責任」
というようなとらえ方をすることがあまりにも多すぎる。


「平野政吉美術館」で本格的に観た藤田嗣治の作品は予想してたとうり素晴しく、その後すぐに会場で大宅壮一ノンフィクション賞受賞した近藤史人という人の名著でもある「藤田嗣治・異邦人の生涯」を買い読むと、これがめちゃくちゃ面白く、ますます藤田嗣治のファンになってしまってる私がいた。栄光のフランス生活から突然日本に戻り大きく変身をしてまさに「気力」で描いた藤田の不遇の「戦争画」が、東京国立近代美術館に所蔵されている事を知り、近いうちに観に行こうと思っている。

これは戦前からの日本の特徴だとも言われているけど、
物事を集団的にしかとらえられないのは、要するに、頭が悪いわけだス。
なこと言う俺はアホ名人だけど。まいーからすすもー、

スローガンや空気でしか人びとが動かないというのは、
軍隊アリのような動き方であり、各人が判断責任を持っていない証拠。

これは人びとの知性がきわめて弱いことと、全体の流れに対して、
「いや、私はこう考える」とは言えないような精神的土壌があることを意味してて、

個人の責任において判断し、意見を言い、
その結果については甘んじて受ける勇気、気概が必要なのに、
とにかく、全体的に「気力」に対して無責任なので、
「気力」あるものとかあるヤツとかウザガレタリして、
おもしろいものがおもしろくないものあるいわうすーいものになってきちゃったりして、
そこそこおもしろいものはそこらじゅうありれるほどあっても、
人生に影響を与えるほどにめっちゃおもしろいものが生まれにくくなってて、
どんどんどんおもしろいものやおもしろい人がいなくなってるあるいわ、
いてもそれを伝えるべき仕事の人たちが、それを発見したり、
感づくもなんか不必要に色眼鏡的にみちゃったりして、ちゃんとに伝えたりしてない。

人の心に、「気力」が失われている証拠だ。

政治家や役人が使う「心の教育」という言葉の意味は、必ずしも明確ではない。

ま。いーや。とにかく。


行って来たぞ東京ドームメジャー開幕戦!しかも夢に見たエキサイト・シートだ!気力=エキサイト=だろが。でもこれはアスレチックス対阪神戦(笑)

自分の欠点や弱点、失敗などがよく分かる時は、
今の自分を脱ぎ捨てようとしている時。

カラを脱ごうとしている時でなければ、
自分の欠点や弱点がなかなか分からない。

現在の自分で満足している人は、
それについてあまり分からないもの。
あるいは欠点や弱点が分かっていたとしても、
それを何とか隠したいと思っているもの。

自分の欠点や弱点がはっきりと見えてきはじめたならば、
それは、自分が、もう一段、生長する時なのだということ。



さてさて自分はいまだLiveの日取りも決められぬほどに、
タダイマバンド(Live活動)の準備中、閉店開店中。なわけなのでありやすが、
こりわ気力がないのでそーなってる(なかなかやんない)んだと思われるとまじい。んで、
いっときやすが。
むしろ気力なく、無責任でいーかげんなもんでいーやとか思えてれば、
今すぐにでもソレは出来るわけでありやす。つーことを。

気力あるものにとっては、住みにくい今の世の中なのでありやす。
でもがんばるぞー!とな。だから気力かましとくんだし。




この日が本物メジャー・リーグ、レッドソックス対アスレチックス開幕戦!(しかし第二戦!)何と俺二試合も足を運ぶこの気力ぃーな俺。しかし。やっぱ、ラミネスかっきーなー!「スポーツ」は良いなぁ~その「気力」の純粋性!それに比べると「音楽」の世界ってやっぱ、なんじゃくなんだなぁ~。その中で頑張ってる良いミュージシャンの仲間たちはかわいそー(つー思い)わ、今も変わらず!の音楽界では異例数少ない俺せいイチロー。音楽界にいるのか俺うるせー。

【たなかあらしのなかうわさのFEBいく/横浜ストーミーマンデイ】

2008-03-15 | ・nTinDEEP
******


嵐のような雨の中、もう10年も続いているという、
2月(February)生まれのミュージシャンが集結してお誕生日Liveをやるという
「FEB」というイベントを観に、横浜ストーミー・マンデーに行って来た。

前回のUBAでお伝えしたように、Live「観戦」とかいって、つい最近まで、
大きな会場でのLiveイベントを、単に楽しみに行くというよりも、
バンド結成+活動の準備の1つとして、個人的に仕事的に、
研究しに行くみたいな(それでも自分には楽しい事なんだけど)人ぎきかたーいテンションな、
ずーっとかたーいLive「観戦」してて、それをやっと終え、一息ついていた自分には、
その「FEB」のLive会場はまず地元で俺の家から歩いても行ける
横浜・ストーミー・マンデーという、ちーちゃなかわいいライブハウスでの
「お誕生会Live」という、おもいっきしアットホームでリラックスしたLiveイベントということで、
それはまさに「観戦直後」の今の自分の偏ったLive観賞感覚のバランスを
イー感じにもどし安定させてくれる、本当の意味でこれがバンド活動準備のための
「Live観戦ツアー」の最終仕上げとなる、私にとっては意味のある有難いLiveでもあったんで、
明日から次なる予定の東北へのシュギョーの旅に出るので、実は他の所でも書いたんだけど、
ココにもそれを記しておこーかと。



その10年も続いてるという伝統のLiveイベントである「FEB」というLiveイベントには、
私のダチ、仲間またはかつての戦友が何人か出場してて、実はそのメンバーの中に、
先日父親を亡くしたばかりの戦友タケもいて、つい最近お通夜で頑張る
一人っ子で長男の美しい姿をみたばっかだっただけに、その日のヤツのギターは、
いつになく霊的なほどの響き加減で冴え渡り、それは天国の親父に聞こえんばかりの、
あの世を貫くほどの本質的な健在ぶりだった。感じ。だったのは。たぶん。私だけだろうか?

その日数多く登場したバンド・セットの中でも特に面白かったのは、
やっぱ懐かしき戦友、金子マリかーちゃんと小川美潮姫のバンド・セットで、
この女将さん二人の存在感が主なる光・力となってこの日の客席とステージを引っ張っていたのは確かで、
だから男の俺としてはソレみてて悔しくもあった(笑)。

つーか。おめーわあのカネコのマリじゃねーかおい!

おーマリちゃんとは、その姿を見るのも会うのも生唄を聴くのも、
実にもー100万年ぶりの超久しぶりのめちゃくちゃ懐かしいほどもほどの再会で、
あまりにもの久しぶりな再会なんでひょっとして俺の事などもー忘れてんじゃねーかと心配してもいたけど、
Live後、俺を見つけると目を丸くして驚き、「あらっせーぼ~~っ!」と叫ぶと、
おー良かったちゃんと俺の名前忘れてねーと安心するヒマも与えずの素早さで、
ドサクサにまぎれてケツでもさわろうとする余裕をもないほどに俺に抱きついてその再会をよろこんでくれた時は、
その顔が俺に向って近づいて来る過程ですでに思わず私は感激で泣きそうになってしまってたんだス。

マリちゃんとはかつて幻のアコースティック・フォーク・トリオ(も一人は加部まーちゃん尊氏様だぞ!)を
結成してたことがあって、それはまメンツからしてはイメージ的には、
フォークというよりは、アコースティック・ブルースに思われるんだろうけど、
確かレパートリーにそういうモロブルースの曲は1曲もなかったし、
どっちかというと俺はフォーク・グループだと思ってやってた。けど、
フォーク・グループのつもりなんだけど、メンツがメンツだけにこれがただ三人並んでるだけで、
誰がどうみたってぜんぜん「フォーク」グループなんかに見えず、
ピーター、ポール&マリーでもキングストン・トリオでもなく、それでも
無理してフォーク・グループだとしてみると、えれー不良系フォーク...かな?つーそんな
ジャンルのフォーク系あんのかどーかも知らないけど、そんなところで、
それでも俺はアコースティック・ギター持って唄うんだから勝手にフォークバンドだと思い込み、
実は今までに一度もやった事ないフォークグループを経験したかったという欲望もありそう思い込み、
しかし当時生ギターと言ったら連想するのはThe WHOのピート・タウンシェンド的な
かき乱れ弾きで叫び唄う激しい「英国系フォーク」な世界で、そんな系もあるわけないとにかくそれは、
フォークにまったく無知な俺の思い描いた自分流の「フォークバンド」な世界で、
何しろ当時はなんでも英国指向な俺だったもんで、ある時はギターを背にして、
Tレックス気分でグラム気分でコンガを叩いてはグラムにマリちゃんの唄の伴奏コーラスしたり、
それに加えて、リード・ギターという役であられるまーちゃんだけは、
エレキ・ギター担当でのその前衛ともまるで世の中やお客様をなめてるとも思えるほどの、
曲もろくにおぼえずに平気で堂々と音を外して弾く当たり前なそのフザケタつーか
その不可思議なしかしまーちゃんだからこそ成し得る事の出来る、
その存在感だけで聴く者観る者をラリさせ魅了するサイケデリックななイカシタ間奏そのフレーズ
そのアンサンブルの中、誰よりも正しく正当に生ギターをしっかり奏でては歌い上げるその女1人と野郎2人による、
トリオによるアコースティックなフォーク・グループは、ステージ上で全体になると、
そのインパクトは誰もがビビるほどの、日本中探してもどこもかなわぬほどの
見事なまでに最強で前代未聞なへんてこりんな音楽チームとなって、観客を堂々と感動成し得る
相当なほどのアコースティック・グループなものだったと記憶してるけど、

その幻のフォーク・トリオは確か今はなき日清パワーステーションで、
1度だけのLiveをやるために結成され、そのためにその三人はある期間毎日のように会っては、
不真面目にリハしてはすぐに飲んだり一緒に遊んだりしてて、なにしろ平和も反戦も無関係な
これほど不謹慎で不良なフォークバンドはないだろうというくらいかっこよく楽しいバンドだったので、
その時の懐かしい私の元気でアホな青年時代の楽しい思い出が、あの割烹着が似合いそうな昭和のおかみさんのような
まんまるでマンガのような可愛いマリちゃんの笑顔久しぶりにみて、
それが一気によみがえってしまったからかもしんない。思わず感激で泣きそうになってしまったのわ。

しかし俺より1つだけ年上なくせに、昭和のかーちゃんのように頼もしくもその厄介なバンドのリーダーバンマスとなって、
マーちゃんと俺という純横浜産の不良ジジー二世代2匹一緒くたに引き連れて、
その一度きりのLiveをよくもまーあーもみちびき引っ張ってそれを実現成功させたもんだとつくづく敬服するけど、
ステージ中央マイクで唄うその後姿はけっこーうまそーないーケツしてたっけ。
この幻の不良アコースティク・フォーク・トリオを記録した映像はユー・チューブにもなく
おそらく唯一私の家に保管されたBHS

とかもーいろいろよみがえったりでとにかくあの愛嬌満載なまぁ笑顔可愛い~サザエさんのような顔した
少女のような女のくせに、ステージに上がった途端に俺の小学校の頃いたすんげーこえー
あの清水先生を思わせるほどの再びのその勇姿は、そのイベントにおける貴重な付加価値としての存在に
「自然」になってる偉い女性歌手の存在感に敬意を持つとともに、つーかもー、
なにしろ再びまた元気にタバコ吸いながら酒飲みながら不良に生で唄う姿を見れた事と
俺の事忘れてなかった事とを一緒にセットしてもーそれはそれは再会が嬉しかった。



また、美潮もやっぱおもろい。文字どうり笑ってしまうほどに面白い。
ステージで唄う美潮の顔。あの声。特にあの目(笑)。思わずおかしく笑ってしまうほどに。可愛いの。
美潮を若い小娘の頃から知ってる私としてはそれだけはかわんないのもまたおかし(笑)。
それは唄ってんのずーっとみてるだけで可笑しく笑ってしまいながらも気づくと、幸せな気分になる。

これが歌手としてのヤツの得意技だ。この女も大したタマだ。あ。女だからタマはない。
今はその技に風格が加わり、現在の美潮にマジで「美空ひばり」を感じる俺としては、
ますますその風格は美空なヤツになってて、そのこと美潮はどう思ってるかわからないけど、
俺としてはめちゃくちゃ賞賛と敬意な話なんだけど、それを言うときょとんとしてる美潮の顔が
おっかしくふとみるとこいつ胸でけー!大したもんだ!
巨乳の美空ひばり。もー敵無しだろーこの女もぉー!マリちゃんとは全然違うタイプのだが、
この二人の熟女に年齢を重ねるという事はさらに女を磨き上げるための良き事なり!
すげーぞおい!こいつらますます!女は凄いってのが、この二人をみればいやがオーにも思い知らされ、
男の私としては負けずにいつまでもちんこたつ者として機能するものとして在らねば、
負けずに歌を唄う事など出来ようぞ!

とにかく。真面目な話を今してる事を俺は忘れないように注意して先を進もう。

この俺思うに日本を代表する女性歌手の二人が、その日、同じステージで立って唄ってるの観るだけで
もーめちゃ面白く、面白いのだが、ふとまた気づけば、男の俺としてはまたも悔しい...つーか
俺は男でもさらに男の歌手としてその二人と同じくな俺でもあるではないか!と思わず気づくと、
もーそのステージ中央マイクが女のいーよーにされているのをただ客席でじっとみている自分につーか
だからって俺もその時ステージに上がり唄いたかったという意味じゃぜんぜんなくぜんぜんないない、ただ。

俺も早くバンドつくってLiveやりてー!と。思ったんだった。

ということ。よく気づけば、このアーティストたちに親しまれた感じのいー
アットホームなちっちゃなライブハウスで行われている、2月生まれのミュージシャンによる
何ともお誕生日会Liveなかわいいこのイベントは、なんだか今の俺にとっては、
とてつもないすごい価値と力を与えてくれるそれわそれわ有難い思った以上の大きなイベントだったんじゃねーのか?!
と思うと、その日嵐の夜だった事も思い出し、それでも行った自分.....普段は出不精な....俺.......とか
思えば思うほどその不思議な偶然性で咲き乱れた感動で一瞬私は、トリはだたち不覚に失神しそうになる。

も。なもんなさけなかー!と、すぐに立つもん違う!トリじゃなし!と気づくと
股間握りしめ、その俺のその野郎を掴むと次第にその女たちの逞しいケツやパイオツ思い返し、
力になったサンキュー!と再び反り立つほどに大きくさせると、やっちまうぞー!ウワォゥ=ッ!と、
月に吠える狼に変身すると、うーむなにしろ!その日その「FEB」なるイベント。
男の俺としてはとにかくそそった得した文字どうり生々しいほどに見事なLiveだった。

良い一日をありがとー!2月生まれの「FEB」のひとたちー!
そして言い忘れていやしたぁー!おたんじょうびおめでとぉ====!

しかし。何故だ!マリちゃんのお誕生日は12月だ!


まいっか。明日からシュギョーの東北の旅に行くぞまたな。






【完全版;Live観戦終了】

2008-03-10 | ・nTinDEEP



さて。ココで伝えているように、私は、
ブルーマンから始まってポリスビョーク、そして最後に中村勘三郎の人生初体験の歌舞伎を観た。

実は、この4つの「Live」は、去年、《《eve@i》》をやった後すぐ、
これから自分の「バンド」を結成しLiveをやるつーことで、
じゃーそのために参考になりそうな「Live」を観てみようと思い、
どんなヤツらのどんなLiveが今の自分にいーのかアンテナ反応するままに
探し見つけ出したLiveでもあったのでごぜーやした。

最初に反応したのがブルーマングループというの「バンドのLive」で、
次に「ポリス」の復活Live。そして今だにとんがり続ける女「ビョーク」
そして、「中村勘三郎」のこの4つが、その意識下その目的によって、
直感で選ばれた「バンドのLive」なわけなんだけど、

ポリスとビョークはわかるけど、気づくと、
最初のブルーマンと最後の中村勘三郎は、
私が属しやろうとする「音楽」の世界でのジャンルの「バンドのLive」ではなく
(特に中村勘三郎なんて歌舞伎じゃん)、その目的が一般の「観劇」感覚のものでなく
専門的な「観戦」感覚により選ばれた「Live」だったものだけに、
参考になるんだろうけどちょっとだけ何でこの4つなんだろうバラバラじゃん、
とか思いながらも、とにかくその中でただ観たいと感じた参考になる
「Live」たちそのラインアップだったんだけど、
これが、予想を超える興奮とショックを呼ぶほどのLive観戦ツアーとなってしまった事で、
その4つのLiveすべてが1つのLiveとして成り立つものとして思える事で、
「Saybow&the Wipers」という素晴しいバンド名こそ決定したものの、
最後の中村勘三郎の「Live」を見終わるまでは、そのバンドメンバーを決め
そしてリハをやるとかいうような、具体的なバンド結成Live準備に動く事が出来なくなり、
期待しているみんなには申し訳ないけど、まだLiveをやる日程も決められぬほどに
最初の予定より大幅に遅れるほどの進行具合である事を報告しなくてはいけない。

しかし、ついに最後の「中村勘三郎」を見終えた事で、
なるほどそーゆー事だったのか!なるほどそれを見終えないうちから、
具体的な準備を進めていたら、何でバンドやるのかLiveやるのか、
わけわからないもんになっていた。あー良かった。

と、よぉ~くわかり、とにかくもたもたしてると思われつつも、
それはじわじわとやるべきものであるソレに向って、「純粋」に動いているのだス。
そしてこの動きの内容その事実だけで、ソレは確実にやる価値のあるものであり、
人様の前でお金を頂いてLiveをやる価値のものであることに.........

しかし。えらいぞ内藤よく防衛った!

大日本人ではないけどかっこ悪くもそのパンツのケツあたりに
デカデカと保険会社の広告ワッペン?を貼付けながら、
あの小者ヒール亀田弟の小者ヒールを実証する小者パンチ攻撃を受けながらも、
「チャンピオン」の威厳風格を防衛(まも)りきり、
それまでの態度扱い一変したように裏を返したようにして注目浴び、されに
その惨めな敗北を喰らった小者ヒールのギンギラ品格の挑戦者とは正反対の、
学生時代いじめられッ子で乗り越え真面目に頑張って頑張って闘い抜き勝ち抜き手にした
その謙虚で人の良さそーな地味ぃ~な「チャンピオン」としての品格は、
品格などまったく持たない今の日本のマスコミ・スポーツジャーナリズムに
つけ込まれるように、散々ペット化されててとてもとても心配だったが。引き分けだとて、
えらいぞ内藤!よく防衛った!チャンピオぉ~ン!

ん?!こちらではなに。

おーもー春場所始まってるんかい大相撲。
おー強いぞ横綱両力士!
なんだかんだいったって、客席ガラガラだった横綱白鵬一人だけの時と比べて
そーだこの活気だ。やっぱ横綱は東西両者いてこそ面白い。
テレビで逃げた逃げたモンゴルに逃げたとかウザく言われてたが、
どこが逃げた?「土俵」から追い出したのはおめーらなんじゃ?
しかもマンションに監禁せざるを得ぬほどに、まったくアンフェアな責任を負わずの
無責任なマスコミや大衆からのバッシングの嵐の中を抜け出し、
心暖かき平安なる故郷で一心に稽古に励み頑張り、ちゃんとに「横綱」の強さのまま、
その「土俵」に復活戻って来たからこそ、今の国技館の観客席の活気元気があんじゃねーのか。

朝青龍は最初から逃げてなんかいない!

.....と報道するマスコミもいない。私の知ってる中においては。

「横綱」の品格とか問うているなら、モンゴルで稽古に打込んでいる時に、
「朝青龍は逃げずモンゴルで横綱力士として在ろうとその防衛の準備中!」
くらいな報道。しないんだろう。あったっていーじゃん。くらいな愛情・気遣い。
いやいやあって当然だろー。好き嫌いのトコロでやってんじゃないんだから。

それが「ジャーナリズム」なんじゃん。

いやいやつーそんな難しい話なほどでもない、な次元でもなく、
なにしろ、だってそーじゃなければ、それは、ただただ、

アンフェアぁ~~~~~~~な話なんだもんよ。
それこそおめーらが前から暴言してんだもんよ。

それを私は今や堂々と言える。あの「死ねこの野郎!」報道のおかげで。

あるスポーツ・ジャーナリズム(スポーツ誌)なトコロの報道には、

 「品格」のかけらもない暴言だった。午後4時半、朝青龍が8日ぶりに日本に降り立った。
搭乗者出口へ歩く横綱に、複数のカメラマンが近寄ろうとする。
1人が「横綱、おつかれさまでした」と優しく声をかけた直後、信じられない言葉が飛び出した。
「死ね! このヤロー!」と。

「横綱、おつかれさまでした」くらいな愛情・気遣いで優しく声をかけたにもかかわらず、
その横綱から、その善意なる声(挨拶)にウンコをぬるように、
「死ね! このヤロー!」と返され、その報道カメラマンは、
どうだったのかというと、

「とても傷つきました」.........だって。

もーダメだぁーもー笑っちゃってもー呆れちゃってもー。
こーなりゃわらっちゃえ~だ。まぁーだそれかい。

そのウンコでまぁーた群をなしたハエたちも復活!
なにしろ逃げた逃げた暴言だ暴言だアロハだアロハだ品格風格威厳ないない!
みると和田アキ子を盾にしてまでの卑怯さで、
いまだにそんな無責任でアンフェアな報道してる。

これが今の日本の「ジャーナリズム」


まずもって「ジャーナリスト」、しかも「スポーツ」を愛し、
少なくとも「スポーツ・ジャーナリスト」として職する意識を持った
一人の「人間」としてあるならば、その「生地・記事」を、
善意で優しく声をかけたにもかかわらず「とても傷つきました」として、
それをウンコ(暴言)で返された「物語」とさせてしまうような「プロ感覚(センス)」は、
おおよそメメシくゲスな三流のもんでしかないだろーに。


少なくともスポーツを愛す者としてその世界を伝える仕事に就く者なら、
たとえその時、事実「死ね! このヤロー!」と
その時その場所(仕事場)でそのような暴言を横綱(力士)に返されたとしても、
それに対し、ただただ自分だけの感情を伝える「傷つきました」として、
それを何も発展させ生かす事のないジャーナリズム感覚の微塵もないような、
ただの、ウンコ仕返し合戦のような話(報道)にしてしまうような
そんな自分の世界(仕事場=職場=運動場)を自分で勝手にウンコにさせ劣化させてるだけの
そんな「プロ」は、その職に就くべきではないだろーに。

それでも少なくとも「プロ」の意地があんだったら、
その朝青龍にかけた自分のその優しい声は、実は優しくも善意でもなかった。
と自分で伝えて欲しいもんだわ。

俺がもしソイツだったとして想定してみる。

私がもしもその時「横綱、おつかれさまでした」と優しく声をかけたソイツだとして、
何でそんな優しい声を私はかけたのかと考えてみる。ん~、そーだね、きっと、
それまで「強い横綱」として一人で頑張って来た自負と自信から起したちょっとしたミスで、
思ってもいなかったような嵐のバッシングを受け、思わぬほどに心を痛め狼狽する心中にいる中、
家を囲むほどに膨れ上がったマスコミによる横綱としての品格への攻撃は、
さすがの強かった横綱も、さらに「精神障害者」として扱われるほどの
屈辱的なまでに勢いを増す事で、呪文となって呪われるようにして、
自分でもわからなかったその自分の弱さを思い知らされるほどのものとなり、
ついにそれまで自負していた強い横綱の心を崩壊させるほどの「拉致状態」、
それを頑張って乗り越えるにも、閉じ込められソコにい続けては拉致があかない
その渦中の中で、どうにかソコから脱出し平安なる「心」ある故郷へと戻り、
やっとのことで、落ち着き自分を見つめられる状況をつくり、
自分でもまだまだ横綱として未熟である事を自覚反省するも、
さらにその猛威は膨れ上がりその平安なる故郷にまでやって来ては攻撃され続ける
凄まじいまでのその謹慎中の中、それでも、再び横綱として力士として「土俵」に復帰しよう!
キープ・オン・スモウ!とロックし続け、愛する相撲をやり続けるのだ!と決断し、
収まる事のない猛威の中で、稽古に励み続け、再びさらなる渦中の中に戻り、
ついに謹慎も解けたその「初場所」で、見事堂々とその「強さ」を取り戻した横綱の、
それまでのものを乗り越えて来たその力士としての心意気は、相当なものであっただろう、
ならば自分も同じその世界に関係し職するプロとして、それをよくよく理解しなければいけない、
強い横綱として「土俵」にのぼり闘わなければいけない、力士としての不安や恐怖感は、
本人となって考えてみれば、それは私たちのような土俵の外にいる者には想像を絶する厳しさがあるだろう、
そーか、だったら、あの不快に思える亀田兄弟の強がりや生意気さや礼儀知らずさ悪態も、
朝青龍の悪態も、私たちが思うような、単なる人格品格の悪さとは違うものだろう。
彼らの振る舞い、それを不快に思う事は、その表面だけしか見ないで言ってる事で、
その「土俵」で一人で闘わねばいけない一人の「力士」にとって、
そこは、死ぬか生きるかの壮絶な厳しい世界だろうなー、
その孤独や不安や恐怖は「力士」ではない私たちの想像を絶する者だろう、
だったら不快に思っていたその暴言悪態は、「勝負」の世界で生きる「力士」である彼らにとって、
想像を絶する厳しさに打ち勝つべく一生懸命頑張り続けている「強さ」から出たものだろう、
それは、感動を与えるほどの「強い力士」を目指す者として、
決して負けてはならぬ「力士」としての厳しさに対して、
真面目に一生懸命頑張り続けようとする意志の「強さ」からつい出てしまう、
普通の人からしてみればキツい不快な態度やコトバだろうし、
そう思えば、まだまだガキである亀田兄弟それを激励支える父親にとっては、
何故私たちが不快に思われるほどにあのように強がるのか、
何故記者会見上で敵の選手の前でハンバーガー食ったり脅したりアホな真似するのか、
それはその厳しい「勝負」に勝つ上において「強く」なければならない、
決して負ける事が許されない勝つために闘う厳しい「格闘家」の
不安や孤独や恐怖などの「弱さ」から出ている、一生懸命な姿なんだ、
それはむしろ、悪態や暴言な無礼な姿というよりも、
闘う者たちが私たちと同じ弱い人間性であることを証明する
「美しさ」として感じられる光景でもあるじゃないか。
それが「アート感覚」という人間の持つ今必要で大事な感覚アンテナでもあるんじゃないか。
「勝負師」「格闘家」「力士」としてのそれは、
私たち一般の者にとって決して不快なものではないんだ。

悪態や暴言だと思っていた彼らのその言動は、一生懸命さなんだ。


それを伝える職にあるプロである俺なら当然そう理解出来てなきゃいけない、
それを伝えられなければ行けない!
よし!俺も横綱と一緒になって自分に厳しく一生懸命その自分の仕事に励み頑張ろう!

あっ!朝青龍だ!おーすげっ目つきだすげー覇気だぁ!
あっいけね写真だ!俺が報道カメラマンだ!
パシャパシャッ!っておー良い顔だ!こっえー!おー良い写真とれてるぞー!
よよよよよよよこずな!おおおおつかれさまですたぁぁぁぁぁ~~!

 「死ね! このヤロー!」

.........................................................。何だこのアロハの時には感じなかったような感動わぁ!

おーっかっきー!頼もしー!何だここおここの感動わぁ!
そーかぁ!俺も一生懸命自分の仕事に励み頑張ろう!と思えた事の代償だ!
ご褒美だ!美しい!これが男の世界だ!うぅっわ===!すっげぇ==!
そーだそーだ男に優しさしか求めぬ女などには決して分からぬ世界だ!ふん!
いーぞー!朝青龍!おかげで良い写真撮れましたぁ===!
ぞのままでOK!あなたは今や大相撲界を活気にさせる輝くヒール(悪玉)なんだ!
ヒールは嫌われ者の役なんだから嫌われるほどに強くなければいけない!
内藤と亀田弟のあの試合で亀田がバッシングされるげきものがあるとしたら、
弱いヒールだった。というだけだ!あれほどバッシングされるのはおかしい!
土俵に戻って来た朝青龍!お前は強かった!あれだけの事があって、
よくぞ復活してくれた!あなたは誰が何と言おうと名横綱だ!
日本の大相撲界を元気にさせてうれる、なくてはならぬ貴重な本物の
「強いヒール横綱」なんだから!おおお====!なんだおい!
今、いかにもベビーフェイスな横綱白鵬が誕生してるんじゃないか!
低迷続けていた相撲界しっかりその善玉両横綱そろい、
ヒールがいるから、ベビーフェイス(善玉)な「横綱力士」である白鵬の存在も生きるんだ!
とにかくおーおー元気な構図になって相撲界の明るい未来が見えてるじゃないか!
このせっかくの状況この「純粋」な光の傾向性を、また変なヤツに汚され、
混乱させられぬようにしないといけないとかなにしろ、

今年の「初場所」は、とてもとても素晴しい場所であったんじゃないか!
朝青龍!よく戻って来てくれた!あなたは優勝逃したが、
どこもなにも逃げてなどいなく強かった!ぜんぜん問題ない!
千秋楽をあんなに盛り上げてくれたんだもん!「横綱」としてちゃんと在ったじゃん。

白鵬!あなたも偉い!マスコミによりつくられた
不純性を含む朝青龍フィーバーの中で、そのベビーフェイスの意地にかけても、
千秋楽でのその横綱決戦その感動ドラマのシメとして、
あの強いヒール朝青龍をよくぞ頑張り倒し優勝してくれた!
完璧だった!マスコミの攻撃からさらに低迷迷妄沈滞していた、
相撲界の今年の「初場所」は、奇跡だった!
横綱だけでなく他の力士たちも一生懸命頑張り闘ったからだ。
ウザイ声に打ち勝つ場所は「土俵」にこそある。

自分の「土俵」で感動興奮するほどの良い勝負をやってしまえば、
それをするために集中して稽古やって来たということが分かる事なんだから、
ウザイメメシーヤツなんかに暴言だと思われようと、
それこそ振り回されてマスコミや大衆のペットになったら罠にはまってしまうわけで、
「力士」なんだから「横綱」なんだから、傲慢と言われようと、
自分「土俵=運動場」を汚すようなそんな邪魔なヤツがいたら、
うるさい!と叱るのが、叱れるのが、「力士」じゃないか!「横綱」でもあんじゃないか!
そこらへんも伝えずに和田アキ子まで品格ないと言わせるような
情報操作など..って、和田アキ子だろーがんな神聖な男の「土俵」のせかい
女なんかにあっ!

ああああまた朝青龍来た来たこっち来たベンジョかおい!いやっほ=ぅ!朝青龍!
また声かけちゃおー!

よよよよよよよこずな!おおおおつかれさまですたぁぁぁぁぁ~~!

 「死ね! このヤロー!」

..............................................。

うっわはははははははぁ======い!いーんだいーんだそれでいーぞ==!


すると朝青龍、そんなアホの男の俺の声に反応してくれたのか、

思わずその憎々しい顔を維持出来ず、「にこっ!」
おっとそしてプロ意識に目覚めた報道写真家の俺はすかさずパチャリ!


そして。それから幾日。

その時に撮影した私の、なんとも素晴しい微笑み顔をとらえた
ヒール横綱の朝青龍をとらえた私の写真は、その世界で、
すんげー見事なアート感あふれる作品として認められ、
堂々と「報道写真大賞」のグランプリを受賞することになり、
朝青龍は、私のその受賞により、じわじわと日本でその存在が認めらはじめ、
相撲界の人気は、再び活気を取り戻し、連日満員御礼。
それによってどんどん魅力のある力士たちも増え出し、
やがてそれは歌舞伎と同じほどに、
世界に誇る日本の国技、エンターテイメントとして、
その「強さ」は、光となって世界中の人々を感動させて行くようになる。

それに合わせるようにして、世間に媚を売り生計を立てている優柔不断なマスコミも、
もうつまらないバッシングもしなくなり、次第に面白い報道や記事のものが増え、
以前よりはくだらなくもなく、世間を明るく楽しくさせる面白く良い感じの傾向性に流れている。

そんな中で朝青龍は、ますます相撲ファンの期待にこたえ、
誰からも嫌われるほどに強いヒール横綱を頑張りつづけ、
その最後の引退試合は、何と視聴率96%という驚くべき数字で、
長嶋茂雄の引退試合を思わすような日本中がそれを観て涙し感動する歴史的な日となって、
モンゴル人横綱朝青龍は、歴史に残る日本の名横綱として、
日本人から永遠に愛され続ける偉大な力士として記録される。


私は、グランプリ受賞のその3年後、その朝青龍の写真が世界中で紹介され反響を呼び、
私の個展がニューヨークで行われる事になり、連日青い目の人たちで大混雑なほどの盛況ぶりで、
ついにはその西洋での大きな美術館の天上から、満員御礼と書かれた大きな垂れ幕が降ろされ、
その空間全体を埋め尽くし、その個展会場の天上から垂らされた幕は、
展示された私の作品から滲み溢れ出す空気による微風で、
生きているかのような動きで、まるで踊っているかのようにはためき、
そしてそれは、その会場を元気な心地よい良いリズム感でその入場者たちを包みこみ、
その時代の腐敗した匂いを払拭させるような、今を生きてるすべての存在、
その空間全体を、光り輝かせるようないー味だしてるアート感なものにさせていた。


それはまるでsaybowとかいう日本のアーティストの「《《eve@i》》」とかいう
伝説のイベントのようだった。


おしまい。


ってね。俺がもしソイツだったとして想定してみるとそーゆー物語になってるに。

なに。最後はいらない?うっそぉぉぉぉおおおお===!

ま。とにかく。
何かを伝える職のものが、闘うプロの「力士」から、
死ねこの野郎!と言われ、傷ついた。と伝える事がいかに男としてプロとして、
メメシーつまらないマジおもしろくない「Live」であるのかを、
俺は伝えてみたわけだスがどーでショー。



すべての面白いものは、一生懸命さからできてる。

んだもんよ。


そして。最後の中村勘三郎の「Live」を観て思ったんだ。
ブルーマンもポリスもビョークも中村勘三郎も、共通したもんがあること。

それは「踊り」だということ。

それはステージ上での自然な動きで、
エンターテイメントにおける「ステージアクション」とかいう、
カッコつけたものではない、観ているだけで楽しくなり魅力的な動き。
それはダレさせることもなく武器にもなる「Liveの動き」つまり「踊り」
私が閃きで選んだ4つの「Live」でのシメでもあった
私と同年齢である中村勘三郎の日本の伝統芸能「歌舞伎」による見事なほどに
完成された新鮮なる「踊り」は、日本のソレだったということで、
そのシメに相応しいものである事がよーくわかった。

俺だってその仲間だ。

それは自分のLiveをやるにおいて、忘れてはいけない意識してもいけない、
とても大事な才能だ。だから私は運動場で自然に踊れるUDJなんだし。

人前で金もらって「唄う」ということは闘うということでもあり、
「音楽」という世界においてそれは、「自然に踊る」ということ。

自分の音楽・バンドで、自分のLiveをやるということは、
自分の「土俵=舞台」自分の「運動場」でそれをやるということ。

そういうバンドそういうLiveでなくては意味ないじゃん。男の自分。

それがロック。