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【2009+UDJ+Artworx=ことばま「恩」】

2009-01-28 | 「 S 戸 S 」


さー今年のUDJのことばま。つーことで、「UDJのことばまことばま」って何だ?つー人もいるかもしれませんが、
もー説明するのめんどくさイので知ってる人がいたら誰か教えてやって下さい。と思います。さ。
今年のUDJのことばま。ですが、今年のUDJのシュゴレーから降りたことばま。ですが、
その前に、去年のUDJのことばま何でしたっけ。そう、「おかえし」でしたね。

「おかえし」と言うことで、私はさー今年こそはLiveをぼんぼんやるぞー!
ぼんぼんやってみんなに「おかえし」するんだぞー!と、言っていたようにも思います。
でも、去年、どれだけLiveをやったのかといえば、たったの1回だけ。でした。
期待していたみんなには本当に申し訳ないけど、たったの1回だけ。でした。
だけど、決してLiveをやる気がなかったんではないんだ、テキトーにやろうと思えば何回でも出来たように思います。
でも、それでは、UDJのコトバマの「おかえし」にはならない。つーことでした。
やる以上はやりたい!と思うことをやらなきゃ意味ない。
人から要求されたとうりにやるようでも、真にやることにはならない。それは、UDJの「おかえし」にはならない。
実は、そのことを解る。思い知る。ということが、去年のことばま「おかえし」の意味だったんだス。
とかもーうざくてうざくてまったくもって理屈っぽくてわりいがココんとこは譲れない話なんでわりっ。

つまり。「おかえし」とは「有益」である。

という意味であることを知るための一年であった。
ということかもしんないし、ということでもあった。わけで、なにしろそれは、
今の自分のレベルではとても説明難しいものでした。去年のコトバマ。

でも、そんな中で1回だけでも、それ(Live)が出来たことは、救いでもありやした。
それ(Live)を1回でも出来た事で、「おかえし」を知るための手懸りを掴んだ。ことで。
でも、期待していたみんなには申し訳なく思うわけでありやす。
今年こそは期待にこたえるような私にならねば!そゆことで。

今年。マイ・シュゴレーから降りたコトバマというのは、
それは「おかえし」をしようと思っては「おかえし」にはならない。
真に「おかえし」をするということは、「おかえし」をしようと思っては出来ない。
ソレ自体が「有益」なるものでなければ「おかえし」ではない。的なところからのもの。
そのような感じを持つ、去年の続編のようなものと出ました。

それは「恩」です。「恩」を売るとかの、「恩」

一見傲慢のようにも思えますが、それは義理をつくれということではありません。
つーかさっきから何言ってんだかさっぱりわからないだろう。
私の作文力ではまったくぜんぜん説明出来ない、やっぱシュゴレーからの声コピペで以下いきやす。



頑張った分だけ、人から評価されるのは、うれしいもんじゃ。

でも、中には、「これだけ働いているのに給料が安い!出世が遅い!」あるいは、
「これだけ一生懸命仕事してるのに、中々認めてくれない!」とか、
周りからの評価を不満に思う人たちは、このご時世、大勢いるわな。

そんな人は「如何に自分が認められるか!」という事ばかりに夢中になって、人からの評価が低いと、
これでもか!これでもか!と、もっと頑張るわけだけど、多くの人からのほめコトバや賞賛を得ようと
頑張って頑張って頑張るほど、周りの人は、それを認める事によって、何か、自分から持ち出しが出るような感じ、
何か、小遣いが減っていくような感じがするんじゃのう。
いかにも認めて欲しそうに動いている人を見ると、その人をほめたりすれば、損をするような気がするんじゃ。

それは、結局は、愛を奪っているのでそうなる。わけなんじゃ。

中々そうカンタンにはほめてもらえず、だから、もっともっとほめて欲しそうに活動する。
すると、そういう人に限って、ますます人は「あいつは目立ちたがり屋だ」とか、
そんな評価が返ってきて、そして、ついに、ジレンマがはじまることになる。
「こんなに一生懸命やっているのに認めてくれないというのは世の中は不公平である!」
「人の能力を素直に見ようとしない人たちばかりだ!」とか、考えはじめたりしてな。

ところが実際は、人から認められよう認められようと思ってやっている間は、
他の人が良く見えることがないんじゃ。
自分が認められる時を中心に考えている人というのは、他の人が良く見えることがないんじゃ。
他の人は、自分を支えるための、神輿をかついでいる人だというような錯覚に陥って来る。すなわち。
自分が舞い上がることばかりを考えている人は、決して他の人を生かすこと、幸福にすることが出来ない。


人というものは、非常に敏感なもので、その人と付き合って決して自分が幸福になれないと感じると、
遠ざかって行くんじゃ。どうしても、一線を画したいと思いはじめるんじゃ。
そうなるとどうするかと言うと、批判をするようになる。みんな冷たい人間ばかりだと思え、
嫌がらせをするようになったり、悪口を言うようになったりするんじゃ。無意識に。

だから、自分がもし挫折の中に置かれたり、あるいは、絶好調だったのにダウンしたり、
そういう試練の期間があったとしても、決してそれをマイナスだと思っちゃいけないんじゃ。
その期間にこそ、みんなの魂は磨かれる、と同時に、人々の心がわかるようになっていくんだからのう。

ジブンがジブンがと思っていたところが、そんな自分なんかいなくても、
その仕事は順調に動いていく、ということを見るに到るのじゃ。
すなわち、自分一人の力でやっているのではなくて、多くの人たちのチームワークによって
本当は成り立っているわけなんじゃすべては。
だから、自分が自己発揮出来る前提には、他の人々の力がある。それを忘れてはいけない。

自分のことばかりでなく、相手の立場にたって考えてみると、意外なことが見えて来る。

この上司は、自分を評価してくれなかったと、長い間ずっと、恨み辛みを思っているとする。
その時に、自分はその上司が出世できるように、それほど仕事でサポートしたことがあるか?
と考えると、あまりしていないことがある。それでいながら、自分が評価されていないことだけは、気になる。

思うように評価が得られない時、「こんなに頑張っているのにどうして!」と苦しくなる時があるな?
でも、本当に相手のことをサポート出来ていたかを考えてみると、心のどこかでは、自分のためにやっていたり、
見返りを求めてやってたりして、実は、思っていたほど相手の役に立っていなかった。ということもあるんじゃ。

本当に評価される人というのは、相手の役に立っているかどうかということを、考えている人なんじゃ。
それは「有能」な人間ではなくて「有用」な人間であることこそが大事だと思っている「有益な人」のことじゃ。

その人の個人的能力が高くても、組織の中でプラスにならなければダメなのじゃ。
組織というものは、その人の能力自慢のためにあるわけではない。
したがって、自分のように能力のある人間が、何故出世しないのか、何故冷遇されるのかと思っている人は、
「有用」かどうか?「有益」かどうか?というところに、必ず答えがある。

「有能」な人間とは、個人の才能に没頭している人。「有用」な人間とは、実際に相手やチームの役に立っている人。

この、「役に立つ」人間を目指すことが大切なんじゃ。これからの時代。
「有能」ではなく、「有用」こそが、これからの時代大切なんじゃ。
それは、「有益なる存在」であって奪う側の存在ではないということだからじゃ。
自分のことばかりでなく、どうしたらチームに貢献出来るか?チーム全体が評価されるか?
こうしたことを考えるようになってくると、逆に、評価される人になっていくんじゃ。それが、「有益なる存在」じゃ。

だから、給料の10倍働く。ということを目標とすべきなんじゃな。

それは、時間的なことにおいて10倍働くではなく、その中身において、
10倍の価値を生み出すように心掛ける。ということを目標とすべき。ということじゃ。
つまり。職場に対して「恩」をうるような力強いお前であれ!つーことじゃ。
積極的にみんなを引っ張っていき、みんなの生活を良くしていけるような。
自分一人の生活が良くなることばかりを考えるのではなく、お前がいるために、
周りの人みんなが良くなって行くような、そんな存在になりなさいということじゃ。

自分の評価ばかりを気にしているうちは、心に苦しみをつくっていたのに、
逆に周りの人に対して、恩を売るような自分となった時、
心の苦しみは消え、同時に不思議と自然に評価も上がって来るわけじゃ。それが自然の法則。

評価される人になるためには、「恩をうる」この「与える側に立つ」という、
このシンプルな宇宙の真理がキーワードなのじゃ!

え何?別に今はもう評価される人とかになろうとかアホな考えしてない?
阿呆!それは世間の人からの評価だろうが!私が言ってるのは、天からの評価じゃ!
天から評価を受けることこそ、人間がこの世に生きる理由なんじゃぞ!
それは、お前が「自然界」の一部であることを認められるようなもんじゃ。

しかし人間は元々誰もがみんな「自然界」の一部なのじゃ。だが今のこの世ではそれがとても困難な事になっておる。
あまりにも不自然きわまりなくみんな生きておるからじゃ。自然の一部であるくせに自然にまったく脆く無知のまま。

とにかくお前たちは元々自然の恵み。「恩恵」そのものでもあるということじゃ。
ゆえに、「恩」そのものであるなら、もっと、「恩」をうらんかい!ということじゃ。
おかえししよう、感謝しようと思うことは大事な事だが、自分も元来感謝されるべき存在、
自然の恵み「恩恵」であることを忘れてはいかん!ということじゃ。
今の世の人間たちには恥を知らぬ者たちがクサルほどおるが、忘れておるからそうなるのじゃ。
誰もが「恩恵」であること。それを知るのじゃ!それを伝えるのじゃ。みんなは大したヤツなんだと。

自然に感謝が出来、自然に対して謙虚なる自分となれ、お前を愛してくれる貴重なファンや仲間にも
心から尊敬し感謝出来るようになったというなら、そのままで良しとしていてはいかんのじゃ!
自分もそれらとまったく変わる事無く「恩恵」そのものの存在であることを、
「おかえし」として出していかねばならぬのじゃ。ゆえに「恩」をうるような人間になりなさい!というのじゃ。

Liveだって。やりたいことをやらねばいかん!と固く考えずに、ただ「恩」を出せば良いと思うのじゃ。
それが「音」になる。

自分の「恩(恵)」をうるということ自体が、それこそ真なる「おかえし」であって、またそれが、
自然なる恵みであるなら、それは天からんもの。ゆえに、それは出す事で天にかえすものとなる。
自分自身の「恩恵」を出す(うる)ことで、天はソレに共鳴し響き動くということ。それが「奉納」じゃ。

自分の子供たちが、しっかりと自然の恵み「恩恵」となって、
さらに「有益」に生長し続けながら、やがてはこの宇宙にとって大いなる「有益」なる存在として
その光を発し生きて=運動(仕事)していることを知る親の歓びは、
まさしく真なる「おかえし」の何ものでもない。ゆえに「恩」じゃ。ソレを売るのじゃ。
本来人間には、売り物があるんじゃ。そのままを売って生きていけるものがあんのじゃ。

感謝や謙虚は、今の人間にとても必要な事じゃが、それを会得出来るようになったのなら、これよりは、
「恩」をうる者となりなさい。
そうなってこそ、はじめて有用「有益」なる存在となるつーことじゃ。
本来の自分。自然なる恵み=自己に戻る。ということじゃ。それでやっとスタート地点に立てる!ということじゃ。

そうなってやっと、この不幸な時代においての意味、
進化のはじまり。奇跡のはじまり。感動のはじまり。幸福のはじまり。に行き着けるのじゃ。

今のこの100年に1度の大不況と言われる時代は、まさしくチャンス到来の時代でもある!ということなのじゃ。
ゆえに、そんなチャンスを逃さぬように、今年は特にこのようにウザ~く言うわけじゃ。
アホではないからといって、謙虚になって感謝してるだけでもはじまらない。
給料の10倍の価値を生み出すような仕事をして「恩」をうるような者となることで、
やがては恵みを与える「有益」なる存在として評価され、天から護られながら、これからの時代を
人生楽しく幸福にいつまでもワクワクしながら生きていけることになるだろう。

ならば、さぁ!今からそのお前のアホの意識のスイッチを「恩」に、ONせよ=っ!

*********************************************************************************************はいっ!

ここまで話して最後の最後で、オヤジギャグでださく終る。
つーところが何とも私のシュゴレーっぽいところでもあったり恥ずかしいところでもあったりしますが。

そういうことだそうで。そゆわけで、今年のUDJ+ことだまは、「恩」つーこととなりやした。
それは、私の場合、「音」かもしんないし、いや「温」「御」「雄」「ON」かも、けど「恩」! 
みたいな「恩」。それを、売れ。放て=!つー。ことだそーだス。むずかしーぞー!アホな俺だけに。
つーかヒトサマに売れるような「恩」など、今の私のどこにあるのだろう?どこにもないぞ。やべーなおい!
でも、それを今年のコトダマとして忘れずに一年生きていけば、何とかなるべ。みんなもなるべ。




それにしても、今年の「初場所」は、素晴しかった。
それは、世界中で「逆境=プレッシャー」を背負い迎えた「新年」の「興行」としては、
ある意味オバマ大統領就任式よりもパワフルで崇高なまでに価値のある、
とてもとても誇れる日本で行われた「奇跡的な興行」だったと思いやす。

もちろん朝青龍は、その奇跡の物語の主役でありやしたが、その物語の中では、
朝青龍に対して決して全勝優勝はさせずに横綱の意地を通した白鵬の物語も素晴らしかったし、
朝青龍とは反対に初日から連敗続けた新大関・日馬富士の物語だって、横綱白鵬との勝負で勝利するという奇跡を起こし、
それがなければあの優勝決定戦もなかっただろうし、白鵬の物語も朝青龍の物語も、あれほど盛り上がる事はなかったでしょう。
ゆえにこの3力士は、共に、「初場所」をあそこまで素晴しい「物語=興行」にさせた核であり、
3力士ともに、この「逆境に打ち勝つ」という奇跡の物語においてはみんな主役でした。
ゆえに、ココの総理大臣である私は、その3力士に、国民栄誉賞を与えたいと思いやす。

また、朝青龍のガッツポーズについてまたまたとやかくテレビでは言われているようですが、
それについては、日ハムにいた「新庄」選手の事を思い出してもらえば良いと思います。
新庄選手の残した数々のパフォーマンスは、神聖なる土俵上でのガッツポーズどころの騒ぎではないほど、
旧態とした野球関係者やファンからは、不快に思われバカにされるものでもありやしたが、
彼は、そんな声にもめげずに勇気を持ってその意志を貫き、その結果、当時1リーグ制でのストなどで低迷していた
野球界全体の暗雲なるイメージに光を与えたり、人気のなかったパ・リーグを華やかにしては、
ついに自分のチームを日本一にまでにさせるなど、野球界に多大な貢献を果たしました。
朝青龍だって、これまで低迷する相撲界を何度救って来たことでしょう。
今年の「初場所」1つだけとっても、その貢献度の大きさは誰にでもわかるほどでしょう。

あの優勝決定戦で優勝を決めたときに見せた朝青龍の土俵上でのガッツポーズほど、
芸術的で、美しいまでに「神聖」な「絵画」はありません。
あの姿は、朝青龍の進化した姿を現しているのだと私は思いました。成長した姿だと思いました。
そうでなければ、あれほどの奇跡の優勝など成し遂げられるわけがありません。
あの時のガッツポーズは、今までの朝青龍のソレとは全然質が違うと思います。
それは朝青龍本人を含めた相撲を愛するすべての人たちの感極まった感動の心全体を、
反映現した、それこそ芸術的で神聖なまでに美しい光景だったと私は思います。
そうと思うこともなく、ただただそれを過去のやんちゃで未熟だった時代の朝青龍と同一上の行為として考え、
偉そうに自分こそ相撲を愛する者であるとして、せっかくの「光」にウンコするような批判を
平気でテレビで言えてしまう人たちの存在が理解出来ません。

大麻問題だって、それほど大罪なのだろうか。

古代では「大麻」を平和の象徴、神聖なるものとして扱い、いろんな神聖な儀式や祭りなどで、
それを使用したりしては、心を浄化し元気にさせ、みんなで健全に頑張って生きていた時代だってあるのに。
それよりも大罪なのは、平気で無気力相撲をしているような力士こそ相撲界を汚染させる者たちではないのか。
本気で「もう一度相撲をやらせて欲しい!」と訴え熱望し反省し真剣に許しをこうているんだったら、
やらせてやるべきだと思う。

世論にただただ従ってるとしか思えないようなほどに簡単にもののように抹殺してしまうのではなく、
相撲界も世間も、もう少し暖かい目でみてあげて、もう一度チャンスを与えてやるべきだと思う。
そんな真剣なヤツなら、そのチャンスを一生大事に感謝するほどに思うだろう、そして、その返礼として、
私たちの心沸かずような良い相撲を見せる力士となるよう、きっと励むはずだ。それが自然の流れだから。

なんでこうも今の世の中の人たちは、人を生かそうと動く事が出来ず、人を簡単に殺そうとするのだろ。
自分さえも生かす事が困難な時代の中で、必死に自分だけは生き残ろうと、ただ感情的になってるだけのように見える。

無慈悲にも突然住む家も職を失い、職場であった企業に対してその怒りをぶつけ抗議するのは良いけど、
どうしてもそうせざるを得なかった苦しい会社の事情の理解を1つも持たずに、
「何で俺がこんな目にあわなければいけないのだ!」と頭が一杯で、無責任なマスコミの同情心の罠にはまっては、
自分の働いていた元職場を、ただただ悪辣非道の会社だとして感情的に怒り憎しみ抗議したとて、1つも解決するわけない。

だって、会社に対してそのように思う者を、どうにか頑張ってまた我が社に復帰させ救おう!などいう気になるだろうか。
そうしなければ仕方が無かったのだろうと少しでも会社に理解を示すものこそを、
まずもって申しわけなく思い、どうにかして何とかしたく思えるんじゃないだろうか。
それは決して甘い考えではないと思う。それが道理の世界だと思うから。

またそれほど酷いと思う会社なら、そこは自分の仕事場ではないじゃん。
そんな会社ならむしろ自分の方から去るべきだろうと思う。

いくら100年に一度の大不況で苦しい状況に襲われていようとも、
そういう気概で生きていない自分こそが、何よりも不幸の種を蒔いている事に気付くべきだ。

自分の仕事を真に愛し、真面目にやっていた人なら、一時そういう不幸が襲っても、
必ずいつかどこかで救うものがその人の前に現れるはずだ。それが自然界の法則であって、
不自然なままに生きていることこそが、問題の根本であり、今の状況を改善したいのなら、
一度、自然なる自分にリセットさせることこそがまず大事な事だと思うわけだス。

自然なる自分を取り戻す事が出来、頑張って生きていれば、必ず自分のすべき「仕事」はやってくる。
宇宙はその人を働かせようと(運動させようと)動き出し、その人の職場(運動場)を与える。

にもかかわらず、あいかわらず人たちは、自分を生かす事も困難なほどに弱々しく、その不自然さは増すばかり。
自然なるものは、害であったり敵であったり猛威であったり恐怖であったりする中、
ウイルスはワクチンも効かぬほどにますます増強し、このままでは、いつまでたっても大不況は拡大するばかりだ。

そんな時こそ、朝青龍のガッツ・ポースだ!

逆境に打ち勝ったあの優勝者の発する波動こそを一杯浴びては一杯もらっちまおう!
それをいけない!とする不景気の象徴のような闇ぁ~い声(波動)などは一切相手にせず無視して、
そっちの方に「自然」に導かれ動いていけばいいだけだ。

朝青龍のガッツ・ポースこそ「恩」だス。みんなも「恩」をうるような人間になれぃ!



【新年恒例マイ・シュゴレーの声をみんなにも】

2009-01-12 | 「 S 戸 S 」



皆様。あけやして。おもどとぉ=ごぜいやす!

とじっくり落着いて新年を賀正してる間もないまま、早くも2009年のお正月気分は過ぎ去って、
世界中の人々は、さわやかな気分でこの新年をどーんと迎える事もなく、
去年のいやぁ~な不景気な空気を払拭出来ぬままの厳しい現実の中に再び戻され、
ますます不安と迷妄のままに、今年を生きようとしている感じの中、なもん関係なく、
私は、さー今年も、マイシュゴレーの声を聞ききに、
混雑するどっかのお寺に行くでもなく、自分の心のウチにあるお寺に出向き、
正月恒例の、そこで聞いたマイシュゴレーの声を、ココに発表するべく、
この自分の心に録画してきた初詣の模様を、今ココで再生とり行うわけでありやす。

それは、
「この世の中は小さなよろこびに満ちている」
という声でした。

そいでは早速。その声を、再生してみやしょう。内容が内容だけにものすご読みにくいよぉぅ!
読む気なくして読みにくいようにあえて字いっぱいつかってみてるからさ。だって、
キチガイだと誤解されたらやだからさ。
同じキチガイだと誤解されそうなヤツにしかこんなの読ませられないようなもののようにも思うしさ、
あきたきたシュゴレーきた!俺のシュゴレーきた。


あー。どもみなさんこんにちわ。明けましておめでとうございます。
えー、ワシはココのアホのシュゴレーをやらして頂いてる、「その声」の者でござる。

毎回ココに出てくるたんびに、感心しておりまするが、
みなさんもよくよく物好きらしく、よぉーくこんなアホに付き合って下さるなと。
まーホントに、いつもウチのアホが、お世話になっておりまする。マッコト感謝しやす。
どうか今年も、ココのアホ、ウチのアホ、しょーもねこのアホ、
その正体マッコト呆れるような正真正銘の大アホであり、
さらにある意味、一生懸命に生きてるみなさんに比べ、
マッコトとんでもねーほどにフザケタアホなコヤツですが、
どーか素晴しいみなさんの愛でもって、1つ今年もこのアホよろしくお願い申しあげます。
今年も何かとこのアホに聞き耳たててやって下され。

えなに?....あ。みなさま、ちょっと、待っててね。そのアホきちゃってあははは。
今はココ私の話する場になってんだからお前は出て来なくていーんだからむこーに行ってなさい
って何?.....アホアホうるさい?.......俺の事はいーから早く話すこと話してとっとと引っ込め?
ってなんだおいてめこのやろ自分のシュゴレーに向ってなんだその口のききかたはてめおい!
いやいやあははははだからみなさまはちょっとまってってえなに?おめーこそシュゴレーだつーなら?えなに?
口の?えなに?ききかた?えなになに?.........考えろ?
ははははははははははははは。みなさま、ちょっと、待っててね、
おいちょっとコッチこいてめ。

あのなお前のようなアホでもココにきて興味持って話きいてくれてる有難い人たちに
今こーやって挨拶してんだろがお前のためにもだ。
その最中に急に出て来てとっとと引っ込めとは.....あっ!あははははあら聞こえてる?
え~と、あ、みなさん、何でもないっすあぁ~だからちょちょっと待っててね、おいアホもっとこっち来い!

.........とっとと引っ込めとは何だ?!ええ?
こんな不埒なアホをそいでもシュゴしなくてはいけない私の大変さもわからぬくせにえええなに?
なになに?それはおめーが大したシュゴレーでもないから大変なんだろうがぁだぁ~?
もっと高級なシュゴレーだったらカンタンにジョーズにやってくれてるわぁ?だとぉ=?!
うわっ!うわっ!このアホたれがぁああああああ==んもぅ===ーう!
シュゴレーとゆーものはお前自身の良心そのものでもあるんじゃ!
それはお前の仏心でもあるとゆーことでもある!だからして優秀でないもなにも、
ソレは全てお前の心がそーだゆーことまだわからんかぁ===っ!
お前自身が大したもんでもないという事をお前はゆーてんじゃぁ=このドアホがぁぁ===!

ってあらあらあららあらららららあろありあまあゆありりぃ?みんなびっくりしちゃって!
あはははははははははみなさまがた心配はいらぬいらぬいらぬのでござるあはははは
だからもっとお前コッチ来いやぁ!ぜんぜんみんなにみられてるし聞かれてるだろが!
あははははははいみなさんちょっとちょっとねああはははひひひひひいぃああああ===あああ=っ!
苦しい=っ!首しめるなてめ!こらこらこら!鼻の穴に指突っ込むんじゃねー!
あああああくるしああはははははははあらまだ見えてる?
これこれやめんかあはははせいぼうとやらあはははみなさまがみてるぞあははははこれこれもぅ
あっあっ!あっっっtぅtぅtぅ!いてててててててててぇ=っ!てめ!キンタマ掴むんじゃねー!
きさまぁ=!やめんかっ!これ!うぉおおおおおお====っ!あはははははおい!やめんか!やめ....あら?
泣いてるんか?えなに?はずかしい?俺の?なに?俺のこんな?シュゴレーで恥ずかしい?
だってキンタマ思いっきり掴むんだもん.ってえっ?..キンタマ言うな?こんなシュゴレーではずかしい?
何だ。いつもココでチンコとかマンコとか平気で言ってるくせに、
そんな恥じらいとかあったああああわかったわかった!いたいたいたい!
馬乗りになってキンタマ掴むのやめなさい!あキンタマ言うなかわかったから!おいこらてめ!
お前はそーでも?何?シュゴレーの私までもそうじゃ嫌なのか!ほほほほそーなんかほほほほ
わかったわかった!わかったからちょっとどきなさい、ってわかったからどきなさいっ!ってんだろ!
ケツ顔におしつけて馬乗りになってるのどきなさいっ!てもわかったからむこーちょっといってなさい!
え?....やだ?.....だって?......だってなに?.......心配だもん?だからキンタマ言わないってんだろ!
えなに?そんなことじゃない?じゃなに?!シュゴレーのくせに趣味がエロDVD観賞だっつーのが心配だぁ?
だから大はお前自身でもあるってんだろ!何だこの半端な良心わぁ仏心わぁ!
心配なのはお前だろがあ==っ!ってあははははははははだからぁ~
みなさんは心配しないでね。つーかちょっとほっといてもらえる?あははははちょっとちょっとぉ=!
ケツの穴顔におしつけて屁こくんじゃねぇ=!しかも泣きながらぁ~!
わかったわかっったああああ!!もうわかったから泣くな!そのケツやめろ!
わかったから!ちゃんとにやるから!心配すんなって!あなんでもありませんよぉ~ケツの穴ぁ?
なこと言ってましぇ~ん!ぜんぜんいてましぇ~ん!ちょっとねあはははてめおい!あははははは
ぜんぜん大丈夫ですからそのままの姿勢でみなさん待ってててててててててていてててててて
毛をむしるんじゃない!どこの毛むしってるんだおめ!......陰毛?いてててててててててててあははははは
ははははははははは脇くすぐんのやめろくソレ俺一番弱いとこあははははははすぐってー!
からやぁ=めぇ=ろぉ=ってんだろ!みんなが見てるだろ!シュゴレーの俺をオX=!
あぎゃはははははっあやめろ!パンツ脱がすの止めろてめ!見てるだろってんだろ!あはははははははははっははははは
ぎゃはははははははぐわっははははははははっってててめ=っ!イーカゲンにしろおいこらおい!
あそぶんじゃね==っ!この状況下でこんなことすんのおもろいからっててめ!あああははははははははははははいぃ=ひひひひぃ=っあはははははははくすぐってーだろ!ってクサっ!てめまた屁こきやがって!あまた泣き真似してこのおい!
キチガイかおめーわぁ=!やめろぉ===っ!鼻の穴とケツの穴はやめろぉ===っ!おかしな気持ちになったら
どすんだあああああ!!!!てめああああああ逃げやがったやろ!

あああ!あんなに小さくなってはえー一気にあんなとこまで逃げていきやがる!くぅそぉ=っ!
てめぇ=====っ!おぼえてろこのアホぉ=======っ!

ってえ~~~~~~~~~~。あ~~~~~~~~~~。みなさま。どもね。

あ~~、あのアホほんと昔からあーゆーヤツでしてね、
特にシュゴレーとか、かみさま?とかそゆ霊体?つーかおかしな存在?とかに対して
不謹慎つーか思いっきり悪さしてくるような罰当たりのような事平気でしてきたりして
もう手を焼いてますあのアホにわ、昔からまったくそこんとこ変わらずあのアホ。
自分はこの世に肉体もって生まれて来てる存在だからそういうものに対して自分の今の不自由さに
むかつくんでしょうかねぇ、意味わからないですか?まそれはいーとしてね、
までもね、そゆものつーか私のことが大好きだからそゆことしてくるんですけどねアイツ。
信頼出来て好きなヤツに対してはそゆことする性癖ありますよアイツ。みなさまも気をつけて下さいね。
Sですから。アイツ。本物の。セックスするとき普通じゃないよ縛ったり虐めたり辱めたりして
辛そうな顔してる女性ほどエロく美しいものはないとか言っちゃって、
そんな風に苦しませながらもめちゃくちゃ気持ち良くもさせたりして興奮楽しむヤツですから!
ヘンタイですから!ただの!女の子はたまらないすよ!SだろうがMだろうが自分の前では
ドMになってしまえる女性大好きで!大体シュゴレーとか仏さんなんてドMでしょ?
それをいーことにあのアホわね、俺にあゆことしてくるんだあのやろ!
あと本当にそゆものが実在するのか確かめようともしてそゆことしてくるのもありますけどね、
実在してますから。私。ちゃんと。幽霊も存在してますし、霊の世界もしっかりありますし、もちろんとゆーことは、
あの世もちゃんとに存在してますからね。そんな話はいーでしょう。失礼しつ霊なんちってあははは。
何しろ霊でも女でも化けの皮はがそー剥き出しにさせるとかそゆプレー?つーか大好きでね。
ってあ~そうかやばいやばい私にココでそんなアホのこといっぱいしゃべらせようとする魂胆もあったり?
あのやろ!マジキチガイですから!ってあそれは冗談ですが私ソイツのシュゴレーですので。
シュゴレーでも何でもないと思われては困りますから、ああああ=======っ!

どうも失礼しました。そゆわけで、あのアホの話はもうやめて、
すっかり罠にはまってしまって。しっかししっかりあのやろ初詣してやがるわなぁ~くやっしーなぁおい。
あははははささささもーほんとーねほんともーあんなアホいーからみなさまね、
そろそろココのお正月の恒例のね、私のねあのアホのシュゴレーのね、お話しましょうね。
しましょしましょ!んねねねねねね!聞いて下さいね、忘れて下さいココまでの私、

さ。ホント話しますからね。みなさまあれ?誰もいなくなってない?
あ。いたいたぁ=!良かったぁ=!いるいるぅ=!

え~と、ですからもって、

この世の中は、小さなよろこびに満ちているんじゃ。つー話します。

本来のシュゴレー口調に戻って。ね。みなさまも気持ちどうか切り替えて聞いて下さいっってね、

はい!それでは。そー気持ち切り替えてぇ~、はじりじゃぁ~!よしっ!


この世の中は、小さなよろこびに満ちているんじゃ。
それは、これからの時代、みんなにとって、とても大切な事であるということを話そう。

世の中が小さなよろこびに満ちていること。たとえば、

朝ご飯が食べられる事。自分で歯磨きが出来る事。しっかりと排便が出来る事。
尿が沢山出る事。車椅子を使わずに歩ける事。自分の鼻と口で呼吸が出来る事。
この手で子供たちの頭がなでられる事。夫婦で抱き合える事。
階段を歩け日の光の中公園を散歩出来る事。などなど。

本来、君たちの世の中その人生は、
数え上げればきりがないほどのそういった小さなよろこびで、
満ち溢れておるんじゃ。それは現在も変わらぬままに。

そのような小さなよろこびに満ちた中で、
人々は、今日も仕事があり職場がありまだ働けるという事。世の中のお役に立てるという事。
あぁ。自由に動け、人々に存在がよろこばれるということは、何と幸福な事か!
小さな事をよろこぼう!小さな事に感動しよう!小さな事に夢と生き甲斐を感じ取ろう!

なぁ~んて思い生きていた人たちが、昔は大勢いたけども、それがだんだん
科学も経済も発達して便利になり豊かになり自由で贅沢な生活が出来るようになるに従って、
欲望までもが肥大してきて、そのような小さなよろこびに幸福を感じられる人がどんどんいなくなってきた結果が、
この今の、100年に一度来るか来ないかと言われるほどの、大不況の世の中である。
というわけでもあるんじゃのう。

それは、やれリーマンだかコーマンだか知らぬがそういう金儲け主義に走ってはべらぼうな利益を得ていた
投資銀行やらの暴走破綻から起きたせいだとか、世界で有数な大企業までもがその影響で次々に断行される、
冷酷無比なるリストラやらハケン切りだとか、それによる犠牲者の人たちを選挙目当てしか救済しようとしない
政治家たちとかによって、今のこの大不況な時代がつくられたかのように、誰もが伝え知り思い、
みんなが、それらに対して、様々な怒りを発しているけど、なもんは誰の責任でもなく、その本質をたどっていけば、
そういう事を起したと思われるものたちが「鏡」その「象徴」となって、
小さなよろこびに幸福を感じる事の出来なくなった今の人類全体の起こした、
罪でもあり責任でもあるわけじゃないのかな。つー話じゃ。

誰も、そんなんじゃこうになるじゃないか!という予感も危機感も感じる事なく、
みんなが一緒にその大きな「欲望」のバブル泡の一部となって、その影響下の中で、
大なり小なり同じような欲望を享受しようとして、我も我もとその歯車の中に身を置き、
一緒に求め歩み続けて来た結果が、今のこの状況をつくったんじゃないのかな。
それを今頃になって、自分はまったく被害者であるという態度で、自分も関わっていたその歯車の大元でもある
大きな歯車に対してただただ怒りをぶちまけてたりしてるから、ますます不幸で殺伐としたおかしな世の中が、
肥大しているように思うわけじゃ。

でも、そんな泡のような欲望を求める泡のような存在にみんながなる以前は、
この世の中が、小さなよろこびに満ちていることを誰もが知っていたはずじゃ、
それをみんなが忘れてしまった事が、何よりもその原因とせねばいかんのではないのか。

過去、小さい事にもよろこびをおぼえた自分が絶対いたはずじゃ。
それは、子供の頃を思い出せばわかるはずじゃ。
その自分が、あぁ、なんと言う事か、あの少年あの少女の日の自分にひき比べた時に、
今の自分は、一体何に踊らされているのだろう。この世限りのものに突き動かされていて。
本当にあぁあぁ~悲しい事じゃ。

ささやかな事で満足出来る気持ちを失っているとするなら、その原因は、
自分自身のその考えによるのではないのか。

ささやかな事、「足る事を知る」という言葉があるが、
それを忘れ去ったのは、自分自身ではないのか。ということ。
他のものから影響を受け、また、いろいろな考えに毒される事によって、
それを忘れ去ってしまったのではないのか。ということ。

気がつけば、餓鬼道に入っているわけじゃ。今の人たちは、大なり小なり。
自分が餓鬼道を走っている。わけじゃ。その原動力となるものが、
足る事を知らぬ欲望にある。というわけじゃからのう。

餓鬼の道とは、食べても食べてもお腹は満腹にならない。
お金を集めても集めても財布の底に穴があいていてすり抜けて行く。
地位を得ても得ても、満足出来ない。そういう道じゃ。
まずもって、自分が幸福になるのにそんなものが必要だったのだろうか?

にもかかわらず、みんなで死んだらそのまま餓鬼地獄に直行するような生き方しておる。
ように見えるのじゃ。ワシには。
みんなでしておるので、それが地獄的な生き方であることもわからない。
このようにみんなで不幸になるような大不況にならなければわからない。
しかしそれも、正確にわかるというところまではいかず、キツい話になるが、
何故に何も悪いことをしていない自分だけがこのような不幸にならなければいけないのかとして、
その責任が自分にもあるとは決して思えぬような人たちの「決して」の心こそが、その地獄をつくる核にいる。
ということもわからずのままじゃ。

ゆえに今こそ、もう一度幼い頃の心に引き戻してみる必要があるのじゃないのか。
ゆえに今こそ、素直な感動というものを取り戻す必要があるのじゃないのか。
つー話じゃ。

自分が幸福になるのに、そんな難しい手続きが必要だったのだろうか。
そんなに多くの人の賞賛が必要だったのだろうか。
あるいは、妻や子供を犠牲にして、立身出世に燃えているが、
その心は、本当に正しかったのだろうか。
ある時は同僚を犠牲にし、ある時は後輩を蹴落とし、
ある時は上司を讒言する、そういう生活をして来た自分、これは一体なんだったのだろうか。
自分一人を幸福にするためには、そういう条件は必要ではなかったはずじゃ。

降っていた雨がやみ、雲が晴れ、太陽が射して来るのを見ただけで、
幸福ではなかったのか?
その時の感覚をよぉ~く思い出してみれば良い。

しみじみとした幸福感を味わうためには、そのようなごくシンプルな生活で十分であったはずじゃ。
生かされている事によろこびを感じ、家族共々、幸福であることをかみしめた日は、
そんな焦りの心の中にはなかったはずじゃ。

そうした心境が過去あり得たのではなかったのか。

何故その素直な心を見失ったか。何故素朴なよろこびを見失ったのか。
この世的なもので何故自らを飾ろうとするのか。
そんな儚い物質的なこの世的なよろこびではない、
もっともっと永遠なる幸福がみんなにはあるのではないか。
何故そういう大事なものこそをメインに考えみんなで一緒に育み感じ合い生長発展させ、
経済的にも魂的にも融合した真なる豊かな世界こそが真なる人間の幸福なる世界として、
それをみんなで一緒に築いて行こうと思えぬのか。

それは、降っていた雨がやみ、雲が晴れ、太陽が射して来るのを見ただけで
幸福に思えていた、以前のみんなの世界のことじゃ。

そうとはならずに今のこのような世界になってしまってるのは、
過去、ささやかなるものに十分よろこびを感じる事が出来ていた自分自身を忘れ、
気付けば、そんな自分を棚に上げては、ただただ怒り不平不満や愚痴ばかりを垂れ流しているみんなが、
平気でソコにいるからではないのか。

足る事を知るという毎日の中に、幸福の原点があったことを忘れてはいけない!

それが、新しい年を迎えて、ワシがおめーに言いたい事じゃ。

ったく、こんなにシンプルで意味ある話、ココのアホのせいで前置き長すぎて、
感じくどくどそーになってしまったわ。

来年はそーわいかぬぞいーかアホぉ~め!そんじゃまたな。



オーマイ・ショゴレー!つーことかいサンキューなぁ~!賀正ぉ=っ!ってな。

足る事を知るという毎日の中に、幸福の原点があったことを忘れてはいけない!

つーこれが私の今年のシュゴレーの声、初詣のウチわけだス。
さすがに今年のソレは、俺が話す前にあれだけいじっても、
きつーい声になってしまってるよーだス。

みんなのシュゴレーはどんな声だった?もっとあまーくやさしいもんだったかな?


とにかくウチのシュゴレーは、今年一年、「足る事を知る」
そのことをしっかり頭に入れて何とか生きてれば、今年さらに予測される不況不幸の波に振り回される事無く、
幸福に上手く生きていけるぞ。と言ってるようだス。

そんな波に巻き込まれそうになったら、みんなもどーか「足る事を知る」で、
そのおかしな波から俺のようにばぁ=っと小さくなってしまうように離れすいすい~ってな感じで
ソレからうま~く逃れよう。



しかし朝青龍。やっぱあいつ最高だろ。
それは、あの稽古ぶりをみた専門家ぶったヤツらほとんどが、自殺行為だ。三日も持たないだろう。と、
自信を持った顔で、テレビで、朝青龍の引退を予測あるいは期待している中での、
緊張高まる初日での、あの会場全体を興奮の嵐に湧かせた、あの朝青龍のあの気迫そしてあの勝ち方。
あれこそが横綱の品格だ。
その存在価値は、同じにプレッシャーを抱えながら初場所を闘う新大関日馬富士の100万倍だろ。
それこそ横綱級の違いがある。
あの朝青龍の気迫の前では、ちゃんとに強くて正しく偉い横綱の白鵬は別としても、
日馬富士だけではなく、どの力士もアマチュアの子供の学生力士に見えた。

それは、八百長だ無気力相撲だと揶揄される中で人気が低迷する危機にある相撲界において、
朝青龍がいかに貴重な存在であり財産であるかと言う事だ。けども、相撲界やその関係者マスコミは、
扱いやすそうな良い子の日馬富士にはちやほやしても、横綱の品格も無く、
ちょっと何か言うと逆らい生意気な言動をしてきそうな扱いにくい朝青龍には、
宝と思うどころか、どうにかして生かさず殺しそのまま引退させたいような、
まるで汚い殺し屋のような気配を感じる。

それはまったくファンを考えない自己中心的な卑怯で醜いヤツで、
本当に相撲を愛してなどいない証拠そのもののような人間でもないただのウンコだからだろう。

私には、今の朝青龍なら、初日のあの1勝だけで全勝分の勝ちと価値があると思えるので、
もうその後ぜーんぶ負けようとも、私のこの朝青龍への考えは変わらないもんねー、
とか思いながら、今日もテレビ見たら、野郎また勝った。
そして同じにプレッシャーを持つ日馬富士はまた負けた。

真なる強い力士とは、いざ、その土俵に立つと、相手力士だけではなくまずもって
相手力士や外野での中傷非難もぜんぶ一緒くたにした、あらゆるプレッシャーに、
堂々と打ち勝ってしまえる力のある者を言うのだろうと思った。

そういう者こそが、今のような不幸の時代には必要だ。それも奇跡の種だから。
今の朝青龍の会場全体を異常に興奮魅了させるあのオーラは、それを証明してる。

これはシュゴレーの声ではなく俺の声だろーに。




【エネルギーの源泉2/たましいつーほんしつ】

2008-02-18 | 「 S 戸 S 」


もしもブルーマンよりつまらなかったらどーしよ。と心配で心配で。
しかも、解散してからもーいージジーになってまたやるにおいて、
あの完璧な不屈のシンクロニシティ・Liveをやってしまったポリスが、
それを超えるLiveなどあり得るわけがないあのまんまでいーじゃんそいでとめといて
というのもあって心配で心配で。こわくてこわくてびくびくちんこぴくぴくしながら観に行ったら、
そんな私の心配ぴくぴくなど蹴飛ばすようにして、予想以上。
シンクロニシティ・Liveとかなもん
関係させる事もない蹴り飛ばすほどの施しよーで、すんごとても良かった、うわー感心した!
ので、すんごいやっぱポリスは私の大好きなロック・バンドであると思う自分は、
同じ仕事仲間として、誇りを持った良い気分だしぃ。

なにしろそれまでロックバンドの王道として、
ジミヘン、クリームといった「三人バンド」というかっきー形があって、
それは不動のかっきーものの殿堂ものでもあった中で、
しかし殿堂つーだけにスタンダードになりつつあったそんな時期に私は、
渋谷公会堂でポリスの日本初公演を観て、それまで王道だった
「3人バンド」の基盤をぶち壊すほどの斬新さで私に迫って来る
その新しい3人-ロック-バンドのサウンドその「Live-演奏力」を観て、
その俺たちだけさオリジンさそのレゲきかした新鮮ロックなビートの気持ち良さに
どれだけかっきー!と衝撃を走らせた事か。

特にその致命傷としてあったのは、それまでジミヘン、クリームの三人バンドの花形だったギターが、
派手に目立つ事なく緻密にエフェクトされた音色で潔いほどにシンプル極まりないアンサンブルで、
堂々と全楽曲の大黒柱として「気持ち良く」光らせているそのバランス感。
まったくかっきーったらなく、私が重要視するキャラも不良いーでーエロく、
何しろそしてとにかく「三人バンド!」やっぱロックバンドは
「トリオ」だとかもーかっきーにもほどがあるもーなんだこいつら!?つー。

そんな衝撃的出会いから100万年。

心配ぴくぴく観に行ったポリスは、大きな東京ドームのステージで、まったくシンプルにポリス3人だけの演奏力で力む事なくちゃんとに素直にジジーさ出し、そのリスクをしぶーいしびれるような粋なアレンジで引きつけ聴かせるあのコナシは、最初に出会った衝撃と同じほどの驚きだった事はまったく予想だにしなかった事で、やった。奇跡みた。ラッキー!

つー感じだスどスでス。

奇跡。というのは、ラッキー!ということ。



ポリスだかモリスだか知らないが、
ロックだロックだ言ってていー歳して何。おま、バンドやんだって?

あ。俺のシュゴレーだ。嫌な時に現れやがったな。

何があらわれやがったなだえらそーに。俺はお前のシュゴレーなんだぞ。
あれ。あれ書けほれ、前から言ってるやつ。

今バンドをやろうとしてんでそういう話書いてんだからアレは今いいだろ。

いくないべ。そうゆう話だったら関係あんべ。バンドやんだろ?

やる。

どんなのやんだ?何。かっきーの。って?お前はガキか。
かっきーんじゃないだろ。いくつだお前は。え?お前は舟木一夫か?高校三年生か?
ニレの木陰に夕日を染めてか?何?そんな古すぎてかっきわりーもんじゃないって?
舟木一夫は昔はハイミナールでらりってばっかだったらしーじゃねーか、ええ?
それがロックとかゆーヤツなんだろ?セックスどらっぐろっけんろーるって。
キチガイかおめーら。なもん何がかっきーんだ。

ロックとかじゃなく「魂」だろ。それだけでいいんだ。それがあるもんやりんさい。
何?それがロックなの?せっくすどら.....ってのは、違うのか?えなに?
そんなのははるか昔のはなし?フナキカズオは歌謡界?
おーそーなのかよくわからんがすまんすまん。しかしだったらだから関係あんべってんだろ。

「魂」の話。「本質」の話。今回も書きなさい。

あ~~~~~~~~~~~~~~~~とぉ~~~~~めんどくせーけどぉ~~~~、

まず「魂」という言葉な。

それって、二千年前、二千五百年前の宗教や哲学なんかだと、幾らでも出てくるけど、
現代に近づけば近づくほど、霊的な色彩は薄れ、精神や心、あるいは、
脳の作用、神経の作用というような表現になって来てさ、でもって、
そのように考えることが、学問的な進歩・進化であるかのように思われがちだけどさ。

たとえば、哲学という学問は、現代では、数学的な考え方や記号論理学の考え方などが入ってきて、
えれー難解なものになってて、そのため、
「哲学書を読んで、魂が浄化されてきれいになり、悟りを得られる」
とかいうようなこと、誰からも聴かなくなってるべ。

哲学は、昔とは違った学問に転化してんの。

ただ、プラトンは、はっきりと魂の存在を知っていて、その存在を肯定してたんだって。
彼の一連の著作には、何度も何度も魂の話が出てくるの。

しかし、それを読んでいる近現代の哲学者の多くは、霊的な体験がないために、
魂の存在について触れていないことが多いし、デカルトやカントあたりから、
精神と肉体を分けて考える傾向性が強く出てきたので、その影響もあったりで、

精神と肉体を分けて考えることは、学問の細分化、専門化という意味では、
確かに諸学問を発達させた面があんだけど、逆に、
それによって物事の本質が見えなくなった面があんだね。

もともと、哲学はいろんな学問が統合されたもので、哲学者は、
「人間の本質とは何か。人生とは何か。この宇宙に人間が生きているということは、どういうことか」
という、本質的なことをマジメに求めていたはずなの。

だけど、機能がさまざまに分化し、学問が細分化した結果、
それぞれの専門家は生まれたけど、全体を見ることのできる人は少なくなってしまったのな。

哲学だけでなく宗教においても、同じようなことが言えるの。

キリストやブッダとかいった本物の宗祖といわれる人たちは、もちろん、魂の存在を理解していたはず、
でも、数百年、千年、二千年とたつうちに、霊的体験のない宗教家が出てきて、
経典を文字だけで学問的に学ぶことをもって宗教とする人、あるいは、
法具を用いてさまざまな宗教的儀式を執り行うことをもって宗教とする人が、
たくさん出てきて、宗教においても、本質が見失われて、文字になった部分や儀式などのかたちだけをなぞり、
みんなの知るところではあの悪霊の巣窟の象徴みたいなアサハラ?「オームしんり凶?」
とかいう教団だか凶団だかみたいのがいたっけね。何しろ、哲学でも宗教でも、音楽でも。

ちゃんと「魂」が入っていない状況が続いているの。

魂の存在を抜きにやってるもんなんて、つまらないもんばっかだろ。
どいつもこいつもこーなんつーんだろ心に付着したうんこを、浄化し
真っ赤に燃やしてくれるようなそんな魂に響く音楽ねーだろええ?

と俺のシュゴレーは言うだから。俺が言ってんじゃないからな。



なイーワケいーわけーモンでもねーんだから誰が言う言わぬじゃなく
いらない事書かずにいーから、ほら、私の言うことぼんぼん書きなさい。
えなに?もーこれにばっか時間使ってられない?
バンド結成Liveの用意始める?何言ってんだアホだねお前は、これもその用意だろ。その一環だろ。
大体、実は今年初めの書込みからして、もうその「バンド」のLiveその物語、
その「作品」は、すでココで始まってる。ココはすでにもう会場で、Live前に流れる「BGM」は、
ココで書込まれるコトバたちが、その響きを放っているわけでとかあっ!ばらしちゃったが、
まーいつものやり方でもあんからいいだろ、だからいいからいいから書くの。

と「俺のシュゴレー」は言う。俺じゃないから。じゃー書くが。

魂の存在そのものを、きちんと教える必要があるんだ。
そうしなければ、人間は、自分の本質や人生の本質を見失ってしまい、
何のために、この世に生まれ、この世を去っていくのか、その意味が分からなくなる。
人生の目的を知らなければ、正しい人生のあり方は分かるはずがないから。

魂の存在を抜きにして、正しい人生のあり方や人生の意味をいくら問うても、
根本的な解答を得ることはできないんだよ。

あのな、在るから在るとしか言えないが、私のシュゴレーが存在してるように、
死後の世界、あの世は、100%存在してるから。
わからないだろそんなのじゃなく、存在してるから。責任持って言えちゃうから。

だから、この世の部分だけを取り上げて人間の生き方をいろいろ議論しても、
決して本質に辿り着くことはできないの。

特に、19世紀後半から20世紀にかけて、実存主義哲学が流行ったが、
いろいろな人が説いているので一概に要約はできないけど、その背景にある思想は、

「人間は、自分が望んだわけでもないのに、偶然に、この世に投げ出され、
何をどうしたらよいかが分からない不安のなかを手探りで生きている存在である。
そういう盲目的な人生を生きているのが人間なのだ。」というもの。

この思想は、まったく的外れだから。断言するから。

実存主義の哲学者が説いていることは、たとえて言えば、子供が、
「ある日、気がつくと、私は小学1年生になっていて、ある山間部の小学校の教室で、
机に向かって座っていたのであった」と言っているような感じに近いの。

「自分は、なぜ、ここにいるのか。なぜ、このような勉強をしているのか。
私は誰なのか。それがさっぱり分からない」というのが、現代的哲学の一つの姿と思えるが、

現代的哲学が、生きていく恐怖や不安の概念、さまよえる人間の姿を描写している様は、
20世紀に大きな威力を発揮した、「唯物論」という物万能のものの考え方と似たものがあるんだ。

仏陀、仏教では、
「人間は、長い転生輪廻の過程を通して、繰り返しこの世に生まれて人生修行をしている」
と明快に説いてる。

とにかく今、本質が見失われて、文字になった部分や形だけをなぞり、
「魂」が入っていない状況が続いているの。

と、俺じゃないぞ俺のシュゴレーが言ってる話だから。あだがそれって俺でもあんのか。

だからってな。

俺がやろうとしているバンド、音楽は、シューキョーじゃねーからな。
そこんとこ頼むぜ。
別に当たり前の話してるだけだし今回だってな。
そこんとこマジ頼むぜ。俺に変なイメージつくるんじゃねーぞ。

いちいち女々しくせこいのなぁーマッことおめーわぁ、
間違った事言ってねーんだから、もっと堂々としてろや!

あこれも俺じゃないぞシュゴレーが言ってるから。あだからそれって俺か。

つーかおめーもだ!

関係ないような顔してんじゃねーぞ客だろうがファンだろーがうーたーだ何だろうがおめーな。
おめーらみんなのソイツらたちもそー言ってんだから。
俺はココにその代表で書いてるようなもんだから。

とかもうこれ以上書くとアブナいんではい今回おしまい!





【エネルギーの源泉/バンドはソロより強いが部屋に入れるとせまくるしい】

2008-02-12 | 「 S 戸 S 」

バンドは強しソロは弱い。その典型的なビートルズとエルビス。エルビスはビートルズをとても意識していたみたいでその気持ちは良くわかる。


えー。エネルギーとは、仕事をする力のことです。

そして仕事をする力とは、えー。他の言葉で置き換えるとするならば、
一定の質量のあるものを移動させる力、あるいは移動させうる力のことをいいます。

したがって、エネルギーとは
この世に存在するものを変化させる力というふうに言ってもよいでしょう。

私はそれを「運動」と言ってやす。今、まさにそれをやってやす。
ココでこうして書込みをしていやす。ですからココは「運動場」となりやす。
ブログ、というより、「運動場」なのです。うんどーじょーというのはちょっと、というのもあり、
「UBA」になりやす。うば。ですね。乳母ですか?

「運動場」はうんどうじょう。ならば、うん・どう・じょう。で
「UDJ」ゆー・でぃ・じぇー。そして、それがココ自分の運動場での俺のペンネームになりやす。
ま、ペンじゃなくてフィンガー・ネームだけど。

でもって、じゃー「UDJ=俺」というヤツが、「運動」するというんだから、
「UDJ+Artworx」となり、ソコに俺「UDJ」だけでなく、
「saybow」というヤツも入れてやろう本当は入れたくないのだがあうそうそ、で、
「UDJ+Artworx in saybow」になる。(スペルの大文字小文字は自由決めてない毎回いい加減)

でココは、俺のブログ。ということで、 Udj+Blog+Artworx。で「U+B+A 」

でわはい。もいっかい。

エネルギーとは、仕事をする力のことです。
仕事をする力とは、一定の質量のあるものを移動させる力、
あるいは移動させうる力のことをいいます。したがって、エネルギーとは、

この世に存在するものを変化させる力。

はい。それがココでの仕事であり、ココに来るみんなは、「来る」わけで、
その力そのものでもあるのだス。なんだかココはいつでも来れば、そんなもんが、
あよっしょこらしょはいちょっとごめんなすってまーちょっとおーいまーうっそーあははは
と、顕微鏡で観る細菌のように、みんながココ運動場で勝手にごちょごちょ運動してて、
あーなんかココはなんだか誰もいなそーで静かぁーで落ちつくなーナゴムなー、でも、
なんか誰もいなそーとうか誰もいそー?なんかうごいてるそんな活気あるしあ、
元気が出てきた!

ってこんなあほなヤツとかあんなアホなやつとかどんなアホなヤツとかが、
勝手に運動しに来ては何か変化して帰って行く、体育会系のブログですわ。
で、そんなんしてまたココにやって来てはそんなん心の唄を聴かせてくれる
りリピーターのみんなの事を「Uter」うーたー。と呼びます。
ってね、うまいもんだろ俺のこのフィンガーテクニック。


はい。次にいきやしょーか。



いくらビートルズのメンバーがエルビスを崇拝していると聞かされても、このイギリスから生まれた若く新しい世代の輝くオーラその斬新な音楽そして彼らの性格とジョークのセンスなどに、エルビスはきっと内心ただならぬ不安と恐怖を感じていたと思う。


あのね、前回はまー母べえとかいってねまージジーババーの話とかしちゃってね、
ココだけでしか味わえない何とも心あたたまる家族愛な話をしたんだがね、
今回はちょっとアブナい..くはぜんぜんないけど...なような「本質」の話してやす。

このエネルギーね。その源泉ですが、

まず、地上的エネルギーというものに限定して考えていくとするならば、
地上的エネルギーは、熱エネルギーとも関連するものが多いと言えましょう。
電気のエネルギー、ガソリンのエネルギー、石炭のエネルギー、
またこうした熱エネルギーと関係がない領域においては、
バネの力であるとか、物の伸び縮みする力、あるいは水圧、空気圧、そうした圧力、
また生物体の持つ力、あるいは潮の満ち干、風の力、こうしたものがあげられるでしょうか。

大きく分けて考えるとするならば、
人工的なエネルギー源と自然そのものに備わっているエネルギーというように、
二つに分けて考えてもよいかもしれません。

たとえば石油は、なにゆえに火をつけることによって燃えるのか。
なにゆえに燃えて、熱を放出するのか。これについて的確な説明ができているでしょうか。

化学式はもちろんできているでありましょうし、現象は現象として認めざるをえないのだと思いますが、
なにゆえに石油が、あの水のごときものが、あれだけのエネルギー量を放出するのか。
あの液体状のなかにいったい、どうしてそれだけの力が蓄えられているのか。
これを突き詰めて考えた方はいらっしゃるでしょうか。
おめーらみたいなアホたちには、ま、ないだろーなー。
だから、俺がいる。悦べ。みたいな感じでフィンガープレーする俺。

エネルギーとしての変化の姿が、石油という液体から炎を発して気体に変わる。
この形態を変えるときに、莫大なエネルギーが放出される。
これがさまざまな仕事の基となる。このようになっていますね。

このプロセスを逆に考えたとするならば、では、どうしてそうした熱エネルギーを固形化して、
あるいは液体化して封じ込めることができるのだろうか。

石油が燃えれば、水と二酸化炭素、それとエネルギーだけにほとんど変わってしまいます。
熱エネルギー、カロリーとも言われるものに変わってしまいます。
では逆に、カロリーと水と二酸化炭素があれば石油がつくれるのだろうか。
この逆の過程がありえるのだろうか。そうして考えてみると、
実はこれは石油創成の原点に帰ることになりましょう。

石油の原点はいったいどこにあるかというと、プランクトン状のもの、
これの油が海底において積もったものというふうに言われることが多いでしょう。

そういう微生物の死骸、それから油が残り、それが石油になった。
そしてそれが何百万年、何千万年、何億年という歴史の間で、あれだけの埋蔵量のものになった。

そのように言われることが多いと思います。
また、これと同じ吉に石炭は何億年か前の樹木が、
地層のなかに埋められて炭化したもの、こういうふうに言われています。

こうしてみると、微生物にしても、植物にしても、その原材料となったものは何であるかというと、
水分があったことは事実だし、あるいは蛋白質の部分、繊維質のもの、いろいろあったでしょうが、
それがエネルギー源として蓄えられるプロセスがあった。
そのプロセスにあったものは、圧力であったと言えましょう。

圧力と、それと長い年数、時間というものが加わって変化がされている。
こういうことが言えるのではないかと思います。



特にジョン・レノンに対してエルビスはかなり苦手だったみたいで、当時のジョンの感じを知る私にはそれもよくわかる。きっとエルビスは酷く怖がっていたんだと思う。

そこで微生物の原点はいったい何であるかというと、まず、
微生物が動きまわるためには、何らかの栄養源があったということ。
それを吸収して活動していたということ。
この時点において、活動エネルギーを持っていた。

この活動エネルギーは何から得てい川たかということですが、微生物を発生させるためには、
ある程度の養分が必要であったことは事実。水分が必要であったことも事実。
また、太陽エネルギーがあったことも事実と思われます。

そうしたものがあることによって、それらは生命のエネルギーを得ていたはずです。

また、植物にしても同じで、地中からの養分および酸素や二酸化炭素といった気体、
また熱エネルギー、こうしたものがあったに違いないわけです。

こうしてみると、原点を探っていくと、太陽エネルギーというものが一つにはあり、
もう一つには地球という環境下における栄養分があったということ、これが一つです。

そして、この両者をして、さらに生命エネルギーに転化させていったものは何であるかというと、

ここに霊的作用があったと思えるわけなのです。

木を木としてスクスクと伸ばしていくためには、霊的エネルギーが必要であった。
この霊的エネルギーは何であるかというと、木としての理念、
この木としての理念が活動する姿であるとも言えると思います。

あるいは、微生物なら微生物をつくり動かそうとする理念、こういう理念というものがあって、
これが一つのコンピューターのソフトウェアのように内蔵されて、
それでもって動いているのだというふうに言えましょう。

こう考えてみると、もともとあったものは何であるかというと、
霊的エネルギー体が、この世的なエネルギーのかかわりを受けて生命エネルギーとして発現し、
その生命エネルギーが圧力と時間のなかで変化され、
そして次は熱エネルギーのもとへと転化した。

熱エネルギーのの元なるものは、生命エネルギーであり、生命エネルギーの原材料は、
実は霊的エネルギーでもあるわけだス。
霊的エネルギー環境という媒介あるいは材料という名の媒介を経て、生命エネルギーを発現していた。

すなわち、生命エネルギーは、霊的エネルギーが排出するところの排気ガス、
あるいは二酸化炭素、酸素、こうした霊的エネルギーの燃焼後の排出物が、
実は生命エネルギーなのだというふうに言い換えることも可能だと思います。

そこで、私は次なる理念形を提示したいと考えるのです。

それが何であるかと言えば、まず霊的エネルギー源があって、
これから生命活動のエネルギー源が出て、生命活動のエネルギー源が熱エネルギー源となる。
こういうプロセスです。

ま。今回はここらへんにしといてやるか。うんそー俺はだからこんなこともやってたり
バンドの支度なんかもしたり明日はポリスのヤツらに会いに東京ドームにも行かなきゃいけねーし、
ぜんぜん運動しててさ、そんでも、やってない。やんなきゃだめだ!とか言われて叱られたりして、
ありがたいんだ。言ってくれるヤツがいて俺わ。こんな俺なのに。

だから、いっしょけんめできるかぎり俺はみんなにおかえししてぇんだ、

この幸福な人生の。みんなも一緒でずーっといててほしいからな。じゃな。



ジョンのあのリバプールなまりのジョンの声を聞いただけで落ち着けなかったんでは。リンゴスターが、僕たちは「バンド」で4人だけど、エルビスは「ソロ」でいつも一人で可哀想だった。と言ってる。

【08+UDJ年賀状+ことばま=初夢「おかえしや」(完全版)】

2008-01-01 | 「 S 戸 S 」




しんねんあけましておかえしやぁ=!

わ。信念+新年=御返視野。

わ。しんねんあけましておかえしや。


お返し。をする。ことで、新しい感謝・返礼となり、
新しい視野で物事を考えられるようになるしや。

それが、2008年UDJ+Artworxのことばま。



おめーはよ、

「ありがとう」つーコトバが、意識せずに自然と出て来る。
人をほめたり、苦労を労ったりするのが好きだ。
口がすべった時には、その場ですぐに謝るコトバが出て来る。
相手の問題を指摘するより、いいところを言うほうが多い。
人の悪口で盛り上がると、どこか罪悪感を感じる。
元気のない人にこそ、いいコトバで励ましてあげている。
自分がしゃべるコトバの中身に気をつけている。
思ったことをすぐに口にするのではなく、
ひと呼吸おいてから話すようにしている。
人を幸福にしたり不幸にしたりするのは、
お金よりも人のコトバだと思う。
実を言うと、あいさつは得意だ。



だって、おめーわ、


「どうせ自分なんか」と言うのはよくないと思うヤツ。
「最悪のことを考えておいたほうがいい」という考えは、
何かが違っていると思うヤツ。
出来るか出来ないか微妙な時でも、
「出来るよ!」というコトバが出て来るヤツ。
どちらかというと景気がいい話が好きなヤツ。
自分の将来の理想を、手帳などに具体的に書き出しているヤツ。
不必要なネット情報やテレビは見ないように工夫しているヤツ。
自分一人の時でも、自分を励ましながら努力出来るヤツ。
自分の出来ることは、控えめにではなく自信をもって言えるヤツ。
人から言われた悪口は、次の日には忘れているヤツ。
自分の口癖は、どちらかと言うと楽観的なヤツ。


そして、おめーわ、

悪魔の「破滅させる力」と勇気を持ってたたかうヤツだもん。


コトバの力が自分を変える。





うーむ。そーかそーなのかー。
去年俺は、そーゆーヤツではなかったけども、
決して、そーゆーヤツにはなれなかったけども、
じゃー、
今年俺がそーゆーヤツではなかった時には、
シュゴレー頼むぜ、すぐそー言ってくれい。

あほ。誰に言われる前に、まずすぐ自分で気付けこのやろ。
つーってるんだろが。そーゆーヤツつーのわ。

おめーわそーゆーヤツかい?

「自分」で気づく。それが、シュゴレーとの対話。

別にお化けなはなしでもなし。礼+霊の霊体の話。のシュゴレー。
起立!「礼!」して「霊!」
そんでおめーのぽこちんえれいボッキ。頭下げたら頭亀。そりが、

おめー自身との対話。







ボッキしたぽこちんは、おさめるところにおさめるためにあり。
ボッキできなきゃソコにおさめること出来ず。
おさめられぬと、だつぜい違反で逮捕される。

ぜい金を、おさめる所におさめないと、
れい金もしき金もはらえない。から、
霊ぎな礼儀知らずな、なぁ~んもおさめられぬヤツだおめー、

へんれいしよーおかえししよーのありがとー。


はいっ!あけまして!
あなたもこれでやっとノーゼイシャになりましたのオトナだ、
おめでとー!





だけど、
自分のおさめる場所はどこ?

けーむしょ。じゃない、ぜーむしょ。

あー税務署か。

自分たちのな。

自分たちの?

そー自分たちのぜいむしょな。

自分たちのぜいむしょのある場所にノウゼイおさめないと、
ケイムショに入るのか。

でも俺いまだ自分よくわからずのアホだから、
「自分のぜーむしょ」わからない。

話にならんなおめーわよー。ココはどこだ?

俺のブログだUBAとゆー。

UBAとはなんだ?

UDJのブログ。

UDJとは何だ?

運動場。

それがおめーのぜーむしょ。おさめ場所。


あ。おい。おめーわノーゼイしてるかに?え?とーぜんだろってか?
失礼の失霊!

ふんじゃー、

しんねんあけましておかえしやぁ=!






2006/UDJ+Artworxことばま「しんねん・信念」

2007/UDJ+Artworxことばま「let out+出す」

【08+UDJ+ことばま=おかえしや(年賀状ただ今作成中)】

2008-01-01 | 「 S 戸 S 」
しんねんあけましておかえしやぁ=!

わ。信念+新年=御返視野。

わ。しんねんあけましておかえしや。


お返し。をする。ことで、新しい感謝・返礼となり、
新しい視野で物事を考えられるようになるしや。

それが、2008年UDJ+Artworxのことばま。

おめーはよ、

「ありがとう」つーコトバが、意識せずに自然と出て来る。
人をほめたり、苦労を労ったりするのが好きだ。
口がすべった時には、その場ですぐに謝るコトバが出て来る。
相手の問題を指摘するより、いいところを言うほうが多い。
人の悪口で盛り上がると、どこか罪悪感を感じる。
元気のない人にこそ、いいコトバで励ましてあげている。
自分がしゃべるコトバの中身に気をつけている。
思ったことをすぐに口にするのではなく、ひと呼吸おいてから話すようにしている。
人を幸福にしたり不幸にしたりするのは、お金よりも人のコトバだと思う。
実を言うと、あいさつは得意だ。


だっておめーわ、


「どうせ自分なんか」と言うのはよくないと思うヤツ。
「最悪のことを考えておいたほうがいい」という考えは、何かが違っていると思うヤツ。
出来るか出来ないか微妙な時でも、「出来るよ!」というコトバが出て来るヤツ。
どちらかというと景気がいい話が好きなヤツ。
自分の将来の理想を、手帳などに具体的に書き出しているヤツ。
不必要なネット情報やテレビは見ないように工夫しているヤツ。
自分一人の時でも、自分を励ましながら努力出来るヤツ。
自分の出来ることは、控えめにではなく自信をもって言えるヤツ。
人から言われた悪口は、次の日には忘れているヤツ。
自分の口癖は、どちらかと言うと楽観的なヤツ。

そして、おめーわ、

悪魔の「破滅させる力」と勇気を持ってたたかうヤツだもん。


コトバの力が自分を変える。


うーむ。そーかそーなのかー。
去年俺は、そーゆーヤツではなかったけども、
決して、そーゆーヤツにはなれなかったけども、
じゃー、
今年俺がそーゆーヤツではなかった時には、
シュゴレー頼むぜ、すぐそー言ってくれい。

あほ。誰に言われる前に、まずすぐ自分で気付けこのやろ。
つーってるんだろが。そーゆーヤツつーのわ。

おめーわそーゆーヤツかい?

「自分」で気づく。それが、シュゴレーとの対話。

別にお化けなはなしでもなし。礼+霊の霊体の話。のシュゴレー。
起立!「礼!」して「霊!」
そんでおめーのぽこちんえれいボッキ。頭下げたら頭亀。そりが、

おめー自身との対話。

ボッキしたぽこちんは、おさめるところにおさめるためにあり。
ボッキできなきゃソコにおさめること出来ず。
おさめられぬと、だつぜい違反で逮捕される。

ぜい金を、おさめる所におさめないと、
れい金もしき金もはらえない。から、
霊ぎな礼儀知らずな、なぁ~んもおさめられぬヤツだおめー、

へんれいしよーおかえししよーのありがとー。


はいっ!あけまして!
あなたもこれでやっとノーゼイシャになりましたのオトナだ、
おめでとー!


だけど、
自分のおさめる場所はどこ?

けーむしょ。じゃない、ぜーむしょ。

あー税務署か。

自分たちのな。

自分たちの?

そー自分たちのぜいむしょな。

自分たちのぜいむしょのある場所にノウゼイおさめないと、
ケイムショに入るのか。

でも俺いまだ自分よくわからずのアホだから、
「自分のぜーむしょ」わからない。

話にならんなおめーわよー。ココはどこだ?

俺のブログだUBAとゆー。

UBAとはなんだ?

UDJのブログ。

UDJとは何だ?

運動場。

それがおめーのぜーむしょ。おさめ場所。


あ。おい。おめーわノーゼイしてるかに?え?とーぜんだろってか?
失礼の失霊!

ふんじゃー、

しんねんあけましておかえしやぁ=!

【特集;じきいぶい.6/ほんとわ何なんだ《《eve@i》】

2007-12-12 | 「 S 戸 S 」



どもっ!

って驚いたべ。ひひひひ。

前回の「じきいぶい特集」5日連日めの
もーあきてきただってネタないしな書込みからして、
まさか、こんなに早くまた再び登場してしかも「じきいぶい特集6」として、
なんかまだ書こうとしてる俺を予測してたヤツなどいまい。ふふふふ。
あまいな。そんなよーでわまだまだ15日のLiveで、俺に勝てんぞぉぅ。

と。

俺は絶対におめーらには勝てない。何故ならその立派なあいじょーもって、
タバになってかかってくるんだから、いくら俺でもさすがに無理だ。
それは絶対に無理ゆえにだからおめーらに勝つ方法は、
勝てるわけがないとよーくわかった上で、そんでも、
そんなアウェーなステージ上から、決して負けねーぞー!と最後までいられれば、
おーこのタバなる私たちに対して、ノックアウトもされずに、
よく一人で(時にはバンドのメンバーさえも敵側にいる)最終ラウンドまで、
判定に持ちこんだものだ。として、じじーになったロッキーは、
おめーらからも自分自身からも、悪いような判定はされないだろー。と思う俺は、

そんな冒頭挨拶コキつつまた戻って来たぜの
よぉ~ろぉ~しぃ~くぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~=っ!えへっ。ぼぉ~よよぉ~ん。

ぅひぇ=====ぃ==っ!!!おもいっきしひぃ==ちゃってるじゃぁ~ん!
てめたちゃこぉ~のぉ~やぁ~ろぉーーーーーーーーーーーーぉぉぉぉってね。あは。

ってんがぁ============ぁぁぁぁぁっ!それでもてめたちゃ
まーだおもいっきしひぃ=========ちゃってるままでやがってぇえ~い!
ぇえ~い!ぇえ~い!ええええいいいいいあいあいあすっぽすぽっき。
ぐぅ============っ。もうにん。べいびぃちくびぃ。にこっ。

ってもーさいてーじゃんぼろぼろじゃん俺なんでだだてめおいいーかげんにしろよ俺カリスマだぞてめなもんやだ俺いらねけどそー思われててこーだったら何だおめてめざけんなよどーすんだこれよおいどーしてくれんだてめこのやろえ~何だ俺おいっ!

ん==============。どっかなぁ。


当日、ほんとーに愛で感動的な愛の素晴しい愛のLiveをしてしまい、
愛あるみんなから愛の盛大な愛するほどのアツいアツい愛のアンコールに愛でこたえ、
頑張ってふたたびみんなの前にこんな感じで明るく出てきてやったら、
気づくといきなりこーゆー地獄に豹変しててしまってた時、どーするか!だよなぁー!

まそれでも、あーやっててめこのやろばかやろーとかそんなコトバ不規則にちょこちょこタケシじゃないけど言ったりしてればとりあえずその場はどうにかなるだろ。
よしっ!これもクリアーだ!



って、もーこんくらい長くマクラ書けば、いいかなぁあ。ん~~~。もー大丈夫だろ。
とーりすがりの大した興味わない人たちは、3秒も読まないうちに何だこのアホ。
と言って去って行くだろーよしよし。........かっこわるすぎだがんま。いっか。

実はな。今回最後になるこの特集の題目は、ちょっと危険なんでな。

ほんとわさ。前回でもー、いっか。ともーこりでいーだろー
と書いて寝てそして起きたらびっくりしたぁ=!てめ何俺のベッドで一緒に寝てんだよ!





なんだ大してちんこたってねーじゃん。
しょろー朝立ちかぁいはははとかゆーおめーのちんこなどどーでもよく。
まいっか。じゃない。まだいくない。今日も書け。
えなに今日は昼から夜までいぶいのための大事な最後のリハーサルだ?
そーかそれでは仕方ない。んじゃーもーこのさい今回で終わりにしてやるから、
帰宅したら最後にアレ書け。

何アレって?

アレを書いておきなさい。

だからアレって何だ?   

ほらソレだろ。   

ソレはあのとき書いてるじゃん。




ばかちがうソレはコレのヤレソレだろ。それはとっくにロレってレロしたろ。
あのほれ、あのソレだ。ソレだって。ったくもぉ~ホントおめーわアホだな。

あーソレか。ソレなら昨日の書込みでもーやっただろ。

ダメだあんなんじゃ「自分」が入ってる。
まぁあーだまだ「自分」の領域のところで書いてるだろが。やらしくも。
変な心配などいらぬからいーから気にせずもっともっと
だからほれ自分を捨てててってー的にな
ニュートラルなまっさらーになってな、
ソレのもーまぁ~んまを素直にかけかけかけかけっここぉ=っ!
ってあなんだその目わ。それがお前のシュゴレーに対してする目つきか。
そーだ。それでいーんだ。大体俺のおかげで今があること忘れるなよ。
俺がきてやんなかったら今頃お前わっておいおい!どこいくんだおい!
あわりっ、あはいサンキュ、だからなおめな、
いーんだ。もーいーんだ。もーいー歳なんだからもーそこまでやっちゃっていーんだ。
先はもーそんなに長くはねーんだからな。
今いー機会なんだからいやいやちがうちがう逆だ。コレわ今良い機会なのだわかるか。
.......あ......なんかわかったぞてめわかった顔だろそれ。
そぉーそーそゆことだいい子だなそーだろおーそーゆーことだ。よしよし。
よしじゃやれ!





つーことで、今回は、じきいぶい特集の最終回。
書かせていただきますぅ。題して、

「ほんとわ何なんだ《《eve@i》》」

内容が内容なので、はらきめて何も考えずに一気にいきやすんで、よろしくお願いしやす。

え~~~~。今の時代、「アート感覚」は必須だス。
と、ココの私(UDJ+Artworx)は、書いてるわけでございましてぇ、
必須だ。と押し付けがましく言ってる以上は、何かわけがあるんだろ、ってぇ?
へぇ~。それがありありのこんこんちきでしてねぇ、

なぜならば、それが《《eve@i》》でもあるからですわ。

その対象ブツが、ビジュアル的に美しかったりおしゃれでセンスが良いと、
よく「アートだねぇ」とか軽く言いこなしたりしますね、

でも、大体の人たちは、その時のそのアートだねぇという感覚を、
ちょっとした時間における日常的で表面的な世界の出来事として
その感覚を、「アート」というコトバで記憶するだけでとどまる人が多いわけだス。

「アートだねぇ」とコトバで言う事で、その中にあった「アート感覚」を、
感覚としてではなく、言語として記憶するようなクセが、現代人にはあるのだス。

そこには、その人が「アートだねぇ」と言わせた
「アート」な波動を「発信」する対象ブツがあって、
その人はその発信された波動を「受信」して感じて、「アートだねぇ」と感動した。
わけなのでありやすが。

しかし、受信したその人は、発信する「アート」なる対象に対して、
日常的、表面的にとらえるので、実際には、
その両者全体で、「アート」となっている事がわからない。
自分もその「アート」の対象であることがわからない。

「アートだねぇ」と受信する人は、受信した自分をも含めて
「アートだねぇ」とは感じていないのだス。

感動的な対象ブツと、それをみて感動してる自分、という2ショットの光景を、
上から見て頬えんでる目には見えないナニモノかの感覚がわからないのだス。

したがって、その人の感じた「アート感」な感覚は、
あくまでその対象物だけから感じるものとした、
一般的で日常的、表面的な「感覚」と言えちゃうのだス。

そのアートなる対象物だけがあっても、それを感じる相手がいなければ、
その感覚は生まれないし、同じように感じられる人がいても、
そこにアートなる対象物が何もなければ、その人はその感覚を得られないのだス。

アート感覚というは、それを発信するものと受信する相対的な2つのものが
「1つ」になって、はじめてその感覚の「全体」として存在するわけだス。

それが、本来の「アート感覚」なんだスね。





前回ソコまで、実は、書いたわけだス。

さらにその奥に進んでいきやしょうかに。

ココでどんどん公開させてもらってる私のつくる「絵」だけど、
《《eve@i》》のポスターも私がつくったんだけども、
私は、ここまでのものを、しかも次々につくれるなんて事は、
いくらそれが、コンピュータを使った「CG」によるものであるといっても、
まったく考えられない事でした。

それについては、私は何の基礎知識も技術もないまったくの素人で、
ある友人から頂いた「フォトショップ」という使用ソフトも、
いまだにその使い方がよくわからないほど、専門家とは到底言えない私でしたが、

そんなド素人もいいところの何でもないフツーの自分の「絵」が、
突然「アート」なるレベルなものへと自動的に開花したのです。
それはまるで突然の出来事でした。

しかしそれは、ある画家から受けた強い「アート感覚」によるものでした。

その画家は、画霊とも呼ばれる、
横尾忠則という日本の偉大な芸術家です。

その人のアート・芸術を語ったコトバに、
「宗教性のない芸術など芸術でわない」というのがあります。

彼の言う宗教とは、宗教の教団や教祖の事ではなく、
アート感覚のことです。今の自分には、それがわかります。



《《eve@i》》は、ご存知のようにクリスマスと関係があります。

クリスマスは、キリストの生誕を世界中で祝う祭日・ホリーデイ(holy day)で、
キリストといえば、世界中に普及してるキリスト教というのもあって、
「宗教」の代名詞ともなっています。

しかしキリストは「宗教」ではありません。
キリストが「宗教」なのではありません。

キリストは自らを「預言者」であると言っています。
「預言者」とは、神から「預(あず)かりもの」を持って、
この世に生まれて来た者のことを言います。

キリストは、天から、あるものを、預かり持ち、人々のために生まれて来た者でした。
何を預かり持ち来たかというと、ま。愛。なわけですが、
それは、目に見えるものでも手に触ることのできるものでもまた言語でもない、
それは、愛という「感覚」なわけだス。
愛、とゆー漢字に目をとらわれずにね、感覚、という方が大事なところなんで。

それは、同じ人間として地上に生まれて来た預言者の媒体を経て、
天からの預かりものを地上の人々に向って発信し、それを受信能力を持つ人の「魂」に、
それを注ぎ込む運動。魂を救済する。

「宗教」というのは、その天からの預かりものであるその「感覚」が、
その使命を持つものから降ろされ、
それをどーにか受信させて人々の魂を救う「感覚の原理」であって、
その感性を含むすべての創造世界が、アートであり、アート感覚。
宗教性のない芸術など芸術ではない。そのホンモノのアート。
それが、今の時代には、必須だ。とゆーことです。

それは、別に、小難しくかたっくるしく、怪しくいかがわしいものではありやせんね。
ただただ、それは、ソイツ(あい)の感覚の話なんだから。ソイツが必須。別に何も文句ないでしょう。


《《eve@i》》は、俺流のクリスマスのLiveだス。
だからそれは、この自分つまり「saybowのLive」ではありやせん。
このよーに自分を捨てた、全体で良い加減になるよう考えられたLiveでありやす。
実際には、その形として、あまり変わりはしませんが、
その時、歌手の感覚は、《《eve@i》》モードなのでございやす。



いま、この世は、本来の宗教的信条を信じ、そのために、
信仰心を持って生きようとする人にとっては、不利な環境になっていやす。

基本的に、そうゆう人は少数であって、多数の人からは「おかしい」と言われて
信じる以前に、笑われるような状況にありやす。
宗教的信条を信じている人は大体10人に2,3人ぐらいで、あとは、それについて、
「ちょっとおかしい」と言う人がほとんどだと言われていやす。

そしていま、

この世は、時間のサイクルが短くなり、人々は忙しくなって・秒単位で動いている反面、
「道徳的なな面がかなり後退してきた」と言われていやす。

昔から言われてきた古い価値を捨てて、
自由気ままに生きる人がたくさん出てきた結果、道徳的なレベルが下がり、
犯罪も増えてきました。
責任を伴うことで「自由」といえる事がわからないばかりに。

現代人は、この流れを止めることができずにいます。

それは、「警察に捕まって刑務所に入れられるぞ」という脅し以外に、
人を律するものが何もないからです。

それ以外には、自分に当てはめるルールがないため、
「人に見つからなければよいだろう。人に分からなければよいだろう」
という考えが横行するようになったのです。

昔は、なぜ、そういう悪いことがしにくかったかというと、
「天国・地獄があり、来世で、必ず、この世での生き方についての判定が出て、
その清算をしなければいけなくなる。よいことをした人にはよい結果が、悪いことをした人
には悪い結果が、必ず来る」
ということを、人々が宗教的にずうっと教え込まれていたからです。

ところが、現代人は、それを迷信か子供騙しの教訓のように思っていて、
「地獄話で子供をおとなしくさせようとしている」というように捉えるのが普通でしょう。

ただ、昔から、先祖供養を通し、「ご先祖様が、いつも見ている」という言い方をすることで、
この世の生き方を清く正しくさせようとする流れはありました。

そのため、現代の唯物論者であっても、お盆やお彼岸にはお墓参りをしたりしています。
それは、無意識のうちにやっているのかもしれませんし、
「単なる風習だ」と思つているのかもしれません。

「ご先祖様が見ている」と思うと、人が見ていなくても、
悪いことはできないものです。
そういうことを、人々は昔からくり返し教わってきたのです。

「おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさん、先生など、
ご先祖様や亡くなった人が、自分をいまも見守ってくれているのだ」
という視点を持っている人は、常に反省をして、
間違った道に入らないように自分を点検しなければいけなくなるからです。

また、宗教の信条を信じていて、「善因善果、悪因悪果」、つまり、
「よいことをしたら、必ず、よい結果が来る。悪いことをしたら、必ず、悪い結果が来る」
ということを信じられる人は、やはり、
自分を正しい道に入れようとするでしょう。

しかし、現代は、宗教学者であっても、
それを「昔話だ」と言って笑うような時代です。

なかには、「キリストや釈尊の思想が現代にも通用するなど、そんなばかなことがあるものか。
『死んだら地獄に堕ちる』と言って、人々を脅しているが、
そういうことは、あるわけがない。それは単なる方便なのだ。
当時の人はレベルが低かったので、そういう方便を使って、
人々をたぶらかしたのだ」というようなことを言った人さえいます。
しかし、そういうことを言った宗教学者は、死後、
地獄に堕ちているような気がしやす。俺のアート感でゆーと。

世の中の様相は、さまざまに変わっていきますが、変わらないものがあります。
それは、「価値」を中心としたものです。

つまり、「何に値打ちがあって、何に値打ちがないか。
何が正しくて、何が間違っているか」ということに関しては、法則として、
一本、ず======っと流れているものがあるのだス。

この法則は、この世の人がそのルールを知ろうが知るまいが、
必ず、その人の魂に降りかかってきやす。
この基本的な法則は、千年前も二千年前も、さらにもっと前においても、
その「価値観」は、変わらないのだス。

ところが、この法則が、現代では、
砂や埃を被ったようになって、見えなくなっています。

現代は、そういう大変な時代なのですが、昔の人は、そーゆー宗教的信条によって、
「努力や反省は大事だ」ということを理解したり、「ご先祖様が見守ってくれている」
という考え方で自分を律したりして、そのアンテナ、
「アート感覚」を大事に護ろうとしていたようで、
その感覚のおかげで、いまだに続く、ニセモノが起した宗教戦争などの時代の中でも、
その時代時代、その他いろいろな苦難や困難を乗り越えて来たりもして、
歴史に残る数々の偉人たちも、その感覚を信条として生きた人たちがいっぱいいたのです。

ま。今まで狂ったよーに連日じきいぶい特集だといって、
書込みまくってきましたが、そのシメとして、私。
あきてきたからといって、やるならやるやらないならやらないの性格の私としましては、
その特集その感性その完成を、今ここに、立派に仕上げさして頂きやした。

これもひとえにココに来るとひしひしと感じる、皆様のご支援その心に潜在する、
かわいーかあいー「アート感」。そこから発信され受信した感覚。
そのおかげだと信じて疑わぬ私でありやす。だからこそ、こんな事、
誤解を怖れることなく、書いている次第でありやす。

しかし来るべき15日のその「俺・おめー・俺たち・おめーたちのLive」である
《《eve@i》》なる「イベント」の日は、
今回のこんな話もほどほどに、むしろ、
出来れば聞かなかったほどないーかげんなるかるぅ~い気分でもって、
どーかこのいーかげんに用意された、いーかげんなるその1日を、
「良い加減」にお楽しみおすごしあらん事を、
らくにたのしくさらには生きてんだもんエロくもいこーや人間だもん。
と、とくと希望する、ワタクシメにてごぜーやす。

あーめんはくぶつかん。

特集;じきいぶい(50すぎての)。おしまい。



おいシュゴレーてめ、これでいーか。

なんかまだまだあぶねー感じもするが、おめーの人格と力量では仕方ないだろ。

ちっ、てめーだって俺自身でもあんだろが。だからシュゴレーなくせに
おめーわなーんか威厳もねーし風格も品もねーんだ。

てめ。そのちんこもーそろそろたたねーよーにしてしまうぞ。

あーだめだめだめそれだけはやめろー!何を言われても、
エロだけは手放したかねー!

じゃもっとがんばれエロでも下品でもなんでも。もっともっと良い加減で。

しかしこんなの年に1度で沢山だわ。

ま。お前のくせに年に1度でもやれるだけでも、ほめてやるわ。

早く、そんなもん気にせずにやれるsaybowでのLiveしてーわ。

saybow自体は、大したヤツじゃねーからな。おごるなよ。

おめーもな。

てめこのやろぉ===============。

なんだばかやろてめーもだから俺なんだろーがぁ===!

ダメだこりゃ。(天国のいかりや+特別出演)




【S戸S/3+愛とは何か(それをいままただスばいいだけ)】

2007-05-18 | 「 S 戸 S 」



愛の本質。

というものは、もともと、人間誰もが、
自分自身にそなわっているもの。だということ。

はーじゃー俺にもそなわってんだ。すげーんだ俺は。

アホっ!人がいっしょけんめ真面目な話してんだから
真面目に聞けこのやろ。

人なの?シュゴレーだってたじゃん。

いちいちうるさいなー。人だろーがシュゴレーだろーが、
なこたこの場合どうでもいー話だ、ってなこといーとしてな、

愛の本質だ。それはみんな自分自身にそなわっているものなの。

それを理解するために、人は、
ながい「経験」というものを必要とするの。っで、

愛とは何か。という話になんだがな。

愛とはこーだかんだといろんなリクツはあると思うけどな、
それは、難しいものではまったくないわけなの。
リクツじゃなくもっと単純なもので、まーつまり、

愛とは何か。とゆーなら、
それはお前の胸が熱くならなければ愛じゃない。ということ。
なのな。

それは、頭に考えたことではないの、または、
表面だけ善とされているそういう行為を成す事をもって、
愛とは言わないのな。それは、それを実現する「過程」において、
お前の胸が熱くならなければ、愛とは言わない。ものなのじゃ。

何か。わかるような気がする。それは「情熱」だから。

そー。そゆこと。熱くなるためには、情熱がいるんじゃ。

俺は最近思うんだけど、「情熱」って、今、人の世界にないよね?
あるように見えるけど、「情熱」って、本当の目で見たら、
今、人の世界にないよね?
あったとしても、それはよく見ると、みんなエゴイズムだもん。
たとえば、情熱を持って、ある「バンド」を一生懸命頑張って、
やろうとしていたとか言っても、本当にその情熱は、
真なるもの、つまり「本質」から湧き出た「熱さ」なのか。
としてよ~く見つめてみると、ほとんどが、
エゴイズムなるものであることに、ちょっとびっくりしちゃって。

お前、いつか本当に友人いなくなるぞ。
まったく言いたい事平気で言うお前は、だから心配でな、
あぶねーんだおめーは、誤解を招きやすいうこと平気で言うんだ。
それでも情熱もってやってると思って頑張って人たちまで、
え何、これってエゴイズムなの?情熱じゃないの?
情熱ではなくエゴイズムもって頑張ってやってる、なんて、
そんなのやだー!そんなこと言うヤツは、仲間じゃねー!
裏切り者だ!とか、言われて、マジともだちどんどんいなくなるぞ。

だからあなたがいてくれるんでしょ。

そーシュゴレーだから。永遠なるお前のマブダチだから。
だから、絶望ってものなど、この宇宙には存在しないとゆーのにも
かかわらず、いかにもそれが在るようなでたらめな事を流し、
宇宙を心を混乱させている有害な「波動・意識」があって
とかそゆー話は、つまらないからいーとしてだ、
情熱は、実際には今、人の世界にない、と言うのはそーで、
じゃーこの情熱の根源、それは何か。ということなんじゃな。

それはね、自己の魂のカラを打ち破る事によって、
ほとばしり出て来るエネルギーじゃ。

でもってな、自己のカラとは自己限定。
自分を限りある者として規定してしまうところでの、
生まれてからこのかた、教育や環境の規制の観念、
こうした「観念」が今の人たちを縛っているんじゃ。
この縛りをとく事で、無限なる者となった時に、
愛は熱き思いとなって、流れ出る。というメカニズムになっててな。

愛のメカニズムだ。かっきーなー。

そーまったくそのメカニズム。

で、縛りから解き放たれた無限なるその力を知るには、
自分がどれだけ生かされているか、それを知る必要があるのな。

それは、「感謝」なき者には、愛はわからないだろう。
ということですかな。

お前、だんだん言うようになってきたな。
生意気になるなよ、えらそーになるなよ、心配だなー。
でもそーまったくそーなんですな。それはね、
感謝と愛とは表裏一体。だということなのな。

それが「根源」なんだね。

そー。ってお前昔のお前と違うなー、第二話ではそんなヤツじゃなかったろ。

あれは100万年前の俺だもんよ。あなたとあんな話してる俺だもんかわいーべ。
今してるこの物語の俺は、それから100億年たった俺。ジジーの俺だもんよ。

100万年前も今も、まそれほど変わってもいないがそんなお前の話はいーとして、
愛についての話だ。愛とは何か。非常に大事な話だから聞きなさい。

はい。私は人の話聞かないヤツで有名らしいから気つけやす!

シュゴレーの話すらよく聞けないがな。がな、
そう言ってくれる人は、有難い人なんだぞ、感謝だぞだから。

とにかく、愛は、知識、理念によってのみでは、断じてわからない。
愛が愛として一人立ちするには、必ず実践を必要とすんの。

では、愛が実践を必要とする意味、だけどな、

それは、私たちの限られた肉体、この小さな肉体の中に、
限定、規定されているところの、何のナニガシというその人間が、
ワクを超えて拡大しようとする動き(運動)そのもの。を意味すんの。

で、愛の本質とは、神の子であるところの各人の自己発展にある。
ということなのじゃ。ま、シュゴレーだから、神の子とか言わせてもらうけどな。


でも、各人のその自己発展が、単なるエゴイズムに発しているならば、
それは、愛じゃない。ということだよね。

そー。愛とはもっと根源的で深く力強いものだから。
これは良い事だから、した方がいいとか
これは悪い事だから、してはいけないとか、そんなように、
心の中で逡巡しているようでは、愛の名に値しないんじゃ。
その「本質」とは、別の次元の、それは単なる心の思いになるからね。

心なんか、強かったり弱かったりあっちいったりコッチもどったり、
ほーんと信用できないものだもんなー、肉体に比べたら。

そーだから、肉体はがりがりで、ヤクばっかに頼っては、
精神世界にどっぷりつかってた昔のヒッピーはダサイよ。

それはちとニュートラルではないなぁ、
いー部分だってあるだろが、ラブ・アンド・ピースのどこが悪い。
今、それは、哲学としてとらえると、非常に意味のある「コトダマ」でもあるぞ。

パッチギ・2 でもあったりして(笑)
あそれ、まだ見てないからわからないけど、
ヤフーのユーザーレビューでボロクソだよ。
ちょっとなんであんなに酷い評価なのか興味あるけど、1は良かったから。

パッチギだジンギスカンだか知らないが、私の言ってる
ラブ・アンド・ピースは、そっちぎの話じゃなかとよ。

わかってやす。宇宙の、つーか、神の波動、その言葉、
コトダマ。だっつーことでしょ。

お前だから、あぶねーぞ、つーの、ココは宗教のサイトなのか!
saybowさんはそいじゃー教祖様かいそれになろうとしてるのかあはははははははははははははははははとか言われたりする危険はまだまだあんだから、お前はホント。
マジで本当にそーいう気もあったりするからアブねーんだ。

何かシュゴレーのくせにちっちぇーこと言ってる気がするんですけど。

お前のシュゴレーだ。仕方なかんべさ。
もーお前がいちいち余計な事言うから何言おうとしてたか忘れただろが!

だから、それは決してエゴイズムではなく、愛とはもっと根源的で深く力強いものなんだから、それが神の生命の一部であると自己を認識し、
そうして自己を発展しようとするがゆえに、それは素晴らしいものになっていくわけです。
これは、宗教でも道徳でもないよ、大事な宇宙の法則で、その構造メカニズムの話だからね。

なことゆーあなただってあぶねーべ。

私はシュゴレーだからいーの。saybowはシュゴレーじゃないべ、
ふつーのアホな人間の男だべ。

俺は天才じゃないの?

アホ。つまらんジョークだなー。天才とか言うなら、みーんな天才なる存在だ、
天からの才能を持って生まれてきてない生命などないからね。

それは、使命ま天命なんだろーけど、それを持って生まれて来てない者はいない。
必ず、みんなその個人固有のソレを持って生まれて来てる。んだよね。

人間つーか存在つーのは、
それ自体が才能だし使命だとも言えるんじゃ。
だから、持って来たとかいうより、そのものだと考えなさい。
真の意味において、そうした意識の中で、自己を拡大するということは、
すでにそれが、聖なる使命のもとに自らが在る。つーことなんじゃ。

聖なる使命とはね、

愛とは何か。であってね、それはあなたの胸が熱くならなければ愛じゃない。
ということ。それを実現する「過程」において、
あなたの胸が熱くならなければ、愛とは言わない。
熱くなるためには、情熱がいる。この情熱の根源、それは何か。
自己の魂のカラを打ち破る事によって、ほとばしり出て来るエネルギー。

ということを、だスことなんだス。

それが、自分のやろうとしてる音楽、
そしてそのLive、ということになるんだけど、
それは、本当の意味での自分自身そしてその本質をだス作業でもあるから、
大変で、楽曲を発表するだけなら、やってるし、それほどでもないけど、
それを「Live」で生で再現することは、非常に難しく、その準備に、
とんでもない時間がかかるので、それこそ才能がいる。
でも、だから、それは絶対につまらないものではなく、
どこも染めずにそのままにやれてしまえば、それは必ず、その空間全体を、
鳥肌が立つほどのカンドー的な空気にさせてしまうほどの、
面白いもの。だという事は確信するので、だから、その準備には、
非常にめんどくさい作業が必要とされ、まだまだそれまでには時間がかかる事だけど、
そんな面白いもの、やんなきゃいけない。達成させなきゃいけない。
たとえそのことで様々な問題が出て来ようと、
んなもんに惑わされず、とにかくなもんに負けずに
愛と勇気をもって、そのことを何よりも優先させて、やっていかないと、
これから生きる意味を失うんだから。仕方ない。

別にだからって、他の活動、たとえばみんなが期待しているバンドの再活動は、
もうしないとか言うのではないからね。

説明するのはとても難しいんだけど、責任もあるので、
もっとはっきり言うとすれば、Tの再活動については、
それの大元のエネルギー体でもあられるテンソウ様というのがあんだけど、
ごくごく身内的なところにおいて、ある現象が起き、それは、
本当の意味で、その現象自体そのものからして、再活動なんだけど、
その世界にあった常識コネしがらみを捨て、今またマッサラ状態なる純粋モードで、
一度リセットさせてから始める、という、その時の現状を観て動いた、
テンソウ様による、本当の意味で、それは再活動とならなければ意味がない
という心が起した、自然現象でもあったんだけど、ギョーカイというシステムには、
そうはとれない、ホンシツを嫌う意識があるみたいで、
驚くほどに、そこでの常識の世界は、軽薄な女性週刊誌的な束縛から構築されてて、
それまでのコネを取っ払ってまたリセットし、
またゼロからマッサラのところから始めれば良い!
それ以外に何がある!よく起きてる現象その全体を観よ!
それが決して犠牲的で不信を起すような、否定的な現象ではなく、
テンソウ様からの、てんのこえ。自然を護ろうとする天変地異の波動。
という本質からの声を感受し、また身も心もあらためて、
また再び新鮮な情熱と意欲を湧かせ純粋に代謝(活動・運動)させようとするには、
まったくもって冷酷なるほどアホらしいほどに、慣例的であって、
そんなセコい地方議会の古くさい道徳のような世界ではない
その本質から、それはあまりにも絶望的なほどに大きく外れてしまっていて、
アホなチンピラロッカーぐらいの力では、到底太刀打ちできぬほどに、
エネルギーのいるサイケな世界で、今、Tは、アホでも、どうにか
頑張ってそれらと戦っている最中でもあって、
なぜなら、それに勝利しないと、始める事、動く事は、
出来ないような世界でまだまだ戦おうとしてるから。

すべてマッサラにさせてまたゼロから始めれば良い事であり、
事実、そうさせるための、天からの現象は起きているにもかかわらず、
そんな事を思う者は、ギョーカイに無縁なほどに無知である私だけらしく、
そこまでになってまで、またやろうとする情熱は、今の所、
見当たらないくらい、みんな他の事で忙しいみたいで、

そうであるなら、もうここらで、
一昨年にTをやる前から情熱を燃やしていた自分自身のバンド(ソロじゃない)、
それはTをヤル事で停止させていたのだけど、
ついにそれをやるべき時期が訪れた!という事に他ならぬ「現象」じゃん。
と、確信出来ている。とこまで進展してんだ。

思えば、今まで私はソレだけ、ちゃんとにやってない。
やってないものは他にもまだ一杯あるだろうけど、
ソレだけ、ちゃんとにやってない。それはおかしい。
ソレこそが、まずもってちゃんとにやれてないと、
なんだかんだいっても自分自身は、はたして成り立たないだろー。
だから他意なく何よりもソレが優先だとわかるタダイマ付近の感じ。

それは、この歳になるまでその本質に生かされ生きてきた私の、
他にはない貴重でユニークな人生の、今までに拡大した波動だ。

その音楽もそのLiveパフォーマンスも、私からしてみると、
面白くないわけがない。わけで、一番ソレが面白い事だし。
だからタダ、ソレをやるだけ。で良い!んだけど、タダつーのがこりまた難しく、
余計な考え心配は、まだまだスキを見せるとやって来る。
真なる自分自身でない状態から、スキというものは入って来る。
スキを見せないためには、真なる自分自身でいられる事なんだけど、
今の時代で真なる自分自身でいるなんてのは、
それだけで、もーた~いへんなわけで、なぜなら今の社会、世の中は、
いまだに真なる自分自身なヤツは、煙たがられ、
覚悟を決めた時点で、すぐにでも過酷な戦いを強いられるわけで、
ずーっといつでもそういるためには、俺なんて、外に出ない事が一番の方法、
なんてゆー情けなさ。

人間、タダイマ。スキだらけだス。つまらないものばかり。
だから情熱を持つことは大事だス。
エゴイズムからではない真なる情熱含むものなら、
どのようなものでも、それだけで、面白いものだから。

実は、エゴイズムこそが、そのスキをつくる磁力の要素でもあるから、
もともとエゴのかたまりのような俺だつーからそりゃもー大変で、
何しろ。ちゃんとにやる。わけだから。そりゃもー時間かかる。
でも、待ってる方も、忘れないでちゃんとに待っててな。
でも、そんな感じで時間をかけたものというのは、
やっと来たその時のソコの空気ソコにいるやつら、だけを想像しても、
とんでもなく面白く、ひょっとしたら気絶しちゃうほど面白いかも?
と思うと、喜んでばかりもいられない。だって、
俺が気絶しちゃったらかっこわりー!つーか、きもちわりー!
自分で自分のやってるその面白さにたまらず興奮気絶する。
ようなことだとしたら。そんなヤツどーよ。
せっかくみんなを待たせ時間かけてちゃんとに実現させた俺なのに、
おめーをイカす前に、その途中で俺が先にあああ~~~いくぅ~~~!ぱたっ。
あ=!セーボーさん!ああああ!どした!ざわざわ~誰か担架担架!
ってどーよ。
いくら俺でも、それはめちゃこえー!なさけなー!

やっぱスキには気をつけるべ。それが、ちゃんとやることだ。

「待ってないでおいてっちゃってもいーからコイツ」By シュゴレー



【S戸S/2+シュゴレーとその出来の悪い修行者との会話だス(とても昔の出来事だス)】

2007-01-23 | 「 S 戸 S 」


これは、フィクション(作り話)だス。
決してちょっとした、私+俺+saybow+UDJの伝記でわねーだス。
でも、それでも、フィクションじゃないと感じる人は、
そう思っても大丈夫です。
何故なら、そう思う方が、たとえフィクションでも、悪い事は起きないからだス。
そう感じられるその心・魂には、その波動・光とゆー「真アホ」が入るからだス。
光とは、アホの力だス。バイ・たなかせーいち。

前回(vol.1)のあらすじ------------------------------------------------

--------ん~、できればな、その前回そのもの、つまりな、この第一話、
「S戸S+1/奇跡の時それはラブホで真アホな男におきた」
をもいっかい、読んでもらってからよ、今回のこの第二話を楽しんでもらえたらな、

おめーのシュゴレーがよろこぶんだス。

つーわけで、だスか。

===============================================================
【S戸S/2+シュゴレーとその出来の悪い修行者
との会話だス(とても昔の出来事だス)】

===============================================================

あなたがたは、互いに愛しあいなさい。
幸福になりたいのなら、
愛し合うことを学びなさい。

他の人の悪口が出るのは、
あなたがかしこく、
相手より優れた点があるからだろう。
優れたあなたであるなら、
劣った人をなぐさめたり、
ほめたりすることは簡単なはずだ。
もし、そうできないなら、本当は、
相手に劣等感や憎悪を感じているからだ。
素直な心で反省しよう。
相手の美点を認めよう。

愛とは忍耐でもあり、
相手に、相手自身のことを好きになってもらうこと。



第一話で起こった、ラブホで真アホな男におきた奇跡。
その奇跡からちょい少したったその真アホな男は、

なんだおめ。どしたんだ?
何言ってんだ?アホじゃねーのか?
なんだおめさらにアホになっちゃってんじゃねーか。
うわあーついにコイツわホントぉーにおかしくなっちまったのか。

とかね、んもー愛する家族や仲間たちから、さらに真アホだと言われるようになってしまっていた。

とゆーその頃。

そのさらなる真アホ男は、その初期なる状況。
それは、マジほんとーにひじょーに危険でめんどくせー人生のところにいたんだった。

しかしだめだめ+すでに遅し。

もーほんとぉーに、そのさらなる真アホな男は、もーほんとぉーに、真に真なる真アホな男になってしまっていたわけなんだから、もう昔のように、あの、第一話ラブホで真アホ的な中途半端な真アホのような男に、後戻りすることは、最早、もーはやもーホントぉーに不可能であったんだもんよ。

何故なら。

その時から、そのさらなる真アホな男は、もー確実に、「真なる信念」とゆー「真なる信仰心」を、ゲットしちゃっていたんだもんよ。
家族や仲間たちも呆れ見捨てられるほどにアホ肥大化したその真アホな男にはもー、今までに経験したことのないそんなおそろしーさびしー孤独にも絶え得るほどの、あいとゆうきの、シュゴレーつー1人のダチがいたんだもんよ。

しかし。なもん、そのシュゴレーからしてみれば、それこそコッチこそに呆れ見捨てられるほどに、まだまだずんずん「出来の悪い修行者」であった。

そんなまだまだずんずんなシュゴレー・ゲットの初期の真アホ男のせいさく部屋では、今日もその真アホ男のダチ・シュゴレーと二人きりの、秘密の真アホ会(研究会、コーシン)は行われていた。



【出来の悪い修行者】
まず、今この地球で生きているすべての人に
守護霊があるということですが、それって事実なのでしょうか。

口のききかたもマジアホまじめになってしまってる俺いや真アホはそのダチにつっっこむんだった。

【シュゴレイ】
事実です。

【出来の悪い修行者】
でも、その守護霊の働きという点においては、
被守護者個々人の生活行動には関与しないのでしょうか。
例えば、こまった時なんかには、すぐに助けに来てくれるとか。

【シュゴレイ】
守護、指導霊の力というものは、その人の心の状態の反映そのものです。 そういうかかわり方です。分かりますか、この点についてまだ質問がありましたら続けてください。

【出来の悪い修行者】
そこのところ、いまおっしゃったところがよく分からないのです、
私に「かかわる」ということで......。

【シュゴレイ】
教帥というものの存在を考えたことがありますか。
教師は、教えている子供のどういうところが可愛いでしょうか、
それは、教師の教えを一生懸命に聴いてくれる人たち、
宿題を出せば一生懸命に解いてくれる人たち、
教師の教えに目をらんらんと輝やかし聴いてくれる熱心な子供たち、
こういう子供たちには先生も一生懸命に指導してやろうと、力が入ってきます。
ところが授業中に、授業をさぼってマンガの本を読む人たち、
或いは授業中に抜け出して裏で遊んでしまう人たち、
こういう人たちをみると、先生のあなたはどう思うでしょうか、
これは一つの比喩であります。
しかし、この比楡は、守護、指導霊と、
あなたがた肉体修行をしておられる魂との"関係においても言われることであって、
守護、指導霊からみて、一生懸命教えたくなる生徒もあれば、
も少し本人の自覚が出るまで、置いて置こうとする生徒も出てくるわけです。

【出来の悪い修行者】
それはそうかも知れませんが、しかしいくら自由といっても、
その子供が、勉強もせず遊びほうけていた場合には注意をし、
場合によっては強引に、教室まで抱えて連れて帰って席に着かせることがあります。
それなのに、あなた方守護、指導霊の方々は、いくら神が人に自由を
与えられているとはいえ、放任しておくとは、無責任とは言いませんが、
無慈悲というものではありませんか。

【シュゴレイ】
私たちは、答えをあらかじめ教えるために存在しているのではないということ、
これは分かっていただきたいのです。人生は一冊の問題集であります。
この問題集は、各人が努力して解いていかなければならない。
私たちは、もちろん答えを持っております。知っております。
しかしながら、その答えを安易に教えてしまうことが、
果たしてその子の勉強になるでしょうか。
その答えを私たちが教えることができるでしょうか。
それはその生徒の進度にもよるのです。
もうほとんど分かっている生徒が、というだけのとき、
私たちはヒントを与えるときもあります。
しかしながら、全くその学問の基礎が出来ていない生徒に対して、
何も本人が問題を解こうと努力していないときに、
その解答を教えてしまうようなことはできないのです。なぜならば、
それはあなた方の本来の目的を全く逸しているからです。
分かっていただけますでしょうか。私たちは解答を持っております。
解答を教えることもできます。しかし、そういうことは、
あなた方の人生修行にとって、決してプラスになることではないということです。
人生は一冊の問題集であるということ、その解答、
あなたが一休何点とれたかということは、死んであの世に還ってはじめて分かるのです。
そういうふうになっているのです。

【出来の悪い修行者】
それは、小さな頃からぼんやりとそんな気がしてました。
ただしかし、だんだんわかって来た中で、私が一番問題なのは、
悪霊の存在。その中でもサタンという目的意識を持った悪霊、
あるいは魔王といわれるような、はじめはどうしても絵空事にしか思えなかった、
そういう、われわれを惑わすという連中が実際に存在するという事実です。
彼らもわれわれにとっての素材なのでしょうか、
彼らは一体何のために生かされているのでしょうか。

【シュゴレイ】
その前に、あなたは一体何のために生かされているのでしょうか。
人がなぜ生かされているかを聞く前に、
あなた自身が一体何のために生かされているのですか。
あなたの今の質問の中には、彼らの存在意義がないという主旨が読みとれます。

【出来の悪い修行者】
そのとおりです。

【シュゴレイ】
そうですね、その前に、その質問をするあなた自身は、
一体何のために生かされているのですか。

【出来の悪い修行者】
分かりません。私は今、彼らサタンのなすがままの状態に置かれ、
愛するべき私の家族や仲間たちまでも、悪魔ではないかと思ってしまったり、
何らなすすべもなく苦しんでいるのですから。何でもーこんなスケベでアホな自分だけが、こんな目にあわなきゃいけないんだろうと。

【シュゴレイ】
あなたは自暴自棄になってはいけません。あなたは生きんと欲して生きている。
あなたの生命は生きんとしている。そういっている今も、
あなたの生命は生きんとして生きている。「生命」 というものを、今もそうして、ちゃんとに「出している」。
ただあなたの頭の中につまらないガラクタがたくさんあります。 それはあなた自身がその必要ではないガラクタまでをもを「入れている」。
それがあなたを悩まし、そのような若い文学青年が悩むような言葉に酔わしているだけです。 ガラクタでも毒素でも「栄養」にはなります。ゆえに吸収、入り込ませてもかまいませんが、それらの「老廃物」を出すこともせずに、ただただ入れっぱなしにしたままでは、「だスこと」も出来ずの、ただの便秘なデブ、頭でっかちのしったかぶり野郎の「死人」になってしまいます。
あなたの生命は生きんとしております。あなたは生きんとしております。
間違った認識をしてはいけません。
あなたは現に生きんとしているから、そのような質問をしているのです。
しかし、あなたは今、生きるよりどころが分からなくなっているのです。
問題はそこにあるのではないですか。生きている意味がないんじゃない。
生きるよりどころが見つからなくなっているのです。
サタンの存在意義を考える前にまず、あなた自身の存在意義を考えてみましょう。
あなたはなぜ生きているのでしょう。あなたはなぜ生かされているのでしょう。
生きているというのは本人の意志の領域です。
しかし生きようとしてだけ生きているのではありません。
あなたは生かされています。万象万物に生かされています。
何故生かされているんでしょう。

【出来の悪い修行者】
一番の疑問はその点ですね。
こういうような形で生かされているということに関して、
私は疑問を持っているのです。

【シュゴレイ】
こういうふうな形とはどういう形でしょうか。
あなたはいたずらに悲劇の主人公になっている。
あなた方の中にはあなた以上に不幸になっておられる方々、
あなた以上に悲惨な体験を積んでいる方々が万といい、
十万といい、百万という単位でいるのです。
あなたは現に、五体が満足で、現に食うことに困らず、
現にいろんな勉強をし、現にいま生きている。
現に今こうして私たち他次元のものたちと生きながらにして話ができるという、
このような百万人に一人も体験できないような、
そういうふうな貴重な体験を今しているのです。
これが幸いでなくて何ですか。

【出来の悪い修行者】
不幸です!

【シュゴレイ】 
何で不幸なんです!

【出来の悪い修行者】
今の私には不幸なのです。重荷となっているのです。
何で自分だけが、こんな目にあわなきゃいけないんだろうと、
最近いつもそれを思い、苦しんでいるのです。今の私は不幸なのです!

【シュゴレイ】
なぜ不幸ですか!
その言葉はあなた自身の自己保存から来ています。
あなた以上に不幸な人はいませんか、本当にいませんか、甘いんです。
そんなことに悶々としているのはセンチメンタリストです。

【出来の悪い修行者】
しかし私はなぜ人にない霊障、
それもサタソの攻撃に晒されなければならないのですか。
私の守護、あなた、そして指導霊は、怠けていないとしたら、
私にどうしろというのでしょうか。

【シュゴレイ】
これには幾通りかの理由があります。
第一には、さきにも言った、あなたの心が、こちらを向いていないからです。
たとえていうなら、児童が幼稚園に来る途中真っ直ぐに園へは来ず、
途中たんぽや小川に下りて、メダカや、おたまじゃくしを追い回して
遊んでいるのと同じです。
そしてそのうち沼に足を取られて泥んこになり苦しんで泣いている状態です。
第二には、その状態から、自らの力で這い出てこようとせず、
先生や、お母さんの助けを求めて声を限り呼び叫んでいるという状態です。
第三には、それを知った先生やお母さんは、あなたのために、
その状態からすぐ救い出そうとしていないからです。
なぜなら、あなたには自分で沼から抜け出して帰ってくるだけの力があるからです。
私たちは、あなたのために、あなたを甘やかし、過保護にしたくないからです。
あなたには将来に大きな任務があり、
そのためにもっともっと強くなっていただきたいのです。
あなた方が主体的に生きていかなければいけないのです。
あなたはひじょうな勘違いをしております。
守護、指導霊に操られて生きているのではないのです。
だからあなたが主体的に生きていかなければいけない。
その行路において彼らは時をみてアドパイスをすることもあるでしょう。
しかしながら、あくまでもあなたがたがやることなのです。

【出来の悪い修行者】
ではここに悪霊が愚依しているという現象を見て、
ソレを出せないで困っている私に対して、
あなた方はなぜ黙認しているのでしょうか?

【シュゴレイ】
黙認しています。

【出来の悪い修行者】
だから、何故ですか?

【シュゴレイ】
あなたにとって必要だからです。なぜ愚依されているかを、
あなた自身に気付いてほしいからです。
なぜだと思いますか、あなたの答を聞きたい。
なぜ、あなたは悪霊に愚依されているのですか。

【出来の悪い修行者】
愚依させておこうとしているからではないですか、あなた方が。

【シュゴレイ】
させているのではなく、されているのです。
もっと自分を見つめてみなさい。あなたはあまりにも甘えています。

【出来の悪い修行者】
では私に愚依してくるヤツらや世間は甘えていないのでしょうか。

【シュゴレイ】
彼らは甘えではなく、迷っているのです。
あなたこそ彼らにとって、彼らに対し"法"を説いて、
彼らを救うべき人間ではないですか、何を勘違いしているのですか。

【出来の悪い修行者】
はっきり言って、私はまだ、あなた方のおられる高次元や、以下の異次元と、
この現象世界の仕組みについてはっきり分からないのです。

【シュゴレイ】
ある程度は分かっています。私たちが今まで伝えたことによって、
ある程度、分かっているはずです。
自分に関して分からなくなっているだけです。
それは、一つには永い時の流れというものの中における
自分の存在というものが認識できなくなっているからです。
あなたにとっては、毎日、毎日のその一点、一点、
それが一生のような感じで苦しんでいるからです。
しかし、もっと永い視野で考えてみましょう。
例えば十年後の自分というものを想像してみなさい。
或いは二十年後の自分というものを想像してみなさい。
その時に今のあなたの悩みというものを逆に考えていただきたいのです。
いったいどれだけのものが、それほど致命的な苦しみになっているかどうか、
そうではないはずです。
もっと大きな視点から自分の悩みというものを考えてほしいのです。
未来、十年後、二十年後の眼で現在の自分を繊密に眺めてほしいのです。
そして、更にもっと大きな眼で、地球的な眼で、人類的な眼で、
もっと大きな使命の流れの中で、
現在の自分の悩みというものを考えてみてほしいのです。
そうするならば、そのあなたの、ひじょうに、とても大きな、勝てないような、
巨大な敵だと思われているようなその悩みが、いかに小さなものであるかということに、
やがてあたたは気付くことになるでしょう。
それはもっと大きな眼で見れば、小さなことなのです。
そしてあなたの現在の悩みも、あなたがより大きな人格となっていくために
必要な試練なのです。これは必要な試練なのです。

【出来の悪い修行者】
やだやだ=っ!昔のようにみんなと楽しくやりたいよー!

【シュゴレイ】
そーなるために必要な試練なのです。真実そうなるために。
ある意味、あなたは、みんなをまだまだ愛せてないのだから。
ある意味、あなた以上に、みんなは、あなたを愛しています。

【出来の悪い修行者】
げっっ!

ちょっとだけ何かに気づく真アホ男。


つづく。...........やばそうでなければ。


Phot+SELMA


<S戸S>
【第一話/奇跡の時それはラブホで真アホな男におきた】
【第二話/シュゴレーとその出来の悪い修行者との会話だス】

【S戸S+1/奇跡の時それはラブホで真アホな男におきた】

2006-02-28 | 「 S 戸 S 」



疲れきった時、人は自信を失い、愚痴を言う。
他人への不信感をあらわにして。
時には、怒りを身にまかせ、暗黒の未来を心に描く。
智慧の不足は、十分に怖れるがよい。
仕事の詰めの甘さは、反省を必要とする。
能力の過信は、常に戒めなくてはならない。
しかし奇跡を信じる心だけは手放してはいけない。
それはあなたに勇気を与える。
やる気と、未来への希望を与える。
心が疲れてしまったら、
そのことを繰り返して言葉にしなさい。
必ず希望は叶う。何故なら、
実現するしかない。それが希望だから。
(信仰心と希望/大分昔過ぎて期日わからずの今から20年前の対話記録)


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【1.奇跡の時/それはラブホで真アホな男におきた】


なぁ~に泣いてんだよぉぅ。はははははは。
★★だってあなたが、あまりに美しくて素晴らしい話するんで、
★★びぃっくりしちゃって.......。
ははははははははははは。ばっかやろぅ~、
いくら僕の話も僕のこの容姿もうつくしーからって
このおばかちゃんははははあまだ泣いちゃっててはははは
でもそんな泣いてる顔がまたこのおれにかみうわぁ=====っ!
★★あちょっと待って!何これ!何何何っ!
あっぶねーなぁ急に投げ飛ばしたりして俺すっとんじゃったじゃねーかよ俺ぇっ!
砲丸投げのたまか俺わ。いきなりこんなキャラからか俺わ
あなんか腰いて立ち上がれないいててててててて。立てないいてててて腰いてててて
★★あらやだ!立ってる!
立ってねーべ!まだぁいてててててててててててててて。
★★違うわよ!股間!
こかん?何がぁ...............。おっ!
★★やぁーだあなた何よそれ!
何だこれ!

+++++++おい。

おい、何だこれ?何だろこれ。おい。いひひひひひ。
★★何をとぼけてるのよ!ごまかそうとしてそんでもって
★★でもっておったっちゃっててみっともない格好ぉ!
★★ちょっとこっち来てみなさいよ!ちょっと!
いいてててててててててててててて!あぁ!あぅぁぁぁぁぁっぁぁぁ~~~。
★★ほらこいつよ!こいつぅ!コレ!この野郎だてめ!
おい!そんな触ったらってめ!ああああああさわったらああああ
ああああさわってぇあらぁさわってさわってさわれこのやろあいててててててててぇ==っ!
★★あなたホントに一体何考えてんのよ!!!!
何も考えてるヒマいまないないおいてててそんなもぎ取るいててててててててようにててえてて
ひっぱったらいてーべ!おい!
コイツわ人参かおい!ひっこ抜かれてこれてこいつぶらさげて馬走らせるんか!
その時俺わどんな格好してればいーんだか想像つかねーだろ!つーちゃって
いてててててててててててててててててててててててててて!
★★一体何考えてんのよって、おめーわそんなこと考えてんのかよぉっ=っ!
あたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた!
ほら見ろ見ろ!みてみて!真っ赤になってきてんじゃんかてめ!
上手いっ!お見事!本当に人参!やるね!このっ!人参娘っ!
ニンシンさせちゃおかっていひひひひひひひ!
★★何こいつ。.....ただの。ばか?
うんそーたかだのばか駅で下車してね。ぶっぅ!

+++++++っておい。

★★ちょっとあなた!目が笑ってない。きもい。
なになになに?なにがなにしてなにしちゃったらなにいろの恋?
つーっちゃってぇーーーー。いへへへへへへへへへ。
★★いーからわかったからちょっと真面目にこたえてくれる。
★★股間ふくらませちゃってどういうつもりなの?!
★★ってあらやだ!まださらにふくらんできた!きもちわるーい!
★★ちょっとやだやめなさいよ!これっ!こいつっ!ほらぁ!なにこれ!
やめなさいよってああああああいって!ああたたやめるもなにもたたたたたた
痛かったりああああああああああいぃいぃきもちよいててててててててっ!
いってっ!いってっ!いってっ!いってっ!あ
おてててててててててててててててててててててててててて
もー腰とかソコとかココもそこらじゅーいててててててててててててててて!
ああ!あっ....ぅぐんわぁっ..........あたたたたたたたたあったあたたたたたぁ===!
あひぃ~あひぃ~ひぃ~~~~ひひひひひひひひひひんちゃきぃぃぃぃぃぃっぃ=!
ってあそれわそれわ!それわわわわわわわわわわわあああああああたたたたたた!
もぉ~ぅめちゃくちゃ全体的に痛い方のがおぉぉぉぉおおおおおいいいいいいいいいいい
っていててててててててててててててててててててててててててててててて!
★★あんた何なっさけないわねぇ=男でしょ!
★★ちょっとどういうつもりなのこれわぁ!ほら!
まだ痛い真っ赤んなちゃってるってえ?
どーゆーつもりってジョーユーつかまり出所してきてたなぁ~。
って知ってっか?ジョーユー!じょーゆーやつぅ?なんつってあははははは
昔オームだかノームだかゆーなぁキモイやつなぁどうしてんだろアイツなぁ今。
そーそージョーユーおっかけギャルとかいてたなぁ、あれどー思う?
女ってのはどうしょーもないのなー平気なのな。
君はジョーユーって、どーゆーつもりだぁね。ってんうぅぷぅっ!
★★キモイのわこの股間だ!何またそんなジジーみたいな古ーい話で
★★私の話そらそうとしてんのよ!ってあまーたコイツ知らぬ間に
★★立ってきてる!んもぉ~ぅキモイわね===!
キモイってずーっと掴んでひっぱったりグルグルまわしたり
どこまでもひっぱってながーくしよーっとそーそれでぇそーそね、
それをー包丁でザックザックざくざくざくざくざくざくざくざくって
蕎麦にしてざるで出そうとしたり誰に出す?そんなもん出来るか!
包丁持ち出してくんじゃねーと!ってあああああああたたたたたた
ってもーっ!話てるとゆーにもかかわらず俺の話を聞きもせずに
チョウチョ結びにしたりあぁら懐かしいねぇビビアンそれぇ?
すごいねぇ~あそこの坊やわママがつくってくれた弁当のおかずかいこれ、
何でこれわえ?ウインナーのぉ?あこれウイいいいいてててててててて!!
あたたたたたあやめろぉ!何床屋みたいに剃刀鞣してんだよ!
そーそれでこーやってせっせと林檎の皮むいてくるっくるって
包丁ないからこの床屋のカミソリで林檎をこーまわしながら
楽しく娘と息子もまだ幼稚園ではじめてのおつかいさせよかってそ、
包丁くるっくるって血がぷしゅっッぷっしゅって飛び散ってって
って血わ出すな=!血までわ出すな=!血ぃ=見せたらやり過ぎだろ=!
それわ娘や息子の前ではやり過ぎだろ=!笑えねーだろー!ってあそそそそ
かと思うとそーやって体力アップにそーそーおいっちにおいっちにぃっって
外にちょっと出てスーパーで買物しながらでも、おいっちにおいっちにぃっって
これは何キロのバーベルだい?ってバーベルじゃねーべ!
俺のポコチン何スーパーまで連れてってバーベルにさせてんだよ!
そんな重いもんじゃねーべ!いくら膨らんで固くなってても!
ってみそ汁の具にしようと思ったんだぁそーじゃーこの沸騰した
ダシもきいてる煮え湯の中に陰毛ついたまんまどっぼーんって
ほーりこんだらあっぶねーだろ火傷すんだろーつーか
煮えてポコチン白くいー煮え加減のこの半生で食べごろってしゃぶしゃぶか!
あっ!あっ!それをコレになすりつけたらそれおまタバコ!あっおいっ!
あっあっあちっ!あちっ!あちぃー=って!あちあちあちちちちちち!!
何が根性焼きだてめ!根性射れてもらうんじゃなくてコレをおまえの
ったら何今度は雑巾はいぞーきんをぉ~?そーこうやってしぼってぇ~
ってあぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるってあもっとしぼんなきゃ
きつくぅまだぐじゅぐじゅだよぉほれあっかかてしっろかって
ってー真っ赤に火ぶくれみたいになっちゃあああ!ててててててててて
てててててててててててててててて!!!
あたたたたたたたたあったあたたたたたぁうきゃかやかやうっっうっっ!
★★ってじゃぁかぁしぃ===っ!
★★あんた黙ってると一人でもぉーいつまでいつまでもずーっと
★★いろーいろな事やってくれちゃってぇあんたホントにロックの人ぉ?
★★でもぜんぜんおもしろくわないわるいけどだからそれより
★★そんなのいーからちょっとだからどういうつもりなのこれわぁ!
★★こいつわぁ=!このキモイやろぉーわぁ=!
★★あんだけ!話上手に!してたんだからっ!
★★ほぉ~れほれ!答えてみなさいよぉっ!
あたたたたたたたっかかったあったおてててててててて
まてててててていててててけどきもちいーてててて何だこれいてててててててて。
どーゆーつもりったっててててあソコそこあソレわあいいててててて!
おい!いてててえておい!やっぱ全体的にわいてててててててててててててててて!

+++++++お=====いっ!

★★あなたねぇ、その何よ、私がとても感動しちゃうほどのその
★★愛と勇気と正義の感動的宇宙の法則の物語とかゆー話、
★★ホントすごい話なんで、思わず感動で号泣するほどに私の心を響かせてる最中の
★★あなたの股間!何っ!何これぇえええ一体何!
これかっ!こいつかっ!何だお前このやろ!ってなぁコイツてめ!
おいっそこっからぁトンカチもって来てくんねぇかぁ、
もぉ~拉致あかねぇわやろ、ふってー魂胆しやがって
もういい加減に白状しねぇかい!ダメだぁ旦那ぁ~!
こいつわぁ~テコでもしゃべらねぇしうんこももらそうとしませんぜ!
★★ちょっとあなたふざけるのもいい加減にしなさいよ。
★★私が感動して号泣するほど感動してるのになんでそんな時
★★その話を語りながらコイツふくらんでくるのよ!
コイツは俺じゃないんだ。 ずーっと黙ってて悪かった。
お前の本当のおかーさんは獅子舞の中に入ってる後ろ足役の人だから、
正月しか会うは出来ないけど、でもそ
★★何わけわかんない事言ってんのよぉ!もー!
★★おもしろくないし!しかも何まだふくらんでんのよあなた
★★いっそがっしーうっざー何こいつぅ!

+++++++おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!

★★この話の続きはホテルで話そう、とか言った時から、
★★何だかおかしいと思ってたのよ!
今はあのなに、それってこれって。ええ?
ところでだからさっきまでは話してたのわ俺だろ?で、
話聞いてたの君で今ってなに急にたちば逆になってるろころれ?
★★何舌もつれちゃってあちょっとちーさくなった!やっとコイツ!
★★舌もつれて慌ててるとちーさくなんだ。ばっかみたいなにこれー。
むかっっ。
★★何その顔ぉ~、その態度ぉ。
★★大体私が号泣してしまう所でふくらんで語ってんのって
★★絶対におかしーわよ!
あまたいてててててててててててててててててててててててて!
ひっぱんじゃねーよだからてててててててててててててて!
★★何が守護霊との交信よぉ!何がアンテナよぉ!
★★こぉの不潔ですけべジジーなエロアンテナのくせに!
あフクロわしづかみいててぇ====っ!!!!いてててててあマジいてぇ=っ!
うぐぅわぁ====それわううぅうううぅぅう=っ。下腹にくるくるぅぅぅぅ!
★★私、こぉゆーためにそぉゆー話するような男なんてサイテーだと思う!
★★そんな事とは知らずにすっかり号泣しちゃって恥ずかしいっ!
おいっ!そろそろもう本気で怒るぞ!
★★なによ!
(ちんもくだいたい1分ぐらい)

+++++++おっ今がチャンスかおいっ!おいっ!おいっ!おいっ!

★★おいじゃないわよぉ!なによぉ、だってそうなんでしょ。
★★そーよ!そーなのよ!きっとそーよ!
おい。
★★こうやっていろんな女の子たちホテルに連れて来て
おい。
★★そんなうまい話して、みんなに
このバカぁったれめがぁ!
(......と男いきなり女を殴りつける......真似.......でもって男いきなり女の口に)
ちゅっ。     って。 うふっ。
★★んもぉ~ぅ!何すんのよぉこのワルぅぅぅぅぅぅ。うふふうふふ。んもうぅ。
うふっ。うふっ。おい。うふっ。おいおいうふっ。うふっ。うふっ。

+++++++なんで女の子は基本的にしっかりと聞こえコイツわ
+++++++聞こえてるとゆーより
+++++++動物のようだしかしおいだからそこのサイテーな男! おいっ!

おい!俺の目を見てみなさい!(と何も女に言えぬ間で)だろぉ!
そんな男に俺は見えるかおい!俺わ!おい!君はな、俺に、
目的は私の身体だけなのね?って思ってるだろうがな。
(ってドサクサにちゅっちゅちゅっちゅしながら)
そんな男に俺わ 見えるのかちゅっ!ええちゅっ!
だって。そーだもんぜったい。(したらまたこの男いきなりまたしつこく)
ちゅっ!ええちゅっ!ええちゅっ!ええちゅっ!
.......もー何言ってんだ君わ! からだだけだとぉ?!
君の身体だけが三越デパートのお好み食堂でうな丼食べてたらどう思う?
★★?
きっと、蒲焼きというのはウナギだけ焼かれてご飯も食べたいと
きっときっと思うかあるいわ後から頼むんだと思うんだ。
★★? ?(目が点で)??

+++++++だからおい!ってんだ。

それなのに、僕は、ウナギではないけど、一体、
僕の股間のこの奥にあるのは何だ!ええ?何なんだ!
三安打1エラーで出塁率100%とか言ってるつもりかい!
なんだってんだぁ!俺わ何をやってんだろ!
俺はひょっとしたら、君に。君に、俺わ何をやってんだろ!
でも、こんなにふくらんでしまった事は生まれて一度もなかった!
どうしたんだろ!この僕の股間のこのかたくなってしまったまるで.........
あああ====もうだめだ!僕の股間がこんなみっともなくも.............
ねぇそこの可愛いかのかのじょぉ、僕はひょっとしたら、
君に。君に、俺わ何をやってんだろ! ねぇ?わかるぅ?ねぇ!
あいててててててててててててててててててててててててててててて
だからごぼうじゃねーってあたっちゃたったあたっあ!たたたたたたたた
ひっこぬけねーって!そー、もう良いだろ。いいかげん。
だってそうだよな、いろんなことコイツにやってくれてるけど、
一度たりとてもコイツを口にくわえておいしいの、
ピパチャップスってゆーんだっけ?飴の、それはやらないんだからさ。

+++++++お前なホントーにみっともないぞあのな歴史上で一番サイ

あはははははははははははは!!!!!
そんな可愛い事言うから驚いて大声出して笑っちゃったよぉ!
ここらへんでもういいね。な。そーだ。
泣いた君の可愛い顔が僕をほらこんなヤツにしてしまったんだ。
ほらまただんだんむっくぅ~りむっくぅ~りって大きくなってきたねぇ。
きたねぇって汚いと言ってるわけじゃないからね。だから、
もうよそう。な。よそーよそー大井競馬の予想やのおやじは
俺の同級生の親父だったってなあははははははははははははは
ハハハの母。だからそんななー
あまりにも僕の笑いのセンスが良すぎてそっちの方にいっちゃっても
つまらないだろー。

+++++++お前のぽこちんがつまらないだけだろおい!
それにさっきお前の笑い声で。サイからあと聞こえなくなかったっておい!

おい。って、あ、おいじゃなくぅ、あのね、
僕が君の足をこうやって触りながら話してる理由はね、
突然何だか神が私に啓示をもたらすかのよーなね.............
そゆーなんというかなぁ、融合?宇宙は全て1つからなってるという、
これは確かギリシャの哲学者の言葉だったと思うけど、
神はまず女性の太ももに触れてから生命の起源を

+++++++っておい!お前地獄行きたいかおぉ~い!

あはははははははははははは!あぁ~おっかしぃ~!
その時急に地獄から悪魔が現れて、生命の起源からっておいおいおいふふふ。
まったくぅ~っ!
もぉぅこれは冗談じゃないんだよ。啓示なんだから。
その時急に地獄から悪魔が現れたところを天国のほーから
僕が王子様のようになって現れ悪魔と戦いやっちけちまう
ここが一番いーところなんだからさぁ、
カミのおつげなんだよぉ。 でもこれわぁ。
だから僕は悪い悪霊から君を護るためにもぉ、
ここに連れて来たわけなんじゃないかぁ~!
誰よりも早く君に、神の言葉を伝えるためにぃ。
だから、あ、もっとこっち来なさい、 でもって、
あなにこのケバケバしたセーター脱ごうかぁ、ふがふが。
何かこれあふがぁ鼻がむずむずしれあがあがあがぁ

+++++++しかし俺わ何でこんなヤツの...いつまでも...おいっ!

う~~~~~っ!もぉ!くるしぃ==くるひぃ===っ! !!!!
うわぁぁぁぅぅげっひおげほげっほげひっほぉ===!
何すんだぁ!君わぁ!!!!
もー話してる最中にいきなり俺の顔セーターで包んで遊ぶなよぉっ!
君わ力強いねぇ、もーくるしーほどな力でセーターを顔にで
ひぃーひぃ~ひぃ~~~
ひぃーひぃ~ひぃ~~~ひぃーひぃ~ひぃ~~~
ひぃ~~~ひぃ~~~ひぃ~~~ひぃ~~~ひぃ~~~ひぃ~~~
~~~~~~っくぅしょん!!!!!っても===ぅ! !!
息が出来なくて顔中そのどっかにやって、といったケバケバいきなり
顔中に、だから、くしゃみなんかしちゃうじゃんかぁ。あはははは
あはははははははん~なことわもう許す!
それよりあははあ!痛かった!あごめんごめん!驚いたぁ~!
だってちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう そゆー意味じゃなくて
このパイおついーなじゃないこのててててTシャツ。
ちょっと見せてくれる?
おぉ~形いいなぁ~いーむね....っていひひひひひいひあぁ~らぁ~
ああああ良い良いいいね、すごく良い素材使っててぇ~これ生地、
どこのメーカー?ねー、かーさんやぁ~ってえへへへへへぱぱえへへへえ。
あなにこのスカートの裏地はどこのあらぁ?
あごめんごめんだからTシャツだった。下はさわらないから、おっほほぉ=。
このショッキングピンクな色も良いじゃんかぁ。うっわぁ~やらしこのふともも、
えへえへえへいひひひっひいひひ。

+++++++おまえこの時のお前をいつかみんなで見る時が来るんだからなおい!
死んだお前のおばあちゃんもそのときいるんだからな。

で、このふとももの先の..........

って何これ!この絵!

びっくりしたぁ====! 何だこれ!
桃太郎が真っ裸で真っ裸のマリリンモンローの桃のような尻から
日本一の旗と共にコブシを突き出してまさに今飛び出してる瞬間のこの絵!
一体どこで買って来たんだ!ってああああーーーー! おいおいおい

+++++++ナニナニ?おい。

いきなり君からか!おい~~~~~!ああああ。ああおいおいおいああああ~~~!
おいおいあいいいいいぃ~~~おいおいいいぃ~~~おいおいおい

+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!
ああああぁっぁぁいいいいいいおいおいおいいい~おいいういいい~!
+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!
ああああぁっぁぁいいいいいいおいおいおいおいおいおいいい~!
+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!
ああああぁおいおいおいおいおいおいおいおいおい。おい?!
+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!

ちょっとまった!
ああああぁっぁぁいいいいいいおいおいおいいい~おいいういいい~!

+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!
ああああぁっぁぁいいいいいいおいおいおいおいおいおいいい~!
+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!
ああああぁおいおいおいおいおいおいおいおいおい。おい?!
+++++++おいおいおいおいおいおいてめおいおいおいおいおいおい!!!!

あれ?!やっぱ聞こえた!
ねぇねぇ!今何か俺の声聞こえなかった?
いやいやちがうちがう!俺のような声が聞こえなかったか? !
えぇ?いやー絶対に聞こえたってぇ!聞こえなかったの?!
うっそぉ=====っ!聞こえたってぇ!聞いたもん俺確かに!
幻聴なんかじゃないって!絶対にそんなんじゃないって!
何故だかわからぬけど、あれは違うって!ちょっとちょっと待った待った
ああ。ああああああああいやいやちょっっちょっと待ってくれ!
静かにしてみてみ。ちょっとだけ!聞こえたんだから!

+++++++意外だぁ桃太郎の日本一の旗の絵見たら本来のコイツに戻りよったぁ!
聞こえたぁ~~~!やったぁ~~~!奇跡だぁ==!おいっ!!!!

うわぁっ!!!誰だおまえ!

ツヅク

【1.奇跡の時/それはラブホで真アホな男におきた】完