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【いきなり2つのLiveやる2/宿敵Tファンに対するせイチローの個人的対策】

2009-03-21 | ・Live
+++++++++++++++++++++++++++++++++Copyright (C)2009 TENSAW All Rights Reserved.


ども!俺、誰よりも。そーおめーなんかよりもてんそーファンの。
タナカセーイチっていーやす。またやるんですってね!
うわぁ=もうぅセーイチうれしすぅ!
もウうぅ~そう誰よりもそーそーおめーなんかよりも
ぜんぜんすんごいセーイチちょううれしっすぅ====!
だって。おもしろいものがどんどんどんどんなくなっていってる「今」だから。

このセーイチとかいうファンはうざすぎてきらいだが。

そうゆうわけで。公表されるやまたまたどこに潜んでいたんだか
アレ以来影をひそめていた「Tファン」たちの熱い「声=歌」が、
またまた再び久しぶりに、私の生活の中のいろんなところ、そーこの前なんて、
映画館の便所でウンコしてる時にも、聞こえてきたりして、
おめーらこそが復活じゃん。つーことを知っては、
またも敗北感を味わいながらの悔しい思いのタダイマ付近の感じ。

しかしその不純な無駄なものがないきれーな「Tファン」たちの存在が、
誰もとめられずにつきすすむ俺を駆立てるのエンプティタイムのタダイマ付近の感じ。

前回で書いたように「T」というのは、ファンであろうがメンバーであろうが、
みんな「T」「the T」であることを悟った私だけど、
そんな巷で聞こえる「Tファン」の無駄のない美しい「声=歌」を聞けば聞くほど、
「Tのメンバー」で「歌」担当の負けず嫌いのSeboの魂は、
その本性に火がつき、どうしてもそいつらの「歌声」に打ち勝ち、
再び優勝を奪いとらねば気がおさまらぬという、
WBCでのイチロー気分を与えてもらい、
この「SM」マニアの早熟エロ男子の私としては、
ノーヒットの不安に緊張しながらも、
とてもチンコが気持ちいいタダイマ付近の感じだス。

ここだけの話。

今や私の中での「Tファン」という存在は
「 Tメンバー」よりも勝ち数が多く、
WBCのイチローの俺として言わせてもらうと、
「Tファン」は宿敵韓国のようだ。

今まで何度も何度もたたかってきてるけど、昨日も勝ちはしたものの、
その歴史や実力やメジャー選手の数でも、
もっと圧倒的にウチの方が勝って当然にもかかわらず、
その全試合における勝敗は、
何とウチの方がダブルスコアーで負け越しているとゆー悔しさ。

「Tファン」恐るべし!

というわけで、私は、「 Tメンバー」に、ここで一度改めて、
俺たちメンバーもどんだけ「Tファン」であるのかどうか確認する必要があんぞ!
というモンがあんだけど、またまたわけわからぬモンなこといってる。とか
またまたメンバーたちをまたまた混乱させるとまたまたいけないので、
またまた口には出さずにいる。からしての、あいかわらずのここだけの話。

うーなんていえーいばいえいのだろう。

とにかく、今現在も、「 Tメンバー」よりも「Tファン」のが、
より「T」だというのは悔しい。

でも、メンバーの中で、そんなことで
悔しがってるようなヤツは俺以外見当たらない。
よくみればみんな。ドーンとしてて。安定してて。落着いてて。カッコイー。俺以外。
よっぽどみんな苦労が多かったのか。俺以外。

でも、それは「Tファン」である以上に
「Tメンバー」で在ることに重点をおいてるので、
安定してて。落着いてて。カッコイー。んだろう。

しかし、悔しいかな、私はそのバンドの
「歌手=リードボーカル」である。WBCのイチローである。
その期待(「Tファン」の歌声)と真っ向から立ち向かい
リード歌う役担当の者でもある。

しかも、イチロー選手は戦うための楽器(バットとグラブ)を持つけれど、
コッチはほとんどケツの穴まで晒さねばいけない、
身一つの丸裸の「肉声」だけで勝負しなければいけない「歌手」という選手だ。

ゆえに、再びLiveをやるにおいて今のメンバーに一番必要で大事な意識は、
「Tメンバー」の心よりも「Tファン」の心。たとえば、
「どんなTファンよりも、俺こそ、そのバンドの最大のファンだ!」
くらいな「T」への愛がないと、
共に修羅場を勝ち残って来た「Tファン」との決勝戦=再対決において、
ヤツらに打ち勝ちみごと優勝する事は、容易なことではない。
だってこれは「S=自分のソロ-バンド」ではなく「T」なんだから。
しかしそれは、他の「Tメンバー」にも同じこと。

そんなことを、チームメイトのメンバーたちに伝えねばならぬと思うのだが、
彼等は私に優しいので、まぁ~たわけのわからぬこと言ってるぅ。
とまた私を心配し、私はまたまた彼等を混乱させてしまうだろう。
となるだろうことについて、強い自信がある。

何故なら私はイチロー。私は誰よりも自信家だからだ。
そんな自信家であるなら、隠密に一人で解決しなくてはいけない。

自信家であるせイチローは、どんなことにも強い自信を持つゆえに、
このように誰よりも自信なき弱者とも簡単に成れるほどの
強い自信さえも持つのだ。

だからみんな、自信家には成らない方がいい。
みんなにはそれは出来ぬゆえに。
SもMもしっかり楽しめるドスケベになるなどむりむりふふふふ。

ゆえに。

リードボーカル担当の私にとって、
前回の北京(神戸?)のようにヤツらに優勝を奪われ、
金をとったやつらより銅もとれずの格下の「T」のくせに、
その金をとったヤツらからは平気で金をもらうさらに格下の「T」となるような、
そんな屈辱的な「T」であってはならぬのだ。の侍じゃぱ~んのココロ。
それは、「T」のリードボーカリストである私のココロ。


この時よりもそのココロ今つよしうじき

しかし。

いくらみんなが私よりも素晴しい「T」を歌おうと、
「リード」ボーカリストにはなれぬだろう?
なりたくても、それはなれぬだろう?それを誰よりもみんなは知ってるからなぁ
っっははははははははははははははははははは母母母母母母母母ぁ===!

だって私は、「T」の「リード・ボーカリスト」ゆえに、ホントーわ、
今現在の「Tファン」や「Tメンバー」にとって
まだまだ未知なる先の先の「T」を、
歌える事が出来るんだぜ。はははははは。

これが前回での悔しさと感動を同時に味わった
せイチローの今回のLiveへの気力の核と書く。

しかしそれ(先のT)を歌うことは、自分一人では出来ないことも知っている。
何故なら。それは「S=個」ではなく「T=全体」だからだ。

それは、「Saybow&the Wipers」や「G+S」では出来ても、
「 T」では、通用しないことを誰よりも知ってるせイチロー。

それは、「先」よりも「今」を歌えることこそが大事の「T」だからだ。

「T」は「T」ゆえに、決して変わってはいけないものがある。

それは、「まったく変わってないじゃん!」
つーことで生まれる感動とその価値において、
「T」に勝てるもんなどあるかぁ。という感じのものだろうか。

かたいはなしだろーけども、
固く勃起した話ということだから良いので書き続けよう。

ゆえに、「先」を知る勃起し続ける私は、再び「T」をやることで、
「まったく変わってないじゃん!」
である私に変わらなくてはいけない。チンコの具合を。
まったく変わってしまってるともいえる今の私は、
まったく変わっていない私に変わるのだ。すごいだろ。俺のチンコ。
固さをソレに合わせて自由自在に変えられるなんて。
これが「T」の「リード・ボーカリスト」誰にも出来ない芸当だ。

「T」は「先のT」など望んでいない。常に「今のT」こそが必要なのだ。
「T」とは、まずもって「Live」であるからだ。
Liveとは、みんなとやるものだからだ。
ソコで一緒に「自分」が今を生きてる事にみんなで感動する運動だからだ。

今回その「今=Live=生きてる」が行われる、
「クロコダイル」という運動場(Liveハウス)は、
古くからある「T」発祥の場所でもあり、
いろいろな店が潰れていくこの不況の時代の中で
その運動場は「今」でもなお健在だ。

それが、今回の「T」のLiveを暗示してる。
何故クロコなのかを。

またLiveで「新曲」を求める「Tファン」も多いだろうけど、
今回においては、いままである「旧曲」を
「クロコダイル」でやってた頃のように
新曲気分でソレらを歌うことにこそ、意味があるように思える。

前回行われた久しぶりの「T」のLiveでは、「夢」を実現させた。
しかしそれは「夢」ゆえに、「T」はまだまだ「夢」の中で眠っている。
そして、「T」は「みんな」であるゆえに、眠っているのは「みんな」でもある。

眠ったままでは嫌だというなら、その「夢」を実現ではなく、
みんなでその「T」を「夢」から「現実」に叩き起こす必要がある。

「新曲」をつくり発表する機会を得るのは、その時、
みんなが「T」を夢から叩き起こし、
「T」を「夢」ではなく、「今」に生きるものとさせることで、
はじめて「T」は、新生する。

そこまでの力が、私たちみんなである「T」にあるのか。

「新生」するということは、再び「原点」にたどりつくことだ。
「新曲」をやることで「新生」することにはならない。
「新生」したいのなら、「新曲」を考える前に、
まずもって再び新鮮な思いで「旧曲」を歌えるかどうかになる。
いつでも基本にもどれる事。それが、本当の実力というものだ。
そして、すべては基本から新しいものは産まれる。

私たちの潜在意識にはまだまだ使っていない力が半分以上その奥に眠っている。
みんなの本当の実力は、まだまだ半分以上が、眠っている。

過去の「旧曲」を「過去」ではなく「今」とさせることで、
眠っていたみんな=「T」は、夢から目覚め、
真に生き返り「新生」することになり、「新生」すると、
あとは自然に「次=先」に流れはじめ「原点」に戻る。
この「原点=基本」に戻ることが「新生」なのである。

まずもって「新生」することが「新曲」を産むはじまりなのだ。

みんな一緒に夢をみるのではなく、みんな一緒に夢から目覚め、
そこに、「今」を生きている「自分」の「生」な存在があることを感じ、
この生き生きとした自分は、
自然に「先」に向って進みはじめているような体感を得るようなLiveこそが、
本当の意味での「復活Live」になるんだろうにも。

またそれは、その時のバンドの力ではなく、
その時そう感じる事の出来た自分の実力であり、
そう感じた自分の受信機のアンテナの優れた感度の実力でもある。

それが、まだまだ「夢」という「WINDOW」の中で眠る、
「T」という全体=みんなの中の1部であるリードボーカル担当の私の今の。
思ぉ~うこと。だ。

つまり。タダイマ付近の感じ。ソレをココで伝える事は、
今の私の仕事の核でもある。

さぁー私たちみんなは、今回のクロコでのLiveでは、
果たしてどんくらいの
「T」の復活Liveとさせることが出来るのだろうか。

今ある私たちの力は、
果たして「自分」を「夢」から目覚めさせ、
ついに「先=次」に進む「真なる自分」となって
「今」を生きようとさせる「実力」を
そろそろ出し始めるのだろうか。

そしてそのバンドは、東京の基地=発祥地から再び飛び出て、
遠い地に住むみんなのところまでも出かけていけるだけの大きな力を
持つほどのものになるのだろうか。

それとも、またまた
夢の中だけでの現象にとどめるようなものになるのだろうか。

それは、「Live」をやってみなければわからない。
その時の「今」をみなければわからない。
とにかくそれが、私たちの「今」の「実力」になる。

ゆえにだからといって実力以上のことをしてはいけない。

今の実力は今の実力以上に今はならない。
それは「無理」をするだけのことになるからだ。
常に自分の「今の実力」に添ったところで「今」をやらずに、
無理を続けていると、「今」が過酷なものとなり、
次第にソレは山となり、結果必ず不幸になる。

実力以上なことはやらずに、
やる毎に「今の実力」を出して行けば、
目的に辿り着くことが出来なかろうと、
常にそれは「優勝」に向っている自分であり、
常に元気で幸福でいられる。だから、
常に「今の実力」を頑張れば良いのだ。
そういったところでの負けず嫌いのせイチローである。
実力以上に自信家のアホな私ではなし。

「T」のLiveというのは、
常にその時私たちみんなの中にある「今の自分」を、
どこよりも「自分」になった「自分」で
「自分」を知ることのできる運動=行為でもある。
そこらへんが「T」の「面白味」だろーと思えるのだのせイチロー。

5月のクロコが、メジャーのせイチローなら、
4月のグッピーは、もっとマイナーの「t」自分的の、
セーイチ(横浜ベイスターズの内川聖一)だ。

メジャーリーガーイチローと
横浜ベイのセイイチではずいぶん人気度違うだろうが、
昨日の韓国戦でホームランを打ったセイイチを
バカにしてはいけない。
「Tファン」としての私には、どちらのLiveもとても意味があって面白く、
どちらも人気もんである。

ゆえにそのLiveでの本当の値段(入場料)の額は、
その時のみんなの実力で決まる。

であるならその入場料は、安いよりも高額であればあるほど嬉しい。
と当然のように思えてしまえる実力を持つみんなは、
それだけでも、大したヤツらであり、
だからこそ、俺の永遠のライバル宿敵なのである。

4月も5月も、必ず勝つぞぅ負けないぞー!

つーことだから、みんなも負けるなよ。
浮かれてるだけじゃやられちまうぜ。
金はらって来るからには、その気でこねーと、
つまらねーもんになっちまうぞ。

つづく。


「だからぁゲバラとピアフ=男と女」の話を書きたいのだが中々書けない。いつか書こうっと。



【いきなり2つのLiveやる(リンク更新版)】

2009-03-19 | ・Live

Copyright (C)2009 TENSAW All Rights Reserved.

というわけで。またやることになった。
うれしいか? うれしい。あそう。そりわ良かったのぅ。

今回は、クロコダイルの東京だけの「2-days」Liveということで、
とぉーいとこに住んでて、行きたいけど行けないみんなには、すまなく思う。ごめんな。許せ。

今回のLiveの実現は、このバンドを愛す友人仲間たち、また先輩たちの、
ここ最近の度重なる死が、大きな引き金になったとも言える。

今回のLiveで一番尽力を注ぎ頑張ったのが、グリコだ。

グリコは、ある1人の親友の葬儀に参列した時に、突然何かが降りて来たらしい。
その葬儀に参列した翌日、から突然、グリコは、おかしくなる。(笑)

まず。私の携帯に、突然、
「 TENSAWのリーダーを俺がやることになったんでよろしく!」
というメールが来た。
聞けば、その葬儀で、久しぶりにメンバー全員の姿をみて、突然そう思ったらしい。

そういえば、このバンドには、それまではっきりしたリーダーという存在はいなかった。

それは、このバンドが、前代未聞なほど、どいつもこいつもワガママで強い個性の持ち主で、
ある意味、みんな自分がリーダーだと思っていたからかもしれないし、その反面、
こんな怖さ知らずの生意気で何度も面倒起しては常識も礼節もない、
とんでもなく「公」知らずのこんなバンドのリーダーになるなどど「公言」したら、
無限に飛んで来る銃弾の矢おもてに立たされ、一人だけ傷だらけのボロボロにされてしまうわ!
と、みんな思っていた。かどうかは知らないが。今現在もうみんなそんなガキではない。
けども。そういえばこのバンドは、はっきりとしたリーダーという存在のいないままやっていた。

はっきりしたリーダーがいないために、このバンドは、
とても無責任でいい加減なバンドでもあり、それが、このバンドを甘やかしては、結局、
その姿をはっきりと出すことの出来ないままいつも幻のようにさーっと消えていき、それが巷では、
「伝説」のロック・バンド。などと、言われもしているのだろう。

しかし、前回の TENSAWの再結成は、奇跡だった。
それは、とても素晴しいものだった。3カ所でやったその「再結成Live」は、どれも、
今までやった TENSAWのLiveの中で、私にはみな最高のLiveだったからだ。

それは、初めて、メンバーだけではなくそこにいたみんなも含め、
「 TENSAW」という「存在」なんじゃん。と気付けたLiveだったからだ。
それは、私には、演奏力とかパフォーマンスとか、フツーの外面での内容などを超越した、
どいつもこいつも今までで一番美しいと思えるLiveだったからだ。
みんなが「 TENSAW」なのか。と思えたからだ。
そういう「思い」で私はその時 TENSAWを唄えたからだ。だから、
それは、自分にとって、アートであり、とても意義と価値のある、芸術作品だった。
つまり。一点の濁りのない、愛そのものだった。

しかし。ステージで私が「これは夢だから」と言ったように、
その3回のLiveを終えると、リーダー不在のそのバンドは、
やはり、本当に「夢」ように、またまたみんなの前から幻のように消え、
はっきりしない霧の中で潜み存在するものとなって、再びまったく姿をみせないままになっていた。

「 TENSAWのリーダーを俺がやることになったんでよろしく!」

突然グリコからのそんなメールが来て。すぐその翌日に、

「5月にクロコで TENSAWのLiveをやりたいと思うけどどうかな」というメールが来た。

俺は、その理由をグリコに聞いた。やる気が起きなければ出来ないからだ。
それははっきりとした姿勢がないとこのバンドはいけないからだ。
それはやる意味とやる価値があるかどうかになる。

すると、グリコはすぐに返事をよこし
「メンバーの誰かがいなくなる前にLiveをやらなければいけないと思ったから」
と、まっことグリコらしいはっきりとした素直な返事をよこした。

そのメールをみて私は思った。

それはまさしく、あの友人の葬儀の時に、他のメンバーではなく、
グリコという「人格=受信機」だけにしか受信することの出来ない、
天から降りてきた「コトバ」だったんだなー。と。

「やる」

俺のこたえは、それ以外考えられなかった。

そして、

このバンドのリーダーは、グリコ以外にいなかった。



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その後も、グリコはいまだにぼんぼん降ろされまくっているらしく、さらに私にこんなメールを送って来た。

「 TENSAWをやる前に4月にグッピーで二人だけでLiveをやろう!」

もうグリコは尋常ではないと思った。ここまで来ると不気味であり恐怖すら感じた。
だからやる気がどーとかその理由を問う余裕すらなくただレイプされるように、
「あははい。」と情けなく返事すると、

さらに。息つぐ間もなくまたまた巨大怪獣グリコが俺を攻めて来て、

「4月19日に決まったんでよろちくびぃ」

と、電光石火のごとくグッピーでの「グリコとセーボー二人だけによる」Liveをブッキングした事を知らせて来た。

それをみて、私はさらに身の毛がよだつほどに恐怖した。
その日は、俺の誕生日の「1」日前だった。そしてさらに、
一瞬《クリスマスeve@i》を思った。さらにそれは TENSAWのLiveの「1」ヶ月前の4月だった。

もう不気味さと恐怖で震えながら、俺はグリコに返事を送った。

「その日は俺の誕生日の前日だ。まさか俺の誕生日Liveとかやろうと企んでんじゃねーだろな。そういうのは嫌だぞ。
リアクションに困るんだ泣いてしまったらみっともないしとにかくそういうのは苦手なんだぁ」

すると、グリコから、

「そーなんだ。それならセーボーの誕生日Liveということでやりますか」

ってぜんぜん俺の話聞かずに返事書いてきやがったてめ。と思った。しかし忙しいんだろうなとも思い、
とにかく。グリコはその日が俺の誕生日だとかその前の日だとか云々など、
まったく頭になく知らなかった。それを知らずに長々書いた俺はなお恥ずかしかった。
しかし。知らなかった?!おーぅなお怖い。背筋が凍るぜ。

「だから誕生日Liveだったらやだつーてんべ」

「じゃやっぱ最初の俺とセーボーの二人だけのLiveということでいこう」

という次第で、誕生日だとかそういうのとはまったく関係ない、
グリコと私の二人だけによるユニット「G+S」(ジーエスと呼んでくれ)が結成され、
5月のTENSAWのLiveをヤル前に。おーなつかしいあの原始人のいるグッピーで、
(上の画像の左右に心霊写真のようにしているのがその店のマスター原始人。怖いだろ~)
4月19日。Liveをやることになったので、それも報告をしておいたまでのことよ。
しかし。「Saybow&the Wipers」がこれでまた出来なくなってしまったが、
これをその序章とするか。それにしても。グリコはこえーな今。
この2つのLiveは、すべてグリコの尽力による賜物だス。グリコにみんな感謝してやっておくれな。


(PS)...4月19日のグッピーでの「G+S」のLiveの打ち合わせする GとS。

グリコと俺二人だけでやっちゃうってのは誰にも出来る芸当ではないし面白いがやっぱギターぐらいは欲しいな。
セーボーがギター弾けばいいじゃん。
えええっえええ==っ!それは無理だろ。
誰にも出来ない芸当のLiveをやるんじゃないの?
誰にも出来ない芸当は誰にも出来ないんだから俺にも出来ないということだった。
そうか誰にも出来ない芸当だがセーボーだけは出来る芸当と言うならそうだけどね。
そうだ。
そうか。
じゃギター入れるか。
タクミにやってもらうことになった。やるって。
うわっ!はっえ===っ!あいかわらず電光石火だな。背筋が凍るぜ。
うん。それでいい?
おお。あとなユニット名を「G+S」ってのにしよ。
ふぅ~ん。GとSに「+」が入るんだ。
そうだ。「+」は「t」ともとれるだろ。
うん。

*「+」は「t」ともとれ。タクミともなる。さらに小文字の「t」であることも面白し。
* また トミオカもタナカも「t」。さらに琢巳だけ名で後の2人は姓というのも面白し。
* また「TENSAW」も「t」。これも小文字「t」であることで面白し。
* 先に「G」が来る意味が深まる。ますG=グリコの閃き(発祥元)により「S」を呼び。間に「+=t」を挟むことで活動(Live)可と成 る。
* このような(エネルギーの)方程式と思わせる事で面白味増す。「=」つまりその解答は明記されない。ところも良い。
*「=(解答)」は、観る側で自由に出しなさい。となって、それは、「世間に問う」になる。
* それだけで、これが単なるセッションものではなく、それ以上のもの=価値だぞ、おもろいぞ。となる。
* そのような「意」がつくことで、それはもう「作品」となり、そのメンバーはアーティストとなる。
* 「G+S」 という標記だけで、このセット(バンド?)の全てが現せてしまう面白味。
* 面白味があればあるほど、面白いんでまたやりたくもさせる。

ってどうじゃ?

...........。

...........って聞いてねーのかよ!

あごめん。猫が...あいーよそれであ電話来ちゃったじゃまた連絡するね。

おいあらっ結局聞いてねーんじゃねーか。ほんとドラマーは理屈嫌いだま。いっか。


しかし、「G+S」か。面白いな。
これでまずみんなをアッと言わせてみるのもおもしろいかもな。
でも客くっかな。 来ないとアッともスっとも言うやついない。それはやだな。言いにこいてめ。




「ゲバラとピアフ=男と女」の話を書きたいのだが中々書けない。いつか書こうっと。