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【 09.夏/Live モードのUDJ 】

2009-07-26 | ・Live

Live mode in UDJ (see the movie clicking)

さぁ。とにかく。夏だ。

今年の夏は、またまた、TのLiveをやるわけだ。

なんでやるんだろう?

この前のクロコで私は、10年分はしっかりやった気でいたので、
次にTをやるのは10年後でも私は良いのだが、
それでも、やるわけだ。

なんですぐにまたやるんだろう?

夏に「TのLive」は、似合わない、
だって私は人の100万倍は汗っかきなんだもん。

みんなはうれしいか?

俺はそんなにうれしくない。正直言って、
こんな夏にTのLiveなんかやりたくない。

とか言ってるうちに、すでにその日まで、
もう一週間を切ってしまった。

みんなはうれしいか? 俺はそんなにうれしくない。

だけど、大丈夫だ。またみんなに会えるんだもん。

ってうざそーだわ会いたくなんかないわ。

このクソ暑い夏になんでおめーらに会わなきゃいけない。
だって私は人の100万倍は汗っかきなんだもん。

しかし、大丈夫だ。

みんなに会えることで、みんながそんな私の気持ちをふっとばしてくれるから。

そう!みんなも一緒にTなのだから。
みんなはもうむかしのみんなではないのだ。

しかしソレはソレとして。ふっとばすのは私の役だ。ソレはソレとして。
私がおめーらにふっとばされてはいけない基本的には俺がみんなをふっとばさなくては。

困った。やっぱやりたくない
そんなおめーらもうざいうわああもーその日ふけようかおい。

そういえば。

去年の夏は、Saybow&theR+X+Sの、
想定外な濃いー復活かいさん感動マニアックLiveだった。


ヨソと比べると、私は、ずいぶんLiveをやらないヤツ。
だと思ってたけど、2年連続で夏に私はLiveをやるんだった。
私はこれから毎年、夏にはLiveをやるヤツになるのだ。
私は、チューブだ。マエダだ。だっせー。

ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。

しかし、みんな。心配いらない。私は、マエダではない。
マエダではないことを知っていた。したがって、私は、
決してつまらないLiveなど絶対やらない!
ははははははははははははははははははははははははははははは。

私は本当はわかってる。(マエダとチューブに失礼したことも含め)

たとえ私がどのような状態であろうとも、
ステージ出て、またみんなの顔を見れば、
うれしく思わぬはずがない。ということを。
やる気にならずにはいられまい。ということを。
私はわかってる................。?

ってええええっ===!!!!!??????

そんなこと思う私ではない!だから、
Liveやだなぁやりたかねーなぁとぐじゅぐじゅ
それをずっといま書いてきたわけでもあるのにもかかわらず、
何故だかそんなふうに思えてる!!!????

おめーらなんかにも会いたくないLiveなんかやりたかないようなこと書いてても、
内心わ、何故だか、そんなこと思えてる俺!
Liveなんかうれしくないおめーらなんかうざいやだぁと書いてるにもかかわらず、
むしろ、心は逆に、そんなこと思えてる俺がいるんだった。

心は逆に、実は、またまたおめーらに「この夏」再会できる事を歓び、
来るべくTの高円寺のLiveに対してやる気にならずにはいられぬ俺がいる。

すごいのなおめーらって。すごいヤツは好きだ。とか。

私は照れ屋でへそ曲がりなんだった。

よし。大丈夫だ!


みんな。心配したか?はははははは。

やっぱ、俺に、ふっとばされたべ..............................................。

何を書いてるわけだろう俺わ。

とにかく。夏だ。これぞ夏だ。上手く夏を描くなぁ俺。

とにかく、私は、この夏も、Liveモードだ。ほんとうわ。

やったるでぇい。

あ今日はリハだった(リハは今日を含め2回しかないのだ)。
こんなことしてる場合ではない。



Live mode in UDJ (see the movie clicking)




【2つの極2つの月/時間の原理】

2009-07-16 | ・nTinDEEP

いまいちばんすきなきょくいまいちばんすきなきょくいまいちばんすきなきょくいまいちばんすきなきょくいま

けっこうな村上龍派ゆえに。何か同じだが違う。村上春樹が。
「苦手」な私だったけど、 ヤツの作品の中で「はじめてエロい!」と私が思えた作品だもんで
(小説はエロくないとまったく苦手で読む気もしない私なのだすいましぇん)
はまりこんで読んでしまっててもうすぐ下巻も読み終えてしまうぅぅぅぅ。
という感じ。あの。 面白い「作品」を興奮して堪能する時に必ずやって来る、
「あ~もうすぐ『完』だぁ~明日からさびしくなるなぁ~」な お別れ感たまらず。

でも、やっぱ。コレ(俺にわはじめてエロいハルキの「1Q84」)も、
あまりにも、暗い。てんさい的に。
やっぱ。村上春樹は、どれもコレも、絶対的に、必ず、天才的に暗い、
つまり、純粋すぎる。から、苦手だなぁ。

私の世界には『嫌い』とゆーのはなく、そゆのはみんな『苦手』となる。
な的な、そんな感じの、
やっぱ。村上春樹は、どれもコレも、絶対的に、必ず、天才的に暗い、
つまり、純粋すぎる。から、苦手だなぁ。
純粋すぎわ。気をつけよう。私は婦警の娘がいかっただ。
とか、ベッドで空に浮かぶ2つの月の話に入り込みながらやがて寝につくと、

なんか。起きたら、日の出が出てた。

****苦手と嫌いの違い?

その晴れ渡った空の透明感に包まれた光源の星から飛び散る陽光が、
家の窓から、起きたばっかのまだぼけぇ~としてる私の股間の奥までしのび射し込み、
拙者のアンテナわなんだか非常に気持ち良いので、
それまでぼけぇ~としてた私の「意識」は、
夢精してるんじゃないのかと思うほどに勢いよく瞬間にしてシャキっ!とおっ起ち覚醒すると、

あららら「おてんとさまの意識」と通じてしまってるぞ!とかに盛り上がり、
その清々しく大きく透明に膨らんだ自分の意識のまま、
ベッドからその足を部屋の床に着地させ、起き出し、
両腕を頭上高く天上までにのばし、背骨をぐーっと反り立たせ思い切り
ふぅわぁ===ぅっ!と気持ち良く伸びをしたその時、

私は一瞬、何故かひろぉ~い大地に立っているような感覚を受けると、
「地球の意識」もだ。
みたいな具合に、とても「意識」爛漫で何故か気持ち良い。
地球意識.......。って一体、何だ?というと。

それは、環境を提供しようとする意識そのもの。環境。つまり「場」。運動場。
これわ在る意味において。「場」の意識。
それは、「場」といものであり、こうした「空間」を与えるという「意識」だ。

この「空間」という意識があって。ここに「時間」が流れた時に。
「歴史」は開始されたわけ。

この「時間」を流しはじめる時に、「時間」を創っている要素として、
実わこの「大日意識」「月意識」といわれる2つの要素がある。

「積極的」なる要素と。「消極的」なる要素。「陽」と「陰」
あるいわ「荒々しさ」と「優美さ」みたいな2つの要素がある。

この。両方の意識が。在るからこそ。実わ。時間の流れが始まったのだ。

「流れ」というものが一体どうして始まるかということを考えれば、
それわ。「位相」の違い。すなわち。高いところと低いところ。右と左。上と下。
こうした「位相」の違いがあって初めて「流れ=時間」というものが出て来る。

ダムの上があって、ダムから水が流れ落ちていくように、
河も上流から下流の方にいくように、水路が右から左へとつながって行くように、
アソコの中に放出する太陽・男性原理があって、それを受け止める月・女性原理があるように。

陰と陽。

「流れ」というものは、こうした「立場」の違いがある「2つのもの」がなければ始まらない。

この大宇宙における空間の中において、実わこういう2つの「極」を創ったのが、
「陽意識」と「陰意識」とか言われてたりする。

この「陽意識」と「陰意識」があるがゆえに。
「2つの極」が出来てこの「極の間」を「流れるもの」が始まった。
この「流れ」を「時間」といい、すべての大宇宙の生成・発展・化育などは、
この「時間」の中に含まれている。ともいう。



みぎはんぶんとひだりはんぶんはちがうバンドのリンクだス


って。こーんなこと受信してしまったわ。
それは、私が勉強して学習したことでもなければ、証明されてる事実でもない。
それは晴れたある日に、瞬間にしてシャキっ!と覚醒おっタった私のアンテナから感じた、
それはつまり、タダイマ付近の感じ。つーことだス。

しかし、その感じ、自分のいつもの日常の世界とは違ったものだ。
それは何だか不思議で、特別な感覚のようにも思える。

そう。私はなんだか、Liveが近づくと、ベッドから目覚める度に、
このいつもの自分の日常の世界が、少しずつ、
いつもの自分の日常の世界ではないように感じられるんだった。
そのいつもと違った感覚そしてその意識は、
Liveの日が近づくにつれ、だんだん濃くて強いものになって行き、
ついにLive当日ステージに立った瞬間を迎えると、やがてその違いの強さはピークとなり、
そこからずーっと、Liveを終えるまでそのピーク感は長く続いて、
もっともその間(舞台上)は、通常、誰だって日常的な感覚ではなくなる「場」でもある、
という事もあるだろうけど、そのステージでの終演を迎えた頃から、
その感覚は程よく穏やかな下降線を描きながら、ゆっくり緩めながら、弱まり、
家に帰宅する頃になると、それを合図にしっかりリ何者かによってリセットされるかのようにして、
それは、遥か遠い彼方で点滅する小さな星ほどとなった飛行機が、
その滑走路から静かに離陸し、さぁーっと月夜の空に溶け込むようにして消え去ると、
ほんの何時間前までにはしっかり存在していた、その不思議な感覚-意識は、
いつもの自分の日常の世界であるこの「現実」の感覚に、しっかりすり替わっていた。

私は、このLive前になると毎回のようにやってくる、
不思議な持病-職業病でもある超個人的な「生理期間」を、
いつの頃からか、「Live・モード」とよんでいる。

今回における私の「Live・モード」は、
「2つの極」が出来てこの「極の間」を「流れるもの」が始まった。という、
「時間のはじまり」「時間」の原理を、
感じさせ、理解させようとしてるみたいに思える。


させる?誰が?そうさせる?お前を?

それが、「Live・モード」だ。「?」から「!」へのモード。
私を動かす生命の源からのある一定での仕事時間?

今回の高円寺ショーボートでのTのLiveも、おそらく、
前回のクロコと同様、その演奏曲目において、まったく新曲をやる予定はない。

でも個人的には、それで良いと思う。
それは、メンバー個人個人の時間的な事もあるけど、
そういった事とは関係なく、個人的に、それで良いと思う。
何故なら、自分の中では、新曲を創る以前に、Tは、まだまだ、
「時間」の原理から、解放される事がないから。
まだまだ「新生」を続ける必要があると思えるから。

まだまだ「新生」を続ける必要があるということは、「新曲」を創り演奏することでもなく、
まだまだ「旧曲」を続ける必要があるということだと思えるから。

それはTを「時間の原理」に再生させると同時に、
「時間の原理」から解放させなければならないと思うから。

わからんべ。当たり前だ、それって、あくまで個人的な、
自分でもなんなんだかよくわからぬTへの面白味でもあるもんよ。

それはきっと、そのバンドの、「謎の原点」から呼び起こされる、
不思議な「時=流れ」の生命感の話だもんよ。

って書いててまったくわからんわ。

わからんという事で、そいつがあながちフィクションでもなく、
ちょっとした事実であることを証明してる。


たけでらにはよくいくここのたけはしあわせものだからしあわせもののたけたちにかこまれる