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【エントロピーって何】

2007-10-21 | ・nTinDEEP



前回、「おもしろいよーに、あのような亀田一家ののエントロピーが増大すると、
その存在の前に、ちゃんと内藤という選手が登場してくれる。」つーの冒頭で書いてるけど。


エントロピーの法則とは何か。つー話でも。

これは宇宙、つまりね、自然の世界に何者かによってインプットされた真理でもあるのだがね、
"エネルギーは水平化される"という法則なの。

熱い湯に水を加えるとぬるくなるし、そのままにしておいても、いつかは冷める。べ?
川の水は高い所から低い所へ集まり、海となって水平化される。つー事なんだけどね。

山がけずられて砂漠になる。べ?
人間は「死」という水平に向かって動いていく。べ?

それってつまり「動く・運動」というのは、
その目的地に無という水平があって、初めて動く。つーことでもあんの。
なんか、興奮してこねーか?

何故そうなるかというと、宇宙が膨張しているからなの。
宇宙の膨張というのは、地球が丸かったことに匹敵するくらいの大事件で、
この宇宙の膨張というのはもはや今では定説となっていて、
それは400億年ごとに膨張と収縮を繰り返しているのだという。

そして、とりあえず現在は膨張している最中で、
だからこそエントロピーが極大点に向かって増大してるわけで、
人間が考えたり悩んだりして生きているのも全てこの宇宙のおかげなんだという。

これがホントであるならば、それは全てのことに反映している。
って言える。からおもろいの。エントロピーってやつ。

例えば、いくら部屋を整頓しても、いつの間にか乱雑になってしまう。
これも自然の力。エントロピーの法則。
こんな感じで常に大局的にはエントロピーは増大してて、
だから、ここでの整頓という行為はその増大に逆らった行為となる。
だとすると、自然の力に逆らう(整頓する)には努力が必要なこともわかる。

私達が安定していると思い込んでいるもの、
例えば整理整頓、整列、ルール、明断さ、幸福などといったものは
実は非常に不安定なものなの。

局所的な安定は、常にその背後で、不安定を指向すんの。
........ってついてきてるけ?とにかく。
人が持っている安定のイメージは、それが常に崩壊の危機にさらされているのだという
要因を無視したもので、だから人は幸福な時にも、得体の知れない不安感を抱き、
特別な努力を払わないと、人間は常に離別・不安定を繰り返すことになるの。

崩壊こそ絶対安定なの。皮肉だなー。

原子はどんなに安定していても、いつか崩壊して素粒子に戻る。
ただ、人間の精神だけがそれに逆らう知恵を持っている。
アイロンがけから死に対する抵抗に至るまで。

それを物理学では局所的にエントロピーは減少するという。

人間はエントロピーが減少する光景に出会うと感動するようだ。
人がうれしいと感じることは大抵エントロピー減少の作用。
映画や音楽もその中のひとつかもしれないし、生きるための活力を与えるものがそうなのかもしれない。

男と女の関係もこの法則をあてはめてみると納得のいくことが多い。
男と女の生理的な差別は厳然と存在するけど、それは優劣ではなく"違い"であり、"別"であるわけ。
それにプラスとマイナスの違いもあるだろう。その二つが引きあって、そこで燃焼する。
つまりエネルギーが流れるの。その燃焼は安定の方向に向いている。つーわけ。


しゃしんていきょうはselmaさん

そして男女間のエントロピーの極大点は子供を生む行為だけど、
子供の誕生はエントロピーの減少だ。
かくして成熟した夫婦は安定する。安定とは静止の状態、進歩も後退もない状態。

ところが、この宇宙でさえ現在は不安定なわけ。
物が動くということは不安定なのだし、心が動くこともそう。
しかし宇宙の全てのものは安定の状態を求めて動いている。
安定という目標がなければ不安定というものは動くことができないんだね。

だから、安定するために我々は動く、というより動かされている。
それは宇宙の性質、つまり神さまによって動かされているというよりほかはないもんね。
と、信仰心持つ俺なんかはそー思える。おめーは思える?

思えるも思えないも、エントロピーが極大になった時、全てのものは安定するの。
その世界は宗教の説く極楽、天国、ユートピアに酷似しているし、
もしかしたら死後の世界かもしれない。

明るくも暗くもなく、時の流れは静止し、高くも低くもなく、暑くも寒くもない。
全てのエネルギーが充満し、しかも動かない。

だけど、このような事件が起こった後には必ず次の事件が起こるだ。
今度は不安定を求めてバランスを崩すの。

そのために宇宙も収縮しはじめる。これを宇宙は振動しているというのだねー。

だから、静止の状態は一点だけ、これこそ無の世界。

でも、私たちは、無ではないの。

静止してないし、安定してない、常に変化してて運動してるつまりが
私たちは生かされてる「無」の反対の、生命持つ「存在」だから。

私たちは生かされてるの。だから、
殺しちゃいけねーの。殺しあっちゃいけねーの。自殺しちゃならねーの。
生かさなきゃつまんないの生かしあわなきゃ何も生まれないの生きなきゃならねーの。
なぜなら生きることほど楽しくてたまんないものはないから。のみならず他をも楽しませるから。

まーこんな宇宙の性質は全てのものに反映してんの。つまり。生命あるがゆえに
神は顕在してんの。そんな感じぃ~の運動場はココが元祖だよろしくぅ。

とかるぅ~くいっとくからかるぅ~くうけとめとこー。



話ぜんぜん関係ないけど、あるか?とにかく、一時俺わ「エロエロエロだ」みたいなつまりが「エロ」つーのは、めちゃ重要なところだから考えてみよーみたいな大きなお世話な事ココで盛んに言ってたけどね、それが、昨日観た映画の中にありやがってびっくりしちゃったよ。ほぼ一緒じゃんこのカントクぅ~。でも俺はゲイじゃないよんみたいな。関心あったら観てごらんに。最初からいきなり爽快びびるほどにいーエロ出してる現在最強のエロいー映画だから 。

【正々堂々の王道】

2007-10-15 | ・nTinDEEP


この前のプロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ。
内藤と亀田の試合。めちゃおもしろかった。
おもしろいよーに、あのような亀田一家ののエントロピーが増大すると、
その存在の前に、ちゃんと内藤という選手が登場してくれる。
今や、亀田ブランドは、嫌われ者のチャンピオンだけど、
私はちゃんとに王座を防衛したあんな感じの内藤も亀田一家も好きだ。
世の中をおもしろくしてくれるから。
だから、ボクシング協会もボクシングを愛す人たちも、チンケな考え、狭い了見で、
その中に秘めた重要なヒントたちを殺してほしくない。

あの試合での亀田の弟の反則行為や亀田の親父の言動などの問題は、
別に厳罰処分ほどのもんじゃーないだろーに。
挑戦者亀田のガキは、だから、負けたわけなんだから。

亀田のガキ反則行為だ!セコンド親父の発言に厳罰だライセンスはく奪だ!
とかなんだかんだとウザク何ほざいてんだろ。とにかく、
負けた。
んだから、それがすべてだろ。

それ以上にうじうじくどく敗者亀田をヒステリックに責めたて批判する必要なんてないべ。
それは、なにしろ亀田の弟も親父も、まだまだガキで未熟だったんだから。
だったら、
「次はさらに大きく強くなってまた出直して来いや!」
つーだけでいーんじゃん。つーだけの話じゃん。

そーでなくちゃ(俺の憧れの)スポーツの世界じゃないべ。

もーホント相撲界もボクシング界も、その協会?その上そのトップにいる人たちは、
2チャンネル的な世間の小物的な声の波に飲み込まれずに、
その上に立つ立場として現象・物事の状況をもっと俯瞰的に見て、
大事な才能を軽卒冷酷に抹殺する事なく、その過ちをニュートラル冷静に見抜き動き、
王道のところで、しっかりとその才能たちを生かし育て励まし、
自分たちの愛する「運動場」を、元気に明るく面白く発展させていって欲しいもんだわ。

内藤も、あの存在感すごく良かったけど、
タイトル防衛成功し、勝った、なにしろ、チャンピオンなんだから、
負かした挑戦者亀田の反則行為に対して、試合終ってから、
世間の小物な意見に対して小物に反応しちゃって、
子供みたいになんだかんだぐじゅぐじゅいってないで、チャンピオンとして、これも、
「次はさらに大きく強くなってまた出直して来いや!」
つーだけでいーんじゃん。つーだけの話じゃん。

チャンピオン。つまり、「王道」の世界なんだけど、今や、スポーツ界だけではなく、
あらゆる世界、社会において、それは重要なキーワードになってると感じてんだ。

たとえば。

「大関や横綱を目指すような人は、不意打ちや小手先のワザを使ってはいけない。」
と言う。

相撲は、1場所で15回の取組があるから、8勝すれば、勝ち越しになり、
それでひと安心で、だから、勝ち越しがかかった勝負になると、
よく不意打ちで勝とうとするようなことがよくある。

そういう時に、元横綱などの解説者は、
ああゆー勝ち方していちゃーダメですね、あとがよくないっすね。はい。
ま、それはですね、まこのー、
勝てばいいというものではなくですね、勝ち方というのがあるのだ。
もーおめーら正面からまっすぐ力で当たっていきなさいっ!
と厳しく言ったりなんかしてんの。

大関や横綱になったら、
相手に自分の胸をかすつもりで戦って、勝たなければいけないんだね。
相手が、自分より小さいことも多いから、奇襲をかけてくることがあるけど、
だからて、「相手が奇襲ならこっちも奇襲で行こう」
なぁーんつーよーなことをしていては、本当には強くなれないんだ。
つまり、ふだんから、大関や横綱になったら、
相手の何倍も強くなければいけないということなんですね。

まっすぐにぶつかっていって、もし相手が不意打ちをかけてきても、
それに動揺しないで、勝てるだけの実力が必要なんだ。
それが、王道ってものなの。

以前、元小結の舞の海という力士がいたね。
舞の海関のような体の小さな人が、いろいろな手を使って勝てば、みんな拍手かっさいをする。
それは、体が小さくて、もともと大相撲に入れるような体格ではなかったからだね。

私はそんな舞の海もだーいすきだったんだけどね、
あの部屋入り試験みたいなの受かるために、その身体検査かなんかで、なんでも、
合格ラインをパスするために背の低い自分の頭ぼこんぼこんに殴りまくって、
そのために痛々しくも膨らみ腫れ上がった後頭部の高さで試験に合格出来た。
とかな話あるね。なんとも美しー男のロマンな話しだー。

そーいったぼこんぼこんになるくらいの努力した舞の海は、例外でもあんだけど、
大関や横綱を目指そうという人が、そういう勝ち方をしたら、
やっぱりまわりから厳しく言われる。

これは人生の真実でもあるのな。

それは子どもの場合でも同じだ。

たとえば、「自分は小学生だから、かまわないだろう」
という言い方をする子がいるね。
学校のテストの時、「今回は、サッカーの練習が忙しくて、勉強できなかったから、
少しぐらいカンニングをしてもいいじゃないか。それも助け合いだ。」
とか、「どうせ教科書を見れば、載っていることなんだから、
チラッと見たっていいじゃないか。先生が後ろを向いていたのが悪いんだ」とか、
まそのよーうに思う、勉強キライな子もいるかもしれない。それは俺だ(笑)昔の。
だけど、そーゆー段階からカンニングなどをしているようでは、
将来、真実「デキルヤツ」には、まずならない。それは、俺だじゃない。
本当は、学歴なんかに、人生の目的ってのは、ないわけだから。

でも、だから、そゆー「パターン」が蔓延して、それでいーんだ。とか思ってると、
「デキルヤツ」には、なれないんだね。

それから、友だちに勉強させないように、わざと自分が遊んでいるような話をしてみたり、
友だちにニセの情報を流して、混乱させたりするような子もいたりして。
「あのマンガ番組、面白かったね。」なぁ~んて言って、友だちを混乱させる。

ほんとうは自分も見ていないんだけど、
いつも余裕でマンガ番組を見ているようなふりをする。
あるいは、塾の休み時間に、余裕しゃくしゃくで、
ポケモンのゲームをして見せたりする子もいる。

成績のいい子がそんなことをしていると、成績がそこまでいかない子たちは、
ますます焦って真っ青になってしまう。

で、だから、余裕しゃくしゃく、
「あいつ、勉強がよくできるのに、塾に来てまでポケモンのゲームをやってる。
自分も家に帰ったら、ポケモンのゲームをやらなければいけないのかな。」
なぁ~んて思って、
その真似をしてたりなんかして、ますます成績が悪くなるね。

だから、成績のいい子は、自分よりできない子の前で、
余裕しゃくしゃくで遊んでいるところを見せてはいけないんだ。
それはあまりいいことではないんだ。

自分が勝つために、
人を動揺させるようなことをしてはいけないんだ。
それは、勝った、とは言えないから。

とにかく、

正々堂々。それが、王道。

その道を示し導く心が、
今、破綻してるみたいだ。



子どもである時は、将来、立派な人になっていこうと思う人は、
邪道を歩んではいけない。
なにごとも正々堂々と勝負することは、大事なんだ。

たとえば、一時間勉強したと言っても、勉強しているふりをして、
実はさぼっていたとか、お母さんが見ていないスキに、
答えをサッとうつして、できたような顔をしているとか、
そんなことをしていると、必ずあとでしっぺ返しが来る。よーになってんの。

だから、子どもは大人のよーに、人をだましたり、ごまかしたりしてはいけない。
世の「子育てする」おかーさんおとーさん方がたは、
それを大事なことだと、感じといて欲しいなーと思う。

安易な方法で勝とうとしたり、成功しようとしたりすると、
目先の結果にだまされて、一時的にはごまかせるけど、
あとで、必ず全部自分に降りかかって来るんだ。

王道を歩まないで、「勝ちたい。成功したい。」と思うのが、欲なの。

こういう欲は慎まなければいけない。
そうした欲を持っていると、大人になってからも、それが間違いのもとになるから。

自分の努力の範囲内で成功していこうと思わなければいけないし、
こうした中においてこその王道を歩まなければ正々堂々な場所にはいけない。

だから、欲を慎んで、足ることを知らなければいけない。
そして、自分ができないことを、人のせいにしない。

とくに、勉強ができないことを、
「お父さんやお母さんが、勉強を見てくれないからだ。」とか、
「学校の先生が、えこひいきするからだ。」とか、人のせいにしてはいけない。

「友たちがよく勉強できるのは、あの子のお母さんやお父さんが、よく勉強ができるからだ。」
とか、そういうことを言ってもきりがない。

実際にそういうこともあるかもしれないけれども、言ってもしかたのないことは言わせない。
子供の時から女々しー人間に仕込むことは、親の罪だ。

だからもしもそんなこと自分の子供から言われちゃったら、
俺は平気で自分の子供をぶんなぐる。

あ、そんな資格ないや、だって、俺は昔、まだ息子が7歳ぐらいの時に、
タバコ買うんで持ち金なくて、その自分の7歳の息子の祖父祖母からもらった金をたかって
タバコ買って、ぷぅーとか煙を吐きながら、その息子に向かって、
あー今日もイップクタバコがうまい!
なぁ~んてぬかしやがった自分が今ここでこんなこと書いてる。

とにかく、そういう言ってもしかたのないこと、は言わずに、
自分のできる範囲内で努力しなくてはいけないんだ。
子どもにとっての悟りの一番目は、
「奪う愛ではなく、与える愛のほうを選ぼう。」ということだ。
そーゆーフレーズはクサイなー子どもはそーゆーセリフ....とかいーんだいーんだうるせー。
今、「クサイことをマジメに考える」こと、ってゆーのは、
いっちゃんナウくていっちゃんダサクないんだ。って言い方ダサイけど。

まず、これをしっかりと親はガキのそのまだ未熟な若い意識のひだに、
しっかりとタネ蒔きをしといて、
将来その花を見事に咲かせてあげるための用意、基盤を築いといてあげないといけない。
とにかく、「過ぎた欲は持たずに、足ることを知ろう。」
ということだ。

あまりごちそうぱかりを食べすぎると、おなかをこわすね。
それと同じで、「自分としては、これで満足だ。」という、
自分にちょうどいい分量というのがあるんだ。

そして、努力というものがある。
自分にふさわしい生き方、努力の仕方を考えていくことだ。
他人の人生を、自分のかわりに生きるわけにはいかない。
「人は人、自分は自分。」なんだ。

自分なりの努力をして、その努力の延長線上で認められるようにしていこうぜべいびー。


【《《eve@i》》のしたく/1】

2007-10-09 | ・Live



《eve@i》 from UDJ in saybow at GUPPY 2007

つーわけで、やっとこの前の日曜から、厳選なるオーディションにより選出された
(わけでもなくトモダチいないので仕方なくやらせられることになった)
今回のLiveの基本メンバーによる最初のリハーサルが、ホント、やっとのやっとで、
とーとーはじまった。わけでありやす。

それは、なにしろ、私にとっては深い意味を持つものであっても、
他のメンバーたちにとっては正直何やらわからずめんどくせー、しかし、
正直俺だってほんとはソレ何やらわからずめんどくせーぞの、
《《eve@i》》という、スペシャルなコンセプトを持ったLiveだ。

つーことで、久しぶりに仲間と再会し久しぶりの、
それぞれ持つそれぞれのオンガクのエネルギーを奏ではじめ私も唄い始めると、
だんだんみんなが、それぞれの無意識の下で、「eve@i」というスペシャルな記号を、
1つになって手探りしながら探求してるような、
ソレの生命がジョジョに運ばれ気が燃え出し蒸気を吐き出し動き出すサウンドを
自然に響かせてるような瞑想的な気分にもなったりで、
その何ともいえない、フレッシュでちょっとした緊張感とスリリングな気分は、
あきらかに、そう感じる自分自身が、たなかせいいちというジジーを、
みんなのかわいー幻想でもある「saybow」とゆー歌手存在に、
一歩一歩導き近づかせる。よーな、あーほんとーにソレは、
ゲスト・ボーカルでもない、めちゃくちゃ久しぶりの、
自分自身のLive+唄をやるんだぁーsaybowわー。わーい!ってしかし。

これまでの過去の「eve@i」、そしてそのイメージからか、
何かゲストが多彩なパーティ的な華やかな内容のLiveだったような気がするけど、
今回の久しぶりに復活する「eve@i」は、今までのそういうにぎやか華やかさのない、
まったく違う感じの「eve@i」になる事は確実で、それはひじょーに質素なものになると思う。

何故かというと、今回の《《eve@i》》は、そのステージでの時間のすべてを、
ずーっとLiveを休んでいた分、自分の時間に与えてもらおうと思っているから。
でも、それは《《eve@i》》だから、私にとってそれは、
歌手・ミュージシャンの「saybowのソロLive」にはならないの。
それは、説明むずかしいとゆーより今めんどくせー、とにかく、
そんなところで、自分が今回やろうと思った《《eve@i》》は、
何しろシンプルな世界、その編成も構成もそのサウンドも、質素なものだろー。
とじゅーぶん思えるので、今までの大勢のゲストを交えたりーのにぎやかではなやかな
あの「eve@i」のあの感動を期待してるんだとしたら、今回のソレは、
そーゆーのうらぎるよーなLiveかもしんない。おーそーだ!
そーだとしてウラギラレタ金かえせてめこのやろとか文句言われたらやだから、
今のウチにソレ書いといて正解だーよしよし、だからうん、
今のウチ考え直しておいたほーがいーかもしんないぞおめ。

おー何!聞くところによると、それを補うかのよーに、
なんでもその翌日のグッピーは、いつもゲストがぞくぞくはなやかな、
ぞくぞくかぞくのLiveつーじゃん!知らなかったちょっと気が楽だそれ。
ぞくぞくのやつらそんな俺に気を配ってそうゆうブッキングをしてくれたのかなおー。

って、誤解すんなよ。

かなり久しぶりにステージに立って唄うし、おまけにいぶいだなんだかんだいっちゃって、
だけど今回はシンプルにとかなんだかんだ言ってるが、結局、すごいプレッシャーで、
なんだかんだえらそーにココでは言ってるが、もしも
Liveつまんなかったとか言われたらどーすんべー!
とか今からがっちがっちに緊張しちゃってて弱気まるだしで、
こんな事書いてるわけじゃーぜんぜんっ!ないからな。

自信なかったらあえてそーゆー感じでやらないから。

大体そんなこと俺は気にするヤツではもーないしこの今の自分の到達した環境からして、
《《eve@i》》というだけで、ソレはどーあがこーが、つまらないもんであるはずがないだもんよ。
それは、ミル側の自由だけでなく、ヤル側だって自由というものが在る。
そもそも、ミルもヤルも、オンガクに自由がなかったら音楽も何も生まれない。
つーことなのな。ソロでもなくソレって。ソレわ、いぶい。

つー感じのトリイソギで。どだ。

ぜんぜんとりいそぎっぽくなくりくつっぽくなってるがな。


【やっとかなかせいいち】

2007-10-06 | ・Live

今年の夏。俺んとこのたなかせいいちのじじーとばばーを俺も見たかったので志村の「Live」に連れていっってやった。よろこんでた。とえらそーにいいつつ。親孝行ココに記録しておくほとんど親不孝しだらけの俺。


《《eve@i》》でグッピーで流す 
「BGM」 そして 「SE」 が やっと やっと できた。

またまたえれー時間がかかってしまったもんだみん。
まだまだその日のためにやること山ほどほろりん。

まにあうのか。まにあわぬのか 肝心でもありうる 
音出し。唄いだし。いつになるのか
その日のために厳選された最少人数基本メンバーとのりはーさる。  ?!
あー。明日からだったりはーさる。  

しかし。私のばやい。
「 SE」できたらLive完成あんど成功した(やりとげた)も同然的重要事項。
なタダイマ付近の感じ。心配なしくう。

ちなみに。

 昔の SE せい いちれい

またわたとえば。

 昔の SE せい いちれい のに

今回の BGM+ SEは。いちれい のに の次のさくひんになるのな。
なるほどそれを聞いてから 出来立てほやほやの いちれい の 3 を聞き返してみると。
なみだがでるでるでるもんて。

とにかく。私にとって。Liveをやるに関して。「 BGM+ SE」は、
絶対に欠かせない大事な仕事。そいつがなけりゃ俺のLiveでわなし。

その意味を理解してくれるもくれぬもこられるみんなにとっては自由なれども、
必ずそのひびきから振動伝播する空気の運動は、その空間そこらじゅーを
幸福元気のモトの存在にさせてしまうから不思議だ。つーね。

とりいそぎ。  というのかな か せ い い ち。