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★05-2006HNY+今年も終わるんで話しちゃお久しぶりにシューキョーな話★

2005-12-29 | Author SAYBOW
              

              
              

今年もあとちょっと。
というわけで、私はここで久しぶりに、
UDJ+Artworxらしい、あぶない話。シューキョーの世界の話をしちゃうかね。

オカル戸、じゃない、オカルト。オカルティズムについての話とか。

それは、オカルト、オカルティズムの話かもしんない。

現代では、でもオカルトったらなんかどろどろしてるイメージだけど、
元々は、「隠されたもの」というのが、
オカルト、オカルティズムということなわけですよね。

「隠されたもの」って、もーまたエロいんだけど
そこには、深い意味があって、
いろいろなヒミツの倉庫ということになってるわけ。

だから、オカルトに関する世界は、隠されたもの、
なんだから、普通一般の人たちには知らない事だらけ。
であって不思議ではないわけだす。

でもね........。とゆー話(笑)


この世で生きているということは、
この世の法則のもとに生きているというわけで、
それは、水槽のようなものでイメージすることが出来るわけです。

水槽の中で水を満たして金魚を飼ってると。
その水槽の中には小砂利も入ってれば、藻もある。
その中で餌をもらいながら金魚が泳いで生活してる。
そんな感じ。この世の世界というのは。

この世の世界はこの水槽の中の世界で、この中に一定の法則がはたらいてるわけ。
水槽の中で生きてる金魚にとって厳然とした法則であって、
この水の中でこういうふうに生きるしかない法則があるわけだす。

行き渡れば壁があってそれを超えることができない。
右に回っても左に回っても壁があって、後ろにもある。
一定の大きさがあってソコから出る事は出来ないという「限界」があるわけ。

底もあるし空もあるけど、空に飛んで空から出る事は出来ない。
地面に相当する底面のところもあるんだけど、その底を割って
底から出る事も出来ない。

自分の生きてる世界は、敷きつめられた白い小石と、海藻と
何故か得られる餌。が時々得られる、あとは仲間たちが生きている。

でもその仲間たちと話しても、この水槽の中が現実の世界だと言っている。
いくら話しても、仲間たちにはわからない。どんな恐ろしい世界かもしれない、
とも言うし、水槽から出る勇気もない。

たまにその水槽からジャンプして水槽の外の世界を見たという金魚がいるけど、
みんな信じない。ただジャンプして見ただけじゃないか、実際に外に出て
探検して生きて帰って来た人なんかいないじゃないか。
あくまで外の世界は非現実の世界であって、想像でしかない。
そういう生き方が、3次元であるこの地球上での生き方なわけだす。

しかしそういう金魚たちの言う意見には、誠にもっともな事があって、
それを否定することは、その水槽の中では無理なわけですね。

だから、そこに急に羽の生えた金魚が現れて、
空を飛び水槽から飛び出て外の世界を飛び回り探検して来た事を言うと、
どういうことになるかというと、自分だけ、そんな一匹だけ羽が生えた金魚は、
もともと嫉妬されていたこともあり、誰も信じないで、最悪、
大嘘つきだと言われ村八分や袋だたきにあったりするわけですね。
大体なんだかんだいって、これが宗教というもののおかれている状況でもありますね。

ただ、真実を探求したくて、みんなで一斉に外に飛び出してしまったりすると、
幸福になってわかるかと言うと、実際に飛び出してsまったら、
もう水槽の世界には戻れなくなってしまうわけです。

本当はこの世を取り巻いている世界の方が大きくて
広大無辺で本来の世界であるはずなんだけど、水槽の中の水の中でないと
生きていけない、あるいわ水圧がはたらいている、そういう泳ぐという形でしか
生きていけないという、そういう前提条件のもとに、人は縛られて
人間はこの世で生きているわけだす。

だから本当の話をしてもそれを聴けない信じられないのは、
一定の理由があるわけで、それは、生存してる世界が違うから、
話をまともに聴けないわけですね。

そういう世界の真似しうようとしたら、実際には死んでしまうわけです。
だから、基本的には、外の世界を知った時は死んだときで、
死んだときは外に出る時ということになるわけだす。

ただ、それでは可哀想だということで、一定の例外があって、
あの太った人のようなある特定の能力のある人が
ホンモノの霊能者のような人が役目を持って
外からこの世に生まれて来て、そして半信半疑で人は聴いたり、
信じる人もいたり、とにかくそのような事実が途切れないように
なってるわけです。

だから、隠された真実であるんだけど、隠されてるには、
理由があるわけ。
それを隠されてない状態で手にとるようにわかる時は、
この世に生きてない時。ということで意味があるわけ。

つまり、この世で、そういうオカルト的な真実は、
隠されている事で意味があるわけで、それをこの世では、
証明して納得出来るようなものになることは不可能になってるわけだす。

そういう世界の事に関して、この三次元の地球で肉体を持って生きてる私たちには、
「信じる」といいことでしか、それを理解するしか出来なくなっているわけだす。
しかし、それに、この世の生まれて来た事の意味が隠されているわけだす。

つまり、私たちは、この世に生まれて来たけど、
何を信じて生き、そして死んで行くのか。
それにかかってるわけだす。そのチェックをしにみんなは生まれて来てるようなもんなの。

だから、信じること。というのは、
みんながこの世に生まれて来た目的でもあるの。
何を信じるか。が大事なわけ。だから、つまらないものや、
マイナスな世界を信じることなんて、それだけでも愚かだってわかるんだけど、
クセついちゃってると、それが磁力つけちゃって、
気づかぬうちにそっちに引っ張られて、気づいたときは
めちゃくちゃ不幸の中だったりしてるわけ。

だって、信じること。というのは、自由になってるべ?
何を信じようと自由になってるべ。うまーく出来てるじゃんよ。
よく考えると何故自由なんだか、何故みんな自由なんだか、
説明出来ないわけだから。人間みんなそれは同じである。
というのもおかしい話でもあるんんだから。それは法則じゃん。
決まり事であり、礼節であり秩序じゃん。
わかりやすくいうと、めちゃくちゃ大人な、親の意識じゃん。

もーほんとどこみても完璧だから凄いわけ。この宇宙の法則は、自然わ。

つーか。神さまわ。



ん~.......。じゃーなんでそんな世界が出来たのかしっとるけ?
という話もあんだけど、ききたいか?(笑)
でもやばいからここまでだ今年わ。おーあぶねぇ~。久しぶりに話すと、
慎重に書かないといけないんで、緊張すりうわー。

な。


だから、良い年を迎えておくれ!