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welcome to U+B+A in saybow(2005~)

同じ頃に同じようにデビューLiveしてたバンドがいてた

2009-09-26 | ・nTinDEEP


そんな感じで。

「Saybow&the Wipers」は、初Liveを行い、ついにデビューを果たしたわけだけどさ。
そのちょい前に、同じように?「THE MINSYUTOH」というバンド?も、ついにデビューしてやがんの。

だから何だか、我がバンドの華々しいデビューLiveは、
日本国とバータータイバンついでに一緒にデビューの時を迎えたような、
別にそこまで考えるほどの両者に深い関連性や意味があるわけでもないけどさ、
その「一緒の時期感」としての印象だけは、どうしても残ってしまう感じが、
おもしろいわおもしろいけどちょっとたつとあんまいい気分はしないような気分はしないでもいいか。

ん~んそんな感じでよくわからないうちになにしろLiveを終えると日本は変わってた。

でさ。

その人気投票の結果において、日本国民は、戦後から今までずーっと政権与党の座に着かせていた
「THE JIMINNTOH」という大物バンドを無様に惨敗させ、
それまで「アンチ=野党」であった、「THE MINSYUTOH」に、その座を与えた。

わけだけど、その選択は、果たしてどうなんだろうか。
なんてったって、責任あるのは政治家だけではない。投票する私たち国民にもそれはある。
なんちゅーことをここ最近思い知らされているわけでもあるから、
「THE MINSYUTOH」というバンドがこれからさらに良い演奏良いLiveをしちゃうような
メジャーな大物バンドになっていくかいかないかは、これからじわじわと解明されていくんだろうけど、
「Saybow&the Wipers」も同じようにじわじわと解明されていく。とか同じ舞台に乗せられ言われるとしたら、
「THE MINSYUTOH」には、負けたくないなぁ。

だから。政治と政治家についてちょっと話してみるからね。

その新しくデビューしたバンド「THE MINSYUTOH」そしてそのメンバーに対するマスコミの伝え方は、
国連総会Liveでの上々のスタートぶりもあってか、そのリーダー=党首=新総理はもちろん、
その妻にいたるまで、何だかオバマの時のアメリカみたいに、熱気を含んだ伝え方してて、
それは大きく影響を及ぼしたかのようにそれとカップリングするように支持率はさらに増え、
否が応でも日本全体がお祭り騒ぎの中で、
その新しくデビューした人気投票一位の王座(政権与党)に着いたバンドに対して、
かなりの期待を膨らませ観賞楽しむ大勢の観客を前に、この新しく王座になったこのバンドは、

果たして王座につくべき本物のLive「ロック」バンドであるのかどうか。

議席も支持率も今までと比べると異常に高く期待も大きいというので、
日本はこれで新生し、やっと、これから良くなるように変わっていくのではないかとも言われてて、
それは、これから否が応でも、じわじわと解明されていく事になるんだろうけど、
私には、そんなマスコミ報道による「バンド」の話=ドラマなどに影響されることなく、
実は、そいつは「バンド」ではなく、新しく政権与党となったそれまでずーっと
野党であった宇宙人のいる政党だという事もわかってるし、
そのバンドがそれまでずっと、もう時代遅れでつまらない「保守」として君臨していた
人気大物バンドの座を奪い、人気投票1位の王座になったことで、これから日本が面白くなる良くなっていくとは、
思えないわけだスね。



で、話は戻るけど、そういうことで、マスコミは、新しく政権与党となったそのバンドいや政党
について、ココ最近における党首の人気度アップもあり、毎日のようにいろいろ報道伝えているけど、
これからの政治、日本が、本当に良くなるように変わっていくかどうかは、
与党野党関係なく、日本にどれだけ本物の「政治家」がいるかどうかなんだと思うわけなんですね。
「政党」に目を向けるよりも、これからは、大した政治家がその政界にいるかどうか知ることなんだと思うわけだス。
それは、政治というものを、自分も政治家としての目で政治を理解してみれる。からなんですね。

「政党」とか、「派閥」とか、いろいろ複雑にあるので、私たちはよくわからず、今まで無関心だったわけで、
いざ、日本の政治、政権与党が、今回の選挙で変わったという歴史的な事件を知らされても、
それにしては、その本質をあまりに知らないんですね。「政治」って一体何なのかよくはわかってない。

「政党」という「バンド」があったって、そのバンドメンバーである政治家がいなけりゃ、
成り立たないわけで、そのバンドは、音を出せないわけで、だったらまず「政治家」という者の
一人一人がどんな演奏をするのか、どんなアンサンブルをみせてくれるのか、
面白い価値のある演奏をするのか、それは口先だけのつまらない価値のない演奏なのか、
それを分かることで、政治、日本の政界というものがどんなものであるかが分かって来ると思ったわけだス。

というわけで、「政治家」というものを調べてみたら、わかったことがいろいろあってね、
それを話したいわけだス。伝えたいわけだス。

これまで、国内外に難題が山積してるのに、誰といってびしっ!とした
有効な対策を打つことも出来ずにいた日本の政治家の人たちの質やセンスや能力やレベルが、
全体的に向上し、真の意味で日本が新生して変わっていくかどうかが、大きく政界が変わったことの
何よりもの本質なんだと思えるようになったんだけど、
それは、与党や野党を問わず、今の日本の政治家の中で、本物の「政治家」がどれだけいるかということになる。

それは、「誠心誠意、国民のためにやっている政治家」
「本当に正直に、国民のためにやっている政治家」がいるのかということ。

たとえば、政治家は、国会議事堂や役所の中から出て、街を歩き、
もっと人々の声を聴かないといけない!と思いそうしてるような政治家はいるのか。

また、自分自身の私利私欲や権力欲、地位欲、名誉欲のために
政治をやっていないかどうか。その点について、本当に、反省を迫る必要があると思える政治家はいるのか。
みたいなことだろうけど、まだあんまし、そうような政治家がいるようには感じない。

それはきっと、今の政治家の人たちの誰を見ても、「気概」を感じないからだ。





政治家として、いろいろな人が物足りなく思う理由はただ1つ。それは、「気概」が足りないからなのな。

私は「気概」を持った政治家以外は政治家など勤まるわけがないと分かるようになったんだわ。
それは、重要なことなのな。政治家にとって。

「気概」というのは、どういうことかというと、困難に負けることなく、不屈の精神で立ち向かう意気込み。
批判を跳ね返して、筋を通す。正しいと思う事をきちんと言う。少し批判を受けたら、すぐ大臣をクビにしたり、
幹部を引っ込めたり、謝ったりするんじゃなく、きちんと正論を通す。

それが「気概」だ。

本物の政治家を見分けるには、ソイツに「気概」があるないかで分かるんだわ。

官僚がつくったペーパー見ずに自分の言葉で話した新大臣たちや、
上々だった国連総会での新総理ハトヤマ氏を見ても、しっかり戦略を持って、
勝負しには行ってるな前のアソー氏とは違うなとかは思えるけど、
それは「戦略」以上には思えず、その中から、「気概」をも感じられるまでにはいかなかった。

それは本当に重要なところなんだ。って本当に俺は「政治」について話してるよおい。
話せちゃってるよおい。話すぞ。

政治家に「気概」があるかどうかは、本当にとても重要で、
それは、政治家にとっての本来の仕事、その檜舞台は、「外交」にこそあるんじゃないかと思うからで、
日本にとってそれは、経済から教育や環境などあらゆる問題にリンクするし、何よりも、「外交」は、
政治家が政治家として最も発揮しなくてはいけない、国益と国防に最も関係するところだからだ。

例えば、北朝鮮の問題は、拉致や核ミサイルなどから、
日本の政治家にとって最も重要な課題で、その指導者は、この問題について、
どのような用意、考えを持っているかは、そのまま最大の日本の外交レベルのポイントになる。

そんな中で、金正日は、オバマ政権の足下の弱さを見透かしもういろいろやっちゃってて、
日本や日本の政治家たちに対しては、デヴィ夫人ではないけど、金ちゃんはまったく相手にしてない。
それは、その国家を指導している優柔不断さ、決断力のなさ、勇気のなさ、智慧のなさを、
全部見透かしてきたからだ。金ちゃん。

金正日にとって、「友愛」を掲げる日本の新総理の誕生は、さらに万々歳でもあんの。

金正日にとって、今度の日本の新しい指導者は、コイズミ君なんかと比べたら、
まったく怖れるには足りない何一つビビるものがないんだから。
だって、その新しい「敵」は、「制裁」ではなく「友愛」でむかってくるってんだから。
嘘つき詐欺師の金ちゃんにとっては、騙すにおいては、得意中の得意のような「敵」だ。

なにしろ、今の北朝鮮、金正日は、核ミサイルで脅しながら得意の拉致戦術をも使って、
思いのままの極道非道ぶりだ。

拉致したアメリカ人を返して欲しいのなら、大きな見返りや貢ぎ物を持って私のところまで出向き、
連れ戻しに来なさいと、その要望に従わせては、今ではアメリカまでをも、思いのままにするほどの絶好調ぶりで、
なにしろ、アメリカのオバマ大統領は、イラクの次にアフガニスタンのことで手一杯で、
北朝鮮の事など考えてもいなかったからミサイル問題に重ねて拉致の事などでかなり動揺をあらわにして、
クリントンとのツーショットで見せた、あの、今までに見た事のないような元気なあの金正日の満面の笑みは、
金正日に見透かされたアメリカの足下の弱さを象徴してるみたいだ。

それに重ね、イランと北朝鮮は「地下」でその核との繋がりもしてたりして、
さらにイランも核開発してることが明らかになって来ると、もう。こうした国々で同時に、
アメリカを撹乱するような騒動が起きたとき、今のアメリカは、とても対応出来ない国になっている。

その隙に、中国は、過去十年間で三倍以上、軍事費を増大させ、
今ではアメリカに次ぐ世界第二の軍事大国になっちゃってて、
それは、中国に「仮想敵国」があって、あるからそうする。ということを意味するもので、
冗談ではなく、最終的には、本当にアメリカとの戦争まで考慮した準備をしてて、
それは、太平洋の「覇権」を本気で握るつもりでいる中国を意味してる。

その証拠、その前哨戦として今、中国は本気になれば、飢餓で苦しむ国民を放ったらかしにして、
テポドン遊びに夢中になってる北朝鮮に対して「いい加減にしなさい!」と叱り、
止めさせる事が出来る一番の立場であるにもかかわらず、中途半端な態度を撮り続けてる。それは、
北朝鮮の脅威があった方がアメリカや日本の牽制になるからだ。

そんな世界状況の中で、日本の国益や国防を、いかに考えいかに伝え、その時になったら、いかに動くか、
それをしっかりと構築用意出来ているかどうかは、指導者や政治家にとって最も重要な課題なのに、
マスコミも政治家も、そのことに関しては、出来るだけ触れないようにしているわけだス。

その理由は、ただ、怖いから。という、もう、あまりに小さすぎて、情けないったらない。
すでにまったくの負け状態なめられ放題であろうとも、ただただ問題さえ起きなければ良いと、
それに対して触れることは、恐怖だからしちゃだめぇ~!って感じ?

そこには、政治家だけにとどまらず、自分の仕事に対して何の「気概」も感じない者だらけで、
本物の「仕事師」の存在がいないということでありそこには「プロ」がいないということだス。
だから、勝手にタブーなる制限をしては、平気でつまらないものをつくってみせられる。
昔は、クレームが来るまでは、どこまでも自由に面白くてつくりたいものをつくっていたけど、今は、
クレームを怖れるばかりに作り手側からそんな規制してんだから、何も面白いものなど生まれるはずがないし、
それは、つまらない世間をもさせてしまうので、「気概」がないどころか、
まったくもって、無責任なる罪の世界だ。



そんな中で、少なくとも、鳴り物入りで新しい日本の指導者となったハトヤマ君は、
そんな国々に対して、当然「気概」を持った態度を示してくれるだろう。と思えるかなぁ。

金正日に直接会って「あなたね何をいい大人がバカなことやってんの!
あなたたちは一体自分が何をやろうとしているのかわかってるのか!?
飢餓で苦しんでる多くの国民を放ったらかしにしてテポドン遊びしてる場合か!
自分のことしか考えない指導者なんて、指導者としてまったく資格ないんだよぅボクぅ。
そしてまた、お隣の国のあなた、今や私の国を追い抜くほどの大国となった国の指導者なら、
世界の指導者としての資質を見せて下さいな。そんな立場でもあるにもかかわらず、
何故明らかに間違った方向に進む隣国に、注意を促し正そうとしない!
あなたも自分たちのことしか考えずに、偉そうにしてる場合でもないだろうに!」

とかそれは「正論」なのだから、何も怖れることなく
堂々とはっきり言ったりしちゃったりしてみてよ。 と思うわけだス。

それは「気概」があるなら、出来ちゃうわけだけど、またもし、そうだったら、
本当の意味で、新しく生まれ変わった日本は、世界中から、
敬意と賞賛を持って祝福され、見直され信頼を勝ち取るだろう。そして、
私利私欲な間違った指導者たちのいるそういった国は、
そんな感じで「正論」を堂々と言って来るようなそんな「気概」のある日本に対しては、
思いもよらなかった事ゆえに、慌てては、まるで子供がこわ~い先生=大人に叱られるような思いでビビるだろうし、
今までのようなナメたような態度をとったり、切れてもともと「脅し」のために使っていたミサイルを発砲するとか、
いくらなんでもそこまで愚かで下手な事はできないだろう。から、
指導者なら、やらなきゃいけない事であるだろうし、何よりも、それこそが「政治」ではないか。
これこそかっきーくらいの「政治」中の「政治」じゃん。
だから、おいしーだろそれ。政治家として。絶好の機会だろ。

そんな感じで「外交」をこなせるようになれば、世界中で日本はもっともっと評価され尊敬もされるだろうし、
世界から日本が評価尊敬されるようになったら、それは国内問題における経済や教育などをも
安定させるような影響を及ぼすだろうし、映画や音楽などの文化面でも、良い影響をおよぼすだろう。

だから、ハトヤマ、当然、そりゃやるだろう。するだろう、言ってくれちゃうだろう、
ばーん!と正論叱りつけて、金ちゃんやらに反省させたり人格変えたり出来るだろ、
少なくともそれに挑戦する準備は、もう出来てるはずだろ。
とか思いたいところだけども、何しろ、

「友愛」だから。 ........どんなもんなのそれわぁ~?

下手したら関係悪化させぬためには、貢ぎ物まで用意するような態度に出るかもしんないよ。
だとしたらそれは何の解決にもならないばかりか、さらにつけあがらせるだけの行動じゃん。

とかまで言うのは、新しい我が日本の首相に対して失礼だけども、
今の世界状況の中での日本を考えるに、そういうならず者な国に対して、「友愛」とか、
そんな事を掲げることで、上手くやって行けると本気で思うような指導者だったら、それはちょっとやばいべ。
お前は兜に「愛」を掲げた直江兼続かぶれのただのミーハーかみたいな。あ。また失礼な事を言ってしまいました。

でも、政治家はアーティストじゃぁないからね。また、アーティスト気取りの政治家はさらにやばいから。





真に「友」人として真に「愛」として示すというなら、おかしくなってしまった友人を蘇生救済するために
必死にほっぺたをバシバシ叩くように、勇気を持って堂々と「叱る」ことだろ。その「気概」でもって。

それをその国に、素直に「受け入れ反省させる」以外に何かあるかな。
「経済制裁」なんて中途半端な方法は、最も愚かだろうし。だってそこには「愛」はないよ。

「気概」しかないんだ。政治家には。それが政治家の真の「愛」なんだから。

間違っている者に対してそれこそ「友愛」で正そうとするなら、
立場的にビビっててはなめられるだけで何も伝えらないし、ビビらせるのはコッチの方だし。

もちろん、それには、勇気もいるし、智慧もいるだろうけど、何よりもその存在感、精神性が
それを決定させる大きな鍵だろうから、修行の必要なとても難しいレベルの、それこそ、
本質的で本格的な「政治」なんだろうけど、真に政治家を目指す者なら、
それを挑戦せずにはいられない衝動が心に働く人こそ、政治家の政治家としての資質を持った本物の政治家だと思うわな。

だけど、ハトヤマ氏が、そこまでの政治家のようにはどうしても思えない。
実際に動くとしたら、そんな自惚れた態度ではなく謙虚に「友愛」をもって.....とかなハトヤマ的みたいな?

また、ではどの政治家なら、そこまでやれるのかと言えば、今までそんなことやった政治家もいなければ、
そんなことを本気でしようとしてる政治家も見当たらないので、言えないけど、
いーヤツだけでは政治は出来ないぞぅ。ということ。甘いぞハトヤマ!
かみさんと仲良くオペラとか唄ってるのは決して悪いことじゃないけど、あまりに奥さんの影響受けすぎなんじゃないのか?
「男」の世界「侍=志士」の世界でもあるんだぞ、政治家というのは。

政治家はアーティストではないからね。

さらにアーティスト気取りで政治家をやるのは、とても危険だからね。その代表がヒトラーだけど。

しかしヒトラーには「気概」はあった。あったからあのような熱狂的な指示を得た。んだけど、
所詮、アーティスト「気取り」の政治家だったから、その結果、独裁者となってからは、
その「気概」は、気概ではなく「欲望」であり「執着」になっていってしまうわけだ。
だからヒトラーは結局は、アーティストとしても政治家としてもニセモノということになるし、
そのことに微塵も気付けぬほどに晩年は、異常なほどに拡大させたエゴ=自我によって、
強い不信感と孤独と恐怖の中で殺戮を命令続けては血迷いながら生きてたから、その被害は甚大で、結局、
ドイツ国民を熱狂させた神であり最大のカリスマとして讃えられたヒトラーのその生涯は、
終えてみればただの我が儘猟奇殺人鬼の生涯として歴史に記録されることになったわけだス。

政治家でアーティストとなるには、その見事なまでの政治力と結果でしかないから。

などなどがわかったんだ!みんな聞いてくれや!と、自慢話をしてるだけかも俺。
そんな俺のことなどどうでもいいわ。

「気概」を見たい。「気概」をみせてくれ。見せろ政治家たちよ。


という、今回は、UDJ的「政治-政治家について」の真面目なお話でしたぁ。文句あっか。

...............................俺が言ってるんでもあるかコレ。

しかし、よくもここまで読みに来れたのー。退屈で長ったらしー話でもあっただろうに。

ありがと。気概。

The photograph of the image is all things taken a picture of by SELMA.


(PS)
原の胴上げみてきた。さよなら歌舞伎座公演行ってきた。明日は横浜の「DRAGON CLUB」という店で、
今は亡きケンゾウの追悼LiveにTを観に行く。あ、やりにいくか。



【未完成満点Live/SWP Live 09.9.13 7Th.Av.】

2009-09-15 | ・Live


さぁ。100万年もの永き間、やろうやろうとして、その都度いろいろなる事情から、
なかなかやれずにいた、俺の新しい奇跡のバンド、「Saybow&the Wipers」の「初」Live が、
この2009年、9/13 秋の始まりを伝える大晴天のSUN-day。
横浜は、浜スタ一塁側スタンド真裏の道路沿いにある、「7Thアヴェニュー」という運動場=Liveハウスで、
ついに、行われる事になったんでした。

+++ +++ +++ +++ +++ +++ +++ ++

「Saybow&the Wipers」は
「saybow」である私のバンドではなく「UDJ+Artworx」である私の初めてのバンドだス。

しかしそれは、私の現在の実年齢である100億5千万歳を迎える私にとっては、これが、
人生最後となるかもしれない、「自分のバンド」ということで、
その構想は、平安時代から黙々と脈々と累々とぎゅうぎゅうに練り上げられ続けられて来ては、
まだ一度もその実現はならずの奇跡のバンドでした。

それが、100億年の年月を経て、ようやく2009年のこの年のゲージュツの秋、ついに、
その全貌をみんなに現し示す「初+Live」が、行われる時が突然やって来たのでした。



あらよっと!あらぁ?




えここどこ。ん? 何してるの。おめーら。
えっ。 えっ? 何?.......................えええええええぇ~なになになに?うしろ?....うしろがどしたの。え?
うしろみてみなって...................................................................なにが




あららららららららららららららぁ~!おぉぉぉぉぉぉぉ~みんなもいて。何してんだ。アホづらしてみんな。
え?....................あ。そかぁ!もう、ココ7Th? なに、あああああああああああああああああそか。そか。
今日は、もう、Liveの日なのかぁ。いやいやいやいや。もぉそぉ~なの。
まだだって未完成だよ? それでもいいんか? 





それだけの長いプロセスを経て、構想し続けられて来た、「Saybow&the Wipers」
それは、なにしろ「一番新しい私(UDJ+Artworx)」の世界ということで、
それは、今までにない「形」であろうと予想されるわけですが、では、
それは一体どんな形に完成されたロック・バンドであるのか。というと、
それは一体どんな形に完成されてるかもなにもおめー。まだ「未完成」だつーじゃんよ。



それを「完成」させるには、そのための「感性」を完成させることでもあって、
何故ならそれは、非常に「オリジナル」な他のどこにもないような、
「新しい自分の感性」つまり「新しい自分のバンド=ひな型」となるからでした。

その新しい感性=バンド=「ひな型」を完成させたら、次に私は
その完成させた「感性」を、うまく送信してバンドメンバーのアンテナにそれを送信します。
それをバンドメンバーにもうまく受信させられれば、
それに「共感=共振」した演奏をどんだけにでもすることになるわけだス。
つまりその「バンド」は、
その「完成した新しい感性」の「ひな型」となってついに完成するわけだス。




それは、その「バンド」の存在から演奏されるそのサウンドなど、
どんなものであろうと、すべて「Saybow&the Wipers」として現れることになり、
私(UDJ+Artworx)から生まれた「新しい自分の感性」は、「新しい自分のバンド」というはっきりした形となって、
ついにここに「Saybow&the Wipers」となって運動し始めることになるわけだス。




しかし私は、1人その最初の「新しい感性」だけを完成させたまま、次の、
その「新しい感性」をどういう形=バンドに完成させればいいのかわからず、
ゆえに、確固としたLiveリハーサルも十分に出来ないまま、「未完成」のまま時間は過ぎていき、
気付くと。「初」Live当日まで、あと一週間を切っても、まだまだぜんぜん未完成の状態の中にあったんでした。



そんなこんなの「Saybow&the Wipers」のデビュー「初」Liveでありやしたが、
如何でありやしたでしょうか。

私としては、まとめられずに混乱しちらばったままの「新しい感性」のいろいろな断片を
そのままうまくステージで描けたんじゃぁ~ないかなと。
1曲目から、ああいったTなどとはまるで違う「アシッド」系のサウンドでしかもカラオケで私がドラムを叩き、
そのまま一人また1人メンバーが登場し、それに重ねて演奏をしたり、
(それは、自由なる自分の世界で自分の新しい感性のバンドをやろうとした時を表現するものでした。)
譜面立てを意図的に立ててみたり、まだ買ったばかりでうまく使いこなせない自分の「新しい楽器」を、
そのまま平気でLiveで使い、そのとうり使いこなせずに(でも使いこなすための良い方法でもあった)、
しかし、忠実にその混乱した断片である「未完成」の世界を描いてみせたりして、客席のみんなにも、
ちょっとした混乱と緊張感を共感させてみたりして、それが、ピークを迎えたところで、

さぁマイケル富岡の登場!



そこで、お約束どうり私の個人的な追悼の意味での「Black & White」が始まる後半からは、
かなりのところまで、みんなを安心させけっこう楽しむことが出来たんじゃぁないかと。
つーか、俺としては、最初から最後まで、出来なかった自分のやりたいことそのまま、
「未完成」だというならそれをもそのまま巻き込み、もう勃起射精するまで、とことん思い切り楽しむ事が出来やした。



そんな感じのセンズリ的なLiveなんで、見に来るヤツなど誰もいないかもしれないな~とか思ってたにもかかわらず、
7THアベニューに足を運んでくれた俺とおなじような物好きなみんなには、大いに敬意を表したい。




また、そんな俺に、人気も観客動員力もまったくあるわけではないにもかかわらず、
どこよりも熱心にLive依頼の連絡をしてくれ、どこよりも自由にやらせてくれる、
7THアベニューの椙江氏には、いつもながら、あつくあつく感謝だス。





それにしてもこの二人。俺のおとーさんとおかーさんか。つーの。俺がこのバンドの最年長者だつーに。

しかし。その日は前日の雨な空とは豹変した、
雲一つないものすごい晴天だったことは、SAYなるTENだったつーことで、
.................意味うかばず(笑)。

The photograph of the image is all things taken a picture of by SELMA.

【未完からの脱出 / 目の前で画霊Y氏のY字路目撃す!】

2009-09-09 | ・Live

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「Saybow&the Wipers」には特別な思いと愛着を感じてしまう。

その理由はいろいろあるが、何故そんな感じになるのかわからないところもあったりして、
ますます、「Saybow&the Wipers」は、今までやってきた「自分のバンド」と比べても、
まだ一度もステージをしてないにもかかわらず「横綱」クラスのレベルにいたりしてる。

それは、「Saybow&the Wipers」を、
「今までで一番自分に近い世界をやれるバンド」にしようとしてるから。
というのが大体の理由だけど、それなら、このバンドは、基本的には、

「アンチanti」側でなければいけない。

何故なら、それがどうやら「自分の世界」らしいからだ。

暗くしみったれた世界が苦手で、
何事においても明るい太陽のような自分であると思っていたが、
人を不快にさせるようなブラックジョークに安心する私でもあるから、
やはり、この現世では、アンチ側だろう。

アンチとかいうのは、あくまで「バランス」の世界だから、
非アンチな世界でそのままでいるとアンチだが、
アンチな世界ではそのままでいるとアンチとならない。ゆえに、
平気でその敵=反対語とチェンジ出来る男らしさと大人の心を持ってるのが、
「バランス」系の強みだ。

「アンチ」というと、何しろ、「裏」的な印象が強
だから、暗く、じめじめした女々しい、否定的な世界をイメージするけど、
だから、その性質は、とても男的で、ストーカー的に誰かに執着し取り憑くわけでもなく、
とてもニュートラルだ。




*******************


そんなこんななあるとき。

Tのデザイン・スタッフでもあるN氏から、

「横尾忠則が岡本太郎美術館で「現場制作」をやるから観に行かないかぁ=?」

という連絡が来た。

実は、そこからもうすでに私にとって特別な、「Saybow&the Wipers」の歴史に残る「デビュー初Live」は、
始まっていると思えて来てる。が、そんな私はほっとき先にすすもう。

そのTの美術スタッフであるN氏からの報告は、あまりにも見事すぎるタイミングで、
その文体からその内容まで、今から思うと、もう、その時の冴えない自分を思い出すと、
そのメールは、救世主からの「神の声」のように思えるほどの、不思議な「事件」なのだった。

ナガセ。そんなもんだとわおもわんかったべ。(笑)


**************


横尾さんは、

私をその職業欄に恥ずかしくも「ゲージュツカ」と書かせた張本人でもあり、
それだけの影響を与えた、私が勝手に認めた秘密の「芸術」の師匠でもあり、
そのキャリアと思想、さらにその感性=アンテナにおいて、
存在的にも、「芸術家」として現在世界で最高の境地に到達している
画霊でもある横尾さんは、国民栄誉賞をもらってもおかしくはない日本の誇る
「芸術家」であり、宝石のような貴重な価値を持つ、私にとって必要な、
良質な「光」を無償で無限に供給してくれる、本当の人格神でもある。

そして。

その横尾さんが、岡本太郎美術館でやるという「現場制作」というのは、
大勢の観衆の前でその制作過程をすべて公開しながら作品を完成させる公開制作で、
それは、まさに観衆の面前で真っ白なキャンバスである「未完成」なるものから、
みんなの前で、みんなと一緒に、その「絵画=作品」を完成させるまでの、
それは、画家という立場で行動する「芸術家のLive」でもあり、

それは、驚くほどに、まさに、前回ココで報告した
13日にやろうとしている「Saybow&the Wipers」の初Liveと、同じ試みである。

横尾さんの「現場制作」については勿論知ってはいたけど、
UBAでそれを報告した時、それが「現場制作」であることに気付けなかった。
それほど、あの時の自分は、あれほど特別なものとして自分の心にあった、
「Saybow&the Wipers」の初Liveを、モチベーションを落としたところで
しなくてはいけなくなってしまった状況に対して、落ち込んでいたのだろう。




***************

しかし、「Saybow&the Wipers」は、やはり、事実、何が起こるかわからない、
面白さを秘めた、特別なバンドである。
それは、否が応でも、私をつまらないものにさせない。
それは、やるだけで、私にとってはとても意味のある面白いもの。
であると言ってるようにも、今の自分には思える。

私は前回のUBAで、「Saybow&the Wipers」がLive当日でも、
依然「未完成」のままである事に、ショックを感じてもいたので、まったく気付かなかったが、
「未完成」なることに関して、横尾さんは専門家といって良い位、昔から横尾さんは、
そのことをずーっと私に語ってくれているのだった。

驚いたことに、現場制作を終え行われた1日目の質疑応答では、
質問から脱線して、何と「未完成」に対する話を延々としたのだった。
それは、目の前にいる私の状況が手に取るようにわかるのではないかと思うほど、あるいわ、
横尾さんがココのリピーター(Uterというが)で前回の「未完成」におけるUBAを読んでいた。
ので、私にそういう話をした。わけなど100%あり得ないことだけど、
しつこいほど、「未完成」であることの是をとくとくと私に説くのである。


それは何度も読み把握していたものばかりでもあったので、
その内容よりも、くり返し横尾さんの肉声で言われる
「未完成」となって何度も空気を振動させるしつこいほどの響きが、
それまでの私のLiveに対する考えから新しい新鮮な考えに変わり、それと連動して、
私の下がっていた13日のLiveに対するモチベーションをも、完全に上げてくれたことは、
歓ぶべき事実であり、大収穫だった。

**********
この一人空気を乱すように立ち上がったり横に動いたりそのままジャンプして天上に張り付いてそのまま飛び降りて全裸になってヌードモデルです!と言ってみたりそのまま背後から横尾さんのクビをしめたり彼も同業とも言えるデザイナーでありアーティストでもあり美術屋でもあるので、良い絵を撮ろうといろいろなその時閃く思いのまま忙しく動いていそうと考えられなくもないメガネ男がその私に神の声を届けた今や私にとっては大恩人でもある、あのジャケットのあの表紙あの絵柄やあのフライヤーのあの絵とかちょこちょこやったりしてるかもしれない、Tの美術スタッフでもある、N氏。Nというのは、彼の右下方向でメガネをかけて白いTシャツを来てるお兄さんのイニシャルだ。うそだ。


それまでの自分の下がった状態は、よく考えたら、何とかそれがバレないように、
自分を騙し騙ししていてわからなかったけど、そのままやっていたら、
二度と再起出来ないぐらいのトラウマを起すほどの、
とても悲しい事件を起す磁力となるほどのものをカラダに張り付け、
ステージに立とうとしていたかもしれない。

そうなる前、しかも、時期として丁度良い、そうなる前の時期に、
どこよりも行くべき場所に、導かれるようにして、驚くほどに2日も続けて行き、
行かずにいたら、もの凄い損をしただろうし、損するだけではなく、
そういった失敗=事件までも起してしまいそうな波動であったと思う。



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とにかく。「Saybow&the Wipers」は、私にとって、
おそらくおめーにとっても、今までの中で何か、特別なものだと思える。
それは、コツとして、実際にそうだと思ってみることで、
そうなって行くものでもあり、それはあるところまで研究し習得させると
Liveどころか自分自身のLive=人生まで、ますます楽しめるようになる。
かもしんないが下手に変にそればかりにハマってしまうのもいけないので
とにかく、自分のアンテナの感度その感性は、思いによって変えられる。

それは、ここ(だけ)で発表し続けてる私のつくる「絵画」に、
メッセージとして現れてもいるので。私のココで発表する絵=作品は、
何度観ても飽きないし、日によってまったく違うものに見えたりもして、
どんな人間のアンテナをも感性を高めるように刺激させるので、
毎日こわがらずに(笑)観る事を勧めやす。

ってさんざん横尾さんのことを書いててて
最後のトリはすごい自信満々で自分の絵について語る俺かい。

何か最後にきて悔いの残りそうな失敗してしまったかもしれない。


ってね。そういうことをLiveではすることのないように、こうして最後に記しておこうかにぃ。

それでは7THで会いましょう。
「Saybow&the Wipers」のLiveは、どれだけ受けるかとかよりも
どれだけ来たお客さんのアンテナを一本一本自分と同じメーカーのものであるかチェックし、
そうでなければ即座にそれをむしり取り俺と同じものにどれだけ知らぬ間に交換して、
ドイツの感性でも俺の感性と互換性を持つようにさせては、何回も感謝されるようなLiveにしようとは思ってないから
安心しろいいんもうは好運のしらがけば。