U+B+A :udj+blog+artworx

welcome to U+B+A in saybow(2005~)

★狂いまくりか生態系?それを阻止するドリフの全員集合!★

2005-07-22 | ・nTinDEEP



ダニの寄生によって
アメリカ全土の半数のミツバチが全滅してんだって。
こんなニュース知らないべ? 言わないだろ?古館とか。

人間は、その食べ物の3分の1、何十種類もの
農作物が実を結ぶための受粉を、ミツバチに頼ってんの。

で、その寄生虫のダニの駆除剤の開発が間に合わず、
科学者はそのために焦っていろいろやってるみたい。

とわゆーものの。
またまたどんどんすごい強力な駆除剤とかまたつくって
てめーらも含めた生態系すべてを狂わすだけの事を
やってるんだろうけど。

ま、これも、自然との対話だす。





こんな話で終わるのもなんだから、


俺やっぱ、ドリフの全員集合のDVDが欲しいかも。
三船敏郎が出てるんだよね。赤ひげが。ギャグやってんの。

今ああゆう番組ないべ?

あるレンタルビデオ屋でそれ流してたら、
ガキが10人ぐらいたむろしてみてるわけ。
今でも、しっかり子供が反応するんだよ。

ドリフってすごいな。と思った。


★喚ばれる力の原理★

2005-07-21 | ・nTinDEEP



あれだけがんばってその不遇な境遇を救い、擁護し、
源氏としての誇りを守るため、がんばって共に戦った、
弟・義経に対して、

いくら、史上初の武家政権を樹立させた将軍であろうと、
その自分の犯した罪を裁くことなく
結局は、自己保身のための感情的な妬み怒りで、
その功労者である弟義経を、平気で敵だと裁き死に追いやった、
兄・頼朝の哀れさを秘める、鎌倉鶴岡八幡宮

また、その義経の愛人であったことで、
頼朝に、義経との間の子を殺され、
さらにその頼朝夫婦の前で、
白拍子として舞いを命じられた京の白拍子であった静御前が、

その白拍子としての誇りを忘れず、勇敢にも、命を惜しまず
義経に対する永遠の愛を誓う舞いを見せた舞殿を遺す、鎌倉鶴岡八幡宮

その神社から溢れる、武家世界に生きた者たちの、
権力者の哀れさと、護る者たちの愛の厳しさの物語の、
それらを取り囲み放つその余韻を護りつづける霊気で溢れた樹木たち。

それを肌に感じさせるのが、私を喚ぶ力「鎌倉」の目的だったことを知る。
じわじわと、「護る」という事の「無我」なる真実・厳しさが、
それを受け入れられない自我に囚われた世界の中で、
はっきりとそれを選別淘汰しようとしている。
今の自然界の運動状態が見えて来る。

今、大事な事は、

やはり、変なものに憑依されてのそれではない、
本当の「自然」と共に、同じ視線でものを見、感じ、
人の事に対してではなく自然に対して対話し語れること。

決して不自然で矛盾させた、
あわれではない「自分」を、舞い語れること。

「自然」以外に裁けるものなどいない。ことを自然から感じること。
それが「自然」なるものに喚ばれる力。

失敗だったのは、YCのすすめる報国寺・竹寺が、
4時に閉まることを知らなかった事。
しめんの早すぎるだろが!しかし、だから意味ある!のかと。
そこに着いたのは、5時過ぎ。
竹から出直して来いと言われてしまった。(笑)

自分に厳しいことで喚ばれる力がつく。
それわ不快な魔に打ち勝つ力。

護符!


★本当の自分が生かされる道に行け★

2005-07-19 | ・nTinDEEP



【 H・G・ウェルズのスピルバーグの宇宙戦争 】 

スピルバーグがガキのとき見たあの、
H・G・ウェルズの「宇宙戦争」。あの「怖い感」。
絶対思い入れがあっただろーに。と思うんだす。
私は、スピルバーグは、大好きな監督なんだけど、でも、
私の大好きなスピルバーグは、あたたか・少年よゐ子の
「ET」のスピルバーグ監督じゃなく、(ETも大好きな映画だけど)
むしろ、「激突」や「ジョーズ」や「ジュラシック・パーク」や
「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」でわかるとーりの、
「怖い感・パニック感」出す映画とらしたらそりゃもー神わざな監督としての、
スピルバーグ "パニック”映画監督がめちゃくちゃ好きなわけで、
思い出すなー。はじめてジュラシック・パークを封切りで、
もちろん「一人」で見に行ったときのこと。
そこらじゅーアベック(死語だ)だらけの映画館。
私の後ろの席では、へなちょこなカップルが、まるで
「子猫物語」を見に来たよーなつもりで、映画が始まり前、
ポップコーンくいながらいちゃいちゃへなちょこトークなカップルだった。
そして、
うっわ====っ!!めちゃくちゃおもれ====っ!!
これわあのしょんべんちびりそーで夢でうなされたほどガキの頃怖かった
名作・白黒ゴジラのオマージュだぁ=====!!!
と感激もひとしおエンディングクレジットも終わり客席を立ち帰ろうとしたとき、
後ろのいちゃいちゃへなちょこアベック(だから死語)まだいて、見ると、
二人で髪の毛逆立ちながらガチガチ震えてて固まってたっけ。
とゆーほど、怖い・パニックもの撮らせたら、絶対スピルバーグなのだ!
の、だから、その、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」。
絶対見たかったわけで、しかも、ちゃんと見る日を設定してたんだす。
それはその映画館周辺が花火大会で人出100万人な勢いの超満員のレイトショーの今日。
もちろん。一人で。
あぶなかったもーちょっとで完売になるところだったけど、
すべりこみセーフ。
超満員でゴッタガエの映画館で、
あのスピルバーグがリメイクしたあのH・G・ウェルズのあの「宇宙戦争」を見る。
これしかないでしょう。
そりゃーその「怖い感・パニック感」。イー感じだったー。
映画館自体もしっかりそーりゃ怖くてパニックだったー。
愉しかったー!!!!
これが映画を映画館で見ることの醍醐味じゃんよー。
絶対スピルバーグの「宇宙戦争」は映画館でだろーに!
ハリウッド映画は決して嫌いじゃないんだって俺。
つーか映画大好なんだっつーに。
あーおもしろかった。
でもこのシチュエーションで見なきゃそれは半減してた。






【 H・G・ウェルズのスピルバーグの宇宙戦争は一人で観よう 】 

私のようなスピルバーグ・ファンのヤツがいるなら、
スピルバーグのパニック映画に関しては、
超満員の映画館で「一人だけ」で観ること。
これがイケまっせ旦那。とゆー話。なわけだす。

何故イケるか?

スピルバーグのファンで良き昔からの映画ファンならば。
と、思うんだす。
まるで昔のよーなあの大にぎわいの感じで
わーわーいってスピルバーグの「パニック娯楽大作」映画を
映画館で観ることの素晴らしさ「家族的平和」さを、
「一人」で見てると、
スピルバーグ・ファンなら一人そこから有体離脱して
映画館の天井の天上界から映画と客席のみんなの
いー感じの平和かげんを眺めて愉しんでる天使な気になるはずだからだす。

とゆーね。

それがスピルバーグのパニックもんの、
とゆーよりも、スピルバーグの力のワザの良さだからだす。

とゆーよ。どーだ。



【 H・G・ウェルズのスピルバーグの宇宙戦争と言ったら火星人襲来だ 】

本当に火星人が襲来したと思いアメリカ全土をパニックにさせたとゆー。
あの有名なオーソンウエルズのラジオドラマ。
http://www.d3.dion.ne.jp/~t_uchita/koukoku/1938/h.g.welze/kaseijin01.html

しかしその話も何とのどかで平和なことよのー。って思っちゃう。

その何十年後にニューヨークで、
火星人ではなく人間による本当の襲来があるなんてさ。

とゆー話なのだよ。

だからって昔は良かった!じゃない。
昔から感じるエレメンツを一杯発見し生かす時代が来てる。
とゆー話なのだよ。俺とスピルバーグの(笑)。

こわかねーんだ本当わ。スピルバーグの「宇宙戦争」って。
平和なの。未知との遭遇やETより。本当わ。
わかりやすかみなさん?そゆー感じで愉しんでつくってるの。
スピルバーグの「宇宙戦争」って。




しかし本当に今年私わ「しんせい」なんだなーと思う思う。
しかしそれ良き運動だから良い良い。こと。

今年が私にとってしんせいでなかったら
二度とSaybowはもうないだろはずだ。

って自分のことばっかだ何をしてても考えてても
俺俺俺しかしオレオレ詐欺でわなしだけどもこの俺好きカゲンも
もー俺俺俺俺わやになりそー。
だがなるもんか。だって俺だもん。(笑)。ってね。何かいーかんじだろ。
あいかーらず。

とか何を言おうとしたんだっけ?そー。
しんせいだなーと。つくづく。

だって「50」に入った年なんだもんなそりゃーそーだろ
とも思うのなだからやっと話そうと思ってたこと思いだしてきたけど、

今年は俺、シツコイほど自分の「顔」を
この自分のページでも何でもよく出すと思う。

けども、決してそれわ、鏡みてうわおーせーちゃんすてきー?
みたいななそんな非国民「歌手」のよーな
「ナルシスト」的な自己陶酔的な俺だとゆーことで
しつこく顔を出す。または顔を描くわけではないのな。そこんとこやだよ
まちがえないでな。すぐ間違うよみんな。もーさ。

あのね。

今年は俺、シツコイほど自分の「顔」を
この自分のページでも何でもよく出すと思う。
とゆーのわさ、その私にとって貴重なしんせいの年だからさ、
だからさ。私わね、その年の自分の顔を出来るだけ記録させておこう!
と思ってやるんだからそこんとこよろしくゥ~。
これわアートアートのUDJ+artworxな話なんだからね。

しかし「50」の男の顔とは思えない。
しかし、それわ良いことなのか良くないことなのかもわからない。
とか言うとすぐ考えすぎだとかなんとかかんとかそゆー事言われるんだけど
もーそーゆーの俺にいわんといてな。考えすぎるほど俺は頭よくないんだからな。

とか言っちゃったりしてちょっとやらしー気がはいっちゃったかなー。

とぉ。

とにかく、自然と私はちゃんとに肉体も魂も
「夏休み」に設定されっちゃってる。
すごいなー俺。ってあまたまた俺俺俺っていっちゃったー。

ってだから顔を出すから今年。外やLive会場でもなく
あくまでなんかネットの世界でだけ情けなくもわりーが。

でも、ココが俺の聖地だから仕方ないべ。
明日は鎌倉に行ってみようと思ってる。


★帰宅しやした★

2005-07-12 | ・nTinDEEP


湯の町伊東で開かれた、
「Y字路から湯の町へ」の話を聞きに
画霊・横尾忠則に会いに行くのが目的だった。

やっぱ横尾さんはまったく私と同じだった。
ニュートラル。エロス。そして、温泉。
これが今最もしんせいなこころえ。

「個人」ではなく「個」としてあること。

それは、まずもって自然なるものは、信じられるものは、
自我ではなく無我である。ということの重要さを、
さらに具体的に追求した、これからの創造者の次元の話で、
聞いてて、それは私の考えている事いや感じている事と、
まるで同じであることで、異様に興奮している私。
私がどれだけ孤独であるかの証拠で恥ずかしい。(笑)

私はこの人とマックの存在がなければ、
絵など何もわからなかっただろうし、
いくら誰よりも自由なる自然なるあーちすとを自負する自分でも、
ここまで絵を描こうなど絵が描けるなどといった世界は、
とうていなかっただろうことは、明かだ。

それだけ横尾さんの芸術は、
「個人」ではなく「個」としたことで、
美も醜も上手い下手も模倣も独創も聖も俗も、
すべてが1つに統括・コラージュされた、
ますます自由で自然で純粋でニュートラルな世界、
それは私にとっては「寅さん」であって、
それは自我の強い観念的な創造や表現の世界でもある
今の美術界以外の普通の人。
こんな私みたいなあり得なかった者たちまでも、
愉しませ魅了させ、すべてのものを「創るもの」にさせる。




それが、「個人」みんなの本来であるしんせいなる「個」の力・次元だ。
「個人」は、みんなと離ればらばらになった中の1つだけど、
「個」は、そのまま自然と繋がっていて、すでに悟っていて、
否定的にならずただそのまま目的に向かって元気に運動していれば、
それだけで「1つ」の大いなる力でありその媒体だ。

テーマを決めるということは、
いかに自分が不安定であるかを暴露してしまうものだから、
そんなものにも囚われず、ただ感じるままワクワクする方向に
自然のままありのままに生きて(動いて・描いて・創って)いけばいいだけだ。

ってバカだこれじゃ。イマイチさいごのココ、
書き方下手くそーぅっ!


....................とにかく。

その時の感激は帰宅してからも止まることなく、
気づくと私は横尾さんにその自分の気持ちを発信していた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

拝啓 画霊 横尾忠則 様。

「これは行かなければいけない!」
と何故か直感を感じて行った「Y字路から湯の町へ」

それは私にとって、
あまりにも見事な直感だったことに驚いています。
いや見事だったのは横尾さんで、その見事さは、
そのサイトに書かれてあったとうりの
それは本当にその会場に行ってその「ショー」を見なければ、
決してわかることの出来ない
「自作を語るトークショー」でした。

私の真うしろの最後部席にいた、黒い洋服のワイルドな人の奇声に、
それまで一見「運動不足」かのような曖昧さで語っていた横尾さんの、
あの煌めくような条件反射による明解さ。

それは、決してトーク・言葉・頭だけではない、
真実「自作を語る」通りの行動「運動力」であり、
その偉大な芸術家としての在り方を、私の目の前で示して頂いた、
本当に素晴らしいほどの「ショー」でありました。




池田美術館にも行かせてもらい、
初めてあの扇風機とヘチマと芸者さんの銭湯の絵を見て、
何故か、世間では不評でもあった
黒澤明監督の「八月の協奏曲」のパンフレットに書かれた
数少ない中での横尾さんのあの作品に対する賛辞の言葉を思い出し、
感動してしまってました。

ちなみにあの様々な「Y字路」への私のイメージは、
何ともお恥ずかしいものでもありますが、
様々な子宮に帰還する勃起し挿入した様々な男根。
というものですが、如何でしょうか?

私が横尾さんの芸術に想う印象は、エロチックそのものなのです。

そして、そんな自分ゆえに、
「記憶の光景」での横尾さんを一生懸命愛した、
素晴らしい横尾さんのお母様が、臨終された時の胴巻きから出てきた写真の話に、
今でも涙が止まらない私です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

会場の周辺は昔ひぐらしの森という、
非常に牧歌的な地だったらしく、を探索してたら、
日暮八幡神社という、
伊豆に配流されていた若い頃のスケコマ源頼朝が、
配流されているとゆーにもかかわらず、今のガキと変わらない感じで、
現地のお姫をナンパしてはいちゃついていた、
ひぐらしの森の可愛いプチな神社があった。
いちゃついてた証拠に、この可愛い神社を守る「樹」が、
めちゃくちゃエロいったらないの。




源義経ゆかりの地、平泉の毛越寺と中尊寺
荘厳なる平和さと、このひぐらしの森に中にぽつんとかわいく在る、
神社の牧歌的でエロい平和さ。

この偶然の対照的な「光景」に、
宇宙のニュートラルなる平和を感じ、
気づいていながらも、いまだに私を誘う、
ナニモノカの「喚ぶ力」を感じ、私はさらなる確信に生きる。



って書いててはずかっしかなんかおい。


★テロの発生理由その1★

2005-07-08 | ・nTinDEEP
子供も親と同じ問題に直面する

子供は、大人になっていく過程で、
「親と同じ道を歩んでいくか。親とは別な道を歩むのか」
ということを試される時期が来ます。


自分もかつての親ぐらいの年齢にちょうどなってみると、
「自分が子どもの当時は、どうだったのか」
ということが、ある程度、比較しながら考えられるようになってくる。
しかし、子ども時代には、やはり分からなかったし、
現在は独身であるけど、かつては(出来のソートーわりー)父親でもあったわけで、

最近なんか、ナマイキにクラブでナンパしてそのままずーっと、
つきあってるとゆーおっぱいのでかい可愛いジョノカと、二人で、
まだ渡していなかった成人式の父(俺だー)からの、
血と汗と涙で貯めたじゅーまんえん現金で!のお祝いブツを特典として
この前の7Thでのthe ReMIXのLiveにやっと現れ、
久しぶりに再会した我が息子と、その日の打ち上げで、
そのじゅーまんえん現金で!をいーことに、
父親ヅラしてえらそーに延々と伝え続け、さすが我が息子、
その内容が面白い!と察して、嫌な顔せずむしろ嬉しそうに、
そのおっぱいのでかい、しかし私の目からみて、良い子でもあった、
ジョノカといつまでも私の話を聞こうとするほどに、

そんな一瞬だけでも、親と同じように子育てをしてみると、
「何がどう問題であったのか。何がテーマとなっていたのか」
ということが、自分にも分かるようになってきます。
それが、「大人」というものの能力なんだけど、しかし、
たいてい、親が末解決だった問題、親が悟りきれずに抑えている問題のなかで、
子どもは育つので、子どもも同じ問題に直面する。
「悩みは、時代によって変わるけれども、消えることはない」ということや、
だからそれは、家庭内に問題がある、「子ども時代に家庭で人生修行が始まる」のだ、
とかゆーこと、そして、
「親と同じようになるか。あるいは、親とは別の道を歩むか」
ということを迫られるんだな。とか。

子供は、大人になっていく過程で、
「親と同じ道を歩んでいくか。親とは別な道を歩むのか」
ということを試される時期が来ると言うこと。

子どもは親に対して、尊敬しつつも反発していく面があり、
子どもには、親を「素晴らしいな」と思う気持ちもあれば、
親の言うことや、すること、考え方に対して反発する気持ちも出て来る。
だけど、この両方があって当然なの。

普通、「子どもには反抗期がある」と、よく言われてる。

「三、四歳の幼児のころに第一次の反抗期があり、
その後、小学校高学年から中学・高校のころに第二次の反抗期がある」

という言い方も、よくされている。
しかし、「反抗期」という考え方は、実際は正しくないんだ。
そんな考え方は、もう古くて、使い物にはならない。
ということを知っておきましょう。

それはつまり、

子どもは子どもで、成長していこうとしている。
竹の子のように伸びていこうとしていて、
土を破り、皮を脱ぎながら、大きくなっていこうとしている。
それに対して、親からの抵抗があるわけ。子どもは必ず成長しようとするんだ。
でも、今の大人はどうだろう?


という考え方。
これがシンセーな私の新しい考え方なわけだすよ。


「成長の方向」に関しては、さまざまであるわけ。

子どもは、親が持っている問題をずばり見抜くことは難しいけど、
やはり、幾つかの点で親が問題を持っている場合があんの。
私も、五十歳近い年になったいまにして、自分も一瞬だけだけど子育てをし、
一瞬だけだけどいろいろと子どもの生態を一瞬だけど見ながら考えるに、

「親も、家庭のなかで、幾つかの劣等感を持っていたのだな」と感じます。

子どもには、親が持っているコンプレックスは分かりません。
「親が、そういうコンプレックスを持って生きている」
などということは分からないの。

そのため、子どもは、それを、抑圧された感じ、
押さえつけられる感じとして受け取るの。

そして、親のコンプレックスの部分が、
子どもの責任のように言われる面がありますね。
それが子どものほうに振り替えられ、
親の"宿題"が子どもの上に載ってくるように見える面があるんだ。

それが、今のテロの原理でもあるの。

子供は成長しようとしてるのに、今の大人は、
仕事でのつまらない問題やローンや愛人のことなんかに追われ、
それにこたえられてない。

いくら私と違って離婚もせず金だって、
じゅーマンなんてもんじゃーないくらいすんげー 子供に使って育てている、
とかあるかもしんないけど、

成長しようとがんばってる子供に対して、
何もこたえられないほど、今の大人は、
大人自身が子供よりまったく「生長」することに意識なんかしない。
去年のUDJのコトバマである「ガンバル」など、その言葉自体にまでも、
ばからしいとして、まるでそれこそが大人だとして子供を騙してたりしてる。

ものすごい不自然であって大罪だよそれ。
大人が大人として自然に生長してないから、
テロわ起きるんだから。

★今日はウチの長嶋(父親)の手術の日★

2005-07-06 | ・nTinDEEP
毛越寺のあやめはきれーだった
それを田舎のガキたちが写生大会していた。

そのいなかの平泉の宿泊地のテレビで
長嶋の元気な顔を見て、

思わず涙が。

私は長嶋世代なんだす~。



昔本気で私は長嶋になろーとしてたんだからして。
長嶋は、同じ男として生まれて最初の「俺のヒーロー」なんだす。
だから、長嶋だけには、平気で泣いてしまえる男の子なんだす~。

その久しぶりの長嶋の元気な姿を、
あの田舎の地で田舎の人たちと一緒に見ると、

すんごく良い!

長嶋も田舎の人間もすっごく良い!すんごいラッキーだった。




で。

今日はウチの長嶋(父親)の手術の日だ。
ちなみに俺の親父の名は、シゲマツといってその長男の私の名前は
「一シゲ」ではないけど「セイ一」。.........どー?
といっても俺のナガシマ。シゲマツ。
命にかかわる感じの大した病気&手術じゃーなしの心配無用。

で。

病院に顔を出しにイクだす。やっぱ。長嶋効果だす。


予定している伊東(池田20世紀美術館)は今日でわなく明日以降に。
http://www.nichireki.co.jp/ikeda/
その他、伊豆ではじしんおきるぞーといわれている
「断層」の感じを、真相を、カラダで感じ取ってくる!
出来ればその噂の大地震起きないかな。と願ってるほど。
嘘じゃないし強がりなんかではもーとーない。

ココだけの話。

大きければ大きいほどの地震ほど、
めちゃくちゃエロいものはないんだよー。
大地震にあったら私は思わず勃起してしまうかもしれない。
それどころかイッテしまうかもしれない。

ずいぶんなアホだと思われるかも知れないけど、

私は震災でどんな目にあおうが、
そゆー仕込みが完了してるんで、突然悲惨そーな震災に遭遇してももー私わね、
痛くて苦しーがったりな、つまりその時。
私わもー決して不安や恐怖の思い、それこそ自分の心に災害を起こすこと、
なんてしない。

とゆーだけでも、
とてもラッキーだしょ?俺。

本当にとても幸運なことだと思ってる。それを会得出来たこと。
私はそれをみんなにもどーにかしておせーたい。
から、シュギョーしてるんだろーなーとか思う。



★毛越寺★

2005-07-06 | ・nTinDEEP


毛越寺に行ってきた。

この時代の感覚が、好きだ。
中尊寺やこの毛越寺をクリエートした平泉の藤原家
特に、義経のセンスを見抜き、気に入り、引き取り、我が子同然に育て、
そのセンスの良さゆえに自分の立場的に危険人物と感じた兄・頼朝に冤罪を仕組まれ、
命がけで頼朝の追っ手たちから再びこの寺のある平泉まで逃げて来た義経を、
危険をおかしてまでも最期まで守った武将であり、
この毛越寺をアートでへーわな宇宙空間までに発展させた、
3代目藤原秀衡という武将の この男のセンスが、好きだ。



とにかくこの時代のセンスのイー人のセンスが好きだ。

何?へーあん時代つーの?
やわやわでダサイのもいたけど。こーゆーイーやつもいた。
へーあん時代!

藤原秀衡(1122~1187)
は、平泉を拠点にした、奥州藤原氏の三代目。
後三年の役の後、藤原氏繁栄の基礎を築いた初代・清衡。続く二代・基衡の後を受け、
秀衡の時代に藤原氏の栄華は頂点を極めた。
幼少期の源義経を育て、長じて源頼朝と不和になってからも義経をかくまう。
子の泰衡に義経を大将軍とする様、遺言を残して没したが、泰衡は義経を殺害した。
頼朝は、文治五年(1189)、奥州攻めの軍を起こし、平泉に攻め入って藤原氏を滅ぼした。



★しんせいの旅はじまり★

2005-07-03 | ・nTinDEEP


最終章後の最終章前の、せつめいせきにんのための、
シュギョーの旅シーリーズに行ってきやす。
つまり。しんせいの旅はじまり。

やはり、義経です。今年の私は。中尊寺にまた行かないとイケナイ。
前回は、急ぎの旅ゆえ、そのうわべしか感じられなかった。
それに前回行けなかった「毛越寺」にわ絶対に行かなきゃいけない!から。

帰宅してから、地震がおきそーだと言われている「伊東」にも行き、
横尾忠則氏に会いにイク予定。

ちょっとこれから、いろーんなところに喚ばれる運動のため、
ちょっと留守になりやす。

帰宅してからが、最終章の最終章だしょう。
そして。「しんせい」。