U+B+A :udj+blog+artworx

welcome to U+B+A in saybow(2005~)

【完全版;Live観戦終了】

2008-03-10 | ・nTinDEEP



さて。ココで伝えているように、私は、
ブルーマンから始まってポリスビョーク、そして最後に中村勘三郎の人生初体験の歌舞伎を観た。

実は、この4つの「Live」は、去年、《《eve@i》》をやった後すぐ、
これから自分の「バンド」を結成しLiveをやるつーことで、
じゃーそのために参考になりそうな「Live」を観てみようと思い、
どんなヤツらのどんなLiveが今の自分にいーのかアンテナ反応するままに
探し見つけ出したLiveでもあったのでごぜーやした。

最初に反応したのがブルーマングループというの「バンドのLive」で、
次に「ポリス」の復活Live。そして今だにとんがり続ける女「ビョーク」
そして、「中村勘三郎」のこの4つが、その意識下その目的によって、
直感で選ばれた「バンドのLive」なわけなんだけど、

ポリスとビョークはわかるけど、気づくと、
最初のブルーマンと最後の中村勘三郎は、
私が属しやろうとする「音楽」の世界でのジャンルの「バンドのLive」ではなく
(特に中村勘三郎なんて歌舞伎じゃん)、その目的が一般の「観劇」感覚のものでなく
専門的な「観戦」感覚により選ばれた「Live」だったものだけに、
参考になるんだろうけどちょっとだけ何でこの4つなんだろうバラバラじゃん、
とか思いながらも、とにかくその中でただ観たいと感じた参考になる
「Live」たちそのラインアップだったんだけど、
これが、予想を超える興奮とショックを呼ぶほどのLive観戦ツアーとなってしまった事で、
その4つのLiveすべてが1つのLiveとして成り立つものとして思える事で、
「Saybow&the Wipers」という素晴しいバンド名こそ決定したものの、
最後の中村勘三郎の「Live」を見終わるまでは、そのバンドメンバーを決め
そしてリハをやるとかいうような、具体的なバンド結成Live準備に動く事が出来なくなり、
期待しているみんなには申し訳ないけど、まだLiveをやる日程も決められぬほどに
最初の予定より大幅に遅れるほどの進行具合である事を報告しなくてはいけない。

しかし、ついに最後の「中村勘三郎」を見終えた事で、
なるほどそーゆー事だったのか!なるほどそれを見終えないうちから、
具体的な準備を進めていたら、何でバンドやるのかLiveやるのか、
わけわからないもんになっていた。あー良かった。

と、よぉ~くわかり、とにかくもたもたしてると思われつつも、
それはじわじわとやるべきものであるソレに向って、「純粋」に動いているのだス。
そしてこの動きの内容その事実だけで、ソレは確実にやる価値のあるものであり、
人様の前でお金を頂いてLiveをやる価値のものであることに.........

しかし。えらいぞ内藤よく防衛った!

大日本人ではないけどかっこ悪くもそのパンツのケツあたりに
デカデカと保険会社の広告ワッペン?を貼付けながら、
あの小者ヒール亀田弟の小者ヒールを実証する小者パンチ攻撃を受けながらも、
「チャンピオン」の威厳風格を防衛(まも)りきり、
それまでの態度扱い一変したように裏を返したようにして注目浴び、されに
その惨めな敗北を喰らった小者ヒールのギンギラ品格の挑戦者とは正反対の、
学生時代いじめられッ子で乗り越え真面目に頑張って頑張って闘い抜き勝ち抜き手にした
その謙虚で人の良さそーな地味ぃ~な「チャンピオン」としての品格は、
品格などまったく持たない今の日本のマスコミ・スポーツジャーナリズムに
つけ込まれるように、散々ペット化されててとてもとても心配だったが。引き分けだとて、
えらいぞ内藤!よく防衛った!チャンピオぉ~ン!

ん?!こちらではなに。

おーもー春場所始まってるんかい大相撲。
おー強いぞ横綱両力士!
なんだかんだいったって、客席ガラガラだった横綱白鵬一人だけの時と比べて
そーだこの活気だ。やっぱ横綱は東西両者いてこそ面白い。
テレビで逃げた逃げたモンゴルに逃げたとかウザく言われてたが、
どこが逃げた?「土俵」から追い出したのはおめーらなんじゃ?
しかもマンションに監禁せざるを得ぬほどに、まったくアンフェアな責任を負わずの
無責任なマスコミや大衆からのバッシングの嵐の中を抜け出し、
心暖かき平安なる故郷で一心に稽古に励み頑張り、ちゃんとに「横綱」の強さのまま、
その「土俵」に復活戻って来たからこそ、今の国技館の観客席の活気元気があんじゃねーのか。

朝青龍は最初から逃げてなんかいない!

.....と報道するマスコミもいない。私の知ってる中においては。

「横綱」の品格とか問うているなら、モンゴルで稽古に打込んでいる時に、
「朝青龍は逃げずモンゴルで横綱力士として在ろうとその防衛の準備中!」
くらいな報道。しないんだろう。あったっていーじゃん。くらいな愛情・気遣い。
いやいやあって当然だろー。好き嫌いのトコロでやってんじゃないんだから。

それが「ジャーナリズム」なんじゃん。

いやいやつーそんな難しい話なほどでもない、な次元でもなく、
なにしろ、だってそーじゃなければ、それは、ただただ、

アンフェアぁ~~~~~~~な話なんだもんよ。
それこそおめーらが前から暴言してんだもんよ。

それを私は今や堂々と言える。あの「死ねこの野郎!」報道のおかげで。

あるスポーツ・ジャーナリズム(スポーツ誌)なトコロの報道には、

 「品格」のかけらもない暴言だった。午後4時半、朝青龍が8日ぶりに日本に降り立った。
搭乗者出口へ歩く横綱に、複数のカメラマンが近寄ろうとする。
1人が「横綱、おつかれさまでした」と優しく声をかけた直後、信じられない言葉が飛び出した。
「死ね! このヤロー!」と。

「横綱、おつかれさまでした」くらいな愛情・気遣いで優しく声をかけたにもかかわらず、
その横綱から、その善意なる声(挨拶)にウンコをぬるように、
「死ね! このヤロー!」と返され、その報道カメラマンは、
どうだったのかというと、

「とても傷つきました」.........だって。

もーダメだぁーもー笑っちゃってもー呆れちゃってもー。
こーなりゃわらっちゃえ~だ。まぁーだそれかい。

そのウンコでまぁーた群をなしたハエたちも復活!
なにしろ逃げた逃げた暴言だ暴言だアロハだアロハだ品格風格威厳ないない!
みると和田アキ子を盾にしてまでの卑怯さで、
いまだにそんな無責任でアンフェアな報道してる。

これが今の日本の「ジャーナリズム」


まずもって「ジャーナリスト」、しかも「スポーツ」を愛し、
少なくとも「スポーツ・ジャーナリスト」として職する意識を持った
一人の「人間」としてあるならば、その「生地・記事」を、
善意で優しく声をかけたにもかかわらず「とても傷つきました」として、
それをウンコ(暴言)で返された「物語」とさせてしまうような「プロ感覚(センス)」は、
おおよそメメシくゲスな三流のもんでしかないだろーに。


少なくともスポーツを愛す者としてその世界を伝える仕事に就く者なら、
たとえその時、事実「死ね! このヤロー!」と
その時その場所(仕事場)でそのような暴言を横綱(力士)に返されたとしても、
それに対し、ただただ自分だけの感情を伝える「傷つきました」として、
それを何も発展させ生かす事のないジャーナリズム感覚の微塵もないような、
ただの、ウンコ仕返し合戦のような話(報道)にしてしまうような
そんな自分の世界(仕事場=職場=運動場)を自分で勝手にウンコにさせ劣化させてるだけの
そんな「プロ」は、その職に就くべきではないだろーに。

それでも少なくとも「プロ」の意地があんだったら、
その朝青龍にかけた自分のその優しい声は、実は優しくも善意でもなかった。
と自分で伝えて欲しいもんだわ。

俺がもしソイツだったとして想定してみる。

私がもしもその時「横綱、おつかれさまでした」と優しく声をかけたソイツだとして、
何でそんな優しい声を私はかけたのかと考えてみる。ん~、そーだね、きっと、
それまで「強い横綱」として一人で頑張って来た自負と自信から起したちょっとしたミスで、
思ってもいなかったような嵐のバッシングを受け、思わぬほどに心を痛め狼狽する心中にいる中、
家を囲むほどに膨れ上がったマスコミによる横綱としての品格への攻撃は、
さすがの強かった横綱も、さらに「精神障害者」として扱われるほどの
屈辱的なまでに勢いを増す事で、呪文となって呪われるようにして、
自分でもわからなかったその自分の弱さを思い知らされるほどのものとなり、
ついにそれまで自負していた強い横綱の心を崩壊させるほどの「拉致状態」、
それを頑張って乗り越えるにも、閉じ込められソコにい続けては拉致があかない
その渦中の中で、どうにかソコから脱出し平安なる「心」ある故郷へと戻り、
やっとのことで、落ち着き自分を見つめられる状況をつくり、
自分でもまだまだ横綱として未熟である事を自覚反省するも、
さらにその猛威は膨れ上がりその平安なる故郷にまでやって来ては攻撃され続ける
凄まじいまでのその謹慎中の中、それでも、再び横綱として力士として「土俵」に復帰しよう!
キープ・オン・スモウ!とロックし続け、愛する相撲をやり続けるのだ!と決断し、
収まる事のない猛威の中で、稽古に励み続け、再びさらなる渦中の中に戻り、
ついに謹慎も解けたその「初場所」で、見事堂々とその「強さ」を取り戻した横綱の、
それまでのものを乗り越えて来たその力士としての心意気は、相当なものであっただろう、
ならば自分も同じその世界に関係し職するプロとして、それをよくよく理解しなければいけない、
強い横綱として「土俵」にのぼり闘わなければいけない、力士としての不安や恐怖感は、
本人となって考えてみれば、それは私たちのような土俵の外にいる者には想像を絶する厳しさがあるだろう、
そーか、だったら、あの不快に思える亀田兄弟の強がりや生意気さや礼儀知らずさ悪態も、
朝青龍の悪態も、私たちが思うような、単なる人格品格の悪さとは違うものだろう。
彼らの振る舞い、それを不快に思う事は、その表面だけしか見ないで言ってる事で、
その「土俵」で一人で闘わねばいけない一人の「力士」にとって、
そこは、死ぬか生きるかの壮絶な厳しい世界だろうなー、
その孤独や不安や恐怖は「力士」ではない私たちの想像を絶する者だろう、
だったら不快に思っていたその暴言悪態は、「勝負」の世界で生きる「力士」である彼らにとって、
想像を絶する厳しさに打ち勝つべく一生懸命頑張り続けている「強さ」から出たものだろう、
それは、感動を与えるほどの「強い力士」を目指す者として、
決して負けてはならぬ「力士」としての厳しさに対して、
真面目に一生懸命頑張り続けようとする意志の「強さ」からつい出てしまう、
普通の人からしてみればキツい不快な態度やコトバだろうし、
そう思えば、まだまだガキである亀田兄弟それを激励支える父親にとっては、
何故私たちが不快に思われるほどにあのように強がるのか、
何故記者会見上で敵の選手の前でハンバーガー食ったり脅したりアホな真似するのか、
それはその厳しい「勝負」に勝つ上において「強く」なければならない、
決して負ける事が許されない勝つために闘う厳しい「格闘家」の
不安や孤独や恐怖などの「弱さ」から出ている、一生懸命な姿なんだ、
それはむしろ、悪態や暴言な無礼な姿というよりも、
闘う者たちが私たちと同じ弱い人間性であることを証明する
「美しさ」として感じられる光景でもあるじゃないか。
それが「アート感覚」という人間の持つ今必要で大事な感覚アンテナでもあるんじゃないか。
「勝負師」「格闘家」「力士」としてのそれは、
私たち一般の者にとって決して不快なものではないんだ。

悪態や暴言だと思っていた彼らのその言動は、一生懸命さなんだ。


それを伝える職にあるプロである俺なら当然そう理解出来てなきゃいけない、
それを伝えられなければ行けない!
よし!俺も横綱と一緒になって自分に厳しく一生懸命その自分の仕事に励み頑張ろう!

あっ!朝青龍だ!おーすげっ目つきだすげー覇気だぁ!
あっいけね写真だ!俺が報道カメラマンだ!
パシャパシャッ!っておー良い顔だ!こっえー!おー良い写真とれてるぞー!
よよよよよよよこずな!おおおおつかれさまですたぁぁぁぁぁ~~!

 「死ね! このヤロー!」

.........................................................。何だこのアロハの時には感じなかったような感動わぁ!

おーっかっきー!頼もしー!何だここおここの感動わぁ!
そーかぁ!俺も一生懸命自分の仕事に励み頑張ろう!と思えた事の代償だ!
ご褒美だ!美しい!これが男の世界だ!うぅっわ===!すっげぇ==!
そーだそーだ男に優しさしか求めぬ女などには決して分からぬ世界だ!ふん!
いーぞー!朝青龍!おかげで良い写真撮れましたぁ===!
ぞのままでOK!あなたは今や大相撲界を活気にさせる輝くヒール(悪玉)なんだ!
ヒールは嫌われ者の役なんだから嫌われるほどに強くなければいけない!
内藤と亀田弟のあの試合で亀田がバッシングされるげきものがあるとしたら、
弱いヒールだった。というだけだ!あれほどバッシングされるのはおかしい!
土俵に戻って来た朝青龍!お前は強かった!あれだけの事があって、
よくぞ復活してくれた!あなたは誰が何と言おうと名横綱だ!
日本の大相撲界を元気にさせてうれる、なくてはならぬ貴重な本物の
「強いヒール横綱」なんだから!おおお====!なんだおい!
今、いかにもベビーフェイスな横綱白鵬が誕生してるんじゃないか!
低迷続けていた相撲界しっかりその善玉両横綱そろい、
ヒールがいるから、ベビーフェイス(善玉)な「横綱力士」である白鵬の存在も生きるんだ!
とにかくおーおー元気な構図になって相撲界の明るい未来が見えてるじゃないか!
このせっかくの状況この「純粋」な光の傾向性を、また変なヤツに汚され、
混乱させられぬようにしないといけないとかなにしろ、

今年の「初場所」は、とてもとても素晴しい場所であったんじゃないか!
朝青龍!よく戻って来てくれた!あなたは優勝逃したが、
どこもなにも逃げてなどいなく強かった!ぜんぜん問題ない!
千秋楽をあんなに盛り上げてくれたんだもん!「横綱」としてちゃんと在ったじゃん。

白鵬!あなたも偉い!マスコミによりつくられた
不純性を含む朝青龍フィーバーの中で、そのベビーフェイスの意地にかけても、
千秋楽でのその横綱決戦その感動ドラマのシメとして、
あの強いヒール朝青龍をよくぞ頑張り倒し優勝してくれた!
完璧だった!マスコミの攻撃からさらに低迷迷妄沈滞していた、
相撲界の今年の「初場所」は、奇跡だった!
横綱だけでなく他の力士たちも一生懸命頑張り闘ったからだ。
ウザイ声に打ち勝つ場所は「土俵」にこそある。

自分の「土俵」で感動興奮するほどの良い勝負をやってしまえば、
それをするために集中して稽古やって来たということが分かる事なんだから、
ウザイメメシーヤツなんかに暴言だと思われようと、
それこそ振り回されてマスコミや大衆のペットになったら罠にはまってしまうわけで、
「力士」なんだから「横綱」なんだから、傲慢と言われようと、
自分「土俵=運動場」を汚すようなそんな邪魔なヤツがいたら、
うるさい!と叱るのが、叱れるのが、「力士」じゃないか!「横綱」でもあんじゃないか!
そこらへんも伝えずに和田アキ子まで品格ないと言わせるような
情報操作など..って、和田アキ子だろーがんな神聖な男の「土俵」のせかい
女なんかにあっ!

ああああまた朝青龍来た来たこっち来たベンジョかおい!いやっほ=ぅ!朝青龍!
また声かけちゃおー!

よよよよよよよこずな!おおおおつかれさまですたぁぁぁぁぁ~~!

 「死ね! このヤロー!」

..............................................。

うっわはははははははぁ======い!いーんだいーんだそれでいーぞ==!


すると朝青龍、そんなアホの男の俺の声に反応してくれたのか、

思わずその憎々しい顔を維持出来ず、「にこっ!」
おっとそしてプロ意識に目覚めた報道写真家の俺はすかさずパチャリ!


そして。それから幾日。

その時に撮影した私の、なんとも素晴しい微笑み顔をとらえた
ヒール横綱の朝青龍をとらえた私の写真は、その世界で、
すんげー見事なアート感あふれる作品として認められ、
堂々と「報道写真大賞」のグランプリを受賞することになり、
朝青龍は、私のその受賞により、じわじわと日本でその存在が認めらはじめ、
相撲界の人気は、再び活気を取り戻し、連日満員御礼。
それによってどんどん魅力のある力士たちも増え出し、
やがてそれは歌舞伎と同じほどに、
世界に誇る日本の国技、エンターテイメントとして、
その「強さ」は、光となって世界中の人々を感動させて行くようになる。

それに合わせるようにして、世間に媚を売り生計を立てている優柔不断なマスコミも、
もうつまらないバッシングもしなくなり、次第に面白い報道や記事のものが増え、
以前よりはくだらなくもなく、世間を明るく楽しくさせる面白く良い感じの傾向性に流れている。

そんな中で朝青龍は、ますます相撲ファンの期待にこたえ、
誰からも嫌われるほどに強いヒール横綱を頑張りつづけ、
その最後の引退試合は、何と視聴率96%という驚くべき数字で、
長嶋茂雄の引退試合を思わすような日本中がそれを観て涙し感動する歴史的な日となって、
モンゴル人横綱朝青龍は、歴史に残る日本の名横綱として、
日本人から永遠に愛され続ける偉大な力士として記録される。


私は、グランプリ受賞のその3年後、その朝青龍の写真が世界中で紹介され反響を呼び、
私の個展がニューヨークで行われる事になり、連日青い目の人たちで大混雑なほどの盛況ぶりで、
ついにはその西洋での大きな美術館の天上から、満員御礼と書かれた大きな垂れ幕が降ろされ、
その空間全体を埋め尽くし、その個展会場の天上から垂らされた幕は、
展示された私の作品から滲み溢れ出す空気による微風で、
生きているかのような動きで、まるで踊っているかのようにはためき、
そしてそれは、その会場を元気な心地よい良いリズム感でその入場者たちを包みこみ、
その時代の腐敗した匂いを払拭させるような、今を生きてるすべての存在、
その空間全体を、光り輝かせるようないー味だしてるアート感なものにさせていた。


それはまるでsaybowとかいう日本のアーティストの「《《eve@i》》」とかいう
伝説のイベントのようだった。


おしまい。


ってね。俺がもしソイツだったとして想定してみるとそーゆー物語になってるに。

なに。最後はいらない?うっそぉぉぉぉおおおお===!

ま。とにかく。
何かを伝える職のものが、闘うプロの「力士」から、
死ねこの野郎!と言われ、傷ついた。と伝える事がいかに男としてプロとして、
メメシーつまらないマジおもしろくない「Live」であるのかを、
俺は伝えてみたわけだスがどーでショー。



すべての面白いものは、一生懸命さからできてる。

んだもんよ。


そして。最後の中村勘三郎の「Live」を観て思ったんだ。
ブルーマンもポリスもビョークも中村勘三郎も、共通したもんがあること。

それは「踊り」だということ。

それはステージ上での自然な動きで、
エンターテイメントにおける「ステージアクション」とかいう、
カッコつけたものではない、観ているだけで楽しくなり魅力的な動き。
それはダレさせることもなく武器にもなる「Liveの動き」つまり「踊り」
私が閃きで選んだ4つの「Live」でのシメでもあった
私と同年齢である中村勘三郎の日本の伝統芸能「歌舞伎」による見事なほどに
完成された新鮮なる「踊り」は、日本のソレだったということで、
そのシメに相応しいものである事がよーくわかった。

俺だってその仲間だ。

それは自分のLiveをやるにおいて、忘れてはいけない意識してもいけない、
とても大事な才能だ。だから私は運動場で自然に踊れるUDJなんだし。

人前で金もらって「唄う」ということは闘うということでもあり、
「音楽」という世界においてそれは、「自然に踊る」ということ。

自分の音楽・バンドで、自分のLiveをやるということは、
自分の「土俵=舞台」自分の「運動場」でそれをやるということ。

そういうバンドそういうLiveでなくては意味ないじゃん。男の自分。

それがロック。