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【2009+UDJ+Artworx=ことばま「恩」】

2009-01-28 | 「 S 戸 S 」


さー今年のUDJのことばま。つーことで、「UDJのことばまことばま」って何だ?つー人もいるかもしれませんが、
もー説明するのめんどくさイので知ってる人がいたら誰か教えてやって下さい。と思います。さ。
今年のUDJのことばま。ですが、今年のUDJのシュゴレーから降りたことばま。ですが、
その前に、去年のUDJのことばま何でしたっけ。そう、「おかえし」でしたね。

「おかえし」と言うことで、私はさー今年こそはLiveをぼんぼんやるぞー!
ぼんぼんやってみんなに「おかえし」するんだぞー!と、言っていたようにも思います。
でも、去年、どれだけLiveをやったのかといえば、たったの1回だけ。でした。
期待していたみんなには本当に申し訳ないけど、たったの1回だけ。でした。
だけど、決してLiveをやる気がなかったんではないんだ、テキトーにやろうと思えば何回でも出来たように思います。
でも、それでは、UDJのコトバマの「おかえし」にはならない。つーことでした。
やる以上はやりたい!と思うことをやらなきゃ意味ない。
人から要求されたとうりにやるようでも、真にやることにはならない。それは、UDJの「おかえし」にはならない。
実は、そのことを解る。思い知る。ということが、去年のことばま「おかえし」の意味だったんだス。
とかもーうざくてうざくてまったくもって理屈っぽくてわりいがココんとこは譲れない話なんでわりっ。

つまり。「おかえし」とは「有益」である。

という意味であることを知るための一年であった。
ということかもしんないし、ということでもあった。わけで、なにしろそれは、
今の自分のレベルではとても説明難しいものでした。去年のコトバマ。

でも、そんな中で1回だけでも、それ(Live)が出来たことは、救いでもありやした。
それ(Live)を1回でも出来た事で、「おかえし」を知るための手懸りを掴んだ。ことで。
でも、期待していたみんなには申し訳なく思うわけでありやす。
今年こそは期待にこたえるような私にならねば!そゆことで。

今年。マイ・シュゴレーから降りたコトバマというのは、
それは「おかえし」をしようと思っては「おかえし」にはならない。
真に「おかえし」をするということは、「おかえし」をしようと思っては出来ない。
ソレ自体が「有益」なるものでなければ「おかえし」ではない。的なところからのもの。
そのような感じを持つ、去年の続編のようなものと出ました。

それは「恩」です。「恩」を売るとかの、「恩」

一見傲慢のようにも思えますが、それは義理をつくれということではありません。
つーかさっきから何言ってんだかさっぱりわからないだろう。
私の作文力ではまったくぜんぜん説明出来ない、やっぱシュゴレーからの声コピペで以下いきやす。



頑張った分だけ、人から評価されるのは、うれしいもんじゃ。

でも、中には、「これだけ働いているのに給料が安い!出世が遅い!」あるいは、
「これだけ一生懸命仕事してるのに、中々認めてくれない!」とか、
周りからの評価を不満に思う人たちは、このご時世、大勢いるわな。

そんな人は「如何に自分が認められるか!」という事ばかりに夢中になって、人からの評価が低いと、
これでもか!これでもか!と、もっと頑張るわけだけど、多くの人からのほめコトバや賞賛を得ようと
頑張って頑張って頑張るほど、周りの人は、それを認める事によって、何か、自分から持ち出しが出るような感じ、
何か、小遣いが減っていくような感じがするんじゃのう。
いかにも認めて欲しそうに動いている人を見ると、その人をほめたりすれば、損をするような気がするんじゃ。

それは、結局は、愛を奪っているのでそうなる。わけなんじゃ。

中々そうカンタンにはほめてもらえず、だから、もっともっとほめて欲しそうに活動する。
すると、そういう人に限って、ますます人は「あいつは目立ちたがり屋だ」とか、
そんな評価が返ってきて、そして、ついに、ジレンマがはじまることになる。
「こんなに一生懸命やっているのに認めてくれないというのは世の中は不公平である!」
「人の能力を素直に見ようとしない人たちばかりだ!」とか、考えはじめたりしてな。

ところが実際は、人から認められよう認められようと思ってやっている間は、
他の人が良く見えることがないんじゃ。
自分が認められる時を中心に考えている人というのは、他の人が良く見えることがないんじゃ。
他の人は、自分を支えるための、神輿をかついでいる人だというような錯覚に陥って来る。すなわち。
自分が舞い上がることばかりを考えている人は、決して他の人を生かすこと、幸福にすることが出来ない。


人というものは、非常に敏感なもので、その人と付き合って決して自分が幸福になれないと感じると、
遠ざかって行くんじゃ。どうしても、一線を画したいと思いはじめるんじゃ。
そうなるとどうするかと言うと、批判をするようになる。みんな冷たい人間ばかりだと思え、
嫌がらせをするようになったり、悪口を言うようになったりするんじゃ。無意識に。

だから、自分がもし挫折の中に置かれたり、あるいは、絶好調だったのにダウンしたり、
そういう試練の期間があったとしても、決してそれをマイナスだと思っちゃいけないんじゃ。
その期間にこそ、みんなの魂は磨かれる、と同時に、人々の心がわかるようになっていくんだからのう。

ジブンがジブンがと思っていたところが、そんな自分なんかいなくても、
その仕事は順調に動いていく、ということを見るに到るのじゃ。
すなわち、自分一人の力でやっているのではなくて、多くの人たちのチームワークによって
本当は成り立っているわけなんじゃすべては。
だから、自分が自己発揮出来る前提には、他の人々の力がある。それを忘れてはいけない。

自分のことばかりでなく、相手の立場にたって考えてみると、意外なことが見えて来る。

この上司は、自分を評価してくれなかったと、長い間ずっと、恨み辛みを思っているとする。
その時に、自分はその上司が出世できるように、それほど仕事でサポートしたことがあるか?
と考えると、あまりしていないことがある。それでいながら、自分が評価されていないことだけは、気になる。

思うように評価が得られない時、「こんなに頑張っているのにどうして!」と苦しくなる時があるな?
でも、本当に相手のことをサポート出来ていたかを考えてみると、心のどこかでは、自分のためにやっていたり、
見返りを求めてやってたりして、実は、思っていたほど相手の役に立っていなかった。ということもあるんじゃ。

本当に評価される人というのは、相手の役に立っているかどうかということを、考えている人なんじゃ。
それは「有能」な人間ではなくて「有用」な人間であることこそが大事だと思っている「有益な人」のことじゃ。

その人の個人的能力が高くても、組織の中でプラスにならなければダメなのじゃ。
組織というものは、その人の能力自慢のためにあるわけではない。
したがって、自分のように能力のある人間が、何故出世しないのか、何故冷遇されるのかと思っている人は、
「有用」かどうか?「有益」かどうか?というところに、必ず答えがある。

「有能」な人間とは、個人の才能に没頭している人。「有用」な人間とは、実際に相手やチームの役に立っている人。

この、「役に立つ」人間を目指すことが大切なんじゃ。これからの時代。
「有能」ではなく、「有用」こそが、これからの時代大切なんじゃ。
それは、「有益なる存在」であって奪う側の存在ではないということだからじゃ。
自分のことばかりでなく、どうしたらチームに貢献出来るか?チーム全体が評価されるか?
こうしたことを考えるようになってくると、逆に、評価される人になっていくんじゃ。それが、「有益なる存在」じゃ。

だから、給料の10倍働く。ということを目標とすべきなんじゃな。

それは、時間的なことにおいて10倍働くではなく、その中身において、
10倍の価値を生み出すように心掛ける。ということを目標とすべき。ということじゃ。
つまり。職場に対して「恩」をうるような力強いお前であれ!つーことじゃ。
積極的にみんなを引っ張っていき、みんなの生活を良くしていけるような。
自分一人の生活が良くなることばかりを考えるのではなく、お前がいるために、
周りの人みんなが良くなって行くような、そんな存在になりなさいということじゃ。

自分の評価ばかりを気にしているうちは、心に苦しみをつくっていたのに、
逆に周りの人に対して、恩を売るような自分となった時、
心の苦しみは消え、同時に不思議と自然に評価も上がって来るわけじゃ。それが自然の法則。

評価される人になるためには、「恩をうる」この「与える側に立つ」という、
このシンプルな宇宙の真理がキーワードなのじゃ!

え何?別に今はもう評価される人とかになろうとかアホな考えしてない?
阿呆!それは世間の人からの評価だろうが!私が言ってるのは、天からの評価じゃ!
天から評価を受けることこそ、人間がこの世に生きる理由なんじゃぞ!
それは、お前が「自然界」の一部であることを認められるようなもんじゃ。

しかし人間は元々誰もがみんな「自然界」の一部なのじゃ。だが今のこの世ではそれがとても困難な事になっておる。
あまりにも不自然きわまりなくみんな生きておるからじゃ。自然の一部であるくせに自然にまったく脆く無知のまま。

とにかくお前たちは元々自然の恵み。「恩恵」そのものでもあるということじゃ。
ゆえに、「恩」そのものであるなら、もっと、「恩」をうらんかい!ということじゃ。
おかえししよう、感謝しようと思うことは大事な事だが、自分も元来感謝されるべき存在、
自然の恵み「恩恵」であることを忘れてはいかん!ということじゃ。
今の世の人間たちには恥を知らぬ者たちがクサルほどおるが、忘れておるからそうなるのじゃ。
誰もが「恩恵」であること。それを知るのじゃ!それを伝えるのじゃ。みんなは大したヤツなんだと。

自然に感謝が出来、自然に対して謙虚なる自分となれ、お前を愛してくれる貴重なファンや仲間にも
心から尊敬し感謝出来るようになったというなら、そのままで良しとしていてはいかんのじゃ!
自分もそれらとまったく変わる事無く「恩恵」そのものの存在であることを、
「おかえし」として出していかねばならぬのじゃ。ゆえに「恩」をうるような人間になりなさい!というのじゃ。

Liveだって。やりたいことをやらねばいかん!と固く考えずに、ただ「恩」を出せば良いと思うのじゃ。
それが「音」になる。

自分の「恩(恵)」をうるということ自体が、それこそ真なる「おかえし」であって、またそれが、
自然なる恵みであるなら、それは天からんもの。ゆえに、それは出す事で天にかえすものとなる。
自分自身の「恩恵」を出す(うる)ことで、天はソレに共鳴し響き動くということ。それが「奉納」じゃ。

自分の子供たちが、しっかりと自然の恵み「恩恵」となって、
さらに「有益」に生長し続けながら、やがてはこの宇宙にとって大いなる「有益」なる存在として
その光を発し生きて=運動(仕事)していることを知る親の歓びは、
まさしく真なる「おかえし」の何ものでもない。ゆえに「恩」じゃ。ソレを売るのじゃ。
本来人間には、売り物があるんじゃ。そのままを売って生きていけるものがあんのじゃ。

感謝や謙虚は、今の人間にとても必要な事じゃが、それを会得出来るようになったのなら、これよりは、
「恩」をうる者となりなさい。
そうなってこそ、はじめて有用「有益」なる存在となるつーことじゃ。
本来の自分。自然なる恵み=自己に戻る。ということじゃ。それでやっとスタート地点に立てる!ということじゃ。

そうなってやっと、この不幸な時代においての意味、
進化のはじまり。奇跡のはじまり。感動のはじまり。幸福のはじまり。に行き着けるのじゃ。

今のこの100年に1度の大不況と言われる時代は、まさしくチャンス到来の時代でもある!ということなのじゃ。
ゆえに、そんなチャンスを逃さぬように、今年は特にこのようにウザ~く言うわけじゃ。
アホではないからといって、謙虚になって感謝してるだけでもはじまらない。
給料の10倍の価値を生み出すような仕事をして「恩」をうるような者となることで、
やがては恵みを与える「有益」なる存在として評価され、天から護られながら、これからの時代を
人生楽しく幸福にいつまでもワクワクしながら生きていけることになるだろう。

ならば、さぁ!今からそのお前のアホの意識のスイッチを「恩」に、ONせよ=っ!

*********************************************************************************************はいっ!

ここまで話して最後の最後で、オヤジギャグでださく終る。
つーところが何とも私のシュゴレーっぽいところでもあったり恥ずかしいところでもあったりしますが。

そういうことだそうで。そゆわけで、今年のUDJ+ことだまは、「恩」つーこととなりやした。
それは、私の場合、「音」かもしんないし、いや「温」「御」「雄」「ON」かも、けど「恩」! 
みたいな「恩」。それを、売れ。放て=!つー。ことだそーだス。むずかしーぞー!アホな俺だけに。
つーかヒトサマに売れるような「恩」など、今の私のどこにあるのだろう?どこにもないぞ。やべーなおい!
でも、それを今年のコトダマとして忘れずに一年生きていけば、何とかなるべ。みんなもなるべ。




それにしても、今年の「初場所」は、素晴しかった。
それは、世界中で「逆境=プレッシャー」を背負い迎えた「新年」の「興行」としては、
ある意味オバマ大統領就任式よりもパワフルで崇高なまでに価値のある、
とてもとても誇れる日本で行われた「奇跡的な興行」だったと思いやす。

もちろん朝青龍は、その奇跡の物語の主役でありやしたが、その物語の中では、
朝青龍に対して決して全勝優勝はさせずに横綱の意地を通した白鵬の物語も素晴らしかったし、
朝青龍とは反対に初日から連敗続けた新大関・日馬富士の物語だって、横綱白鵬との勝負で勝利するという奇跡を起こし、
それがなければあの優勝決定戦もなかっただろうし、白鵬の物語も朝青龍の物語も、あれほど盛り上がる事はなかったでしょう。
ゆえにこの3力士は、共に、「初場所」をあそこまで素晴しい「物語=興行」にさせた核であり、
3力士ともに、この「逆境に打ち勝つ」という奇跡の物語においてはみんな主役でした。
ゆえに、ココの総理大臣である私は、その3力士に、国民栄誉賞を与えたいと思いやす。

また、朝青龍のガッツポーズについてまたまたとやかくテレビでは言われているようですが、
それについては、日ハムにいた「新庄」選手の事を思い出してもらえば良いと思います。
新庄選手の残した数々のパフォーマンスは、神聖なる土俵上でのガッツポーズどころの騒ぎではないほど、
旧態とした野球関係者やファンからは、不快に思われバカにされるものでもありやしたが、
彼は、そんな声にもめげずに勇気を持ってその意志を貫き、その結果、当時1リーグ制でのストなどで低迷していた
野球界全体の暗雲なるイメージに光を与えたり、人気のなかったパ・リーグを華やかにしては、
ついに自分のチームを日本一にまでにさせるなど、野球界に多大な貢献を果たしました。
朝青龍だって、これまで低迷する相撲界を何度救って来たことでしょう。
今年の「初場所」1つだけとっても、その貢献度の大きさは誰にでもわかるほどでしょう。

あの優勝決定戦で優勝を決めたときに見せた朝青龍の土俵上でのガッツポーズほど、
芸術的で、美しいまでに「神聖」な「絵画」はありません。
あの姿は、朝青龍の進化した姿を現しているのだと私は思いました。成長した姿だと思いました。
そうでなければ、あれほどの奇跡の優勝など成し遂げられるわけがありません。
あの時のガッツポーズは、今までの朝青龍のソレとは全然質が違うと思います。
それは朝青龍本人を含めた相撲を愛するすべての人たちの感極まった感動の心全体を、
反映現した、それこそ芸術的で神聖なまでに美しい光景だったと私は思います。
そうと思うこともなく、ただただそれを過去のやんちゃで未熟だった時代の朝青龍と同一上の行為として考え、
偉そうに自分こそ相撲を愛する者であるとして、せっかくの「光」にウンコするような批判を
平気でテレビで言えてしまう人たちの存在が理解出来ません。

大麻問題だって、それほど大罪なのだろうか。

古代では「大麻」を平和の象徴、神聖なるものとして扱い、いろんな神聖な儀式や祭りなどで、
それを使用したりしては、心を浄化し元気にさせ、みんなで健全に頑張って生きていた時代だってあるのに。
それよりも大罪なのは、平気で無気力相撲をしているような力士こそ相撲界を汚染させる者たちではないのか。
本気で「もう一度相撲をやらせて欲しい!」と訴え熱望し反省し真剣に許しをこうているんだったら、
やらせてやるべきだと思う。

世論にただただ従ってるとしか思えないようなほどに簡単にもののように抹殺してしまうのではなく、
相撲界も世間も、もう少し暖かい目でみてあげて、もう一度チャンスを与えてやるべきだと思う。
そんな真剣なヤツなら、そのチャンスを一生大事に感謝するほどに思うだろう、そして、その返礼として、
私たちの心沸かずような良い相撲を見せる力士となるよう、きっと励むはずだ。それが自然の流れだから。

なんでこうも今の世の中の人たちは、人を生かそうと動く事が出来ず、人を簡単に殺そうとするのだろ。
自分さえも生かす事が困難な時代の中で、必死に自分だけは生き残ろうと、ただ感情的になってるだけのように見える。

無慈悲にも突然住む家も職を失い、職場であった企業に対してその怒りをぶつけ抗議するのは良いけど、
どうしてもそうせざるを得なかった苦しい会社の事情の理解を1つも持たずに、
「何で俺がこんな目にあわなければいけないのだ!」と頭が一杯で、無責任なマスコミの同情心の罠にはまっては、
自分の働いていた元職場を、ただただ悪辣非道の会社だとして感情的に怒り憎しみ抗議したとて、1つも解決するわけない。

だって、会社に対してそのように思う者を、どうにか頑張ってまた我が社に復帰させ救おう!などいう気になるだろうか。
そうしなければ仕方が無かったのだろうと少しでも会社に理解を示すものこそを、
まずもって申しわけなく思い、どうにかして何とかしたく思えるんじゃないだろうか。
それは決して甘い考えではないと思う。それが道理の世界だと思うから。

またそれほど酷いと思う会社なら、そこは自分の仕事場ではないじゃん。
そんな会社ならむしろ自分の方から去るべきだろうと思う。

いくら100年に一度の大不況で苦しい状況に襲われていようとも、
そういう気概で生きていない自分こそが、何よりも不幸の種を蒔いている事に気付くべきだ。

自分の仕事を真に愛し、真面目にやっていた人なら、一時そういう不幸が襲っても、
必ずいつかどこかで救うものがその人の前に現れるはずだ。それが自然界の法則であって、
不自然なままに生きていることこそが、問題の根本であり、今の状況を改善したいのなら、
一度、自然なる自分にリセットさせることこそがまず大事な事だと思うわけだス。

自然なる自分を取り戻す事が出来、頑張って生きていれば、必ず自分のすべき「仕事」はやってくる。
宇宙はその人を働かせようと(運動させようと)動き出し、その人の職場(運動場)を与える。

にもかかわらず、あいかわらず人たちは、自分を生かす事も困難なほどに弱々しく、その不自然さは増すばかり。
自然なるものは、害であったり敵であったり猛威であったり恐怖であったりする中、
ウイルスはワクチンも効かぬほどにますます増強し、このままでは、いつまでたっても大不況は拡大するばかりだ。

そんな時こそ、朝青龍のガッツ・ポースだ!

逆境に打ち勝ったあの優勝者の発する波動こそを一杯浴びては一杯もらっちまおう!
それをいけない!とする不景気の象徴のような闇ぁ~い声(波動)などは一切相手にせず無視して、
そっちの方に「自然」に導かれ動いていけばいいだけだ。

朝青龍のガッツ・ポースこそ「恩」だス。みんなも「恩」をうるような人間になれぃ!



【2009+UDJ+Artworx=ことばま(タダイマ降臨中)】

2009-01-26 | ・nTinDEEP



タダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスタダイマコウリンチュウモースグジュシンシヤスガキョウミアリヤスカジャンキテミナサイ

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【新年恒例マイ・シュゴレーの声をみんなにも】

2009-01-12 | 「 S 戸 S 」



皆様。あけやして。おもどとぉ=ごぜいやす!

とじっくり落着いて新年を賀正してる間もないまま、早くも2009年のお正月気分は過ぎ去って、
世界中の人々は、さわやかな気分でこの新年をどーんと迎える事もなく、
去年のいやぁ~な不景気な空気を払拭出来ぬままの厳しい現実の中に再び戻され、
ますます不安と迷妄のままに、今年を生きようとしている感じの中、なもん関係なく、
私は、さー今年も、マイシュゴレーの声を聞ききに、
混雑するどっかのお寺に行くでもなく、自分の心のウチにあるお寺に出向き、
正月恒例の、そこで聞いたマイシュゴレーの声を、ココに発表するべく、
この自分の心に録画してきた初詣の模様を、今ココで再生とり行うわけでありやす。

それは、
「この世の中は小さなよろこびに満ちている」
という声でした。

そいでは早速。その声を、再生してみやしょう。内容が内容だけにものすご読みにくいよぉぅ!
読む気なくして読みにくいようにあえて字いっぱいつかってみてるからさ。だって、
キチガイだと誤解されたらやだからさ。
同じキチガイだと誤解されそうなヤツにしかこんなの読ませられないようなもののようにも思うしさ、
あきたきたシュゴレーきた!俺のシュゴレーきた。


あー。どもみなさんこんにちわ。明けましておめでとうございます。
えー、ワシはココのアホのシュゴレーをやらして頂いてる、「その声」の者でござる。

毎回ココに出てくるたんびに、感心しておりまするが、
みなさんもよくよく物好きらしく、よぉーくこんなアホに付き合って下さるなと。
まーホントに、いつもウチのアホが、お世話になっておりまする。マッコト感謝しやす。
どうか今年も、ココのアホ、ウチのアホ、しょーもねこのアホ、
その正体マッコト呆れるような正真正銘の大アホであり、
さらにある意味、一生懸命に生きてるみなさんに比べ、
マッコトとんでもねーほどにフザケタアホなコヤツですが、
どーか素晴しいみなさんの愛でもって、1つ今年もこのアホよろしくお願い申しあげます。
今年も何かとこのアホに聞き耳たててやって下され。

えなに?....あ。みなさま、ちょっと、待っててね。そのアホきちゃってあははは。
今はココ私の話する場になってんだからお前は出て来なくていーんだからむこーに行ってなさい
って何?.....アホアホうるさい?.......俺の事はいーから早く話すこと話してとっとと引っ込め?
ってなんだおいてめこのやろ自分のシュゴレーに向ってなんだその口のききかたはてめおい!
いやいやあははははだからみなさまはちょっとまってってえなに?おめーこそシュゴレーだつーなら?えなに?
口の?えなに?ききかた?えなになに?.........考えろ?
ははははははははははははは。みなさま、ちょっと、待っててね、
おいちょっとコッチこいてめ。

あのなお前のようなアホでもココにきて興味持って話きいてくれてる有難い人たちに
今こーやって挨拶してんだろがお前のためにもだ。
その最中に急に出て来てとっとと引っ込めとは.....あっ!あははははあら聞こえてる?
え~と、あ、みなさん、何でもないっすあぁ~だからちょちょっと待っててね、おいアホもっとこっち来い!

.........とっとと引っ込めとは何だ?!ええ?
こんな不埒なアホをそいでもシュゴしなくてはいけない私の大変さもわからぬくせにえええなに?
なになに?それはおめーが大したシュゴレーでもないから大変なんだろうがぁだぁ~?
もっと高級なシュゴレーだったらカンタンにジョーズにやってくれてるわぁ?だとぉ=?!
うわっ!うわっ!このアホたれがぁああああああ==んもぅ===ーう!
シュゴレーとゆーものはお前自身の良心そのものでもあるんじゃ!
それはお前の仏心でもあるとゆーことでもある!だからして優秀でないもなにも、
ソレは全てお前の心がそーだゆーことまだわからんかぁ===っ!
お前自身が大したもんでもないという事をお前はゆーてんじゃぁ=このドアホがぁぁ===!

ってあらあらあららあらららららあろありあまあゆありりぃ?みんなびっくりしちゃって!
あはははははははははみなさまがた心配はいらぬいらぬいらぬのでござるあはははは
だからもっとお前コッチ来いやぁ!ぜんぜんみんなにみられてるし聞かれてるだろが!
あははははははいみなさんちょっとちょっとねああはははひひひひひいぃああああ===あああ=っ!
苦しい=っ!首しめるなてめ!こらこらこら!鼻の穴に指突っ込むんじゃねー!
あああああくるしああはははははははあらまだ見えてる?
これこれやめんかあはははせいぼうとやらあはははみなさまがみてるぞあははははこれこれもぅ
あっあっ!あっっっtぅtぅtぅ!いてててててててててぇ=っ!てめ!キンタマ掴むんじゃねー!
きさまぁ=!やめんかっ!これ!うぉおおおおおお====っ!あはははははおい!やめんか!やめ....あら?
泣いてるんか?えなに?はずかしい?俺の?なに?俺のこんな?シュゴレーで恥ずかしい?
だってキンタマ思いっきり掴むんだもん.ってえっ?..キンタマ言うな?こんなシュゴレーではずかしい?
何だ。いつもココでチンコとかマンコとか平気で言ってるくせに、
そんな恥じらいとかあったああああわかったわかった!いたいたいたい!
馬乗りになってキンタマ掴むのやめなさい!あキンタマ言うなかわかったから!おいこらてめ!
お前はそーでも?何?シュゴレーの私までもそうじゃ嫌なのか!ほほほほそーなんかほほほほ
わかったわかった!わかったからちょっとどきなさい、ってわかったからどきなさいっ!ってんだろ!
ケツ顔におしつけて馬乗りになってるのどきなさいっ!てもわかったからむこーちょっといってなさい!
え?....やだ?.....だって?......だってなに?.......心配だもん?だからキンタマ言わないってんだろ!
えなに?そんなことじゃない?じゃなに?!シュゴレーのくせに趣味がエロDVD観賞だっつーのが心配だぁ?
だから大はお前自身でもあるってんだろ!何だこの半端な良心わぁ仏心わぁ!
心配なのはお前だろがあ==っ!ってあははははははははだからぁ~
みなさんは心配しないでね。つーかちょっとほっといてもらえる?あははははちょっとちょっとぉ=!
ケツの穴顔におしつけて屁こくんじゃねぇ=!しかも泣きながらぁ~!
わかったわかっったああああ!!もうわかったから泣くな!そのケツやめろ!
わかったから!ちゃんとにやるから!心配すんなって!あなんでもありませんよぉ~ケツの穴ぁ?
なこと言ってましぇ~ん!ぜんぜんいてましぇ~ん!ちょっとねあはははてめおい!あははははは
ぜんぜん大丈夫ですからそのままの姿勢でみなさん待ってててててててててていてててててて
毛をむしるんじゃない!どこの毛むしってるんだおめ!......陰毛?いてててててててててててあははははは
ははははははははは脇くすぐんのやめろくソレ俺一番弱いとこあははははははすぐってー!
からやぁ=めぇ=ろぉ=ってんだろ!みんなが見てるだろ!シュゴレーの俺をオX=!
あぎゃはははははっあやめろ!パンツ脱がすの止めろてめ!見てるだろってんだろ!あはははははははははっははははは
ぎゃはははははははぐわっははははははははっってててめ=っ!イーカゲンにしろおいこらおい!
あそぶんじゃね==っ!この状況下でこんなことすんのおもろいからっててめ!あああははははははははははははいぃ=ひひひひぃ=っあはははははははくすぐってーだろ!ってクサっ!てめまた屁こきやがって!あまた泣き真似してこのおい!
キチガイかおめーわぁ=!やめろぉ===っ!鼻の穴とケツの穴はやめろぉ===っ!おかしな気持ちになったら
どすんだあああああ!!!!てめああああああ逃げやがったやろ!

あああ!あんなに小さくなってはえー一気にあんなとこまで逃げていきやがる!くぅそぉ=っ!
てめぇ=====っ!おぼえてろこのアホぉ=======っ!

ってえ~~~~~~~~~~。あ~~~~~~~~~~。みなさま。どもね。

あ~~、あのアホほんと昔からあーゆーヤツでしてね、
特にシュゴレーとか、かみさま?とかそゆ霊体?つーかおかしな存在?とかに対して
不謹慎つーか思いっきり悪さしてくるような罰当たりのような事平気でしてきたりして
もう手を焼いてますあのアホにわ、昔からまったくそこんとこ変わらずあのアホ。
自分はこの世に肉体もって生まれて来てる存在だからそういうものに対して自分の今の不自由さに
むかつくんでしょうかねぇ、意味わからないですか?まそれはいーとしてね、
までもね、そゆものつーか私のことが大好きだからそゆことしてくるんですけどねアイツ。
信頼出来て好きなヤツに対してはそゆことする性癖ありますよアイツ。みなさまも気をつけて下さいね。
Sですから。アイツ。本物の。セックスするとき普通じゃないよ縛ったり虐めたり辱めたりして
辛そうな顔してる女性ほどエロく美しいものはないとか言っちゃって、
そんな風に苦しませながらもめちゃくちゃ気持ち良くもさせたりして興奮楽しむヤツですから!
ヘンタイですから!ただの!女の子はたまらないすよ!SだろうがMだろうが自分の前では
ドMになってしまえる女性大好きで!大体シュゴレーとか仏さんなんてドMでしょ?
それをいーことにあのアホわね、俺にあゆことしてくるんだあのやろ!
あと本当にそゆものが実在するのか確かめようともしてそゆことしてくるのもありますけどね、
実在してますから。私。ちゃんと。幽霊も存在してますし、霊の世界もしっかりありますし、もちろんとゆーことは、
あの世もちゃんとに存在してますからね。そんな話はいーでしょう。失礼しつ霊なんちってあははは。
何しろ霊でも女でも化けの皮はがそー剥き出しにさせるとかそゆプレー?つーか大好きでね。
ってあ~そうかやばいやばい私にココでそんなアホのこといっぱいしゃべらせようとする魂胆もあったり?
あのやろ!マジキチガイですから!ってあそれは冗談ですが私ソイツのシュゴレーですので。
シュゴレーでも何でもないと思われては困りますから、ああああ=======っ!

どうも失礼しました。そゆわけで、あのアホの話はもうやめて、
すっかり罠にはまってしまって。しっかししっかりあのやろ初詣してやがるわなぁ~くやっしーなぁおい。
あははははささささもーほんとーねほんともーあんなアホいーからみなさまね、
そろそろココのお正月の恒例のね、私のねあのアホのシュゴレーのね、お話しましょうね。
しましょしましょ!んねねねねねね!聞いて下さいね、忘れて下さいココまでの私、

さ。ホント話しますからね。みなさまあれ?誰もいなくなってない?
あ。いたいたぁ=!良かったぁ=!いるいるぅ=!

え~と、ですからもって、

この世の中は、小さなよろこびに満ちているんじゃ。つー話します。

本来のシュゴレー口調に戻って。ね。みなさまも気持ちどうか切り替えて聞いて下さいっってね、

はい!それでは。そー気持ち切り替えてぇ~、はじりじゃぁ~!よしっ!


この世の中は、小さなよろこびに満ちているんじゃ。
それは、これからの時代、みんなにとって、とても大切な事であるということを話そう。

世の中が小さなよろこびに満ちていること。たとえば、

朝ご飯が食べられる事。自分で歯磨きが出来る事。しっかりと排便が出来る事。
尿が沢山出る事。車椅子を使わずに歩ける事。自分の鼻と口で呼吸が出来る事。
この手で子供たちの頭がなでられる事。夫婦で抱き合える事。
階段を歩け日の光の中公園を散歩出来る事。などなど。

本来、君たちの世の中その人生は、
数え上げればきりがないほどのそういった小さなよろこびで、
満ち溢れておるんじゃ。それは現在も変わらぬままに。

そのような小さなよろこびに満ちた中で、
人々は、今日も仕事があり職場がありまだ働けるという事。世の中のお役に立てるという事。
あぁ。自由に動け、人々に存在がよろこばれるということは、何と幸福な事か!
小さな事をよろこぼう!小さな事に感動しよう!小さな事に夢と生き甲斐を感じ取ろう!

なぁ~んて思い生きていた人たちが、昔は大勢いたけども、それがだんだん
科学も経済も発達して便利になり豊かになり自由で贅沢な生活が出来るようになるに従って、
欲望までもが肥大してきて、そのような小さなよろこびに幸福を感じられる人がどんどんいなくなってきた結果が、
この今の、100年に一度来るか来ないかと言われるほどの、大不況の世の中である。
というわけでもあるんじゃのう。

それは、やれリーマンだかコーマンだか知らぬがそういう金儲け主義に走ってはべらぼうな利益を得ていた
投資銀行やらの暴走破綻から起きたせいだとか、世界で有数な大企業までもがその影響で次々に断行される、
冷酷無比なるリストラやらハケン切りだとか、それによる犠牲者の人たちを選挙目当てしか救済しようとしない
政治家たちとかによって、今のこの大不況な時代がつくられたかのように、誰もが伝え知り思い、
みんなが、それらに対して、様々な怒りを発しているけど、なもんは誰の責任でもなく、その本質をたどっていけば、
そういう事を起したと思われるものたちが「鏡」その「象徴」となって、
小さなよろこびに幸福を感じる事の出来なくなった今の人類全体の起こした、
罪でもあり責任でもあるわけじゃないのかな。つー話じゃ。

誰も、そんなんじゃこうになるじゃないか!という予感も危機感も感じる事なく、
みんなが一緒にその大きな「欲望」のバブル泡の一部となって、その影響下の中で、
大なり小なり同じような欲望を享受しようとして、我も我もとその歯車の中に身を置き、
一緒に求め歩み続けて来た結果が、今のこの状況をつくったんじゃないのかな。
それを今頃になって、自分はまったく被害者であるという態度で、自分も関わっていたその歯車の大元でもある
大きな歯車に対してただただ怒りをぶちまけてたりしてるから、ますます不幸で殺伐としたおかしな世の中が、
肥大しているように思うわけじゃ。

でも、そんな泡のような欲望を求める泡のような存在にみんながなる以前は、
この世の中が、小さなよろこびに満ちていることを誰もが知っていたはずじゃ、
それをみんなが忘れてしまった事が、何よりもその原因とせねばいかんのではないのか。

過去、小さい事にもよろこびをおぼえた自分が絶対いたはずじゃ。
それは、子供の頃を思い出せばわかるはずじゃ。
その自分が、あぁ、なんと言う事か、あの少年あの少女の日の自分にひき比べた時に、
今の自分は、一体何に踊らされているのだろう。この世限りのものに突き動かされていて。
本当にあぁあぁ~悲しい事じゃ。

ささやかな事で満足出来る気持ちを失っているとするなら、その原因は、
自分自身のその考えによるのではないのか。

ささやかな事、「足る事を知る」という言葉があるが、
それを忘れ去ったのは、自分自身ではないのか。ということ。
他のものから影響を受け、また、いろいろな考えに毒される事によって、
それを忘れ去ってしまったのではないのか。ということ。

気がつけば、餓鬼道に入っているわけじゃ。今の人たちは、大なり小なり。
自分が餓鬼道を走っている。わけじゃ。その原動力となるものが、
足る事を知らぬ欲望にある。というわけじゃからのう。

餓鬼の道とは、食べても食べてもお腹は満腹にならない。
お金を集めても集めても財布の底に穴があいていてすり抜けて行く。
地位を得ても得ても、満足出来ない。そういう道じゃ。
まずもって、自分が幸福になるのにそんなものが必要だったのだろうか?

にもかかわらず、みんなで死んだらそのまま餓鬼地獄に直行するような生き方しておる。
ように見えるのじゃ。ワシには。
みんなでしておるので、それが地獄的な生き方であることもわからない。
このようにみんなで不幸になるような大不況にならなければわからない。
しかしそれも、正確にわかるというところまではいかず、キツい話になるが、
何故に何も悪いことをしていない自分だけがこのような不幸にならなければいけないのかとして、
その責任が自分にもあるとは決して思えぬような人たちの「決して」の心こそが、その地獄をつくる核にいる。
ということもわからずのままじゃ。

ゆえに今こそ、もう一度幼い頃の心に引き戻してみる必要があるのじゃないのか。
ゆえに今こそ、素直な感動というものを取り戻す必要があるのじゃないのか。
つー話じゃ。

自分が幸福になるのに、そんな難しい手続きが必要だったのだろうか。
そんなに多くの人の賞賛が必要だったのだろうか。
あるいは、妻や子供を犠牲にして、立身出世に燃えているが、
その心は、本当に正しかったのだろうか。
ある時は同僚を犠牲にし、ある時は後輩を蹴落とし、
ある時は上司を讒言する、そういう生活をして来た自分、これは一体なんだったのだろうか。
自分一人を幸福にするためには、そういう条件は必要ではなかったはずじゃ。

降っていた雨がやみ、雲が晴れ、太陽が射して来るのを見ただけで、
幸福ではなかったのか?
その時の感覚をよぉ~く思い出してみれば良い。

しみじみとした幸福感を味わうためには、そのようなごくシンプルな生活で十分であったはずじゃ。
生かされている事によろこびを感じ、家族共々、幸福であることをかみしめた日は、
そんな焦りの心の中にはなかったはずじゃ。

そうした心境が過去あり得たのではなかったのか。

何故その素直な心を見失ったか。何故素朴なよろこびを見失ったのか。
この世的なもので何故自らを飾ろうとするのか。
そんな儚い物質的なこの世的なよろこびではない、
もっともっと永遠なる幸福がみんなにはあるのではないか。
何故そういう大事なものこそをメインに考えみんなで一緒に育み感じ合い生長発展させ、
経済的にも魂的にも融合した真なる豊かな世界こそが真なる人間の幸福なる世界として、
それをみんなで一緒に築いて行こうと思えぬのか。

それは、降っていた雨がやみ、雲が晴れ、太陽が射して来るのを見ただけで
幸福に思えていた、以前のみんなの世界のことじゃ。

そうとはならずに今のこのような世界になってしまってるのは、
過去、ささやかなるものに十分よろこびを感じる事が出来ていた自分自身を忘れ、
気付けば、そんな自分を棚に上げては、ただただ怒り不平不満や愚痴ばかりを垂れ流しているみんなが、
平気でソコにいるからではないのか。

足る事を知るという毎日の中に、幸福の原点があったことを忘れてはいけない!

それが、新しい年を迎えて、ワシがおめーに言いたい事じゃ。

ったく、こんなにシンプルで意味ある話、ココのアホのせいで前置き長すぎて、
感じくどくどそーになってしまったわ。

来年はそーわいかぬぞいーかアホぉ~め!そんじゃまたな。



オーマイ・ショゴレー!つーことかいサンキューなぁ~!賀正ぉ=っ!ってな。

足る事を知るという毎日の中に、幸福の原点があったことを忘れてはいけない!

つーこれが私の今年のシュゴレーの声、初詣のウチわけだス。
さすがに今年のソレは、俺が話す前にあれだけいじっても、
きつーい声になってしまってるよーだス。

みんなのシュゴレーはどんな声だった?もっとあまーくやさしいもんだったかな?


とにかくウチのシュゴレーは、今年一年、「足る事を知る」
そのことをしっかり頭に入れて何とか生きてれば、今年さらに予測される不況不幸の波に振り回される事無く、
幸福に上手く生きていけるぞ。と言ってるようだス。

そんな波に巻き込まれそうになったら、みんなもどーか「足る事を知る」で、
そのおかしな波から俺のようにばぁ=っと小さくなってしまうように離れすいすい~ってな感じで
ソレからうま~く逃れよう。



しかし朝青龍。やっぱあいつ最高だろ。
それは、あの稽古ぶりをみた専門家ぶったヤツらほとんどが、自殺行為だ。三日も持たないだろう。と、
自信を持った顔で、テレビで、朝青龍の引退を予測あるいは期待している中での、
緊張高まる初日での、あの会場全体を興奮の嵐に湧かせた、あの朝青龍のあの気迫そしてあの勝ち方。
あれこそが横綱の品格だ。
その存在価値は、同じにプレッシャーを抱えながら初場所を闘う新大関日馬富士の100万倍だろ。
それこそ横綱級の違いがある。
あの朝青龍の気迫の前では、ちゃんとに強くて正しく偉い横綱の白鵬は別としても、
日馬富士だけではなく、どの力士もアマチュアの子供の学生力士に見えた。

それは、八百長だ無気力相撲だと揶揄される中で人気が低迷する危機にある相撲界において、
朝青龍がいかに貴重な存在であり財産であるかと言う事だ。けども、相撲界やその関係者マスコミは、
扱いやすそうな良い子の日馬富士にはちやほやしても、横綱の品格も無く、
ちょっと何か言うと逆らい生意気な言動をしてきそうな扱いにくい朝青龍には、
宝と思うどころか、どうにかして生かさず殺しそのまま引退させたいような、
まるで汚い殺し屋のような気配を感じる。

それはまったくファンを考えない自己中心的な卑怯で醜いヤツで、
本当に相撲を愛してなどいない証拠そのもののような人間でもないただのウンコだからだろう。

私には、今の朝青龍なら、初日のあの1勝だけで全勝分の勝ちと価値があると思えるので、
もうその後ぜーんぶ負けようとも、私のこの朝青龍への考えは変わらないもんねー、
とか思いながら、今日もテレビ見たら、野郎また勝った。
そして同じにプレッシャーを持つ日馬富士はまた負けた。

真なる強い力士とは、いざ、その土俵に立つと、相手力士だけではなくまずもって
相手力士や外野での中傷非難もぜんぶ一緒くたにした、あらゆるプレッシャーに、
堂々と打ち勝ってしまえる力のある者を言うのだろうと思った。

そういう者こそが、今のような不幸の時代には必要だ。それも奇跡の種だから。
今の朝青龍の会場全体を異常に興奮魅了させるあのオーラは、それを証明してる。

これはシュゴレーの声ではなく俺の声だろーに。