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【S戸S/3+愛とは何か(それをいままただスばいいだけ)】

2007-05-18 | 「 S 戸 S 」



愛の本質。

というものは、もともと、人間誰もが、
自分自身にそなわっているもの。だということ。

はーじゃー俺にもそなわってんだ。すげーんだ俺は。

アホっ!人がいっしょけんめ真面目な話してんだから
真面目に聞けこのやろ。

人なの?シュゴレーだってたじゃん。

いちいちうるさいなー。人だろーがシュゴレーだろーが、
なこたこの場合どうでもいー話だ、ってなこといーとしてな、

愛の本質だ。それはみんな自分自身にそなわっているものなの。

それを理解するために、人は、
ながい「経験」というものを必要とするの。っで、

愛とは何か。という話になんだがな。

愛とはこーだかんだといろんなリクツはあると思うけどな、
それは、難しいものではまったくないわけなの。
リクツじゃなくもっと単純なもので、まーつまり、

愛とは何か。とゆーなら、
それはお前の胸が熱くならなければ愛じゃない。ということ。
なのな。

それは、頭に考えたことではないの、または、
表面だけ善とされているそういう行為を成す事をもって、
愛とは言わないのな。それは、それを実現する「過程」において、
お前の胸が熱くならなければ、愛とは言わない。ものなのじゃ。

何か。わかるような気がする。それは「情熱」だから。

そー。そゆこと。熱くなるためには、情熱がいるんじゃ。

俺は最近思うんだけど、「情熱」って、今、人の世界にないよね?
あるように見えるけど、「情熱」って、本当の目で見たら、
今、人の世界にないよね?
あったとしても、それはよく見ると、みんなエゴイズムだもん。
たとえば、情熱を持って、ある「バンド」を一生懸命頑張って、
やろうとしていたとか言っても、本当にその情熱は、
真なるもの、つまり「本質」から湧き出た「熱さ」なのか。
としてよ~く見つめてみると、ほとんどが、
エゴイズムなるものであることに、ちょっとびっくりしちゃって。

お前、いつか本当に友人いなくなるぞ。
まったく言いたい事平気で言うお前は、だから心配でな、
あぶねーんだおめーは、誤解を招きやすいうこと平気で言うんだ。
それでも情熱もってやってると思って頑張って人たちまで、
え何、これってエゴイズムなの?情熱じゃないの?
情熱ではなくエゴイズムもって頑張ってやってる、なんて、
そんなのやだー!そんなこと言うヤツは、仲間じゃねー!
裏切り者だ!とか、言われて、マジともだちどんどんいなくなるぞ。

だからあなたがいてくれるんでしょ。

そーシュゴレーだから。永遠なるお前のマブダチだから。
だから、絶望ってものなど、この宇宙には存在しないとゆーのにも
かかわらず、いかにもそれが在るようなでたらめな事を流し、
宇宙を心を混乱させている有害な「波動・意識」があって
とかそゆー話は、つまらないからいーとしてだ、
情熱は、実際には今、人の世界にない、と言うのはそーで、
じゃーこの情熱の根源、それは何か。ということなんじゃな。

それはね、自己の魂のカラを打ち破る事によって、
ほとばしり出て来るエネルギーじゃ。

でもってな、自己のカラとは自己限定。
自分を限りある者として規定してしまうところでの、
生まれてからこのかた、教育や環境の規制の観念、
こうした「観念」が今の人たちを縛っているんじゃ。
この縛りをとく事で、無限なる者となった時に、
愛は熱き思いとなって、流れ出る。というメカニズムになっててな。

愛のメカニズムだ。かっきーなー。

そーまったくそのメカニズム。

で、縛りから解き放たれた無限なるその力を知るには、
自分がどれだけ生かされているか、それを知る必要があるのな。

それは、「感謝」なき者には、愛はわからないだろう。
ということですかな。

お前、だんだん言うようになってきたな。
生意気になるなよ、えらそーになるなよ、心配だなー。
でもそーまったくそーなんですな。それはね、
感謝と愛とは表裏一体。だということなのな。

それが「根源」なんだね。

そー。ってお前昔のお前と違うなー、第二話ではそんなヤツじゃなかったろ。

あれは100万年前の俺だもんよ。あなたとあんな話してる俺だもんかわいーべ。
今してるこの物語の俺は、それから100億年たった俺。ジジーの俺だもんよ。

100万年前も今も、まそれほど変わってもいないがそんなお前の話はいーとして、
愛についての話だ。愛とは何か。非常に大事な話だから聞きなさい。

はい。私は人の話聞かないヤツで有名らしいから気つけやす!

シュゴレーの話すらよく聞けないがな。がな、
そう言ってくれる人は、有難い人なんだぞ、感謝だぞだから。

とにかく、愛は、知識、理念によってのみでは、断じてわからない。
愛が愛として一人立ちするには、必ず実践を必要とすんの。

では、愛が実践を必要とする意味、だけどな、

それは、私たちの限られた肉体、この小さな肉体の中に、
限定、規定されているところの、何のナニガシというその人間が、
ワクを超えて拡大しようとする動き(運動)そのもの。を意味すんの。

で、愛の本質とは、神の子であるところの各人の自己発展にある。
ということなのじゃ。ま、シュゴレーだから、神の子とか言わせてもらうけどな。


でも、各人のその自己発展が、単なるエゴイズムに発しているならば、
それは、愛じゃない。ということだよね。

そー。愛とはもっと根源的で深く力強いものだから。
これは良い事だから、した方がいいとか
これは悪い事だから、してはいけないとか、そんなように、
心の中で逡巡しているようでは、愛の名に値しないんじゃ。
その「本質」とは、別の次元の、それは単なる心の思いになるからね。

心なんか、強かったり弱かったりあっちいったりコッチもどったり、
ほーんと信用できないものだもんなー、肉体に比べたら。

そーだから、肉体はがりがりで、ヤクばっかに頼っては、
精神世界にどっぷりつかってた昔のヒッピーはダサイよ。

それはちとニュートラルではないなぁ、
いー部分だってあるだろが、ラブ・アンド・ピースのどこが悪い。
今、それは、哲学としてとらえると、非常に意味のある「コトダマ」でもあるぞ。

パッチギ・2 でもあったりして(笑)
あそれ、まだ見てないからわからないけど、
ヤフーのユーザーレビューでボロクソだよ。
ちょっとなんであんなに酷い評価なのか興味あるけど、1は良かったから。

パッチギだジンギスカンだか知らないが、私の言ってる
ラブ・アンド・ピースは、そっちぎの話じゃなかとよ。

わかってやす。宇宙の、つーか、神の波動、その言葉、
コトダマ。だっつーことでしょ。

お前だから、あぶねーぞ、つーの、ココは宗教のサイトなのか!
saybowさんはそいじゃー教祖様かいそれになろうとしてるのかあはははははははははははははははははとか言われたりする危険はまだまだあんだから、お前はホント。
マジで本当にそーいう気もあったりするからアブねーんだ。

何かシュゴレーのくせにちっちぇーこと言ってる気がするんですけど。

お前のシュゴレーだ。仕方なかんべさ。
もーお前がいちいち余計な事言うから何言おうとしてたか忘れただろが!

だから、それは決してエゴイズムではなく、愛とはもっと根源的で深く力強いものなんだから、それが神の生命の一部であると自己を認識し、
そうして自己を発展しようとするがゆえに、それは素晴らしいものになっていくわけです。
これは、宗教でも道徳でもないよ、大事な宇宙の法則で、その構造メカニズムの話だからね。

なことゆーあなただってあぶねーべ。

私はシュゴレーだからいーの。saybowはシュゴレーじゃないべ、
ふつーのアホな人間の男だべ。

俺は天才じゃないの?

アホ。つまらんジョークだなー。天才とか言うなら、みーんな天才なる存在だ、
天からの才能を持って生まれてきてない生命などないからね。

それは、使命ま天命なんだろーけど、それを持って生まれて来てない者はいない。
必ず、みんなその個人固有のソレを持って生まれて来てる。んだよね。

人間つーか存在つーのは、
それ自体が才能だし使命だとも言えるんじゃ。
だから、持って来たとかいうより、そのものだと考えなさい。
真の意味において、そうした意識の中で、自己を拡大するということは、
すでにそれが、聖なる使命のもとに自らが在る。つーことなんじゃ。

聖なる使命とはね、

愛とは何か。であってね、それはあなたの胸が熱くならなければ愛じゃない。
ということ。それを実現する「過程」において、
あなたの胸が熱くならなければ、愛とは言わない。
熱くなるためには、情熱がいる。この情熱の根源、それは何か。
自己の魂のカラを打ち破る事によって、ほとばしり出て来るエネルギー。

ということを、だスことなんだス。

それが、自分のやろうとしてる音楽、
そしてそのLive、ということになるんだけど、
それは、本当の意味での自分自身そしてその本質をだス作業でもあるから、
大変で、楽曲を発表するだけなら、やってるし、それほどでもないけど、
それを「Live」で生で再現することは、非常に難しく、その準備に、
とんでもない時間がかかるので、それこそ才能がいる。
でも、だから、それは絶対につまらないものではなく、
どこも染めずにそのままにやれてしまえば、それは必ず、その空間全体を、
鳥肌が立つほどのカンドー的な空気にさせてしまうほどの、
面白いもの。だという事は確信するので、だから、その準備には、
非常にめんどくさい作業が必要とされ、まだまだそれまでには時間がかかる事だけど、
そんな面白いもの、やんなきゃいけない。達成させなきゃいけない。
たとえそのことで様々な問題が出て来ようと、
んなもんに惑わされず、とにかくなもんに負けずに
愛と勇気をもって、そのことを何よりも優先させて、やっていかないと、
これから生きる意味を失うんだから。仕方ない。

別にだからって、他の活動、たとえばみんなが期待しているバンドの再活動は、
もうしないとか言うのではないからね。

説明するのはとても難しいんだけど、責任もあるので、
もっとはっきり言うとすれば、Tの再活動については、
それの大元のエネルギー体でもあられるテンソウ様というのがあんだけど、
ごくごく身内的なところにおいて、ある現象が起き、それは、
本当の意味で、その現象自体そのものからして、再活動なんだけど、
その世界にあった常識コネしがらみを捨て、今またマッサラ状態なる純粋モードで、
一度リセットさせてから始める、という、その時の現状を観て動いた、
テンソウ様による、本当の意味で、それは再活動とならなければ意味がない
という心が起した、自然現象でもあったんだけど、ギョーカイというシステムには、
そうはとれない、ホンシツを嫌う意識があるみたいで、
驚くほどに、そこでの常識の世界は、軽薄な女性週刊誌的な束縛から構築されてて、
それまでのコネを取っ払ってまたリセットし、
またゼロからマッサラのところから始めれば良い!
それ以外に何がある!よく起きてる現象その全体を観よ!
それが決して犠牲的で不信を起すような、否定的な現象ではなく、
テンソウ様からの、てんのこえ。自然を護ろうとする天変地異の波動。
という本質からの声を感受し、また身も心もあらためて、
また再び新鮮な情熱と意欲を湧かせ純粋に代謝(活動・運動)させようとするには、
まったくもって冷酷なるほどアホらしいほどに、慣例的であって、
そんなセコい地方議会の古くさい道徳のような世界ではない
その本質から、それはあまりにも絶望的なほどに大きく外れてしまっていて、
アホなチンピラロッカーぐらいの力では、到底太刀打ちできぬほどに、
エネルギーのいるサイケな世界で、今、Tは、アホでも、どうにか
頑張ってそれらと戦っている最中でもあって、
なぜなら、それに勝利しないと、始める事、動く事は、
出来ないような世界でまだまだ戦おうとしてるから。

すべてマッサラにさせてまたゼロから始めれば良い事であり、
事実、そうさせるための、天からの現象は起きているにもかかわらず、
そんな事を思う者は、ギョーカイに無縁なほどに無知である私だけらしく、
そこまでになってまで、またやろうとする情熱は、今の所、
見当たらないくらい、みんな他の事で忙しいみたいで、

そうであるなら、もうここらで、
一昨年にTをやる前から情熱を燃やしていた自分自身のバンド(ソロじゃない)、
それはTをヤル事で停止させていたのだけど、
ついにそれをやるべき時期が訪れた!という事に他ならぬ「現象」じゃん。
と、確信出来ている。とこまで進展してんだ。

思えば、今まで私はソレだけ、ちゃんとにやってない。
やってないものは他にもまだ一杯あるだろうけど、
ソレだけ、ちゃんとにやってない。それはおかしい。
ソレこそが、まずもってちゃんとにやれてないと、
なんだかんだいっても自分自身は、はたして成り立たないだろー。
だから他意なく何よりもソレが優先だとわかるタダイマ付近の感じ。

それは、この歳になるまでその本質に生かされ生きてきた私の、
他にはない貴重でユニークな人生の、今までに拡大した波動だ。

その音楽もそのLiveパフォーマンスも、私からしてみると、
面白くないわけがない。わけで、一番ソレが面白い事だし。
だからタダ、ソレをやるだけ。で良い!んだけど、タダつーのがこりまた難しく、
余計な考え心配は、まだまだスキを見せるとやって来る。
真なる自分自身でない状態から、スキというものは入って来る。
スキを見せないためには、真なる自分自身でいられる事なんだけど、
今の時代で真なる自分自身でいるなんてのは、
それだけで、もーた~いへんなわけで、なぜなら今の社会、世の中は、
いまだに真なる自分自身なヤツは、煙たがられ、
覚悟を決めた時点で、すぐにでも過酷な戦いを強いられるわけで、
ずーっといつでもそういるためには、俺なんて、外に出ない事が一番の方法、
なんてゆー情けなさ。

人間、タダイマ。スキだらけだス。つまらないものばかり。
だから情熱を持つことは大事だス。
エゴイズムからではない真なる情熱含むものなら、
どのようなものでも、それだけで、面白いものだから。

実は、エゴイズムこそが、そのスキをつくる磁力の要素でもあるから、
もともとエゴのかたまりのような俺だつーからそりゃもー大変で、
何しろ。ちゃんとにやる。わけだから。そりゃもー時間かかる。
でも、待ってる方も、忘れないでちゃんとに待っててな。
でも、そんな感じで時間をかけたものというのは、
やっと来たその時のソコの空気ソコにいるやつら、だけを想像しても、
とんでもなく面白く、ひょっとしたら気絶しちゃうほど面白いかも?
と思うと、喜んでばかりもいられない。だって、
俺が気絶しちゃったらかっこわりー!つーか、きもちわりー!
自分で自分のやってるその面白さにたまらず興奮気絶する。
ようなことだとしたら。そんなヤツどーよ。
せっかくみんなを待たせ時間かけてちゃんとに実現させた俺なのに、
おめーをイカす前に、その途中で俺が先にあああ~~~いくぅ~~~!ぱたっ。
あ=!セーボーさん!ああああ!どした!ざわざわ~誰か担架担架!
ってどーよ。
いくら俺でも、それはめちゃこえー!なさけなー!

やっぱスキには気をつけるべ。それが、ちゃんとやることだ。

「待ってないでおいてっちゃってもいーからコイツ」By シュゴレー



【感謝画「母性 対 父性」/コメントの皆に負けないぞ】

2007-05-11 | ・nTinDEEP


最近のブログのコメントを読んでいたら、みんな何てめ
俺よりも数段すなお勝ちしてるので、またまたカンドーうれしくも、
またまたはずイはしゃぎそうな自分の危険を感じ、
何だかむかついてきて、何か仕返しがしたく、とかいう感じでしてたら
こんな画ががががーっと感謝にがんばれた。

また、さらにさらにその奥深くじわじわみんなの
血のコメントさらさらにして読んでたら、
何と、意外にも、思わずそれが男だろうと女だろうと
みんなに「母性」を感じてしまい、まーた何だかむかついてきて、
こんな曲リンクががががーっと感謝にがんばれた。
(画像をクリック。とか説明しなくともむかつくみんなはもー勝ってしってるだろーが)

とにかく、タダイマ、あらためて、
あいをべんきょうさせられ続けている中がんばるそれでもこれでも父性。51歳。
じゃねーのか52かへぇ~。

のMr.Junior。

母性に対するそれでも父性の挑戦状だス。



Photograph + offer = シュνュシ

父性単独おまけもあるでぇ

【感謝のおたんじょうびLive】

2007-05-04 | ・Live



4月30日。横浜・STORMY MONDAYで行われる、
マック清水の生誕を祝う、
「小川美潮 MACおたんじょうーライヴ」に、

セーボーもついでにおたんじょうびするから来なさい。

と、Liveの2日前に突然マック清水から連絡が来た。

ついでにセーボーのおたんじょうびするから来なさい。
というフレーズで、Liveの誘いを受けたのは初めてだった。

だからよくわからずどーしたものかとしている間もなく、
とにかく、俺(マック)だけでなく、セーボーもおたんじょうびするから、
唄うのかって?とーぜんだろ、おたんじょうびだぞ、まじゃとにかく
来たら1曲唄いなさい、とりあえず1曲、で、何、何唄う?...早く決めなさい、
ほれ何でもいーから、早くきめ、えなに、ホームアゲン?
って何だっけ、あーあー、なんてったっけ、あの女な、あーキャロルキングな、
アイツな、もーいーババーだろーアイツ、ババーの曲ジジーが唄うんか、
でなんだそのあのババーのソレ、そータペストリーな、あれに入ってるやつな、
美潮しってる?あしってる、持ってる?タペストリー?おー!
セーボー美潮しってるって、って当たり前だろって?
知らないわけないだろってか、おーそーかそーだなキャロルキングだもんな、
キャロルキング知らない美潮ってシュールだなー、あり得ないか、
よしわかった!じゃソレやんのな、ソレ唄うのな、はいはい、
そんじゃえーバンドのみんなにそー言っとくから、あそーだ当日リハやるから、
セーボーもリハやるから、5時半でいーや、じゃ待ってるから。

とゆー見事なマック清水の嵐のような攻撃に、
何も逆らう事も出来ずのままマックに洗脳されたように、私は、その日、
いきなり、リハから参加する、やる気満々のゲスト出演歌手になっていた。

ココだけのハナシ。

実はさ、俺ヒトのバンドのLiveで、ゲスト出演して唄うのって、
基本的に苦手でさー。
何か、そうゆう時の俺は、どうしてればいーのだろーかわからない。

まー、ここ最近、まったくLiveやってなく、なれてないというのもあるんだろうけど、
なこといおーが、その時はとうぜん俺は歌手だから、ステージのセンターで唄うわけだから、
飛び入りで登場して、それだけでかなりもー図々しー野郎だなー、
とか自分で自分をそんなふーに思っちゃったりしちゃうんだもんよ。

自分のLiveだったらそんな事1つも思わないけど、こうゆうゲスト出演して唄う時の自分とゆーのは、
ホントのところ、まず、そのステージでも客席でも、どんな態度でいたりすればいいのか、
どんな感じでいれば、バンドの邪魔にならず迷惑にならず、その空間の中で、
イー感じの全体の中の1人としてその仲間としてとけ込める事が出来るんだろーか?
とか考えちゃう俺。

まして、私は友人が少なく、正直、ここ最近、ぞくぞくかぞく以外のバンドで、そんなふうに唄った事もなく、
いくら昔馴染みの美潮とマック清水のいるバンドでも、その他バンドメンバーの半分以上は初対面だし、
Ma*Toはミキサーだし(笑)、しかも、いきなり俺までたんじょーびを祝うから1曲唄うなんて、
そんな図々しーゲストこの世にいるのか?

貴様それでも歌手か!

と言われそうでも、事実そーゆーふーになってしまうんだから仕方ない。
そんな中でもそんな事もバレずなほどに私はそんな時でもなんだかんだ
その場の人たちにずーっといー感じで唄いおどりコナセてわいたんだから。
だけど、いっつもそーゆー時の私は、まずもってそーゆー感じの中であることが多い。

しかし。である。

この日のLiveは、そんな私のビジョンを裏切るほどに引き裂くほどの、
ぞんなやらしー心配も不安も恐怖のこれっぽっちもまったく必要ない、
それわそれわ私にとって、思わず涙こぼれ落ちるほどの、
とてもとても素敵なもんだったんだスわ。

それは、そのバンドだけでなく、そのお客さんもその店の人も、とにかく
その日その場にいたすべての人たちが、あまりにも素敵だった。

あんなに優しくあたたかく迎えられるとは思っていませんでした!
すいやせん!

でまたココだけの話だがな、実はな、
唄ってて、嬉しくて、こみ上げてきそうになってしまってまいった。

でもそのまま、私はその優しさにおもいっきし甘え、Live終えても、
帰らずずーっとその店ではしゃぎまくっていたんだけど。

今、こーやって思い返すと、けっこーハズい。

な自分のことばっかもーいーわけで、なにしろ、
本当に良いLiveだったし、良いバンドだったし、良いお客さん、良いお店だったし、
その中にいられただけでも、とても幸福だった。

久しぶりにみる美潮は、「歌い手」として貫禄が滲み出てきてて、
そのますますの存在感は、Liveをみながら、大したもんだなー、やっぱ女はすんげーなー、
と感激させられるほど、しっかり美空ひばりだったし(笑)。
でも、美潮のそんな姿をみれて、同じ「歌い手」として、とにかく、
とてもとてもラッキーだった。
この日の体験は、今の自分にとって、とてもとても新鮮で、
とてもとても大きな意味のあるものだったから。

マックよ。呼んでくれてありがとな。
その俺への有無もいわさずな強引なる見事な攻撃、誘い、その深く強い優しさ、
おめーも大したもんだわ。

そしてこの日のさらなる収穫。

自分のやろうとしてることが、はっきり見えてきた。
自分のやりたいことが、はっきり見えてきた。

自分のLiveのための。

それは要望どうり期待どうりの姿ではないかもしれないけど、
動き出してる。今自分の中で。はっきりと。


ステージ上でもらった可愛い花束は、今も枯れずに俺の部屋でエロい。



Photograph + offer = トーサツ・王・ヤーホソ