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【2009+UDJ+Artworx+New Year Cardだス!/「興行」の本質を知る】

2008-12-31 | ・nTinDEEP



「生泰葉」。観てきた!

正直観るまで、期待を裏切られるかもしんないという気持ちはあった。
でも、見事泰葉は私の期待を裏切らなかったよ。とても頑張ってた。演じ切れたと思うよ。
もちろん誰もが、彼女が勝つこと勝って唄う事なんてわかってる。
わかってる中でどうヤツが闘うかどう演じるかであり、それが自分としての「生泰葉」を観に行く理由だ。
とにかく「生泰葉」は私の期待を裏切らなかった。

しかし。それはココで書いた私の予測とはちょっと違ってた。

自作の歌を唄うために、レスラーになって闘う「生泰葉」をわざわざ観に行ったのは、
ココで書いたように、今の彼女の放つオーラに、今の自分に必要な力=光があることを発見したからだ。

でも、それは、泰葉一人にあったんじゃなく、
その日の全試合全選手そして「ハッスル」を愛す観客、それらを包含した会場の空気全体にあった。

こんなに愛と平和に満ち溢れた「格闘技」の「興行」があるなんて知らなかった。

世間では邪道とか道化とか言われもする、はじめて体験する「ハッスル」だったけど、
全試合の内容物語演出構成また決して道化をただの道化とさせない全選手の真剣なる気迫、
それに反応する熱い観客の声援など最初から最後まで、それを感じることが出来た。
この「興行=ハッスル」初体験である私ということもあり、気づくとめちゃくちゃ感動してた。
新参者である私にもかかわらず、それは今までで最高の出来ばえだったんじゃないかとさえ思えた。。
私はそれを「生」で観るまでバカにしていたフシもあるし。
ゆえにそれはまったく予想していなかった事だったので、かなりの興奮だった。
会場に入り最初の試合が始まるまでは、「生ハッスル」には関心持たず、
あきらかに「生泰葉」だけを対象にしていたからだ。

泰葉だけでなく、泰葉の対戦者、そのヒール(悪役)ぶり。
手加減している事を出来るだけ観客に気づかれぬように、常にヒールに徹しながら、
上手く泰葉に負けてあげる事は、これは中々難しい。真の優しさが必要だ。
そしてこの試合の重要なキーマンとなる泰葉を護るマネージャーの微笑ましいほどの死守ぶり、
この3人のキャラによって浮き出されるバランスを全体的に配した愛と平和な格闘技こそ
「ハッスル」の真骨頂でもあると思った。
また、朝青龍どころの騒ぎではなく勇気を持って横綱の品格も何も投げ捨て、
そんなものなどにまったく負けない迫真の演技力でもって、最も道化的な、
かわいそうな魔界の子のボノちゃんを、熱狂的ファンのヤツらのみならず、
不覚にも私までをも涙させるまでに演じきった、元横綱である曙には驚きだった。
そして何より、子供から大人までのハッスルを愛す観客であろう、その素晴しい声援にはもう脱帽だ。

それは、絶対、生=Liveで体感しなければわからなかった事。

もしも、泰葉がその「興行」に参加しなければ、ソコには行ってなかっただろう、
彼女は私をその場所=運動場まで導いてくれたのだった。やはり俺には泰葉は面白いヤツなのだ!
私の閃き期待を、彼女は裏切らなかった。

しかし本当のライバルは、その見事な「興行=運動」を創造する「高田延彦」にあった。

迫真の演技力でボノちゃん演じ切り不覚にも私までをも涙させた曙を、
そこまで演出指導導いた高田延彦という興行師を知るに、
このような堂々とした興行姿勢こそ今の相撲界の興行師に必要なものだと思った。

「興行」とは、人間が表現する芸術の基盤を形成し、同時に大衆へ娯楽を提供する行為である。
具体的には見物人から入場料をとる代わりに演芸やスポーツを見せる事。

「興行」というものの本質がそこにあった。高田延彦は凄いと思った。


「生泰葉」を観てみるべ、とハッスル(発する)私の閃めきは正しかった。
またも私は「私のアンテナ」を確信する。 それは実に、自分の今年のシメの「祭事」でありやしたこと。
おわかり頂いたでございやしょうか。

さー!なことで自分の今年のシメの祭事も見事すませ、
今日ココに大晦日にいたり、新年を迎える私=UDJでありやした。

あともーちょっとだ。新年あけますておまだたぁ=!



携帯での画像ゆえに何だかわからんけど泰葉がマネージャーに抱かれてリングを去って行くところ。私の席は何と真横にその花道がある席だったのでスポットライトで毛穴まで鮮明に観れてしまうほどの距離での「生泰葉」観賞プレーとなった

【《eve@i》のおまけ/大統領に靴など投げてはいけない!】

2008-12-28 | ・nTinDEEP



前回「08 Udj+Christmas特集」の最終章(実は《eve@i》の最終章)その3話として、
テレビなどの報道では、今この時代は「不幸の時代」にあるあるらしいという事から、それに対して、

不幸の時代というものは、ある意味、恐怖の時代だ。
その「恐怖」の時代の究極にあるものが、戦争であったりする。

とかいう自分の中から発したリアクション=危機感を述べ、

そいじゃー、その反対側にあるもの、不幸・恐怖の反対とは、いったい何かとゆーと、
愛。とゆーことになる。

として、その危機感を打ち消す自分なりの智慧をココで一生懸命書いて、
その今年のココのクリスマス(《eve@i》)の幕を閉じたわけだけど、

そんな事など何の役にも立たぬほどに、すぐさま、イスラエル軍が、
イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザに激しい空爆を行い、
少なくとも205人が死亡するという事件が起きた。

それは、まるで、前回書いた

不幸の時代というものは、ある意味、恐怖の時代だ。
その「恐怖」の時代の究極にあるものが、戦争であったりする。

のその究極が起きてしまったということでもあって、
まぁ~た予言じみたしかも全然良くない予言な話になってしまったみたいで、
せっかくの「Udj+Christmas特集」も《《eve@i》》もそんなものになってしまってクソ面白くない。

そのイスラエル軍の空爆で、まず思うのが、
あのブッシュ大統領に靴投げた記者の事件だ。

あの事件の映像は世界中に発信され、世界中の人があれを目撃したわけだけど、
その後、中国のインターネット掲示板では、「よくぞやった!」
「ブッシュは戦争犯罪者だ。フセインより悪質」「侵略者は、攻撃される気分を味わうべきだ」、
「やっと大量殺戮兵器がみつかった。それは2個の靴だった」などと靴を投げつけた記者を絶賛する書込みが殺到し、
靴の製造元に同じ靴の注文が殺到したり、あの靴を何億で買いたいとか、婿にしたいとかいう者まで現れたり、
日本のワイドショーでも、コメンテイターの一人が「私も何かアイツに投げつけたい!」
とか言って他の出演者に拍手されたり、ネットではすでに、
イラク人記者がブッシュ米大統領に靴を投げ付けた騒動をテーマにしたオンラインゲームが登場し、
その一つが15日に登場してから4日で早くもインターネット競売大手の米イーベイに出品され、
5215ポンド(約70万円)で落札されたり、
靴を投げつけられた大統領の国のアメリカでさえ、ホワイトハウスの前でアメリカの反戦団体が、
着ぐるみブッシュ大統領に靴を投げつけるパフォーマンスを行ったり、
ブッシュ大統領は、本国アメリカですらそうであるように世界中の悪者とされ、
あのブッシュに靴を投げつけたイラク人記者は、その無礼に非難を浴びるどころか、
今や世界中から「英雄」扱いを受けるほどにもてはやされている矢先に、
イスラエル軍の空爆は起きたわけだス。

私は、そのイスラエル軍の空爆と、ブッシュ大統領に靴投げたイラク記者の事件は、
どうしてもつながりを持つように思えて仕方がない。

ブッシュ大統領に靴投げたイラク記者の事件が起きなかったら、
今月19日にイスラエルとハマスとの停戦が終了を宣言されるやいなや、
ハマスがイスラエル南部に向け、ロケット弾を発射する一方、直ちにイスラエル軍は空爆を加える
などといったエスカレートした衝突は起きてなかったんじゃないだろうか?

とか思ったりしてしまう。

それは本来まったく関係はないものであったわけだけど、
自国の家族や子供たちや友人など沢山の犠牲者を出したアメリカ大統領への「怒り」から
ブッシュ大統領に投げつけたイラク記者の靴と、
激しい空爆の末パレスチナに205人という沢山の犠牲者を出したイスラエル軍の投げつけた爆弾とは、
同じものであるということも言えるわけだス。
その原因が「怒り」からであるということにおいて。

だから、私は思うわけだス。

もしも、あの映像が世界中に発信されることがなかったら、
もしも、自国の沢山の家族を殺されたアメリカ大統領への「怒り」から、
靴を投げつけたイラク記者が、あのように世界中から英雄扱いされることがなかったら、
もしも、ブッシュ大統領に靴投げたイラク記者の事件が起きなかったら、
イスラエルもパレスチナも、停戦終了するやいなや、それほどいきなり衝突をエスカレートさせて、
そんなに沢山の犠牲者を出すほどに悲惨な爆弾の投げあい=戦争をするまでには、
到らなかったんじゃないだろうか。


一人のイラク記者が一人のアメリカ大統領に投げつけた「靴=怒り」は、
世界中の人の心を動かすほどの感銘を与えたことで、
それとほぼ時を同じくして停戦終了宣言によって再び発火させていた
パレスチナとイスラエルの双方への「怒り」と同調共鳴して、無意識の中で拡大しながら、
沢山の犠牲者を出すほどにエスカレートした「爆弾=怒り」を落とさせたりしたんじゃないだろうか。

と。とても強く思うわけだス。

だったとしたら。
やっぱ、イラク記者はあのような場所で、あのような事をしてはいけないのだ。
何故なら、犠牲者の心を思い知れ!と怒りの靴を投げつけた事で、
さらに大勢の犠牲者が出たわけだからだ。

でもそれは決して飛躍した考えでも、無理に結びつけたような話でもないと思う。
また、靴を投げつけたイラク記者の行為は、決して英雄などと呼ぶべきものではないと思う。

何故なら、たとえその気持ちは人を頷かせるものであったとしても、
やっぱやっぱやっぱやっぱやっぱやっぱやっぱやっぱやっぱやっぱ。
その人が本当に「記者」であるならば、世界中にその映像が発信されるあのような場所で、
決してあのような行為をしてはいけないのだ。

それは、たとえ勇敢にもアメリカの大統領に向って、
「犠牲者の心を思い知れ!」と正義の名のもとに靴を投げつけたとしても、
それは、勇敢でも正義でもなく、ただただ「怒り」だけを現した
礼節を欠いた子供のような稚拙な行動であり、ましてや「記者」であるというのなら、
まったくもってあるべき態度ではなく、そうでないというなら、
その中に絶対なければいけないものがあるかどうかをみればわかるわけだス。
「愛」が。真実の。
いいや在る!と彼は言うかもしれない。在るからこそ世界中の人の心を動かしたと。

なこといおうもんなら、なーに言ってんだおめー。と私は思うわけだス。

おめーのした事で世界中の人の心はどのように動いたのか。
靴を何億円で買うといったり、婿に欲しいといったり、
おめーを英雄扱いしては騒ぎ立て、ただただ感情的にアメリカ大統領への憎悪を高め、
ブッシュがいかに極悪非道な政治家であるかをひろめたり、特に最低なのはアメリカの反戦団体で、
ホワイトハウスの前でブッシュの着ぐるみに靴を投げつけるパフォーマンスなど、
ゲスのすることで、そんなもんを反戦団体だとさせておくこと自体が犯罪で、
真の反戦団体というなら、ブッシュもイラクの記者も両方を愛するような行為、
記者の起した行為の理解を示しブッシュに呼びかけ一緒に反省行を行うとか、
また記者に対してもあなたの起した行動は世界中の人たちの心に「不満」や「怒り」を発火させるものではあるけれど、
決して犠牲者を絶やすための行為ではないばかりか、さらに犠牲者を出すような行為であり、
「記者」であるというなら、その行為で世界の人たちに「怒り」ではなく「愛」を与えるようでなければ本物とはいえない。
と、ソッチにもメッセージを送るようであってこそ、ニュートラルつまり愛と言えるわけで、
そうでない限りは真の反戦団体と言えない。
自国の大統領の着ぐるみをつくり、ホワイトハウスの前でそれに対して靴を投げつけそれで、
立派に反戦運動してるなどと、愚かにもほどがある。最低な団体だ。

アメリカに勝手に戦争起され大きな犠牲と被害を与えられた事も事実だけど、
アメリカによって救われたこともなくはないはず。アメリカが駐留してるおかげで治安も守られている面だってあるはず。
アメリカが出て行ったら、自分たちの力でどれだけ国をまとめられるのか。多分めちゃめちゃだろう。
そんなアメリカに対して、100%極悪な国だとか極悪な大統領だとか言って怒ってばっかいたら、
またまた変な独裁者が現れたり内戦が起きたり、もっと拉致があかなくなるんじゃないのか?

また、いくら本当にアホだとしても、世界中でアメリカを嫌悪しバカにし舐めまくるようになっていったらどうなる?

たとえアホでも、アメリカ以外にどの国が地球の人類をまとめられる?
ロシアか?中国か?イギリスか?ドイツか?フランスか?イラクか?イランか?インドか?アフリカか?
それとも北朝鮮か?他にどこもないだろ。アメリカ以外。

それなら、アメリカをただ嫌悪したり憎んだり怒ったりバカにしてたらアメリカはどうなる?
アメリカが卑屈になって、全部の国を敵にまわして自分たちだけで閉じこもったりしたらどうなる?
果たして人類は平和で幸福になるのかな?ならんならんぞ。

人類は100%破滅するだろうに。

だから、怒ったり靴投げたりしてるだけでなく、しっかりと他の国のみんなは、
愛してあげなきゃいけないんだ。それは怒ったり嫌悪するんじゃなく、
叱ったりすることも出来なきゃだめだということじゃん。それが愛じゃん。
何とか、みんなで、アメリカのちんこちゃんとに方向正して勃起させておかなきゃいけないんだ。
そのちんこを、「これがさよならのキスだ!思い知れ!」とかいって靴投げつけてても、
アメリカを殺しはすれ生かすことなど出来ないんだ。
みんなで殺し合ってて憎しみあっててどうするんだ一体。
そういう人たちこそ、理想の世界とは逆の世界を築いてしまってる事に気づかない。

アメリカは巨人軍と同じでさ。いくらださかろうとヨソから金で良い選手奪おうと好きになれなかろうと、
巨人が衰退してしまったら、野球界全体が衰退してしまうんだ。
夏になって夕飯時になると、必ずテレビで巨人戦が観れてた時代と観れなくなってしまった今の時代と、
どちらが良い?必ずテレビで巨人戦が観れてた時代のが良いに決まってる。
それだけで世の中、日本の景気は悪くもない。という事になるんだからして。
それが今、毎試合放送しない。スカパーかなんか契約しなけりゃ観れない。
そんなんじゃいけないんだ。おりゃーさびしーぞぉ=!って話がチョー個人的な話になってしまった!

とにかく。

こうなって欲しい。ということとは正反対の事やってる。大体がみんな。
愛す事ができないから。

本当にもうこれ以上犠牲者を増やさなくさせるためには、怒って靴投げてたってなおさら増える一方じゃん。
そんなこと正義感だとかいってするヤツなど、はっきりいって偽善者じゃん。
所詮、自分のこと、自分の国だけのことしか考えてないじゃん。
つーか自分のことも自分の国のことも本当には考えてないんだけど。紛争は増えるだけ。
今の時代、国とか関係なく、人類全体のことを考えて行動判断できなきゃ、愛じゃないだろ。
つながってるんだから。人間は。どこの国の者であろうと。
進化しなきゃいけないんだからもう人間はほんとーに。

進化するために必要なものはただ1つだけ、それが、愛。だっつーてんじゃん。

政治家よりもマスコミよりも、どいつがいけない。って、庶民=私たちほどいけないヤツらはいないんだから。

麻生首相がどーだって言っても、政治家を選ぶのは私たちなんだから。
マスコミの報道だって、その報道を聞いて判断するのは、私たちだ。
政治家も教育者もマスコミも、世の中は、絶対多数の私たち庶民の情緒で動かされてるんだから。
強く逞しい頼れるリーダーがいないという事だけど。
そういうようなヤツの登場を私たちは本当に望んでいるかといえば、そうでもなく、
むしろ、そういう理解難しそうな突出したようなヤツに対して、嫉妬や妬んだりして、
私たちはえてして殺すような事してるんではないか?
かつて日本の宝でもあった黒澤明を自殺未遂に追い込んだように。
撮りたくても撮る事の出来なかった黒澤明に映画を撮らせたのは、日本人ではなく、
ロシア人やコッポラやルーカスなどの黒澤を尊敬し愛してやまない外国人たちだっただろ。
麻生首相だってあれだけ首相選挙の時、誰もがダントツで麻生が最も相応しいと思ってたはず。
その世間での人気世論に追い立てられるように自民党は麻生を総理に選んだようなもんで、
それが麻生はダメだとしてその責任があるとしたら、私たちにもあるべ。
それを人ごとのように批判してて。

あら、なんか。世間を敵にまわすようなことえらそーに書いてて。世間批判かい。やべ。
しかし俺だってその世間だ。俺も含めて批判してんだ。

とにかく。愛なの。それっきゃないの。

もいちどいっとかなきゃ。



そゆわけでみんな良いおとしおー!

【復刻版;タダイマ付近の感じ/不幸の時代に(08 Udj+Christmas特集3)】

2008-12-22 | ・nTinDEEP



不幸の時代というものは、ある意味、恐怖の時代だ。

その「恐怖」の時代の究極にあるものが、
戦争であったり地震等の天変地異であったりウイルスなどであったりする。
そいじゃー、その反対側にあるもの、不幸・恐怖の反対とは、いったい何かとゆーと、
愛。とゆーことになる。

だから、それを感じ発信伝えることは、
未来を生きようとする私たち人間すべての使命でもあり、責任ということになる。
何故なら、私たちは、100%不幸や恐怖の反対側の存在、もっとはっきり言っちゃうと、
愛そのものだから。私たちは。

クリスマスだから浮かれて言ってるわけでも
大麻とかやりながら昔のヒッピーかぶれのようなことを言ってるわけでもない。

私たちは誰もが、この世に「生命」を持って生まれ、今の時代を生きている。という事を言ってるだけ。
私たちは「生命」ある事で生きている「生命体」だろ?
だったら私たちは愛そのものだろ、だって、「生命」って「愛」そのものなんだから。
私たちは、その「愛=生命」で出来てる(生きてる)わけなの。
私たちは、ソレがなければ生きていけないの。
また、逆に、ソレだけあれば、他に何もなくても生きていけるわけだス。

生命が在る。んだから。

実は、酸素や水や食べ物がなくても、ソレだけあれば生きていけるわけだス。
ま。他の惑星に生きる、気体のような霊体的肉体を持つ宇宙人とかなら
現実的な話として理解出来るだろうけど、地球に住む私たちは、酸素や水や食べ物がなければ、
死んでしまう、生命を失ってしまうので、あまりそのことを現実的に捉えられないけど。

死んだら、わかるわけだス。そのこと。
死んでしまうのは自分の老いた肉体であり、自分自身はソコ(あの世)でしっかり生きていることで。

ソコで自分が、酸素も水も食べ物も必要とせずに、生きていること。
自分の「生命」は永遠に自分を生かすこと。
「生命」はそれ自体で「生命」ゆえに、決して死ぬことなく、すべてを生かす存在として永遠であるということ。
そして、私たちは「生命」そのものであるということが。

とにかく。

もしもあらゆる一切のものが自分から消滅してしまおうと、「生命・愛」だけ、失う事がなければ、
本質的には、決して、不幸や恐怖、孤独すらもやって来ない。
何故なら、「生命」は「新生」することも出来るから。
これは、知ってて絶対に損のない話。いつか必ずどこかでその智慧で救われるときが必ず来るから。

自分の中に「生命」の存在を明確に認識できれば、それがすべてと繋がっている事がわかるようになる。
たとえ今、つらくて孤独で不安でいても、自分の中に「生命」の存在を明確に認識できれば、
不思議に「不幸感」がなくなり、元気になる。さらに生命の永遠性を自分のオーラに出せるようになったら、
かなり魅力的な人を惹き付けるようなヤツにもなる。それが「生命」であり、それが本当の君自身だからだ。

誰もが魅力的な人間であること。そうでない理由は、今、君が、君自身ではないから。
自分を生命そのものにしていないから。

私たちは、本当に生命そのもの。愛そのもの。であるということ。

私たちが私たち自身でいられれば、決して不幸にはならない。
嘘だと言われても、そのようになってるんだからしかたがない。

私の大好きなピクサーの最新作でも、そのこと言ってる。うぉ~りぃ~って。
あいつ、ロボットのくせに。それがアニメーション(絵に息吹を与える)の世界ってもんだ。

それは植物や動物も同じ。愛そのものなる存在。みんな生命を持ちそれで生きてる。
酸素や栄養-植物でみんな生きてるわけではないということ。それらもすべて根源的な「生命」から生まれたもの。
「生命」がなければ、すべてが今ココに存在しない。だから、みんな「生命」が在ることで生きてるわけだス。
それが、「自然」の世界。そのしくみ。だから、それって、愛だろ。

そして、私たちは「生命」そのもの「自然」そのもの。つまり「愛」そのものなんでありやす。

この認識は、大事な事なんだけど、私の苦手な世間一般のマトモな人たちは、
アイソノモノのそんざい!とか言うだけで、センサー動き、あぁ~シュウキョウの話ね、とかして、
自分の話として引っ張って来れないのが、文字道理世間一般みたいな感じ。

とにかく。テレビなどの報道では、現在「不幸の時代」を迎えているらしい。

経済的に成功しないことや、未来が見えないこと、未知のウイルスなどの発生で生存していくことの不安から、
人々は、自分の身を守りきることができず、苦しみ、悲しみ、恐怖の中にあった時、
こうした恐怖から救うものは、やっぱ、人の愛。それっきゃない。

それは、「人を助けたい」という優しい気持ちであるかもしんない。
「そのままの君を、私たちは、あるいは私は、愛しているぞ」と言ってあげる心かもしんない。

たとえ首筋がかゆかろーと、恐怖の時代には、
「そのままのあなたで素晴らしい。そのままのあなたで、天使であり、神の子である。
あなたの輝いている素晴らしいところが、私の目には見える」
と言ってやれる人が数多く出現することが、必要となったりする。

「他人が自分を害するのではないか」という、お互いに、他から身を守ることのみを考える人々が増大すると、
そこに、国境を超えて、戦争というものが起きる。

国境を超えない場合には、内乱が起きたりして、さまざまなかたちで国難が現れて来る。

もはや人類にとって、その恐怖を打ち消すものは、愛しかない。ということ。
それはキレイゴトではなく、未来を生きる人類に課された責任として、
悟り伝えなければいけない時期に来てんぞぉ=っと、私の内なる「生命」は発している。

愛とは、人々を結びつける力。そして、人々を強くする力でもあり、希望へと導く力。
だということを。めんどくせーなーもーだけどしょうがない。

世の中は、政治のほうも、経済のほうも、うまくいってないし、
21紀以降の世界を引っ張っていく新しい思想や、方向性が、明確に見えない状況にあって、
ただ、こういうときに気を付けなければいけないことは、ともすれば、外側に表れたものによって、
幸・不幸、成功・失敗を考えがちになるということだス。

この危険性を感じ、訴えかける者が、これから一人でも多く出て来る必要性を、最近なんか強く感じちゃうわけ。

感じたくねーよそんなこと俺。だけどもどーしても感じてしまう。「アンテナ」もってんから。
しょーがねーよなーそいじゃーなー。

特に、20世紀は、ある意味で唯物論の世紀、物万能の時代だった。
科学技術が進歩したために、物づくりの能力が非常に高くなり、そして、あふれるばかりの物が、
ある意味で人間の生活を幸福にもした。
さらに、食料に関しても、その生産性を飛躍的に高める手段が、肥料や、さまざまな機械類によって、もたらされたとも言える。

その意味において、物質的な豊かさも、完全に否定しきることはできないと思うけど、
ただ、目に見え、手に触れることができる幸福というものは、どこまで求めても、やはり有限なわけ。限界があんの。

そのことを、SARSやトリインフルエンザなどのウイルスは、私たちに警告してんのかもしんないよ。

鶏に大量の卵を産ませるために、日も当たらぬウインドウレスの窓のない大きな箱に大量の鶏を押しこんで、
ただただ卵だけを産ませる機械のように鶏を扱っていたら、その「生命」は、同じ生命を持つ私たちに、
「それは間違っている!」ということを私たちに伝える何かしらの合図=抵抗を送るようになってる。
と断言してもかまわないだろう。大体事実だから。ウイルスは「生命」からの使者でもあるし。

物質的な豊かさも、完全に否定しきることはできないと思うけど、
ただ、目に見え、手に触れることができる幸福というものは、どこまで求めても、やはり有限なわけ。限界があんの。

じゃー。その有限の世界のなかにおいて、無限に求めることができるものとは何かとゆーと、それは、
人間の心のなかに眠っている、深い深い潜在的な価値。心のなかの宝物。誰もがみんな持っているもの。

それが「生命」という力、「生命」という智慧、「生命」という光、つまり愛。

自分の「生命」は、それを発するだけで、自分だけでなく他をも生かそうと光を発っする(運動する)。
自分の「生命」も他人の「生命」も、同じ「1つ」の「生命」だということ。

私たちは「生命」そのもの。「愛」そのもの。それは、本当の話だということ。

これからの私たちは誰もがその「生命」を持っていることを、誇りに思って、
それを堂々と放射させては生き生きとした人生を心がけて生きる責任がある。

責任がある。ときつく言うのは苦手な私だが、ハシモト知事も、
その「生命力」を輝かせ孤軍奮闘頑張っておられるので、そー言っちゃう。
事実、そうだから。それを意識するべきだから。

それがまず、不幸感覚という、生命の正反対側なるものを、簡単には引きつけない力となるから。
私たちは、ソッチ側の出身ではないんだから。という強い自覚。それが今、必要だということ。なハシモト。

石油や石炭、鉄鉱石、金、銀、ダイヤモンドなどが、地中深く眠っているように、
一人ひとりの心のなかに、無限の価値が眠ってんの。
この無限の価値は、必ずしも、外に表れて、無限の成功として形あるものとなるわけではないんだけど、
心のなかにおいて、それを見つめ、味わう限りにおいて、それは、無限の成功を人間に与えてくれるの。


世の人々は、物質的な豊かさによって、幸福になったと同時に、それに釣り合うように、
不幸感覚が強くなっているように思えるわけ。

それは、便利さというものが、同時に人の欲望を加速させている。とも言えるんだと思うわけ。

「とにかく一日の糧を得られればよい」という考え方だったのが、
もっともっとぜいたくなものを求め、快適さを求めるようになり、さらに、地位を積み重ね、財産を積み重ね、名声を積み重ね、
他の者との競争のなかに最終的勝利を得たいと願っている人も数多くいたりする、そんな今の世の中でもあんだ。


そゆー価値のピラミッドのなかでは、最終的な勝者は数が少なくなるので、
多くの者は、ピラミッドの側面を転げ落ちていっちゃう。

しかし、今の日本の不幸は、このピラミッドの頂点に位置すると思われる人たちが、
次々に転落する姿を見せていることだ。


ピラミッドの頂点にいる政治家、官僚、財界人その他、社会的にも尊敬されているような人たちが、
新聞の一面で、まるで生まれつきの極悪人ででもあるかのように報道されることが数多くある。

これは、ピラミッドに登ることができずに地面で苦しんでいる多くの人たちの、
「上に登った者が落ちてくれば、彼らは自分たちと同じような不幸を共有する。それによって自分たちは安心できる」
という虚しい価値観から生まれているかもしんないの。

しかし、考えてみれば、そーゆー「一握りの人たちが幸福で、他の者が不幸である」
という考え方には、納得のいかないものがあるわけで。それは、
あくまでも外面的な勝敗、名誉であり、外側の物差しで測れる幸福にすぎないものだからそーなの。

そーではなく、大切なのは、内面にある物差し、心の内なる物差し。それは、決して気休めを言ってるんじゃーないけど、
だけど、心のウチというもの、あるいは心そのものを、いまだ発見することができない人にとっては、
そんな話は、まるで抽象的なおとぎ話のようにしか聞こえないわけ。

それは、土のなかに、石炭や石油、ダイヤモンド、鉄鉱石、金鉱が眠っていても、
それに気が付かない人にとっては、それはただの土くれでしかなく、
「その土から農作物がとれるかどうか」ぐらいの判断しかできないよーな感じ。

それと同じ感じで、深いところに眠っているものに、多くの人は気が付いてないの。
それは無限の喜びの源泉であるつーにもかかわらず。

現代の人々は、人を愛することの喜びというものを、率直に味わうことができるでしょーか。つー話があって。
それは、きわめて稀な、「貴重な瞬間」であって、でも、これからの人間は、その「瞬間」こそが、
最も重要な鍵になる。つー話があんの。

過去一年を振り返ってみて、「私はこのように人を愛した。人を愛したことによって、これだけの喜びを得た」
ということを思い起こす幸福を、みんなは持ってる?つーこと。

この一年、人を愛することの喜びを、どれだけ得ましたか。また、その反対はどうだったでしょう。
人を苦しめたり、害したりしたことの反省もあるでしょうか。つーこと。

一年のあいだには、いろいろな出来事があったはず。しかしながら、
その耀く「瞬間」、心のきらめく「瞬間」というものは、そう多くはなかったのでのではないのか。

私たちこれからの人類は、1つになって、その「瞬間」を、1つでも多く増やしていかなければならない。
とゆー使命を与えられちゃってんの。だって実はソノモノの存在だから。
それは、未来を生きるすべての人間の条件でもあり責任でもある。とゆーこと。

でもそれは本当は簡単なこと。愛を感じ、愛すること。それだけのことだから。
でも、とてもそれが難しーことになってるわけ。
表面的なソレなところではできても、もっと本質的なところのソレを感じたり伝えたり
ソレを実行したりすることが、簡単に出来なくなってきてるの。ソノモノのくせに。

真実の自分を見失ってるの。自分が、決して世界を不幸になどさせない、愛そのものの存在であることを。

そういった重要なことを、重要なこととして、多くの人は気が付いてない。

そんなことは、キレイゴトであって、今の自分にとって、現実的に何の利益にも収入にもならないので、
それが自分の本来の幸福につながるとは、リアルに思えない。とか言っちゃって。


だけど、現実には、今の人間の環境、というより地球の環境は、そんな感じの人によって明らかに汚染されてんの。
人肉が焼けこげるよーな変な火薬の匂いとか今だにしてる。


いくらリアルに思えなくても、私たちは、人間本来の方向を持ってみんなで生きることによって、
はじめて、人類は、不幸から身を守る。というのは、事実だ。

だからウイルスは、目的を持たずにただ生きている生命・存在を発見し、出てくる。
また、地球という生命体にとって、不必要になっている過剰なるもの・腫瘍を排斥するために、
使命を持って生まれて来る。

それは、正しく生きる方向性を持とうとしない、過剰になった、無目的の、「自分がない」生命体、
その存在に、「あなたは今生きているけど死んでんだよ、それは地球にとってはガン細胞も同然なんだよ」
と言うことを警告するため、また、それを全体に悟らせる運動のために生まれてくる。

だから、外面的な成功のみを求める人にとっては、
これからも苦しい試練が続くことになる。それは、法則だから。

けれども、心の奥なるウチ側から成功を求めている人にとっては、どのような試練が目の前に展開しようとも、
幸福の連続ということがありうる。ことになる。

それは、きっとこれからの未来を生きる私たち人類にとって、最も重要な価値観となってくると思う。とゆーか、
そーならなければいけないことだ。

そーだ!岡本太郎だ!芸術「と」人生。じゃーなく芸術「は」人生であり、人生「は」芸術なんだ。
ナニナニ「と」なに、なんてことはどーでもいーんだ。

君は。何かを与えられてもらえたら幸福になるというものではない。何かを奪えたら幸福になるというものでもない。
何かを達成したら幸福になるというものでもなければ、何かを手に入れることによって幸福になるというものでもない。
そのままの君で、幸福になる道があるんだよ。それは、ソトではなく、君のウチにあるんだ。

とゆーこと。

今年は「eve@i」が出来ず誠に残念。
せめてブログだけでも《《eve@i》》してみよーと頑張ってみやしたの感じ。


(今回の作文はまたも、今はなきUDJのホームページでの看板コーナー「タダイマ付近の感じ」の復刻版で、その中から2004年3月5日に発表した「不幸の時代」を、現在の私のタダイマ付近の感じに再編集書き直して完成させたものです。それにしても当時の自分の感覚を記録した作品でもあるもうかなりムカシ付近でもある「タダイマ付近の感じ」だが、ココに「復刻」させる目的もありまたあらためて読み直しているけど、読んでて自分が書いたとは思えぬほどに何か不気味で怪しい予言書をひも解くような感じで、なんか、こわい。けど、おもしろい。それは現在でもタダイマ付近の感じでもあることがうれしい。よくもわるくも、それは普遍的な価値を持つことだから。)




【復刻版;タダイマ付近の感じ/大金持ち(08 Udj+Christmas特集2)】

2008-12-18 | ・nTinDEEP



昔アメリカの偉大な大金持ちにロックフェラーという人がいたんじゃ。
20代で成功し、40代で大会社の社長となり、
膨大な富を得て、巨大な財閥を築いたとてもとても偉大な人じゃ。

ただ、彼はそんな大成功を納めてしまったとゆうのに、
50代の頃、老いさらばえた老人のようになってしまったのじゃ。

いつも胃が痛くて苦しみ、夜も眠れない状態が続き
身体はがたがたで50代ですでに死にかかっていたんじゃ。

何故かというと、大金持ちになっても「びた一文、まけられない」
などと言って商売の鬼と言われながらもそれを喜ぶかのように自信を持って商売をしていたロックフェラーは、
次第にあまりにもの大成功を納めてしまった彼に対する世間の目が、
彼を妬みの餌食とさせて行ったからなのじゃな。

「金儲け主義で人々を苦しめている」と次第に大勢のあちこちの人間から、
沢山の非難を受けるようになっていき、味方たちからも裏では非難されるようになって来るにおいて、
さすがに精神が衰弱し肉体がそれに応え出していったんじゃ。

20代の頃は自分のためにどれだけお金を集めるかと躍起になって、
自分の才能が大きな利益を呼ぶことで高慢になっていたんじゃが、
50代の頃になると、お金はますます増える一方だったんじゃが、
世間の辛辣な風評がピークをむかえる頃には、
さすがに、彼の日常はまるで地獄のような日々になっていたんじゃ。

しかし、人間失敗や地獄を味わうことは、実は「天から守られている」ことでもあるんじゃな。

飛ぶ鳥を落とす勢いで自分のためだけを考えて大富豪になってしまっていた彼にとって、
その大傲慢に陥っていた彼を救うには、そこまでの地獄を味わせなくては彼を、
真実の意味で救うことが出来なかったんだ。

そこまでいってやっと彼は偉大な大金持ちになる道を歩みはじめて行くんじゃな。

彼はやがて光を見ることになる。

バカではない彼は改心し、「この財力を生かし、世界の人々のために役立てよう」と思い、
ロックフェラー財団をつくり、その膨大な資本力を使って、
世界各地に教会や病院、学校などを数多く建てたんじゃ。

今ではなんだかそんな話には驚かないかもしれないが、なにしろその時代に、
そんなことをした金持ちは、かつてアメリカにはいなかったんじゃ。
ロックフェラーはそれほど財力を持っていたとも言えるんじゃがな。

50代で死にかかっていた彼はその後光明思想を持って生きることによって、
なんと満97歳まで長生きしたんじゃ。

大金持ちのロックフェラーは「自分のために、どれだけお金を集めるか」ということではなく、
「世の中のために、どれだけお金を還元するか」ということへと考えを変えていったんじゃ。
そうすることによって、それまでの罪の意識、いろんな人の批判、怨嗟の声が消え、
彼は明るい人生を生きることが出来るようになっていったんじゃな。

まーわしには関係のないまたなんと羨ましい大金持ちの改心な話じゃがな。

<タダイマ付近の感じ/2000.5「大金持ち」より>


とゆー話を、以前---2000年の5月頃---に、今はもう幻の私(UDJ+Artworx)のホーム・ページ、
「タダイマ付近の感じ」というコーナーで、書いたわけだス。

それは、ロックフェラーという、昔アメリカにいた、有名な「大金持ち」の話だけど、
無慈悲な営業戦術で巨額の富を得た事で、思ってもみなかったほどの辛辣なる非難を浴びて、
夜も眠れぬほどの精神ボロボロにやられるほどの地獄を味わったんだけど、
しかし、バカではない彼はそのアンテナからあるとき、ピカッ!と、光を受信して、
「あああああそーだ!ああああそーか!そーおおおだわ!
この財力を生かし、世界の人々のために役立てればいーんじゃん!」
と気づき心あらため、ついに「新生」するにいたり、彼はその後、その光を絶やす事ことなく、
「光明思想」を持って生きることによって、そのとうり何と97歳まで、
地獄から縁とぉ~い、完璧幸福!なる自分の真実なる人生を生き切った。
つー資本主義の大国らしいアメリカが生んだ、立派な「大金持ち」のお話。

これを書いた時は、当然、だっさぁ~いリーマン・ブラザースの経営破綻などから始まった、
「今のアメリカ」によって起されたとんでもねー金融不況の事など、知る由もない。

だけど、8年前書いたこの「大金持ち」の話は、
資本主義大国アメリカ。金儲け主義。傲慢。破綻。地獄を味わう大金持ち。
など共通する部分が多くとても似ている。

しかし大きく違うことは、「昔」と「今」の大金持ちの両者のアンテナのレベル=感度。その違いだ。

私が紹介した「昔のアメリカ」の大金持ちは、地獄を味わうことで「改心」し、
そのアンテナに「光=智慧」を受信し、儲けたお金で学校や病院や教会をつくり、
世界の人々のために役立てようとして、見事「新生」したわけだけど、

「今のアメリカ」の大金持ちたちの味わった地獄は、その商品が「製品」ではなく、
本来価値を持たないただの「紙切れ」と「信用」だけであったために、一度それが泡となって破綻し信用を失うと、
いざ「改心」しようにも、「泡」ではなく普遍なる「心」という一番大事なソレを、
すでに、どっかにおっこどしたまま、さらに愚かにも、そのこと自体にも気づかずにいたので、
「改心」するために必要な「心」が見つからない。
そのため、彼らは、「味わう」というよりただ、地獄を認める、という事しか出来ず、
そのカルマ(業)から、めでたくも、そのアンテナにはお見事!
「天罰」を受信され、「新生」などそーカンタンにできぬまま、
このいまだどうしていいのかわからずな迷妄の中でただただ混乱するばかりのまま、
現在も世界中に不況のうんこを垂れ流し続けては、その成金モノなかっこわるさを晒したまま、
その愚かさのツケをくらっている。

とま、そういうことだろう。

ある意味、品格ない私などは、ざまぁないあはははは。と、いい気味だと笑っていたいが、
「今の地球」に住む私たちは、見事「新生」させた「昔のアメリカ」のほうの大金持ちではなく、
そっちの愚かなかっこ悪い方の「今のアメリカ」の方と関わりを持つわけなので、
どうしてもそのウンコの混乱の渦の中に巻き込まれやすい脆い足場の上に、その身をおき生きているので、
まったく笑っている場合でもなく、だから、まったく、つまらない。

そんな中で、この、かなりとぉーい付近のもうタダイマ付近でもない8年前に書いた私の話は、
まるでそれを予測していたように、そんな時、混乱しないような智慧を、
みんなに伝えているから凄いったらない俺ホントかっこいぃ。
(とつい高慢自慢し最後の最後でレベル下げ失敗してしまった俺だが)

それは何かと言うと、

「金」より「心」ということ。

「心」より「金」だと、必ずその行く末は、破綻を呼び、混乱する。

という智慧やんけ。なぁ。わっかりやすいべ。

「今の混乱」も、もちろんそのことを、教えてくれていて、
誰にでもわかりやすいほどに優しい「智慧」でそれを克服出来るなら、
時間はかかるかもしれないけど、「自然」に世の中は良くなって行くはず。なのだス。だから、

本当は混乱することなどない。のだス。

「改心」ではなく「現金」に焦るから混乱するだけなのです。

「心」より「金」ではなく、「金」より「心」

なんて、ホント、誰にでもわかる、やさしくてかんたんな「道理」じゃんか。

しかし。「道理」も何も。なもん二の次でずーっと「心」より「金」でやってたヤツらには、
そんなかんたんな「改心」するための「道理」も、「損得」というところで停滞=執着してしまっていて、
いまだにフリーズ麻痺状態のまま、その「道」にかんたんに戻れず、
自ら種をまいた混乱の渦の中で、ただただ迷妄する迷子のままだ。あーかっこわるぅ。

みんなも、どーか、こんなかっこわるぅならんよう、たのむぞ。

おい小室。お前もだぞ。ナントカ・ネットワークだかしらんが、クモの巣じゃねーんだから。
自分で罠にはまって捕まってしまうんじゃねーぞかっこわるぅ。
もっとちゃんとした良い音出したネットワークはっておけよ。俺のように。本当に。自惚れではなく。

なにしろ、今の時代、全てを失う覚悟、裸一貫の「心意気」、
執着という魔を斬り捨て、「新生」出来る「気力」こそが、「投機」するべきものだろー。小室!

とにかく。今年の私=UDJ+Artworxの今年のクリスマス・カードは、
「新生」を伝えていやす。

見事なほどのクリスマス特集なる展開だべ。見たか泰葉!まけねぇぞぉ~う。

とにかくみなさま。はっぴーめりぃくりすますかいてねてんじゃねーいいぇー!





【08 Udj+Christmas+Card】

2008-12-14 | ・nTinDEEP


<新生>

毎日新しく生まれなさい 一日の終わりの 時には
心が闇に包まれるようなことがあっても 夜空に星や月の輝きがあるように
あなたは 明るさを取り戻すことができます。

毎日新しく生まれなさい 時には 思い出したくもない
悲しみや失敗 後悔があったとしても 心の底にある清らかな泉の水が
あなたの生命を新鮮に蘇らせてくれます

だれでも 心と行いを変えるだけで 毎日 新しく生まれることができるのです
だれでも 自然に全託して生きれば毎日 新しいあなたになる力が与えられます

(天使の愛 /著;横尾 忠則 , 中森 樹庵 より)



そうゆうわけで、わりーけど、また、泰葉(のはなし)だ。

前回あんなに書いたとゆうのにもかかわらず、
何とまたまたコイツは、私をおどろかせおもしろがらせるのでした。
そう。レスラーになってプロレスやっちゃう。んだとゆー。

もーめちゃくちゃです。もーコイツはほんともー、俺がどーしよーとこーしよーとも、
なんだかわけわかんないほどにほんともーコイツめちゃくちゃです。おもしろくて。
不気味なほどに怖いほどに俺をたのしませます。

気づくと、私はその試合のチケットを購入していました。

ええ=なんでだー!どしたんだ=俺わぁ!今年のシメは泰葉のプロレスかぁ=!
と自分に叫び自分を疑いながらも、だけども、購入クリックをカチャリと押していました。

しかしすぐに納得できました。これは決して間違った行動ではない。と。

今。私に最も必要な「気」を、コイツは発しているのです。
それが泰葉の「気(オーラ)」だということは、決して恥ずべきことでもなく、
そしてまた、決して間違ったことでもありやせん。失礼ながらも。

とにかく、それがたとえ「ハッスル」の興行(見世物)だとしても、
というかむしろ、そんな興行のプログラムの中で、勇敢にも、
格闘家になって格闘技に挑戦する彼女を、決してバカになんてできやせん。
出来るものならやってみな。な事なんですからして、だから、やはり、
コイツは恐るべきなヤツなんでありやして、また、そんな企画を立てる
「ハッスル」は、私はイカしてると思いやす。高田ちゃん好きだし。

その「リング=運動場」からの「生泰葉」、格闘家になって格闘技を披露する、
「生泰葉」の「ライブ」をじかに「客席」から、観戦することで、
ヤツの生の「気=オーラ」を吸収出来ることは、きっと、これまた、
私をおどろかせるほどの「力」を得られることとなるでしょう。

それは、きっと得する秘境のパワースポット=穴場だ。

ゆえに、今の自分にとって、それは、とても良い判断行動であった。
つーことを確信していやす。まさしく、私の今年のシメのイベントとして、
それは、めちゃ絶妙最適な「行事」「祭事」だと確信しやす。

それは、あーつまらないつまらないこの世から面白いものがどんどん消されていくぅー、
このままいったら一体この世界はどーなっていってしまうのだろー、
活気もない気力もない情熱ない希望もない夢もない不能ばかりのニンゲンの世界なんて、
生きててまっことつまらないつまらないそんなのもー何もかもがめちゃつまらない。
とゆーような世界になっていくではないか!

と、危惧していた今年の私であっただけに、
これはやっぱもー、新しい年を迎えるにあたって、私には好運なる福音だろーに。

どんどんもりあがっていきやす。

そー言えば、そんなつまらない不景気の中で貴重にも唯一私を楽しませたあの絶対的に面白い、
柔道の石井君も、格闘技に行くんだっけ。

面白い人間とは、「格闘」する者。「格闘」出来る者。なのかもしんない。

それは、テロリストでも無差別殺人者でもなく、
今のこのどうしようもない世界をぶちこわせる資格ある者。かもしんない。

私はそういう人たちを「マトモではない人」と言う。

だから、誤解しないでほしい。私は前回、今のこの世の中、
マトモなヤツこそ罪人で、「マトモではない人」こそが、未来の光。
みたいなこと書いたけど、

私の言う「マトモではない人」と言うのは、
犬がどーだこーだされたから正義のために役人を殺してやったとか言うまともじゃないヤツや、
漢字がまったく読めないまともじゃない一国の総理大臣のことでもなくて、
マトモではないほどに今の世を変革ぶちこわせる資格ある
「マトモではない人」のことだからね。

それは、今の世では、うざがれめんどくさがれ絶滅しそうな、情熱家のこと。
今の日本の政治家には一人もいなそーな。府知事や県知事や都知事にはいそーかも。

とにかくそういう者にこそ、今のこの本質を失い迷妄する間違った世の中に挑み格闘し、
この世をこの世の人たちを、良きものに変えてくれる奇跡の種を持つ者なのだろー。

みんなももっともっと格闘するべきかもしんない。新生のために。

ということで、そんな感じで、私の期待はどんどん膨らみながら、
いまから、12月30日が、とてもとても楽しみだぁ。

また、たとえ、期待を裏切られても、おそらく、おちこむ心配もないようにも思う。
だって、泰葉なんだもん。と、安心さえもしてしまえるだろう。
から、やはり、泰葉は凄い。恐るべきだろ。泰葉をなめたらバカをみる。

なにしろ俺のライバルなのだから。アホ同志の。