U+B+A :udj+blog+artworx

welcome to U+B+A in saybow(2005~)

★Tのもう一人のファン+メンバー★

2005-10-30 | in the Tensaw


笑ってるよおい。(笑)

この写真を撮影した三浦麻旅子君が
まだ、女学生の頃、彼女も、私と同じように、
このバンドのファンだった。

しかし、彼女はその時、このバンドのファンとして、
ファンの私に出来ない事をして楽しんでいた。

このバンドのLive写真を撮っていたのである。

私はステージで唄っているので、彼女のような、
そういう楽しみ方をすることは出来なかった。

その頃の彼女を妹のように見て知っていた私は、
そんな彼女を時々ステージから見ては、
このバンドの写真を撮影するのは、きっと面白いだろうなぁ。
と思ったものだ。

そんなこと平気で思い、こういうところで
平気で言えること自体が、
私が当時、このバンドのファンであった証拠だ。




だから、私は、好きな事をやってるだけだ。という
彼女のやってる感じが、とても自然に思えとても羨ましかった。

実は。歌手として、その頃からだんだん自分の中で
このバンドで唄う事が、苦痛になっていくことに、
その頃からなりだしていたからだ。

そんな私だったからか、彼女があまりにも楽しそうに、
自然に写真を撮っていたという印象が強く。
何年もたってから、彼女はプロの写真家になって、さらに、
それだけではなく、彼女はそのスジでは名の知れた写真家である、
と知った時は驚いた。

その頃閉じこもる性格になっていて世間を知らない私だったこともあるけど、
どうしても私の中で、イメージとして、
プロの写真家のまりちゃんは、結びつかなかった。

このバンドがサード・アルバムをつくるために再結成した時。
早速、私たちは、アルバムのジャケット写真を
彼女に撮ってもらうことにした。彼女は快諾してくれた。
それも、今から思えば、自然な出来事である。

そして、久しぶりに再会した「プロの写真家」の彼女は、
あの女学生のまりちゃんときと変わってなかった。




それは、とても良い選択だった。
ジャケット写真の撮影を彼女にと決めるそんなバンドゆえに、
私はそのときも。そのバンドを好きになれたし、
問題なくファンになることが出来た。

しかしそんな良い感じの始まりだっただけに、
その後の活動停止にいたる失敗に対しては、
二度とこのバンドとはもう出来ないと思うほど、
私を大いに苦しめ悲しませるものになってしまった。

だけど、このバンドのおかげで沢山の世界を見る事が出来たことは事実だったし、
それが私を大いに目覚めさせるものとなって、
そのバンドとの決別をして、私はロンドンに行くのだけど、
決して「TENSAW」というバンドに対しての愛情は、
薄まるものではなかった。それどころか、特別な存在として誇りに思っていた。
ゆえにもう他のメンバーたちとそれをやることは不可能だと思った。
それを勤めるには、あまりにも、最初の頃と比べ、堕落したように思えたからだ。

その後私は、何度もこのバンドでの再結成はないのかといろんな人に聞かれたが、
聞かれるたびに、絶対あり得ないとこたえていたし、
4人で久しぶりに演奏しないかというミチアキの結婚式にさえ、
それならごめん俺は出れない、といって式を欠席したほどだった。

ミチアキには申し訳なかったけど、失敗した理由と意味が、
そんな場所でさえも、決して私にやらせようとしなかった。
そのバンドの歌手として、その唄のコトバをつくったものとして、
そのバンドはいちど世間から抹殺しなければいけないものだったからだ。

しかしそんな私に対して、他のみんな、特にミチアキとグリコは、
そんな私の気持を、心の狭いものにさせるほど、生長していた。
彼らはその声、その期待にこたえようと再び立ち上がり、
その熱意と愛情に、不自然なるものは、見当たらないまでになってた。





そして私はやっとそのことに気づき、再び久しぶりに「5人」で、
全員集合したわけだ。


このバンドのファンに久しぶりに復活した私から見れば、
その5人目のメンバーである彼女は、まさしくTENSAWのメンバーであった。
彼女の存在は、私がこのバンドのファンに復活したことを祝福する象徴のように思えた。
あの時からずーっと、彼女と私はこのバンドのファン同士であったからだ。

だから、当然、彼女も私も一緒に再会して、
「最初の全員集合・撮影会」運動を共にすることになったのだ。と思った。

今またこのバンドTENSAWが、再び、人前に姿を出して演奏するという
そのオリジナルメンバーのままの4人を、
三浦麻旅子君が、再びそれを撮影・記録すること自体が、
私にしてみると、アート作品なのである。



こらぼれいしょんmarico+saybow


それは、まったくもって、UDJ+artworxであり、
私の個人的な「eve@i」という意識に自然と通じてしまうわけだった。
これは、私にすれば、とても奇跡的なことなのである。

すべてが自然であることが。



こらぼれいしょんgrico+saybow


私の決断は。正しかった、というよりも、
みんなは、正しかった。ということだ。大したもんだわみんな。
そのバンドに対する愛情。

おい、おめーだよ。コメント君らも(笑)。


インド行ってたのかよ麻旅子

俺はまだソコには喚ばれてないとゆーにもかかわらずぅ。




★記号の撮影会終えついに今年のeve@i正式に報告しよか★

2005-10-27 | in the Tensaw
<

撮影会は記号だった。
それは予想を遥かに超えた感動的な再会という記号だ。

安心した。その時私は、彼らのファンだったから。
私は実は彼らのファンである。
それが私が「バンド」をやるにおいての最も幸福な在り方だと思うからだ。

私は音楽家である、
という前に音楽が大好きな音楽ファンだから、
もちろん、音楽を愛している。
そんな私だから、ロックだろうが演歌だろうが、
自分が音楽をやる側になるとしたら、どう在れば良いのが明確にわかる。
私をファンにさせるヤツになれば良いのだ。
それは、「バンド」であろうと「ソロ」であろうと。まったく同じ。
もちろん、このバンドも同じだということ。だから、やっていたわけだし。

簡単なことで、ファンでなくなるとそのバンドは解散するし。
ソロだったら引退するということだ。

ファンというのは。決してその対象がこの世から消えてしまうことを望まない、
自分の生きている限り、共に生き、現役であってくれることを望む。
でもだからといって、「やる側」は、「やる側」なので、
客を満足させるための売春婦ではない。
売春婦を差別否定するわけでは毛頭ない、ただ人前で音楽をする立場の者というのは、
「やる側」だという単純な話だということ。

だからいくらファンの希望だからといっても、そこに、
やる気や、やる価値を自分の「気」として存在させておけないなら、
それは不自然でしかないだろ?
だから、やってれば良いというのは、間違いだと思う。

つまり、「やる気」こそが、「やる側」そのものだからだ。
だから、その質は別としても、やる側のやる理由に、
金のためでも愛人に車を買ってやるためでも何でも良いと思う。
そこに、「やる気」があるなら。それよりも最低なのは、
やる気もないのにやってる人間だと私は思う。耳が痛いべ(笑)。

<

でも、私は唯一これだけは、自慢できる。わけだす。
だから、安心するのだ、実際にやることを決断した私は。

それまで、すでにこのバンドは終わっていて、
そのメンバーのみんなとも、今ではまったく違う道で生きてると思っていた自分が
何故に、そんな死んだ幽霊バンドでどうして唄わなければならないのか?
そんなもん、また結局は詐欺バンドで終わってしまうようなハメになるだろうに。

そこまで頑固になる必要はないだろう、とよく言われたけど、
私は頑固ではない。むしろ、柔軟なヤツでもある。だって、
この歳になっても、いまだにナニモノにもとらわれずに
ずーっとやりたい事をやれている、自由のチャンピオンなんだから(笑)。
こんなに自由に仕事のジャンルを無視してやれている野郎もいないんだぜ。(笑)
だから、私が頑固なのではなく、やろうとするバンドが「TENSAW」だからじゃん。
だったら、私はそのバンドのファンでなきゃやれないんだから。
ということ。
その記号は、「頑固」というものではないだろ「ファン」だろ。
ということ。

だから、私はこの日。もう、その日の最大の不安恐怖であったものが、
消えて溶けてなくなってしまってるその気分に、
もう興奮していたわけでもあったのな。
特に、俺がそんな状態、幸福そうで愉しそうであると、
バンド全体がそうなる、ってこと、俺はしっかり認識しちゃってるから(笑)。


でもあまりにもファンであれたことが嬉しかったんだろー、
そーんな感じで家に帰宅してちょっと時間たってから、
やっと、あ。俺はファンだがファンじゃねーよ!俺もメンバーで、
しかもその強力なバンドのリード・ボーカルでもあって、図々しくも唄うんじゃねーか!
と、ファンでありメンバーでもあって、
そゆー中でこのバンドほどいっそがしくまためんどくせーバンドはねーから、
やっぱ無理だろやるの。

ってゆーユウウワクと昨日まで闘って心も身体も疲れ果て
ぼろぼろになってたんじゃねーか。ってなってないなってない。
そこまではなってないが、そんな大変なバンドでもあんだ。つーことも忘れ、
私は、いくらもうそれは本業ではない(だって俺はゲージュツカなんだっていってんべ!)
と内心思っていても、 真面目にやらなければ罰あたると思った。

うん。これで良い!これで、やっとまとまった。

これで世界が明るく愉しく平和になる。
わけないけれど、それはこれからも永遠にそーはならないはずだから。
だから、その時だけそんな気分でおまけにみんな健康元気エロければ、
そいで良し!だろう。

それでもじゅーぶん「男の仕事」は出来てんだろー。
芸能レポーターでは確実にないだろうー。

ああ画像はね、

あー?男の仕事ぉ?とかなにいってんだ
なもんどーでもいーし関係ないじゃんばーか 。

<

とか言ってる頃の100万年前頃の良き時代の4人のバカやろうの画像で。
(画像提供Pu君に感謝-マニアは偉大)

この頃とまったく同じでまったくよぼよぼなLiveが
私の最も理想的なLiveだ。けんども、
そんなまた奇跡は起きるだろうか。起きたって世界はだから変わらない。
しかし決して暗くはならない強さを与えられる。

とかわどだ!このしつけーファンたち!


■■■■■■■■■■■■■■■■■■

2005/10/26.the ReMix BBS by Lenny より。
(ここの Live Info に Liveの詳細が)

立二足歩行を開始してから、両手が自由に使えるようになり、
祖先は狩りで捕った獲物や採集した果実などを、
洞窟の中で待つ家族や親族のために
それまでより楽に「持ち帰れる」ようになった。

これは、自分が餓えを充たす快感よりも、
大切な人たちが喜んでくれることを成し得たという
快感のほうが大きいのだということが、
わたしたちに深く刷り込まれているのかもしんない。

とも思えるわけだす。
信じられないほど美しい景色や絵画や映画を見たり音楽を聞いたりすると、
それに感動するだけではなく、これを誰かに見せたいと、
みんなもよく思うべ。

そういう風に思う対象は、
たいていの場合「大切な人」なのな。

つまり、大切な人というのは、何か感動的な体験をしたときに、
それを共有したいと思える人です。とか、言えるだろーと思いやす。

信じられないような感動に出会ったときなどに、
この感動をいつか共有したいという対象となる人が、
その人にとっての「大切な人」なのだと思います。

そして、それが実現したときに、
その人たちが同じように感動するのに接すると、
自分一人で感動したとき以上の喜びが湧き上がることもあります。

それは広義のコミュニケーションであり、
わたしたち人類はコミュニケーションそのものに喜びを感じる生きものなのだろー!
と、この自分のヨミに対しては、
それがたとえ、アサイヨミ、誤解であったと知っても、きっと私は、
くやしーからその考え曲げない!きぃ=======っ!
とヒステリックに女々しく思うのではないだろうか心配なところもあるけど、
だから、その自分のヨミに対しては、確信的なアタイです。


<


とゆーことで、大切なおめーらに伝えておこうと思いやすが、
ココで書いたその昨日の私のいままたゾクそーとするバンドのメンバー仲間たちが、
意図的にも、何年か前の同じようなその時とは違って派手な感じではなく、
ごくごくその基本のメンバー4名と、
その頃まだ単なるそのファンの素人の女学生でもあった
そしていまや堂々たるそのスジでは名の知れたプロのカメラマン1名と、
いかにもそのバンドらしー、ひやかし?のダチ、謎の見学者のおばさん2名の、
そのバンド本来でもあったけっこーいけるふりょーなるインディーズ感覚な、

ごくごくじみーななるたけ秘密であそぶ的アソビ心的ふりょーなヨリアイ感じで、
100万年ぶりともいえるほど久しぶりにひっそりかんに全員集合し、
いよいよその仕事目的における最初の項目開始!であったその「撮影会」は、
それ終了後も、全員集まっただけで120%のパワーになってしまう
その良いもつけ悪いもつけ、ウザイバンド特有のまったく衰えずな状態のまま、
なにしろスリリングで特別な緊張感の予想された記念すべき
「最初の全員集合」のためにも、その秘密的なひっそり感ノリを重視、
維持させたまま目立たない店を見つけ3件もまわったほどの、
その店一軒一軒の店・運動場で繰り広げられた、
久しぶりで懐かしき全員での「酒場でのコミュニケーション運動」は、
私中心の一方的大きなお世話大会の様を呈していたにはいたけれども、
やはり予想どうり、今年私が実行・運動・体験した
「男の仕事的達成感」の中でも、第一位に輝くほどの、
熱くて感動的な素晴らしい「最初の全員」とさせた見事な成果であったよ。

私はそこで、そのバンドとそのメンバーに対して今まで思っていた事を、
ある意味では、勇気と愛情をもって洗いざらい話をし、
それをみんなは、私の予想以上の優秀さ生長さ不良っぽさで見事にかえし、
私自身がそれはほとんど私の優勢だろうと思えていたその勝負であったが、
これを引き分けでもって、その勝負は、その本番の日までわからない、
という金メダル的な内容性でもって、
そのLiveは、その日、その運動場で、行われることに至った。

ことを、だから、今こーやって、
大切なおめーらに伝えておこうぜよ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今年の「eve@i」は、
期日:2005.12.16。
場所・運動場:神戸チキンジョージ
出演:TENSAW
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

で行うことを、
正式に発表しやす<



★いぶいモードに入ってます★

2005-10-24 | ・nTinDEEP



今年の年末は今までの中で一番忙しいです。
そんな感じでいぶいモード入りまくってんですが、
あこれ、私の近況ですねこれ。

何かを創作してるところですねこれはね、
あ~私の後ろで創作中の作品何のさくひん?え?あれ。

なんなんだろう?なにつくってるんだろう。
をじーっと見つめている男性は、え=。......誰だろう?!
あれぇ?なんだこれ、なにやってんだろ?

俺が.....いるよなぁ....いるけどここは私の家ではないなぁ、
しかし誰だろ俺の後ろでじーっと私のつくってる....何かを
なにつくってんだろ?....を見つめているのは....誰でしょうか?
唐沢寿明という話もありますが、
コーヒーは飲んでないようですか....なんで唐沢寿明がいるのでしょう?
ああ。違いますね、唐沢じゃない、これは誰だろ?って違うということだけ自信もってましたが
わからない誰だろう?大工だという話もありますか?
大工という前にドラマーであって欲しかったという噂は

あっ!何だこのガキたちわぁ?!

何くるくるまわしてんだ?
何か気味悪い絵になってしまってる感じもしますか?
あ、このガキたち3人いますね、あ、このガキたちはガキではないわ、

俺のバンドのメンバーだ。
仲間だった。


そうだ明日久しぶりに会うんだった。
何か写真とるみたいな。さつえいなのでよろしくぅみたいな。明日、

何を着ていけばいいのかぜんぜんわからない感じ。

という気持でいたら。気づいたらこんな作品が出来てしまっていました、


私は絵描きになりたいんだほんとわぁ!

とか最近とみにおもいます。
絵いちまい書いたら100万円ぐらいもらえたら絶対になりたい。

それが一番アートれるから。

とゆー話とかぜんぜんおもしろくないっすね。
やっぱ。いぶいモードだす。

★バスター・キートンにもマリア様が★

2005-10-18 | ・nTinDEEP


バスター・キートンだってよ。知ってる?バスター・キートン。

偉大なるストーンフェイス(絶対笑わないの)といわれ、
サイレント・コメディーの花形といわれつづけた
チャップリン、H・ロイドと並ぶ三大喜劇王のひとり、
バスター・キートン。

そのキートンが突然、この前、夢に出て来たんだよ。

映画と同じようにしてね、あの無表情な顔をね、
私に近づけて来てさ、小さな声で何かを囁いたんだ。

だけど朝目をさましたら、俺の気味元でキートンは何を囁いたんだか、
ぜんぜん思い出せなない。とゆーか、それはどんな夢でどんな状況で、
キートンが俺の前に出て来たのかも覚えてない。覚えてないのは歌詞だけじゃないんだ。
とか言いながら(実際は言ってない)かるーく気になったんで、
ネットでバスター・キートンって打ち込んで、検索したら、
何を囁いたのかというよりも、そんな自分の事よりも、
いろいろキートン見てたら、俺tが知りたかったキートンのささやきより、
キートンが俺に対して、もっと私を知りなさい。とか言われてるように、
気づくと。ひきつけられちゃって、ちょっとの間自分の中で、
実はキートンブームが続いていた。なんて知るやつもいないだろひひひひ。

ひひひひじゃなくて、





今年の年末は、もうthe ReMixのLiveはないから、ゆっくりしようと思っていたら、
そんなはずがあるわけないだろう「シンセイ」のトシだこのあほー。
と誰だかしらないが誰かがそー言うことを言っている声が聞こえてくるんで、
そんなキートン・ブームとか言ってんじゃない。って感じで、
ゆっくり出来るどころか、ここ最近の年末の中で一番忙しい年末になりそうだ。
つーかすでになってる最中どーもこんちわっぅす。

「自分たち」でのみ活動(ではなく厳密に言えば運動)してきてた私なので、そういう
人からのリクエストを受けてする作業とか考える時間とか、久しぶりに体験してんだが、
私の場合は、すでにやると思ったら、どれだって一緒で、
何かポンっときたら、即このごんす(俺のマックの名だ)とかにに記録させたりとか、
閃いたらすぐそれが出来る状態にさせておかなきゃいけないために、

これからおそらく最後の仕事であるその日が来るまで。
ほとんど、その目的からまったく関係のない事は、
自分の場合、何かしててもすぐ意識がそっちの1つに集中しちゃうため、
気になってアソブことも出来ないだろう、という感じの久しぶりに味わうLiveモード。
しかも今年もしっかり、いぶい・モードでがんばってんじゃん俺。

となるとますます、そのキートンの話は、そのモードとつながる事みたい、
だから、面白いから、何がおこるかわからないけど、
ちょっとここに記しておこう。

チャップリンがビートルズなら、ストーンはズキートン。とかだった、
人気絶頂の頃のキートンの映画は、絶対に笑わないをとーしまくる無感情な顔で、
めちゃくちゃ喜怒哀楽でるよーな感情をゆざぶるような展開は必ずやってきて、
スタントマンだってこんな演技は断るだろうと思われるような、
ビルからビルヘと移り、やっとのことでビルの外壁の一部に手がかかり、
宙ぶらりんになっている身体とか、こっちに対してばそこまでして笑わしてくれるが、
だけどまさか、こんな死と隣りあわせの危険な演技までしてないだろ、
トリックだと思っていたんだけど、それが、調べてたら、すべてキートン自身のものだと知った時、
ちょっと何か戦慄が走った。

じゃーあのキートンの勇気はいったいどこからくるのだ?しかし、
と、ふと思った瞬間から、なんだかとてもキートンのことが知りたくなってきた。

しかしさすがにやっぱそこらへんフツーなヤツで、
チャップリンは知ってても、キートンについてはよく知らない。
という。よくいるててきとーなスタンダードな無声喜劇映画ファンであったわけだす。
戦慄走り去り、俺にそんな感じをおいてったわけだす。

しかし、ネットからの情報は、けっこうキートン本人に比べて、
あんまり面白いものが見当たらず、何かもっと刺激的な情報ないかなとか思って、
そーだ、この人も俺と今同じなんじゃないかぁ?と思った瞬間、ぽかっと何かがうかび、
昔買った私の大好きなある画家の分厚い本を奥から出して来て、
それをぱらぱかめくってみたらば、あったあった!いたいた!こいつ。(笑)

キートンめ。俺に気づいたな?




とかいっちゃって、私ももうこのトシになると、
数々のシンクロにシティを体験して来ているので、
そんくらいな偶然などには、もー驚くこともなく、
笑いながらおかしい気持を半々でてきとーに読んでいってたら、
やっぱそーわいかないだろだんだん真面目な顔でまたまた
何があってもきづかないほどの、さぁ=================っと大きな
私の集中大会が始まっちゃってるわけですわ。

そしたらおーなに、キートンも凄いんだけど、
キートンを伝えるこの作者の画家の人の感受性もまたまたすごいもんで、
その人がキートンに感じるものは、まったく俺と同じじゃん!
そーでもそれは。もー予知してたことで、
これはまさに、知りたいこの人。と思える人が出てきたので
早速私は。その人を知ろうと思い動くと、すでに自分と同じようにして、
動いてちゃんとに思ったままを書いてるなんてぇ人は。
日本の誇る芸術家のその画家ぐらいしかいねぇだろうよ。
ってわかってたことだ、もー驚くまい(笑)。

つまり私にとって、一番キートンについての話を
伝えてもらいたいと思った人がそのとうりに私に伝えていたわけ。





興奮してちょっと脇目もふらずに入り込み読んでしまうのは、
やっぱり。自然だ。私は自然だな-。(笑)
ってその本のある章のタイトルに、そのものずばり、
バスター・キートン。って題で、キートンについてのその人の
愛情は、ちゃんとに記されていた。

そしてそれは、またまた私とほぼ同じ感受性で
伝えられていた。
それは何か意味ありそうなんで、おめーらにって俺にだけど、
意味ありそうなのは俺だって、え?そっか
だとしたら、おめーらにも意味あるあるあるこのワル!
とかいった感じでそれ要約してココにのせておこ。

それはこういう感じだ。、





最初はトリックだと思っていたバスタi・キートンの演技は
すべて彼自身のものだと知った時、ぼくは戦傑のようなものを覚えた。
ビルからビルヘと移り、やっとのことでビルの外壁の一部に手がかかり、
宙ぶらりんになっている身体。
スタントマンだってこんな演技は断るだろうと思われるような
死と隣りあわせの危険な演技を買って出る
キートンの勇気はいったいどこからくるのだろう。

キートンは旅まわりの両親の間に生まれ、生後九カ月で初舞台を踏み、
両親の乱暴な扱いに耐える。
キートンの人気は急上昇するが、彼の表情は石のように硬く、

完全に笑顔は消えてしまった。

そんな無表情が彼のトレードマークになり、
いつしか映画にも出演するようになった。

キートンの演技には、チャップリンとは別の違った喜劇性がある。





チャップリンの愛に満ちたほのぼのとしたものとは反対に、
何か殺伐とした氷のような冷たさと恐ろしさを感じてしまう。
悲劇性の土に立った喜劇性とでもいうべきか。
だからそれだけにキートンの感情を殺した凍結したようなあの無表情には
この世ならざるすき透ったような美しさがある。

そんなキートンの美しさとは裏腹に彼の地位や財産を目的にした女性が接近し、
彼は二度の結婚をするが、その結果はアルコールに溺れる惨憺たるものであった。
愛に飢えているにもかかわらず彼の結婚相手の目的は別のところにあったようだ。
その結果は仕事からも家庭からも見放されて、
最終的にはサナトリウムに入ったが、新聞では「発狂」と報道されたぐらいだ。
そういえば「夕ーザン」俳優のジョニイ・ワイズミューラーも
精神病院で死を迎えている。

栄光と失墜はコインの裏表なのだろうか。

ところが、悲劇のどん底にいたバスター・キートンの前に現れたのは
エレノア・ノリスという愛の女神だ。

神様は最後に見事にに帳尻を合わせてくれたのである。

彼女の献身的な愛がキートンを立ち上がらせ、
彼はカンヌ映画祭に特別招待され、観客の人歓声の車で、
自分は誰からも愛されていなかったと思っていたのに、
世界中の人々から迎えられ、そして、愛されていることを知って
初めて涙するのである。
そしてその数ヶ月後、彼は幸せの中で他界してしまう。

バスター・キートンの人生を考えると
その背後で神が彼をもてあそんでいるように見えるが、
人生の最後の最後で神はちゃんと彼を救ったまうに思う。

栄光と失躍の人生は彼の通過すべきカルマだったかもしれない。
彼の芸がアクロバットのように彼の人生もアクロバット的であった。

マリア様が人々の苦しみや悲しみにかわって泣いてくれるように、
キートンもわれわれの苦しみ多い人生に代わって
トリッキーな役を演じていたのかもしれない。



★やっぱ「台風」について書いておかないと★

2005-10-05 | ・nTinDEEP


台風もちろん、
それも、メッセージだよ。
「天気」という「天の気」なんだから。
誰が何といおーとこれは気持ち。メッセージなの。


みんなは、雨がふっているのを見て、
何を感じる?
わりーけど、私は、キザでもーしわけねーがね、

愛を感じるの。

でも、それが、こたえなんだもん。
俺たちにナシつけにこの前の台風なんかがわざわざ
しつこくあんなひっでー大きさ強さで来た謎の。

そこに、「加減」というものがある。

ということを感じられるかよぉ。
こんくらいやってやりゃ感じるだろ?ええ?感じないのかぁよぉ?
どーなんでい!

と何だかんだ人(じゃないか)の良い天の気は、
その雲の切れ目から顔なんかこっそり覗かせ、
そーっと聞こえそうなまだまだ使えそうなヤツ、
決してバカな事ではないことを何かリクツでなく感じ、
自然にその自分の気の波長とソイツの波長が合うヤツに向かって、
アサハラとかそゆーヤツに聞かれないように、
そ=-っとそんな感じで今でのほら、
君にこうやってメッセージしてるんじゃねーかぁ?(笑)

と、私は天才的な空想家のオナニー力を利用して、その天の気を、
何か掴んでるわけだよ。
決してこれバカな事言ってない!って強く確信もてるんだから、
この確信だよ。なんなんだこの確信は?ってそれのが興味あるんだけどね。
こんな直接的なこと、ここかThe ReMIXの掲示板だけしか書けないけど。





は、子供の頃から、不思議に思ってたわけだす。
天から降らせる、雨のあの雨水の、あの何とも「絶妙な加減」に。

ざぁ=========っと降って私たちを程良く濡らす、
あのシャワー感覚に。

もしも、雨が、シャワーのようではなく、バケツ一杯の勢いで、
一気に地上に降り注ぐものであるとしたら、
私たち人間などは、簡単に圧死してしまうのに、何故そうはならないのだろう。

そんなこと、生まれてからこの歳までたっても、
まだ一度も起きたことないし、歴史上にもない。

だから、雨が圧死してしまうほどの「加減」で、
ある時人間なんて、すべてその雨の圧力の大きさに圧死して終わる。

なぁーんてこと、

みんなは決してあり得ない話だと思ってるかもしんないけど、
全然あり得ない話じゃない。
今日あったって不思議でもないでもない話なんだから。

人間は、こうなると雨が降る、こうなると台風が発生する、
ということは、計算出来るけど、
何故雨はあのようにシャワー程度にザーザー降るのか、
天から降りそそぐ雨水のその「加減」は、
計算することは出来ないんだから。

何故なら、それは計算することではなくて、
気持ちを理解することだから。





とにかく、人間など一気に押しつぶし圧死させてしまうどころか、
天から降る、雨のその「加減」は、
アリも押しつぶさないほど繊細に配慮された驚くべき良い加減で、
それが、大雨だろうと小雨だろうと、その雨の加減の配慮わさ。
昔から今に至るまで、ずーっと、それは変わってないの。
そのコンセプトわ。





それは、生命に危害を与えるのではなく、むしろ、
全ての生命を生かすための「意志」として、天から降って来る。
としか、私は考えられない。考えて良いから。
つーかホントだから。信じるも信じないもどーでもいーが。

なんでそんなことわかるのか?って?
それが仕事だからわかるんだよ文句あっか。ってかえされるから(笑)。
だから。あほらし。と言ってどっかいっちゃってもいいし。
さびしーけど、しょうがないし。それは。

できればやっぱどっかいかずにそこらへんぐらいにいろよ。
顔みせろよたまには。たまには見せたっていいじゃん。いつもはやだけど(笑)。
そんな急にそんなんおかしーじゃん。
そのくらいの加減で、いつまでも、がいーよね。人間だって。
つまり、雨のあの優しさの「良い加減」でいーよなぁ。
人間だって、同じに、うん。そー!そんくらいの加減!

「加減」というのは「意志」だからな。
天の気のそういう「加減」も。


これが言いたかったわけだ(笑)。





天から降り注ぐ全ての生命を潤わす
あの雨の「優しい加減」こそ、「愛」という「意志」じゃん。
だって、自然現象なんじゃん。自然はあいだから。当たり前の話だけど。
当たり前の話なんか、当たり前だというんで、
みんなちっとも聞かないけど。当たり前の人間でもねーくせに。(笑)

とにかくな。雨のあのふり方の加減からして、
はっきりと天気には、意志あるじゃん。
って言わなくても、だから天の気だってんだし。

で、もちろん、台風だって、雨と同じに、良い加減なヤツなんだぜ。
差別しないようにな。

それは、強い雨と強い風を伴って、雨とは違い、
何だかイメージ的に、私たちに危害をすぐにでも与えるほどの
大きな勢力となってやって来るものでも実際あるけど、
やっぱり、台風だって雨と同じでその「加減・意志」があるもん。

だって、その強い雨は、いくらものすごくたって、
一気に私たちを押しつぶすほどの「加減」には、
設定されてないから。

その片役の強風だって、アニメのように一気に私たちを
天高くすっとばしちゃうような「加減」には、
設定されてないじゃん。

「設定されてない」というのは、
そんな意志はなどない!とどうしても思えるからそう言う俺。

なんか、その台風も、雨にもまけずの、絶妙な強さ。って感じがして、
すごくその強さに、愛しさ感じちゃうんだけど俺。
Mから?Sなんだけどな俺。実生活でも。

そいでも、台風は魅力感じる、
雨も風で2倍でさらに雨よりその加減も、雨よりもぜんぜん強く大きく激しいけど、
その良い加減での乱暴さ、良い加減での強さから、私たちは、
台風と真っ向からつきあったりすると、何だか知らないウチに、
その台風も、永遠に私たちの前のいるわけではない、
やって来たら、お茶を出そうとか何を出して歓迎しようか
とかぜんぜん気を遣うこともなく、さっと来たら、
小気味良いほどに、パッと去ってっちゃったりするその男らしさに、
その台風の強さ大きさ以外にも、
その何だか潔さとか爽やかさかなんかに、けっこー同調しちゃったりして、
そんでもって強制的に強引にも家を守るために戦わされて、
ガンバッテたりしてたから、気づけば、

台風に逞しくさせられたようにも感じたり。



台風は、そういう感じで
私たちにとって、本当は逞しいヤツなんだ。
本来の台風はね。


そー本来の台風わよ。

本来、台風の「意志」は、危害を与えるようなところにはない、
たとえ私たちに何らかの被害を与えてしまうものであっても、
私たちに被害を与えるためにそれは発生したのではなく、
何か脆いものを一掃させ、逞しくなってシンセイさせ、
きれいにして晴天にさせるためには 
そんな被害も起きては仕方がないほどの、
荒々しいエネルギーなる「意志」で、
それはその「加減」自体が「エネルギー」そのものとなって、
意味を持つものなのな。自然は厳しいんだ。でもそれも愛。みたいになって。

感じてる?
突然質問するから。ひゃっくり止めてやるから(笑)。



私が台風が好きなのはさ、そういった台風の持つ
愛の側面でもある、男らしさ、逞しさ、冷淡さ、厳しさ、
その意志の強さにあるんだ思う。

まるでこの前のコイズミ君みたいだ。(笑)だから、好きなのかあいつ。

自分の意志の弱さから人に優しく振る舞ってしまう自分。
を知ってる私には(笑)、台風は好きだ。

感じてる?

つまり、愛を感じる。ということなんじゃんよ。

それは、天が、雨水を絶妙な加減で、
私たちのいる地上に降らせる、その気持ち。
その「天気」の気持ち。だつーこと。

それを、

感じられられなくなっちゃってるぞ!おい!

と、雷の、あのドリフの、いかりやが一所懸命言ってんの。
もう本当にあの世から言っちゃってるわけ。
雷鳴落とす役は今もー、いかりやだから。
その地位は不動らしーから。あの世で。

だって、ドリフだけではなく何と黒澤の「夢」にも、
鬼役で出てくし。つい昨日までは俺たちと同じ娑婆にいたし、
人間の事まだよーく肉体感覚でわかるから、

そんなあの世にいる、すでに今は、霊体感覚の、霊体・いかりやが、
天の気持ち、わかってくんない人間みんと、
いらつくわけ。むかつくわけ。でもって、若返ってるから、
もー昔のようなパワー取り戻してるから、
めちゃくちゃ怒るわけ。もー娑婆のみんながドリフになっちゃって。
何しろ、いかりやなんだから。

ってこんな話で時間使っててもしょうがないだろ。

だから、雷も台風もさ、私は凄い光景をこの前、
蔵王のホテルに喚ばれ、その運動のそのサマの絶景を、
じっくりと拝ませてもらったので、そんないかりやの気持ちはわかるのな。

愛を感じろよもっとよぉ!おめーらよぉ~っ!
そんな女とチチクリアッテるばっかが愛じゃねーんだよ!
感じる感じるたってなぁ!もっとなぁ、本来のよぉ、
雨とかそーゆー絶妙なところの愛とか、
ぜんぜんおめーらもーなーんもかーんも感じなくなってしまってんべ!
いかるぞてめ!いかりやわよてめよぉ!


っていって稲妻走らせてんだろーなーぐらい。




ニューオリンズなどで発生した、ここ最近の台風は、
あきらかに、その「加減」において、
今までの台風とは、違うものがあるわけです。

今までのように優しくないの。
そのエネルギーにおいて。
人間が一般的にそういった雨の優しさなんかの愛に、
感じられなくなってしまった分、
その人間の愛の薄さに比例した分だけ、
なんか気象の気性は、荒々しくなってる感じ。

本当に痛い目みないと、わからないから、
被害それ大きそーだよやめろよーひっどーい!
ぐらいの感じで、平気でアラシちゃってる感じ。
今の天気。

なんだか、ついにむかつかついてしまった感じ
あまりにも「感じない」人間に。

みたいな感じ。



でも、凄いのは、その中にちゃんとに
愛があること。これに感動しなきゃいけないのな、
それを感ぜずにして何に?!つー感じ本当は。

どこ?おせーてせーちゃん!
おーだから、52ページのなぁ.....ってあダメだっ!
そんな事教えてもまるで意味ないべ!
みんなが自分でソレを感じられる事で、それは意味を成すんだから。

って、ちょっと芝居かかってきちゃって、
だんだん調子良くなってきちゃったりしてノッテきちゃって
ちょっと我にかえり恥ずかしくなっちゃったりして。

我にかえらずのまま、アブナイ感じで、
みんなを洗脳して宗教の教祖かなんかになって、
俺の入った風呂の湯かなんかひとびん100万円くらいで売れるくらい、
何回も読み直し書き直し洗脳しやすいように書いてるんで、

とか言っても、きっとみんなテキトーにうまーく
それこそ良い加減で、ひーちゃって、
俺だけこんな宗教の教祖になってオマエらをとか一人でやってて
みんなきたねーよな。
俺は大体これでも充分しゃべり過ぎなんだからな。
女みてーな野郎だ。とか、ずいぶん前何も予備知識ないような
TENSAWファンのしかもタケの大ファンのyほうなヤツに
バカにされるようにしてもー言われてんだからな、あったまきちゃうぞ。

まいっか。何か調子にのってきたし、楽しいし今。


とにかく、今、自然が私たちに見せてくれる運動は、
今、私たちは、こんな状態にあるんですよ。

それは、「鏡」になってくれてる事でもあるんだね。
昨今のこのいかりやな様々な自然現象たちらわ。

それは、今の人間そのものを現しているんだから。
それは、愛を感じることにおいてあまりにも不感症になってる私たち、
今の人間そのものを現しているわけだす。


自然は鏡なの本当にそぉ~だ。
鏡って何かとゆーと、ニュートラルのことなんだよ。
わかるべ?ニュートラル。

愛を感じられる力が、本来、自然を愛し、守る力となるんだから。

自然は、愛によって運動して、愛のために運動するんだから。
もーあいあいあいあいあいあいあいあいあいでしょうがないけど、
俺だって久しぶりにこんなこと書くのいまだにそーでやだーよ、
だけど、感じられないんだから。ホントだよ。
そのアラワレなんだから、今後の天気の感じつーのは。

感じてる?



どこまでしっかりと愛を感じられるようになるか、
それが本来の元々の自分であることに、みんな気づける事が出来るのか?
大人は、そういった事をバカにしないで、また、子供からもバカにされないで、
大人の仕事として、上手く伝えることが出来るのか。
本来みんなクビなんだから。誰もかれも。その仕事出来てないんだから。

酷い台風だねー。というのは、酷い人間だねー。と言ってるに等しいの。
だから、台風自体は全然酷くない。ヒドイやつじゃない。
それはあくまで現象であって、自然現象なんだから。

それは、「自然に愛を感じること」が、今の私たちに、
どれだけ欠けていて、どれだけ大事で、どれだけ必要であるかを、
あれだけの「大きな」鏡となって、伝えてるわけ。
その「不自然」さを。その「自然」たちは、
あの雨の繊細なる優しさに愛を感じられないから、もー仕方がないか!って。

人間は今、「自然に愛を感じられない」それを証明するための「自然現象」が起きてる。

この前の台風では、救助を求める光景や、人が平気で略奪してる姿や、
しかし平常時ではないし食うためには仕方ないだろーその人たちを
警官が拳銃で撃ち殺そうとしてたり、もうどんどん容赦なく、
まずもってそういうようなパニックになってる人間・私たちを、
実際に、見せ、体験させ、警告してくれてるわけです。

愛を求めていろいろな事はするけども、愛を感じられないので、
愛を奪うことは出来ても、愛を与える事は出来ない。
自然に。愛を感じられないから。

私たちの、それそのままが、台風のニュースを見てると、
その画像が、愛を感じることにおいての不能さの象徴になっちゃってる。

被害に合われた人たちにずいぶん不謹慎だと思うけど、
私も台風になってニュートラルに言うと、
そう言うことになるわけです。

そこには実は優しさもないけどそれも、愛なの。





でも、そういうニュートラルにかなう愛はないの。
あくまで自己保存、自我から、真逆な、無我。
その特徴が台風の「加減・意志」には、強く現れてる。

自然はすごい。本当に凄い。愛だもん本当に。

その「意志」の厳しさは、やはり、通常なるものではない。
それは、約束は絶対に護る!裏切られたって絶対に信じる!
どんなことがあっても君を救ってみせる!ってもんだもん。

ここ最近の台風に、私は、そんな強いメッセージを感じてしまう。
実際すごい強いエネルギーだし。


だから、元気でなければいけないんだ。
愛されたい!とかじゃなくて、愛そう!という側。

人間がみんなソッチ側になると、不倫も浮気も結婚もなくなるかもしんない。
そういった意味で、そういった世界の中で、私はフリーセックス至上主義なの。
誤解しないでな。

そういった世界に住むそういった人たちとなら、
それは、可能なの。
そこには私の大嫌いな嫉妬もない。みんなで自由に共有出来る世界。
愛を求めたり奪うことのない自由な愛の世界。

フリ-・セックス。
台風は、絶対に、フリーセックス至上主義だと思う。
そんなヤツ。嫌い?




★玉川温泉と北投石★

2005-10-04 | ・nTinDEEP





     
北投石

その温泉の源泉の湧出口である
『大噴』の周辺にこの石がある。

この石は、『北投石』という石で、
国の特別天然記念物に指定され保護されてる。

一万年以上の間、
玉川温泉の温泉水を含む湯の華が堆積して出来た石で
世界に類をみない天然ラジウムを持つ石。
この北投石には
ラジウムが含まれているので、
ほんの少しの放射線を発し蛍光性がある。

この放射能値は、
天然放射能値よりもわずかに多い程度だから、
放射能障害を起こす危険性はないんだ。
放射能線が体にいいというと、
怪訝な顔をするかもしれないけど、
最新の研究で明らかになってきたのは、
れまで常識とされてきた
「放射能はすべて有害なもの」
ではなく
『ほんの少しの放射線なら健康に役立つ』
ということなのな。

北投石は百年以上も前から
さまざまな病気に対して
大きな効能を発揮する
『秘石』と信じられてきたんだ。

産出地:日本 秋田県玉川温泉
天然記念物:大正11年官報第3061号
特別天然記念物:昭和27年官報第8274号

ラジュウム濃度:0.4usV/h
Bao(SrO) 53,88 PhO 9,72
SO3 32,19 SlO2 2,53
FeO3 0,54 AlO3 0,47
CaO 0,32 MgO 0,25

★ほんとーによろこんでた★

2005-10-01 | ・Live



しかしホントーによろこんでんの。
とゆーかよろこびすぎじゃねーのかカナメ(笑)。
と心配になるほどで。まーいろいろおもしろかった意味あった。
(打ち上げのグッピーで)


そのカナメからあのラブ・ジェッツで清志郎さん
との秘密の徹子の部屋出演話も聞けたり、
Gricoと、ある「男の生長と仕事」についての話で、
黒澤明の「赤ひげ」の加山雄三と三船敏郎
(何!「と」が「三」に挟まれてる!意味ありそー)について、
盛り上がって話をしてたら、あの師弟関係は、
実はあれは二人のようで、一人の「仕事する男」の姿を、
過去+現在+未来の模範構図でどの男でもあの加山と三船をみて
何か前に向いて歩こうとさせるまるでTENSAWのようなとか
わけわからない話を聞きながら目が点になってたGricoは
そう言えばこの前ムッシュ(かまやつさん)と加山雄三が
対談するところをNHKのスタジオで見て
(ムッシュとバンドやってるらしい-笑-)、
大いに感動した話を聞かせてくれたり、ヤツラも俺を
大いによろこばせてくれたりして、何しろ、とにかく
カナメがよろこびすぎてた。(笑)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

当日のThe ReMIX掲示板より

「せーぼー来たらみんな喜ぶんだけどな~。」
とつい最近、Gricoに言われ「じゃー行くよ」と
催眠術にかかったようにこたえていたのが、
今日の7THでの、BLIND HEADZのLiveなのか。

そーか今年はあと1回しか自分のLiveで歌えそーもない感じなんで、
こっちも嬉しいだす!と言って積極的に行って歌おーか。

とかいって行っていしょけんめになって
激しく頭も手足も振り乱して顔紅く血管くっきりに
恥ずかしいほど熱唱してて気づくとひーちゃってて
全然誰も喜びもしてなかったら、あの3人から慰謝料もらお。

とかなっても、性格悪そーじゃん俺、そいじゃー
さらにますます誰も喜ばないじゃん!どーしよみんな?!
やっぱ今日はこれから阪神の優勝祝賀会に呼ばれ
君が代唄いに行くのですまないと言ってフケよっか。

とか書いては余裕の最近の私の肩書き「ゲスト歌手」の俺。
しかし1曲歌うと100万円とるのによく俺を呼ぶなぁあの3人バンド。
そのこと忘れてねーだろな?

とか書いては余裕の最近の私の肩書き「ゲスト歌手」の俺。

ゲストはなにしろ出るまでてきとーに会場で俺このバンドのゲストなんだぜすごいだろとファンの女の子ナンパしてトイレかなんか連れてっちゃって麻薬かなんか飲ませちゃって裸にしてファックしまくったりして遊んでられるし楽だし楽しいしじゃもう今日は勝負パンツはいてって嘘だ!嘘だ!ジョークだろ!そんな顔しなくてもいーだろ!昔そんな事してある時俺だバカだ!と真面目にお寺に入って僧侶になろうとした時もある私だ!
とか書いては余裕の最近の私の肩書き「ゲスト歌手」の俺。

こんなことかいて行ったら本当に奴らに喜ばれずに中に入れてもくれないような事態になって入れろー!と外から叫んでいてもさらに大幅に喜ばれないし困るなしかし。

よしじゃーそんなふうにならないように
歌うときは真面目にいっしょけんめうたおって思うだけわ思っていよー
1曲100万円だし50曲ぐらいやらせてもらお。
じゃよし!