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【いじめによる自殺問題について語ろうか】

2006-11-23 | ・nTinDEEP

美空ひばり(の柔)を感じ、世界を救うのは「おばさん・女」だ!とゆー事を前回に書いたっすが、じゃーってんで、そのひばり「女・おばさん」に対抗出来る「男・おじさん」の象徴は誰か?と考えた。.......やはり、この野郎だろう。と、思った。美空ひばりが国も認める人間国宝なら、この野郎は国が認めぬ人間国宝。映画「タカダワタル的」見たか?笑いと感動で涙出るで。最高だす渡ちゃん。でも、この野郎ももうこの世にはいない。どんどんいなくなってちまう。ホントーのババーもジジーも。


いじめによる自殺問題について語ろうか。

期待してるかもしんないんで。....誰が?
これを今読んでるお前がだろが。....そーだろ?

期待してココに来るやつが増えて来てんだ。....何に?
俺に。................じゃないだろ。

俺に期待してココには来ないだろ。
ココに来るまたはココに来れる、自分に。
だべ。絶対....な?そーだろ。そーなんだろ?

そんな感じ。いじめによる自殺問題を一言で語ると。

......って.....ちょっと、
アバンギャルドなはじまりですまんがに。




いじめで学生が自殺する事件の、マスコミの報道ぶりを見ていると、
なんであんなにどこもワンパターンな報道しか出来ないんだろうと、
怒りを通り越して呆れてしまうわけで。

報道番組ではどこも自分たちには問題がないように、
えらそーなコメントしたりしてるけど、
マスコミは、今の世の中、今の社会を、自らニュートラルな鏡になって
自然に反射させた映像を送る事が出来るなら。
どんなコメントも解説も必要ないほどの、それはアートワークスなる、
マスコミの進化になるのだろうけど、映像もその解説そのコメントも、
おそらく今の社会今の世界今の地球今の宇宙に、今の人類に、
どれだけの貢献をしてきているか、というと、貢献どころか、
妨害しているのでは?
とも思えもしてしまうほど、イジメ問題を伝えるマスコミの
非アートさったらないので、そーも言ってしまうのだ。

しかし何で、いじめを受け死んだ子供の親は、
あーも偉そうに、あーも憎しみをこめて、あーも感情的なまでに、
その怒りやその責任をその学校の教師や生徒に、ぶつけては、
あれほどなる非アートなる空気を垂れ流し続けるのだろう。

それは、自分たちも非アートとなって空気と同化しているので、
そこらにアートなる波動があっても、それを感じとらえ、
それを自然な鏡的なる見事アートなる映像展開で、
各家庭のお茶の間に電波を送れるわけもない。


おもいきし言っちゃうけど、

大体、ここ最近の、いじめ問題において、誰が一番いけないかと言えば、
それは、もーどーいおーと、自殺した本人なわけだす。
自殺した本人以上にいけないヤツはいないと言ったら誤解を呼びそーか。(笑)

イジメで自殺するヤツってのは。大体、
自殺することで、全てを絶望的にさせるわけだから。

それは、この世の中に、憎しみや怨念などを含め垂れ流したままに、
何の解決その解答も出さずして無責任にも、自らその命を殺害して
死んで行く事、それ事態が、人間として犯してはならない大罪であるということを、
何故親も教師も教えない?つーところの話だ。

人間というものは、必ず一人で生まれて一人で死んでいく。
ゆえに人間は、生まれながらに、「孤独」であって、しかし、
孤独であるからこそ、人間には、必ず「自分自身」という、
誰よりもの親友がちゃんと存在するわけで、
「自分」という存在は、自分自身であるけれども、
どんな友人よりも、何があろうといつも側にいてくれて、
どんな時でも、自分を護ってくれる、実際、誰よりも大切で大事な、
「親友」がちゃんと存在している。ということを、
何故にもっともっと教えないのだろう。

つーより、そんなの知らないと思う。
つーより、嫌われると思う。キザな奴め。とか思われて。

そんな感じだべ。イジメ問題って。

イジメられてばっかで辛い苦しいよ!といって、
ラクになりたいからと自殺するってことは、おかしーべ。

それじゃー自分はこの自分自身を死ぬまでイジメて、
そのあげくに、自分を殺し自殺させるぞ俺!

つーことなんだから。

もー、恥を知れ!ということになって、だから、みんなその過激さに一瞬
ここ逃げ出そうとしたかもしんないけど、だから、
ドコのドイツよりも、いけないのだ。ということなのな。

本来だったら、いじめを受けることで、沢山のメリットもあるんだ。

イジメを受けることで、自分を護ること、自分を強くすること、
そして、愛すことを、いじめ側の人間よりも、遥かに学べたりするので、
やがて人間として、いじめる側よりも遥かに生長していく、
というそういう機能に神様はつくられたのに、
運動不足などでその機能をまったく停止させたまま、
ほったらかし放棄して、ただただ辛さ苦しさばかりをその被害者意識で満杯にして、
普通ならそんな時こそ、そんな危機に対して、
「自分自身」という大事な親友が、そんな自分をしっかり護り救ってくれるはずなのに、
満杯になってる自分には、大事な「自分自身の生命」を、
平気で残忍にも殺害出来るという行為など、へにも思わぬわけである。

しかし、それは、自分自身のみならず、
この世の「愛」という波動を確実に1つ消滅させるだけの行為にしかない。
というところまで、被害者意識満杯のアホには、感じる能力がもうない。

自殺したら、死んで楽になるどころか、
死んでさらにさらに辛く苦しむ世界に自分を引き込む事になる。

ということは、信じようと信じまいと、本当の事だ。

自殺して何とかなるなるような事など、1つもなく、
ないどころか、その死で、大勢の人間の心を傷つかせ、
憎しみを生んだり、罪悪感で恐怖不安感などをいだき、
その流れは、自覚しないままだと、そのまま人間は、
心に持つその自らの負の波動から、自ら強い不幸感覚の世界へと
どぉ=っと引きずりこまれては、結局その学校の校長先生までも自殺したりするような。
悪霊のすむような世界のような恐ろしいようなものになっていってしまうんだね。

とにかく、死ねば、いじめの辛さ苦しみがなくなり、楽になる。
おまけに憎いヤツらに、復讐出来る。と心はどろどろで思い切りアホーなくせに、
いやらしくもきれーっぽく詩集のような文体の遺書など書いて、
カンタンに平気で自殺していく側の人間こそ大きな問題があるということ。

結局そんな事だから、いじめられるという事で、
死んでその時は世間などから多くの同情を受けるかもしれないが、
同情されることが苦手な私には、同情されたい、と思う心こそ、
癌狂だと思うのだが、とにかく同情されても、逆にそれが
貧弱のままに死んでいったあの世で、さらにさらに辛く苦しいカルマが、
ふりかかってくる、ということは本当の話なので、みんなは、
嘘でも良いから、そうなのかと信じるように。

イジメを受けて死ぬ様な人間、魂だからこそ、イジメられるのだ。

イジメをする側は、それをしただけで、イジメられる側よりも
将来において、不幸になる負のカルマ(業)を生んでいってるということを知れば、
イジメられる自分は、決して負けてはおらず、むしろ勝っていることを知り、
イジメに対して強く逞しくなっていくものなの。

そうしてガンバリ続けていくことで、次第に、人間的に生長し、
ある時突然、環境が幸福的な世界に、大きくシフトしたりして、
やがてイジメる側であった人たちの上に立つような大人になったりするんだ。

とゆーことだす。

このことみんなもよーくわかってどこかにアホいたらつたえろ。

自分を護り、自分を生きる事が、
お前が生まれて来た目的であり、お前の大切な仕事だんだ。
つーことを。

いじめられようとも。(笑)


【「おばさん」こそが世界を救う奇跡の光 】

2006-11-17 | ・nTinDEEP


こりわホンマにもー今世紀最高の大傑作だとして、
いまだ狂ったようにそのCDを聴きまくっては、
その作者であられる、BECK熱・男熱さめやまずな
タダイマ付近のの俺であるなかで、

いきなり、マドンナにやられてしまう。

それは、1991年公開のドキュメンタリー映画
『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』以来、15年ぶりとなる、
初のDVD&LiveCDの2枚組セットでのリリースをした、
マドンナの新譜のそのDVDのほーの、
ドキュメンタリー映画である、
「アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット」
を見ての事なんであった。

それわ現在このベック現象から、
純粋なる男熱に見舞われ中である案配いーほどなる
野郎のアート感覚で包まれボッキシャセーする私にとって、
恐ろしいほどのインポテンツ的衝撃なる悔しさを呼び起こすほどの、
怒濤渦巻くほどなる敗北感的ショック感による感動で、
そのDVDでのマドンナは、私に向って、

やっぱ、女にわ、かなわねぇべ。と囁き脅すのだ。



とただそれだけで何も抵抗しようとも思えぬほどに、
あまりにもカンタンに、それを受け入れてしまうほどの光のかがやきだった。

15年前と同じ様なドキュメント映画でその生長ぶりを、
鮮明に私に見せ感動させた、俺の天敵マドンナわ(笑)。

マイケルもプリンスも、もーいかんと思える、
そんな男のつくる「ポップ」音楽とゆー具合レベルな世界の不毛時代に、
完璧なまでにイー加減的な素晴らしく偉大な
新しいおんがくを引っさげて私の前に登場した、
生長した男ベックの、新しいアルバムでの頑張りは、
私をボッキさせるに充分なほどの衝撃を与えてくれたけど、
そんなこんなでぴょんぴょんしてる俺の頭を
土足な足で踏みつぶしながら前に進むその女、
それが、そのドキュメント映画でのマドンナであったんだった。


Photo+++SELMA

それは、大発展して大生長を遂げた、男ベックとゆー「私の男のおんがくの味方」が、
一瞬かすむほどに、やっぱ、やっぱ、ヤツは、いまだ悔しいほどに、かっちょよく大きく、
マドンナは、堂々と、マドンナとして、マドンナを、いまだに頑張ってやっていた。

今やマドンナは純粋に美しく可愛いほどに
一生懸命、真剣に、マドンナなのだった。

そんな一方でいまだにショービジネス界に君臨するマドンナとは正反対である
「男」の「天才」なる世界の、真実の住人であるベックであっても、
マドンナは、もう、マドンナであることの、女のある到達点の入り口まで、
自力で進んで進化した事(それは悟りなのだけど)を、認めざるを得ないだろう。



私は現在の偉大なマドンナをみて思う。
やっぱしょせん男は、女にはかなわねぇもんなのなぁー。と。

かわえー!と思った世界中の子供を片っ端から
自分の子供にしてしまいそうなマドンナも、また偉大だ。
それも立派に、マドンナという事であるからだ。

マドンナとは、大いなる「母性」の名称なんだから。



まったくかなわねぇかなわねぇ~。女のその「性」には、
さすがの「聖」ちゃんも、かなわねぇ~なぁ~、
と、そんなしかしけっこーさわやかさで、私の前に現れたある真実を
揺りかごで大いなる母に抱かれるようにして、
アーティストとしても女としても母としても、
その圧倒的なるほどの見事なパフォーマンス性(センス)から発される、
偉大になった「永遠に大衆的なるマドンナ」という
「女のげいじゅつか」から与えられる敬意と敗北感を、
すべて素直に受け入れられるほどに、私は、
『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』ではない、
「アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット」のマドンナに、
感服してしまっていたんだけど、

何と!

そんな今や冗談ではなく事実マドンナはマドンナとなってしまった
今の偉大なマドンナ、をも凌ぐ、女性歌手の存在と出会ってしまう。

しかもそれはなんと日本の「おばさん」なのであった!

そのマドンナを凌ぐほどにもマドンナ(母)なる偉大なる光で唄う、
彼女の、その唄う姿、動き、リズム感、そしてその素晴らしき歌声における、
彼女との久しぶりの再会に、日本男児の心躍るほどの力を、
私はその女性から与えられてしまうのだった。




マドンナは、そのドキュメント映画の最後で、
最も危険な地帯とも言われるイスラエルに殴り込み、
その映画を終える、その女のかっこよさ具合は、
決してバカに出来ないものであり、
政治的になったとかカルトに走ったとか言われる中で、
一生懸命、マドンナになるべく頑張り続けるマドンナに、
私は純粋に「がんばれ=!」とエールを贈る。

マドンナ・つまり聖母と聖一とは、字が1つ同じわけだし(笑)。
またセーボーでもある俺でえもあるし。

しかし聖母よりも聖母であったのが、
日本の「おばさん」だった事は、とても大きな衝撃であった。

みんながまだまだバカにする中で、一人何故か、
細木数子のその「おばさん」なる偉大な男らしさいやババぁらしさに、
昔いた懐かしき昭和の日本のいじわるババー像が読み上がり、
知らないうちに、そのおばさんから放たれる豊かで何故か庶民的なあたたかさを放つような
その後光、そのおばさんのオーラにこそ、未来の奇跡の光の要素に感じた私は、
ただならぬ力を感じ、どんどん一人でその懐かしいババぁの波動に
魅かれて行った私であったがゆえに、感じる事が出来る。のである。
それは自慢じゃないけど、来るべき再会を、予知した現象でもあった。
と、大袈裟に言ってもかまわぬもんか。
それはそれほどのものなのだから。

そのマドンナを凌ぐそれほどの女性歌手の圧倒的存在感に、
今の私は、在る。

日本の「おばさん」は本来、もっとも奇跡の種をその中に秘めている、
マグマのような存在である。

しかし、現在、女として老いに恐怖不安し、若い女性に対して、
カンタンに嫉妬と敗北感を持ち、自分の娘や息子でさえも、
その軌道を狂わせた強いエゴにより、平気で殺害してしまうような、
今の日本には、奇跡の種も何も産まぬ育てぬような、
インチキなおばさんばかりになってしまった。

だから今の日本は、細木数子の存在すらが、奇跡そのものとなって見えてしまう。

男はしょせん女にはかなわない。

それは、真実だとして、認め諦めようもする。
ベックのあの、一見やる気のなさそうでいて、
聴けば聴くほどに驚きと悦びと快感と勇気と光を与えられる、
あの到達した男の新しい音楽世界は、女のそれを深く悟った
堂々とした男のおんがく世界であるから、
私はその創造主であるベックの男らしい新鮮なサウンドとビートに、
毎日毎日飽きる事なくその男らしい音その男らしいビートその男らしい声を
毎日欲し聴いてる、私にとってそれはもはや、麻薬となってしまっている、

が。ゆえに、最も必要であり、最も蘇生しなければいけない責任であるのが、
今のおばさんの、真なる「おばさん」の姿だ!と、私は確信する。



マドンナはもうおばさんなのに決しておばさんにはならない。
つーか、なれない。だって、何度も言うけど、
マドンナは、死ぬまで、一生懸命マドンナになろうとして
マドンナをやり続けるだろうから。

「聖母」は聖母ゆえに、おばさんではないけど、
今の時代に大切なのは、むしろ、真の日本の「おばさん」の光だと私は思う。

と。

私をそこまでに言わせてしまう、ドキュメント映画のマドンナをも凌ぐ
その、偉大な日本の女性歌手であり、死ぬまで「日本の偉大なおばさん」であった
その女性を。ふんじゃみんなに見せてやろう。紹介しよう!

そーだす、美空ひばりは、何といっても、

なんである!

今の私の中で、美空ひばりの柔こそが、最も奇跡の光を放つ
男も女も超えた、真骨頂なるおんがくの姿、カタチなんである。



【だりよりもくれー】

2006-11-10 | ・nTinDEEP




しかし。えーねーっ!
ベック の 新譜+The Information わぁよぉ(ごみんジェフじゃなくて)。

コイツのそのあたらしーの、
聴けば聴くほど、やられてっちまうのな、このベック的(ナチュラル)ドラッグ加減の、
さいしんさくの、
不良の音響とボイスが、私はここんとこ、
一番好きになってしまってるタダイマ付近の感じ。

つまり、俺の「ソロ」的たましーに近いんだす。こり。

つーんであと最近(タダイマ付近)聴いたCDアルバムの中で良かったのわ、
浜田真理子の新譜+夜も昼もなんつーのもあったり。と。

て。

上野の森美術館でやってるダリ回顧展に行ってきた。
んだぁけどもぉ~。
平日だつーのに、混んでて、
落ち着いてダリ見れんかったダリ。

でも、「原画」で観るダリわやっぱすげーかった。

でもでもでもしかししかししかし。

それよりもっと私が、ぐぅわーっ!しょえーっ!と、
すげーかった、すげーショックを受けてしまったのが、
あんだった。

それは、めちゃ最近のタダイマ付近、
友人に誘われて行った、宮城県美術館での
パウル・クレーだった。

ほんとーに。絵画つーのは。
その「原画」を直に観ない限り、
絶対に理解出来ない。カンドー出来ない。

ほんとだよ。だから、
こんなデブショーでオタクな私でも、
わざわざそのLive会場=展覧会場に行くんだもんよ。
おめーらと、一緒だ。

で、「絵画」それは、美術書などの印刷されたものや、
テレビなどの映像などでは、
決して感じることは出来ないんだ。
つーのは、そーだなーたとえばなー、
こんな、ブログなどで知るCGな私よりも、
私(saybow)の歌、その存在は、
実際にLiveに来てみてその実態を観ぬ限り、
そのホントーの凄さカッコ良さ素晴らしさ
を感じる事は出来ないつーのとおんなじことなんだし。

とかね。
って。
文句あっか。

でもって、今のところの自分の中では、
このクレーほど、そゆー事が
ギュッワぁ~っ!と身にしみる画家はいない。

つまり、

実際に、その原画を観ると観ないじゃぁー、
ぜんぜんその作家の本当の凄さがわからない。
つーやつのなかで、チャンピオンなんじゃないかと。

ダリの絵は、あまりに派手上手すぎて、
その凄さは、展覧会に行かずとも、
ぼやぁ~っと程度は、チンケなヤツにだってわかるけど、
クレーの絵は、絶対に、「原画」を観ない限りわからない。
でも、その場に行って、そばまで近づき、じっと、
その目で観れば、誰でもその素晴らしいカンドーは、
与えてもらえちゃう。

つーんだ。文句あっか。

つーわけで、今の私は、
断然、ダリよりもクレーだ。った。

げーじゅつか。つーものは、
とにかく、まず大事な事は、
その魂のかがやきぐあいなんである。
テクニックやセンスよりも。

だから、今の私は、絵は上手かっただろーけど、
タダのゴーマンものでマザコンでもあったダリよりも、
人間的に、つまり魂的にかがやいていたような、
パウル・クレーアンリ・ルソーの方が、とても好きなんだすに。




I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKlNG FOR

I have climbed the highest mountains
I have run through the fields
Only to be with you
Only to be with you

I have run I have crawled
I have scaled these cify walls these cify walls
Only to be with you

But I still Haven't found
What I'm looking for
But I still Haven't found
What I'm looking for

I have kissed honey lips
Felt the healing in her fingertips
It burned like fire
This burning desire

I have spoke with the tongue of angels
I have held the hand of a devil
It was warm in the night
I was cold as a stone

But I still haven't found
What I'm looking for
But I still haven't found
What I'm looking for

I believe in the Kingdom Come
Then all the colours will bleed into one--bleed into one
But yes I'm still running
You broke the bonds
You loosed the chains
You carried the cross
And my shame
And my shame
You know I believe it

But I still haven't found
What I'm looking for
But I still haven't found
What I'm looking for



I STILL HAVEN'T

FOUND WHAT I'M LOOKlNG FOR