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【さいなら+07MerryXmas+よいおとしおー】

2007-12-25 | ・nTinDEEP

これわ2007年。今年のUDJ+Artworxからみんなへのクリスマス・カード。



はいっ!

そゆーわけで、もう今年も終るよ。

今年は、《《eve@i》》できて本当に良かった。
Live出来て、ほんとーに良かった。
みんなのきゃわえーアホ顔にまた逢えて、マジ良かった。

そゆーわけで、だからもう今年ももももーじき終るよ。

今日はクリスマス。
キリストのおたんじょうびだ。
つー事で、何か書いておこーかね。

今年のクリスマスは、そゆーわけで、
いろいろ世話になってしまったからよ。



これわ2004年。3年前のUDJ+Artworxからみんなへのクリスマス・カード。


「神の愛」ってのは、甘やかす愛ではなくて、
時には「峻厳な愛」となるわけだ。
それはつまり、甘やかすことだけが、愛じゃぁ?ねーぜ。ってんの。

峻厳さもまた愛。

私はすっきゃーこの「しゅんげんな愛」っての。

大事なことは、その人にとって、
今、何が一番大切なことであるかということ。
それを見きわめられなければ、盲愛になっちゃう。
ということを忘れちゃいけないんだね。
だって、峻厳さのない愛は、
結局人を生かすことにはなんないんだから。


それを忘れてしまってると、愛してると思っていても、
感単にそれが嫉妬や憎しみに変化しちゃう。



その3年前のクリスマス・カードを今はなきUDJのHPで公開した時に、そのオマケとして、この「しゅんげんなるあい」について書いてるんだに


愛ってヘビーなんだ。だから、それをずーっととーしてる
妥協許さず!なキリストみてーなヤツは、
ま。かっこよいんだね。
でも、そゆーヤツはうざがれるんでむずかしーんだ。
それを「職業」とするゲージュツカとかな方面の人にとっては。

私はホントの事言うと、
「愛」というコトバよりも「ニュートラル」というコトバのが、
自分にあってる。

いつまでも良い加減でいたい自分にわ都合いーんだ。
それこそとーめーになれるから。

だって。こんなこと言ってたって、俺はキリストじゃーなんだし。
言うのはかんたんだもんね。



今年は、《《eve@i》》できて本当に良かった。Live出来て、ほんとーに良かった。みんなのきゃわえーアホ顔にまた逢えて、マジ良かった。しゃしんていきょうはselmaさん


そゆーわけで。来年は、Liveをやろーと。
saybowのLiveをやろー。
「柔」を唄いたいから。春にわ。
その他のLiveも、やれと言われれば。やろー。と。思うのクリスマス。

きりすとさまよーおたんじょーびおめでたう!



【今年の「eve@i」あれは一体何】

2007-12-17 | ・Live

グッピーというちーちゃそーでセコそーなライブハウスのオーディションを受けているところ。それを見て審査員の原始人の態度だけおーきそーなマスターがそのいーかげんさに呆然として固まってしまってるこんにちわ赤ちゃんみたいな背中なオヤジ(顔は見えないが目は点になってて漫画の顔になってて中々可愛いく)


今回の《《eve@i》》一体あれわなんだったんだ?

いろいろあるでしょうが。

自分にとって、今年の《《eve@i》》は、いままでのソレの中で、
一番わかりやすく、一番リアリティのある、そしてまた、
とても反省を強いられる、今年1年間での自分の運動結果でもあっただス。

その日のバンドのLiveは、自分がココで予想した
「地味な世界」でも「良い加減」でもなく、
「目立つ世界」であり、単なる「いーかげん」でもあった。ことで、
そのバンドのLiveに期待を抱いてその日のLiveを見に来た人たちには、
「目立つほど」にタダの「いーかげん」な、
おーよそ期待に反したLiveに思ったんではないかと思うんで、

それなら、その責任は全て私にあって、
そのバンドの中核として、すまん!
と謝らなければいけない。

でも、これは、《《eve@i》》。

それは、そのイベントの数ある「Live」の中の1つ。
ココで書いたとうり、それは「saybowのLive」ではなく、
「俺(UDJ+Artworx)のLive」という「イベント」なので、その全体である、
今回の《《eve@i》》までもが、
単なる「いーかげん」が「目立つ世界」であった。かというと、
そうであるはずがない。何故なら、
それは《《eve@i》》だから。

《《eve@i》》がそんなもんだとしたら、
それは《《eve@i》》じゃない。ニセモノのソレになる。
しかし、それは、あいにくニセモノじゃない。

その証拠はあるのか? あるよ。それは、俺だ。
俺がその証拠だろ。その時のLiveの俺....だけでなく、その日の俺でもいー。
それをずーっと見てくれてれば、それがわかる。

何かわけわらねーこといって、ただ言い訳言ってるだけだ。
とっか思ってるだろ。

誰が? 誰だ。だれあっ!おめーだ!おめーそだろ。
ええぇ~そーなの? ショックぅ~。とかまたサービス、
アソンでどんどんかいてっちゃいそーだから、
手早く切り上げねーとな、いろいろ忙しーんだ俺わ。あれから。

予想と期待を反してその単なる「いーかげん」が「目立つ世界」でもあった
そのバンドを包むその店空間全体から醸し出る
もう1つの大きな「Live」を見て、「ナニモノ」かはどう思ったか。

わりーけど、それが、今回の《《eve@i》》だ。

俺のこたえは、だから冒頭に書いたとうり。でもあんだけど、

それって何を言ってるのかと言うと、

もーいいかげん(良い加減)に、
早くLiveをやり始めろてめ。


という事。

でもそれはもちろん、《《eve@i》》だもんで、
俺だけの事を言ってるわけでもなし。おめーの事でもあんだ。

な。だろ?
わかりやすいったらないべ。な。すっきりしたべ。

しかし、その日その場所にいた全員から、(ホントに全員)
「セーボーはLiveをやらなけりゃダメだ!」と、言われた。
それは、ナニモノかだけではなかった。

今回の《《eve@i》》は、やはり、今までにない《《eve@i》》だった。
それは、ある意味、私個人(代表として)に向けられたものだったから。
やはり、自分個人の100万年ぶりのLiveという事実は、
今年の《《eve@i》》へと繋がった事は、
まいーかげんで反省要した俺たちバンドはともかく、
そこにやって来た人たちの同じ1つの波動の力によるもので、

それは、ホントありがたい事だ。マジでその日のみんなにわおそれいる。
かんどーアツく感謝だしょーがねー。

しかし、あれだけノックアウトされそーなキツい試合だったが、
あれだけのダメージを全身に負いながら、いちおダウンすることなく
またも最終ラウンドまで持っていった俺にもバンドのメンバー
そしてグリコ&タケ出演者全員にも感謝だ。

文句あっか。ないな。よし。次みてろきしょー。







【特集;じきいぶい.6/ほんとわ何なんだ《《eve@i》】

2007-12-12 | 「 S 戸 S 」



どもっ!

って驚いたべ。ひひひひ。

前回の「じきいぶい特集」5日連日めの
もーあきてきただってネタないしな書込みからして、
まさか、こんなに早くまた再び登場してしかも「じきいぶい特集6」として、
なんかまだ書こうとしてる俺を予測してたヤツなどいまい。ふふふふ。
あまいな。そんなよーでわまだまだ15日のLiveで、俺に勝てんぞぉぅ。

と。

俺は絶対におめーらには勝てない。何故ならその立派なあいじょーもって、
タバになってかかってくるんだから、いくら俺でもさすがに無理だ。
それは絶対に無理ゆえにだからおめーらに勝つ方法は、
勝てるわけがないとよーくわかった上で、そんでも、
そんなアウェーなステージ上から、決して負けねーぞー!と最後までいられれば、
おーこのタバなる私たちに対して、ノックアウトもされずに、
よく一人で(時にはバンドのメンバーさえも敵側にいる)最終ラウンドまで、
判定に持ちこんだものだ。として、じじーになったロッキーは、
おめーらからも自分自身からも、悪いような判定はされないだろー。と思う俺は、

そんな冒頭挨拶コキつつまた戻って来たぜの
よぉ~ろぉ~しぃ~くぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~=っ!えへっ。ぼぉ~よよぉ~ん。

ぅひぇ=====ぃ==っ!!!おもいっきしひぃ==ちゃってるじゃぁ~ん!
てめたちゃこぉ~のぉ~やぁ~ろぉーーーーーーーーーーーーぉぉぉぉってね。あは。

ってんがぁ============ぁぁぁぁぁっ!それでもてめたちゃ
まーだおもいっきしひぃ=========ちゃってるままでやがってぇえ~い!
ぇえ~い!ぇえ~い!ええええいいいいいあいあいあすっぽすぽっき。
ぐぅ============っ。もうにん。べいびぃちくびぃ。にこっ。

ってもーさいてーじゃんぼろぼろじゃん俺なんでだだてめおいいーかげんにしろよ俺カリスマだぞてめなもんやだ俺いらねけどそー思われててこーだったら何だおめてめざけんなよどーすんだこれよおいどーしてくれんだてめこのやろえ~何だ俺おいっ!

ん==============。どっかなぁ。


当日、ほんとーに愛で感動的な愛の素晴しい愛のLiveをしてしまい、
愛あるみんなから愛の盛大な愛するほどのアツいアツい愛のアンコールに愛でこたえ、
頑張ってふたたびみんなの前にこんな感じで明るく出てきてやったら、
気づくといきなりこーゆー地獄に豹変しててしまってた時、どーするか!だよなぁー!

まそれでも、あーやっててめこのやろばかやろーとかそんなコトバ不規則にちょこちょこタケシじゃないけど言ったりしてればとりあえずその場はどうにかなるだろ。
よしっ!これもクリアーだ!



って、もーこんくらい長くマクラ書けば、いいかなぁあ。ん~~~。もー大丈夫だろ。
とーりすがりの大した興味わない人たちは、3秒も読まないうちに何だこのアホ。
と言って去って行くだろーよしよし。........かっこわるすぎだがんま。いっか。

実はな。今回最後になるこの特集の題目は、ちょっと危険なんでな。

ほんとわさ。前回でもー、いっか。ともーこりでいーだろー
と書いて寝てそして起きたらびっくりしたぁ=!てめ何俺のベッドで一緒に寝てんだよ!





なんだ大してちんこたってねーじゃん。
しょろー朝立ちかぁいはははとかゆーおめーのちんこなどどーでもよく。
まいっか。じゃない。まだいくない。今日も書け。
えなに今日は昼から夜までいぶいのための大事な最後のリハーサルだ?
そーかそれでは仕方ない。んじゃーもーこのさい今回で終わりにしてやるから、
帰宅したら最後にアレ書け。

何アレって?

アレを書いておきなさい。

だからアレって何だ?   

ほらソレだろ。   

ソレはあのとき書いてるじゃん。




ばかちがうソレはコレのヤレソレだろ。それはとっくにロレってレロしたろ。
あのほれ、あのソレだ。ソレだって。ったくもぉ~ホントおめーわアホだな。

あーソレか。ソレなら昨日の書込みでもーやっただろ。

ダメだあんなんじゃ「自分」が入ってる。
まぁあーだまだ「自分」の領域のところで書いてるだろが。やらしくも。
変な心配などいらぬからいーから気にせずもっともっと
だからほれ自分を捨てててってー的にな
ニュートラルなまっさらーになってな、
ソレのもーまぁ~んまを素直にかけかけかけかけっここぉ=っ!
ってあなんだその目わ。それがお前のシュゴレーに対してする目つきか。
そーだ。それでいーんだ。大体俺のおかげで今があること忘れるなよ。
俺がきてやんなかったら今頃お前わっておいおい!どこいくんだおい!
あわりっ、あはいサンキュ、だからなおめな、
いーんだ。もーいーんだ。もーいー歳なんだからもーそこまでやっちゃっていーんだ。
先はもーそんなに長くはねーんだからな。
今いー機会なんだからいやいやちがうちがう逆だ。コレわ今良い機会なのだわかるか。
.......あ......なんかわかったぞてめわかった顔だろそれ。
そぉーそーそゆことだいい子だなそーだろおーそーゆーことだ。よしよし。
よしじゃやれ!





つーことで、今回は、じきいぶい特集の最終回。
書かせていただきますぅ。題して、

「ほんとわ何なんだ《《eve@i》》」

内容が内容なので、はらきめて何も考えずに一気にいきやすんで、よろしくお願いしやす。

え~~~~。今の時代、「アート感覚」は必須だス。
と、ココの私(UDJ+Artworx)は、書いてるわけでございましてぇ、
必須だ。と押し付けがましく言ってる以上は、何かわけがあるんだろ、ってぇ?
へぇ~。それがありありのこんこんちきでしてねぇ、

なぜならば、それが《《eve@i》》でもあるからですわ。

その対象ブツが、ビジュアル的に美しかったりおしゃれでセンスが良いと、
よく「アートだねぇ」とか軽く言いこなしたりしますね、

でも、大体の人たちは、その時のそのアートだねぇという感覚を、
ちょっとした時間における日常的で表面的な世界の出来事として
その感覚を、「アート」というコトバで記憶するだけでとどまる人が多いわけだス。

「アートだねぇ」とコトバで言う事で、その中にあった「アート感覚」を、
感覚としてではなく、言語として記憶するようなクセが、現代人にはあるのだス。

そこには、その人が「アートだねぇ」と言わせた
「アート」な波動を「発信」する対象ブツがあって、
その人はその発信された波動を「受信」して感じて、「アートだねぇ」と感動した。
わけなのでありやすが。

しかし、受信したその人は、発信する「アート」なる対象に対して、
日常的、表面的にとらえるので、実際には、
その両者全体で、「アート」となっている事がわからない。
自分もその「アート」の対象であることがわからない。

「アートだねぇ」と受信する人は、受信した自分をも含めて
「アートだねぇ」とは感じていないのだス。

感動的な対象ブツと、それをみて感動してる自分、という2ショットの光景を、
上から見て頬えんでる目には見えないナニモノかの感覚がわからないのだス。

したがって、その人の感じた「アート感」な感覚は、
あくまでその対象物だけから感じるものとした、
一般的で日常的、表面的な「感覚」と言えちゃうのだス。

そのアートなる対象物だけがあっても、それを感じる相手がいなければ、
その感覚は生まれないし、同じように感じられる人がいても、
そこにアートなる対象物が何もなければ、その人はその感覚を得られないのだス。

アート感覚というは、それを発信するものと受信する相対的な2つのものが
「1つ」になって、はじめてその感覚の「全体」として存在するわけだス。

それが、本来の「アート感覚」なんだスね。





前回ソコまで、実は、書いたわけだス。

さらにその奥に進んでいきやしょうかに。

ココでどんどん公開させてもらってる私のつくる「絵」だけど、
《《eve@i》》のポスターも私がつくったんだけども、
私は、ここまでのものを、しかも次々につくれるなんて事は、
いくらそれが、コンピュータを使った「CG」によるものであるといっても、
まったく考えられない事でした。

それについては、私は何の基礎知識も技術もないまったくの素人で、
ある友人から頂いた「フォトショップ」という使用ソフトも、
いまだにその使い方がよくわからないほど、専門家とは到底言えない私でしたが、

そんなド素人もいいところの何でもないフツーの自分の「絵」が、
突然「アート」なるレベルなものへと自動的に開花したのです。
それはまるで突然の出来事でした。

しかしそれは、ある画家から受けた強い「アート感覚」によるものでした。

その画家は、画霊とも呼ばれる、
横尾忠則という日本の偉大な芸術家です。

その人のアート・芸術を語ったコトバに、
「宗教性のない芸術など芸術でわない」というのがあります。

彼の言う宗教とは、宗教の教団や教祖の事ではなく、
アート感覚のことです。今の自分には、それがわかります。



《《eve@i》》は、ご存知のようにクリスマスと関係があります。

クリスマスは、キリストの生誕を世界中で祝う祭日・ホリーデイ(holy day)で、
キリストといえば、世界中に普及してるキリスト教というのもあって、
「宗教」の代名詞ともなっています。

しかしキリストは「宗教」ではありません。
キリストが「宗教」なのではありません。

キリストは自らを「預言者」であると言っています。
「預言者」とは、神から「預(あず)かりもの」を持って、
この世に生まれて来た者のことを言います。

キリストは、天から、あるものを、預かり持ち、人々のために生まれて来た者でした。
何を預かり持ち来たかというと、ま。愛。なわけですが、
それは、目に見えるものでも手に触ることのできるものでもまた言語でもない、
それは、愛という「感覚」なわけだス。
愛、とゆー漢字に目をとらわれずにね、感覚、という方が大事なところなんで。

それは、同じ人間として地上に生まれて来た預言者の媒体を経て、
天からの預かりものを地上の人々に向って発信し、それを受信能力を持つ人の「魂」に、
それを注ぎ込む運動。魂を救済する。

「宗教」というのは、その天からの預かりものであるその「感覚」が、
その使命を持つものから降ろされ、
それをどーにか受信させて人々の魂を救う「感覚の原理」であって、
その感性を含むすべての創造世界が、アートであり、アート感覚。
宗教性のない芸術など芸術ではない。そのホンモノのアート。
それが、今の時代には、必須だ。とゆーことです。

それは、別に、小難しくかたっくるしく、怪しくいかがわしいものではありやせんね。
ただただ、それは、ソイツ(あい)の感覚の話なんだから。ソイツが必須。別に何も文句ないでしょう。


《《eve@i》》は、俺流のクリスマスのLiveだス。
だからそれは、この自分つまり「saybowのLive」ではありやせん。
このよーに自分を捨てた、全体で良い加減になるよう考えられたLiveでありやす。
実際には、その形として、あまり変わりはしませんが、
その時、歌手の感覚は、《《eve@i》》モードなのでございやす。



いま、この世は、本来の宗教的信条を信じ、そのために、
信仰心を持って生きようとする人にとっては、不利な環境になっていやす。

基本的に、そうゆう人は少数であって、多数の人からは「おかしい」と言われて
信じる以前に、笑われるような状況にありやす。
宗教的信条を信じている人は大体10人に2,3人ぐらいで、あとは、それについて、
「ちょっとおかしい」と言う人がほとんどだと言われていやす。

そしていま、

この世は、時間のサイクルが短くなり、人々は忙しくなって・秒単位で動いている反面、
「道徳的なな面がかなり後退してきた」と言われていやす。

昔から言われてきた古い価値を捨てて、
自由気ままに生きる人がたくさん出てきた結果、道徳的なレベルが下がり、
犯罪も増えてきました。
責任を伴うことで「自由」といえる事がわからないばかりに。

現代人は、この流れを止めることができずにいます。

それは、「警察に捕まって刑務所に入れられるぞ」という脅し以外に、
人を律するものが何もないからです。

それ以外には、自分に当てはめるルールがないため、
「人に見つからなければよいだろう。人に分からなければよいだろう」
という考えが横行するようになったのです。

昔は、なぜ、そういう悪いことがしにくかったかというと、
「天国・地獄があり、来世で、必ず、この世での生き方についての判定が出て、
その清算をしなければいけなくなる。よいことをした人にはよい結果が、悪いことをした人
には悪い結果が、必ず来る」
ということを、人々が宗教的にずうっと教え込まれていたからです。

ところが、現代人は、それを迷信か子供騙しの教訓のように思っていて、
「地獄話で子供をおとなしくさせようとしている」というように捉えるのが普通でしょう。

ただ、昔から、先祖供養を通し、「ご先祖様が、いつも見ている」という言い方をすることで、
この世の生き方を清く正しくさせようとする流れはありました。

そのため、現代の唯物論者であっても、お盆やお彼岸にはお墓参りをしたりしています。
それは、無意識のうちにやっているのかもしれませんし、
「単なる風習だ」と思つているのかもしれません。

「ご先祖様が見ている」と思うと、人が見ていなくても、
悪いことはできないものです。
そういうことを、人々は昔からくり返し教わってきたのです。

「おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさん、先生など、
ご先祖様や亡くなった人が、自分をいまも見守ってくれているのだ」
という視点を持っている人は、常に反省をして、
間違った道に入らないように自分を点検しなければいけなくなるからです。

また、宗教の信条を信じていて、「善因善果、悪因悪果」、つまり、
「よいことをしたら、必ず、よい結果が来る。悪いことをしたら、必ず、悪い結果が来る」
ということを信じられる人は、やはり、
自分を正しい道に入れようとするでしょう。

しかし、現代は、宗教学者であっても、
それを「昔話だ」と言って笑うような時代です。

なかには、「キリストや釈尊の思想が現代にも通用するなど、そんなばかなことがあるものか。
『死んだら地獄に堕ちる』と言って、人々を脅しているが、
そういうことは、あるわけがない。それは単なる方便なのだ。
当時の人はレベルが低かったので、そういう方便を使って、
人々をたぶらかしたのだ」というようなことを言った人さえいます。
しかし、そういうことを言った宗教学者は、死後、
地獄に堕ちているような気がしやす。俺のアート感でゆーと。

世の中の様相は、さまざまに変わっていきますが、変わらないものがあります。
それは、「価値」を中心としたものです。

つまり、「何に値打ちがあって、何に値打ちがないか。
何が正しくて、何が間違っているか」ということに関しては、法則として、
一本、ず======っと流れているものがあるのだス。

この法則は、この世の人がそのルールを知ろうが知るまいが、
必ず、その人の魂に降りかかってきやす。
この基本的な法則は、千年前も二千年前も、さらにもっと前においても、
その「価値観」は、変わらないのだス。

ところが、この法則が、現代では、
砂や埃を被ったようになって、見えなくなっています。

現代は、そういう大変な時代なのですが、昔の人は、そーゆー宗教的信条によって、
「努力や反省は大事だ」ということを理解したり、「ご先祖様が見守ってくれている」
という考え方で自分を律したりして、そのアンテナ、
「アート感覚」を大事に護ろうとしていたようで、
その感覚のおかげで、いまだに続く、ニセモノが起した宗教戦争などの時代の中でも、
その時代時代、その他いろいろな苦難や困難を乗り越えて来たりもして、
歴史に残る数々の偉人たちも、その感覚を信条として生きた人たちがいっぱいいたのです。

ま。今まで狂ったよーに連日じきいぶい特集だといって、
書込みまくってきましたが、そのシメとして、私。
あきてきたからといって、やるならやるやらないならやらないの性格の私としましては、
その特集その感性その完成を、今ここに、立派に仕上げさして頂きやした。

これもひとえにココに来るとひしひしと感じる、皆様のご支援その心に潜在する、
かわいーかあいー「アート感」。そこから発信され受信した感覚。
そのおかげだと信じて疑わぬ私でありやす。だからこそ、こんな事、
誤解を怖れることなく、書いている次第でありやす。

しかし来るべき15日のその「俺・おめー・俺たち・おめーたちのLive」である
《《eve@i》》なる「イベント」の日は、
今回のこんな話もほどほどに、むしろ、
出来れば聞かなかったほどないーかげんなるかるぅ~い気分でもって、
どーかこのいーかげんに用意された、いーかげんなるその1日を、
「良い加減」にお楽しみおすごしあらん事を、
らくにたのしくさらには生きてんだもんエロくもいこーや人間だもん。
と、とくと希望する、ワタクシメにてごぜーやす。

あーめんはくぶつかん。

特集;じきいぶい(50すぎての)。おしまい。



おいシュゴレーてめ、これでいーか。

なんかまだまだあぶねー感じもするが、おめーの人格と力量では仕方ないだろ。

ちっ、てめーだって俺自身でもあんだろが。だからシュゴレーなくせに
おめーわなーんか威厳もねーし風格も品もねーんだ。

てめ。そのちんこもーそろそろたたねーよーにしてしまうぞ。

あーだめだめだめそれだけはやめろー!何を言われても、
エロだけは手放したかねー!

じゃもっとがんばれエロでも下品でもなんでも。もっともっと良い加減で。

しかしこんなの年に1度で沢山だわ。

ま。お前のくせに年に1度でもやれるだけでも、ほめてやるわ。

早く、そんなもん気にせずにやれるsaybowでのLiveしてーわ。

saybow自体は、大したヤツじゃねーからな。おごるなよ。

おめーもな。

てめこのやろぉ===============。

なんだばかやろてめーもだから俺なんだろーがぁ===!

ダメだこりゃ。(天国のいかりや+特別出演)




【特集:じきいぶい5/もーあきてきた】

2007-12-10 | ・Live

《eve@i》》つーのは「saybowのLive」とゆーより「俺=UDJ+Artworx のLive」なんだよね

んーーーーー。ね。じきにいぶいだつーんでね、特集。とかいっちゃってね、
もー勢いだつーんで、今日もこーやってね、何と5日連日の書込みですよ、
もー先月なんか、1回だけしか書いてないないのに、すんげーこのなんつーかもー、
ほめてもらいたいぐらいだ。
もー、ずーーーーーっとLiveやってなかったからって、すんげーこのなんつーかもー、
ほめてもらいたいぐらいだ。

もらいたいぐらいだ。ってのもよく考えたらなんだろーか、
どーゆー意味なのかよくわからずに言ってるみたいなとこあるね、
なんか「位」かよ、みたいな、自分を「位」ではかろうとしてるのか、
自分を「位」ではかってもらいたいのか、誰に?みたいな、
ほめてもらいたい位って、どんくらいなもんなんだかよくわからずに、
そんなこと書いてるくらいだ。

つーか、じきいぶい。だとか、だから特集だ。とか言っちゃって、
一体どーしちゃったんだ?とか思われるほど、先月とは別人のようにもー狂ったように、
こうやって、連日書込みしてるけど、
なんか連日書込みしなきゃいけないみたいになって書いてるけど、
なんか、そんな自分に、騙されてんじゃねーのかぁ?
とか今日ぐらいになると思えてきちゃってるじゃん。
なんか、めんどくさくなってるじゃん。いやいや気分かい、しっつれーなぁ。なぁ?

正直、もーネタないねん。
何かきゃいーんだ?みたいになってんねん。って何で関西弁なんねん!

あ。それわ、いつも「放送室」を毎週聞いてるからだ。
松本人志がUDJしてるまるでUBAなラジオ番組。知ってるか?
本当の松ちゃんが聞けるラジオ番組。
テレビじゃ出来ない言いたい事ぼんぼん言ってて、
聞いててまるでこいつ俺-UDJ なの。もーめっちゃおろい。
もー芸能界含め、いろぉーんな腹立つアホに怒りまくってて
それを一流の笑いで笑わしてくれながら怒ってくれるから、
そこにふかーい愛情と勇気・オトコ気感じて、スカッ!とするねん聞いてて。

そんな話してるけど。

なんかもっとじきぶいな事書かなきゃいけないじゃん、自分の話を、
ヒトの話してる場合でもないじゃんってヒトシだけに?
もーネタないねんって。



久しぶりに「音楽」をやるというので、そうとなってからとゆーもの私はその期間、そーとーの「音楽」を聴きまくってた。クリスマスのCDだったらこれが一番だった。ジャケットもすごく良い。俺の大好きなMUMも一曲やってんだ。


あー、そー言えば、いぶいのバンドだけどなぁ、
まー今回は、「俺のLive」といっても、《《eve@i》》なんで、
「saybowのLive」つーわけでもないわけだス。そこんとこ、ミソだから。

あえて言うと、「UDJ+ArtworxのLive」みたいな。
誰だれのLive。つー感じじゃないねん。そのLive自体が、その全体が、その題目「eve@i」になってるねん。
全体だから、その空間その空気全体、もーLive来るおめーも、その店に存在するすべて、
もーその店のメニューさえも出演のLiveなんねん。だから、
あえて出演者つーなら、みんなやねん。おめーも含め、みんないぶいやねん。
で、いぶいのバンドつーのは、その全体であるいぶいの中の1つ。だけのもん、だつーねんな。
おめーも、その中の1つ。で、俺もおめーもぜんぜん同等やねん。

俺わみんなの前の唄わせてもらうけど、俺から見れば、
客席の方がステージだからね。俺わステージつー客席から、
客席つーステージにいるみんなを観させてもらってるからね。
俺にとっちゃ、Liveやってるの、客席にいるおめーらだからな。
俺はその時自分観れないし。

そーいった意味でも、もーステージと客席が目と鼻の先それにあの花道もあるグッピーわ
まさしく《《eve@i》》にぴったしのハコなんだけどな、とにかく、
「saybowのLive」でわないわけ。そこんとこいっとこーかに。
俺は、その出演するバンドの、まー歌担当で、中核でもあるけど、
「saybowのLive」じゃないのな。「俺のLive」ではあるけど、
その「俺」つーのは、「UDJ+Artworx」つー俺なのな。

まぁそんな話は、またあんまくどくど書くとリクツっぽくなっちゃって
店の原始人のマスターに嫌われちゃうから書かないけど、ってすでにクドクドだけど。

昨日、実は、リハーサルの日だったんやけどなぁ、実はあんまリハやれてないねん。
ある意味、「いーかげん」にやるつーのが、もう今やくっきしとテーマになってるから。
「いーかげん」たって、手を抜くのではないのな、
脂ぎらずに、あえてそういう感じで、やってみようかという感じなのな。
「良い加減」をねめてみよーかみたいな。


聴きまくった中でも掘り出し物だったのがこのバンドのこのアルバム。北欧(ノルウェーだったっけ?)のサイケバンドというらしいけど、それだけで面白そうで、聴いたら本当に良くて、そーそーこの感じじゃんいーかげんってのぉ、この感じがいーなーいぶいのバンドぉー。ってとても参考になったバンド。MUMもそうだけど、やはり北欧モンは、面白いね。北欧ったらビョークで有名だけど(日本公演のチケットは予約したけど)、このバンドみたいに他にも面白いのや良いアーティストいっぱいいるね。


それは、BGMがボツにされた事が象徴するように、最初、こってこてな感じであったんねん。
それは、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、Liveやってなかった、
つー後ろめたさ、じゃーないけど、その分いっきにかえしたろか!みたいなね、
そゆー覇気は、あったのな。でも、それだと、良い加減じゃーないねん。
それはもーそこで「saybowのLive」になっちゃってんの。
それは、「saybowのLive」だったらまだいーんだけど。でも、これわ《《eve@i》》なのな。
だったらやっぱ、「俺(UDJ)のLive」になるわけだス。

「saybowのLive」はまた別に、来年やるから。

だから、バンドのリハーサルも今んとこ2,3回ぐらいしかしてなくて、
Liveの曲の半分しか音あわせてないねんな。
あと残りの1回だけのリハで残りの半分仕上げなきゃいけないんだけど、
本当にいーかげんなバンドになっちゃって。

でも、それもなんか面白い。つー感でいるわけだス。俺としては。
それは良くなきゃめたくそに良くないだろーし、
しかし、良ければ、きっちりやった以上に面白い演奏になると思うんで。
メンバーの誰もが、そんな感じの中でも、良くないLiveはやだ!とか思ってるの知ってるし。
つーか、当たり前だけど。



聴きまくった中でもやっぱこの人いーわぁ=!と再確認させられたのが、ジャガー星からやってきたというジャガーさん。「ファイトちば」が収録されてる復活最新アルバムは、今までのジャガーさんのなかで最高作だろね。ファイトちばわもー泣ける。この格好で寅さんなんだもんよ。最高だって。思わず、おーいっえ=!だわ。この人は昔から、ローカル・テレビ局からある時間帯自分で買い取って、自分のテレビ番組(ハロージャガーだっけ?)やってたんだよね。今でもほぼギョーカイに染まらず自力でやってて、実は偉大な「UDJ」なんだよねこの人。センスはまったく寅さんで(そこが最高に良い!)。


こんな事ネタないからって書いていーのかとも思うけど、
ココは、なにしろUBAだから。俺のブログだから。
言いたい事思った事ならなんでもいーから伝えろ。つー天命持つ俺の、ブログなんで、
いーわけ。

言い訳じゃねーぞ。

今回はこんくらいにしといてやろー。つーか、もーいっかおい。



ゆきかきしてんだ






【特集;じきいぶい.4/なれないぞ宣伝するの】

2007-12-09 | ・Live


ここだけの話。
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとLiveをやってなかった。
その、お詫び、つーとなんかやだな。その、埋め合わせ、もへんか。
その、お返し、って仕返しみたいだし。その、感謝、ってネット通販みたいだ。
その、志、って漢字知らないやつもいて、だからって、愛、きもちわるいか。
その、サービス、って売れないからか。その、おまけ、ってグリコの? 
その、粗品、っティッシュじゃないし。その、年金、ってなんでだ。
その、まり、って歌手いたな。その、あたり、ってその辺か。
じゃー、当たり、って年末ジャンボか。今年俺買ってしまった。
その、よーだ、って意味わからない。その、あーーーーーーーーーーーーーーーーーもー。

とにかく。

今回の《《eve@i》》は、来てくれたヤツ全員に、
クリスマス・プレゼント.....あーこれでいーか.....を渡したいと思うのだス。

それは何だ?それはCDだ。
何のCDだ? 幻のBGM+ SEとあらためてつくった SEとさらに
俺の曲1曲も入れて何と100万円!うそ無料。
しめて1時間以上におよぶあきてしまうほどやんなるほどの容量。
これを、来たヤツに強制的にプレゼントしちゃう。
でも、何人来るのかさっぱりわからない。
TとはぐーんとちがいS個人的のLiveは昔から人気なく客来ないのがとりえでもあったので、
用意したはいいがほとんど残ってたとかわやなんで、そんな過去の記憶をたどり、
そんくらいの目安で、大体の枚数を用意した。んだけど、
用意した枚数をこえてしまう場合も考えられなくもないのらりるれろ。
う~っ、やるならやるやらないならやらないの性格からして、
来たヤツ全員にプレゼント渡せないのは、中途半端ですげー気持ち悪い。
と思ってしまったので、もーちょっとだけ用意して、さーこれ書いてる。

なんで、書いてるか、こんなこと、性格からして、
書かなくてもいーことだろ、とも思ったけど、
いつもLiveやるたんびに赤字だったので、いちおメンバーにギャラはらいたいし
昔やってたくらいは来て欲しいだろーとゆーのと、これも性格上のことだけど、
やっぱこんなのやめた。と、ころっと思いなおしても、書いてしまっ以上は詐欺者になるんで、
逮捕されるのでやめられなくもなるんで、書いてるつーわけだス。

まーそんな感じだ。よろしくぅかい。

あーあと、

入場料どーする?

ってきかれたので、そんなのいつも誰かにやってもらってたんで、
今まで考えたことなかったので、じゃー100万円で。
と言ったら、ばかやろー!としかられたので、
いくらぐらいがいーのかときいたら、2,800円でどーだ。
と、むこーもいろいろ気をつかってくれて今まで以上の高値を言ってくれて、
やるならやるやらないならやらないの性格からして、でも中途半端だなと思い、
じゃー3000円。と言ったら、また、ばかやろー!ズに乗るなとしかられたので、
じゃーそれでいーですすいません。と多重人格はっきしてそー言っといた。
あーしかしLiveやるのわそーゆーのあるのでめんどくさー。
しかし仲間たちのバンドとか、ほんとにえらいなー。こんなこともやってるのか。

まー。そんな感じだのもいちどよろしくぅ~~~かいとにちれんしょーにん。



【特集;じきいぶい.その3/存続する2つの紅白歌合戦】

2007-12-08 | ・Live
+++++++++

しかし。NHK紅白歌合戦。のその先は一体どーなるのだろう?
どーなっていってしまうのだろー?

テレビで今年の紅白の出場者(出演者でわないから紅白)の人たちが紹介されてるのをみて、
もうすぐあと1週間もすぎれば、横浜のとある原始人のいる国宝級のライブハウスで
1人紅白歌合戦に同じく出場する身分の私は、まるで家族のように今年の紅白を心配する自分がソコにいた。

そーだってそれは、私がガキのときに、それこそ、日本中の家族みんなで一緒に
ミカン食べ年越しそば食い、コタツに入りながら、わくわくしながら、
その年活躍した出場者の歌手の人たちの歌に、家族そろってみんなで
一緒になって盛り上がって、日本の新しい年をわくわくして迎える、それは、
日本の家族の、祭事、儀式のようなもんだったようなあの独特な高揚感の記憶が、
そのお祭りが終ると、さーお年玉だーもらえるぞー!とさらに盛り上がってた
その頃ガキだった私にはある。

その頃の紅白歌合戦は、本当に、「平和な日本」その「日本の家族」の象徴だった。気がする。

それは、そこに出場する、「選ばれた」歌手の顔ぶれからも、感じたものだった。
そこには、オヤジやオフクロのアイドルでもある、三波春夫のおとーさんもいれば、
アネキたちのお気に入りの、初期のジャニーズのおにーさんや、
明るく元気でパンチのきいた、中尾ミエとからの現代娘のおねーちゃん、そして、
当時「キューちゃん」という愛称で、日本中の人たちに親しまれ人気のあった
私の大好きだったNHKのバラエティ番組「夢で逢いましょう」で、
中村八大と永六輔のゴールデンコンビによる、
日本の名曲「上を向いて歩こう」をあの唄い舞わしで唄ってる当時の一番のスター坂本九もいた、
また、ムードコーラス以前の、コーラスグループでもあった、ダークダックスが、
筑波のがまがえるを、ジャズ感覚で、見事なアンサンブルで唄ったり、
本当はジャス名プレーヤが揃う、クレージーキャッツがスーダラ節を唄い
日本中の茶の間をたスウィングのしく明るくさせると、
すると、すると、白組の男たちを挑発するかのように、紅組のその大トリに、
あの国民的大スター美空ひばりが、なんと柔道着を着て、堂々と出て来ると、
うっわー!なんかマジで男よりも男らしく、あの「柔」を見事に唄い上げ、
もー見事に日本一の母さんやーとおもわんばかりに華やかに
その歌合戦の幕がおろされ、さー軍配は!?とかの集計に日本中の家族みんなが、
固唾を飲んでいる時、俺わ日本の父さんも負けるな=!
あえて男らしさでわなくデビドボウイを彷彿させるグラムな感じで、
ぎんぎらに大利根慕情の男魂歌い上げる、三波春夫だっていーぞー!
とはしゃぎながら早く大きくなりたい大人になりてーと、おおいに大人に憧れてたっけ。
特に俺は大人になったら、巨人のサードナガシマになりたがってたっけ。な、とにかく、

その頃の紅白の記憶がおーおーどんどんくる。そんな感じだったなーと。

じーちゃんもばーちゃんもねーちゃんもにーちゃんも一番ガキのおいらも、
全部そこにそろってそれぞれのお目当ての歌手が出て来るので、
それこそその盛り上がり感覚は、運動会で家族みんなで幕の内弁当食うよーな、
ほんとーに「みーんな一緒」なる家族的高揚感で、
その全体的ダイナミックなスケール感に興奮してて、そーか実際にそれは「祭り事」だった。

それが、祭り事。「イベント」というものなのか。と思う。

今でも祭りや縁日に行くと、ガキが異様に興奮してる光景を見る。
ちょっと上のガキだと、それ大いに活用した色気つきはじめた
思春期のガキらぶらぶカップルたちがいたり、徒党くんでナンパしてるませたガキとか。

ガキのあの祭り好きな感覚というのは、そもそも「家族」という記号にあるんだろう。
それはあの頃の紅白歌合戦というイベントにつながる「家族の幸福、平和」にリンクするものだからだろう。
それはガキでも「感じれるもの」だから、大体のガキわ無条件無防備で、
あーしてはしゃぎめちゃ興奮すんだろー。

それによってわかることは、子供にとって「家族」というものは、
とても重要で大事なポイントなんだとわかる。
子供は、本当は、大人よりも「家族」を大事に思ってることがわかる。それは、
まだまだ迷子の子供にとって「大人」が必要で大事だからだ。
「子供」は「大人」が「家族」が、存在してくれることで、はしゃぎもする。
その安心感、幸福感からそれは得られ、たのしくぎゃーぎゃー興奮することが出来る。
たまにうるせーっ!と親からひっぱだかれ叱られながらもわくわく。

今ガキが親殺したり大人になるのいやがったりなんとかカットする子供いねーかと
いそがしい夜回り先生いたりとかいろいろあるけど、
本来、子供は、大人に対して、大切で大事な存在としてインプットしてあるんだね。

迷子になって恐くて泣いてたら親が現れ嬉しくて抱きつく時の感覚。
本来そうゆうプログラミングなんだから。それ考えると本当に息子には申し訳ねーが。

そー思ったりしてると「祭りごと」つまり「イベント」その基本的条件というのは、
家族みんなで幸福に興奮盛り上がれる的なところでの催し。なんだということが、
子供からわかる。まっこと子供は発信器だ。

だから俺がガキの頃の紅白歌合戦は、昔は、大した「イベント」だったんだ。とわかる。

それは、そのジャンルも年齢層もクソもなくみんな一緒に、その国の「歌手」たちが、
出演者でわなく「出場者」となって、男と女にそれぞれ別れて白軍とか赤軍とかいっちゃって、
唄いたたかい競うという、何とも平和で楽しそーな戦いだー(笑)、
でもすごくそこに日本独特の国民性、キュートさ愛しさを見れる。

そのイベントは、その国がいかに平和であるかを物語る、世界でも類がない、日本の誇る、
素晴しく庶民的な、独特な音楽イベントだったんだなーと思える。

そして、頑張ってその年を超え、新しい年をまたみんなで迎える大晦日、
日本全国にむかってリアルタイムで放映できるテレビの力によって、それは、
日本中の家族を茶の間でみんな一緒にさせて、音楽で興奮盛り上げてくれた、
日本のテレビ音楽番組として、本当に素晴らしいものだったなー。とどんどん思うわ思うわ。

だから、ガキの頃そんなだった「紅白歌合戦」が、今でも存続している事に、
私のようなジジーは、そうゆう記憶があるので、安心する。
いまだに存続しているというだけで、ただ単純に安心してしまう。

その、いまだに存続してるテレビ音楽番組の、今年の紅白「出場者」の顔ぶれを、
テレビで紹介してるのをテレビで見た。

そのテレビの映像から映る今年のソレは、いつにもましてほとんど知らない顔ぶれだった。
そしてなによりそのテレビをみて感じた事は、
なんかみんな子供ばっかじゃん。大人がいねーじゃん。家族そろってないじゃん。という感じ。
そのテレビには、ガキたちはいるけど、オトーさんもおカーさんもじーさんもばーさんもいねーの。

去年はそんな感じしなかったよなー?つーかおぼえてないのか?興味なくなってしまってるのか。
そんな感じのところで、あらためてよくよくテレビ見てたら、
紅白はいまだに存続してるけど、それをテレビは私にこうして伝えてもいるけど、
これわ、俺の紅白歌合戦なんかじゃもーないな。という感じ。
そーいうこともテレビで伝えるとおもしろいのにな。とか。

続いてれば安心出来る。とゆーわけじゃーないんだな。

私がガキの頃に、笑っちゃうほど圧倒的な視聴率を誇り、
日本中の家族みんなをその茶の間で一緒に盛り上がらせては、
その国の平和と幸福を、本当に庶民的な歌、みんなでたのしい音楽で伝え、新しい年を迎えさせてくれていた、
その日本のテレビ音楽番組の役割その指名は、今や、
日本のテレビ界や音楽界の、低迷そのものを象徴する社会派ドキュメンタリー番組に変わったから。
そこには、家族やお茶の間は、もうないから。
と、その存続の意味を、そのテレビ番組は、私に、伝えてた。

子供にうけなきゃ存続できない。と思うので、子供ばっかの紅白したんだったら、
大間違いなことやってる。だとしたらますます今の子供はかわいそーだ。
子供はきっと、紅白歌合戦を、俺がガキだった頃のような思いで、見たいだろうに、
それが、子供に受けることだろ。子供はちゃんとまだアンテナあってわかるから、
子供に媚びうってるような世界は、子供はバカにするしか出来ないので、子供はかわいそーだ。
子供は、本当はそんな大人たちにも優しくしたいという心があるから、
それをうまくごまかしながらなんだかんだと傷つけないように気遣うことでつかれきってる。
だから、おさえきれず爆発しては、夜回り先生が登場してきたりするんだろう。

俺のほーの《《eve@i》》という、1人紅白(イベント)は、
さーそれに対して、一体どんな感じになるのだろー。
そこは同じじゃないだろーと、確信できるものの、
コッチもコッチで、出場者の顔ぶれジジーばっかだった。
しかし、じじーばっかだがみんな子供ばっかということも言えたりするから、
大人も子供もちゃんといてちゃんと本来の家族みんなの紅白かというとやっぱそーでわないか。
それわびょーきっぽいし。おたくな紅白とか。うーむ。

しかしふと気づけば、その店の翌日の出場者は、ぞくぞくかぞくだって!

って、なんだそれ、できすぎだ。

しかしさすが《《eve@i》》だ。紅白だ。まつりだまつりだ。北島三郎だ。
《《eve@i》》モードはおもしろい。


【じきいぶい.その2】

2007-12-07 | ・Live
+++++++++


今朝起きたら、なんか気になったので、昨日のブログを読み返してみたら、
ちょっとやばいなーこれふつー知らない人が読んだら、俺の書いたそれ、
大人げなくも、うじうじ女々しく、Liveやらせてもらう店に対して、
きっと読んだら傷つき悲しむだろーほどによくもじゅくじゅくじめじめと
その店の不満やら悪口を、卑怯にも影でめちゃくちゃ書いてる感じの、
平気で何でも責任を人におしつけそーな自分勝手で男らしさまるでなさそーで、
ほーんと何こいつちーせー野郎だなぁー。とか自分で感心してしまうほどに、
そんなキャラがぴったりとはまってしまうほどに、今ソレ読むとかなりやばい。

こんなヤツ(俺のことだが)のつくったびーじーえろ?とか エスぅイー...だってぇ?そんなもん、
店の人受付けなくて却下されて当然だわこんなヤツ!ったく何だこの野郎?
久しぶりにLiveやるからって、誰も知らない売れないミュージシャンのくせに、
そーゆー文句だけ影で、えっらそーに、な、いかがわしー誰も知らないミュージシャン、
Liveに出させてもらえるだけでその店に感謝しろこの。とかだからって
今度はぐるっと自分にめちゃくちゃな事を自分で書いてても、
面白くも楽しくも何ともないつまらないブログだなーと誰もが思うはずだろーなそーゆー
私の大嫌いな475番目の自分を蹴飛ばし、一回もどって426番目の自分になってみると、
どーにもなんだかあんばいわるそーだった自分の加減が、まるで別人のようにすっきりと、
良い加減の俺になれていたり、こゆーとき、多重人格者って、ずいぶん便利だ。

って中々進まないんだけどでもそゆー時は、けっこー俺調子良い時だったりするから、
多重人格者って、ずいぶん便利だ。

私は自他認める、「良い」または「正しい」ほうの多重人格者で、
人格が多重であるからって多重人格者ってそのなんだコトバのひびき重いおもい。
重いからじゃー多重人格でなく、自由自在人格者。とかだと何かもっと自分に近そうでいいかな?

って。俺は一体誰と話してて、いいかな。って誰に質問してるわけだ?とかほらソレだよ、
誰に質問してるわけだ?って誰に質問してるわけだ?....ってあらあらあららー
そのままのっかちゃうよ。そのままどこまでも、

誰に質問してるわけだ?って誰に質問してるわけだ?....って誰に質問してるわけだ?って誰に質問してるわけだ?....って誰に質問してるわけだ?って誰に質問してるわけだ?....って誰に質問してるわけだ?って誰に質問してるわけだ?....って。

「誰に質問してるわけだ?」と誰に質問しているのかもわからぬ人を巻き込んで、
どんどん誰が誰を呼び、誰に誰だと誰も彼も、誰に質問しているの?とぉ、いわれても
誰に質問してるのか皆目わからぬヤツが誰も彼もな、間に彼をはさみながらも、
どんどんその海は、そこらじゅー誰だかわからぬ誰だらけでなんでこんな変な話になってるの。

ああ~多重人格者だとか言ってるからか。俺はそーだぞとか。いう話してるわけだ。

そーなんだ私はたじゅうー    え?
でもなんで俺そんなことまるで自己催眠かかってるようにこんなところで
平気でカンタンにこくってるんだ?   え?  ああそこで女たちが何か話してる?

セーボーってタジュージンカクシャなんですってぇ~!
きゃーこっわぁ~い!あーみえて、つーかあーだから、セーボーって、いろいろやれるんだ、
精神分裂病の人ってそゆー人多いのかもね?う~んでもちょっとショックぅ~、
それって嘘つきってことでしょ?詐欺者てきとゆーか、精神分裂病の人ってセーボーさんって、

おいおい私は多重人格者だとかいっても、病気じゃないし、せいしんブンレツビョウってそれ
精神病じゃねーか!俺はキチガイかおい。そーだって昔のHPで言ってたことあるけど、
ソレとぜんぜん関係ない話だこれ。
そーじゃねーぞぉー、俺は多重人格者、つーかその呼び名やめよう。
自由自在人格者。ね。これだよ。俺。自分の人格、その場その人に合わせて、
自由自在にその場その人サイズになることが可能でもあるヤツ。みたいな。

つまり、仏陀でいうところの、待機説法というものかな。

フッダはえらい人でもアホな人でもどんな人でも誰に対しても、
自由にその都度その都度の相手の人格その波動に合わせ、つまり、
相手の心をよくよく読み取り、相手の気持ちを心から理解してあげながら、
誰とでも気持ち良く上手くコミュニケーションすることが出来た「待機説法」というのが、
仏陀の得意技としてあったのは知ってるだろーかふんおめーらみてーなアホが
なもん知ってるはずねーだろーけども実は、それが、私の言う、私的の、多重人格者であるわけだス。
私の自由自在。あー人格者であるわけだス。ん。

もちろん自分のその人格は、「待機説法」出来るような仏陀クラスなものではなく、
ただただ何か嫌な気持ちとかに襲われたりすると、けっこー素早く気持ちの切り替えが出来る。
というほどのもので、それは人の気持ちを読み取ることで相手の理解を示し相手を気持ち良くさせながら、
スムーズに様々な人たちとコミュニケーション出きるようなそんな仏さまのような
偉いほどに使われるような自由自在さじゃなく、たとえばそーだなーセックスのとき、
けっこーS系な自分なので、疑似輪姦プレーとかやっちゃったりして、
つまり輪姦だから、その相手の女性に対して、様々なる男を演じ、一人で、
ほらほらこっちもこっちも!とか、はい交代だ!コッチだほれどーだい?いーだろひひひ
とかもー次から次へと年齢から職業から性格から個性からもーいろーんなパターンの
やっらしーどすけべえろオヤジたちを演じきりながら、息吸う暇もあげずに
がっつんがっつんいそがしーぞーしかしもりあがるぞ=!俺けっこー上手いからよ。
みたいな、上手いよ。みたいなちょっとした強さな感じかなー?そー言えちゃう理由なところわ。
私のばあいのぐあいの多重人格、自由自在さわ。

って何そのたとえ!

そんな自分の性のスタイル?嗜好性?つーかあるオスの生態?
みたいな事をなんでかくなんてみんなにきかせるなんてさっきのさっきまで
考えもしなかった行動だぁ!一体何をやってるのだ!この俺ろー俺わがぁ!
そーしてるとゆーそんな感じの俺ですがぁあ!

さてここで、やっと冒頭での昨日のブログでの話その話に戻る。わけだス。

さて、さーもー「eve@i」。自分のLive。も、あと1週間ばかりを迎えた、
タダイマ付近の感じ。

そこで、その特集の最初の昨日のブログ(特集なのかよ!)では、
せっかく真剣にLive前に流してほしいBGMとLive直前に流してもらいたいSE、もーそーとーにまたイー やつつくってもってったら、ダメだこれじゃ。長いし薄い。とわけわからない理由で、ダメ言われ、
とにかく、久しぶりのLiveゆえに若干心をこめすぎ変なところもあったかもしんないけど、
話はぜんぜん大袈裟なものではなく、ただLive前にBGMと SEかけてほしーしかし、
その店では、却下されてしまった。

そのことを書いた昨日のブログの事なんだけどもな。今日みたらちょっとやばかった。

あれじゃ知らないやつが読んだら、その事を恨み、自分のやりたい事できない
思いどうりにならないその店に対して、いかにも私は、ソコで
大人げなくも乱暴でひどい悪意に満ちたよーな悪口愚痴をしつこくうじうじ女々しく
堂々でもなくウラにまわって影でこそこそ書いてるよーに見える。

それわ違う!ココはそんな無意味な事伝える場所でも、そんな私でもない。


今回のこのUBA(俺んとこのこのブログはそー呼ばれているしかしそー呼ぶやつは俺ぐらいしかいないみたいだ?)で書こうとしてる事は、そういう事なんだけど、そういう事だという事もよくわからないほどに進んでしまってるみたいだ。けども、そうでもない。

私が昨日のブログいやUBAで言いたかったことは、
私に、この私に!Liveでやりたいと思うこと(それは大変なことでもなくただLive前に自分のつくったBGMそして SEをかけて欲しいというだけのこと)をやらせないライブハウスなんて
ダメだろーそんな店はダメな店だ!良い店じゃない!つーのは、そーだけど、しかしその店は、
そーゆー店じゃなかったんだ。良い店だとは俺は言わないけど、やっぱ。その店は特別で、
日本でも貴重なライブ・ハウスなんだグッピーって。そこのとんべとかゆー店のマスターも。

つー話だったんだ。



その店は、俺がハナタレ小僧のまだまだ高校生なガキの頃からあるのな。
俺今、52だから。何人かの俺の知ってる水系の友人の店とかでもどんどん潰れてる中で、
それだけでもーすんごい大した店でもあって、ガキの頃、私はその店で、
悪友たちと集まっては、そこを拠点に、セックスドラッグロッケンロー的に
いろぉ~んな悪さをしては楽しかった私の青春の跡地。
でもあるとゆーほどの縁とゆかりな古い店なのに、跡地になってない。まだある。図々しく。

そんな頃から俺を知ってるみて来てるその店のマスターにしてみれば、
なにがBGMだなにが SEだ。めんどくせーなー。ダメだやだから。
俺の店で。Live前に俺の選曲でもなくそーゆー感じでそんなめんどくせー
つー感じでかえってきてもぜんぜんおかしくない。ぜんぜんダメじゃない。
それで、いーんだ。この店は。

とにかく「アート感覚」こそ今必須だと真剣に使命感として
思っていた真面目な「アーティスト」である俺だったんで、そんなダッセーライブハウスなんてあるか、
今音楽ギョーカイが不振で不景気でジタバタしてるが、それは、
お笑い芸人集めて新ユニット結成とかいってわCD売り上げやったぞ!とかやってた、
音楽に対して無知で無責任で無能なオンガクギョーカイ人たちの犯した
あまりにもセールスだけに固執してたような「非アート感覚」行為への天罰だし、
契約だーとか著作権だーとか締め切りだーヒットさせなきゃダメーだーがんばろーとか
別にそれに対して、否定的な私ではないけど、音楽でメシを食うには、
そこそこ大事なところだろうけど、しかし、それは本来、音楽においては、音楽を創造するにおいては、
まったく無関係でもあるような事ばかりにオンガクヤわ動いてたりしてたから、
来るものは、やって来たわけで、オンガクギョーカイの不振の原因は、
CDをコピー出来ちゃうパソコンの普及だとかあーだこーだ言ってるけど、
それは、責任てんかのナニモノでもないわな。ほとんどの原因はその売れなくなったブツを売ってた
レコード会社にあんだ。特に、メジャーの。

そこから、その先そーなるはめになることの一役をかっていた、権威と傲慢にオンガクに携わっては、
ある時期女と車で盛り上がってもいたそーゆーギョーカイの人たちはあ、
その事への反省と責任と勇気でもって、不変なるホンモノの音楽や音楽家を育てたりしてこそ、
面白く感動し楽しまれ永遠に愛され親しまれ驚くほど売れ続けるような良い人材ソフトが
生産されることとなり、素晴しい産業となり面白い制作出版会社もふえ、
音楽そしてソレにからむ全体が生き返っていくんだろーに。

それなのに、まーだギョーカイな人たちは、音楽を創造する上で大事な「自由」というアンテナ。
自由なる発想力とか、想像力とか、インスピレーションとかの「アート感覚」の大事なアンテナを、
そんなめんどくさそーで根気も時間もかかりそーで金になりそうもないよーなものとして無視し、
みんなでどんどんそゆーアンテナ(感性)なくしてわ数字ばっかの世界で六本木界わいで
ふしだらに色気だけわふりまき動いてたからね。おめーたち。つーイメージわ偏見か。よくわからんが。

とにかく音楽に「自由性」がなかったら、音楽は死んだも同然、面白いものも刺激的で新鮮な新しいもの
そして良い音楽なんて、生まれるわけがない、アーティストだってそいつがつくる作品CDだって
なにしろ面白くなければ売れないし、実際面白くないから昔あんなにあっては、
ゴールデンを独占してた音楽番組だってめっきりなくなってきてるし、
今のギョーカイ全体のシステムの中で、あっと驚くような「商品」を生産したり、
「人材」を育てたり生んだりすることなんか、無理だろー。そのための本質的な「教師」の存在がいないから。

だから、そんな中で、俺の「自由」なる発想から生まれた「 SE」という
今や俺のLiveにとってはかかせない方法論が、グッピーでシカトされた時は、

あーもーこんな店まで、もーここまで、汚染はひろまってるのかー。
これじゃーこの店からも、何かそのウンコの山ぶっこわすほどに面白い新人とかバンドとか、
出てきそうもありゃしねーだろーが!とゆー気持ちと合わせて満タンで、

最初ソレになかなか気づかなかったんだ。

よーく考えたら、グピーという店も、ハナっからそーゆーギョーカイ的なものとは
無縁でやってきてた店だった。汚染はされてるよーでされてはいない店だった。
されてるように思えちゃうのは、されてないがゆえに平気で俺にダメーやだとか言えちゃう事で、
ぜんぜん違うところの無関心だった。されてないがゆえに、されてもいながら苦心してあみ出した
俺の「 方法」には、共鳴することもなかったんだろー。

それだったら、それでぜんぜんいー。やっぱこの店は、いー店だ。
楽屋もないしステージまでの道のりのあの花道?とかまったく
出演する側にとっては決して良い店なんかじゃねーけど、

しかし、私は、そんなこんな中、一度は汚染されたと思ったこの店で、
私にとってとてもとてもクリーンで大事な事を教わったのだス。





それは、一番重要で大事な事は、いーかげんであること。

たまって力が溢れてるからって、完璧にやろうとしない。
「良い加減」でやれること。パワフルだからって力み加減では不健康l。
本当の健康な時、いー感じの時って、無駄な力が抜けてる時の感じなんだね。
それがパワーフル、元気なんだに。

つまり、「良い加減」になる。

良い加減の自分を出せれば、それだけで、仕事=運動したことになる。

自分を出すには自分をとことん捨てること。
ナイからダメいけないではなくむしろアルからダメいけない。
力を抜けばいい。無駄な力は力であるから始末に悪い。
そんな力わナイ方が良い。才能アルならナイやつになれ。
才能ナイやつならアルやつになる
でも才能ナイヤツなどこの世に存在しないから本当はそっちのが楽。

そーゆー感性は、しっかりと自分を生き、
ちゃんとに歳をとった者にしか与えられないから、
おっそろしく平等であり公平だ。

みたいな。何書いてんだろね。さーもうじきいぶいだねぇ。みんなに会えるねぇ。
でもどしても勝てないからみんなにわ(笑)タバだもん勝てるわけねー。
だけど。負けねーぞー!出せばいーだけ俺。だけでじゅーぶん自分出てる。

本当は感性・感覚こそが力。

喉が渇いたら水を飲みに自然に身体が動くのと同じ。
「自分の感覚」が自動にその力を抜いたり入れたりする。

無駄で余計な力よ去れ!

重いものを持ち上げたり運動出来たりする体力は、
必要以外は無駄で余計な力。

感じ生きてる力こそが本当の力。


グッピーというライブ・ハウスは、私にとって決して良い店ではない、
しかし、それよりもなによりも、
この店は、私苦心の中で産み出した「方法」まで、
ただやなだけでさせないとさせる、どこよりもいいかげんな、本当に、
国宝級の、貴重な「ライブ・ハウス」なのだから。

なにしろおかげでよーくわかった。それわちょっとすごいサトリだ。

やっぱ。《《eve@i》》だ。何かが起こる。

そして、前回ではなんでココでやるのかわからないと書いてたけども、
さすが《《eve@i》》をやれる唯一の店だった。

私の直感が正しかった事もわかりとてもハッピー。

べりーめりーはっぴーくりすますだス。


こんな気持ちの中で、昨日のブログは書かれたのですからして、
いかにそれが悪意にみちた女々しくもひどい内容なものではなく、

それは、

単なる、負けず嫌いなアホなジジーによる、独特な横浜気質によるシャイネスと、親しみあふれる、
俺のBGM平気で無視したそのむかつくきくやしき店への愛をこめたいやがらせ。
だとゆーことが、わかるだろうにおぞうに


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+++++++++UDJ+Artworxからおめーにクリスマスカードだドーダ





【じきいぶい.その1】

2007-12-06 | ・Live



+++よろしくぅっ!


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+++++++++UDJ+Artworxからおめーにクリスマスカードだドーダ
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いぶいの開場=場所わ。その日のために いっしょけんめつくったBGM+ SEきかせたらながいだめだだいいち俺の店でこんなのかけられるかこの日わLiveはじまるまで俺のかけたい音楽かけるからとかうっそ======!!!!!!本気でダメだと言ってるええええええええええええ!!!!!まったく意味わかんね====実は何しろ100万年ぶりのLiveだから来るやつらにもグッピーにもとんべにも恥ずかしいほど特別な思いを込めて精魂込めてすっげー時間かけてつくってきたものをぉぉっぉ~~?????で本当にダメだと言われて新しいもっと時間みじかくてふつーの SE?えなになにイー?ってライブハウスの店長が SE知らねーわけねーだろーしかしソノ SEでわないのわそーなんだね。えすいーだかそこいーだかしらないけどちがうのねもっとふつーのえすいーとかいういうUDJ+Artworxのおれにいうのだっさーいじじーの原始人がやってるライブハウスわ横浜+日ノ出町=Guppy

なんで私はいぶいわココ(グッピー)でしかやらないときめてしまったのだろうか!?なんかその理由も今もーわからなくなってしまってる、が、が、この私がそー決めてるとゆーだけで店長よろこべよ!俺りかいしろよ!他のヤツならしらんけどもセーボーなんだからあのUDJ+Artworxのセーボーなんだからとーぜんやりたいよーにやっていーんだよその大事なやる気を汚したくないし!とかいってもいーじゃんいーよな俺ごーまんか俺?ええ?わっからんなーしかし。ダメーとゆー店。すっごいよー。でででんわわわ 045-241-3166 Liveの問合せでなくみんなでセーボーのすきにやらしてやれよとかの抗議のいやがらせの電話をいれよーとかまいーけどさ、ふーっ。ふつーそんな事言われたらつーかそんな事言う店なんてダメだろー?だけどだけど。そんな私そんなUDJ+Artworxの私がさ、しかたないか言われたとうりもっと短くてふつーなのやつつくりなおすかとか思えてしまうすっげー不思議な奇跡のライブハウスがだからそのいぶいの会場の場所のだっさーいじじーの原始人がやってるとんでもない横浜わ国宝級に時代おくれで出演者よりも世界一のわがままな店長いるいるまだいる世界一のライブハウスわ。
だから横浜+日ノ出町=Guppy 。ででんわわわ 045-241-3166 。だって。

あー紹介したくないけどその店のHP(だっせーーーーー)もいくのかいくのかよの横浜+日ノ出町=Guppyででんわわわ 045-241-3166 。よろしくぅ。 
横浜市中区宮川町3-80 京浜急行日の出町下車1分 18時~営業 月曜定休 とかかいてやがったわソコいったら。
なんかあそこの掲示板みんなであらしてもらいたいかなビールにゴキブリはいってましたますたーとかいひひいひひひひきしょーせっかくの大作がぁ........俺のLiveのカナメな 俺のSE......かかれば必ずソコの空気も人の心もニクタイも聞いてなかろーがソコにいるだけでいーくなってしまうとゆー.だからそれこそが「 SE」であり「BGM」でありそれこそ「音楽」とゆーものに対して本来のところの..とかあーうわすげ滅茶苦茶面白いジャンルな.....とか...あーひどい店だぁしかしそれだけすんげー店でもあるとゆーしかたないけど「eve@i」に相応しいLiveハウスなんだこれがまたくやしーってうっぷんはらしてさーもうげんき。