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【G+SのLiveでの最大の勝因は「柔」】

2009-04-20 | ・Live

相棒であり本当はかみさまであるGはグッピー入りしてすぐにリハの用意をしている時から偉大なチーママ味出していて、そんなグリコのチーママ笑顔の見つめてたらさらにもっとご利益もらえそうな気がしてしまい思わず「カーサン小遣いくれ」と言ったらバッグの財布を取り出し「いくら欲しいの!」と本当にくれそうにうれしそうに輝いているグリコはこの日一日中かみさまのようだった。

それは、もう何年前の事になるだろう。

その日、ラジオから、「Live」で唄う、美空ひばりの「柔」が聞こえてきた。

歓声が聞こえてきたりしたので、それは、大ヒットし、そこらじゅうからその曲が聞こえてた
「録音-レコード」版の「柔」ではなく、「Live版」の「柔」であることがわかった。

耳慣れていた「シングル-レコード」版の「柔」と比べ、
その、ラジオから突然聞こえてきた、美空ひばりが生で唄った「Live」版での「柔」は、
全てにおいて圧倒的に出来が良く、その時私はラジオに引きつけられるようにして聴き入っては、
その偉大な「女性歌手」の歌声に、身動きができなくなるほどのとてつもないほどの衝撃で、
鳥肌を立たせては、異常に興奮している自分があった。

それは、生涯最高傑作とも言われている、美空ひばりが「歌手」として最も脂ののっていた頃に、
武道館で行われた、彼女の35周年Liveで唄われた時の「柔」で、それはそのまま、
その時の絶好調の美空ひばりのLiveを象徴させるものだった。

何か身動きができないほどの強い力から解放されたような気分で、
その完璧な美空ひばりの「柔」聞き終わると気付くと私は、
ネットでその美空ひばり最高傑作LiveのDVDの購入ボタンを、
グワッギ!とクリックしている自分がいた。
ラジオで私をレイプしまくった、あの「柔」を、ただただ、もう一度犯されたいいや聞きたい思いで。

DVDが届くと、きたぁ=!という思いで、それを梱包した封筒も包み紙も、
ぼろぼろになるくらいの勢いで破りまくり、やっとそのブツをあらわにさせると、
シールドされた薄い透明の上着も乱暴に剥ぎ取ると、ついにその生肌なプラスティックのケースを、
両手でカパッと屈辱的に180度に思い切りこじ開けると、
その中におさめられた目的である、まん丸なDVDの中心部分の穴に指を突っ込み、
その180度に屈辱的にこじ開けられたケースから奪いとると、
DVDプレーヤーの口を開き、さらに猥褻に出したその舌の上に、強引にそのまん丸のディスクをのせると、
そのディスクはそのままプレーヤーの口の中に引きずり込まれ消えて行くまでを見届けると、
体勢を変え、視線を37型の地デジ対応テレビのモニター画面に映すと、
何の躊躇もなく、いきなりチャプター画面から25曲目の「柔」をクリックすると、
ラジオで「音」のみで私を犯したその犯人「柔」の、その全貌をついに目撃することができるぅ=!
うおわあああああああああ======!ひばりぃ=====!下手な男より男らしぃぞかっきー
おおおおおおおおばさぁ====ん!おばさんは明るい!元気だぁ==!ぅえい=っ!

と、私はラジオで犯された時の100万倍やられまくるほど、
私は、元気で底抜けに明るく輝くおばさんに欲情する
ドMなおばさんマニアな牡豚奴隷男になってしまったと錯覚するほど、
ものすごく恥ずかしいほどの感激で、身も心もやられちまっていた。


さらに2代目チーママとして今やチーママ「G」の後継者として日々修行を積んでいる「t」は、その成果かどっしりとした存在感のある、まさに2代目といった感じの空気を放っていて、俺に気付くと「セーボーこの顔どうだ?」と言って近づいて来て思わず身体が固まってしまってる時の画像。背を向けてるのでみんなにはわかりずらいが、この背中で顔はまったく「G」であった。顔をくしゃっとやるとすぐに「t」に戻った。形態模写だった「凄い修行してるんだなお前!」と言うと、「未来は何が起こるかわからないからね」と今度はまったく俺の顔になって言うので、ああコイツはふざけてはしゃいでるのか、おー大分生長して余裕出て来て良い感じじゃないかとふざけたくだけた「t」に感心しまた固まってしまっている「S」


そして。正気に戻ると。私の身体から、ふつふつと湧き出るマグマのようなものを感じると、
その「Live」で唄う、日本の誇る大歌手、美空ひばりの「柔」の唄いっぷりに、
偉大な「女性歌手」の持つ圧倒的な(歌手そして女性の)力=光を感じつつも、
気付けば、同じ横浜出身の「歌手」でもある私は、その時、何と図々しくも、
今は亡きこの力=光を、ほぼ同じくらいに再現出来るような気がしてならなくなっていた。

それは、決して、私が「歌手」として、その歌唱力において、
この日本の誇る大歌手と同じレベルを持つ。とかいうとんでもないフザケタ自惚れから
出てきた気持ちというのではなく、それは、やはり、同じ横浜人としての血がそうさせるのか、
この彼女の唄うこの感じの発生場所が、自分と同じような気がしたわけだス。
何か、「歌手」としての歌心的なものが、基本的に同じもので、何だか、対面したとしたら、
俺の姉たちや近所にいるおばさんたちと会話をかわすような親近感とか、
身体の中にある唄おうとする時にそれを支える大黒柱的なようなものが、
自分とぴったりフィットするような感じをおぼえ、何か、まったくこのとうりの感じで歌え、
そして客席で観てるヤツらに対しても、この武道館にいるお客さんと同じような良い気分を、
そっくりそのまま体感させてあげられる。という、めちゃくちゃ身分知らずとも思えるほどの、
自信?というか、情熱がぼんぼんキテルのを感じるのでありやした。


初めてやるG+SのLiveに興味を持ったのか、メンバー3人のシュゴレーが日ノ出町駅で待ち合わせして3霊一緒に店に現れたのは良いが、俺が頑張って一生懸命歌ってるというのに、興味がないのか3霊とも飽き性の子供のように店の中やたらうろちょろ走り回ってはこれまた楽しそうにはしゃぎまくっててみんなでこの店のマスタートンベのシュゴレーに挨拶しましょーとか言いながら楽しそうに笑いながら唄ってる俺の前を平気で通り過ぎて行くので、また来たら必ずこのタンバリンでヤツらをぶっ叩いて少しはシュゴレーらしくちゃんと席につき俺たちを見守れ!と叱りつけようと、何もしらずに「t」がいい調子で間奏のギターを弾きまくってる最中に決断きめた「S」


その、キテルものは、とどまることを知らずに、キテルキテルキテルキテルキテルと、
長い間クルクルクルクルクルリンしてるうちに、気付くと私は、いてもたっても、
自分のLiveで、どうしても、この「柔」を唄って聞かせてあげたい!
つーか、単純に、Liveで、人前で、「柔」を唄いたい!

そしてそれは、「この名曲を唄いたい!」から「唄わなければいけない!」
と、まるで使命感さえ感じるほどの強い思いが、私を襲うんだった。

オリジナルでない「カバー」を、まるで自分の作品であるかのように、
編曲、唄うことに対して、誰よりも強い自信がある私だけど、
それは、ただ、「その曲が大好きで唄いたい!」という強い思いが、それをそうさせるだけで、
私のやる「カバー」は、みんなそうやって純粋なところから生まれるんだけど、そんな中で、
「柔」ほどその思いを強く感じたことはなかった。


やっと私たちの恥ずかしいシュゴレーのヤツらがトンベ簿シュゴレーに挨拶しに消えて行ったところで、恙無く曲を終えサンキュー!と手をアンテナ状に上げた途端に、いきなり「あよかったわ番号わからないからどうしようかと思ってたのよ」と美空ひばりさんの霊が私の手を媒体にして交信して来て、驚く俺に「そんなに驚かなくて良いのよ母から私と同じ横浜出身の歌手の男の子がえらいあ境地で柔やるっていうんでうれしくて来ちゃったのよぉ」と言うとすぅ~っと私の身体に弁天小僧のようにイキに入り込むと私に憑依し、柔を唄う時にはしっかりと指導霊として動いてもらいおかげであのような喝采の柔を唄い演奏出来てしまったG+S

実は、何故そんなに私は「柔」を唄いたい!と強く思うのか、
はっきりとした理由は、よくわからなかった。

同じ横浜出身のすんげー「歌手」のすんげー好きな曲だから。と言えそうだとするのも、
よくはわからないので、そんなところにしとこーと、後付けで考えたことでもあって、
ゆえにそんな理由ではないな。ということも正直思ってたりもして。

あえて言えば、それは、実際Liveでやってみることで判明するんじゃないか。
というところへんまでくらいなところてん状態でもあった。

そんな中で、ついに、それを果たす時が訪れたわけだス。
19日のグッピーでの「G+S」での初Liveで。

そのことは終ってからの話(判明したか?)でもあるし、サプライズ的なもととして面白いと思い、
あえて一切書かなかったけど、実は、今回の「G+S」のLiveにおいて、
「絶対面白い!」とココで言い切った理由は、ソコにあったわけだス。

しかも、ソレは、私が今まで自信を持ってやって来た「カバー」とは違うもので、
アレンジはせずに、出来るだけその「Live版の柔」のままでやってみる。という強い思いがあり、
しかし、逆にそのラインでやってみようとすると、それは演奏するものにとって、
めちゃくちゃ難しいものだった。何故なら、G+Sは、やっぱなんだかんだいって、ロックバンドだから。

ロック・バンド然としたものたちにとって、「柔」のようなこの、
ウン、チャチャチャッチャー、ツテテテ、ウンチャー、みたいないわゆる「演歌」ビートは、
普通、最もダッセーもんでもあって、裏を返せば、最も苦手なものでもあって、
ゆえにそのモチベーション「やる気」において、そのビートで演奏することを
真面目に考えるようなヤツは、ロックに拘り持つヤツほど皆無に近いと言えるかもしれない。
しかも、歌だけでなく、このLive版「柔」で見せる、その演奏は、美空ひばりのノリにのった絶好調な唄いっぷりにつられて、
バンドの方も、ノリがとても良く、けっこーな名演奏ぶりだ。

ゆえに、それは私だけでなく、その絶好調な大歌手の唄と「ビッグ・バンド」による名演奏を、
ロック畑の、たった3人で、それとタイマンはれるような歌と演奏をLiveでしてみせることは、
アレンジを変えれば可能でもあるけど、そのままでは、かなりのハードルでもあって、
しかし、それゆえに、私のようなものは、逆にやる気にさせることでもあるけど、
やる気があるというかやりたくてしょうがない私ならともかく、それをお願いされた、
G+Sの2人だけの演奏者たちにとっては、案の定最初のリハでは、これやめようよぉ!
と言うものが出てもまったくおかしくないくらいに、相当エネルギーと集中がいそーな、
大変で厄介なものだということが、その苦戦している様子からでも見て取れた。


「柔からさらに良くなったよぉ=!」「柔がセーボーの歌一番良かった」「まるで美空が取り憑いていたみたいに良かった!」とか何人かに言われたりしたが、みんなさすがだ。しかしそのみんなは自分の言ってることがそれほど的中してるとは思わすに言ってくるんで可愛いたらない。そゆわけでもう後半に入ると店に来てるヤツらたちのシュゴレーたちが、なになにヒバリいるの?ええ?どこどこ?とか言ってはどんどん集まって来てしまい、G+Sをみて自分も唄いたくなった美空さんの霊は本来の本体姿で、客席にいるヤツらたちのシュゴレーさんたちの大きな声援を浴びながら、私の上に思い一発でステージをこしらえ、もう美空ひばりショーが開催されてしまっていてグッピーが凄い事になってしまってる時の画像。ちなみにサイケを唄ってるときに現れた宇宙人でダチでもあるマルキン君が去年私から借りてったUterTシャツを返しに来たぞと言ってる光景も念写されている。


しかし、「G+S」の「G」は「ガッツ」の「G」でもあるような、
誇り高き負けず嫌いの「G」は、初日の苦戦の悔しさが功を奏し、それが気力を生み、
その「G」の姿勢は、もう一人の演奏者である「t」にも影響を及ぼし、
その本番では、「柔」だけではなく、全てにおいて、
あのような見事な素晴しい演奏を披露することが出来たわけだス。

そして、長い間ソレを唄いたい!と思い、それを思った以上に上手く果たせた私としては、
年齢相応に長く多いLive経験の中でも、おそらく心に残る最高の部類に入るほど、
ほんまに、WBCで優勝連覇を果たしたあのイチローのような気分で、
誰よりもそれを喜んだ、今回のLiveなんであるんでした。

さー果たして今回の、そんないわくつきのG+SのLiveが、ココで私がせイチローになって
大胆にも平気で書いてしまったような、
観に行かなかったことを30年は後悔するようなLiveであったかどうかは、
観に来た側のおめーらにしかわからない事なので、やった側の私には、言える事ではないが、

観に来たヤツらの中で、来なかったら3ヶ月くらいは本当に後悔したかもしれない、
うん。来て良かった。と思ったヤツは、きっといると思う。
ぐらいな事は、平気で言えちゃうほどの、まんざらそれは嘘ではないLiveだったと確信出来ちゃう。

その私の気持ちを強く支えるものが、「柔」だ。


そゆわけで最初からあんなまるで巫女状態のような形の「守ってあげたい」とかやっちまったせい?で後半みんなの波動を媒体として引き寄せた大勢のシュゴレーたちでゴッタがえするは、そのグッピーの店内が醸し出すプラーナ(空気)によって美空ひばりショーが突然開催されるは、一体どこの何の誰のLiveなんだかわからないほどではあったが、グッピーでの初のこのG+SのLiveは、ココで書いたとうりに、見れなかったヤツらを30年は悔やませる2度とは出来ないほどの完璧なものでもあったので貴重で価値あるLiveとなり大満足のG+Sであった。気付くと、リハの時から「G」の体中に入っては中からキラキラ輝き続けていたいろんな光子たちが、「M-ILU」から最後の「U gat the Future」になるともう溢れ出して来て、みんなを光り輝かせる本性姿のかみさま体をお晒しにされては、何故かまったく同じ方向を見つめているGとS。二人はこの時何を見ていたのか。それは秘密だ。
(SELMA took all photographs)


それは、完璧にこなせたことで、またやる意味が今のところ見当たらないので、
少なくともあのテンション「やる気」で「柔」をLiveで唄う事はないだろうし、
自分自身にとっては、何回もやる曲ではないので、
おそらく今回のG+SでのLiveだけの、1回限りの事であると思える事から、
そう確信出来ちゃうわけでもあるんでした。

そして、やってみれば判明するだろうと思っていた、
何故にそれほどまでに私は「柔」をLiveで唄いたかったのか?
という謎は解けたのか?というと、それも解けたんでありやした。
それは、何であったか。
それを説明するのはまたえらくめんどくせー個人的な事でもあるので、
あえて説明することでもないだろう。知りたいヤツがいないかぎりはいーべな。


つーことで。観に来てくれたおめーたち。ども。あざぁ=っす!

次回のLiveは、8月8日。ニューヨーク、マジソンスクエアガーデンでの、
マイケルジャクソンとの競演Liveどあ~す!って嘘だ。って言わなくともわかるわってか。
「嘘だと言わなければ嘘だと気付かなかったよぉ=もぉ=う!」とかマジで言うヤツがいたら、
そいつはどんなヤツだろう?と空想するとおもしろくけっこう暇つぶせるぞ。
俺の空想するに、ソイツはきっと想像を絶するほどの大物だな。
とか空想するとねおもろいぞ。

つまりそんなことが、俺が柔やったのと同じように。
自由な創作力を生み出すためのエネルギーにもなるわけだスぅ。よろしくぅ。ね。ね。ね。と。


つづく


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【いきなり2-Live/3(G+S絶対面白し)】

2009-04-05 | ・Live


春じゃん。

去年と違い、自分にとっての今年の春は、なんだか眩しすぎるくらいに華やかで、
去年の今頃は何をしてたかとiCalを起動し思い出すと、ああそーか。
自分のバンド「Saybow&the Wipers」に没頭してたんだった。
陣痛的な状態だったんだった。そのまま陣痛はまだ続いてるけど。

「陣痛=生みの苦しみ」と言ったら大袈裟だけど、
完全主義者の愚かな過ちというか、何しろ私はせイチローなので、どうせやるなら、
むこー30年は太刀打ち出来ないようなモンやってやろおーじゃねーか。

「私たちは間違っていました!基本本質を忘れてものづくりに専念せず、偉そうなことを言っては、
所詮。オンガクをミュージシャンを、内容優先ではなく、紙切れ=紙幣優先のように扱う
私たちはリーマンブラザースに成り下がってしまっていましたぁ=!」

「それより。マウンドに国旗とか立てんのやめてな」

とか、言ってやろっかなぁ。

あ。どうせならついでにこんなことも言ってやろかな。

それから君らと同じように不景気ともにツルンデるテレビ局とかにも
自分たちと同じようになるな。と言っておやり。
そうわいってもいろいろ大変なんすよーというのもわからないでもないけど
『受信者』たちの視聴率ばっかに、支配され振り回されてたら
『発信者』としての意味も価値もなくなんのは当然だろ。
それにも気付かず誰もとめるやつもいないまま平気で本質から外れ続けて流れて行けば、
必要とされなくなんのは当たり前だろって。意味も価値もなきゃ必要ないべ。
スポンサーが見つからないとかいって、不況のせいにしてるけど、『発信者』なんだろ?
自分たちが役立たずなだけじゃん。「有用」におなり。セーボーのブログって知らないだろ。

とかばんばん言えちゃうくらいな勝ちかたでもしちゃうかなぁ~。

いやっ!待てよ。

それだと、まだ戦う前から勝ったも同然状態だ。あ。こりでわいけない。
勝ったも同然状態の「勝負」なんて、意味も価値もない!

って、去年の春は、まったく私は、イチローだったかもしんない。
でも、よかったよ。Liveやらなくて。正解だったんだ。それをイチローは教えてくれたよ。

WBCの記者会見の時に言った「むこー30年~~」発言でイチローは、
予想だにしていなかったそれわそれわ屈辱的なえれーめにあって、
今日もニュースで、イチローが胃潰瘍で開幕出場絶望。とか言ってたけど、
優勝した時あんなすべてが解放された顔で元気にはしゃいでは、
見てるこっちも抱きつきたくなるほど愛しいイチローの姿がまだ印象残ってるけど、
いまだにイチローの「屈辱」との闘いは続いてるみたいだ。頑張れイチロー!

「侍」の弱点は「屈辱」だから。


いくら「有能」能力ある天才イチローでも、そのときの「チーム」で「有用」役立たずであったら、
みんなと同じように、心折れんばかりに、苦しむわけだ。しかも、「侍」だから人一倍。

人間の「心」は、公平平等自由。ほんとーにニュートラルなんだね。

「有能」よりも「有用」なんだね。

だけど、だからこそ。今回のWBCの日本連覇の大河ドラマ。本当に素晴しかったんだね。
ほんとーにほんとーに。深ぁ~い意味あり価値ありありありの。真実!いいもの見せてもらった。
それは、歴史に残る超一級のエンターテイメントだった。

何書こうとしてたんだっけ? イチローとWBCの話で盛り上がってしまった。



とにかく。去年の春の私は、ちょっとしたせイチローだったのな。

で。今年の春......も、せイチロー......なのか...なんだけど、
今年の春のせイチローは、Liveやれるので、はなやかにぎやかなせイチローの春なのな。

今年の春は、そんな去年の春とちがって、2つもLiveやるんだから。

勿論、自分にとってこの「T」と「G+S」の2つのLiveは、充分やる意味や価値がある。
別に固い話じゃないだろ、なければ金もらう資格がない。というだけの話だから。

で、どちらのLiveも「自分のLive」つまり「ゲスト出演」じゃないので、
自分にとって、十二分にワクワクするほど意味や価値があって、
ホントやるの楽しいし面白くてしょうがないと思ってんだけど、
あえて「自分」にとってどっちが面白いかと言えば、それは、はっきりいって「G+S」だ。
それは当然だろ。そっちのが、断然、侍心、刺激すんもんよ。

「G+S」のLiveは、「T」のLiveよりも、自分を追究し挑戦させる事が許される世界だから。

私は、みんなに負けないくらい「T」ファンでもあり「S」ファンでもあるけど、
ファンとしての自分から思うと、「T」の時のセーボーは、ずっと TENSAWのセーボーでいてくんなきゃ嫌だし、
その「枠」を大切にまもり歌うセーボーを「生=今」で見る事の意味や価値を知ってる。

しかし、「G+S」でのLiveは、思いっきり「枠」をとっぱらった「S」こそがみたい。それは、
どっちかみればいいようなLiveでは決してないし、コッチはおまけだみたいなLiveにしたら許さねーぞ。となる。

ね。ちゃんとファンだべ。えれーべ。

当たり前だ。そうじゃなきゃ、「G+S」やる意味がないもんな。
そんなんだったら、金もらって見せる資格も意味もないから、「T」だけにしとくもんな。普通。

「G+S」のLiveを見たことで、見なかったヤツの何倍も、
次の「T」のLiveが楽しめるようなLiveが、来るべき「G+S」のLiveだ。
その自信は、わいりーが、100%もう準備出来てる。

だから、「T」だけでなく「G+S」のLiveの方にもみんな来いよな。なんてこと言う気は毛頭ない。
そんなこと言った時点で、もうそれはつまらないLiveになっちゃうじゃん。
だから来るも来ないもそんなことはみんなの勝手でいい。

俺は、去年のソレと違った意味で、もっと生長させた意味で、
見逃したらむこー30年ずーっと後悔するようなLiveをやってやる。
と思うこと。そして実際にそれをやっちゃうこと。だけに集中楽しんでれば良い。

こんなおそろしい勇気のいる事言えるヤツは、俺とイチロー、または、本当のアホしかいないぞ。

心を折ってとことんへこむ事も実力者=侍の証拠であることを、
今回のWBCでのイチローが、せイチローの俺に教えてくれたことだものよ。

とかどだ。安心しただろこのやろ。


つづく



今年はこの「T」的世界の同志や仲間たちからこのように自由を奪われながらも大事に優しく護られ、このようにたくさんの愛をもう本当にうれしくもこんなにももらい、そのまま首輪つけられて奴隷のように自由を奪われどこにも出れない捕虜として捕まったベトナム兵士みたいだとかちがうちがう本当にもうこんな愛すべきおめーらたちにこんなホント感動っす!感謝だス!けど愛もほどほどにしてくんないと一人で対する俺は気を遣い過ぎてクタクタだてめきしょ。そーか!愛はやはりもらってばっかじゃ人間サビついてしまうなうんやっぱいくら尊敬され愛され過大評価されようと、俺に対して本気でそういう思いを純粋に愛を訴えくるヤツらに対して、俺も負けずに愛を与える側にいよう!


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