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【あいにおしつぶされそう(追記編)/TENSAW Live at Show Boat 】

2011-10-18 | ・nTinDEEP





ほんとおしつぶされそうでした。まいったわ。おめーらにわよ。
ショーボートのTのLiveは、おめーらのおかげで、
今までのそれわそーじゃない!って感じの、追究されてるぞの、
本当の「TENSAW復活Live」になってしまいやした。

だから、おめーらはホント大したヤツだわ。
それでもまだ、「本当のTENSAW復活Live」があるのか?とも思わせられる。

でも、おめーら。ってな、俺も含めたみんなのことだからね。

何それ? じゃ、おめーら。じゃなく、みんな、じゃん。

つーか、う~んいや、あ~、おめーら。って、俺も含めたみんなのことだね。

また変なこと言い出してるよこいつは。

俺も含めたみんなのことを、みんな、ではなく、 おめーら。
って思えることが、エネルギッシュなんだ。つー話だ。

さっぱりわからないけど。

さっぱりわからないことが好きだ俺。
わかればわかるほどさっぱりわからなくなる。ことが好きだ。

「わかってる」「わかった!」とかいうのより、
「さっぱりわからない」のが好きだし信頼できる。

「わかった!」になると、
もうそれで打ち止めしちゃう。はいこれにて終了。おいもっと奥あんだろ、
つーか、そんなことなのかな。つまらんな。もっとオモロい事だと思うがな。
それで解決になるかな。とかウゼーけど、俺はそうなる事が多いのな。だから、
すぐに簡単に「わかった!」とか「わかってる」いってるヤツは、どうしても、
本気でわかろうとしてんのかなコイツ、わかったフリしてるだけだろ、とか思えてな。
ま、俺はソイツ本当にわかってるのかわかってないのかわからないわけだから、
信じてあげなきゃいけないんだろうけど。

でも、 「さっぱりわからない」だと、俺は好感もてるつーか、
コッチの方が、本気でわかろうとしてる、ように思えてな。
さっぱりいえる分だけ大したもんだ、わかろうとしてる、つーのがどんだけかってな。

わかってしまうことより、いつまでも、わからない、だから、わかりたい、
してる方が、俺は楽しい。

わかっちゃったら、それでもうおしまいで、先がない。その先を見なくなる。
でも、わからないと、わからなきゃいけない。という声が、
その時、どっかから聞こえてくるじゃん。

その、聞こえてくる時ってのが、俺は好きでな~。
宇宙と一体になってる感じになるんだわなぁ。オルガじゃ。
あ~俺は宇宙に一人だけではないんだ。と、感動で涙出そうになるほど、安定する。

だから俺は、とにかく、わかってると思ってても、
基本「さっぱりわからない」派なのな。

「わからない」から「わかった」になる。時間軸では。でも、
「わかった」から「わからない」にもなる。つまりが、
「わかればわかるほど、わからなくなるはず」という、
基本「さっぱりわからない」派なのな。

わかったと思って、あ~これでもうこの事については解決終了だな。
とか思ってると、ふとそこに、階段がある。
突然あらわれたようにして。
あれれ、今までなかったはずだけど、とにかくそこに、階段がある。

どうゆわけか、私は、階段好きらしく、あったら無性に昇りたくなるみたいで、
いや、疲れてるからかったるいべ、おいおいけっこう段数あるぞおい、
エスカレータもないしやめたほうがいいぞ、とかあーだこーだ悩みながらも、
結局、昇ってしまう。タバコやめようと思っても結局吸ってる。

はーはーぜーぜーしながらも、昇りきると、すると、そこは、
当然、前よりも高台なので、マクロ世界になってる。

視野がまた一段とひろがっていて、よく見ると、素粒子のように、
「わかってる」と思えてたものに、「わからない」ものが、
クモの糸のようにいっぱい繋がり張り付いてて、
わかってたものが、わからないもの、になってるわけだス。
わかってたものには、もっと複雑なわからぬものが在る。ということが、わかるわけだス。

それは、「わかった」から「わからない」わけで、
「わかった」ことで、「わからない」ことが「わかった」わけだス。

「わからない」から「わかった」になるけど、「わかった」から「わからない」にもなる。
つまりが、「わかればわかるほど、わからなくなる」ので、

だから、わからなくたって、いいんだもんな。

バカだと思われようと、安易に「わかってる」などとは思わないようにしよ。
そんな事より、「わからないから、わかろうとする」方のが、ぜんぜん重要じゃん。
そっちのが「本質」じゃんと思う、私は、そんな、基本、
「さっぱりわからない派」せーちゃんよろしく。

せーちゃんよろしくじゃねよ。また自分の話になってるじゃねーか、脱線だ。だっふんだ。

とにかく、さっぱりわからずとも、

俺も含めたみんなのことを、みんな、ではなく、 おめーら。
って思えることが、エネルギッシュなんだ。

俺の「おめーら(みんな)」には、必ず俺が含まれてんだ。

さっぱりわからずとも。俺のファン(Tファンも含めた)は、
典型的な、その「おめーら」だからね。

俺のファンは。。。。って、何か他の言い方ないかね。
「Uter」というのがあるけどね、それは、ココ、「UDJ+Artworxファン?」

とにかく、おめーらは、典型的な、その「おめーら」だからね。

他人だけど、他人じゃないんだ。俺には。

そこの他人じゃない加減が抜群なんだ。俺(たち)のファンは。。。。
やっぱ「俺のファン」って、やだわ。
何か他の言い方ないかね。誰かあったらおせーてくれないか。
おせーてくれたらお礼にフランス料理の上手い店あるから、
おめーは、フランス料理の下手な店探して、どんだけまずいか俺に教えてくれないか。

って、それ他にもどっかで書いてたおぼえあるw。

私はコントや漫才の作家ではない、

なにしろ、とにかく、おめーらは、典型的な、その「おめーら」だからね。

おめーら、には、あいがある。

おめーだよ、おい、おめーらのことだよ!

俺のことだけどな。

俺も含めたみんなのこと。おめーら。

そんなおめーらに捧げやす。
(「下」の「おめーら画像」クリック!「上」の小さな「おめーら画像」では「おめーら代表団」が)







【 Thanks for U from SRXS at 7Th / 2 】

2011-10-05 | ・nTinDEEP



はい。つーわけで。

最近、「自分にはツイッターがむいている」
つーことを知ってしまったことで、
ここの、私のブログでもある「UBA」の更新がめっきり減ってしまい、
数少ない、UBAの愛読者のヤツらから、
たまに、嬉しくも、叱られたりして。申し訳なく思ってやすが。

そのツイッターでしつこいほど言ってる感じでもある、
ずーっとここ最近、自分の「アンテナ」から、しつこいほどに聞こえて来てる、
「エネルギッシュ」という声。

それについて、最近、その意味が、少しわかりかけてきてやすね。

それは、これからの人類の未来における、大きなヒントでもあるじゃん。
てな、感じに、ちょっとしたもんになってやす。

だから、その「声」に、そのまま引っ張られてる感じは、
決して悪くなく、とても心地よく新鮮で、非常におもしろいです。

また、ソレ自体が、自分にとって大きな心の支えにもなってたりもしてるので、

「エネルギッシュ」という、そんな声が、今も、しつこく聞こえて来る、
だけでなく、自分からも、その声をつかまえ、自分のところに、
連れて持って来てるのかな。とかねん。

久しぶりに、そんな「降りた」現状に、1人で、興奮、盛り上がったりしてる、
タダイマ付近の感じ。なわけですわここさいきん。

とゆーそんな中で、突然!

「Saybow & The R+X+S」再結成Liveの話が、おりて来たわけですわ。

そうだス、このバンドは、かつて、自分が最も情熱を注いだ、
はじめての「自分のバンド」であり、私を最も「エネルギッシュ」にさせた、
希望の「B級バンド」だったんでやんす。


みんなはもう、よーく知ってると思うけど、

俺って、音痴だし、うた下手じゃん。
俺って、「歌手」としては「B級」なんだぜ。

たとえば、TENSAWというバンドは、メンバーたちが、
それぞれインパクトのある優れた一流ミュージシャンでもあるので、
怪物バンドと言われたりもしてるけど、それは、俺以外の3人のことだ。

俺は、それなりの才能はあるけど、「ミュージシャン=歌手」としたら、
だから、音痴だし唄下手だし、意外なほどにハモニカも下手だし、
優れた一流ミュージシャンだ。なんて、そんなこと決して言えない思えない。

私は、まっこと「B級」ミュージシャンなんだってな。

だって、俺が、もしも、それこそ、歌唱力だけでなく、
しゃべりからアクションからパフォーマンスやら全てにおいて、
ほとんど完璧レベルの超プロ「上手い歌手」だったとしたら、どだろ。

そりゃ、唄は上手いだろうし、ステージ上ではそれなりだろうが、
きっと、プライドばっか高くて、人間的には、やらし~くてワガママで、
ドスケベで最悪な、いやぁ~なヤツだと思うぞ、唄、
フレディ・マーキュリー級に超上手い一流歌手の俺とかw。

そういう意味だけでも、
俺が「B級ミュージシャン」であるということは、
みんなにとっても、良い事だべ。
「B級ミュージシャン」の俺は、みんなの側にいるからな。
寅さんみたいに、いよぉっ!って、言えるくらい側によ。


でも、俺は図々しくもどんな中にでも平気で入れちゃって、
ナマイキにけっこーうまくやれちゃったりもする。

それはさ、自分が「歌手」としては「B級」である。
つーこと、よーくよーく、わかってるからなんだ。
しかも、「B級」として見るなら、俺は、下手な「A級=1流」よりも、
断然おもろかったりもするぞ。とか言っちゃったりして。

昔の自分と違って、自分の力どれほどだかよーくわかってる。
つーのもある。それも、「B級」であることをよーくわかってる強みだ。


でも、最初からそうだったわけじゃない。
最初からそうだったら、意味違って来る。
最初からそうだったわけじゃないから、強み出る。なわけで。

そのことで、苦しんだりもした。
やればやるほど自分の唄の下手さに気付かされ、
自分は「B級」などと思うことすら怖くて出来なかった。

ついには唄う事にほとほと自信を失い、
Liveで唄う事がマジ怖くなり、こんな歌手なんてやめよう!
とさえ思ってた時期も、あったんだよう。知らなかったべ。

ウソかもしれないけどw。

くっそぉ=!歌手なんてちっとも面白くねぇや!
どいつもこいつも爆音出し放題にしやがって、うるさくて、
俺の唄なんて、ちっとも聞こえねぇ~わぁ!
ああ~~~~~つまんねぇ~のぉ~~~~!

よしつ!俺は、これから、AV男優やろ!

AV男優なって、あの女優と、俺もあんなこととかあんなことなんかもして、
たまに、寝不足でたたなくて、監督に叱られ、女優にムカつかれたりして、
さびしー思いもするかもしれないけど、何がたのしそーったら、うだうだ。
そら、AV男優っきゃねっ!オラ、AV男優さなるべ!

となってる俺を救ったのが、悔しいかな、自分ではなく、何と、ファンの声だったんだね。

「セーボーは、だからいいんじゃん!」だって、、、、、、、。

完全バカにされてるじゃねぇか。

ヘタクソだからういいんじゃん!ってなんだてめ。やってられんわ!
コイツら皆殺しにして、歌手などもう絶対にやめよう!
と思ってもまったく不思議ではないくらいの、
腐り切った根性ガエルのその時の私だったとゆうに、何故か、
不思議にも、そのファンの声に対して、そんな反応は、出ないわけだス。

何故なら、

よくみると、うっ。ソイツらの瞳には、愛がある。

それはどうしてもバカにしてる目ではないように思えるのでした。
瞳が愛の状態のまま、人をバカに出来る人間など、
この世にいるわけもありません。

しかし、愛というものは、恐ろしいもので、私は、ソイツらの瞳に秘められた、
恐ろしい恐ろしいその愛を感じるやいなや、
「俺をバカにしてるのは、コイツらではなく、俺の方じゃねーか!」
と一発で、事の真実を、思い知らされてしまうんだもんよぉ。怖いすねぇ愛って。

しかし、おやおや?何だか、なこと言ってはいるのだが、
何か、気持ちが明るくなってきてるような、あはははは、いやいや、あれ?
そんな自分の感覚が、、...ええ?.....おおお、周りの景色までが、

何だかじわじわと変わってきてるような、
それまでどんよりとしていたネズミ色した重い空気が、
妙にキラキラし出してきてるような。

人間は、愛を感じられるようになると、その状況も、
それを感じたとおりの世界に映し変えてしまう、みたいな?

現に、私は、ファンの瞳からソレを感じるやいなや、
それは、そんな、立ち直れぬほどの恐ろしい事などではないわ、
落ち込み襲われるような事では毛頭ないないないないないないないないないと
ないが永遠にエコーしつづけいつまでも終らないような、
恐ろしそうでもありそな幻聴が、今度は私を襲います。

しかし、確かにうん落ち込まないないないとかゆう幻聴聞こえてくるけど、
別にそれで、急にビルから飛び降りたくなったり、いきなりもがき苦しんで、
発狂してしまいそうになったりもしないし、何だか、心地良く、逆に、
もっともっとないないないないって幻聴に襲われたいくらいに思ったりして、
あららそっちの方でヤバいのか、とか、思う間もなく、
そっちでヤバいもどっちでクソもねーからほれはよこっちこいっ!
という感じで、余計なところにいることなど一切吹っ飛ばすかのようにして、
一瞬にして、また、

「セーボーは、だからいいんじゃん」

というファンの声のところに戻されてる。

戻されて、またあらためて、その声を聞かされてるわけだス。
実際には、自分で聞き直して(考え直して)みようと動いてるわけだス。

そして、聞き直すと、あらららら、ほんとだ、

最初とは全然違う感じに聞こえて来る自分になってることに気付かされます。

「バカにされてるわ」と思った最初とは全然違って、

「そうか!うわ!それでいいんだ俺!いいのか!うわっ!そうか!ありがて!」

と、さっきまでの自分はどこいったと思うほどの気持ち悪いくらいに、
まったく素直に受入れては、しっかり救われてる自分が、
厳然といちゃってるわけでした。

愛とは、感じることであり、感じられなければ、愛など知る事も出来ない。

わけだが、あんなに腐り切っていた自分なのに、
ちゃんとに自分のアンテナはソレを感じる事が出来た。
ことに、とても驚きました。

「心の法則」では、心があんな状態であったら、
ソレは、まったく感じられない
まったく受信不能な状態になってるはずだから。

その謎はいまだにわからないけども、その驚き、インパクトは、
そんな自分に対してあきらかに、変化を及ぼしました。

気付くと、涙が出てました。そして、

「セーボーは、だからいいんじゃん」
というファンの声は、本当に私を救ってくれたわけだス。

気付くと、自分の中に「歌手」としての自覚が生まれていやした。

それが、歌手セーボーの誕生です。
ずいぶん遅かったわけです。歌手になるの。最近ですか。

私は、情けなくも、「歌手とは何か?」ということを、
ファンから教わったわけです。ふつうは逆だろって。
そんな話を本にして、売ったりもする側だろ、だから俺側だろ。
だけど、ファン側だ。ってなんだよ。ちきしょう。

でも、それで全然良いわけだス。
そんな感じは、実に良い感じなわけだス。

何故なら、私は、「B級」ミュージシャンだからだス。

「B級」の世界は、一方向ではなく、
どちらの方向、どちらの側でも、自由自在に、主役が変わります。
何故なら、ステージの上にいようが、
客席にいようが、みんなレベルはほとんど同じだからだス。
というか、その場ではみんなちゃんとレベルを一緒に合わせられるからです。
「B級」の世界は、人の心の傷みなどが、「A級」の世界よりも、
親身に分かるので、逆に優れてる部分が、探せば山ほど出て来たりもするので、
「B級」の世界は、宝の宝庫とも言えるわけです。

たとえば、私は、ファンの声で、このように救われ、
歌手というものを教わり、歌手としての自覚が生まれ、
ファンの声で、歌手セーボーは、誕生したとも言えるわけですが、

私が、もしも、フレディ・マーキュリー級の「A級=一流」で「B級」でなかったら、
ファンは、私にそんな声をかける機会も必要もなかったでしょう。

ただ、その唄声に聞き惚れるだけだったり。俺は俺で、
黙って俺の唄を聞け。な世界だったり。

普通のコンサートホールで。
大掛かりなスタッフばっちり流れどうりに働き、
別にハプニングとか起こらずな、
しっかりと進行その流れ仕掛けの決まった、台本どおりの世界で。

「B級」の世界には、そういう「A級」にはない、
何が起こるかわからない。ような、まさにヘタクソの「生」みたいな、
感じ次第では、十分楽しめ素晴しい世界にも成りうる、
そうゆうものがありやすね。
まったくもって、私に相応しい世界ではありやせんか。

自信をなくしてる時に、「B級」だと思うのと、
自信を取り戻して、堂々と「B級」だと言えちゃうのでは、
まったく違いますから。

私はファンの声のおかげで後者の「B級」として、
生長することが出来やした。

「セーボーは、だからいいんじゃん」

それは、私が、
完璧超プロ級の「唄上手い歌手」じゃないからいいんじゃん。
って、ホントに私もそう思うわ。

フレディ・マーキュリーじゃないからいいんじゃん。
あんな唄上手かったら、絶対に嫌なヤツだから性格悪いから俺。

とにかく、そんなファンのおかげで、
新生したかのようにして再び「歌手」としての自分に目覚め、
自信も得られるようになり、
歌唱力も「自分なり」のレベルにまでは上達して、今では、しっかりと
「セーボーは、だからいいんじゃん」という世界、
のほぼド真ん中付近に、俺いてやすから。

だから、俺は、いつでも、Liveで唄うときは、

こんな俺だって、やる気でやれば、ここまでやれちゃうんだから、
おめーだって、やれないことないんだからな。
ただそこまでやる気がないだけなんだからな。
やれなかろうが決してやれないもんじゃないんだからな。どだ。
俺がやってんの見ると、おめーも何かやりたい気になるべ。

てな気持ちで唄ってる。てな気持ちで唄う事が、
唄ってて一番充実感を得られる。

それは俺にとって、ピッたしの世界だス。

それは、とてもやり甲斐を感じるし、唄う意欲も出る、
常にモチベーションを維持してステージに立つ事が出来る、
そして唄えば唄うほど、大きな幸福感に包まれ、元気になる。
このスタンスなら、ずーっと唄い続けること出来る。
宇宙と一体になれる。

つまりエネルギッシュになれる。

私はまったくもって、「B級」ミュージシャンタイプであり
実際、「B級」の歌手だ。

でも、ふつうの「B級」とはちょっと違う。
ちょっと違う。って、どこが違う?、

それを、Liveで見せるわけだ。

それを見せて、Liveに来たみんなを喜ばせたり、または、
すべったりもして、すべったりころんだりして、どんなになっても、
みんなしっかり楽しめてるような世界。がそれや。

それは、けっこーなチャレンジであり、スリリングで、やり甲斐あって面白い。わけだス。

それは「B級」なる世界でしか、味わえない。

という「自分」の自慢話はもういいかげんにしろ!
って、怒ってやったからな。おめーのかわりに、
はいはい、で、どうした?

とにかく、そんな苦節うん十年的なる時を経て、私は、まず、
「ファンの声」に救われ、「ファンの声」で、生まれ変わり、

そして今では、やっと、す。
自分自身のアンテナから、その「声」を聞けるほどに、
自家発電なる生長をしたともいえる私でもありやす。

そのアンテナからずーっと、今でもしつこく
「エネルギッシュ」という声が聞こえたりしてる、

そんな中で、突然、
「Saybow & The R+X+S」再結成Liveの話が、
私のもとに、舞いおりて来たわけです。



「B級」ミュージシャンとしての自分に、自信と確信を深めた当時の自分にとって、
このバンドは、そのメンバーからして、もう最高の「B級バンド」として、
用意万端、はじめての「自分のバンド」として結成されやした。

それは、その時の私にとって、
今までで最高の情熱を捧げずにはいられないバンドでした。

しかしどうやら、その私の情熱は、けっこう個人的なものでもあるらしく、
メンバーたちにとっては、少し、異常に思えるようでもあったみたいです。

そこで、私はあえて、このバンドのバンド名を、すでに決めていた、
「The ReMix」を取りやめて、「Saybow & The R+X+S」として、
まず、そんなバンドの最初の状態を、そのままバンド名にして、記録する事にしました。
Saybow 以外、まだ記号でしかないわけです。
しかし逆にSaybowと書かれてる方が恥ずかしくも思えます。

このバンドは、今はまだ「Saybow & The R+X+S」であるけども、
やがて、蝶がさなぎから抜け出て羽ばたき飛び立つように成長した姿となったら、
やったぁ=!ついに、「The ReMix」だ。に変えるもんに。

的な長い時間をかけて、じっくりとやって行こう、
みたいな楽しみ方、考え方で、ありやしたね。

そうゆうバンド名一つとっても。
かなりこのバンドに熱く入り込んでいた事が、わかるっしょ。

しかし。

ふつうなら、この時の、そんな私は、
当然「エネルギッシュ」であった。と言えるはずです。

でも、悲しいかな、残念ながら、それは、今の自分の認識の中での
「エネルギッシュ」と言えるものでは、ありませんでした。

その時の私の「情熱」ぶりは、やはり、少し異常だったわけです。

「エネルギッシュ」と呼ぶには、あまりにも、自我が多過ぎたというか。

それは、このバンドが結局うまくいかず解散するに到った理由の1つに、
私のそのバンドへの「情熱」も、含まれている。
という事は、その証明となるかもしれません。

その時の私の「情熱」ぶりは、「エネルギッシュ」とは言えないものでした。

何で?

今の自分にわかってることは、

「エネルギッシュ(になる)」というのは、
「宇宙との調和」ということ。だということ。

宇宙は「生命」の源であるから、それはまた、「生命力」でもある。ということ。

だから、それは、基本的には、殺す(解散)ためのものではなく、
生かすためのもの。でなければ「エネルギッシュ」と言えないわけです。

だけど、震災や、台風などの、天気によるものは、
みんな、エネルギッシュです。「生命力」から来てます。天は大きいので、
人は蟻ほどにしか思えません。だから、乱暴なわけだス。
それに、天気つまり、天の意識には、ちゃんと死後の世界というものが存在してるので、
それほど罪悪感はありやせん。
そう思えるほどに、自分はそれと比べ、大仕事をしている。
という場合が多いからですかね。話がそれました。


「エネルギッシュ」それは、

「融合」するための力であって、
決して「分裂」させるためのものではない。ということです。

それはまた、崩壊することではなく、構築すること、組み立てること、
創造すること、つまり、「生命力」だということ。

「エネルギッシュ」の王様である「太陽」をみると、

「太陽」は、「核融合」によって、自分を岡本太郎=爆発させながら、
私たちに生命の光を、与えてくれてやす。一時たりとも休むことなく。

実用化はまだ難しいけども、原発においても、
今の「核分裂」ではなく、「太陽」と同じ、「核融合」によるものだったら、
現在のような問題は起きなかっただろう。という話はいいとして。

とにかく。

それでも、それほどまでに情熱を捧げたこのバンドは、
ある時期までは、それゆえに順調に素晴しい成長ぶりを見せていましたが、
その存在がだんだん知られるようになり、評判もよくだんだんと注目されるようになって、
本当にあともう少しのところ、という時に、つまらぬことで、
その活動を終了しなくてはならない結果になってしまったわけですが、

それは、自分にとっては、納得のいかない、悔いののこる
とてもとても、後味の悪いものとして、ずーっと今も、
自分の心のはしっこで、片付けられずに放置されたままになってたわけですが、

そんな中で、

「アンテナ」から聞こえて来たその声、「エネルギッシュ」は、
私の心に残った核廃棄物をも、払拭させるものでもあり、
とにかく、実際に、肉体感覚でその必要性や重要性を感じて、
それは一体どういうことであるのか、導き出してみなさい。

てなことを、私にやらせるために、

突然このバンドを、私のもとに、降ろしてきて、
再結成Liveをさせようとしてきたのではないか。と思ったりしてやすが、

あぶないこいつとか思われるといけないので、とかねん。........... ってつけとこね。


何しろ、7Thで行われた、
「Saybow & The R+X+S」の再結成Liveは、(何年ぶりになるんだ?)
そういう意味やらああいう意味までもあって、
その謎やら深すぎるその内容からして、自分の中では、すでにもう、
今年最も、感動的で「エネルギッシュ」なLiveであったこと、
今年の自分のLiveの中では、あきらかに、ダントツで、ナンバーワンのLiveだった。
わけだス。

だけど、自分の情熱さから失敗させたバンドということもあって、
ステージ上においては、決してそんな熱い自分は、
出さずにいようということを心がけていたせいもあってか、
下にリンクされてる「感謝の記録」たちを今見て見ると、
ヘラヘラし過ぎてるように思えたりして、ちょっとみっともない。ま。
自分は、特にLive用(純生タイプ)のヤツでもあるので、
自分のLive映像ほど恥ずかしく、ある時には屈辱的なものもないけども、
そんな意味としてではなく、
それは、しっかりと、UDJ+Artworx なるものであるから、
「感謝の記録」というものが出来たわけだス。

しかしそのおかげで、次にこのバンドをやる時は、
必ずモアベターなるものであることを確信出来やした。

今回の7Thで行われた、「Saybow & The R+X+S」の再結成Liveは、
ジブンチのアンテナが受信した、
「声」=「エネルギッシュ」なるものを基盤として繰り広げられた、
久しぶりにエキサイティングなジブンチの事件でもあったわけですが、

でも、ジブンチの事件ほど、自分が盛り上がれるものもない。

つーことも言えてしまったり。

はい。ということで、何言ってんだかわからなくなってきましたので、

最後に、このLiveを実現、協力してくれた、
バンドのメンバーや応援してくれたみんな、7Thの人たちに、感謝を述べ、
おしまいにしやしょう。

そして。これが、その、

「感謝の記録」だス。