U+B+A :udj+blog+artworx

welcome to U+B+A in saybow(2005~)

【物語わその章の終わりを飾り新しい章へU+G+F】

2007-06-16 | ・nTinDEEP


'U' gat the Future

つまらない時間は 空に捨てよう
雲がそいつをつかんで 雨に流してる
hey,うまく流せば 晴れわたった ブルー
So , 'U' gat the Future every time

くだらないコトバは軽くこなして
適当なリズムで 煙に巻いてやろう
hey,うまく舞わせば Smile,笑い声響く
So , 'U' gat the Future every day

ミライ それは夢じゃないかなり本当の出来事
ミライ それは嘘じゃない real way so way

いかさない悩みは お前には必要ない
アラシが遊びに来て 片づけてくれる
hey,うまく掴めば blight,道は続くよ
So ,'U' gat the Future every life

hey, U' gat the Future every Time
hey, U' gat theFuture everyDay
hey, U' gat the Future hey, every LIFE now




さてさて。

ここらで、またココUBAだけでしかあかせない、
内緒の話をみんなにしてみようかぁ。とか思うんでありやす。

私にとって、何が一番つらい...つーか、悲しい?....つーか、
せつない?...つーかクヤシい?...つーかあー
どれもこれも的確な言葉が当てはまらないほどに
難しくて困ってしまう事があるのです。

それは、「UDJ」という、
本当の「自分自身・仕事」の本質的な屋号を生み出すことで、
おかしな権威の渦の力に引きずり込まれることなく、頑張って、
ナニモノにも染まらずに、どこにも頼らずに、弱くならず、
休業や停止することもなく、それこそずーっと現役ばりばりのまま、
いまだにここまで自分だけの力で、何とか頑張ってやり続けている俺は凄いな!
なアホなこと。やれるもんならおめーもやってみなさい!
やれったって誰でも出来る事でもないぞ!とかとにかく、
そんな困難な世界の中で、それでも「いまだにやり続けている自分」を、
自分だけでも抱きしめてほめてやりたい!と思ったって、
決して気味悪がられる筋合いはない。と思えるほど、だからとにかく、
いまだにやりつづけてる私に対して、

「何でもいいから何かやりはじめてくれたらうれしい」

と、本当に愛情から、心配され、言われること。

これほど、つらい...つーか、悲しい?....つーか、
せつない?...つーかクヤシい?...つーかあー
どれもこれも的確な言葉が当てはまらないほどの、
難しくて困ってしまう事はない。

それは明らかに、俺のことを好きゆえに言ってくれる優しいヤツらの、
有難い愛情。そのコトダマだから。

だから、そう言ってくれるヤツらに対して、
大丈夫しっかりその愛を感じられる私は、有難いとは思えど、
決して文句を言う筋合いはありやせん。ありやせんのですが、
ただ1つだけ。言わせてもらえるなら。

それはTのsaybow。または、「歌手」としてのsaybowに対して、
言ってくれているコトダマだと思うのでありやす。

だけど。

「歌手」もその輪の中の1つに納めスケール拡大させた
「UDJ」という大きな輪の中に自分自身・saybowを発展させ得た俺としては、
そのコトダマは、自分の事を言われている感じがしないのです。
だって。俺は。誰にも負けず。

ずーっと変わらずやりつづけているわけだから。

いまだに尽きる事なく、最新作の自分を、
こういうやり方でもって、頑張って愛すべきみんなに、
しかも、無償で発表提供し続け、誰よりもやりつづけていると思う、
この複雑な私の心理が、理解してもらえるでしょうか。

つー話なんだけど。内緒の。本当にココだけの。


まだ監督ばんざいみてないねん

私に言わせてもらうと、そうやって、
もったいないんだからsaybow!何でもいいから何かやれよ!やってくれよ!
と、心配し、思ってくれたり言ってくれる、私が何もしていないと思う人のほうが、
よく見ると、やってるようでその実何もやってないように見える人が多い。

んだけど、そんな事言う自分の無礼さ失礼さったらない。

つーこともわかるわけだす。

だけども決して。

それが私の人間性を疑われたり性格の悪さを指摘されるような事でもない。

つー。とにかく、まっこと、こんなせつにゃー話もないわけで、
私にとって何をもっても一番厄介で困った問題なわけなのです。

だから、私はそういう人を安心喜ばせるために、
あえて、さー何かやり始めるぞ!と大声出して言う具合にはなれない。
やりつづけているんだから。


つーこと。をあえて書いておかねばならぬタダイマ付近の感じ。
どーかご了承を。

でも!

ココUBAまでたどり着き、ステージ以外の俺、
Liveで唄うだけの私ではない俺のココ・UBAから発信され続けている
いろいろなUDJとしての私の最新作、いまだに続いている、俺の俺流のLive活動を、
あいもかわらず観て、感応しては喜び楽しみ感動してくれてるおめーらは、
本当に凄いと思います。

それはマジ、俺もかなわないほど凄くホント大したもんだと思います。

その感性において。そのアンテナにおいて。
私は、敬服、尊敬せざるを得ません。

私にとって、そういう人の存在は、やりつづけている私という事実を証明してくれる、
とてもとても有難い存在でもあり、大きな励みでもあり、大きな勇気であり、
大きな元気そのものとして在ります。

だから、これからもバリバリにやり続けていく私を、
どうか楽しみ、ついてきて欲しい。これからも。

俺が何をしよーとも。

つーわけで、今回の話は、今までの物語、
そのある章の終わりでもあるのでした。

そんな1つの章の終わりを飾るこの曲を、そんなおめーらに捧げ、
さらなる自分の次の段階に進ませて頂きやす。

おめーらこそ、未来を生きる勇者だ。

って全然思ってたほどうまく書けなかったぐやじ=!



Phot=futureSELMA

【M+ILU2007の絵】

2007-06-10 | ・nTinDEEP


M-ILU

思い出そう あの頃の 純粋な Smailing Face
気づくはず We are FREE forever 昇りはじめよう

いろいろな奴等の言葉 様々に溢れる涙
ひとつひとつ 見つめていこう すべてが今 変わりはじめる

戸惑いは 消え去って 虹に変わるよ
喜びと 共にいるよ 感じあおうぜ

いろいろな奴等の動き 様々に溢れる真実
ひとつひとつ 聞き逃さずに すべてが今 動きはじめる

忘れかけていた あの胸騒ぎ
もとどうり I Love You

いろいろな奴等の動き 様々に溢れる涙
ひとつひとつ 見つめていこう すべてが今 生まれ変わるぜ

We are FREE forever
M+もとどうり= I Love U




【大日本人!大田中!大感動!その2】

2007-06-07 | ・nTinDEEP


大日本人!大田中!大感動!とか言ってるんだけど、
誰がどんなにケチをつけようと、映画・大日本人は、
そんなリョウケンのワクを超えたところで、とてもとても素晴らしーわけだス。

どー素晴らしいか何がそんなに素晴しいのか。

あれだけ嘘だらけなのに、嘘がまったくない。

そんなもんつくれちゃうヤツは、本当に純粋な子供しかいない。
そんなの、つくっちゃうの、まったく奇跡だもんよ。松本人志の愛の力。
それは、「3丁目の夕日」の100万倍ほどの大きな愛の力だもんよ。
ごめん。「3丁目の夕日」かわいい映画だし決して悪くはないけどもさ。

それは、とてもとてももひとつおまけにとっても、
今の自分にとっては人ごととは思えない、うれしい出来事だったの。
ほれほれこーやってもっと深く伝えたい!
つー気持ちさえしっかりもらっちゃうほどの力を持つ凄い映画だったの。

あのね、ほんとはね、大日本人が素晴らしい。
というのはちょっと違ってさ、もっと深く言わせてもらうと、
大日本人という映画をつくった松本人志こそが素晴らしい。わけです。

それわね。その「人・作者」の素晴らしさを感じることで、ゆえに、
この映画・大日本人は、真実素晴らしい映画だつーこと、
何の他意もなく自然に言えちゃうほどの素晴しいもんだから。

なんつーか、決して飽きない。飽きるどころかみればみるほど、ますます面白く観れる。
そんなように作られているという素晴らしさ。

実際、カンヌ新人監督賞かなんかの候補に選定し、
松本人志監督のカンヌ招待までを依頼した、
審査委員のフランス人は、そのあまりにもの新鮮なる衝撃から、
大日本人を、4回も観てしまってんだから。

同じ映画を立て続けに4回も観れるか?そんな経験あるか?
いくら面白い映画でも、日をおいてじゃなく立て続けに4回はナイだろ。

それは、4回観ようと思って見たらあり得ない。
気づいたら繰り返して4回観てしまっていた。という事だと思う。

それは、私も映画を見てよくわかる。俺だって今こうしてこんなこと書いてると、
もう一回見たい。と思えるから。映画みてこんな感じ、最近ではなかったし。
またフランス人もカンヌも大したもんだなーと素直に思う。あんま好きな国ではないけど。
でも日本アカデミー賞の審査員は、そこまでアホじゃないだろー、
繰り返して4回観れるほど、映画そのものに対するその愛情は、
カンヌと比べて、大日本人だろうか?どうだろう?

そしてさらに、一人の日本人のお笑い芸人による純日本人向けにつくられた、
この日本映画は、あのウルサいフランス人さえも
笑わせるセンスと力を持つほどの、厳然たる「お笑い」映画だという事実。

奇跡だろ。それは、「3丁目の夕日」の100万倍だろ。

大日本人は映画館で見るほどのものではない。
それはテレビでの松本と変わらない程度のもので、
大日本人は「映画」というほどのものではない。

とかどーとかいうむちゃくちゃな意見がどっかでみた。

何言ってんだおい!

大日本人という映画は、映画館で観るためにつくられた、
正真正銘の松本人志の「映画」だよあれ。
それは彼なりの「映画」というものへの真剣なる愛も含まれた。

つーにもからわらず、「映画館で見るほどのものではない」なんて。
えらそ-に言うおまえの「映画」とは一体、何だおま?って。



だって、大日本人は、「フランケンシュタイン対バラゴン」の
フランケンシュタインじゃん!
あの着ぐるみなしのあの怖さ迫力、あの巨大さゆえの何ともいえないせつなさ、
名作「ゴジラ」から始まった、映画館の大スクリーンでリアルなる迫力もって暴れ回る
日本の誇る怪獣映画の持つあの「映画」ゆえの面白さのエネルギー。
それをこの映画は、ジジーになった俺たちに、
忘れ薄れていたあの頃の子供の感覚を呼び起こしてくれてんじゃん。

当時ガキだった私たちは、東宝・怪獣映画の新作が出来ると、
必ず誰もがそれを観に映画館に行ってた、子供たちは、
映画館の大スクリーンから現れ登場するその巨大な怪獣たちへ、
子供心にえも知れぬ元気を得ていた。
その熱気たるや、封切られると、映画館は、
その銀幕の舞台上にまでガキたちで溢れるかえるほど、満杯の子供たちでごったがえ。
新作怪獣映画が封切られると、ガキたち誰もがその映画館でハイになってた。

あの当時の子供は「映画」の持つ最高のエンターテイメント感覚を、
怪獣映画から学習してた。その子供心そのものを、
松本人志は、見事なまでに復活させ私たち「オトナ」に再び与えてくれた。

あの小学生時代の、あの感覚。あの頃の興奮を。あの頃の自分の少年の心を。
あの頃の元気を。あの頃のアホさを。あの「映画」体験感覚を。
めちゃくちゃリアルに呼び起こされるって。大感動しちゃうわ。そりゃ俺。

それは、まだまだちびっ子洟垂れガキの子供にとっての映画というものの楽しさ
その醍醐味じゃん。

子供心にも、その大画面で大いに観て楽しむ映画館の「映画」という
そのエネルギーその「大きさ」というもの持つ力を、まだまだちびっ子であったガキの私でも、
大いに楽しめ興奮感動出来たその経験が、そのまま映画を愛す心に通じてたり。

だから、大日本人なんだろつー。

渾身の魂を込めた。「松本人志の映画」だろ。

「まータケシさんとは違って、僕のこの映画は、テレビでやってることの延長ですから。」
と松本はインタビューでこたえてたのを、そいつはテレビで見たんだろう。
だからそんな事を受け売りしてさもえらそーにそれを批判として言ってんだろうとか思うけど、
だとしたら全然えらくないし。意味ぜんぜんわかってない。アホだそいつ。

その意味はとても深いだろ。松本人志はそんなこと言ってるんじゃないだろ、
テレビも映画も、私にとっては同じだよ。って事だろ。

自分のつくるものはテレビだろうと映画だろうと同じ。
どんなものでも、自分のつくる自分の作品は、ちゃんと「松本」だから。
ってんだろ。そういう意味だろ。

小学生時代のチビたちの大エキサイティングな大アートは、
原爆の落とし子・預言者であるゴジラが街を破壊し暴れ
チビにとってその大きさ感は、めちゃリアルに怖くゆえにチビ心でも
大いに映画という大人的なものに、十分に興奮楽しめ真剣にもなることが出来た。

それは、チビなガキにとって、大きな映画館の大画面でこそ得られる
あの人気絶大であったゴジラを中心とした東宝の一連の「怪獣映画」における、
あの時代の少年の心、そのインパクトゆえのその純粋な興奮面白さなどなど、
松本人志は見事に、「笑い」を込めてホットに思い起こしてくれたりして、
そりゃもー絶対映画館で観なきゃー!
そして。うっわー映画館で見てよかったー!つー映画だっただろが。

と思えなかったのかおい?

そーかーきっとそれは俺のようなジジーの声じゃないんだろーなー、
若い子の声なんだろーなー。だったらそれは可哀想だなー。
俺たち子供の頃のあの子供だからこそ感じるあの純粋な興奮、
その「映画」というものの「大きさ」その楽しさ。
を知らないで育って来たなんて、今のちびっ子たちは本当に可哀想だわ。
ジジーわ本当にせつない!とにかく、

だから、松本は「大日本人」として現れてくれたんじゃん。
その映像その主人公は、あの頃の少年の心のまんま。

とかまだまだその映画の凄さは他にいくらでもあるわけで、
その映画の大きさ強さの奇跡の秘密は、
松本人志の相棒の高須光聖や浜ちゃんを含めた、
松本人志の仕事上での重要で大事なブレーン、仲間たちにある。

ヤツらは、小学生時代からずーっとの尼崎の悪ガキアホガキまぶダチ仲間なんだもん。
それって、凄いじゃん。凄い事だと思うよ。
だから、今でも、あのチビの純粋な心のまんま。
映画・大日本人。ってそいつら小学生のまんまたちがつくってるんだもん。
そりゃ凄いって。その力。その大きさ。その元気さ。その純粋さ。その美しさ。

そりゃ素晴らしいよ。。大田中わ大感動するよ当然。

そのホーム・ベース上において、展開されるその物語その「愛」は、
宝石のように完璧に本質的で純粋なの。

温暖化で徐々に崩れていく氷山のように、そのすべてがガラガラと音をたてて
大事なものを失いつつある、今の人の世の中ゆえに、
あそこまでナニモノにも邪魔を排し汚させずに、その「愛」を。
あそこまで、純粋で、大事に真剣に表現つくられた美しい映画を、私は知らない。
(しかもそれは「お笑い」なんだもんよ!)

なもん三丁目の夕日(おまけにフラガール)の
100万倍素晴らしー!たって、当たり前な話だろーに。

だってだってさ。

あれだけ嘘だらけなのに、嘘がまったくないんだよ!

そんなもんあり得ないって。奇跡だって。だってそんなもん、
まっこと純粋な子供にしか、つくること出来ないよ。

それは、いくらピカソだろうがゴッホだろうが、
子供の描く「絵」にはかなわない。それと同じ力、大きさだもんよ。
大驚きだって。

松本人志はその純粋な心がいかに自分にとって大切なものであるかわかるからこそ、
ある時は一人きりで戦いながらも、大人になっても、
その世界(ギョーカイ)のその孤独の中で、大事にそれを護り通しながら、
その自分に与えられた使命その人生を、
真剣に生きてる者にしか描けない「絵画」を私たちにプレゼントしてくれた。

しかもそれが「絵画」ではなく「漫画」なんだもん。
あの頃の「少年漫画」であること。それが、

それこそ。ちゃんとにつくられたしっかりした
「松本の映画」であることの証明だろ。

何コレすごい安心感。あーまだまだいるんだ世の中にこうゆう人。
こんなうれしいこともないよー。

私は、この映画から、お笑いとは「愛」だという事を教わる。

それこそが、
お笑いの宣教師と公然と言い切るまっちゃんの使命であり、
まっちゃんのすばらしい愛じゃん。

使命のために、少年の心を大切に護りながら戦い生き続ける日本の父性。

私はまっちゃんが大好きだス!とかげのおっさんの大ファンだス!

よろしくぅ~!

ってしかしすごいなこの俺のミーハーさも。




【追伸】

これまたあるところでは、
松本人志は、カンヌではっきりと北野武より凄い!
なぜなら。たけしは三作目あたりから、カンヌなどで評価を受け始め、
今にいたってるけど、すでにデビュー作からカンヌに認められた松本人志は、
だから。北野武よりも凄い。その時点ですでに松本はタケシに勝ってる!

とか何言ってんだかさっぱりわからないバカがいたけど、
たけしがあそこまで世界で認められなけば、カンヌだろうとフランスだろうと、
松本人志を理解し評価出来る外国人は、今でも存在してないから。

たけしはその突破口を、その異常なほどのインパクトを持つ、
その独特な暴力映画で、その道の壁を、乱暴にぶっ壊しながらも、
その道の後継者に、その門を開いて上げた事の功績は、
その道、芸人の世界だけじゃなく、日本人として日本人の男としても、
はかりしれないほどの偉業なのに。
北野武だって同じ大日本人だから。
しかも今や、そのトップリーダーだから。
それは、矢面で、タケシにはめちゃくちゃ面倒くさいもんであり、
松本人志てめーわいーなー隠れてこっそり出来るからよ!
とかなハンデでもあるから、それわそれわ大きな孤独感を共有する
同等の大日本人でもあるタケシにとっては、常に松本人志を羨ましく思うだろーなー。
でも頑張ってる大日本人、北野武・大監督大同志に人志は、その後継者の責任から、
道を開いてくれた、大きなタケシさんを喜び安心させるために、
その感謝と尊敬そして愛をこめて、その立場から、
カンヌで「タケシさんには勝ちたい」と言ったんだから。

大体、「勝ちたい」と言ったけど、「勝った」とかそんな傲慢なこと言ってないし、
レポーター?コメンテーター?ヤツらは単純でもぉ~しょうがないね。
何でも勝負させりゃ面白いとかってんで、そんな風に伝えたりしてるけど、
二人とも勝ち進んで来てる人たちの話なんだから、いくら世間は面白がっても、
ただのワイドショーネタで終るもんだろ。
そんな伝え方するようなテレビなどカンヌの審査員は4回も観ないべ。
テレビなどバカにするような気取ったフランスな映画人にとって、
それは大日本人じゃないから。

テレビの世界だって中には決してバカに出来ないもんいっぱいあんだけど、
私の見たそのテレビは、本当の面白さにおいて不純で鈍感そのださすぎなセンスで、
何伝えようとしてんだかさっぱりわからないったらありゃしない。と、俺も気づくと
おフランスなイヤミみたいだやば。とにかく、テレビは子供が大勢見てんだから、
しっかりそこらへん伝えられなきゃ、仕事師として無能じゃん。いくら数字上げても。

だから勝った負けたとか挑発させては盛り上がってないで、
テレビの人たちは、テレビも映画も同等延長上に考える松本人志を見習って欲しい。
でもだからって不純な距離感こさえて、彼を神棚に上げずに、
一緒になって本当に頑張って欲しいと思うもんよ。同業なんだし。

松本人志の作り出すその「お笑い」の世界には、
子供たちを、いじめや自殺や親殺しなどから救う、今の政治家には決してない、
純粋で美しい、本物の愛の力がある。ぐらい真剣になって伝えたって、
まじめくさー、ピッ!とかチャンネル変えられ、
数字下がるようなもんでもないだろーに。

ちなみに、北野武と松本人志のお互いのデビュー映画を見比べてみると、
武の「その男凶暴につき」と松本の「大日本人」は、
驚くほど同じレベルの高さなので、何か鳥肌実で気味悪かった。
つか本当はワクワクした。
私はこの日本人の二人の男たちが、ゴジラに見える。
それもそうだろどっちも同じ大日本人なんだから。
だから、どちらも比べようもないほどに、二人ともめちゃくちゃ大好きなんでやす。

つー事で、さー次は、まだ見てない、「監督ばんざい」だろう。

すごいよな武のも、「お笑い」映画なんだから。
偶然なのかどうなのかはわからないけど、それだけでもー自然に、
どっちも面白いもんになっちゃってるし。それは神秘的なまでの面白さだもん。
そんな面白さにおかまいなしで、見向きも感応もせず、

きっとそれも、面白くねーくだらねーと言うオトナがうじゃうじゃ出てくるほどに、
子供の心なアホな映画なんだろー。あーワクワク。あー面白いもー。

今年は何か。ちょっと異常な事件が起きてるぞ。それは。この日本で。
つータダイマ付近の感じだスが何か。


5/26。これまた大日本人三谷幸喜新作芝居がどうしても観たく、大阪ならチケットまだあるという情報から即チケット購入し、乱暴にも車で日帰りで大阪まで観劇しに行った時の、その芝居開演前の時間を利用し行った大阪わ通天閣そばのビリケン前にての何だかやる準備まっただ中にもってかれてそーな大日本人フリークの大田中。


【大日本人!大田中!大感動!(の大とりいそぎ!)】

2007-06-02 | ・nTinDEEP


私は今、めちゃくちゃうれしい。
そらぁもぉぅ、めちゃくちゃにくちゃくちゃにうれしい。
だって。あの。まっちゃンが、あの、まつもとが、
あの、私の信じている松本人志が、
その期待をめちゃくちゃ裏切る事なく、
つかうらぎるどころの騒ぎではなく、
その「日本の男」としての、絶滅すんぜんの奇跡の種の父性
そのあまりにものせつなさに、不覚にも、
号泣してしまうほどに、大面白かったので、
とにかく、この封切り日の今見て来たばかりの私は、
とにかく、ココ・UBAで書かざるをエヌほどに、だから、
めちゃくちゃに今うれしくて仕方がありやせん。

まっちゃん。そーだよな、
ちゃんとにつくれば、伝わるんだよな。


のとりいそぎ一筆申し上げますの大田中。


5/26。三谷幸喜新作芝居観劇前の時間に行った大阪わ通天閣そばのビリケン前にて。