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【 UDJ(俺)のライバル現わる!(泰葉に学ぶ)】

2008-11-23 | ・nTinDEEP


世間でいう「マトモ」なヤツほど、今のこの、ますますつまらない、
暗くてメメシく貧乏くさくて卑怯で無責任で表面的な、
面白くもなんともなくなってしまった世の中をつくっている最もなる罪人だろう。
とか最近思う。

とかゆー話はどだ。

良い悪いはともかく、たとえ世間から嫌われようと、
そんな今の「マトモ」な世間や意見など気にせず、「マトモ」など無関係に、
あくまで自分に正直に自由に勝手ワガママ(我のまま)に生きている「マトモではないヤツ」こそ、
「マトモ」ではないがゆえに、オモシロイ。

ひょっとしたら、そんなヤツこそが、人類の未来を救う、奇跡の種なのかもしれない。

と俺はそーいうのに、そーゆー「マトモ」で「オトナ」である自分たちとは違い、
空気も読めぬほどに世間知らずに自由奔放明るく純粋に生き生きとして生きてる事が、
あまりにも「コドモ」じみて気に食わぬのか、
そーゆー「マトモではないヤツ」は、「マトモなヤツ」から、自分たちのように
「マトモ」な「オトナ」でない事に、ムカつき妬まれ、「嫌われ者」とされている事が多い。

「マトモ」は民主主義でいう「多数決」の「多数」
「マトモでないヤツ」というのは、「少数」だ。

だから、「マトモ」なヤツらから、
「マトモでないヤツ」とレッテルを貼られ嫌われると、恐ろしい。
それは、多数から(みんなに)嫌われてしまうから。

それほど今の「マトモ」なヤツらほど、恐ろしいほどにマトモでないヤツらもいない。
「多数」であるがゆえに、みんなそーだからそーなのだろうと深く考える事もなく、
何も変わらぬままに、そのまま闘わずして簡単に決定出来てしまうから。
だから、それだけでも、「マトモ」はつまらない。

それに比べ「少数」であるマトモではないヤツ、マトモになれないヤツは、
頑張って闘い抜いて圧倒的に勝ち取らないとその考え思いは実現しない。
だから、それだけでも、「マトモでない」ヤツらは、それほどバカでもなく、
オモシロイ。



とにかく。

何事においても「ツマラナイ」世界が苦手で、
「オモシロイ」と感じさせるものにこそ希望の光を感じてしまう私は、
ホリエモン、コイズミ元首相、朝青龍、そして細木数子とかな人たちが、
世間での「多数」から、嫌われ者として扱われている時に、
いやいや私はヤツらはいーだろ。好きだ。彼らは、少なくとも、存在として面白いもん。
嫌われようと平気でいられるから嫌われるそんなヤツらって。
そういうヤツらには「情熱」というものが見えたりもしてすっごく安心するし。
本当の大人は平気で子供に嫌われて一人前だし。
友達関係のような親子ほど不気味なもんないし。
とかココで言ってきた。

だから、たとえ世間で嫌われていようと、私には楽しませてくれてるんだから、
そうゆう人たちを擁護するような事を書いては、負けずに一緒に嫌われバカにされながらも、
「嫌われ者マニア」の名を世界中に轟かしては、頑張ってもいた俺。

でもここ最近、次々とそういった嫌われ者が、世間から潰され消されていきそうな勢いで、
私のメガネにかなうめぼしい嫌われ者もとんとまったく姿を現さず、淋しいかぎりだ。

まったくこの世の中、どんどん生き生きとした嫌われ者の面白いヤツがいなくなって、
ドコもかしこも、情熱も何もない、面倒くさいことにはすぐ逃げて関わらない、そんな、
生きててどこが面白いのかさっぱりわからぬような「マトモ」たちが「多数」だらけで、
まったくますますつまらないったらない。

とか、思ってたところ、久しぶりに出現した。私を唸らすおもしろいヤツが。

しかし、さすがの私も、はじめはコイツ何だかよくわからなかった。

その金屏風での発言やらその態度その光景を、一瞬みて、
私も不快に思い、何だコイツ。やな女だなー。なにしろ。
ちっともエロくないじゃん。ダメじゃん。と思った。

でも、とか、思いつつ、そのままテレビに映る金屏風のその子を見ていると、
なんか、オモシロイ。なんかマトモじゃない。ドキドキする。すると次第に、
その子に対して不快に思う感情とはまるで矛盾するようにして、いつのまにか、
テレビの前で釘付けになるほど、私は、その子を、最後までずーっと、魅了されたかのように、
入り込んで見てしまっていた。

何故か?

めちゃくちゃ不快でめちゃくちゃ面白かったから。ソイツは、
めちゃくちゃとんでもなくマトモでなかったから。しっかり最後まで。

人に抱く不快感は、それがマトモなほどであるからしっかり不快に思えるけど、
それが、マトモではないほどにしっかりと巨大なものになると、その不快感は、その巨大さゆえに、
そう思う者の心を浄化させるほどの力となって、それはもう不快感を飛び越し、立派な存在感になる。

これだけぱしーっ!とぶっとくスジとーったほどに、細木数子も及ばぬほどの、
マトモでない不快な女を、私はみた事ない。



気づけば、彼女のマトモとは思えぬ何もかもが、面白く、
得体も知れぬほどに、「存在」を感じさせ、とうとう、
シメの「こあさしらずなんちってぇ~!」を言ってそのパフォーマンスを完了させるまで、
私は、それが決定的で致命的なまでの不快感を抱かせるに足るものであることをわかりつつも、
本当に最後まで圧倒的なまでにマトモではないその子の面白さに、
ただただ、わけわからんが。ぜんぜんエロくないし。ムカつくけど。見入ってしまった。

おもれーコイツ。何コイツ?

こんな感じ、まことにマトモではなく。
おそらくこんなの初めての感覚であるかもしれず、
決して好感持てないが、その事自体が、ソイツが、近代稀にみぬほどに、
俺にとって珍しくめちゃくちゃ面白いヤツ。であることを、証明させている。ことでもあり、
それは、ホント今までにない不思議な感覚で、だからといって、
ホントにソイツに対して好感を抱くわけでもなく、だからといって、
まったく関心を持てぬとしてソイツを無視することもできない、とにかく、コイツは、
むかつくし不快だし、だけど、得体も知れぬほどに不気味なほどに、何をするにも言うにも、
めちゃくちゃおもしろい。私を引きずり込ませる。と思わせてしまう。それは、もー冗談ではなく、
ホントーにマトモではなく、ホントーにこんなの初めてだ。こんなヤツ。

それからというもの、コイツの事がもー不気味で不気味で、コイツを私はどー料理すればいいのか、
気に入って良いヤツなのかそうでないヤツなのかまったくわからず、
とにかくそんなのはじめてで、あまりにもミステリアスなので、気になって気になって仕方がなかった。

だからって、別にその女に惚れた。というんではぜんぜんない。
それははっきりわかる。エロくないし。そうゆうのではない。

でも一体何なんだコイツに抱くこのわけのわからぬ関心わぁ!?謎だ!

私はそんな得体の知れぬ関心持つと、こわいのでわかるまでとことんその謎に挑むやつ。

そーこーしてたら、ついに、その謎が解けた。発見した!


それが、コレだ。(コレをクリック)
やっぱ、マックは素晴しい。iTUNEのPodcastはオモシロイ。アップル万歳!

なにしろ、コイツは、俺のライバルであることは間違いない。

何しろ驚きだった。思い切り彼女のそれまでの認識を改めざるを得ない自分に久しぶりにやられた感を感じ、
あの「金髪豚野郎」を本人自らの肉声であのような感じで言い放つのかコイツわーとかいう
その嘘のない明るくも逞しいコトダマトーンには、予測だにしなかった愛があった。ことはショックでもあった。

私はコイツの正体をすぐに見抜けず、正直世間とほぼ同じように、
呆れた女だと見下していた自分に正直久しぶりに落ち込みもした。
だって、こいつ「UDJ」なんだから。

私は正直、コレを聞いて(コレをクリック)、不覚にも、この子の声から、感動するほどに勇気と元気をもらってしまった自分に対して、
とてもくやすいー。

負けたくない。コイツにわ!と思った。

でも、彼女は、正真正銘の、アーティストであることは間違いない。いや、革命家か。
とにかく。「UDJ」であり、かなり強力なライバルなのだ。つーか仲間なのだ。
ソイツが俺をどー思おうと関係なく。うん。

このことは、やはり、ココでみんなに知らせなければいけない。それは意味あることだから。
コレ(コレをクリック)を聞き、この子が、世間で言われるようなそうゆう子ではなく、
しっかりと「存在」として、強く在る。とゆー発見の驚き。それは、

コイツは仲間なか!!!という驚き。でもありやす。
内緒だけど。言うなよ。べらべら正直に書いてるが。これはへんに誤解されたらやばいぞおい。

決して、「俺は今日からヤスハの大ファンだ!」
とかそんなことを俺はココで堂々と言ってんじゃぜんぜんないぞおいわかってるかそこんとこおい。

ライバルだ!って言ってんだからな。

ぜんぜんニュアンス違うんだからな、だから、間違っても、
「おいおいセーボーはヤスハの大ファンなんだってぇ!」「ええ~~??!!うそだぁ===あっはははははぁ=!」
とか俺にとってはそんなこわいとんでもない誤解されるような間違った情報ながすんじゃねーぞ。

ね。そこんとこよろちくびぃ~。っていきなりこんなおわりかただ。



SaybowはタダイマWipersを起動させ水はけもよく運動させようとしていろいろ試験中だス。でもってそんな中。俺を呼ぶヤツは誰。




【 THE WHO が横浜に来た!爺ぃそのままの絶倫姿で】

2008-11-15 | ・nTinDEEP



TWH WHO が 俺んちの横浜に来た!

爺ぃになったそのままのの姿で、
「ROCK」を見せに、
俺の目の前に、やっと「単独Live」でやって来た。

やつらは、爺ぃそのままの姿で、
俺のTHE WHOを愛する所以の大好きな曲「Baba O'Riley」を演奏し、

さらに、爺ぃそのままの姿で、

俺たちゃおめーら腐った大人など、この俺たちクソガキが新しく生み出した「ROCK」つーやつでクソくらえだ!そーおめーらの世界など、こいつで一気に爆破し原型とどめぬままに全滅ぼっこわしちまうぜ!ロック・キッズ万歳ぁ=====い!

とゆー、はるか何十年前のやつらがずんごいアホヤングな時の曲「My Generation」も、

図々しくも、爺ぃそのままの姿で、平気で、

勃起しながら、好き勝手演奏アドリブしては、

まるで子宮でもあるかのような俺たちのいる客席に向って、

爺ぃそのままの姿で、平気で、そのまま大射精し、

爺ぃのままのザーメンを、大量にさんざん俺たちに2時間あまりも吐出しながら、

ついに終ると、ステージに残った爺ぃの姿は、

淋しくも生き残った2人きり。

それでもたまらぬしびれるピートのアコースティックギターのストロークをバックに

ロジャーが最後の1曲を唄い終えると、

お互い肩を抱き合いながら、あっというまに俺たちの前から、颯爽と立ち去っていきやがった。

その一部始終に、まだやつらに比べりゃぺーぺーの爺いとしての俺は、

悔しいけれども「キッズ」になって泣いていた。

あのガキの頃の百万年ぶりのほんとーの「ROCK」を味わえた嬉しさで。





それにはきっと、

逝ってしまったばかりの、トキさん(デイブ平尾氏)も、

この横浜にやって来てはまだまだ死なないヤツらの絶倫元気な爺ぃたちの姿を見て、

悔しいけれども、きっときっときっと、雲の上から泣いてたに違いない。

そんくらいたまらなぬ爺ぃたちによる、

ほんとーのロックバンドのなつかしぇーロックコンサートだったけど、

ただ、観に来てたやつらがみんなおっさんおばさんばっかで、

「キッズ」を誰一人見かけなかったのが、

やっぱ。時代は、そう簡単に、

もう「キッズ・オーライト!」とはならない難しさを思い知りもし、

あの生き残った2人きりの爺ぃの元気な姿の背後に、

感じてしまって、またも悔しくも、泣いてしまった。

やはり。あそこに、4人全員の生き残った爺ぃそのままの姿を見られたらと。

それでも、今時 THE WHO を 俺んちの横浜で見ちゃったんだから。


やっぱ「ROCK」はサイコーだろ。私は「ROCK」を愛す。ほんものの。





ちなみに。

オアシスの新譜。サイコーだったんでチョーうれし。チョー安心。



【どこもかしこも「意識」だらけの「意識」の話】

2008-11-11 | ・nTinDEEP

だから、もうちっと意識を感じてみようよ全体の上の方のもう少し。

「おてんとさまの意識」出ちゃったらじゃー「地球の意識」もだみたいな感じに。

なんか。夢の中で日の出が出てたみたいで。気持ち良い。
なんだか拙者のアンテナは、何かを感じちゃったよーだ。野球もおわってしまい寂しい今の時期に。

「地球意識」って、一体何だ?

それは、環境を提供しようとする意識そのもの。
という事が言えたりして中々まーまーぜんぜんよくわからずまだまだむずかしそうだが。

環境を提供しようとする意識そのものの、じゃー環境。

それは「場」。それは運動場。わからいわからない。

しかしわからなかろうが私たちはソコにいるしソコで生きてる。
だから大事な場所。大相撲初場所より。の環境の場の運動場。

だからこれわある意味において。「場」の意識。
「場」といものを与える。こうした「空間」を与えるという「意識」。
これわって、何?

この「空間」という「意識」があって、ここに「時間」が流れた時に、歴史は開始されたわけですね。

そーです。どこもかしこも意識だらけ。

場だろうが時間だろうがみーんなどれもこれも意識になっちゃっててどこもかしこも
うざいほどに意識だらけ。意識あ====ウザイウザイ!

でも、待って。だってそれらすべてぜーんぶひっくるめた全体が、
そもそも意識そのものじゃん。

全体が意識として在るわけだから、だらけでうざくても仕方ない。
そいつによってこの全体は創られているんだから。そりゃそうなるだろう。
どこもかしこも意識だらけに。そーだろうん。そりゃ当然だ。

だから、あれこれウザイ人やウザイ話やウザイ約束やウザイ関係やウザイ方法などみんな、
本当は「ウザイ」ではなく、

どこもかしこも「意識」だらけということだ。

人間だけとっても、俺だけでなくおめーやアイツやあんなやつやそんなヤツとかいるから
どこかしこも意識だらけでもともとみんながみんなウザイ存在そのものだ。

ウザイ=面倒くさい。それは、ひーちゃう=逃げちゃう。になるかもしれないので、
「ウザイ」ことに対して面倒がらずに、たまに正面から見据えてみたら、
思わぬ発見をしてしまうかもしれないよ。とか言ったりしてぎこちない。

とにかく、そこらじゅうで意識だらけだから、
意識を見ただけでもうウザクて面倒くさくてどうしてもひーちゃって、
スキを見て、逃げ出したり出来る事が、人生を面倒なく生きれるコツだとか言ってるバカがいて、
そうゆう人の中身をみると、面倒もウザいもない。
ないからいーとしてあるからだ。ないからいーではない。冗談ではない。
なかったら空っぽだ。そこには本来どこもかしこも意識だらけであるはずなのに、
何の意識もない。そんな人は人でもないしそこに存在する意味も理由もないだって意識がないんだから。
あるとしたら、意識がなくていー。ウザクなくていー。とかの。

なくていー。という意識。それだけがくっきりしはっきり星のように輝いてたりして。
それ、すご恥ずかしい話。ということにも気づかないほどに恥ずかしい話。

いしきなんかなくていー。

そんなもんをはっきりさせて生きてる恥ずかしい人がいるなんで私には信じられない話だ。

はっきり、自分は、なくていー。と公言して、生きているわけだから。
しかも、スマートな自分で自慢げな感じで都会人っぽくおしゃれな感じで。
それでいー。としてたりするからそんな人をみるのも恥ずかしいたらない。

もうそんな恥ずかしい人がいるなんて、恥を超えて、もう気味悪い。

気味悪いのはソイツだけではない。恥ずかしいやつもソイツだけではない。
とゆーのが今の人の世。



その人は、恥ずかしいヤツかそーでないか、気味悪いヤツかそーでないか。
を知る方法。それは、ソイツがどんな意識で在るかどうかを知れば、わかる。

けども。

大体ほとんどがウザクなくだらけでなくうすーいあらーい感じで、
その中身は、どこもかしこも意識だらけというより、スカスカな感じ。
だから、どこもかしこもつまらないものばっかの感じ。

そういうくらいな今の世の人たちの「意識」だってなんだおい。つまらならなぁ=い。



とにかく、「空間」という「意識」があって
ここに「時間」が流れた時に、歴史は開始されたわけです。

という全体の意識の話に戻ろう。気がめいるので。

この「時間」を流しはじめる時に、「時間」を創っている要素として、
実わ「大日意識」「月意識」といわれる2つの要素があるんだぜ。
あこりわそー内緒の話だろ。他言すると人からバカにされ不幸になる話。
というのも暗くて悲しいか。うるせーとにかく

時間」を創っている要素として、実わ「大日意識」「月意識」といわれる2つの「要素」がある。

それはどんな要素かというと、「積極的」なる要素と「消極的」なる要素。
「陽」と「陰」ですわ「荒々しさ」と「優美さ」みたいなね。

この。両方の意識が。在るからこそ。実わ。時間の流れが始まったのです。

だから内緒の話だぁ。



何故ならば。「流れ」というものが一体どうして始まるかみんなは知ってるかにゃ?

それわ。「位相」の違い。から始まるの。

すなわち。高いところと低いところ。右と左。上と下。
こうした「位相」の違いがあって初めて「流れ」というものが出て来るんですね。

ダムの上があってダムから水が流れ落ちていくように。河も上流から下流の方にいくように。
水路が右から左へとつながって行くように。

その中に放出する太陽・男性原理があって、それを受け止める月・女性原理があるように。
陰と陽。があるわけさ。内緒の話だこれだって。
気味悪がられバカにされるから他言すんときけんだぞぉう。まだまだいくよ。

「流れ」というものはこうした「立場」の違いがあるわけだス。

それは陰と陽、上と下、右と左、つまりが
「2つのもの」がなければ始まらないんです。何事も。とゆーエロい話だ。

どこもかしこも意識だらけ。だから。エロいの。



この大宇宙における空間の中において。実わこういう2つの「極」を創ったのが。
「陽意識」と「陰意識」という2つの意識。

この「陽意識」と「陰意識」があるがゆえに。
2つの極が出来てこの極の間を「流れるもの」が始まったわけ。

この「流れ」を「時間」といい。「時間」の中には、
すべての大宇宙の生成・発展・化育。こいうものが含まれているんですね。
すごいなー全体の俺たちの大元の意識わぁ。
一体何考えてんだろう?って知りたくなるなぁ。という意識。これも有効な意識。

だから、もうちっと意識を感じてみようよ全体の上の方のもう少し。
うざくて当たり前なんだからみんな。
そこらじゅう意識だらけ。肉体やら何やらもーみんな意識だらけで
ウゼーやつそのもの。なんだからおめーだって。

と言いたいけど、そんな事みんな聞きかじりにいいかげんにやられてしまったもんなら、
変な意識ばっか感じてしまったりしてはみんなで変なこと言い出したりするようになって
誰も彼も気味悪がられてあげくにそんなことしたおかげで不幸になってしまうくらいなほどに、
逆効果になるのがわかるので、やはり、そうゆう話は大事でもあるからこそいいかげんでいよう。
イーカゲンでなく、良い加減だよ。それこそが、今を生き抜く智慧だ。ろうし。

大体、意識だらけといっても、良いものばかりではもちろんなく、
自己中心的に欲望だらけの意識なんかもあってそうゆうのは同じそうゆう意識のヤツに憑依したりして、
その人の意識をますます膨らませて確固として支配しちゃって、ますます自分というものの存在意識を知らずに
自分ではないもの、自己中心的な意識やら何でもかんでも欲望する意識やらに支配され、
そんな下衆な意識に憑依して、取り憑いては、その人を支配し乗っ取ってしまって、
人としての意識をすいとってからっぽにしては、恥を知らぬ人間にさせてしまう、
悪霊とかな霊意識という意識もあるので、気をつけなくてはいけない。

しかし、人間とは思えぬようなおかしな犯罪を犯して逮捕されるような人のほとんどが、
そうゆう意識に憑依されてるわけで、はっきり言っちゃうけど、これ、
それは、空っぽで中身がないから、憑依つーか入られちゃうわけで、
だから、意識する事、意識を確認する事は、大事なことで、何故なら、
私たちは意識そのものであって意識によって生かされてるわけだから。

だんだんウザクなってきてるぞ。

そしてまずもって、私たちは動物ではない。人間だ。
人間の意識と動物の意識は違う。だから、私たちは動物的な意識ではなく、
しっかりとした人間の意識を持って、そう本当は、今は亡き(ではないか)細木数子のように、
ウザクうざく俺ココにおりまんねん!的はっきりくっきりするような感じで、
意識そのものになって生きていないと、全体の意識を感受しながら生きて行く事は出来ない。
だってそうだろ。愛は、感じられなければ、決して愛を知った事にはならない。んだもんよぅ。
それは、知識ではなく、意識だからだ。




感じられなければ、悪霊に憑依されたって仕方がない。
そんな中身からっぽのような人は、無感覚であって当然でそんな鈍感にさせた自分さえも
感じる事ができないでいる。

悪霊に憑依されてるような人は、反省が出来ないから。
心にたまったいらないゴミを取り払う事が反省で、それは道徳的なコトバではなく、
智慧に近い。だから、はんせーと聞いただけでだせーとかくっせーとか言うような意識の人は、
狙われるから危険なので注意が必要だ。とか言っても誰がきく。
みたいな話にしかならないのは、未熟な私の責任だ。とかね。
しかし、ということは、ん~~~内緒にしたくないくらい大事な話だどうすんべ。

自分が実はウザイ.......とゆーかみんな、ウザイ。どこもかしこも意識だらけなやつらである。
ということは、大事でもあるけど、内緒にしておいた方が、良い加減な事であるかも。

さーどうする!みんな!

おしまい!


日本しりーずもおしまい!さー冬がくるぞぉ=!今年もおわるぞ=!




お前こそなくてもいーみたいな恥ずかしい「なくてもいー」って人(意識=世界)だけでなく、
それと似てるようでまったくレベルが違う、「なくていーものだからすてる」として生きてる人(意識=世界)もいて、
そうなるとまったく違ってくるわけで、素晴しい意識=人となるわけで、何故ならそれは仏教で言うところの「無我」なる世界に生きる人=意識となるからで、だから、紛らわしいので誤解されてはいけないので、そういうぜんぜん恥を知らなくない素晴しいなくていーの世在るということを書いておこーと。

【復刻版;タダイマ付近の感じ/竹の節の話】

2008-11-05 | ・nTinDEEP



どうもこんばんわ。元気かきたぞ俺。

つーことで、私。え~つい最近まで「加齢臭」のことを、
マジで「カレー臭」つまり、カレー・ライスの、「カレーの臭い」だとばかり、
マジでホントーに。そう思い続けていた。
とゆーまーそのシューなる領域におめーも入ってるだろ!と
叱られそうなほどそんなシューとは無関係を装い続ける、
いつまでもPOPで明るいROCKをも唄うおじーさん。
せーいち。なんでごぜいやすずならそ。と。

さー。今良い子のみんなの気になる事といえば、
「Saybow&the Wipers」のデビューLiveとかなんじゃないかな?
そー私の新しいバンドの初Live。

もちろんその用意のための運動(動き)はやってます。
決して怠けてたりなどしておりやせん。
実際、メンバーを集めての初めてのリハーサルを、この前やってまいりやした。
中々、イケそーな感じだス。でも、イケそーな感じゆえに、
いろいろな秘密な事を時間をかけてじっくりとしなくてはいけないという状況にもなり、
つーかまーつまり、そのバンドにとって、とても必要でおそらく、
そのサウンドの中心となるような自分にとっての新しい楽器がある事を発見し、
おーコイツだろ!コイツが俺の新しいバンドの新しいサウンドの光源となる!
とか確信した私は、それまで何度も何度も考えては捨て、捨ててはやっぱ拾う、
ようなどうしてもイマイチエロさ薄い感じの演奏スタイルその方法を捨て、
コイツだコイツだ。俺を勃起させるヤツわ!
これわ「エロい!」と、確信する、ソイツを発見すると、
待ってろこれから今ソレすぐに買いに行き、おーたのしそーだぞー!
ソイツとこれから毎日ガマン汁溢れるような事をソイツに命令したり
強制したりして、つまみをまわしたりそのスイッチを切り替えたりして、
何度も何度も指を激しくソイツの肉体のそこらじゅうに秘められた性感帯を見つけ出しては、
そこに集中して激しく優しく激しくゆるくきつくとその肉ひだから溢れ出る電気の流れの動きに反応した
人に聞かせられぬような恥ずかしいほどの喘ぎ声を様々に出させては、いろいろな体位で、
さらに激しくファックしまくりながら、ついにソコから、自由自在に閃くまま、
いつでも勃起反り立つほどにエロくエロく新しい、数々の自分の出させた「生命の声」として、
それを完璧自分の楽器としてエロいいーい音出させるようになるまでは、
そのバンドのLiveは出来なくなってしまった。

とオチがあまりにもオチてしまった。

抜けそうな感じにさせるだけさせておいて抜けなかったよーなマクラですまん。

ならば、内緒の話をもひとつ。

実はその遅れに遅れる私の新しいバンドのLiveを平気で追い抜きそうな勢いで、
もひとつ違ったバンドのLiveの話しが、密かに進められていて、
それは、みんなもよーく知ってるあの4人組のバンドでな。Tという。またやるみたいでな。

おーいおーいまだ内緒だぞ。誰にも言うんじゃねーぞ。
言いそーだなー。言うだろおめ?言わない?言いそーだろーがぁ、
言わない言わない?言ったら好きなことしてもいい?良いのか?
好きなことだぞ!?どんなこと? 好きなことだろ。私も好きなことかって?
好きなことだろー絶対。じゃー言い?
おーそーけー!!!やらしてくれるのかぁ==!!
って言っちゃうんだろ!それじゃぁ内緒だっつーの!!
言うなよ!やらせてもらいたいが、言っちゃうとやらせてもらうんで、
言っちゃうことになるからやらせてもらえないことになるのが...良いのかぁ俺わ?
好きなことにもかかわらずぅ?だからやらせてもらうと言っちゃうんだって。
何を?だから内緒の話を。誰の?お前の。俺の?

とかこうゆうこと書かせたらけっこー好きなんでいくらたっても先に進めないから先イクぞ。

だから、そのまだ内緒のバンドのLiveは、おそらく来年の春頃になりそうだからぁ、
どーにかそいつに追い抜かれぬように、その前に「Saybow&the Wipers」のLiveをしなくては。

そこで、突然ですが、リクエストがあったので、
今では幻となってしまったudjのホームページ。
そのコンテンツ中でも非常に人気の高かった「タダイマ付近の感じ」
ココUBAでは、「新しいタダイマ付近の感じ」という意味で「nT」なって、ある時から
「nT」じゃせっかくその内容において深みあるものが、
カルーイ感じになってしまうからかどうかはそれを思いついた作者=俺自身が忘れてしまい
今ではその真相は謎である「深さ=DEEP」を足して「nTinDEEP」とし、
その幻のホームページの看板でもあった「タダイマ付近の感じ」に深みをつけて、
それを受継ぐものとして、ソレは今ココにこーやってあるわけだス。

その「タダイマ付近の感じ」の作文からの復刻版ということで、
その中から、今から5年前頃に記した「竹の理論」の話しを、
ちょっと今からアンコール上映させるからみんなも読んでみてわどーかと。
それは、けっこーためになる面白い話しだからして。





でわ。Tにいるあいつじゃない「竹」の話。

根本においては柔軟、柔軟であるが、したたか。これが竹。

それは、一つの方向にしか曲がらないものであってもいけない、
また、決して曲がらないような硬いものであってもいけない。

これが、私の言うところの、POPです。

これを、では、もっとわかるために「竹」という植物を比喩に、説明してみましょう。

何故なら、この「竹」という植物、なかなかにして、POPなのです。

柿の木などは竹に比べると揺れませんし、曲がりませんが、簡単に折れてしまいます。
竹は折れませんが柿の木は折れます。

一見カチッとしているものほど、簡単にもろく折れてしまいますが、
柔らかく見えるもののなかに真の強さがあって、そう簡単には折れないのです。

これはまさしく私の思うところのPOPに他ならないのであります。
まさにPOPの本質である、根本においては柔軟、柔軟であるが、したたか。
を「竹」はうたっているんじゃないでしょうか。bamboo!!。です。

では何故、竹は簡単に折れないのでしょうか?

私たちは何気なく竹という植物を、単なるデザインとしてああいう節があり、
先にいくほど段々細くなっていく、というスタイルを思い浮かべるのですが、
あの節を作っていく努力、ということを考えてみましょう。

竹の節は、20センチか30センチくらいの間隔です。
しかしどの竹も、どの竹も、その節の部分はカチッリとしています。
根元からカチッリ、カチッリと出てきて、先の方に行くほど小さくなっていく、
やわになって、細くなって、風に揺れていますが、そのやわに風で揺れている部分も、
やがて時間がたつと、次第しだいに同じような節になっていくのです。
そしてさらに大きな節になっていって、その上にもっと細い枝をつけていくのです。
細い枝ではないのですが、先端が細く伸びていきます。

あの竹を見ていますと、確実に、確実に固めて生長していくのです。
大したもんです。10メートルになろうが20メートルになろうが、
竹が竹である理由、竹としての独自性を持っている理由は、あの節にある、と思われます。

竹という植物は、風に強く、折れない。やわであるけれども、
単にやわでないところは、完全にいつも勝ちつづけていることにあると思うのです。

どんなに風が吹こうが、何があろうが、伸びつづけている。
そして自分が生長したという証拠を確実に刻んでいます。
それを私たちに見せてくれています。
これが私が成長した部分ですよと、はっきり見せてくれているのです。

竹はその節を作っていくときに、一つひとつ節を積み重ねていくたびに、
これだけ自分は生長したのだ、という気持ちがあるように思います。

人生の組み立ても、この竹の構造とよく似た部分があるように思います。

私たち一人一人の人間は、あの竹のように細いものにしかすぎないのではないか。
太くなったとしても直径ほんの20センチ、30センチ、それ以上にはならず、
竹の子として頭を出し、その後次第しだいに伸びていくわけです。

私たちが目指していくものは、こうした姿のように思います。

それはこの世界が決して温室のような世界ではないからです。

温室のような世界ではなく、雨もふれば、風も吹く、
雪も積もれば、また日照りの日もあります。ゆえに、


竹の節の部分が出ている時期は、逆境の時期と言えると思います。

それまで20センチ、30センチと順調に伸びてきた、
順調に伸びてきたものが節を作らなくてはいけなくなるのです。
この時におそらく苦しみがあるのではないか、という感じがします。

いままですーっと伸びてこれたのに、
このままでいけばいいのではないか、という気がします。

すーっと伸びてくれていたものが、
10メートル.20メートルとすーっと真直ぐに伸びることが出来れば、
こんなに気持良いことはないのではないか、そういうふうに感じていると思います。

ところが実際は20センチ、30センチおきに節を作らなくてはいけない。
この節を作るときにおそらく抵抗感があるはずです。
停滞感というのは絶対にあるはずです。

いままで伸びてきたものが伸びることが出来なくなる、
何かの妨害みたいなものがあるでしょうか。

自分としてはグーッと伸びていきたいのに節を作らなくてはいけない。
この時期というのは苦しいと思います。

苦しくて何だかわからないけど、ここに天井があるかのような感が出てきて、
竹のエネルギーが溢れてくる、そのようにあのような節が出来てくるのでしょう。

次々と節が出来てゆき、そしてまた伸びてくる、また節が出来る。
この時が苦しいのだろうと思います。

苦しいけれども、その節の部分が、
実際は竹が無限に伸びていくための大きな土台になっているのです。

私たちも、運勢にある程度の周期があって、
順境、逆境があるということは、私たちの人生において、
この節を作っている部分であるのだ、というふうに思います。

この逆境の時が節である、この節が出来て、
そこからまた次なるものが出てくるのだ、という感じが強くいたします。


どうでしょう、POPはこの節を持つ、風にゆーらゆら、良い加減の、
やわだが強く柔軟な、まさにこの「竹」のようではないかと、思えるのであります。

そして、これは何も音楽の世界だけの領域でもない、あらゆることに言えてしまう、
とゆうことを実感し、これは、結構な展開になってしまったわけでありますね。

柔軟でナンデモアリなPOPの、これが正しい認識ではないでしょうか。
うん、格調高いでしょ運動場って。

...........................んんんんんんまー大マジメに語ってしまうほどのテンションで、思わず訴えるほどに書いてしまったじゃねーかとも思うのでありますが、ここはやはり生長を自ら実感しているワタクシでありますので、クサクもハズクも、強くうたいあげるわけの所存でありました。

だから、ね、POPです。



さいごのほう。まあだまだわかわかしい私を感じるねぇ。

これからも「タダイマ付近の感じ」の復刻版、出して行く予定だ。意味あるので。



我が家に遊びに来たサッカー選手のトゥーリオ選手(田中マルクス闘莉王)。まったく今回の話と関係ないけど