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【「Saybow&the Wipers”未完成のママから初Live”】

2009-08-17 | ・Live


さて。TのLiveも一段落した頃合いと共に、
若者たちの楽しいお祭りムード闊歩する「夏」も後半に入り、
凶と出るか吉と出るか皆目見当のつかないマスコミの公正を欠いた白痴的な報道の中、
アゲアシとりの口喧嘩とかただの票取り目的のバラマキ政策とか、
本来なら国益や国防こそをどのようにはっきりとした気概で考え語り伝えられるかが、
「政党」「政治家」としての勝負であるはずが、
マスコミも含め、それに対しては、まるで腫れ物に触るような小さき器量さで
タブーのように蓋をして、たとえば飢餓状態にある国民をほったらかしにして、
まるで子供のようにテポドン遊びにうつつを抜かす北朝鮮に対して、
はっきり堂々と間違っていると叱りつけることなど、誰一人怖くて言えない政治家たちや、
叱りつけるどころか、さらに舐められまくられる日本にさせようとしたいのか、
「友愛」などとほざいては、本当にすべての問題の解決がそれで出来ると考えているとしたら、
そんな政党が政権をとったら、日本は大変なことになる。んで心配だ。

政権を持つ政党の党首は、日本国の総理大臣になるわけだからさ。

総理大臣であるなら、北朝鮮がもしも日本にミサイルを発射して来た時、
その攻撃から日本国民を守る最高責任者となるのだけど、
その国を叱りつけることも出来ずに友愛精神だけでもって解決可能だと考えていたような者が、
そんな緊急事態における時のために、前もってしっかりとした対策など用意出来ているだろうか、
おそらく、友愛精神をもってすべての解決を可能にすると考えていた者が、
そんな友愛精神にまったく反するような事態になることなど、マトモに想像したこともないだろうし、
その時、リーダーとして冷静で的確な判断を迅速に下し、
一人でも多くの国民をその被害から護るようなハタラキをするどころか、
お坊ちゃん上がりの友愛精神の総理大臣は、そんな夢にも思わぬ
緊急事態に対して、総理としても自分の無策加減にただおろおろするだけではないだろうか。
それは、強い信念のもとに訴え続けていたと思われる専守防衛などにおける
その政党の看板でもあった強い方針など、いとも簡単にコロコロ変えても
一つも恥に思わないという政権をとる政党としてはあまりにも無責任な姿勢を示してたりすることで、
大体予想出来る話だ。そんな政党が、これからの日本の政権をとろうとする最有力な政党として
認められているというなら、日本は今とても不安で危険な状態に進みつつあるということになるので、
それをどうしようも出来ない自分にとてもムカつく。
しかし友愛精神のもとに、時代遅れな「左翼」党員が大勢渦巻く政党に、
政権を握らせたら、日本は必ず今より一層情けない国になって、
今よりも一層世界から舐められ、何事においても大声を張り上げ強引なる態度で迫る者や国に対して、
簡単に丸め込まれてしまうような骨のない国になってしまうだろうことが、

よぉーく分かる。



それは、明治維新の幕末の志士のような、命をかけて本気で日本のために動き護り、
外交も巧みにコナし国益を真実発展させ、日本国そして日本国民を生長させると共に大いに繁栄させるような、
偉い政治家=侍は、もう遠い昔に絶滅してしまった国になってしまったという証となるだろうにも。

だからといってどこもマトモに国防や国益を気概を持って語れぬ政党立候補者たちが
日本中をひしめきまわり、日本を大きく変えてしまいそうな総選挙は、もうすぐに迫り、
季節は、来るべき芸術的な「秋」に向って、まっす=ぐにどんどん流れて来てるわけだけど、
その「秋」を迎える頃に、私は、ついに、新しいバンド
「Saybow&the Wipers」の初Liveを、行う事になっているわけだス。

なっているわけなのだけど、実は、これがまだ「バンド」としての「Live」をやるには
未完成な状態で、自分の考える「完全な形」として、自分の新しいバンドである「Saybow&the Wipers」を、
そのLiveの日に、ご披露することは、まだ、どう考えても時間が足りず、不可能なわけだス。

だから本当だったら、「Saybow&the Wipers」ではなく、
「saybowセッションバンド」的な名目のLiveになるとした方が、
問題もなく何かと無難なんだけど、それじゃつまらない。のな。何かと無難なLiveなんて。俺には。

いやいやいや、「それじゃつまらない。」というのは、
それは、見に来る客側の言い分だろ。とみんなは思うかもしんないけど、それは、違うのな。

それじゃつまらない。と思うなら、見に来なければ良いだけの話だから。
だからそれを「言い分」だとされても、私にはそんなこと言う意味がわからない。

しかし俺には「言い分」めちゃくちゃあるの。意味も。
つまらないと思うならLiveしに行かなければ良い。わけには俺はいかないのな。
というだけでもうぜんぜんアルだろってわかるべな。

みんなと違って、つまらないと思うならLiveしに行かなければ良い。わけにはいかない俺には、
それじゃつまらない。と「言える分」がある。というその「言える分」がある。というのは、
つまらないLiveにわさせないぞぅ。なぁ~んて気持ちにもなれる「分」もアル。という意味であるわけだス。

みんなは、それじゃつまらない。から、わざわざ金出して見に行く事もない。と平然とした態度で、
誰にも迷惑をかけることもなく、それが出来ちゃうわけだス。それは、すごい特権だぁ(笑)。

このこと、あんまごちゃごちゃ説明するのもなんなんだけど。何しろ、みんなは、
そのLiveに参加するもしないも、めちゃくちゃ自由なわけだス。

だから、何よりも自分にとって一番考えるべき必要なことは、
みんなが来るのか来ないのか、あるいわみんなに来て欲しいなぁ、なんてこと考えるよりも、

それじゃつまらない。と思うならそういう言い分があるなら、
そいじゃーつまらないと思うソレではなく、面白いと思えるアレでもコレでも何でもいいから
そいつを発見し、発見したら、「発見したそいつをやる」ことなのな。

それが考えられなきゃ、みんな見に来るかなとか心配したりみんな見に来てくれやと、
思ったり言ったり何を理由にそんなこと言うのだ。みたいな。言えないだろ。
そうでなくてもそんなこと言わないけど俺(笑)。なんかホストみたいだし。
でも「宣伝」は面白いものだから、言われたとうりにするのでなく、
俺的なオリジナルなものとしてなら、考えたりやったり出来るけど。

で。まだ未完成な状態で、自分の考える「完全な形」として、
自分の新しいバンドである「Saybow&the Wipers」を、
そのLiveの日に、ご披露することは、どう考えても不可能であって、
だから、「Saybow&the Wipers」ではなく、「saybowセッションバンド」的な名目のLiveでした方が、
何かと無難なんだけど、それじゃつまらない。

つーのなら、どんなLiveをやるのか。というと。

前回の高円寺のTの時と同じように思うかもしれないけど、これも、
それをそのまま見せるようなLiveをやれば良い。わけだス。

でも、高円寺のTの時とは、手段は同じでも、その内容は大きく違う。

あくまでそれは「Saybow&the Wipers」の「初Live」であって、
それが、まだ「バンド」としてLiveをやるにはまだ未完成であるなら、
その未完成であるそのままをLiveにして見せてしまえば良い。

もちろん、未完成そのままを見せれば良いわけではなく、
それを最後までダレずに面白いLiveとして出来ればの話になるわけだス。

「未完成」というネタを使って最後までダレずにLiveしてしまう。ということは、
それはもう、堂々と「Saybow&the Wipers」の「初Live」として成立してしまえるわけだス。

それであるなら、ステージ上でその「バンド」が、まだわからぬ不安定な未完成な形のものであることを
堂々と素直に伝え表現すること事態、とても面白いし、そしてそれが、みんなの見てる前で、
何だかじわじわと、変化を起こしはじめ、見てるものもやってるものも、あそこがここがこれがと、
それぞれ、好きなように「Saybow&the Wipers」というバンドの形を発見していく。
ああ「Saybow&the Wipers」というのは、きっとこういうバンドだろう。とか、
みんなで自由に勝手にその時その場で想像したり楽しむ事も出来るわけだス。

それは、未完成そのものを題材にしたまだ形がはっきり決まっていない「バンドのLive」ゆえに、
出来る技でもあるわけで。

ある意味、「Saybow&the Wipers」というバンドは、その時その場のみんなによって、
完成し生まれた「Live」バンド。という、前代未聞のバンドとも成り得るわけで、それは、私の考えた
「Saybow&the Wipers」でもある。ことから、実際どうなるかはわからないけども、それは、
それだけでも十分面白い「Saybow&the Wipers」の「初Live」になるわけだス。

ま。そういうノウガキなど一切不要でもあるはアルので、これ以上9/13の7THでの
「Saybow&the Wipers」のLiveについて話す事はやめような。





あと、メンバーについてだけど。

「Saybow&the Wipers」は、基本的に、その時その時の自分を、忠実に出すこと。
それこそを、そのバンドのコンセプトとしよう。と思ってるのな。
それは、一見「ソロ」的なものにも思えるから、説明するのは難しいんだけど、
自分にとっては、ソレは今までにない「バンド」に対する新しい考え方で、
それは、Saybow&theR+X+Sのように、メンバーをはっきりと固定させた形にしないで、
基本的に、自分(saybow)以外の他のメンバーに対しては、自由に柔軟に出入り自由とさせて、
その時その時にいるメンバーが、「Saybow&the Wipers」のバンド・メンバーでもあって、
だから、「ゲスト」というのはないの。
それは「ゲスト」のつもりで唄いに演奏しに来たヤツだろうと、
ソイツはその時の「Saybow&the Wipers」のバンド・メンバーなの。
ギャラに関しては「ゲスト」のつもりで来たことを認め、打ち上げ費用無料のみな程度で、
すませてしまうかもしれないが(笑)。
面白いと思うミュージシャンがいたら、次のLiveのバンドメンバーになってたり、
その都度その都度、いろんなミュージシャンをメンバーにしたりすることが出来るバンド、
そういった意味では、誰でも、このバンドで演奏することが可能とも言え、
何しろ、メンバー出入り自由で柔軟なる感じで、毎回新鮮な気持ちの中で、
自分独特で面白い音楽世界を創って行ければなぁ。
とか、思ってたりもするけど、ま。なこと言っても、

タクミ(ギター)遠藤(ベース)Mac清水(パーカス)をレギュラーメンバーとして、
そして半レギュラーとして、グリコ(ドラム)みたいな感じで、当分は、やってくと思うけど。


そしてこのバンドで、私は、100万年ぶりに、ドラムを叩いたりもしやす。
それが楽しみでもある、9/13(日)は7THアベニューでの
「Saybow&the Wipers”未完成のママから初Live”だったりもしてるぞこのやろぉ~。



【Tと後頭部たち/その2(09.7.31高円寺ショーボート)】

2009-08-06 | ・Live

私の誇り愛す後頭部たちの画像を今回も再び。このバッらバらな腕の上げかげんといい指サインの統一感のなさ(ふつうありがちなコンサートよろしくみんな同じようにロボット状にまとまりそうなもんを誰一人同じフォームではない)といい、それは俺たちに負けずと劣らずおめーらも個性豊かなもう一方のTである証拠だ。

さぁ。どうだった。高円寺はショーボートでのTの夏の陣。

前回のクロコで10年分は頑張ったんで、
TのLiveあと10年はやらずともいーんじゃないのか。とか、
夏にTは似合わない、だって俺は汗っかきなんだもん。
とかわけわからぬ事をぐじゅぐじゅ言っては、
自分のLiveやりたかねぇ気持ちをココで思う存分にばらし、
Liveを見に行こうとする者をもその気を失せさせるような、
そんなおめーらのその心にスキをつくらせてしまうような、
音楽家としてあるまじきような事を、ほとんど無意識に、
私は平気で書いていたんで、心配で不安だったんじゃねーかな?

でも、それだけ実際、本当に、私は、Liveをやりたくなかったんでした。

何故なら、夏にTのLiveは似合わない私は汗っかきなんだもん。
つーのは、ま。冗談で、本当のところの理由は、
やる以上はクロコ以上のLiveをしなきゃ意味がない。
と思う自分がいたから。なのな。

ま。それは、俺の事だから、いつもの事なんだけど。

でも、今までのTのLiveにおける長い歴史の中でも、今回のクロコのLiveは、
その全てを理解する事はみんなには無理だろーほど、私にとって、
チョー感動Live=物語であったわけで、それは、
二度と同じことは出来ないまっこと奇跡のLiveつーほどのもん、まつまりが、
今までのTのLiveにおける長い歴史の中で、最高のLiveだったわけだス。

ソレは、あくまで自分の中だけのソレであって、
ある人には「いくない!」「つまらなかった!」
と思われるものであったとしても、私の自分のLiveに対する評価は、
人の意見とかまったく関係ない。

それでずーっと通して来てる。何しろ私は何事においても
自然に伴った公平観を持つ、ニュートラル主義者だからだ。

この「自分に厳しい」「公平である」というのがないと理に合わないけど、
そうであるなら、私は、まずもって自分を評価できる存在は、
自分以外にはいないだろうにと思うヤツだス。

人からの評価や批判で、よろこんだり落ち込んだりする事は、
創造する者にとって、いかに余計な事なのかを私は知ってる。
そんな所を基点にしてたら、真に面白いもの良いものなど創れるはずがない。
とかゆー話は長くなるし誰も読むヤツもいなくなるんで、そゆ話はむこーにおいといて、

なにしろ、前回のクロコのLiveは、自分にとって、
今までのTのLiveにおける長い歴史の中でも、最高のものでもあり、
それは「二度と出来るようなものではないほどに奇跡的なLive」だったわけだス。

しかし「二度と出来ない今までで最高の奇跡のLive」と言ったからには、
理論的に、それを超えるLiveは、あり得ない。と言ってるに等しいわけでもあり、
実際、それなら、常に前回のLiveより次のLiveの方が
より面白くなければLiveやる意味ないと思う自分にとって、
次回の高円寺のLiveは、あり得ないわけで、また百歩譲ってそれをあり得るものにするには、
少なくとも、それだけの年月が必要になるわけだス。

また、だからといって逆に、いとも簡単にクロコ以上のLiveになってしまうのも、
自分の言ってる事に重みなさそーで、これまた、何か、
いけないつーかその事をこうして今書けば書くほど、
その意味も面白味もどんどんなくなってしまいそうで、ヤバい感じ。


とにかく、Liveやりたくない。とかぐじゅぐじゅ書いてた理由は、
ソコらへんにあったわけですに。


ほら、アートだべ。あくまで主役の被写体は俺ではなく「後頭部たち」だ。芸術家の俺として言わせてもらえば、それはうつくしさとかな「何か」が秘められた、とてもリアルな「芸術的後頭部」のように私には見える。普通Live中、おめーらはみんなの後頭部しか見えない。しかし舞台上にいる私には、みんなが知らないおめーらのその後頭部の反対側つまりおめーらのそのたくさんの顔顔顔その表情を知っている。それは絶対人に見せないだろー「恥ずかしい」くらいに素直できれーな顔なのだからして。とか私はおめーらの弱味を知っている。ふふふふふふふ。いつかそれにつけ込んで金でも脅しとろうかとも思っている。ゆえに俺にはこの「後頭部たち」が、私に奇跡を与えるそういうリアルでアートな「後頭部たち」に自然に見えるのな。だから負けてねぇの俺も。


夏にTのLiveは似合わないとか汗っかきだとかぐじゅぐじゅ書きながら、その実、
そんなすぐにまた次やりたかねぇなぁ。という本当の理由は、
そのモチベーションにおいても、その自信においても、
クロコ以上なるものをそんな短い期間で見つけることなど出来るもんかちゅー。

私の場合、そのような状態のままでLiveをやることは考えられないわけだス。

しかし、これは、わがまま(我のまま)そのものが充分表現主題となる「S」ではなく
「バンド」という「社会」を基に進行する「T」であり、
すでに確認もし決定されてる以上は、そのルールに逆らい、1人出演を拒否する、
またはフケルなんて事は、いまだに私は「ガキ」である。
つーことになってしまいやす。

50を過ぎてみんなからガキ扱いをされるのは屈辱でもあり、
エロの方の屈辱「プレー」は好きだけど、しかしその「プレー」においても、
私は絶対屈辱を与えるS側であれば好きなわけでもあり、それでも、
こんな私を服従させてしまえるほどの非常に上手い相手なら、
よろこんでM側にもなれるかも?なスケベな私でもあるけども、そういった
楽しさを秘めたエロ「プレー」でもなく、この歳になって、
大人扱いされることなくただガキだとして屈辱受けるなど、死んでも嫌なので、
考えに考え出した「Liveをやる」ための方法が、
「やりたくない」という事をココで正直に書いてしまう。という卑怯な方法でした。

しかしそれは、やりたくないのにやってんだからLiveいくなくても仕方ないだろが、
つーような事でよしとさせようとしているのではないかと自分にも思わせるほどに、
それは、おそらく今までの中で最も卑怯な方法かもしれない。

............................................................... ん?

今までのLiveの中で最も.....................?
今までの?........Liveの中で?............最も.....................?

おー!そりわ。「今までのLiveの中で最も.......」ということにおいては
前回のクロコと同じではないか!


なにしろ。アートだべ。つーの。あくまで主役の被写体は俺ではなく「後頭部たち」だろ。つーの。どの「後頭部」も横向いたりつまらなそうにしてるヤツもいそうになく全員が「Live」をしてる。「Live」に集中してる。つまり、「Live=生きてる」の。その象徴がこの決してロボット化することのないてんでバッラバラで個性豊かな反応リアクション応答し掲げられてるみんなの「手」だ。つーの。みんな立派な表現者なわけなのである。だから、(派手にも大袈裟にも自分を「UDJ+Artworx」だとする分)俺は、おめーらには負けられないのだ。


そしてその卑怯さが、「今までのLiveの中で最も」なるものであるのなら、
そのエネルギー自体は、たとえ「負」なるものでも、その容量の大きさは同じであり、
ならば、それは「今までで最高の奇跡のLive」と変換も可能となりかねないほどの
要素(エネルギー)としてしっかり在るんではないのか!

ということに気付くわけだス。

それは、クロコの時のソレとは違い、
まったく正反対の「負=気力なさ」のエネルギーではあるけれど、
それが、今までで一番のとんでもない「負」であるならば、
それを怖れずはっきり堂々と公表し、そのLiveをガキのように
キャンセル=ふけない=逃げない限りそれは、
そのLiveをクロコ同様に有意義で有効なるものへと導き出し、
「正=やる気」のエネルギーとして化学変化を起こすことは可能だ!

というところに強引に行き着ける私なのでありやした。


今までにないほどのやる気の無さ、モチベーションの無さ、
であるというなら、それを正直に公表しみんなに伝え知らせた上で、たとえば、
その私の「負なる気」が、その日その時その場所のみんなの前で、みるみるうちに
気力溢れるものに変わっていくとしたら、それは、
前回の奇跡のクロコでのLive同様に「奇跡のLive」になるのではないのか。

クロコは、過剰な気力から生まれた感動物語=Liveだった。
今度はその反対側から攻めりゃ、あり得ないと思われていたLiveでも、
それに匹敵したLiveとしてり得る事が可能になるのではないか!

思い出せば、前回のクロコは、「正=やる気」のエネルギーが過剰ゆえに、
ちょっとした気のゆるみさえも許さぬとする自分は、ちょっとしたことで
思ってもいなかったような「負=気力失せる」エネルギーを大量に発生させ、
ステージ上でそれと闘う物語が、その「2-Days Live」の1日目でもあった。、
それは、完璧だと思われた気力が、その場=ステージ上=公衆の面前で
体力と共に一気に消失されるところをみんなに晒しながらも、
そうなったことで、そうなったおかげで、
客席から「正も負も無い太い純粋なあい」のエネルギーを発見し、
再び気力を取り戻し、体力的に心配された翌日のLiveまで、
何の心配もさせることなく見事に勝ちに持って行った奇跡の物語=Live。
という、それは、書くとむず痒くなるような、しかし私にとって今までで最高の、
私にとって、それは二度と出来ぬほどのまたは二度もやってはいけぬほどの、
難攻不落を極めるくらいに深くて素晴しい最高のLiveだったわけだ。前回のクロコはよ。

しかし、まず、今回のLiveにおいて、真実気力の無さという、「負」のエネルギーが、
自分の中で、最初に在ることで、それは、前回のクロコを踏襲成し得る事が可能になるでわないか!
ということを発見するわけだス。

来るべきLiveに対して、堂々と「やる気ない自分」を表明したことで、
その日のLiveに、金を払ってでも行くべきものかどうか、
考えたヤツがいたとしよう。

そして疑心暗鬼のまま気付くと、ショーボートに来てしまい、
来てしまったんだから観て行こうつーんんで、金を払いその会場に入ってしまう。
しかし、そんなヤツだけではなくそんな事知らずに来てるヤツにも、
「ぜんぜん来て良かった!」と思わせるに充分なLive=唄いっぷりを
披露することが出来たとしたら、ソイツと俺にとって、それはクロコに匹敵する大したLiveでもある。
卑怯にもやりたくないのを無理矢理やってんだから勘弁しろという私が、
嘘ではなく実際自信が無くやりたくなかった私が、
フタを開けたら、私も驚くほどに、
見る見るうちに、前回のクロコ以上に唄えている姿に変貌していく私として、
ソコにいたとしたら、それは、クロコとはまた別な、新鮮なところでのブランニュ~なる、
「奇跡のLive」となる。じゃん。


というチョー個人的な話してんだ。

なんか誰もいなくなってるような気がするが。



こんなヤツもいたりして。私は「客席」から「客意識」で撮影されるTのLive映像は、ある意味それ自体からしてアート作品なんだと思う。しかしそれはあくまで今回までのT(我々)の場合に関する話。何故なら「次回」もT(私たち)が今の日本の音楽業界?の中では稀にみる存在であり貴重な価値=内容あるものであるかどうかはわからない。つまらなかったらTはその時点でおしまいなんだと思う俺だし。だからおしまいになるまでは、このように勝手にどんどん映像を記録してもらうのは悪くない。


でもどうだ、俺のチョー個人的な高円寺のTのLiveの話。
ここまでバカだとけっこうおもろいべ。
誰もいなくなってるような気がする中で逃げ遅れしかもコメントまで書いたりしてるおめーどうだ。

言われてみりゃ、実際、Live、おめーがコメントしてくれたとうりに
そんくらいなほどに良かっただろが。

ざまみろ。いひひひひひひひひひひひ。


偉い芸術家の言葉にね(品がないように思われるのを怖れ話題変える)、

モノを創造する人間にとって、最も危険な事は、
自分の仕事が習慣化してしまっていることに気付かない事。

というのがあるけど、ミュージシャンというよりも歌手というよりも、
誰よりも自分のことをバカでもなれるつーかバカでないとなれない
ゲージュツカであると思う私には、それがよぉ~くわかるわけだス。

習慣化してる中で出来上がる作品に、面白いものなど1つもないからね。

TENSAWのLiveをやるってんで、そーなんかよしわかった。ってんで、
気付けば特にTのLiveに関して、その度に毎回こんなバカな思いをより抱いては、
ハラハラドキドキしながらも、ソレをやっているソレをこなしている私だが、
そういうことがあるので、こんなんにもなるわけだス俺わ。

それを、今回のLiveで証明した。と思うだ俺わよ~ぅ。

やる気なければただ習慣的にコナせりゃ、それで良いだろう。
というLiveでは決してなかったべ。と思うだ俺わよ~ぅ。

さぁ。観に来たやつらめ。どだ。それは間違いか?自惚れか?

しかし、メンバーやスタッフそしておめーらも含めたすべてのTたちにとって、
今またまた気付くと TENSAWをやり出してるというのは、
俺もおめーも含めたすべてのTが、そのことを潜在的に知ってるんだと思うわけだ。

みんなそれぞれに習慣化していたそれぞれの自分の今の仕事に気づき、
それから一時たりとも抜け出ようとして、またみんなで一緒にTをやってるんだと思うわけだ。

記録-映像化されたそれぞれ個性豊かな後頭部たちの「手」を見ても、
そんな感じに思えるのな。

みんな、どんな状況においやられどんな壁=現実にぶつかろうとも、
基本的には、人一倍「自分」であることの大切さを知り、
基本的には、人一倍「自分」のための「自由」を護り、
そんな現実の中でも自分を生かし、この世界に頑張って生きてるんだと思うからさ。

それは、自分を大切に思え愛せている証拠だ、それは、
自分において現在本物であることの証だ。

自分を大切に思えず愛せない人間が、自分以外の「他」を大切に思え愛せるわけがないし、
そうであったからといって、そんな自分は、本当の自分ではなく、ニセモノの自分だから、
別に落ち込む事もない。そう思うのなら、本当の自分に戻れば良いだけだということを
知ってるみんなであり、本当の自分=人間は、誰もが、本来すっげーヤツなんだということを、
知ってるからこそ、俺にこんなこと書かせるんじゃねぇだろうか。

それは、アホではなく非常に賢く、人類の未来にとっても、良い事だ。

でも、そのことで唯一気をつけなければいけない事は、
気付かぬところで、TENSAWが習慣的になってしまうこと。
それがテーマの今回のUBAでもあんだった。

私にとってTENSAWは、やれば良いというバンドではなく、
TENSAWをやれる自分(私の場合そのバンドのリードボーカル)でいられること、
いくらやってみたところで、それが自分からみて、
全然 TENSAWのリードボーカル=セーボーになってなければ、
それは、 TENSAWじゃないわけだからさ、

たとえば、ただドラッグでハイになってただ調子にのって
ただ自慰的にただ陶酔してるくせにカッコつけて愛を唄ってたり、
またはもしもTが権威持つほどに力あるものになっちゃったりしたとして、
そのことに対する危機感などまったく感じることもなく、
ただもう浮かれて尻尾ふって転げ回るほどにソレをよろこんだりしてたとしたら、
もうそれはぜんぜん TENSAWじゃないべ。そんなヤツは死刑だべ(笑)。

なにしろTENSAWをやる。つーことは、
ソレをやる時にソレをやれてるヤツでいられてなきゃ、
たとえメンバーであったとしても、それはTENSAWじゃないんでさ。
それこそが、 TENSAWやる上で私にとって何よりも大事なことなのな。

そんなこと聞くだけでふつー何か堅苦しく暗そうでつまらなそうに思えそうだけど、
そんなこと聞くと、何かうれしくなってさらに楽しめちゃうという特技を持ってんのが、
おめーらなの。そんな風にわ思えないのおめーらには。
だからすげーの。アホなの。俺と一緒なの。面白いの。明るいの。

違うか?

今回の高円寺ショーボートにおける、TのLiveは、
そんな感じを蔓延させてる俺がいたとゆーこれまた奇跡のLiveであった。
つーこりまたココだけの秘密の話だよろちくび。


めずらしいLive(舞台)上での全メンバー+スタッフが写ってる画像。申し訳なくもシノやんはかすかすぎりぎりだけど。Tマニア?なヤツの話では右端に写る古くからのTのスタッフでもあるミヤ氏は、この中で誰よりも人気を誇る一番のスターだそうでむかつく。ちなみに、私(saybow)はこのバンドのリード・ボーカルにもかかわらずのその人気度はかなり低いみたいでさらにむかつく。まるでTHE WHOじゃん。でも。よくありがちなボーカルが一番人気ではないからこのバンドは素晴しい。Tは昔からサザンでもなければまたRCサクセションでもなく、まさしく「バンド」なのだ!「バンド」が好きな私にとってソレは誇りでもある。しかしソレって何?かというと、バンドの中で意外に俺は人気ないこと。であるのでやはりムカつく。またそんなこともあってか、そんな私の気持ちは人が聞いたらただのキレイゴトにもなりかねない。だからそゆコトはあんま言わないようにしよっとぉぅ。


しかし、そんな事書いて、さらに次回からのTのLiveどうすんべ。

そんな中で今日もTのLiveがあるらしいってか?
ま。はっきりとTで出番あるのかはまだ決まってはいないらしいが。

でも、今回ソレさえも克服出来た事で、これからは、
ここまでマジになることはよそー、もっといー加減にやろっと。
もちろん、良い加減という意味でだ。なめんなよ。だから、安心しろう。


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今回のLiveで客席から「何かしゃべれ!」と言われたが「しゃべらん!」と返し、
あいかわらず、Liveで一つもMC(曲間でのトーク?)などしようとしない私について。

ココでこんだけしゃべってんだからあえてLiveでしゃべることもないべ。
俺の話聞きたいつーなら、ココに来て話きけや。
また、Liveであれだけ汗だらけに全身全霊でいっしょけんめ唄を唄っておいて=言葉を放っておいて、
さらにまだしゃべるなんて、そんなこと俺に出来るもんかぁ~。
俺はソコに話しに来てるんじゃなくTの曲を演奏唄いに来てるんだもんよぉ~。とかどだ。

ま。これからも、Liveで大いに俺を野次れな。俺はそれが楽しいしうれしいんだもんよ。