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【それは想定外な濃いー復活かいさん感動マニアックLiveだった/2】

2008-08-10 | ・Live




これは都会に顕著なことなんだけど、人と人しかいないでしょ。人対自分。
個人対個人っていう関係性しかない。それがぼくには不自然に思えてしょうがない。
で、ほかに何があるかっていうと、お店と道路。これしかない。

外に出て行くと、人がいて、お店がある。他のものは意味がないんだよ。
たとえば並木に木が植わっているけど、誰もそれに意識をとめることもない。

本来は人と人の間には空気があって、自然があって、いろんな要素がそこにあって、
人間はそれを全部一緒に呼吸して生きているものなんだ。

かつては信仰という第三の視点を通して、
常にそういうものに囲まれているという意識があったから、
周りの世界に対して畏敬の念というものを持って生きていたけれども、今はないでしょ。

音楽もそうだよ。

空気を排除しちゃったから丸裸だよ。
だからあらゆる局面で白分が攻撃される立場になっちゃう。
それで自分を守るために鎧をつけているうちに鎧がとれなくなっちゃうっていう。
これはもう都市の限界だね。

田舎でも同じことが起こっているからね。結局、人の感受性が衰退してるんだと思う。

五感が衰退してるんだ。

( 分福茶釜 / 著;細野晴臣より)


そゆーわけで、もう前月になるけど、前回、
やっと実現したそれまで幻のバンドであった(つまり人気知名度うすかった)、
「Saybow&theR+X+S」の7THでのLiveの話を書いてみたわけだが、

それは、誰が見ているんだか人気あんだかないんだかよくわからなそーの、
この自分のブログ「UBA」にとって、おそらく、比較的関心もたれそう聞き耳たてられそう、
「なにまだツヅキもあるのか!さーじゃーそのツヅキはどんなんだ?」
みたいなみんなを引きつけておこー的な ないやらしー魂胆で、「ツヅク」とかしてキープしておいたら、
あっと言う間にすでに8月のもう半ばだ!

こうなると、キープとゆーか、ほったらかしたままのような感じで、
せっかくの話題におけるその新鮮味も、ひょろぉりひょろひょろうすれてしまっているようで、
宮崎駿よろしく、「さーみんな待望のツヅキ(新作)だ!心してよんでみてくれ!ポニョ=!」
とかいって今ココにさっそーと更新登場してきてみても、気づいたら、
なもんキクミミ誰もおらんじゃねーかぁ!

とゆー事態がじゅーじゅー想定できる中、

なもんにビビリもせずに、堂々とさーついにココに書き今こそ発表してみるぞ=!
とか頑張って長々とマクラ=冒頭を書いてみた。

ものの、よく読み返せば、

長々とビビリと弱音を書いてるだけじゃねーか!
という事に気づき、あヤバヤバっ!まいった!どーしよー!やだやだ久しぶりの登場なのに
最初から恥かくよーな!あー私の性格からして矢田矢田。どーしよー!このままでは気がやだやだ!

とか今まさになってきて、どーにかこれを上手くイー感じにうっちゃり返して、
そーではない、ビビってなどいない、もっとかっこよさそーなイメージなハジマリ=マクラ=冒頭
に変えてみようか!?

何せ、人気あるのかないのかさっぱりわからない「saybow」の、
あっても知れた数のソイツのブログ、ココ「UBA」でもある、
この「ツヅキ」の後編、視聴率稼げそうなお題目でもあるんで、
冒頭から読者を引ずり込むようなおもろいモノとしてどう理解あらためさせよーか?!

とたかがマクラ書くのにこんなにも無駄な時間使って七転八倒の中、
さーもーいーだろー。

と、あっさりそのマクラ(冒頭)の序章をそのまま終え、
さー前作から長い沈黙のなか、いよいよその「ツヅキ」の本章は、今ココについに始まるのであった!

うまい!

とかうるせーなーいーから早く始めろこのヤロ!

と、自分に叱りつけ、やっとはじまる。ツヅキ。前回からの。なんだが、

突然ですが、ここで本当の話をしよう。

実は、Liveを終えてさっそくその話をココで報告したわけだけど、
それは「ツヅク」として、後の半分は次回に。ということだったんだけど、
その後の後半「ツヅキ」は、その時点でどんな話するか大体決まっていたわけなの。
それが時間がたつうちに変わってしまったわけなの。

つまり。変わってしまったためにその決まってた「ツヅキ」を書くのが出来ず、
変わった新しい「ツヅキ」を書くために、ここまで遅れてしまったの。

まー、それはけっこうなほどに感覚的な話しで、個人的にはドラマチックで面白い変わりようだったもので、
だけど、じゃーこれを世間に対してどーやって書けばいーのかわからず、
今までなかなか上手く書くことが出来ずにイライラしていたんだねぇ~。

今でも書けてない状態でやってるんだがそのまま何の障害もなく上手くゴールして書き上げられれば、
やったついに完了!となりやっと私は安眠出来るわけだスほんまのはなし。  

って誰もきいてないかおい?新鮮味うすれ関心持つヤツももういなくなってしまったから?

あっ!おめーみっけ!ちゃんといんじゃねーか。おーいたいた。

大体そんなおめーのようなヤツを、俺はマジで尊敬してしまう。そーだねぇ、
チラシもつくらずろくに宣伝もせず友人に誘いの電話一本入れる事なく姑息にも知られず隠れるように行われたLiveにも、
あんなバンドをみよーとよくもまーしっかり来てくれるヤツらは本当に凄い。それは、
ステージからその顔たちをみててもわかる。はっきりと。凄い。

きっといつもはそんなではないとは思うけど、その時のみんなの顔その表情は人に見せた事がないんではないかと思えるほど
無防備なほどにとてもアートで、それだけでみんなこんな俺なんかよりぜんぜんまっすぐで、きれーで、
天使のようだ。

大したもんだと、それみて、マジに心から本当に思えてしまう。
普段は絶対そんなヤツらではないと思うが(笑)。その時のそのみんなの視線その瞳に対しては、
そのきれいさに恐れ入ることがある。

きっとそれは俺たちのLiveだけ?俺たちのファンだけ?
のようにも平気で思えるほどになにしろ、だから、負けねーぞ!とも思え元気にさせてくれるし、
俺のLiveは天使が見に来る。つーぐらい。私はそんなおめーらみんなを誇りにも思い、
マジで心から敬意を捧げ感謝するわけでありやす。

おめーらこそ素晴しい。ありがと=。と。

そんな話はいーとして、

今回久しぶりにやってみた「自分のLive」は、「Saybow&theR+X+S」という「バンド」のLiveでした。
しかしそれは「バンド」にもかかわらず、「ソロ」以上に思い入れのある、
非常に個人的な色の強い「自分のLive」でもありやした。
何故なら、その「バンド」は、私が「私はゲージュツカだ」とか「udjだ」とか
平気で世間に名乗り始めたマイ意識革命の頃に生まれた、最初の自分の「作品」でもあったからです。

原田淳。菊地琢巳。satmin'。そして私。(そのOBにエンドーつーヤツもいる他に二木とかユーイチとか)
というミュージシャン、メンバーを配したそのB級バンドは、それ自体が私には「作品」だった。
つーことなんだけど、それは前回に書いた「存在感」というものにおいてそう言えるものであって、
ま、難しい話は書けないので避けて、ミュージシャン歌手でもありゲージュツカでもある自分にとって、
その自分でこさえたその人気ねーB級ロック・バンドは、それゆえに、
それわそれわとても新鮮で魅力的な「存在感の物語」を秘めたおもれーもんだったわけです。

その秘められたエネルギーあるからこそ、それでもやる気を得る事も出来、
一旦だらしなくひょろ~っと消えるように死滅しても、再びああして、
たくましくも復活してそのケリつけるLiveを実現させるにいたったわけです。

さて再びそのバンド-作品-物語を復活させ、(その演奏その音楽を)Liveしてみると、
そんな作者の私にとっても、予想以上に驚くべきちょっとしたLiveであったわけです。

すでに一度死滅し、メンバーも以前より当然肉体衰えハゲ老けたフツーのジジーたちのその久しぶりのLiveゆえに、
大した期待ももてなそーなもののよーであるにもかかわらず、コイツらはそこで、
その秘めたエネルギーその原石まったく錆び付き衰える事なく、見事なまでの演奏力で、
その証拠をみんなに示してくれちゃったわけだス。

共にステージで元気に生き続けて生演奏するメンバーのヤツらたちの「原石」を感じ、
このバンドが、いまでも私にとって大いなる可能性を秘めた何か奇跡的な力を持ったバンドであることを
私は久しぶりのそのステージ上で、あらためて思っては、そのことに驚き、不覚にも、スキみせ、
気づくとそのメンバーたちの演奏に比べ、力んで唄ってしまっている自分がいたりして、何と!
後で、メンバーたちから「もっと歌唱力つけねーとまたやってやんねーぞ」と叱られる(笑)。
とゆーはめにまでなるなんてゆーそんなうれしー事、
考えもしなかったことが起きたりする、驚くべきLiveだった。んだぜおめー。

っていなくなった?あいたいた。きけこのやろ。

もともとそれ(秘めた可能性)を見抜いてこのバンドを始めた自分であったにもかかわらず、
それにはちょっと衝撃うけたね。

しかし。久しぶりに再会し最初のリハをやってみた時点では、とても不安だったんだ。
それはいいかげんそーな音だったから。

しかし、それこそが、私のいけないところであり、それによってバンド内の空気その演奏を下手に緊張させ、
そう思う自分の波動が原因で、さらにその空気を悪化させてしまうほどの、
活動停止にさせたもともとの原因でもあり、そう思う事では決して何も良くはならないということに気づくと、
さすがにちょっと態度をアレンジしてみた。

するとそれは連鎖的にメンバーたちにも自然にアレンジされるような感じに変化しはじめ、
気づくとそれはすぐに、全体的に程よい空気と程よいやる気が程よく充満するかんじに芽生え始め、
そこからどんどん変わって行き、その後半から私はメンバーたちその演奏に大いに動かされ、
気分良く唄わせてもらっている自分がいた。これは今回のLiveで得たまず最初の報酬その成果だった。

そんな経過の中での今回のLive。
そのバンドの演奏そのメンバーたちには、つくづく驚くものがあった。

その1つの象徴として、そのLiveのやく数日あと、DVD映像でそれをみたメンバーたちから、
「こんな歌唱力じゃまたやってやらねーぞ」ときつく叱られた(笑)。
もちろんそのコトバの中には、私に対するテレの入った労いでもあるけど、本気のコトバでもあった。
それは今までのこのバンドでは考えられぬ出来事でした。そのLiveをやって、それは起こったわけでありやす。
それは、全然おれ落ち込むようなことではない。むしろ落ち込むどころか、
そんなこと言われた事もなかったから、そこに彼らの今回のLiveのやる気を感じ、
大いに安心したのである。それは私が大いに望んでいたものだったから。
もちろん反省もしたけど(笑)。

そうしたそれまでになかったちょっとした異変で、この私の貴重な作品でもあるこのバンドは、
その長い活動停止....というよりも「休止」いや「死亡」期間にもかかわらず、
「復活」どころか見事にも「飛翔」するほどの大事な価値と意味を持つ「作品」であることを、
この私にはメンバーからおしえてもらったことになったわけです。

それはそのこと自体がその作者でもある私に、何か新しい力を与えられる「存在感=物語」であり、
さらにそうしたことで、それまで自分だけの価値であり意味であったものが、
きっと人や世間に対してまでも拡大する力何か大きな影響を与える「奇跡の物語」になり得る。
とも思える自分がそこに存在していたから。

作文ヘタクソで何のことやらぜんぜんわからんだろーけども、それは
それをその「奇跡の物語」をそのままさらに続けていかないとわからないことだ。
それは、そのままの状態でやり続けていくことで、いつかしか必ず、
私にもみんなにも判明する。つーこれはエネルギー法則の話なわけだからして。
「エネルギー」というコトバに敏感な私として、それはちょっとした現象だったわけだス。
それこそLiveをやったことへのさらなる報酬成果だった。

そのLiveをヤル前から、その次はどうしよう?何しよう?と考えていた自分は、
ついに新しい「自分のバンド」「Saybow&the Wipers」をしようと思いついたわけだけど、
(このバンド名については過去のブログに記してある)
しかし、それは非常に困難をきわめるものでした。

何故なら、そのバンドでやろうとしてる「音楽」は、今までの自分の中で最も自分の世界とシンクロしたものであり、
それは下手するとまた誰かにセンズリと言われてしまいそうなマニアックな危険性を持つギリギリのものだったので、
ある意味その音楽の中に、勇気と説得力つまり愛を持った波動のものを、
その中に職人的に上手く入れたものでなければ、そー言われても仕方ない世界でもあったからだス。

しかし、自分の音楽性その才能の中には、誰にも負けないそーあのビートルズさえにも負けない、
優れた上質なポップ性を持つ私なので、心配もないそれは可能であるのだからあははははははぁ=!

何だ自惚れつえーやな野郎だぁ~!.......そーなのだス。

ソコを変に誤解されぬようにして今まで以上にメンバーにそのことよくよく理解させていかないといけなく、
それに加え、私だけでなくメンバーみんなにも、まずもってそのための演奏力その技量を
クリアしてくれるメンバーでないと、とにかくカタチにならない。わけでもあったわけだス。

しかしそのことに対しては、リミックスを俺的には成功させた実績を持つおかげで、
どんなミュージシャンであろうと、時間をかけてじっくりやっていけば、
決してそれは不可能なものではない。という自信があるので、それは困難と思えるものではなかったのですが、
それよりも、それに付き合えるだけの余裕のあるメンバーでなければならない、
という事になるので、それが困難をきわめる最もなる原因でとなったわけだス。

私の考えたメンバーはみな売れっ子ミュージシャンだったので、
みなとても忙しく、たとえやれたとしてもとても私が希望するほどに集中して出来る状態ではなさそうだったのです。

私のやろうとする自分の新しいバンド、「Saybow&the Wipers」は、
その都度メンバーが違うといったような「ジャム・バンド」的なものであってはまったく意味もなく、
またバンド名はそうみえても、決して自分「saybow」とそして「そのバンド」的なものでもなく、
そのコンセプトは、確固とした1つの「ロックバンド」であるため、そのとうりのカタチのままそれを遂行するためには、
どうしてもそれに集中出来る意識と時間がそのバンドメンバー全員に必要となるわけでした。

永い沈黙からついにようやく、これで出来る!Liveやろう!出来る!出来る!
と考えついたは良いけど、そんなところでそれがとても困難きわまるものであることは考えつかなかったので、
どうしてみても、それを上手くまとめる事が出来ず、メンバー決まらずのままでは、その先に行く事も出来ず、
やる気でいた自分は、非常に焦り困っていたわけでもあったんでした。

そんな中で、「Saybow&theR+X+S」の、そんなLiveは、行われたわけです。

やってみたら、なんと驚く!これがおめー、私にとって予想以上に驚くべき結果。
そのバンドに大いなる想定外の可能性を感じてしまった私は、
しらぬまにどんどんソコに引っ張られていったわけです。その結果、

「Saybow&theR+X+S」をそのまま「Saybow&the Wipers」に変えてやればいいんじゃん!と。

そのメンバーは「Saybow&theR+X+S」のメンバーそのままでもあるから、
みんな売れないミュージシャンだから集中する時間の余裕もばっちりだ!(笑)。とか。
今回のこのLiveの感じのみんなであれば、またジュンの自宅のスタジオで音つくりながら、
メシをごちそうされながら、風呂にも入れながら、小遣いももらいながら、
じっくりやっていけば、それはそんなカタチにもっていけるじゃん。小遣いはダメかもしれない。

しかし完全主義者(自分ではそう思わぬが人と比べるとそゆーことになる)とも言われる私ゆえに、
それのがカンタンだしめんどくさくないとかゆー理由でそう思えたわけでもない。

しかし、それだとこのメンバーでは「今までで一番自分の音楽に近い新しいサウンド」を求める事は出来ない。
どうしてもジュンを中心としたサウンドになっていくだろーし、Saybow&theR+X+Sではそれで良くとも、
「Saybow&the Wipers」ではどうだろう?
しかし、そーなったとしても、本質的なところにおける意味と価値においては、同等でもある。
そーそー大いなる可能性!
(もちろん売れて成功する事じゃーなしこの絶望的な世の中に何か奇跡の種になる可能性)

それが決め手となって、よし!じゃーそゆー事だ。それでLiveの予定を立ててみるぞ!
決まり次第すぐにおせーるから楽しみにしとけや!もちろんモアベターだからな!

あ。今、7THの椙江氏から、11月16日。どーだ!と言われた。
やるか。よし!

はい!おしまい!

と、この「ツヅキ」の話は、次のLiveの知らせまでも伝える、そんな感じなものとして、
7月中にも更新完了する予定であったわけなのだが、それが、

ある時突然その考えが変わってしまう。

それはある時ある人のある曲を偶然聞いてしまうことで起きた。
それはまさに啓示的な「 天の気」からの響きだった。

やっぱ。それは最初に閃いたままをやらなければいけないと。
自分の新しい音楽の世界を表現出来るカタチでやらねばいけない。
しかしそれは最初からその閃きに対して完璧でなくても良い。

考えは、ここから、変わりはじめた。

そのLiveで、「Saybow&theR+X+S」は私に、
「復活」どころか「飛翔」するほどの「存在感」を私に与えた。けど、
それはあらたに飛び続けるべき意味のものではなく、
やれる事はやりつくしたという「完了」の意味を持つ「飛翔」であり、
いっちょまえになって私から飛び去っていく意味での「到達」だったと思えるようになっていた。

ファンに対しても申し訳なくも中途半端にだらしなく消滅させてしまった「Saybow&theR+X+S」
そのケジメをつけるためのものでもあった今回のその「復活」Liveは、
それをやることで何と一気に「到達」してしまったのだった。やはり凄いバンドなんだわ。

自分の中ではっきりと決着がついた。

期待していたファンにはすまないが、ゆえに「Saybow&theR+X+S」は今回のLiveで打ち止めです。
またいつかやる機会はあるかもしれないけど、もう飛び去ってしまったのだから、
やったとしても今回のLiveでのあのテンションにはもうならないから。
やるとしても余興的なアソビでやるだけのものになるだろう。
だったらできれば飛び去ったそのままの姿で記録しておきたい。

「Saybow&theR+X+S」は「saybow」ではなく「udj」だったんだと気づく。
「saybow」やるんだったら、まずもって「音楽」だから。「作品」ではないから。

ワイパーズの音楽は、「天気」は重要なポイントだ。

ふだんその姿を見せずにいても、雨でその窓が見えなくなったらいつでも現れ響き流れ出すようなものだから。

好運にも、今の自分の状況と環境からして、どうしても売れなければいけない、
世間に認められなければいけない、それでなければ音楽屋として食べていけない、
続けられない、だから成功させなければいけない!とかいうそんな音楽やるにおいて
絶対不必要な制約も媚びもクソも関係なく、あくまでも自由なるアマエタ創造的場所にいられる私は、だからこそ、
そのアマエタ環境を有効利用して、それを真剣にやらなければいけないと思う。
余計なものに染めずに、そんな環境から生まれるまっすぐなる自分自身の音楽を、
そのまま響き出せなければいけない。それはアマエタ環境にいる私にしか出来ない使命でもあるから。

それは意外にも「ソロ」ではなく「バンド」でなければいけない。

「Saybow&the Wipers」というバンドの一因ワイパーズとなって、
一緒にその「窓」に、そのものの音楽世界その道を映し出せねばいけない。
ワイパーのように雨にもまけず風にも負けずに、そのビートで一緒になって動きみがき生きながら、
その「窓」を、その道の先まで見渡せるほどに透明にして、いつでも気持ち良く映し出せるような、
そんな音楽をやりたい。それは「作品」ではなく「音楽」なんだから。

だから、ごみん!今年の11月に予定していた(Saybow&theR+X+Sの解散アンコール)Liveはない!

少しでも早く「Saybow&the Wipers」のLiveが出来るように準備したい。
まだまだそれがいつになるかわからないところでもあるから。

それを。やるっ!やらせろっ!