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【私だけマイケルに怒る】

2009-06-29 | ・nTinDEEP




私が、どうしてもLiveで唄いたい!と、
執念に近い想いで信念で実現させた「柔」。

その次に用意していた「第二の柔」は、
私が大好きな曲だった、マイケル・ジャクソンの曲だった。

「最初の柔」は、「東洋」のスーパースターである「女性=美空ひばり」
「第二の柔」は、「西洋」のスーパースターである「男性=マイケル・ジャクソン」

両者の共通点は、どちらも圧倒的な「天性の才能」を持った「スーパースター」
両者の相違点は、「東洋と西洋」「性別」そして、「強さと弱さ」

「東洋」のスーパースターである「女性=美空ひばり」は、
紅白歌合戦で、紅組のトリとして、「男装」で登場し、自ら「強き男」となって、
その名曲に込められた「柔の心」を、堂々と歌い上げることで、それは、
失いつつある、男性の本来あるべき「男性の強さ」にエールを送る「優しき女」を、
見事なまでに表現することで、彼女は、持って生まれたその「天性の才能」を、
本来の「女性の強さ=母性」の存在そのものとなって歌い上げるまでの境地を、
日本中の人々に伝え披露してくれた。

「自分のLive」をやろうとしても中々その気になれず、
「やる気」になれる「何か=力」を探していた頃、私は、ある時、偶然、
テレビで「柔」を唄う美空ひばりを観て、ついにそれを発見するわけだけど、
その時のショック、インパクトは、実にそのような印象だった。

そして、それをついに先日のG+Sで実現させた私は、
今また、そういう時期にあって、それは、
まだはっきり準備出来てないうちに、
9/13。7THアベニューで、次なる「自分のLive」をやることが、
決定してしまったんだった。

まだはっきり準備出来てないうちに、決定してしまった事で、
私はまたまた「やる気」になれる「何か=力」を探すことになった。

そしてそれは見つかった。
それは、またまた偶然テレビで発見したものだった。

テレビでは、ロンドンのどこかの野外ステージで、マイケル・ジャクソンが、
久しぶりにLiveツアーを開始する事を、観衆の前で宣言してる映像だった。

「西洋」のスーパースターである「男性=マイケル・ジャクソン」が、
「ロンドン」の野外ステージで、Liveを熱望する熱いファンの声援を前にして、
久しぶりに「自分のLive」の「やる気」を宣言してるその映像は、
まさしく、私の探す「第二の柔=やる気」そのものだった。

しかし、「西洋」のスーパースターである
「男性=マイケル・ジャクソン」から得られた「第二の柔=やる気」は、
「東洋」のスーパースターである「女性=美空ひばり」「元祖=柔=やる気」との
「共通点」ではなく「相違点」にこそ在った。
それは、私の探す「第二の柔=やる気」そのものだった。

そして、この時。すでに、それは、暗示されていたことになる。

両者とも同じように偶然テレビに映り出された
スーパースターの姿から発見した「やる気」なわけだけど、
最初の美空ひばりの元祖=柔は、「感動」その圧倒的な「強さ」から得たものだったけど、
次のマイケルによる「第二の柔=やる気」は、その圧倒的な「弱さ」から得た「怒り」で、
まったく正反対のものだった。

私は、美空ひばり同様に、マイケル・ジャクソンのファンでもある。
それは、同じ「歌手」の1人として言えば、
持って生まれた素晴しい両者の「天性の才能」のファンだということになる。

「天性の才能」は、「使命」そのものだからだ。



そうでなければ、「天」の「性」は、
あまりにも不平等であり、無秩序なるものになるからだ。

しかし、そんな事は絶対にあり得ない。
「天」とは「大自然」であり「無秩序」とは「不自然」だからだ。

ゆえに、「天性の才能」は、「使命」そのものだと私は確信してる。

「天性の才能」を持って生まれて来た人に、人は羨望するけども、
「天性の才能」を持って生まれて来た人は、それが大きければ大きいほど、
人の何倍も厳しい人生を送る宿命にあることを、歴史は証明してる。

私は、「天性の才能」を持つ人というのは、
天から大きな使命を与えられ生まれて来た人だと思う。

「お前にこれを授けるのでこれを力にして使命を果たすんじゃ」
という「カルマ」を課せられ、生まれて来たんだと思うわけだス。

そうでなければ、辻褄が合わないもんよ。そうでなければ、
このニュートラルという愛で満ちた宇宙は存在し得ないだろ。

ゆえに、私は、美空ひばり同様にマイケル・ジャクソンのファンだ。

あれほどの「天性の才能」を持った人を、生身のリアルタイムで、
見守り続けられる事で幸福を感じ得られる歓び楽しさは、
まさに、ファンの境地だからだ。

しかし、マイケル・ジャクソンを「第二の柔」とさせた理由は、
そういう歓び楽しさによる感動によるものではなく、
「元祖-柔」の美空ひばりとは正反対の「怒り」によるものだった。

それは、ファンだからこそ生じる「怒り」だった。

ロンドンのそのステージで、久しぶりに「自分のLive」を再開することを宣言して、
興奮したファンから熱い声援を受ける彼を見て、私はとても腹が立った。

「これが最後のLiveツアーになる」と付け加えていたからだ。



私が、私を、彼のファンである。と決定づけたのは、
あの有名なモータウンの25周年Liveでの、
「ビリージーン」を唄い踊るマイケルを見た時だ。

その姿のすべてから放射される「才能」から、彼の内に潜在する
「天性」の光が眩しいほどに溢れていて、それは私にとって、
まさに新しい「奇跡の種」との出会いであり、今でも、
その発見による興奮歓びの感覚は、身体に残っている。

それ以降、私はファンとして常に彼を見守って来たように思う。

けども、それ以降、ヤツは、どんどんどうしょーもねーヤツになって行く。

ヤツはその天からもらった(ファンである私にとっても)大事な
素晴しくも美しい「天性の才能」をさらにさらに磨き生長続けながら、
さらに進化したパフォーマンスを私たちに提供し、
見守りつづけるファンの私たちと一緒に、この世界を生き続ける。
というような流れ=使命を見せるわけでもなく、それを果たすどころか、
「大人になれない自分」を売り物として甘やかしていたツケから、
「純粋な子供の心を持つマイケル」をネタに、群がり貪る大勢の下劣な者たちの罠に、
やすやすとハマり続けては、なもん無視してほっときゃいーにもかかわらず、
さらには長時間かけた「マイケル真実の告白=私は整形してない!」とかな?
テレビ特番とかまたまた罠にはまって引受け、
そんな言い訳Liveとかいーから、なバカなウソLiveせずに
ただただおめーは「自分のLive」の事だけに打込んでいれば、なもん、
どんどん問題解消させて行けるっていうにもかかわらず、

「僕は孤独だ淋しい!」とか、ピータパンだネバーランドだ言っては、
同情を求めるような恥知らずな甘えた言動を、
「キングオブポップ」であられる「純粋な子供の心」のマイケル・ジャクソンが告白!
とかもう、

それ以降。

その都度、世界中のファンから、かわいそう!と同情させるわ、
母のように心配させたり、自分のガキの「弱さ」を晒してファンを同情させるような、
そんなバカ野郎な無駄な時間ばかりに費やしては、
貴重な「天性の才能」の時間は、それこそ無視のほったらかし。

それ以降。

何しろ、その「不自然」に変化していく彼の「顔」を象徴として、
自然=天性の才能=使命には怠り続ける印象を、ずーっと、私に提供しては、
それでも私はファンとして見守ってて、

だから、私は「自分のLive」で、
大好きな曲「Black Or White」を編集して、そんなマイケルに対して、
その当時の自分のメッセージを込めた「SE」をつくり、
それを流しながら、ステージに登場して、「自分のLive」つまり、
「タダイマ付近の感じLive版」を、やった時もあった。

しかしそんなメッセージは届くこともなく、気付くと、マイケルは、
日本で、1人40万円という多額な料金をとり、唄うことも踊ることもせず、
ただ来たお客と一緒に記念写真を撮影する。というだけの、
とんでもない「Live」までやってしまっていた。
それは決して「Heal The World」なる世界では決してなかった。



それでも、もちろん、私は、彼のファンだという気持ちは変わるはずもない。
彼はロックシンガーではなくエンターテイナーなのだから。
マイケル・ジャクソンのファンであるなら、
そういう事を理由に、ファンをやめるわけにはいかない。

それ以降。

ほとんど何をやってるんだかどうかもわからなくなっていたが、
最近になってやっと世間に彼の話題が.......。何だと思ったら、
借金に困ったマイケルが家財一切をオークションにかけるとかかけないとか。

マイケル・ジャクソンは死んだのか。と思った。
あの素晴しい「天性の才能」を、ほったらかしのまま。
家財一切を売るのだから、家主はそこにもういなければ、死んだのだ。

しかし、マイケル・ジャクソンのファンであるなら、
そういう事を理由に、ファンをやめるわけにはいかない。

死んでしまったマイケル・ジャクソンだったのに、
ある時、偶然テレビで、ファンの前で熱狂的な声援を受け、
「久しぶりにLiveをやるんだ僕!」と宣言するマイケルの画像を見た私は、
生きてる!と驚いたが、それでもやはり、よく見ると死んでいた。

あのモータウン25周年Liveで、私を魅了させたマイケルは、
もう完全に死んでしまっていた。

しかし、マイケル・ジャクソンのファンであるなら、
そういう事を理由に、ファンをやめるわけにはいかない。

そしたら、「今回が僕の本当の最後のLiveツアーになる!」

とか、言ってるわけで、その時、彼のファンである私は、
ついに、とうとう、怒りを感じる。

あの素晴しく美しい天からもらった「天性の才能」をほったらかしにしておいて、
今までずーっと無駄な事ばかりに時間を浪費しておいて、

「俺はやっと復活した!これから自分の原点に戻って生き返ってみせる!」
というような、再生するためのLive宣言ならともかく、

「今回が僕の本当の最後のLiveツアーになる!」ではいけないのだ。

それは、今まで貴重な時間を無駄にしていた事に気付き、
「天性の才能」という自分の一番大事なものにやっと目覚め、
本当の意味で復活する、Live(生)宣言でなければ、
それは暗に、何も気付かず、何も生長させずの、ほったらかしのガキのまんまで

「僕はもうダメです終ります。」という、ただの引退宣言と変わらない。
それは大事な「天性の才能」ほったらかしのまま心中殺人事件宣言と変わらない。
つまり、それは、「死亡宣告」と変わらない。
と、私はその時テレビを見て、そのような怒りを覚えたわけだス。
もちろんその時はその後マイケルがどうなるかなど知らない。

その時に思ったわけだス。これは「第二の柔」だ。と。

それは「これをどうしても唄いたい!」と感動することで閃いた、
美空ひばりの場合とはまったく正反対の、「怒り」から閃いた、
私の「どうしても唄いたい!」というマイケルに対する気持ち。

その曲目は、 「自分のLive」の SEにも使った、
「Black Or White」だとすぐにわかった。
それは、私がマイケルに対して抱いていた心情「シロクロつけろや!」に繋がるからだス。

その歌詞の内容も、歌い手マイケルが世界に対して「シロクロつけろや!」
と唄ってるように思えるわけだから、そのままの歌詞で唄っても、とても面白い。
俺がそれをそのまま唄うことで、「てめーだってシロクロつけろや!」となって、
月の裏側的な、ムーンウォーク的な生彩をそこで放つことになるので、
まさにそれは「どうしてもLiveで唄いたい!」という、
「自分のLive」における「第二の柔」になるわけだス。

ところが。その後。

「Live延期します」ということになる。

その時点で、私はこれはもう、
「月の裏側的な、ムーンウォーク的な生彩を放つ」とか気取ったこと言ってないで、
歌詞みんなとっぱらって、日本語の自分の詩に置き換えて、直接唄おう。
月のウラガワとかいってないでオモテからどーっと唄おう!

という気持ちになり、それで創ったのが、下記に記した
私の日本語詩による、「Black Or White」だ。
どうだ。おめーもそれでちょっと唄ってみ。楽しい気分になるから。




世界中が ぶっ飛んだ ヤツは奇跡の ヤノマミ
そいつがどうだい 今じゃ無様なるダンス
Oh, シロクロ Baby ほら つけろよ Black Or White

世界中が 夢をみた ヤツは未来の 月の音
そいつがどうだい そう 雄叫びペニスCHILD
Oh, シロクロ Baby どっち 肌色 Black Or White

Come On マイケル Black! Come On マイケル White!
Come On マイケル Yellow!and, Come On マイケル Smile!

Give me マイケル Black! Tell me マイケル White!
Show me マイケル Yellow! and, Love me マイケル Smile!

======間奏(3連ユニゾンFill)(No Rap / Only Funk Performance )

Oh, U are ヤノマミ Baby ミラクル DANCING KING

Oh, シロクロ Baby いま つけろよ Black Or White
Oh, シロクロ どこまで お前は Black Or White
Oh,ファザー、マザー、ブラザー、シスター、
お前は Black Or White

I Love You! Oh Micheal! Dancinng Come'on!
I Love You! Oh Micheal! Fighting Come'on!



そして、さぁ、そろそろ実際にリハでそれをメンバーの演奏にあわせて
唄ってみてどんな調子になるか確かめてみようか。という矢先の出来事でした。

本当に死んでしまった。

でも、その訃報を知ったとき、悲しみはなかった。
だからといって、勿論私は彼のファンだから、憐れみもない。
それでも、ただただ、怒りをおぼえるだけだった。

大勢のファンの人たちが、彼の訃報を悲しみ、彼への愛情を
優しく暖かいコトバで伝え、冥福を祈る人たちがいる。
報道などでも、「彼は偉大なるアーティスト」であったと、
世界中で彼の死を惜しむ声を伝えている。

彼は偉大なアーティストではななく、
偉大な天性の才能を持って生まれ、
しかしそれを生涯果たせずに逝ってしまった、
大バカ野郎のエンターテイナーなんだから。

偉大なアーティストだったとして優しく暖かく見送るような歌は、
やはり唄いたくない。私は唄ってはいけない。
同じ歌手として、私は、彼の死に、怒りの気持ちを現す。
それが彼のファンであることの自分の証拠でもあるから。

死者に対してちょっと酷い冷たいと思われても、
私は彼の死に対して、ばかやろうと怒るファンでいよう。
それが、自分なりのファンとしての気持ちだから、それを守ろう。

でも、訃報をきいた時、一瞬考えを変えなくてはいけないかどうか躊躇したけど、
そういうように思えたことで、このまま、自分の創ったその歌詞で、
「Black Or White」を、次回の「自分のLive」で、
どうしてもLiveで唄いたい!の「第二の柔」とすることにした。

それが、「価値」のあるLiveということだから。



あんな形のまま人生を全うしてしまったマイケルに私は、
天国に向って、おめーは、こうゆうヤツだったんだぞ、
どんなに辛い事があったかどうかは知らないが、
「歌手」として、せっかくの天性の才能を持って生まれながら、
それを磨き生かせず、そんな偉大な才能を、ガキのまま生長させず、
一体どんな偉大な人生としてその作品を完了させてしまったのか?
悔しくないのか。何でもっともっと悔しがらなかったのだ。
それが、辛くても、自分の偉大な「天性の才能」を護り、生き続ける偉大な力でもあり、
偉大なアーティストであることの資質ではないのか。ないのかそれおーあるのか。
あるなら悔しがれソコでもっと。天国で悔しがるのはどんなに恥ずかしいか悔しがれ。
それでこそ、恥を知る男ぞ。侍ぞ。

女性ホルモンを投与して高い声を維持しようなんてしなくていんだ。
お前は自然のまま生きて自然のまま唄っていればいいだけだったんだ。
何故なら、お前は、偉大な天性の才能を授かって、天から降りていったんだから。
自然に生きていればその才能は生かせるが、不自然に生きていたら
そのせっかくの「天性」の才能は、消えてしまう。
「天性」ゆえにそれは自然の世界以外に存在することはないからだ。
自然ではなく不自然でいたから、持って生まれた自分の大事な
「天性の才能」も忘れるほどの恥知らずになってしまったのだぞ。

恥を知らずにいたからそんな天国で恥を知ることになったんだぞ。
大勢の仲間=天使たちのいるそこに戻りやっと恥ずかしいと、
羽をばたばたして悔しがる天使よ。

お前は、イチローという日本のメジャーリーガーがいるのを知ってるか?
偉大なる「天性の才能」を持って生まれ、それを大事に護り磨き続けながら、
数々の世界記録を更新させては、世界中の野球ファンを歓び楽しませては、
今もさらに生長を続けている偉大なるアーティストだ。ソイツを見習え。

もう一度生まれ変わって出直して来る時は、つもらせた負のカルマをきちっと
やっつけてしまう人生に次回こそは仕上げろや。
本当にお前はせっかくの天性の才能を持って生まれたというのに、
何も生長出来ずに、50年間も甘えながら子供のまんま生きてたんだから。

とか。

死んであの世に逝ってしまったおめーに、私はシャバで、
ずーっとそう唄い続けてやるからな。

そんな事言ってくれるヤツなど誰もいなかっただろう、
孤独でずーっと苦しんでは、
何もわからずに死んで逝ったかわいそうなマイケルのこのあほ!

もうわかったから唄い続けないで?しつこいお前の性格?

おー。それで良し!おかえり!マイケル!






【念願の柳家小三治で「みる側」果たす】

2009-06-15 | ・nTinDEEP


俺「おーいみんな生きてるかぁ~?一体どうしてる。」

Uter(UBA読者)「それはコッチのセリフだ。ソッチこそぜんぜん書込みなかった生きてるかぁと。コッチのセリフだ。」

俺「それはありがとう=!しかし。<それはコッチのセリフだ、ソッチこそぜんぜん書込みなかった>だろうと、久しぶりにココ=UBAに来てまず、俺はそう思ったんだから、それはコッチのセリフだ。いやソッチではなくコッチのセリフだ。あれ?この場合どっちがコッチでソッチだ?とかコッチもソッチもだろうと一緒のコッチのセリフだ。ソッチもコッチもなく一緒なんだからコッチだけでいいあれ?そいじゃぁおめーの言う<それはコッチのセリフだ。>で正しのか。正さなくてはいけないのは俺のコッチのほうかおめーはどう思う?」

Uter「あいかわらず何言ってんだかぜんぜんわからんわ。」

俺「しかしおめーUteってココ=UBAの読者とゆーのは凄いと思う。<あいかわらず何言ってんだかぜんぜんわからん>なら普通だったら、何だココ、アホかこいつ。とか思いスルーして行くにもかかわらず、Uteっとか言ってココ=UBAの読者
とか言って、ちゃんとココに来るいうのは、何言ってんだかわからんが....何だか面白い。と感じるから来るんだろうから、それが凄い。実際、よくわかる面白い!とかゆうのよりも、凄い。俺だって自分で書いててわからんけどただただ書いてて面白いんで書いてるから一緒じゃん凄いなとか思えるけど<よくわかる面白い!>とか言われたら、凄い....というよりも何か、不気味だ。おめーと一緒でわからんが面白いんで何か書いちゃってる俺としては、それは、俺のこういう書いてるの理路整然とわかり、経てして、よくわかるので面白い!と言われてるようで、なこと言われたらうれしいよりもアホな俺は、なんか、その人怖い。その人と一緒にいたらソレが自分が書いたやつとか関係なく一緒にあはははは面白いなぁ楽ししいなぁといられるかなと思うと、俺はきっとその時アホバレずに、あははははではなくフフフフみたいなよくわかるんで面白い風にクールにヨーロピアン風にこなそうという事だけで頭んなか満杯になってて、話しかけられたり何か言おうとしても、それこそ何言ってんだかぜんぜんわからん俺がソコにいそうで怖い。だから<ぜんぜんわからんが面白い>んでココの俺(UDJ)に会いに来てくれるココのリピーターUter=UBA読者とかいうわからんが面白いゆーやつは、なにしろ俺と一緒なんで一緒に楽しめそうだし、そうゆうヤツには俺はわかった事を言うのではなくてただ感じたままを楽しく自由に言えるんで、凄いなぁ。と思うんだ。けど、そんな事を書いて楽しい面白いと思える俺だって凄い。」

Uter「ホントーにあいかわらず何言ってんだかぜんぜんわからんがあいかわらず生きてたんで良かった。」

俺「そーいつだって俺はあいかわらずだ。俺の愛は変わらない。<生きてたんで良かった>と思ってくれるのはもうキスしたいほど嬉しいし有難いが、ソコを抜きにして言わせてもらうと、<生きてたんで良かった>ではなく<生きてるから良いんだ>なんだからうるせーほっといてくれ俺なんかのことよりも、おめーこそ愛かわらず生きてんか?っておめーだけじゃない俺だっていや俺の方が心配してるんで同じだソッチもコッチもない一緒だこのやろう~。となるから、あいかわらず何言ってんだかぜんぜんわからん。でぜんぜん良い、だからそう言えるおめーもわからんことをわかってんじゃねーかだからやっぱ凄い。でも凄いと思える俺だってやっぱ凄い。」

Uter「何か一生懸命頑張って、何言ってんだかわからんように書いてるようにも思えるが、
なにしろあいかわらず負けず嫌いなヤツだなぁ」

俺「おーだから必ず<あいかわらず>付けてくるんで凄い。愛してるよ変わらないよ=!と付けて来たら困るが、<あいかわらず>を付けず<負けず嫌いなヤツだなぁ>と言われてもつまらないしソコは重要なところだけに、やっぱ凄い。」

Uter「凄いのが好きか?」

俺「面白いのが好きでつまらないのが苦手なだけだ。凄い!と思えてる時こそ、面白い。楽しい。」

Uter「じゃあ、俺たちは面白いんだ。」

俺「俺たちだけでなく誰もがみんな面白いんだ。自分をつまらなくさせてる自分がつまらないのな。また、面白いのが好き、という事自体が、面白いということだ。だから誰もがみんな面白いんだ。面白いのが嫌いな人間など誰もいない。<わからんけど面白い>と感じられることは、やっぱ、凄い。わかるということは、さらにわからない世界(未知)に進むことだ。だからわからんけどわかってることでもあるんだから、<わからんけど面白い>のが面白いし楽しいから、凄いのだ。」

Uter「まとにかく。あいかわらず何言ってんだかぜんぜんわからんが、あいかわらず生きてたんで良かった。」

俺「それはコッチのセリフだ。」


「い~なぁちきしょう俺も客で一度でいいからこのバンドを見てみてぇ=====っ!」

クロコでのTの2Days-Liveをやり遂げ、そこで思った自分のまず一番の気持ちが、
前回のUBAに書いた、このセリフだった。

それは、Live中のステージから飛び込んで来るその客席全体のみんなの表情その空気が、
なんだか、おっそろしく面白そうで楽しそうな美しさと純粋な力を持った、
嫉妬しそうなほどにあまりにも羨ましそうないーもんだと感じた、
面白いのが大好きで欲張りな自分の真っすぐで強い気持ちから出たセリフ。


「い~なぁちきしょう俺も客で一度でいいからこのバンドを見てみてぇ=====っ!」

しかし自分たちの「生」Liveを、みんなと同じ客席でみんなと一緒に観て楽しみたくとも。
それは絶対に不可能。それって、みんなには出来ても俺には絶対出来ないことだ。

みんなはよくて俺だけダメなんて。むかつく=============!

というんで、Liveを終えてから、ずーと私は。
俺だけは観れてみんなには観れない「生」Liveを観まくっていやした。

その中の1つは、柳家小三治の「生」Live=独演会。

どうだ。こいつはなかなかチケット入手困難で絶対おめーらには観れないだろいひひひひひ。

柳家小三治は、私の一番大好きな噺家なので、
どうしても観たくて観たくて観たくてずーっと観たくてしょうがなかったんだけど、
二番目に好きな立川談志はもう3回は体験してるのに、柳家小三治は、
今まで中々観れなかったのだが、おめーらのおかげで、意地と執念でチケット手に入れる事ができ、
ついに念願の柳家小三治の「生」Live=独演会。見事に体験してきてやったざまみろいひっひいひひ。

柳家小三治はその長くて有名なマクラ噺の中でこんな事を噺してくれた。

えぇ~もう私もえぇここまで来るとですね、こうして高座に座ってみなさんの前にいても、
みなさんのために何か噺そうとかぜんぜんそういう気持ちありませんからね、
正直な話、ココだけの話ですが、みなさんなんかどうでもいいやなんて思ってたりしてね、
え、みなさんをよろこばそうとか、笑ってもらおうとか誉められようとかね、
そんなこともうどうでもいいやとかね、そんな風に思うようになってしまいやしてね、
そいじゃぁなんでおめーはココに来るのか、何しにおめーは来てんのかってぇ=と、
それはココに来てこうやって座ってみなさんと一緒にいるのが楽しいから来るのね、
それだけなんですねぇ、こうやって客席にみなさんがいて、私はこんな高いところで
お茶でも飲みながら、好き勝手なことを話してると、
みなさんも勝手に笑ってくれてね、じっくり聞いてくれちゃって拍手なんかもしてくれちゃってね、
そりゃぁ楽しいったらないですよぉ、家にけぇったら、もう、かかぁと二人っきりですからねぇ、
もう二人っきりでさびしいもんっすよぉ、話してもじっくり聞いて拍手なんかしてくれませんからねぇ、
そりゃぁもうココに比べたら地獄みたいなもんでぅよぅなもん、
ね、こうやってこのようにいっぱいのお客さんが来てくれてね、
ライト浴びちゃってね、面白い話しようとか笑ってくれないとどうしようかとか心配したり、
そんなこと考えずにホントもうこうして好き勝手なこと話してるだけで、
よろこんでくれちゃってね、みなさんのいい笑い声聞かせてもらっちゃったりしてね、
もうホント楽しいですよぉ、そんなねぇ笑わせてやるぞぉとか上手くやってやるぞぉとか
笑ってくれなかったらどうしようとかそんなつもりで噺しようと思ってるヤツの噺聞いても
面白いですかぁ?話す方もそんな事ばっか考えて面白いっすかねぇ、楽しいっすかねぇ、
私はみなさんを楽しませようなんてぇよりもみなさんとこうして会うのが楽しみで来てますからねぇ、
それだけでいいんすよ、私は噺家ですからねぇ、噺をするのが噺家ですから、
噺しに来てるんですからぁ、別に笑わせようとか、名人芸見せてやろうとか、
そんなつもりで来てませんからねぇ、そんなつもりで噺なんかできやせんよぉ、
もう疲れちゃってぇ、ただ噺に来てるだけなんですから、それをほらそうやって笑ってくれてね、
もう楽しいったらないんですからぁ、ですから私はみなさんとこうやって
噺してるのが楽しいから来てるだけなんですよ。やめられないよぉこんな楽しいこと。

楽しまなくちゃ人は楽しめないですよぉ。


もう、まいっちゃってね。

まるでココ=UBAの俺じゃん。俺はココでは噺家してるのか。
そして、柳家小三治の「生」Live=独演会も、「霊性=スピリチュアル」じゃん。

とにかく、予想したとおり。客席で「自分」の「生」Liveを、ちゃんと「客観的」に観れた。

これもひとえに俺を羨ましがらせ悔しがらせたみんなのおかげだ。

文句あっか。