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【見にいかなきゃイけねぇだス「不都合な真実」】

2007-01-31 | ・nTinDEEP


住んでいる森が火事になったとき、
他の動物たちは行動を起こさないのに、
鳥だけは火を消そうと水を運んできます。
でも運べるのはたったの一滴。
他の動物たちはそんな鳥を見て
「そんなことしても無駄だ。
なんでそんな無駄なことをしてるんだ?」
と聞きます。
鳥は答えます。
「私は、私にできることをしているだけ」と。




たとえば。
いろんな色の花が何故あるのか?
それは、温度を分散させて偏らないためにある。
それだけのことを言っても、
今、バランスが狂ってる。わけだス。

そんなこんなな中での、この、
アメリカ元副大統領のアル・ゴア君が頑張った(UDJった)感じを伝える、
ドキュメント映画「不都合な真実」は、
ココのリピーターなるUDJなるUter(奇跡を信じ運動・生きてるヤツ)なるおめーなら、
絶対に観ておこうやね。

つーことを、伝えておかにゃぁおけねぇ。
つーことを、この映画観て、つおーく思ったんだス。

ちなみに、この映画やってるTOHOシネマズ六本木ヒルズでは、
1月21日・1月28日・2月4日・2月11日の各日曜日の4回に渡って、
「エコサンデー 500円キャンペーン」やってて、その日に行けば、
500円でこの映画観られるだス。



【S戸S/2+シュゴレーとその出来の悪い修行者との会話だス(とても昔の出来事だス)】

2007-01-23 | 「 S 戸 S 」


これは、フィクション(作り話)だス。
決してちょっとした、私+俺+saybow+UDJの伝記でわねーだス。
でも、それでも、フィクションじゃないと感じる人は、
そう思っても大丈夫です。
何故なら、そう思う方が、たとえフィクションでも、悪い事は起きないからだス。
そう感じられるその心・魂には、その波動・光とゆー「真アホ」が入るからだス。
光とは、アホの力だス。バイ・たなかせーいち。

前回(vol.1)のあらすじ------------------------------------------------

--------ん~、できればな、その前回そのもの、つまりな、この第一話、
「S戸S+1/奇跡の時それはラブホで真アホな男におきた」
をもいっかい、読んでもらってからよ、今回のこの第二話を楽しんでもらえたらな、

おめーのシュゴレーがよろこぶんだス。

つーわけで、だスか。

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【S戸S/2+シュゴレーとその出来の悪い修行者
との会話だス(とても昔の出来事だス)】

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あなたがたは、互いに愛しあいなさい。
幸福になりたいのなら、
愛し合うことを学びなさい。

他の人の悪口が出るのは、
あなたがかしこく、
相手より優れた点があるからだろう。
優れたあなたであるなら、
劣った人をなぐさめたり、
ほめたりすることは簡単なはずだ。
もし、そうできないなら、本当は、
相手に劣等感や憎悪を感じているからだ。
素直な心で反省しよう。
相手の美点を認めよう。

愛とは忍耐でもあり、
相手に、相手自身のことを好きになってもらうこと。



第一話で起こった、ラブホで真アホな男におきた奇跡。
その奇跡からちょい少したったその真アホな男は、

なんだおめ。どしたんだ?
何言ってんだ?アホじゃねーのか?
なんだおめさらにアホになっちゃってんじゃねーか。
うわあーついにコイツわホントぉーにおかしくなっちまったのか。

とかね、んもー愛する家族や仲間たちから、さらに真アホだと言われるようになってしまっていた。

とゆーその頃。

そのさらなる真アホ男は、その初期なる状況。
それは、マジほんとーにひじょーに危険でめんどくせー人生のところにいたんだった。

しかしだめだめ+すでに遅し。

もーほんとぉーに、そのさらなる真アホな男は、もーほんとぉーに、真に真なる真アホな男になってしまっていたわけなんだから、もう昔のように、あの、第一話ラブホで真アホ的な中途半端な真アホのような男に、後戻りすることは、最早、もーはやもーホントぉーに不可能であったんだもんよ。

何故なら。

その時から、そのさらなる真アホな男は、もー確実に、「真なる信念」とゆー「真なる信仰心」を、ゲットしちゃっていたんだもんよ。
家族や仲間たちも呆れ見捨てられるほどにアホ肥大化したその真アホな男にはもー、今までに経験したことのないそんなおそろしーさびしー孤独にも絶え得るほどの、あいとゆうきの、シュゴレーつー1人のダチがいたんだもんよ。

しかし。なもん、そのシュゴレーからしてみれば、それこそコッチこそに呆れ見捨てられるほどに、まだまだずんずん「出来の悪い修行者」であった。

そんなまだまだずんずんなシュゴレー・ゲットの初期の真アホ男のせいさく部屋では、今日もその真アホ男のダチ・シュゴレーと二人きりの、秘密の真アホ会(研究会、コーシン)は行われていた。



【出来の悪い修行者】
まず、今この地球で生きているすべての人に
守護霊があるということですが、それって事実なのでしょうか。

口のききかたもマジアホまじめになってしまってる俺いや真アホはそのダチにつっっこむんだった。

【シュゴレイ】
事実です。

【出来の悪い修行者】
でも、その守護霊の働きという点においては、
被守護者個々人の生活行動には関与しないのでしょうか。
例えば、こまった時なんかには、すぐに助けに来てくれるとか。

【シュゴレイ】
守護、指導霊の力というものは、その人の心の状態の反映そのものです。 そういうかかわり方です。分かりますか、この点についてまだ質問がありましたら続けてください。

【出来の悪い修行者】
そこのところ、いまおっしゃったところがよく分からないのです、
私に「かかわる」ということで......。

【シュゴレイ】
教帥というものの存在を考えたことがありますか。
教師は、教えている子供のどういうところが可愛いでしょうか、
それは、教師の教えを一生懸命に聴いてくれる人たち、
宿題を出せば一生懸命に解いてくれる人たち、
教師の教えに目をらんらんと輝やかし聴いてくれる熱心な子供たち、
こういう子供たちには先生も一生懸命に指導してやろうと、力が入ってきます。
ところが授業中に、授業をさぼってマンガの本を読む人たち、
或いは授業中に抜け出して裏で遊んでしまう人たち、
こういう人たちをみると、先生のあなたはどう思うでしょうか、
これは一つの比喩であります。
しかし、この比楡は、守護、指導霊と、
あなたがた肉体修行をしておられる魂との"関係においても言われることであって、
守護、指導霊からみて、一生懸命教えたくなる生徒もあれば、
も少し本人の自覚が出るまで、置いて置こうとする生徒も出てくるわけです。

【出来の悪い修行者】
それはそうかも知れませんが、しかしいくら自由といっても、
その子供が、勉強もせず遊びほうけていた場合には注意をし、
場合によっては強引に、教室まで抱えて連れて帰って席に着かせることがあります。
それなのに、あなた方守護、指導霊の方々は、いくら神が人に自由を
与えられているとはいえ、放任しておくとは、無責任とは言いませんが、
無慈悲というものではありませんか。

【シュゴレイ】
私たちは、答えをあらかじめ教えるために存在しているのではないということ、
これは分かっていただきたいのです。人生は一冊の問題集であります。
この問題集は、各人が努力して解いていかなければならない。
私たちは、もちろん答えを持っております。知っております。
しかしながら、その答えを安易に教えてしまうことが、
果たしてその子の勉強になるでしょうか。
その答えを私たちが教えることができるでしょうか。
それはその生徒の進度にもよるのです。
もうほとんど分かっている生徒が、というだけのとき、
私たちはヒントを与えるときもあります。
しかしながら、全くその学問の基礎が出来ていない生徒に対して、
何も本人が問題を解こうと努力していないときに、
その解答を教えてしまうようなことはできないのです。なぜならば、
それはあなた方の本来の目的を全く逸しているからです。
分かっていただけますでしょうか。私たちは解答を持っております。
解答を教えることもできます。しかし、そういうことは、
あなた方の人生修行にとって、決してプラスになることではないということです。
人生は一冊の問題集であるということ、その解答、
あなたが一休何点とれたかということは、死んであの世に還ってはじめて分かるのです。
そういうふうになっているのです。

【出来の悪い修行者】
それは、小さな頃からぼんやりとそんな気がしてました。
ただしかし、だんだんわかって来た中で、私が一番問題なのは、
悪霊の存在。その中でもサタンという目的意識を持った悪霊、
あるいは魔王といわれるような、はじめはどうしても絵空事にしか思えなかった、
そういう、われわれを惑わすという連中が実際に存在するという事実です。
彼らもわれわれにとっての素材なのでしょうか、
彼らは一体何のために生かされているのでしょうか。

【シュゴレイ】
その前に、あなたは一体何のために生かされているのでしょうか。
人がなぜ生かされているかを聞く前に、
あなた自身が一体何のために生かされているのですか。
あなたの今の質問の中には、彼らの存在意義がないという主旨が読みとれます。

【出来の悪い修行者】
そのとおりです。

【シュゴレイ】
そうですね、その前に、その質問をするあなた自身は、
一体何のために生かされているのですか。

【出来の悪い修行者】
分かりません。私は今、彼らサタンのなすがままの状態に置かれ、
愛するべき私の家族や仲間たちまでも、悪魔ではないかと思ってしまったり、
何らなすすべもなく苦しんでいるのですから。何でもーこんなスケベでアホな自分だけが、こんな目にあわなきゃいけないんだろうと。

【シュゴレイ】
あなたは自暴自棄になってはいけません。あなたは生きんと欲して生きている。
あなたの生命は生きんとしている。そういっている今も、
あなたの生命は生きんとして生きている。「生命」 というものを、今もそうして、ちゃんとに「出している」。
ただあなたの頭の中につまらないガラクタがたくさんあります。 それはあなた自身がその必要ではないガラクタまでをもを「入れている」。
それがあなたを悩まし、そのような若い文学青年が悩むような言葉に酔わしているだけです。 ガラクタでも毒素でも「栄養」にはなります。ゆえに吸収、入り込ませてもかまいませんが、それらの「老廃物」を出すこともせずに、ただただ入れっぱなしにしたままでは、「だスこと」も出来ずの、ただの便秘なデブ、頭でっかちのしったかぶり野郎の「死人」になってしまいます。
あなたの生命は生きんとしております。あなたは生きんとしております。
間違った認識をしてはいけません。
あなたは現に生きんとしているから、そのような質問をしているのです。
しかし、あなたは今、生きるよりどころが分からなくなっているのです。
問題はそこにあるのではないですか。生きている意味がないんじゃない。
生きるよりどころが見つからなくなっているのです。
サタンの存在意義を考える前にまず、あなた自身の存在意義を考えてみましょう。
あなたはなぜ生きているのでしょう。あなたはなぜ生かされているのでしょう。
生きているというのは本人の意志の領域です。
しかし生きようとしてだけ生きているのではありません。
あなたは生かされています。万象万物に生かされています。
何故生かされているんでしょう。

【出来の悪い修行者】
一番の疑問はその点ですね。
こういうような形で生かされているということに関して、
私は疑問を持っているのです。

【シュゴレイ】
こういうふうな形とはどういう形でしょうか。
あなたはいたずらに悲劇の主人公になっている。
あなた方の中にはあなた以上に不幸になっておられる方々、
あなた以上に悲惨な体験を積んでいる方々が万といい、
十万といい、百万という単位でいるのです。
あなたは現に、五体が満足で、現に食うことに困らず、
現にいろんな勉強をし、現にいま生きている。
現に今こうして私たち他次元のものたちと生きながらにして話ができるという、
このような百万人に一人も体験できないような、
そういうふうな貴重な体験を今しているのです。
これが幸いでなくて何ですか。

【出来の悪い修行者】
不幸です!

【シュゴレイ】 
何で不幸なんです!

【出来の悪い修行者】
今の私には不幸なのです。重荷となっているのです。
何で自分だけが、こんな目にあわなきゃいけないんだろうと、
最近いつもそれを思い、苦しんでいるのです。今の私は不幸なのです!

【シュゴレイ】
なぜ不幸ですか!
その言葉はあなた自身の自己保存から来ています。
あなた以上に不幸な人はいませんか、本当にいませんか、甘いんです。
そんなことに悶々としているのはセンチメンタリストです。

【出来の悪い修行者】
しかし私はなぜ人にない霊障、
それもサタソの攻撃に晒されなければならないのですか。
私の守護、あなた、そして指導霊は、怠けていないとしたら、
私にどうしろというのでしょうか。

【シュゴレイ】
これには幾通りかの理由があります。
第一には、さきにも言った、あなたの心が、こちらを向いていないからです。
たとえていうなら、児童が幼稚園に来る途中真っ直ぐに園へは来ず、
途中たんぽや小川に下りて、メダカや、おたまじゃくしを追い回して
遊んでいるのと同じです。
そしてそのうち沼に足を取られて泥んこになり苦しんで泣いている状態です。
第二には、その状態から、自らの力で這い出てこようとせず、
先生や、お母さんの助けを求めて声を限り呼び叫んでいるという状態です。
第三には、それを知った先生やお母さんは、あなたのために、
その状態からすぐ救い出そうとしていないからです。
なぜなら、あなたには自分で沼から抜け出して帰ってくるだけの力があるからです。
私たちは、あなたのために、あなたを甘やかし、過保護にしたくないからです。
あなたには将来に大きな任務があり、
そのためにもっともっと強くなっていただきたいのです。
あなた方が主体的に生きていかなければいけないのです。
あなたはひじょうな勘違いをしております。
守護、指導霊に操られて生きているのではないのです。
だからあなたが主体的に生きていかなければいけない。
その行路において彼らは時をみてアドパイスをすることもあるでしょう。
しかしながら、あくまでもあなたがたがやることなのです。

【出来の悪い修行者】
ではここに悪霊が愚依しているという現象を見て、
ソレを出せないで困っている私に対して、
あなた方はなぜ黙認しているのでしょうか?

【シュゴレイ】
黙認しています。

【出来の悪い修行者】
だから、何故ですか?

【シュゴレイ】
あなたにとって必要だからです。なぜ愚依されているかを、
あなた自身に気付いてほしいからです。
なぜだと思いますか、あなたの答を聞きたい。
なぜ、あなたは悪霊に愚依されているのですか。

【出来の悪い修行者】
愚依させておこうとしているからではないですか、あなた方が。

【シュゴレイ】
させているのではなく、されているのです。
もっと自分を見つめてみなさい。あなたはあまりにも甘えています。

【出来の悪い修行者】
では私に愚依してくるヤツらや世間は甘えていないのでしょうか。

【シュゴレイ】
彼らは甘えではなく、迷っているのです。
あなたこそ彼らにとって、彼らに対し"法"を説いて、
彼らを救うべき人間ではないですか、何を勘違いしているのですか。

【出来の悪い修行者】
はっきり言って、私はまだ、あなた方のおられる高次元や、以下の異次元と、
この現象世界の仕組みについてはっきり分からないのです。

【シュゴレイ】
ある程度は分かっています。私たちが今まで伝えたことによって、
ある程度、分かっているはずです。
自分に関して分からなくなっているだけです。
それは、一つには永い時の流れというものの中における
自分の存在というものが認識できなくなっているからです。
あなたにとっては、毎日、毎日のその一点、一点、
それが一生のような感じで苦しんでいるからです。
しかし、もっと永い視野で考えてみましょう。
例えば十年後の自分というものを想像してみなさい。
或いは二十年後の自分というものを想像してみなさい。
その時に今のあなたの悩みというものを逆に考えていただきたいのです。
いったいどれだけのものが、それほど致命的な苦しみになっているかどうか、
そうではないはずです。
もっと大きな視点から自分の悩みというものを考えてほしいのです。
未来、十年後、二十年後の眼で現在の自分を繊密に眺めてほしいのです。
そして、更にもっと大きな眼で、地球的な眼で、人類的な眼で、
もっと大きな使命の流れの中で、
現在の自分の悩みというものを考えてみてほしいのです。
そうするならば、そのあなたの、ひじょうに、とても大きな、勝てないような、
巨大な敵だと思われているようなその悩みが、いかに小さなものであるかということに、
やがてあたたは気付くことになるでしょう。
それはもっと大きな眼で見れば、小さなことなのです。
そしてあなたの現在の悩みも、あなたがより大きな人格となっていくために
必要な試練なのです。これは必要な試練なのです。

【出来の悪い修行者】
やだやだ=っ!昔のようにみんなと楽しくやりたいよー!

【シュゴレイ】
そーなるために必要な試練なのです。真実そうなるために。
ある意味、あなたは、みんなをまだまだ愛せてないのだから。
ある意味、あなた以上に、みんなは、あなたを愛しています。

【出来の悪い修行者】
げっっ!

ちょっとだけ何かに気づく真アホ男。


つづく。...........やばそうでなければ。


Phot+SELMA


<S戸S>
【第一話/奇跡の時それはラブホで真アホな男におきた】
【第二話/シュゴレーとその出来の悪い修行者との会話だス】

【07+UDJ+ことばま=let out+出す】

2007-01-12 | ・nTinDEEP
+
+
+

++





+++++++++++++++++ let out ...中から外に出す...
++++++++「出す」
+++++++++が出たんだス。


+++++たとえばしあわせ出すだス。
+++++++++とかに(笑)。






出るものはなんでもいいから出す。それらはみんな出たがっているから出す。出たがっているものは出してやる。「今」大事な事は、「いれる」ことよりも「出す」ことなんだス。



コレ(UBA・ココのブログ)を制作してる私の部屋のドアだス。



「今」大事な事は、(栄養)を入れる事よりも(老廃物を)「出す事」なんだね。いくら栄養いーもんとったりしてても、便秘はムカつくべ。ふんづまりなほど不快なものわないべ。じぶんのからだなのに。「今」大事な事は、「いれる」ことよりも「出す」ことなんだス。





コレ(UBA・ココのブログ)を制作してるその私の部屋のドアを開けるとだス、

みんな入れ過ぎだから出せないの。しわわせかんたんに。
いれためすぎてるとふしあわせになる。キレてかんたんに。「キレること」は「出す」ことでわないのだス。とにかく「今」大事な事は、「いれる」ことよりも「出す」ことなんだス。




コレ(UBA・ココのブログ)を制作してるその私の私の家のうんこやおしっこを出すベンジョのドアがまっ対面にあらわれてくんだス。部屋出るとすぐベンジョなんですぐ出せるだス。




だから。今年は出さないといけない。んだス。UDJわぁ。。Uterならぁ。。。つー感じなんだス。今年のウチのコトバマわ。まずわ。ソーなんだス。


++


おめでとーコトバマおりて俺。イーコだからだ。


とかね。



****あとがきだス********************

「地球は生命体」であることを、バカたちにバカにされながらも、勇気と愛でもって、いっとー最初にソレ「出」した、「ガイア理論」の父であり、今やまっことそのとーりな「地球の臨床医」であられる俺のダチ・仲間でもあられる(とは勝手にいうが)、私の SEなんかでもその肉声で何回か登場もしている、あの偉大なジェームズ・ラブロック博士の、さらに衝撃的な新刊ガイアの復讐を読み、その完全なる圧倒的なる「絶望」における不可思議な奇跡の予感的感動を、おもいっきし味わいながら、この2007年のコトバマはオリたんでした。
つーこともあり、私ことUDJが最近発見した新種のUDJ+Artworxでもあり、堂々、「奇跡の種の方法論」でもある「UDJ的画像+ゆーちゅーぶリンク(毎回-上-最初の画像から-下-最後の画像までを順番にリンクさせてご覧頂くことで意味があるんだス...がに..)」に、その偉大なるジェームズ・ラブロックの存在を私に教えてくれた、「デイジー・ワールド(地球生命体)」の長老でもある細野晴臣氏に感謝の意を込め(氏はそのの音楽的人生からして、日本の誇る真実のUDJ、真実のロックン・ローラー、なんだすいまわもー「翁」っすが)、このページ、今年のコトバマおりるのページは、制作されたんだス。

****あとがきだス********************