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【 2012UDJ+Artworxコトバマ/エネルギッシュ vol.2-2「潟」 】

2012-01-09 | ・nTinDEEP


い。ども。またきてくれたのかぁ~ぃ。って。
タタらタ、タタらんだぁ~。って感じ。またきて、くれたんかぁ~ぃ。て。
おかねは、かさないぞぉ~。って。 タタらタ、タタらんだぁ~。て感じ。
いみなど、あるものかぁ~。て感じ。タタらタ、タタらんだぁ~。って感じ
ココに来ようと思ってココに来ようとしてる時、こんなタタらタ、タタらんだぁ~。って感じはなかったべ。

だもんで、感動してるべ。。。。。。。さ。はい!

するわけ、ないだろがぁ~。はいこれも、タタらタ、タタぱんだぁ~。て。感じ。しかし。

またきて、くれたんかぁ~ぃ。と言う方(俺だ)と、
またきて、くれたんかぁ~ぃ。と言われる方(おめだ)では、

どちらの方がうれしいのかな?。。。。。。。。。。。。。って。はい!
って、はい!これも、ほれ、タタらタ、タタぱんだぁ~。って。はい!
どちらも、いいチンポぉ~ぃ。♪ ってはいははいはい!いいね!うん!いいよぅ!すごくいい!どちらも、
いいチンポぉ~ぃ。って。凄いぞ!ポぉ~ぃ。ってすごいわ!こらどえらいぞ!
もホンマ今日は特別な日かどえらいぞこれわなぁほんまにどちらもいいチンポぉ~ぃ。って。ポぉ~ぃ。って。
やば、なんか胸に込み上げて来るものと鳥肌たったりするぞってはい!じゃ今度はオンナでいってみよか、さ、はい!

どちらも、いいま。。って、ん? 。。え?。まって?。。えなに?。もういい? 

そか!よしわかった!

ま。そういうことだス。忘れてただろうけど、

どちらが、うれしい、かなしい、関係なく、そんなことは、
タタらタ、タタぱんだぁ~。なわけでありやす。

イッターにも書いたけども、

「UDJの私」が、ブログ(ココUBA)でやってる(いってる)事は、
主義・主張・思想・宗教・オカルト・決めつけの押付けしてる、説教たれてる、んじゃぁ~毛頭ないっす。
これは、あくまで「自分自身」「感性」を、ただただ、
ココまで、び、いて、表現=現す。という「Artworx」を、
何の制約も強制も契約もない、私の自由の象徴でもある、
自分のつくったこの場所、「運動場(UDJ)」で、やってる。わけでありやす。


ってそれは、

「 TENSAW」とかの、「実力」でカタがつくような、ミュージシャン、つーか、
ある意味物理的な世界と違い、そしてまた、「夢」なるものでもなく、
「UDJ」の自分の世界は、これこそまことにデリケートモーションな「今」
「現実そのもの」=タダイマ付近の感じを映そう、
記録しようとする
「磁場」=「運動場」でありやす。

えに。が、
「UDJ」である時、ココ「UBA」でこのように何かやってる時は、
「Tのセーボー(ミュージシャン)」という、「おめーらの代弁者である俺」ではちょこっとなくて、
「自分自身の代弁者」
となってる時である。つーわけだス。
それを、こうして、ココに「記録」しておく。ということでありやす。

ソレは、私がこの世からいなくなっても、ソレは、決してこの世からいなくならず、この世に、残るわけだス。


それは、「自分」」が「自分自身」で在ること。であり、
自らを「発光」させて「存在」と成し示し、「現実」の中に、
自分を「現実そのもの」と成させて、融合させて行こうとする、
「意志」
でもあります。

それが、前回でいうところの、
何が起きても不思議ではないこれからの時代において、
さっぱり分からない事が起きた時、分かっておかなければならない事。


「その流れに乗っていこうとする人たちが、その流れに乗っていく」って感じ。

それが、今年のUDJコトバマ「エネルギッシュ」

うぅぅう~~~~~。。。。。。。よしっ!ととのいました。
てな感じで、それでは、今回の本題入っていきやす。今回はあんまオチャラケてもいられねだ。



は、去年のコトバマ「創造力」で、

これからの時代にとって、創造的に生きる。という事こそが、
本当に大事なことになってくる。
と書きました。そこで私は、さらに、

私たちと私たちの国を守り導くリーダであるべき、我が国の政府の、
「創造性のセンスの酷さ」「創造力の欠如」のことについて、
シツコイほどに、何度も書きなぐってるように思えます。

よっぽど、政府の「創造力の欠如」に対して、危機感を感じていたのでしょう。去年の正月。


してそれは、今年に入ってすぐのこと。

たまたまラジオをつけたら「偶然(つまり必然)」にも、
「復興構想会議」に参加してる人が、その現状を伝えていた。


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「復興」というものに対して、今現在、現実、中央政府がしている事は、
まだまだ、ただ、瓦礫を撤去して、「復旧」するという動きだけのような感じ
であって、
もちろん、会議で、
「創造的な復興」というものに対して、掲げられはしたけども、
その中身となると、どうしても、なかなか見えて来ない。
従って、それは、どうにか、外から来た私たちと地域の人たちが一緒になって、

「内発的」に、その「地域の明日」というイメージというものを、つくっていかなければ、
多分、局面は展開しないだろう。
つまり、まったくこれまでになかった
「創造的な復興」というものを、
中央の官僚たちがデザイン出来るか。といったら、多分無理ですね。
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その人の声の印象は決して悪くない。声は若いし、おそらく、
その会議の参加者の中では、ちょっと浮いた存在かもしれない。

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巨大津波で、泥沼となってしまった、水田一帯を、
4~5年をめどに、大規模な予算をかけて、その水田を復旧させようとしているんですけど、
実は、震災が起きる前から、すでに水田を耕す人は、高齢化で減りつつあって、
耕す事が出来ない人たちがどんどん増えてきて、
集約しなくてはならない事態となっていたところに、そんな事になったわけだから、
水田復旧出来た頃には、もう、それを耕す人がいなくなっているのでは?
現在、1億3千万人の日本の人口も、50年後には、8千万人になると言われ、
これから日本の社会は、変わらざるを得ないというところにあります。
そういうことも考えたら、その復旧対策には、どうしてもリアリティを感じないんです。

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まったく去年UDJコトバマ「創造力」で、私が書いたまんま。
その人は、去年のコトバマで書いた「想像力」の欠如における
危機感
を語っていたわけでありやした。
んな、「自分」さえも見えない創造できないオカミに、「今」など見えるわけがない。



んな、やってるフリだけの「中央・オカミ」のことなど、

かまっていられるか!な感じ
UDJ+Artworxは、さらに「創造力」の次なる今年のコトバマを、
すでに発表しているわけなのでありやす。
れが、前回でご承知「エネルギッシュ」なんでございやす。





年の3月11日。巨大津波が、東北地方沿岸を襲い、
世界に誇る10メートルにもおよぶスーパー堤防をも、らくらく乗り越え、その沿岸地域一帯を、
漆黒の泥沼にさせて飲み込んでいく、恐ろしい映像を、何も出来ずに、愕然としながら、
ただテレビを食い入るように見ていた私が、
その恐怖の巨大津波の映像を見て、
強く感じたものが、
「エネルギッシュ」

その感覚は、私に、
「これから、私たちは、『より現実』を生きることになる」から。
これから「より今を生きる」ということについて考えてみなさい。
という思いを抱かせるものでもありました。

「私たちの地球」は、常に、
「私たちが望み選んだバイブレーション」に合わせ、存在し、
「私たちが望み選んだヴァイブレーション」に添って、
私たちの
「鏡」となって、自然現象などの、いろいろな運動を、
反射映し出し
ては、その光と影を私たちに見せてくれてるわけですが、

私たちは、ずーっとそうしてきてたように、これからも、みんなで、
「私たちの望みにあったヴァイブレーションの地球を選ぶ」
わけです。



けど、これからは、
もう少し「エネルギッシュ」なヴァイブレーションの地球を、
私たちは、希望して生きていくようになるでしょう。
いや、
ならなければ、いけないと思います。


「エネルギッシュ」というのは「意志」であります。

おそらく、「現実のリアリティ」の中で、
実際に津波を体験した人たち不幸にも、津波に襲われ、亡くなられた
被災者の方々の何人かの方々は、その「絶対的な力」と真っ向から対した事で、
きっと私以上に、何か、感覚(意志)を体感し、亡くなられていった方もいたはずだと思います。
もしそうなら、少なくても、「ネガティブ」なる感覚に襲われることなく、
「ポジティブ」なる感覚で、潔く覚悟して亡くなられていった
のではないか。と、
まったく勝手な思いだけども、それで少しは救われる気持ちにもなる私だったりして。

でもそれは、不謹慎な考えでありココ以外では言えない事かもしれません。

でも、それは、正直な、自分の純粋な感覚であるわけです。
それは、別に、「感じたことをさらに考え」つくった空想でもないわけです。
ただただ、自分の感覚が純粋に反応したものである以上、
それは否定できるものではないので、実際は不謹慎にはなり得ないものなのです。

人の「純粋」な感覚を否定するということは、それだけで、
その人の「存在」さえも、否定することになって、
それは、ヒトラーが、ユダヤ人に対して抱いた「考え」と同じになります。



ヒトラーは、ユダヤ人という民族の「存在」を否定し、不謹慎なるものとして、
この世から抹殺しようとしました。

その根拠は、妬みや恐怖などといった、あきらかに「ネガティブ」なる波動であり、
つまりそれ自体が「純粋な感覚」ではありませんでした。

それは、前回で言ったように、私たちが、これからの時代を迎えるにあたって、
とても必用なこと
でもある、
「ネガティブ」なるものを「ポジティブ」に捉えるエネルギー
つまり、「エネルギッシュな波動」の反対側にある、「負の波動」であり、それは、

これからの時代、もしも「さっぱりわからない」ものがやって来た時に、
分かっていなくてはならないことでもある、


「その流れに乗っていこうとする人たちがその流れに乗っていく」

というその「流れ」に、乗っていけない波動であるわけです。




私は、テレビの映像で恐ろしい津波の凄まじいエネルギーが、
あまりにも悲しく辛く恐ろしく「ネガティブ」に感じてしまう事に耐えきれず、
気付くと観点を「人間優先」ではなく、それを包んでる、
「自然・宇宙」に、視野を切り替えて「津波」をみてました。


すると、あれほど圧倒的で支配的な恐怖的な巨大津波のエネルギーが、
感動的な逞しい力。として「純粋」に感じ反応してる自分がいました。

その時、私の中から「恐怖」が消えていました。
「ネガティブ」なるものがまったく見当たらなくなっていたのです。


それは、子供の時に強く感じては、今でも強い印象となって記憶されてる、
あのまだ若い母親と父親の、大きな背中、大きな大人の力、
子供の自分の何倍も「エネルギッシュ」なる、あの、思わず抱きついて甘えてしまいたくなる
大きな身体と、優しい逞しい、大いなる「親」の存在の力でした。


それは、子供の視野からみて感じた「親」が、小さな子供や家族を、
命をかけて救い護ろうとする時に出すような、絶対的で感動的な、
包み込まれるような「力=エネルギー」と同じような圧倒感でした。


私には、それはまさしく大いなる宇宙のエネルギー波動だった。
つまり、「愛」でした。不謹慎?にも、私のとらえた感覚わ。




でもそれは、不謹慎
な事として,
誤解され勘違いされやすいものではあるけど、不謹慎とは関係ないものなのです。


何故なら、それこそが、津波と同じ「エネルギッシュ」なる波動であり、
来るべき時代に対応するための在り方。だと確信するからです。

それは、これからの時代、必ず必用とされる
「ネガティブ」なるものを「ポジティブ」にさせる、
「奇跡」のタネ。
なのです。



「創造的な復興」
を掲げ、その土地をエネルギッシュに調査した、その「復興構想会議」の人は、
さらにラジオから私に語りかけます。

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津波で泥沼と化した水田は、明治の30年代前の時代は、
そこは、風光明媚な「潟」だったわけです。
「潟」は、貝や魚が豊富に穫れたりして、まさに生物の宝庫で、そこでは漁業が行われ、
潮干狩りで賑わう観光の場所でもあったわけです。
でも、人口が爆発的に増え、とにかく「米」をつくらないかんということで、
「国策」で、そこを水田に変えて来た、歴史があるわけです。
その「潟」が、水田になり、そして街になってきたというのが、
私たちの近代の歴史です。
その場所が軒並み、その津波によって洗い流されてしまったわけですが、
その風景は、まったく驚くことに、明治の30年代のその「潟」の風景でした。

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私は津波に「エネルギッシュ」なる「意志」を感じます。

津波は、もしかしたら、人間をこのままにしてたら、
人間たちは、もう「自分自身」という本質的な「存在」に気付けなくなるので、
人間によって奪われた「領海」を、
取り戻そうとするようなで、その「意志」を現した。
のではないか
とさえ、創造してしまう私でした。


でもそれは、「ポジティブ」で「エネルギッシュ」な創造力でもあり、
決して「ネガティブ」なるものではないということです。



そういえば、私も小学生のころ、よく潮干狩りをしに行った記憶があります。
今その沿岸一帯は、沿岸を超えて、
海の領海までをも埋め立てて、人工的に国の領土を肥らせ、
工場やマンションや倉庫などの建物が建つ大コンクリート地帯となってます。


しかし、そのように、創造されていた高度成長の裏には、
埋め立てられた海にすんでいた生物たちが、住処を奪われ、
死滅していったという悲しい物語
もあったはずですが、

私たちの世代は、それが私たちにとって別に大した問題とはならない考えられない、そういう、高度成長真っ盛りな、
「人間優先」の時代の「観念」による教育を受けて育って来たので、
だから、今、そういう事に気付いても、今となっては、どうすることも出来ません。

それは、今やその「観念」は
すでにもう>使い物にならない「古い観念」であることを意味しています。
今となっては、まったく新しい観念を生み出せずに、「古い観念」のままでいる以上、
もうどうすることも出来ないこととなっているのです。
何故なら、

「古い観念」では、
せっかくの「創造力」は、生かせないからです。
「生かす」ということは「ポジティブ」な事だからです。

今の我が国(他の国もだけど)は、まさしく中央政府がその象徴となって「古い観念」によって、
まったく「ネガティブ」なる世界が構築されていることを気付かせてくれています。
それはこのまま「古い観念」のままで生きていたら、
「今」を生きることなどできない。それはもう、
「創造的な復興」どころの話ではなく、ただただ、
「どうすることも出来ないもの」が、これから、どんどん増えていくだけの、
まことにどうすることも出来ない「現実」の中で、私たちは生きて行く事を意味するわけです。



これからの時代を迎えるに当たって、
私たちは、より「今」を生きなければいけないようになると感じます。
何故なら、「より現実」となって、「現実そのもの」となった時、
人間は進化し、真実は見えてくる。と強く感じる私だからです。


だから、私には、あの津波は、私たちにとって「母なる海」が、
そんなどうすることも出来なくなってしまった我が子に
何とか目覚めさせ「生長」させ「進化」させるべく、

その人智を超えた創造力によって、それを実際に体験させるだけでなく、
まさに「鏡」となって、ソレを反射し映し出し、
さらに記録させては、テレビで何度も繰返しその映像を見せることで、
それが、かつて人間によって「住処を奪われ死滅した海の生命その生き物たち」と私たちが、
まるで同じであるという「現実」を創造したもの=「作品」であり、
まさに親が子にする真なる「教育」でもあった。
と、冗談ではなく、私の感性は、「事実そうである」としても、
容易に創造を巡らせる事が可能なわけです。

もちろん、冒頭に記したように、だからといって、
事実であるとして、決めつけて、それを人に主張したり押付けたりするつもりも、
その真意を問われたり、そのために論争したり、ましては不謹慎だ!イヤ違う!とか、
とにかく、そんなためにこうまでしてココに記しているのでは毛頭ないっす。


れは、

決して「ネガティブ」なるものではなく、
今まで「ネガティブ」だとしている全てのものを、
「ポジティブ」にもさせてしまえるんだぞ。という、
「エネルギッシュなる意志」「奇跡のタネ」なんだぞう。と。

「鏡」に映ったしかめっ面したネガティブな自分の顔を、
ポジティブな笑顔に変えようと思うなら、
自分から笑顔になって変えない限り、「状況」は変わらないのです。

それが、エネルギッシュ。

「進化とは、自分が現実そのものであることに気付くこと」
だとすれば、私たちは、現実そのものの中に、
まだまだ存在できてない
のかもしれない。
まだまだ本来の自分自身の「現実」=場所から離れ、彷徨う迷子になってしまってるのかもしれない。
だから、「現実」を突きつけられても、
ただあたふたしてるだけで、まだまだ何も創造出来ないまま
でいる
のかもしれない。

犠牲になられた方々は、紛れも無い本当に「犠牲者」の方々であり、
本来なら、私やおめーがそうなってもおかしくはない中で、その方たちは、本当に、
私たちの「犠牲」となって、「教訓」を残し、逝かれたわけでもあります。
本当に、被災者の方々には、心より鎮魂の意を捧げたいと思います。





だから、津波の「エネルギッシュ」なる「意識」を感じ、
今の人間に対する怒り
も覚えます。

「犠牲者」の方々の事を思うと、怒りが、溢れ出たりもします。
でもそれは、津波のエネルギーなる意志=エネルギッシュなる波動と、同調して起きてるような気もして、
津波の「心」のようにも感じてしまう
不謹慎な私でもあるのでした。

しかし不謹慎と思われようとも、
それが、今年のコトバマ「エネルギッシュ」が自分におりた理由であり、
それは、今年のコトバマ「エネルギッシュ」を語る上で、
どうしても欠かせない大事なポイント
でもあるんでした。

それは「現実そのもの」となって、一緒に「現実」として存在してる感覚。
そして、一緒に「現実」を創造してる感覚です。


私たちは、現在、自然に対して「畏敬」の念というものを、あまりにも忘れ、蔑ろにしている。
そしてそれは、まったくの事実であり「現実」である。ことを強く感じます。


「津波」は、まさに「現実そのもの」となって、絶対的で圧倒的なエネルギーで、
私たちに力づくでその「畏敬」なる「現実」を、エネルギッシュに突きつけて、
まったくその姿は、自然そのものであるとばかりに、寄せては引いて、帰って行きました。


ゆえに、私たちは、何も混乱することはないのです。

それは、寄せては、力づくでその「流れ」を運び入れ、その水田地帯一帯を、泥沼と化して、
引いては、昔あった元の「潟」の風景にさせては、帰って行きました。


私たちは、
エネルギッシュ
に在らねばならぬ時には
エネルギッシュ
で在れば良いだけなのです。



たちは、もともとが、そのままで、
一人一人、価値ある
「存在」なのだから。

ただただその「存在」であれば良いだけなのです。





「存在」「意志」を持つ「エネルギッシュ」なる「いきもの」

つーこと。

「いきもの」なんだから、生きてなきゃウソだ。

みんな、価値を持った存在として、この宇宙に生かされてて、
そして、人間だけが創造力を与えられたその力を、
私たちは持っていて、現に、その大いなる「何者かの」代弁者
でもあるのだから。

そのために、それを使い、たとえ、死ぬような事があっても、
それを全否定せず、生かす事が出来なければ、


「宇宙」をわけた「親子」じゃない。

「エネルギッシュ」ではない。わけです。

破壊したり拒絶して否定的=ネガティブになる事は、本当のパワーではなく、
津波のような大いなる「エネルギッシュ」な力を吸収する事はできない
のです。



ん?

何?これ。

。。。ん~~~~。。。。ん~~~~。。。。。そいつわ違うなぁ。。。。そいつわ。。。。
。。。エネルギッシュ。。。なんかじゃ、、、、ない!

さて。一体それは、何のことでしょう!?



   まだつづくってか。

【 2012UDJ+Artworxコトバマ/エネルギッシュ vol.1 】

2012-01-05 | ・nTinDEEP


ってる?
今年からね。ネガが、ポジになるんだって。
ポジが、ネガになるんじゃないよ。それじゃぜんぜん違うからね。
そう。今まで、ネガティブだったものがポジティブになるんだ。

ネガティブとは、
否定的な世界。だからそれは、妬み、憎しみ、みたいな悪意の世界かな。


ポジティブとは
肯定的な世界。だからそれは、生かし、許し、愛す。みたいな愛の世界のことかな。


からこれからは、「機能」しないものが、さらに崩壊していくよ。
最初のうちはゆっくりだから、まだ闇の中にいるように思えるけど、
徐々に古い体制が崩壊し始め、それにとって変わる新しいシステムが、
台頭してくるのを、見ることになるよ。きっと。うん。
そいつが、ポジ。愛のシステムだ。やったぁ======っ!

も。

おめーらがそうなること望めばの話だがね。



ーだ、これがまた望んでるようで望んでないみたいで、
そいつわ、どうにも中途半端なエネルギーとして、
世間にかる~いうす~い想念となってぷわぷわ浮かんでるわけだス。人間界に。

しも、これから、

その「ポジティブなる世界」がやって来たとしたら、
今この新しい年になった時点で、この今の私たちの感覚で、
私たちは果たして、順応していけると思うかい?


えば、宇宙人が、ついに満を持して、UFOの大連体をつれて、
地球に、姿を現したら、私たちは、果たして、ハローナイスミーチュー!って順応できる?
そして、相手の宇宙人を、「ポジティブ」にさせてあげられるかな?

「ポジティブ」な感性で生きている人は平気かもしれない?
も、宇宙人やUFOなんてあり得るわけがない!
とその存在に「ネガティブ」だった人は、
その人の「古い観念」が使い物にならない!と思わせるほどの、
全てにおけるわけのわからなさにもう、奴らの母船見ただけで、うわ==============っ!て
巨大津波に襲われ飲み込まれるという恐怖でショック死してしまうかも?

チの宇宙人の話だと、

のUFOマニアで結構長い間交信してた、アメリカ人が、
長い文通期間を終えて、人気のない森だかなんかで、
ついついに遭える日が来たということになって、
気分は、まるであの未知との遭遇のリチャード・ドレイファスで。
奥さんも子供たちも、
こんなオタクで頭イカレたお父さんやっぱ無理ぃ=!と飛び出して行ったきり、
そうだよ私は、孤独と世間からの冷たい視線と闘いながら、
私は、私は、ううぅうう~~ここまで来たんだ!
さぁ、ペペチョリ君!私はここだよ=!心のテレパシーでは?おおもうくるくるくるのか!
「やっと遭える!今日は僕にとって歴史的な日だ!」「遭えるんだペペチョリ君に」
「あったらまずあ~~なんて素晴しい日なんだろう?
あ=?うわぁ~?~うわぁ~~~うわぁ======っ!!!!」って、
やっぱ実物見たら、あんなただでさえ怖い富士山の樹海みたいなところだしさ
、も、チラ見2回くらいだもん、
殺されるんじゃないかっていうような真っ青んなっちゃってすんげー顔で
あっと言う間に消えてちゃったヨーデスハいハイワカリ
マシタマタチューゴクジンデスネワカリマシタハイハイデハコレカラ。
おちょっとすまんななんかまた中国でレプタリアンが悪さしてるらしくて
これからちょっと北京までとんでっちゃなきゃいけなくなっちまったから
鈴木君の話はまたこんどでさ、ね、ね、うん、
あーいいいいそんな気をつかってくんなくても、そぉうお~?
いつも悪いな、こっちはいっつもあんなもんしか
うん!わかった、じゃ、あの~ほれ、この前連れて来た、
ほら、あのトヨシマだっけあのバカあはははははははな?あはははあいつにもさ
ほぉれ~よろしくさ、な、俺またアレもってきてやったらっていっといてよ、
うん!じゃあはいはい!それでは、おからだ大事にねぇ=、
しゅぅぅ~~~~~~^~~~^^^^~~~~~~^^~^~^っ!

ってよくしゃべるなぁ==あいつなぁ~ペペチョリ君。
話全然聞いてないで、いつ帰るんだろー?ばっか気になっちゃって、
あんなんでよく人間にみつかんないなぁ、あたまわるそうだけどなぁ。いいやつだけど。
あんなもうすうんごいからなルックスつーか、トカゲのオッサンだからなぁ、
松つぁんじゃないからさ。本物だからね。
もうえーと何だっけそうそう鈴木君だっけ。
あの人も、かわいそうつか今どしてんだろ、自衛隊でも入っちゃったんじゃねか?
まったく想像できない。気になる。そのぎりぎり直前までは大喜びで興奮してたもんな。
でもそりゃわかるし、実際すごいし、
そりゃ映画で見るのと、それじゃぁもう吐きそうになったからな。
ま、慣れで、ぜんぜん平気にはなるんだけどさ。
トカゲのオッサンだからさ。ぶっとんじゃうぞ。
ああやって一緒に話してて。日本語うますぎだろ。日本人じゃねーのか?あの宇宙人、。

はい。え~ああもういいかなぁ、あ、えへ。ごめんね、ん、あ~と、
あちょっとUFOでページそんなに使ってられないんで、うんうん、
ごめんね、なんか、ね、はい。あああ~そですか、あははははははへぇ~、
ああはい。いえこちらこそ。
ああはい。どーもー。どぉ~もぉ~!こちらこそぉ~!



うです

「ポジティブなる世界」
といっても、
それ持ってむこーからやって来るばかりではなくて(この場合むこーからきてる話だが)、
なんだっっけぺ?あペペチョリ君だったら良いけど、
もっともっとレプアなに?なんかアン?とかゆう得体の知れないものとかやってきた時、

私たちは、それでもそれを「ポジティブ」に受入れる事ができるか?
という、ムコーでなくコッチの話なんだけどね。
ネガティブだったものがポジティブになる。って
主に。それはそうでしょ。こっちはこっちでなんとかしとかんと。

去年の大震災は、実はそういうヤツでしたね。そういうものだったと思いますよ。
それはまた次に話す用意してるんですがね、あはい、なんといっても、それで
今年のコトバマ、おりたというメッカな場所の話ですから、せんといかんかなってはい。

え=今回はなんかこんなまアレなんですが、このように、

ネガティブだったものがポジティブになる。と言われているのは、
本当にそういうことかもわかりません。

巨大津波からそれはすでにもう始まっているかもしれませんが、
すでに宇宙人の中では2012年が本格的な遭遇に向けてシフト変わる始まりの年だとか言ってて、
これをお読みになってるみなさんは、まコトバマコトバマと仰々しくやってますが
あのTのセーボーがなんでこんなことしてんの?
とかそういう痛々しい感じとかなくはないという
私のことなので、ここまできちゃうと、あのかわいいあいつらこいつらたって
ここにはこねーこれは違うセーボーじゃない!とか十分ありえますがゆえに、
私もココにまったく来てなかったので、コレ読んでるやつ、
ホントにいるのかどうかも見当つかないし、読んでんだったら、
一体どんな心境で読まれているかさっぱりわかりませんが、
さっぱりわからないように書いてたり。しかし!


さっぱりわからない。
という時がいつか来るかもしれない、わけでもありやす。これは上手いだろ?
そんな時のために、
分かってなくては、ならないことがあります。それは、


「その流れに乗っていこうとする人たちが、
その流れに乗っていく」
ということです。
これ非常に大事です。知っといて損わないから。これだけは覚えとくといいよ。

「その流れ」とは何ですか? そうで~す。「ポジティブ」の流れですね。

そうです、それはつまり、

君はただ純粋の「愛の状態である」のであって、
「愛の状態である」から「愛の状態である」のだ。
ということだけが、大事なことなんですよ。ということです。本当に。

それが、流れに乗っていこうとする人たち」だということ。

それが、その時のために、分かってなくては、ならないことであり、つまり、
「その流れに乗っていこうとする人たちが、その流れに乗っていく」ということ。
して、さぁついにいよいよ。

つまり、その流れにのっていこうとする人たちという
、この人たちは、一体どんな人たちかい?

望んでるんだか望んでないんだかわからないような、中途半端な
世間にかる~くうす~くぷわぷわ浮かんでるふわふわな人たちかな?

そう、違うねぇ。じゃどんな人たちかい? 勝利者であるこの人たちには何がある?

「ポジティブ」? そうだね、それがなきゃ流れに乗れないわけだからね、
でも、彼らには、ぷわぷわ感ないだろ?もっと凝縮してるってゆうか、身も心もしまってるつうか、
そうだ、その人たちには、
「その流れに乗っていこう!」【いこう!】があるんだ。
それは一体どういうことだろぁ?
う!
「その流れに乗っていこうとする人たち」は、
「エネルギッシュ」である。
ということでした。

「エネルギッシュ」は、何か私には、
言葉の振動する感じだけでも何かこれは、使えるな感があります。
判断の基準にもなるし、色んなものに使えます。、まさしくそれは、
UDJのために現れた、
実にぴったしかんかん的んいウチとはまる「コトバマ」ですた。

とにかく、これから非常に使える言葉になってくると思いやす。

して。

ゆえに、今回のコトバマは、まだ終りません。つづきがあります。
だから、近いうち、また、すぐにでもお会いしましょう。じゃ!

やったぁ=================!
そだ。それが、21012年の今年のUDJ+Artworxのコトバマです。

「エネルギッシュ!」
づく
(今回はまだまだつづくんだ。何てったって2012だからね)





1111dddddddddddd11