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【今の世のおかーさんおとーさんたちにポニョ】

2008-09-10 | ・nTinDEEP

ぽ~にょぽ~にょぽにょさかなのこ。をそのとーり書いてみたんだが、書いてみて。こーして観てみると、今までココで発表したどの「書」よりもヘタクソでまるで5歳児ぐらいな「子供」の「書」だった。傑作かもしれない。しれない?
しかしあの映画、さすがにえんぴつ手描きで描きとーした鬼気迫るほどのアニメ映画だったのでそれは預言の「書(アニメ)」なまでのハードな「子供」の心の映画になっていた。封切り後におそってくるあの異常なまでの「雷雨」「豪雨」による「水害」は、スクリーンから飛び出した、宮崎駿とゆー「大人」による血と汗と涙によるものだった。しかし、それは賛否両論降りまくる激しい「豪雨」から身を守るための「大人」から「子供」、「天」から「海」への声でもあったので、その声を聞けなかった観客の人たちは、説明不足だといっては豪雨の中に消えて行った。声を聞いた観客の人たちは、そんな声、聞けたって、今のニンゲンにはどうやって説明すればいいんだか見当がつかない。そいじゃー結局、説明不足の映画である。ということは、それだけで真実の映画とも言えるので、なことよりこの映画は楽しめれば勝ちだろう。子供たちは十分楽しんでいた。私だって子供の頃、怪獣が出て来ないなんか政治家とか偉そうな大人ばっか出て来る説明ばっかのむずかしーシーンは退屈でじーっと我慢の世界でゴジラが姿を現した途端、生き返ったような気がして、さらにそんなニンゲンたちを食いちぎっては街を暴れまわりビルを壊しまくるシーンでは、小便もらすほど凄まじく怖く、なにしろ、それは、ガキたちのカラダを響かせるほどに、誰でもわかりやすいほどに面白かったので、今でも心に記録され、カラダの水分として私を生かす元として在る。


久しぶりでごんす。

そゆーわけで、ココのブログも、夏の間、ほとんど更新されないまま、
とうとう秋を迎えてしまった感じで、「一体今まで何をしてたんだ?」
とか言われそうだけど、そんな事大きなお世話だ。とかえしてしまうと、
ただでさえどこにも顔出さずシゴト何もしてなさそーに思われがちなんで、
もうほとんど人から忘れられそうな私なんで、さらに人気ガタ落ちになりそうで怖いので、
そういうかえし方は良くない、と反省し、もいちど「一体今まで何をしてたんだ?」
と聞いてもらえるかな?

「一体今まで何をしてたんだ?」
「そんな事大きなお世話だ」

とかえしてはいけないといってるやさきにそんなふうにかえしてしまう私。
そんな照れ屋な俺をどーか許してくれないかに。
だって、「一体今まで何をしてたんだ?」と聞かれて、
「有り難う!俺を忘れないでいてくれて!」とは、それが本音であろうと、
どーしても言えない私のシャイな性格なんだしよ。
ってしっかり言ってるしかもなんともまー総体的にいやらしー言い方となって。

しかし、今年の夏の後半の天気の荒れようったら異常だった。
あのしつこいほどの「雷雨」や「豪雨」そしてそれによる「水害」。あの異常さ。

雨はふつう、人や植物など、生命あるものを生かすための天の気、
それは、台風ですら、深い意味で、そういうための、天の気。
だから、ネイティブ・アメリカンじゃないけど、私は、
「あいにくの雨ですねぇ」などとは言わないつーか言えないヤツだったし、
とにかく、「雨」に対して、ずーっとそー思えて来た私だったけど、
今年の「雷雨・豪雨」の異常さには、何か、考えてしまうものがあった。

それは、もちろん、「天気」天の気についてだ。天の気持ちだ。

たとえば、天の気は、腹立ててるなー。とか。
ん~、天のかみさまは、さすがにココに来て。
その崇高なるもの自然なるものに対してのあまりにもの不自然さ無責任さワガママさに、
または、人間のあまりにもの大人げない子供さに、もう辛抱たまらず、
あ~んな見た事のないようなぶってーどでけーイナズマ何度も走らせ、
カミナリを落とされている。とか思ったり。
でも、それにしても、
そーゆー感じで天の気を愚かなニンゲンたちに伝えるのもわかるけど、
なんか。ちょっと。子供みたいだなー。大人げないなー。
ヤツら、翌日朝目覚めて、昨日の自分思い出して、ちょっと恥ずかしー。
とか思ってるに違いない。ちょっと昨日は飲み過ぎてしまった!とか。
何てったってオイラは「天気」なんだから、
天のものである私が、あんなハード・ロックのリードボーカリストのような、
あんなガキたちの音楽のような騒々しい唄声で、あんなチンコの血管のような
ぶってー派手なイナズマ見せてまで、そのメッセージを、
ニンゲンたちに伝えるそのセンスに、気づけば、
天の品格ある者として、恥ずかしがってたりしてんじゃねーかなぁ?
私は朝青龍じゃない!とかいって。

とか、何と大胆にも、天に対して上から目線で思ったり。

何しろ。天の気は、今、絶対、腹立ててる。ニンゲンに。

としか思えないタダイマ付近の感じであるわけだス。



そんなことで、私も、その「天気」というバンドのメンバーじゃーないけど、
どーしたもんか、今のこの世間には、正直、腹を立てずにはいられない。
ことばっかで、さーこまったこまったこまったもんだろかおんなのぱいおつ。

だって。政治家から教師まで、どいつもこいつも、
みぃ~んな、「子供」ばっかじゃん。という。
ほぉ~んと「大人」がいないんだ。絶滅したみたいなほどに。

本当の「子供」は子供であるのは当然だから別にまだいーけど、また、
「子供の心」みたいな「純粋性」を持つことは、私のようなゲージュツカには、
とても大事なことだけども、そゆー分野ではない、一般的な、
もーいー「大人」であるべきヤツらたちまでが「子供」ばっかつーのは、
そりゃカミナリまでも「子供」じみてあんな恥ずかしいほどに騒ぎ立てて腹立てるのも、
仕方ない。つーのはどだ。

だから、ココで私はあえて上から目線な「大人」となって、
今の「子供」たちに「大人」が伝えておかなければいけない事を、
書いてみよーかに。つー感じの久しぶりのUBAだ。

え~~~~~~~。ん~~~~~~~。何て書きはじめよ。そだ。

「君がしてほしくないことは、ほかの人にしてはいけない。」
という話がある。別の言い方で言うと、
「自分がしてほしいことを、人にしなさい。」とでも言うかな。つまり、
黄金律(ゴールデン・ルール)と言われているものだ。

それはつまり、人の基本的なルールみたいなもので、
「自分がされたらいやなことはほかの人にはしてはいけない。」
「自分が人にしてほしいことを、ほかの人にもする。」
ということが、そのルールの大きな柱だったりして。

「大人」たちは、いろいろな種類に分けて、
この黄金律=ルールの内容を、長い歴史のなかで、
「子供」たちに教えてきたわけ。その「基本」を。

たとえば、おめーが人にされたらいやなことっていうのは、どんなことか。
じゃー、おめーが人にしてほしいことっていうのは、どんなことか。
それを具体的に考えてみよう。何故ならそれが、
人に対してしてはいけないこと。であり、
人に対してしなければいけないこと。の「基本」でもあるから。

「子供」には、その「基本」さえしっかりおせーられれば、
後は、どーにでもやっていける。「大人」になっていける。
それが、「基本」というものだから。

ってちょっときどって哲学入れちゃったりしてなーてめ。


最近の犯罪、殺人事件などでよく聞くフレーズに、「誰でもいいから殺したかった。」
とかゆーまるで機能障害、思考停止、壊れたコンピュータのような、
ニンゲンの気持ちがあるけど、平気でそんな事言えちゃって通り魔とかしちゃうってのは、
そのニンゲンは、まさに「子供」であることの証明でもあるんだけど、
じゃー、そんな「子供」を一体誰が、「大人」にさせられるんだろう。

そりゃ「大人」以外いない。「大人」は「子供」の先輩だから。

だから、先輩は、後輩に言ってみて。
おかーさんおとーさんは、むすこやむすめに言ってみよう。
ココ来るヤツらで、けっこうおかーさん多いし。

お前は殺されたくはないだろう。命を奪われたくはないだろう。
「人生を最後まで生きたい。大人になって仕事をしたい。」
という願いを奪われたくはないだろう。
そうであるなら、当然、ほかの人にもそういうことをしてはいけない。

お前は、他の人から、殴られたり、蹴られたり、傷つけられたり、
血が流れたりするようなことを、してほしくはないだろ。
ナイフで傷つけられたり、金属バットで殴られたりしたいかな。
死なないとしても、入院して苦しい思いをするのは、とてもいやだろう。

お前がいやなことは、ほかの人にもしてはいけない。
お前と同じように、ほかの人にも、幸福になる権利があるんだから。

ほかの人に暴力を振るって、殴ったり、蹴ったり、バットで殴ったり、
刃物で切りつけたりしてはいけないし、もちろん、銃で撃ったり、
爆弾もって自爆テロだジハードだー聖戦だーとか言っちゃって、
自分だけでなく大勢の人を殺して、何が正義の使者だ、ヒーローだ仮面ライダーだ。
あ。仮面ライダーはお前のヒーローだったかわりっ。
とにかく。とかゆーよーな事を。


「私はヒーローなどではない、ダーク・ナイトだ」とか言ってブワァ=!っとバットマンがもの凄い勢いで闇の中に走り去って行っちゃってこの映画は終るんだけど、この映画の完璧さ加減は、そのセリフがよくあるラストを飾る「子供」向けの光輝くかっこえーもんじゃなく良く出来た哲学映画にも感じるほどの深刻でせつない闇的な狂気を「ハリウッド」の資本力を使ってどこにもアホらしさ「子供騙し」を感じぬほどに完璧なまでに内容の深い「大人」のかっこよさでラストをしめるところ。その「大人」具合は、ウルトラマンの「子供」具合に比べ圧倒的にエロかっこいー。それはまだ毛の生えぬ唐辛子チンコと勃起した大根ほどの違いで、これに対抗出来る日本のヒーローは「大日本人」しかいないだろう。あのまったく正反対だと思える「大日本人」のかっこわるぅーのラストシーンは、決して負けてないから。その理由は、「ダーク・ナイト」のあのラストシーンをそのまま「大日本人」は引用しようと思えば出来るけど、「ダーク・ナイト」には「大日本人」のあのようなラストシーンは引用出来ない。台無しになってしまうから。「大日本人」はその点において、「ダーク・ナイト」より強いと言えるから。それはいいけど、ここまで完璧でドキドキする危険なヒーロー映画を、今まで私は観た事がない。この映画でバット・マンはコミックを超えた、正真正銘の「ロック」になった。

そうそう、ヒーローもんの映画で金字塔もんの映画を見てしまった。
「ダーク・ナイト」これはやられた。
絶対みんなも見るべきだ。私は「ビートルズ」も「ストーンズ」も、
両方好きだけど、同じように「スーパーマン」も「バットマン」も好きだ。
何故なら私は欲張りだから。「光」も「闇」も「聖」も「俗」も好きだから。
つーか、必要だから。
その映画は、「闇」側でもある「バット・マン」シリーズの最新作だけど、
とにかく見てないヤツいたら絶対見るべきだ。と、言ってしまっちゃうほどに、
今まで見た事ないほどにとんでもなくカッコイー映画だから。
気づけば、その要素は、「大人」さ。だった。私はこれを見て、
ハリウッド映画ときけば何でもバカにする「大人」ぶった映画ファンとかいるけど、
あさいなーそっちのほーが「子供」なヤツだなーとか思えて、
一瞬自分もそんなヤツではないかと不安に思ったほどに、この映画はカッコ良く、
その核である「大人」さを出すには、「ハリウッド」でなければ不可能であることを思い知り、
私は、堂々と、巨人ファンだ何が悪いと思えたとかゆーのはどーでもいいが、
とにかく、「大人」だった。
今まで数々の映画を観て来た私だけど、ここまで心底やられた映画は、
数少ない。とにかく、見ればわかる。お前ならきっとわかる。

そんな映画の世界ではなく現実の世界に戻ろう。
と再び戻ってみればうわぁぁぁぁぁぁ====っ!

そこらじゅー「子供」ばっか。

フクダ総理とか何だあれ。何だあれあいつ何。

日本の「大人」の中でもいっちゃん「大人」見せなきゃやってけない
一国の首相(トップ)が何あれ。あんなかっこわりーくていいのかな。

私は強くあれ見て思う。だって「七人の侍」さっきまた見て感動したばっかだから。
私は映画みまくり爺ぃーか。仕事もぜずに。
あ。仕事してるだろが今ほれ。

とかいーつつ「七人の侍」だ。あれわ最高だぁ。アイラブくろさわ=!だぁ。
一番好きな映画は何?「七人の侍」だ!とかなほどの映画。
だから、自慢じゃないけど、私はこれ100万回は見てる。
今観たから1000,001回だ。そゆー細かいちーさい事はいいけど、
自分がちーさーく思えた時、すげー持ち直して「大人」になれる。
日本人で「七人の侍」観てないヤツを、私は信用出来ない。とかなほどだ。
とにかく、それ見てつくづく思ったけど、
日本の総理大臣は、「七人の侍」の勘兵衛じゃなきゃいけないべ。



ま。「侍」とまでは言わないが。子供たちよ。

「人間」だったら、ふつう。
「将来、いいお父さん、いいお母さんになって、子どもを育て、まわりの人とも仲よく生活し、
そして、年を取って、おじいちゃん、おばあちゃんになっていきたい。」
という気持ちを持っているもんだ。それを奪ってはいけない。

お前がしてほしくないことは、人にしてはいけない。
お前が人にしてほしいことを、ほかの人にもする。
それが、人に対して、してはいけないこと、しなければいけないこと。

君は、人に自分のものを取られたりしたら、とてもいやだろう。
たとえば、学校で、ちょっと席を外して戻ってくると、教科書がなくなっていたとする。
だれかが意地悪をして隠したわけだ。
あるいは、鉛筆を削ってきたのに、鉛筆の芯が全部折られていたり、
消しゴムがなくなっていたり、ノートがごみ箱に捨てられていたりしたらどうかな。
こんなことをされたらいやだろ。

それから、お金を取られることもある。
お母さんからもらってきたお小遣いが、財布の中からなくなっていたりする。
あるいは、体操服に着替えて体育の授業に行って、
戻ってくると制服がなくなっていたりする。

いじめとして、「人のものを取る」というかたちも多いようだ。
小学生や中学生でも、こういうかたちで意地悪をして、いじめることがある。
これも、自分がされたらいやなことだし、とても腹が立つだろ。

しかし、自分がされたらいやなことでも、人に対してはやりたくなることがある。

「あいつは、気に入らないやつだ。やっつけてやろうか。」と思ったとき、
一人ではできないので、たいてい友だちと組んで、
「あいつに意地悪をしてやろう。」と言っていっしょにやったりする。あるいは、
「××さんという女子が、すごく生意気なロをきくから、いじめてやろう。」
と言って、いじめたりする。さらには、
お弁当を隠したり、通知表をごみ箱に捨てたりするようなこともある。

自分がしてほしくないことは、人にしてはいけない。だ。

相手の立場に立って、「君がして欲しくないことは、してはいけない。」

何故なら、それは、みんなが幸福に生きるためのルールだから。

それを知った子供は、大人になって、それがわかる。


こんな話を、こんな調子で書かなきゃいけない今のこの時代にも、
そー書いてる自分にも腹が立つ。そー腹が立つ自分にも、腹が立つ。
って、はらたつはらたつって、子供か俺わ。ってあーはら立つぅー。

立つのはチンコだけでいー。

おー大人だ。良かった。つーか。それわエロ爺か。
あーやっぱ、子供だ俺っきしょーぅ!あー腹立つぅー。タトゥ-でも入れようか。
とか。ん~~~~~~。七人の侍もいっかい見てクソして寝よ。