この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
小松は屋代島の西端部、飯の山を境として、西北部が大畠瀬戸に面し、屋代川河口の低
地とその周辺部に立地する。
地名の由来を風土注進案は、人ありて八幡山に松の苗を数本植えたところ、この松が盛
りに繁ったことによろこび、所名を「小まつ」と云い習わしたという。(小松港バス停ま
での歩行約4.3㎞)
JR大畠駅(9:48)から防長バス橘病院行き約23分、開作港バス停で下車する。
開作港から見る小松の町並みと、背後の飯の山には山頂まで車道があって、山頂の展望
台から360度の大パノラマが楽しめるとのこと。
塩釜神社の由緒によると、塩田増築祈願のため安芸国厳島神社と陸奥塩釜神社から勧請
し、1690(元禄3)年に祭祀されたとある。
粟屋就貞は藩役多年の功績により、小松沖干潟百余町を拝領。製塩の条件に恵まれた地
であることに着目し、1690(元禄3)年9月神社で鍬入れ式を行い、約6年を歳月を費や
して古浜が完成する。(境内に粟屋大夫頌徳碑)
玉垣には七代目市川団十郎や各地の豪商が寄付したことを伝えている。
旧三田尻塩務局小松志佐出張所は、1905(明治38)年大島郡の塩業を管理するために
開設される。後にたばこ販売を主たる業務とする小松タバコ販売所、1949(昭和24)年
専売公社小松出張所として、1973(昭和48)年まで使用された。廃止後は大島町考古資
料館として利用されたが、現在は空家となっている。
洒落たデザインの洋風建物は、中央の主屋内に事務室と所長室、主屋左側に少し張り出
して妻を向ける玄関が接続する。右側は検査室でアーケードによる通路を設けている。
倉庫は赤煉瓦造、基礎部分には白い御影石、窓は鉄製の庇がついていたようだが、屋根
は崩落して無残な姿となっている。(入口は海とは反対側の山側)
塩・石炭の輸送水路だった入川と正面に頂海山。
1966(昭和41)年新浜塩田跡地は大島商船高等専門学校の敷地に転用される。
日毎に塩買い船や石炭船が出入りし、新しく開かれた町には多くの人々が集まり、料亭
や船問屋、多数の小店が軒を並べたとのこと。
途上には、1961(昭和36)年開校した田布施農高大島分校があったが、2010(平成
22)年閉校する。
その北側にあった明新小学校の講堂は、1923(大正12)年卒業生のうち移民してアメ
リカ・ハワイで働いている人や移民で帰国した人たち、村民の寄付で建てられた。201
3(平成25)年頃老朽化によるものか解体され、移民の手による遺産が消滅した。その先、
屋代川に架かる橋を渡ると屋代口である。
通りには小店が並ぶが、その多くはシャッターで閉じられている。安村百貨店だった看
板には花札、トランプ、百人一首と懐かしい名が残る。
浄蓮寺は小松の賀屋清蔵が真宗に帰依して出家し、1624(寛永元)年に開いたとされる。
看板建築の家具店。
通りに面する志駄岸八幡宮参道には大灯籠があり、台石には大坂問屋や備中笠岡など他
国の問屋名が刻まれている。
二ノ鳥居の説明によると、1637(寛永14)年に建立されたもので、上部の笠木と島木
は一枚石、柱は真円でなく丸く角張ったのが特徴とされる。大きな神輿が通行するため、
柱脚は露出した形になっているとのこと。
神社入口左手には、1884(明治17)年創業の川村酒造場。
奈良期の772(宝亀3)年宇佐神宮から勧請されるが、1890(明治23)年に造営された
現在の本殿は、江戸期の神社様式に権現造りを加えた豪華な造りとなっている。
本殿前からは笠佐島と大島商船高等専門学校の建物が見える。大島商専は、1897(明
治30)年大島郡立大島海員学校として創設され、県立商船学校を経て文部省、逓信省、運
輸通信省、運輸省と所管が転々とする。文部省に再移管されたが、現在は独法国立高等専
門学校機構の所管である。(境内に🚻あり)
大島宮の下バス停前に玉垣に囲まれた御旅所がある。
妙善寺(浄土真宗)は、1700(元禄13)年真言宗の光照寺跡に建てられた。入口の案内
には「三国貫嶺は同寺の3男として生まれ、幕長戦争大島口の戦いでは高杉晋作が乗り込
んだ丙寅丸の燃料や総本陣(西蓮寺)への食糧確保に尽力するなど裏方である輜重(しちょう)
役を担った」とある。
山門横にはお墓参りの心得がある。「まず本堂、正月・彼岸・盆、祥月命日、誕生日、
祝い事、夢を見たら、迷いがおきれば、嘆きがあれば、感謝と報恩、近くに来たら」と記
されている。
三差路の角に浄土宗の称念寺には、本堂前に周防大島八十八ヶ所第37番札所がある。
詠歌「み仏の み名を称うる 称念寺 参り拝めば すぐに極楽」とある。(寺から海への
両側は元新浜塩田跡である)
海岸線の主要県道に出ると大畠瀬戸。正面に柳井の琴石山、瀬戸に浮かぶ船は高専練習
船「大島丸(228トン)」
板塀に囲まれたK家。
海側に主要県道が新設されたため、こちら側の道は静かな通りとなっている。
スリップ止めを兼ねたマンホール蓋の中央には、周防の「S」と大島の「O」をモチー
フした町章が小さくデザインされている。
路地に入ると大島八十八ヶ所第38番札所の四福寺。
古民家は空家が目立つ。
大島病院付近で休憩を入れて大島大橋を目指す。
小松港バス停(病院前)からJR大畠駅までの距離は約3.2㎞。
やや上りの道だが歩道もあって歩くには支障がない。
大島大橋の歩道は右側にあるため地下道が設置してある。
1976(昭和51)年7月に開通した大島大橋は、3径間トラス橋で橋長1,020mで
ある。歩車道とともに島民にとって不可欠な光ケーブル、送水管が設けてある。
バス乗車時には気が付かなかったが、歩くと道は山形となっている。
眼下を船が行き交う。
頂上部付近が柳井市と周防大島町の境界のようだ。2018(平成30)年10月22日に
ドイツの貨物船が橋桁に衝突するという事故が起こった。
山陽本線を真下に見ると橋を渡り終える。鉄道ファンにとっては絶好の撮影スポットの
ようだ。
観光センターを過ごすと右に急坂の道がある。
2つの函渠を潜り、突き当りを左折すると国道に出る。
鯛と大島大橋が描かれた旧大畠町のマンホール。
国道を右折するとJR大畠駅。