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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (34)風雲児と伏魔殿 

2015-05-09 12:13:57 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(34)風雲児と伏魔殿 




 白川に架かる橋、巽橋(たつみばし)が見えてくる。
巽橋の目の前で、石畳の新橋通りと白川南通りが交差する。
橋の向かい側には、芸子や舞妓たちと記念撮影するための絶好のスポット、
辰巳大明神が鎮座している。



 もともとは、辰巳の方角(南東)を守る神社だった。
いつのまにか、芸妓や舞妓をはじめとする祇園の芸能関係者から、
芸事の上達を祈る「祇園のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれるようになった。
ここの祭神、祀られているのは狸だ。
巽橋に住むイタズラな狸が、橋を渡る人を化かして遊んでいたのを見かねて、
近くに祠を建て、狸を祀るようになったという言い伝えが残されている。



 巽橋を渡ると、町屋が同じ背丈に揃った新橋地区が始まる。
此処には、幕末の風雲児、高杉晋作にまつわるエピソードが残っている。
高杉晋作と言えば、長州を破滅の淵から救った幕末の風雲児として有名だ。
高杉が活躍した舞台といえば、江戸や長州の藩内だ。
しかし文久年間の一時期だけ、京都に逗留していた。


 その頃のエピソードとして、文久3年3月11日に行われた賀茂行幸の際、
行列に供奉していた将軍家茂公に対し、『いよ、征夷大将軍!』と声を掛けた事は
あまりにも有名で、多くの人に知られている。
後世の創作とも言われているが、高杉晋作ならやりかねないと思うのは
おおくの人が納得するところだろう。
 


 高杉が京都で贔屓にしていたのが、井筒屋の芸妓、小梨花だ。
『何をくよくよ 川端柳 水の流れに身を任す』と歌いながら、白川のほとりで
気ままに放蕩生活を送っていた。
新橋地区に残る立て札によれば、井筒屋は巽橋の北側にあったとされている。
高杉は人目をはばかることなく、小梨花を連れて祇園の街のあちこちへ
ぶらりと足跡を残しながら、いまでいう、デートを繰り返していたことになる。



 恵子が『伏魔殿』と形容した池田屋は、その白川を背にして建っている。
お茶屋の建物は、1階に比べ、2階部分のほうが高くなっている。
2階で客をもてなす際、くつろげるようにと上階の軒を高く設計してある。
三つ指をついた女将が『ようこそ、お越しやす』と笑顔で出迎える。
『おい・・・あの女将は昔、巽橋に住んでいたタヌキの化身じゃないだろうな』
靴を脱ぎながら勇作が、所長の椎名にそっとささやく。



 (伏魔殿と聞いています。でも、どう見てもよだれが出そうな美女ですねぇ。
 タヌキではなく、切れ長の目からすると、鞍馬あたりに住んでいる
 キツネかもしれません・・・)


 (鞍馬に住んでいるのはキツネではなく、牛若丸に剣術を教えた天狗だろう?)



 (先輩。京都には、たくさんのキツネ伝説が残っています。
 相国寺に伝わる宗旦狐(そうたんぎつね)は、千家茶道の基礎を固めた人物、
 千宗旦に化けて、しばしば茶席に現れました。
 平安時代の高名な陰陽師、安倍晴明は、 稲荷の狐が化身した女性(葛の葉)と
 人間の男性との間に生まれた子供です。
 ひとりやふたり、祇園の女将に変身していても、何の不思議もありません)



 (というと置屋の女将、恵子さんも、どこかのキツネの化身かな?) 



 多恵と挨拶を交わしていた恵子が、2階へ上がる階段の下で
所長の椎名と勇作の背中へ追いついてきた。



 「あら、あたしの悪口かい。ちょっと目を離すと、すぐこれだ。
 あたしまで、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の仲間にするんじゃないよ。
 そんなことよりも、椎名所長はん。
 気をつけなあかんえ。
 どうやらあんたは此処の女将の、多恵のメガネに叶ったようや」

 「メガネに叶ったって?。
 なんだ。椎名のような小太りで、少し頭髪の薄い男が好みなのか、
 ここの女将、多恵さんと言うキツネは・・・」

 もう少し詳しく問い詰めようと勇作が構えた瞬間、さらりと横をすり抜けた
恵子が、トントンと階段を軽快に上がっていく。



(35)へつづく


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (33)祇園にある伏魔殿 

2015-05-08 11:36:17 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(33)祇園にある伏魔殿 


 
 四条通りを渡り終えた市侑が、何事も無かったように着物の裾を整える。
固唾を呑んで見守っていた歩道の上の通行人たちも、『やれやれ』と胸をなでおろす。
やがて、それぞれの目的に向かって歩きはじめていく。



 市侑が池田屋を目指して混み合う歩道を、西に向かって歩きはじめる。
歩道には年末の買い物客や、他府県からやって来た観光客たちが溢れている。
市侑と出くわした観光客が、いそいでカメラを取り出した。
先を急ぐだらりの帯の後を追う。
ぽくぽくと歩く市侑の周りにだけぽっかりと、前に進むための空間が開く。



 「舞妓は祇園の、天然記念物のようないきものどす。
 長年にわたり、祇園の人たちが守り続けてきた祇園の宝どす。
 此処に暮らしている人たちは、本能的にそれを理解しているんどす。
 ああして歩けば進むための道を開けてくれるし、道路を無理矢理に横断しても
 怒りもみせず、大目にみてくれるんどす。
 祇園という街は、そんな風にしてお茶屋街で働く女たちを、
 300年以上も支えてきたんどす」


 「300年の歴史の中に、100メートルを12秒で走る女の子が加わるわけか。
 他にも居るのかい。変った経歴を持つ女たちが?」


 
 「いろんな子が祇園に来ますからなぁ。
 けど、ただ単に、美しさに憧れてやって来ただけで、成功するわけではありません。
 普通の女の子が生き残るのは、まず、無理でっしゃろな。
 100メートルを百分の1秒早く走るために、365日休まずに頑張った子や
 3歳からバレーを習った子、早くから和風の生活に馴染んできた子、
 きわだった特色を持った子だけが、最終的に生き残ります。
 やはり。他人よりも何か優れたものを持ち合わせた子だけが、
 花街という特殊な世界では、生き残るようです」


 「普通の子では、舞妓になるのが難しいということか?。
 ずいぶん厳しい選考をするんだね。舞妓になるための面接では」



 「いいえ。祇園は決して、やって来る者を拒みません。
 軽い気持ちで舞妓になりたいと、全国からたくさんの少女たちがやって来ます。
 けどウチらは、営利を追求する個人事業主どす。
 チャラチャラとしたアイドルを、育てるプロダクションではありません。
 女としての華を磨き、古典芸能を身に着けて、お座敷にやって来る男の人たちへ
 夢のひとときを提供するのが、舞妓の仕事どす。
 伝統芸能をしっかりと身に着けた本物の女性を、育てあげなければなりません。
 歌が歌えてダンスが出来る程度では、お茶屋のお座敷で通用いたしません。
 当然のことながら、修行も想像を超えた厳しいものになります。
 そういう厳しさを乗り越える、資質を持った子だけを選ぶんどすなぁ。
 わたしたちは、面接で」


 「なるほど。100メートルを12秒そこそこで走る子は、たしかに根性が有る。
 昔は厳しい修行に耐えて、一人前の職人に育ったもんだ。
 だがいまは、文句を言えばその場で『辞めます』と会社を去っていく。
 後輩に仕事を教えるために敬語を使うなんて、俺に言わせれば愚の骨頂だ。
 覚えの悪い奴は、頭を2つ3つぶん殴ってでも教え込む。
 それが昔からの、職人の世界だ」



 「古いなぁ先輩は。そういうのを、パワーハラスメントと言うんです。
 そんなことをしたら訴えられますよ、いまの若い連中から」


 日野自動車の一行は、反対側の歩道をぞろぞろ歩いている。
舞妓の後に続いて、まだ緊張気味に歩いて行く一行を椎名がそっと指でさす。



 「10人も居れば、いろんな性格の奴が居ます。
 しかし最後まで生き残る整備工たちには、いくつかの共通点が有るんです。
 誠実な奴。我慢強い奴。負けず嫌いでがむしゃらな奴。
 真夏はクーラーの効かないだだっぴろい整備工場の中で、汗と油にまみれる。
 寒い冬は、冷気の中で指が凍える
 それでも車が好きで、エンジンをいじるのが大好きだというやつが、
 俺たちの世界では生き残ります。
 好きなだけでは生き残れないのですねぇ。祇園と言う女の世界は」


 「これから参る池田屋は、伏魔殿と呼ばれております。
 多恵と言う絶世の美女がおります。
 しかし、これがまた一筋縄ではまいりません。根っからの悪女どす。
 あ・・・多恵と言うのは、ウチと同期の桜どす。
 女将をじっくり観察してください。
 どういう女なら過酷な花街で生き残れるのか、答えのひとつが
 きっと見つかりますから」




(34)へつづく


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (32)俊足の舞妓

2015-05-07 11:04:02 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(32)俊足の舞妓



 
 着物姿にもかかわらず褄を片手に、軽快にステップを踏んでいった市侑が、
後方の歩道上の騒ぎに気がつく。
『どないしたんやろう?』思わず、4車線のど真ん中で立ち止まる。
振り返る市侑の目にあたふたと駆けだしてくる女将の恵子と、つられて駆けだす
勇作と椎名の姿が飛び込んでくる。


 (あらまぁぁ・・・お母さんも無茶をいたしますが、つられて飛び出してくる
 お連れのお2人も、まったくもって無茶どすなぁ・・・)



 にっこりとほほ笑んだ市侑が、褄を持つ手を緩める。
ふわりと舞い降りた着物の裾が、四条通りの真ん中で小さく丸い円を描く。
そのまま、まるで飛び立つ前の白鳥のように両手をひろげる。
舞妓の仁王立ちが始まった。
3人が車道を無事に通過していくための、時間を稼ぐためだ。
美しい衣装を身に着けていなければ、まるで渋滞を整理している交通巡査か、
どこかの若い警備員が取っている、交通整理のポーズに見える。



 唖然とハンドルを握り締めている最前列の運転手と、市侑の目が会う。
その瞬間。市侑がこぼれるような、最高級の笑顔を運転手に見せる。
(すんまへんなぁ、連れが突然飛び出してきました・・・忙しいのにごめんやす)
と優しく笑う市侑の目に、(いいよ、別に。それほど急かさなくても)と
諦めきった運転手の笑顔が返って来る。


 3人が車道を渡り切ったのを確かめたあと、市侑がゆっくりと褄を持ち上げる。
左手で褄を揚げるのは、芸は売っても身体は売らないと言う、祇園で生きる女の心意気だ。
急ぐかと思いきや、だらりの帯を揺らしながら、ゆっくりと足を運び始める。
あくまでも静かに、優雅に、ぽっくりの足を運んでいく。



 すべての人たちが見守る中、10秒ほどかけて残りの車線を渡り終えた市侑が、
静かに、車道に停まっている車の列を振り返る。
(すんまへんなぁ。たいへん、お騒がせをいたしました)と優雅に頭を下げる。
それを合図に、停止していた車たちがするりと一斉に動き出す。
四条通りにあらわれた幻の横断歩道が、まるで何事もなかったように
動き始めた車の流れの中へ消えていく。
ふたたびいつもの、混み合う四条通りの車の流れが戻ってきた。



 「驚いたなぁ・・・俺たちはたったいま凄いものを、自分の全身で経験した。
 女将が言っていた通り、治外法権の話は嘘じゃなかった。
 車が停まり横断歩道でもない場所で、俺たちは四条通りを無事に横断した・・・」



 「ウチ等まで横断するのは想定外どしたが、これもまた貴重な体験どす。
 けど、もう、これっきりにいたしましょ。
 30数年ぶりに道路を横切りましたが、さすがに、冷や汗などをかきました」


 「えっ、君も昔、こんな風にして道路を横切ったことが有るのかい!。
 驚いたなぁ。治外法権の伝統は、ずいぶん昔から伝わっているんだねぇ。
 それにしても驚いた伝統だ、横断歩道でもないところでの横断は・・・」


 「祇園の舞妓だけに許された特権どす。
 飛び出す舞妓のために、何度も急ブレーキを踏むタクシーの運転手はんには
 まったくもってお気の毒どすが、一般のドライバーさんは幸運です。
 舞妓の突然の横断は、年に1度か2度、有るか無いかの事どす。
 宝くじに当たるような確率どすなぁ。
 渡る舞妓の側も、命をかけたデモンストレーションですからなぁ」



 「たしかに滅多にない、貴重で珍しい体験だ。
 出くわした人にしてみれば、のちのちのいい思い出になる。
 祇園とはいえ本物の舞妓と出くわすのは、そうそう有ることじゃないからな。
 停まった車から、クラクションと怒声が爆発して大騒ぎになると思ったが、
 みんな暮れの珍事として、心静かに受け止めたようだ。
 それどころか、優雅に渡る舞妓を見守る空気さえ有ったから、
 不思議だな」



 「可愛い舞妓が道路を横切るから、ギリギリで許されるんどす。
 ウチみたいな姥桜が、強行突破で道路を横切ったら、それこそ苦情の嵐どす。
 クラクションが鳴らされて、早く渡れと、道路上で怒号が爆発をします」


 「しかしあの子。足取りが実に軽快だったな。
 まるで若いカモシカが飛んでいくような、颯爽とした足取りだった」


 「その通りどす。
 あの子はおととしの滋賀県の中学陸上で、チャンピオンになった子どすからなぁ。
 100メートルを12秒02で走って、優勝した子どす。
 中学で12秒を切ったら、進学して陸上選手になることを夢に見たそうどすが、
 百分の2秒足らず、陸上競技を諦めて、舞妓になることを決意した子どす」



 「えっ、100メートルを12秒台で走った女の子が、舞妓になった?
 どうなってんだよ、祇園と言うこの町は・・・」



(33)へつづく


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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (31)無茶もほどほどに

2015-05-06 12:14:29 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(31)無茶もほどほどに




 歩道で立ち話をしている勇作と椎名の背後へ、女将の恵子が戻ってきた。
『治外法権の舞妓を見くびったらあきまへん。
どんな時でも法規を越えて通用するから、治外法権どす。
お疑いなら、いまからウチの舞妓に証明してもらいましょう』
市侑、ちょっとおいでと恵子が、先頭を歩いている舞妓を呼び止める。
市侑(いちゆう)と呼ばれた舞妓が、だらりの帯を優雅に揺らしながら、
恵子の元へ戻ってきた。



 「お前。このあいだ、新橋のお座敷に遅刻しそうになっただろう。
 その時。いつもの横断歩道を渡らんで、ここを抜けて近道をしたはずや。
 そないなことは絶対に無理だと、此処に居るお父はん2人が首をかしげとる。
 今日はとくに急ぐ必要はないが、舞妓の横断を見ると車が停まるという
 粋な慣例を、このお2人に証明しておくれ。
 ちびっとばかり悪戯が過ぎますが、たまに無茶するのもええやろう。
 お前。軽くひとっ走り、横断してみておくれ」



 『なんや。何のご用かと思ったら、渡って見せるくらいなら、簡単な事どす。
別にどうこうおまへん、お母さん。ほな、ひとっ走り行ってきますぅ』
にこりと笑った市侑が、着物の褄(つま)を左手で持ち上げる。
そのままの格好で、ついと、四条通りの車道へ一歩足を踏み出す。


 舞妓の姿を見つけた先頭の車が、がくんと速度を落とす。
『すんまへんなぁ。先を急いでおりまする』と、市侑が軽く頭を下げる。
渡る側の車線の車が、つぎつぎとブレーキを踏み、舞妓の数メートル手前で停まり始める。
2歩目の足を舞妓が踏み出したとき。
手前側の2車線は完全に動きを停め、舞妓が渡るためのスペースを作り出した。
軽やかに駆け出していく舞妓の姿を見つけた反対車線の車も、次々とブレーキを踏み、
舞妓が渡り切るための空間を生み出していく。



 「おいおい。海が割れて、道が出現した映画の十戒のようだ。
 次々に車が停まり、本当に舞妓を横断させるためのスペースが出来ちまった!」


 出来上がった横断用スペースの様子に、所長の椎名が目を丸くする。
赤い蹴出しを揺らしながら市侑が、軽快な足取りで四条通りを横切っていく。



 「優雅に、しゃなりと道路を渡っていくものだとばかり思い込んでいたが、
 なんだぁ。駆け足で抜けていくのか、治外法権の舞妓の横断は・・・」



 「そりゃあそうだろう。
 のんびり歩いていたんじゃ、停まってくれた車たちに申し訳がない。
 それにしても驚いたなぁ。横断中の舞妓を見かけると、本当に車が停まるなんて」


 「呑気に構えとる場合じゃありまへん。
 急いで渡れへんと、じきに車が動き出します。
 舞妓は治外法権の生き物どすが、あたしらはただの一般市民どす。
 これも滅多に経験することがでけへん、祇園ならではの大人の遊びどす。
 さあ、さあ、いきまっせ、勇作はんに椎名はん。
 舞妓に遅れんと、一気にウチ等も、四条の4車線を駆け抜けまっせ!。
 遅れんと、ウチに着いてきて下さいな」
 


 言うが早いか、恵子が着物の裾を巻き上げていく。
悪い冗談ではなさそうだ。
女将の恵子は早足で車道を駆け抜けていく舞妓に続いて、四条の通りを横切るつもりだ。
『ええ・・・』所長の椎名が、驚きの目で恵子を見つめる。
4車線の道路は、20メートルほどの幅が有る。
軽やかに足を運ぶ市侑は早くも、4車線の真ん中へ差し掛かっている。



 「愚図愚図、躊躇している場合ではなさそうだ。
 乗りかかった舟だ・・・こうなったら祇園の女どもと一生卓連だ。
 覚悟を決めて俺たちも、舞妓と女将の恵子さんの後を追って、
 四条通りを渡ろうぜ。いくぞ、椎名。
 ここで引き下がっているようでは、俺たちの、日野自動車の名前が廃る!」


 「脇屋先輩(勇作の本姓)・・・たぶん、日野自動車は関係ないと思います。
 ですが、運動不足で身体がなまり切っている今日この頃です。
 渡れますかねぇ俺たちに。
 たかだか20メートル足らずに見える4車線ですが、俺には、
 途方もなく遠い距離に見えますが・・・」



 「馬鹿やろう。いまさら尻込みしている場合じゃないだろう。
 大の男が10代の小便臭い小娘と、50過ぎの熟女に遅れをとってどうするんだ。
 行くぞ、椎名。度胸一番、ここが勝負の正念場だ。
 治外法権の祇園の横断というやつを、いまから身をもって体験しょうじゃないか。
 俺たちも!」


 「せっ、先輩・・・無茶をするにも限度が有ります・・・」



(32)へつづく



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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (30)四条通りを舞妓が横断する

2015-05-05 11:27:26 | 現代小説

つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(30)四条通りを舞妓が横断する



 レクチャーを終えた日野自動車の一行が、恵子の置屋『市松』を後にする。
2人の舞妓と恵子を先頭に、日の暮れた路地を歩き始めた一行は2分足らずで
通行の激しい四条通りの歩道に出る。

 
 四条通りは、かつての平安京の四条大路にあたる。
広い通りは、京都市東西の中心部を貫いていく。
四条河原町の交差点を中心に、京都最大の繁華街が形成されている。
八坂神社の石段下から、右京区の梅津段町の交差点までは4車線の道路が続き、
そこから西は、2車線の道路に変る。



 一行が目指すお茶屋『池田屋』は、四条通りを横断した北に位置している。
北には、京都で真っ先に歴史的景観の保存地区として指定された新橋地区が有る。
新橋地区には、昔ながらの茶屋街のたたずまいが残っている。


 6時を過ぎた四条通りは、一日の中でも最大限といえる混雑を見せている。
暮れの28日という事も有り、物流を担うトラックの姿は少ない。
そのかわり。買い物のために移動する市民の姿や、年末の休みで京都へ押しかけてきた
他県ナンバーの車が目立つ。



 「へぇぇ・・・異常なほど道が渋滞しているぜ。
 まるで、日本中から京都へ、車が集まって来たような感が有る。
 九州ナンバーが通過したかと思えば、立て続けにその後ろを北陸や関東、
 東北地方のナンバーをつけた車が走って来る。
 30秒ほど前になるが、北海道のナンバーをつけた乗用車が走り抜けて行った。
 姿が見えないのは休みに入ったのは、大型トラックだけだな」


 「椎名。いいかげんで仕事の事は忘れろ。
 通りに出れば、トラックの姿ばかり探すのは、お前の悪い癖だ。
 今日で今年の仕事はすべて終わったはずだ。
 明日からは、年末年始の長い休暇がはじまる。
 なによりも今日は、お前さんたちが念願だった、お茶屋遊びが叶う日だ。
 トラックの姿ばかり探さないで、頭の中を遊びモードに切り変えたらどうだ」


 「別にそういう意味じゃない。
 俺はただ、たくさんの車の流れを見ながら、別の事を考えていた」


 「トラック以外の、別の事を考えていた?。
 へぇぇ珍しいなぁ。お前が、トラック以外の事を考えるなんて」



 「さきほどの女将さんの話だ。
 四条通りを舞妓が、横断歩道でもない場所で横切るという話。
 深夜の交通量の少ない時間帯ならともかく、これほど交通量の多い時間帯でも、
 舞妓はやっぱり、通りを横断できるのかな。
 治外法権の舞妓が足を踏み出すと、ホントに、車やタクシーが停まるのかな?」



 「馬鹿を言うな。この時間帯だ。どう見ても車の数が多すぎる。
 舞妓といえども横断歩道以外の場所で、道路を渡るには無理がある。
 普通に考えたら、自殺行為だ。
 だいいちこの混雑した時間帯に、道路を横断をしていく必然性がない。
 いまの時間なら舞妓でも安全に渡るために、もう少し前方にある
 あっちの横断歩道を渡るだろう」


 「それが最善の選択だろうと、俺も思う。
 だがよ。右を見ても左を見ても、一番近い横断歩道まで200メートルはある。
 どう見ても遠すぎないか。向こう側に渡るための横断歩道は」


 「仕方がないだろう。このあたりは繁華街で、交通量も多い。
 たびたび渋滞が発生するそうだが、祇園祭になるとさらに激しくなるという。
 山鉾が道を占有するために、渋滞がピークになる。
 車が停止している大渋滞の時なら、隙間を縫って舞妓がヒョイヒョイと、
 渡っていくこともあるだろう。
 それ以外は、とてもじゃないが次々と車がはしるこの通りを横断するのは、
 まず不可能だろうな・・・」


 「そうでもおへん。
 お座敷に遅刻しそうになった舞妓が、実は、強行突破したことがあんのどす」



(31)へつづく


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