落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (26) 祇園の恵子

2015-05-01 13:12:30 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(26) 祇園の恵子




 「一見さんばかりの大人数で、祇園で豪勢にお茶屋遊び、どすか。
 老舗のひとつ、一力亭さんで遊びたいなんて、無理を言うにもほどがありますなぁ」


 カフェに呼び出された恵子が、いきなり眉間に深いしわを寄せる。
『やっぱり無理か。祇園でもいちにと言われている凄腕女将の、君にでも』と
重ねて尋ねる勇作に、恵子がふふんと軽く鼻で笑う。
『ウチを誰や思うねん。痩せても枯れても、祇園の元売れっ子芸妓、恵子やで』
ウチがその気になれば、出来んことなどあらしまへん、と赤い唇が笑う。



 「そやけどなぁ、一力はんは、どない逆立ちしても無理どっせ。
 芸妓を派遣する置屋とお茶屋と言う友好関係はありますが、10人もの一見さんを
 まとめてお座敷に挙げてくださいとは、さすがにお願いできません。
 けどなぁ、何かといえば、四条南にある花見小路通りの茶屋街へ行きたがりますが、
 それは京都を知らん、素人さんたちの思い込みどす。
 三条へ向かう祇園新橋あたりに、もともとの茶屋街の風情が残ってます。
 ウチの同期の桜が跡を継いだ、池田屋なんかどうどうすか?。
 歴史的にも、格式から見ても、一力亭はんとはほぼ同格どすなぁ。
 そこの女将ならウチが責任もって、なんとか説得しますさかい」


 「池田屋に同期の桜がいる?。なんとも妙な組み合わせだな・・・」



 「うふふ。池田屋いうても、新選組が切り込んだ池田屋ではおへん。
 同期の桜いうのは、おちょぼ(舞妓の仕込み時期のこと)時代の同期のことどす。
 ウチは置屋の跡取りで、あっちは老舗お茶屋の跡取り娘が、ともに同期で
 舞妓になり、一時は祇園の人気を二分しました。
 此処ならわがままも利きますゆえ、何とかなると思います」



 久しぶりに会った祇園の恵子が、それならなんとかしますと見えを切る。
ニコリと笑った目じりが、妖艶だ。
白いうなじと細面の横顔が、相も変わらず美しい。
思い切り抜いた襟首から、匂うような女の色香が漂ってくる。
口説き文句のひとつやふたつが、我を忘れて、口から飛び出してしまいそうだ。


 「勇作はん。あんたぁ、おなごに不自由してはんのどすか。
 ウチを見つめる目がエッチやなぁ。
 けどウチは駄目どすえ、マグロの女やさかい」



 「マグロって・・・性交時に積極的な行動を起こさない、
 例の、あの状態のことかい。
 驚いたなぁ。祇園の女将が口にするような言葉じゃないぜ。
 好きになりかけていた気持ちが、あっという間に俺の中で小さくなっていく」


 「うふふ。そないに言えば、たいていの殿方がバックをしはるんどす。
 こないな商売をしてるんどっせ。
 男はんの浮気心に付き合っていたら、身体がいくつ有っても足りまへん。
 昔は、『おおきに』と言って断ったんどすが、いまは面倒くさいもんどすから、
 『ウチはマグロどす』と、真正面から断ります」


 「え・・・『おおきに』って実は、お断りという意味なのか!。
 てっきり承諾の言葉だと思っていたけど、意味が逆とは衝撃的事実だなぁ・・・」



 「京都弁は物腰が柔らかいため、聞く人を不快にさせまへん。
 それには理由があるんどす。
 実は『ノー』という、断りの言葉が無いんどすなぁ。
 断るときにつかう便利な言葉、それが『おおきに』どす。
 もともとは、『おおきにありがとう(たいへんありがとうございます)』
 の略どすが、どうしてこの感謝の言葉が断りの意思表示になるのか、
 具体的に説明をします。
 はじめて横に座った舞妓に例えば、『今度、飯でも食いに行こや』と誘います。
 すると大抵、『おおきに、ありがとさんどす』と答えますなぁ。
 普通なら『OK』の意味なんどすが、京都ではこれが『NO』になるんどす」


 「それなら何で『おおきに』なんて、気を持たせるような事を言うんだ!?。
 嫌なら嫌で、はっきり『NO』と言えば、いいだろう」



 「分からんようでは、まだまだ修行が足りまへんなぁ。
 ここで言う『おおきに』は、誘ってくれた事に対しての感謝どす。
 行くか、行かないかの返事ではないんどす。
 肝心の返事の部分は沈黙して結果を出さず、暗に『NO』と答えとんのどす。
 OKなら、『おおきに、ありがとさんどす』の次に、
 『ほしたら何時がよろしおすか?』と具体的な内容に続きます。
 NOと言わない京都人と意思を疎通するためには、もうちょっと鍛錬が
 必要になりますなぁ、勇作はんも。うっふっふ」



 (27)へつづく




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