つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(4)青いレモンの味がする
「本気なの?。中学を卒業したら東京へ行くって」
すずが、勇作の顔をのぞきこむ。
いままで経験したことのない至近距離まで、すずの顔が近づいてきた。
揺れているお下げの髪が、いまにも勇作の額へ触れそうだ。
「出稼ぎに行っている、叔おっつぁい連中から聞いたことやざ。
うらは勉強が大の苦手だ。
自慢出来るものというっちゅうと、丈夫な身体くらいなものだからの。
けどのう、車は好きだ。運転することにも興味が有る。
日野学園へ行けば、学びながら給料をもらえる。
いろいろと資格を取れるうえに、運転の免許も取れるちゅうことや。
卒業したらお前を乗せ、日本中を好きなだけドライブしてやるで。
そのための、大事な1ッ歩目だと思え」
「東京へ行った若いもんは、誰も帰ってこないちゅう。
何人も東京の大学へ行ったけど、みんな向こうで就職をしてざいご(田舎)へ帰ってこない。
あんただって東京へ行けば、2度と福井のざいごには戻ってこないやろう?
だええち、あんたが働く工場はどこにあるの」
「学校のすぐ近くだ。 羽村というところにあるちゅう。
学校を終わった段階で、すぐに工場へ配属されるという話やざ。
専門過程を終えておるから、工場では、職能のエリートということになる」
「18歳でエリートになるの、あんたは」
「おう。企業の学校を卒業すれば、18でエリートになれるんでの。
ほんなええ話は、滅多にないぞ 」
「ふぅ~ん」とすずの白い顔が、勇作の額から遠のいていく。
「東京へ行っちゃうのか、あんたは・・・」くるりと、セーラー服の背中を見せる。
あとを追うために立ち上がった勇作が、素足のままの右足に気が付く。
濡れた靴と靴下は、すずが押していく自転車の籠の中だ。
「すず。靴をくれんか、足が痛い」
「あたしのせいで川へ落ちたんだ。
明日、洗って返すから、今日はこのまんま歩いて帰っておくんね 」
「無茶言うな。あぜ道は、石ころだらけやざ。
返してくれ。濡れたまんまの靴でも、ウラはいっこうにかまわない」
「絶対に返さないちゅうんやざ。あたしを悲しませた、罰だもんやでの。
素足で歩いて帰ってよ。あんたの顔なんか、もう2度と見たくない」
「なに怒ってんだ、意味がわからねぇ。
ウラが悪いのなら謝るが、何で怒っているのか、まるっきし見当がつかねぇ・・・ 」
「勇作の鈍感っ」夕日を浴びたすずが、怖い顔で立ち止まる。
「来年の5月23日になったら、大切なものをプレゼントしようと考えていた。
でももうそれも、たったいまやめた。
東京でも何処でも、好きな処へ勝手に行けばええんやざ。
濡れた靴がええというのなら、もっと濡らしてあげますから、お好きにどうぞ」
自転車のかごから、すずが濡れた靴を取り出す。
「馬鹿っ」とひとことつぶやいたあと、ポンと靴を空中へ放り出す。
放物線を描いて飛んだ靴が、勇作の頭上をはるかに越えて、用水路の中へ落ちていく。
「何するんだ!」勇作の眼が、用水路に落ちた靴の行方から振り返った時。
すずはもう自転車に乗り、夕日の中を駆けはじめていた。
すずが両方の眼に涙をいっぱいためて、自転車を走らせていることに、
勇作はこの時、まったく気がついていなかった・・・
(5)につづく
つわものたち、第一部はこちら
(4)青いレモンの味がする
「本気なの?。中学を卒業したら東京へ行くって」
すずが、勇作の顔をのぞきこむ。
いままで経験したことのない至近距離まで、すずの顔が近づいてきた。
揺れているお下げの髪が、いまにも勇作の額へ触れそうだ。
「出稼ぎに行っている、叔おっつぁい連中から聞いたことやざ。
うらは勉強が大の苦手だ。
自慢出来るものというっちゅうと、丈夫な身体くらいなものだからの。
けどのう、車は好きだ。運転することにも興味が有る。
日野学園へ行けば、学びながら給料をもらえる。
いろいろと資格を取れるうえに、運転の免許も取れるちゅうことや。
卒業したらお前を乗せ、日本中を好きなだけドライブしてやるで。
そのための、大事な1ッ歩目だと思え」
「東京へ行った若いもんは、誰も帰ってこないちゅう。
何人も東京の大学へ行ったけど、みんな向こうで就職をしてざいご(田舎)へ帰ってこない。
あんただって東京へ行けば、2度と福井のざいごには戻ってこないやろう?
だええち、あんたが働く工場はどこにあるの」
「学校のすぐ近くだ。 羽村というところにあるちゅう。
学校を終わった段階で、すぐに工場へ配属されるという話やざ。
専門過程を終えておるから、工場では、職能のエリートということになる」
「18歳でエリートになるの、あんたは」
「おう。企業の学校を卒業すれば、18でエリートになれるんでの。
ほんなええ話は、滅多にないぞ 」
「ふぅ~ん」とすずの白い顔が、勇作の額から遠のいていく。
「東京へ行っちゃうのか、あんたは・・・」くるりと、セーラー服の背中を見せる。
あとを追うために立ち上がった勇作が、素足のままの右足に気が付く。
濡れた靴と靴下は、すずが押していく自転車の籠の中だ。
「すず。靴をくれんか、足が痛い」
「あたしのせいで川へ落ちたんだ。
明日、洗って返すから、今日はこのまんま歩いて帰っておくんね 」
「無茶言うな。あぜ道は、石ころだらけやざ。
返してくれ。濡れたまんまの靴でも、ウラはいっこうにかまわない」
「絶対に返さないちゅうんやざ。あたしを悲しませた、罰だもんやでの。
素足で歩いて帰ってよ。あんたの顔なんか、もう2度と見たくない」
「なに怒ってんだ、意味がわからねぇ。
ウラが悪いのなら謝るが、何で怒っているのか、まるっきし見当がつかねぇ・・・ 」
「勇作の鈍感っ」夕日を浴びたすずが、怖い顔で立ち止まる。
「来年の5月23日になったら、大切なものをプレゼントしようと考えていた。
でももうそれも、たったいまやめた。
東京でも何処でも、好きな処へ勝手に行けばええんやざ。
濡れた靴がええというのなら、もっと濡らしてあげますから、お好きにどうぞ」
自転車のかごから、すずが濡れた靴を取り出す。
「馬鹿っ」とひとことつぶやいたあと、ポンと靴を空中へ放り出す。
放物線を描いて飛んだ靴が、勇作の頭上をはるかに越えて、用水路の中へ落ちていく。
「何するんだ!」勇作の眼が、用水路に落ちた靴の行方から振り返った時。
すずはもう自転車に乗り、夕日の中を駆けはじめていた。
すずが両方の眼に涙をいっぱいためて、自転車を走らせていることに、
勇作はこの時、まったく気がついていなかった・・・
(5)につづく
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