落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(106) 

2013-10-05 09:58:00 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(106)  
「関東平野を眼下に望む高台で、心がメロメロになる千尋」




 日の落ちた露天風呂からは、眼下に壮大なロケーションを見られます。
戦国時代に築かれた箱田の城跡の隣に建てられた此処からは、眼下に流れる利根川をはじめ、
渋川の市街地と県都の前橋市、さらには高崎市の夜景までが一望に広がります。
晴れた日中には、榛名山や秩父連山まで一望できる抜群なまでの眺望が、ここでの自慢です。


 弱アルカリ性の塩化物温泉は、ものの数分で身体を芯から温めてくれます。
岩造りの露天風呂に腰を下ろした康平が、星がきらめいている北の夜空を見上げています。
日本一の広大な面積を誇る関東平野の平坦部も、さすがにここまでで終わります。
北東へ進むにつれて、信越へと連なる2000m級の山々と、栃木県から福島県へ続き、
さらに東北地方の最深部まで連なっていく、北日本の背骨とも呼べる奥羽の山脈が
ここから遥かに始まります。

 
 関東平野の最奥部にあたるこの辺りでは、夜空が頭上で2分をされていきます。
広大に広がり続ける平野部の色とりどりのネオンの海は、地上と空の境を乳白色に変え、
さらに高度を上げていくたびに、濃紺色の色合いを深くしていきます。
それとは山岳ばかりが続いていく北の空は、ただの漆黒の闇だけが、
果てしなくどこまでも続いていきます。
下界からの光を一切反映しない北の空には、ただ降るように群れる、満天の星ばかりが光っています。
空気が冷え、木枯らしが吹き荒れてくるこの時期になると、視界を遮っていた
大量の水蒸気のもやが消えはじめます。
風が吹き荒れたその日の夜空には、透明度を増した星たちがさらに数をまして現れてきます。
『こんな綺麗な星空を、久しぶりに見た・・・・』頭上の星を見上げてた康平が、
突然、懐かしすぎるある場所のことを思い出しました。


 一度だけ美和子と出かけた見晴し台が、日帰り温泉のすぐ近所に建てられています。
それはデートと呼べるほど洒落たものではなく、たまたま夏休み中にバイクで出かけていた康平が、
山道を歩いていた美和子と出逢い、近くの見晴台までツーリングをしただけの出来事です。



 赤城山の南面には、綺麗に整備をされた観光道路とは別に、中腹に点在する別荘地などを
つないでいくための枝道と、抜け道などがいたるところに作られています。
そうした道路のひとつの中に、あえて観光客向けの見晴らし台が設置をされています。
山麓一帯を覆いつくしている手つかずの雑木林が、ここで突然途切れます。
眺望が開けはじめた高台からは、よく晴れた夜ならば、はるか南に埼玉県の市街地までも、
楽々と望むことができます。



 『いつかまた、今度は2人で夜景を見に来ようね』と約束をした記憶も残っています。
そこなら誰にも邪魔をされず、本音で話し合えるのではないかという考えが、
ふと、康平の頭の中を風のようによぎります。
たしかに、これから語り合う内容は、あまり他人には聞かれたくない話です。



 露天風呂から早めに出た康平が、自販機で冷えたコーヒーを買い求めます。
熱気に火照りつづけている頬へ、買ったばかりに冷たい缶を押し当ててから、おもむろに、
回廊のベンチへ腰を下ろします。
通りすぎていく入浴客たちの姿を、上目使いで見送りながら、康平が
妙に冷えすぎているコーヒーを、ひとくち口に含みます。

 (とてもじゃないが冷えすぎていて、11月に飲むコーヒーの温度じゃないな。
 それでもあえて、これほどまでに冷やしてあるのは、ここの塩化系の温泉の火照りのせいだな。
 実際の話、露天風呂に10分ほど浸かっただけで、もう汗が吹き出して止まらない。
 大丈夫だろうか、千尋は。長風呂なんかすると、今頃は『茹でダコ』になっちまう)


 2口目を飲みかけたとき、その千尋が女湯からひょっこりと顔を出します。
すっかり上気しきっているその頬は、見るからに、まるで津軽のりんごのように真っ赤です。
肌の白い千尋はアルコールを少し口にした時でも、早めに、目の下がほんのりと赤くなり
顔全体の血色も良くなって、いつもよりも、すこしだけ美人に変身をします。
今日もまた、まさにそんな様子をあからさまなほどに示しています。


 「天然温泉を、すっかりと満喫しすぎた様子だね」

 「あら。コーヒーなんか飲んでるん?
 ビールでもよかったのに。あたしが運転をするんだもの、遠慮なんかしなくても」


 「ふと、良い場所が有ることを思い出した。
 夜景の絶好スポットだ。ここからならそんなに遠くないから簡単に行ける。
 そう思ってとりあえず、アルコールは自粛した」


 「この温泉からのロケーショーンもむちゃ素敵どすが、さらに上が有るん?。
 そら楽しみどす。でも、・・・・もしかすると、いかがわしいような場所かもしれません。
 あたしは、いろんな意味でむちゃ臆病で、勇気も足りておらん女どすから。
 変な下心は、持ってへんでしょうね、康平くん」


 「君の言う、いかがわしい場所という定義はよくわからないが、
 別荘地へ向かう途中にある、観光用として建てられた見晴らし台だ。
 普段から眺望が良いので知られているが、この時期になると枯葉が落ちてさらに良くなる」


 「あら。別荘地のねぎなら安心どす。ぜひ行ってみたいわ」



 「ところがこの時期になると、別荘地は閑散とするために、
 昼間でもほとんど人は通らない。どうする、それでも勇気を出して行ってみるかい?」


 「説明自体が、ちょっぴり詐欺に近いわな。
 大丈夫よ、行きましょう。温泉のおかげで全身が火照っとるんだもの。
 今なら、ちょうどええかもしれません」




 赤城山は、昭和58年に開催をされた「あかぎ国体」を機に、観光資源として
全面的に群馬県から見直されています。
同時に土地開発の波にも乗り、山麓のあちこちで多くの別荘地の開発などがはじまります。
バブル景気が全盛となってきた昭和61年から平成3年にかけて、さらに多くの不動産業者が
広大な裾野に目をつけて、次々と無軌道にちかい乱開発を繰り返します。
しかし突然とも言えるバブル景気の崩壊が、こうした目論見をすべてその根底から
あっというまに崩壊をさせてしまいます。


 別荘地ブームは簡単に終焉し、開発と分譲中のおおくの別荘地は、そのほとんどが
中途半端な形を残したままで、頓挫をしてしまいます。
山麓のあちこちで時間の経過とともに、そうした遺構たちが静かに朽ち始めていきます。
康平が思い出した見晴らし台も、実はそれらの遺構のひとつです。


 「ホンマ・・・・絶景どす。
 こうしてここへ立つと、関東平野の広大さが無条件でわかります」


 見晴台といっても、ただの2階建てのコンクリート製の建物にすぎません。
1階のむき出し部分には数台の自販機が陳列され、2階には何もないただの空間だけが広がり
螺旋階段を登りきった屋上が、見晴らし台として一般に解放されているだけの施設です。
たしかに康平が言うように、眺望ぶりには目を見張るものがあります。
日帰り温泉から標高にして400mほど登っただけで、太平洋に至るまで全く平坦ばかりが
続くという関東平野が、一望のもとに広がっています。


 足元にある群馬県内の主な市街地はもちろんのこと、帯のように広がっている
埼玉県のまばゆい町の明かりのその先には、南の空一面をオレンジに浮かび上がらせている
首都の灯までが、はるかに遠く望むことができます。



 「ここが、関東平野の行き止まりで、最北端の場所というのが実感できます。
 もったおらんわね、康平くん。
 恋人同士なら、絶好の告白ポイントにもなるでしょうし、
 肩を寄せ合って、きっとロマンチックな夜にもなるでしょう。
 こうして見つめとるだけでも、なんだか康平くんに寄り添いたくなるから不思議どす。
 女はねぇ・・・・夜景には、なんでかとても弱いのよ・・・・
 まいったなぁ。こんな景色を目の前に見せられたら、
 いつのまにか現実を忘れて、あたしの心が、メロメロになってしまいそうどす」
 



 
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