落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(81)

2013-09-09 10:25:45 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(81)
「恋人たちの愛の教会と、式を挙げたばかりの新婚カップル」




 「軽井沢には、恋人たちのためのたくさんの教会がある。
 明治19年に、カナダ人の宣教師アレキサンダー・クラフト・ショーが
 ここを偶然に訪れたことから、その歴史が始まった。
 当時の軽井沢の豊かな自然と爽やかな気候が、故郷と似ている事に大変感銘を受け、
 友人や仲間の宣教師に軽井沢を紹介したことが、きっかけになった。
 話を聞きつけた外国人達の避暑地として、別荘が増え始めたために、
 彼らの為の礼拝堂が次々と建てられることになった。
 最初に建てられたのが、旧軽井沢銀座通りの外れにあるショー記念礼拝堂だ。
 もうひとつ忘れてならない教会が、堀辰夫氏の小説「木の十字架」に登場して
 一躍有名になった、例のあの教会だ。
 『聖パウロで結婚すると、多くの人たちから祝福される』という彼の言葉は
 今でも生きていて、ここで挙式をする人たちはあとを絶たない。
 ということで、歩いてこれから実際にその現地を見に行こうか?
 天気はいいし、ちょっとした森林浴気分での散策にもなる」


 「それって。女の子なら誰でも憧れている、軽井沢聖パウロカトリック教会のことでしょう。
 歩いていけるの、ここから!。へぇぇ・・・・その恋人たちの聖地まで。
 康平くん。まるで夢のようなお話です。お茶はもうこの辺りでやめて、
 すぐにいきましょうよ、ねぇ!」



 千尋が嬉しそうに立ち上がります。
すぐに興味をしめすうえに今日に限り、なぜか行動にまで俊敏なものが見られます。
快晴そのものの今日の陽気のせいなのか、それとも心地良い刺激をたっぷりと受けてきた
スクーヤーの後部座席によるものなのか、康平にはその原因が思い当たりません。
(それでも、ひとつだけ、はっきりとしていることがある。
 今日の彼女は、無邪気そのもので、なぜだかまるで10代の女の子のようだ。)


 軽井沢聖パウロカトリック教会は、昭和10年に設立されました。
きっかけは当時の教会のほとんどが「プロテスタント宗派」のものだったため、
英国人神父でもあるレオ・ワルドが、是非とも「カトリック信者」の為の教会設立を
と強く嘆願をしたためです。日本のクラシックホテルとして有名な「万平ホテル」の
創始者、佐藤万平氏がレオ.ワルドのその熱心な想いを知り、快くそのための土地を寄付し、
米国人建築家のアントニオ.レーモンドの設計により、現在の
軽井沢聖パウロカトリック教会が完成をみました。



 軽井沢の教会で結婚式をあげるというブームを作ったのも、
軽井沢聖パウロカトリック教会と、カルロス司祭であったこともあまり知られてはいません。
赴任後に、カトリックの本部と掛け合い、一定の条件さえ満たせば信仰や宗派を問わず、
結婚式をあげることの許可を得られたのも、カルロス司祭の軽井沢に対しての
寵愛の証だったのかもしれません。
堀辰夫氏の小説「木の十字架」にも、軽井沢聖パウロカトリック教会は登場し、
『聖パウロで結婚すると多くの人たちから祝福される』と書いた彼の名言は、
いまだに、根強くこの地で生き続けています。


 カラ松のうっそうとした林を抜けたその先に、
傾斜の強い三角屋根と、大きな尖塔をもった木造の教会が静寂の中に佇んでいます。
山小屋のような趣があり、ヨーロッパの田舎町でよく見かけるような雰囲気の教会が
『愛の教会』と呼ばれている、軽井沢聖パウロカトリック教会です。


 「康平くん。ほら見て、純白の花嫁さん!」



 荘厳な響きを奏でるパイプオルガンの音色に送られて、
テラスへ現れた新郎と新婦の二人へ、周囲の人々からはもう一度の歓喜の声が湧きあがります。
祝福のライスシャワーが、ここぞとばかり舞い上がり頭上から大量に降り注ぎます。
遠巻きに見つめている散策中の人たちからも、思わず共感のため息などが漏れてきます。
歓喜の渦がひとしきり揺れる中、充分に祝福を受けた花嫁が、胸に大切に抱え込んでいた
ウェディングブーケを、宙へ投げ上げる態勢に(ようやくのことで)入りました。
『わぁ~』と湧き上がる女性たちのどよめきの声につられ、少し離れた木陰で見つめている
千尋まで思わず、2歩3歩と教会の敷地内へ足を踏み入れてしまいます。


 その、ほんの、わずかな瞬間でした。


 花嫁が背中を見せウェディングブーケを空中へ、投げあげようと身構えたまさにその一瞬、
参列者のひとりが、なぜか千尋の姿を見つけ瞬間的に振り返っています。
見つめられているような視線を肌で感じた千尋が、遠くから自分に向かって飛んできた
視線の主を参列者の中に探し始めたとき、花嫁のウェディングブーケは綺麗な放物線を描き、
ポッカリとそこだけ空いている木漏れ日の中を、優雅に舞いはじめました。


 両手を差しのべている独身女性たちの頭上を、ひとしきり
くるくると舞い踊った幸運の花束は、やがて一人の女性の手に見事に収まります。
あたらしい祝福の歓声が湧き上がる中、やがて人垣は崩れはじめ、教会の庭で繰り広げられた
幸運の儀式は、あっというまにその終演の瞬間をむかえます。
花嫁とともに揺れ動いていく人波の中で、一人だけ静かにこちらを見つめていた女性が
もう一度、木陰に隠れてしまった千尋の姿を探しています。


 
 千尋がその女性からの視線に気がついて、正面から受け止めようとして身構えた瞬間、
人波に押された女性は、何事もなかったかのように横顔を見せてしまいます。



(天使のような雰囲気がある人だ。最初に視線をくれたのは、もしかしたらあの方かしら)

 見つめ続ける千尋の想いに誘われたのか、緩やかに前髪を結った横顔がゆっくりと
もう一度だけ、千尋の居る場所を振り返ります。


 (正面から見るともっと綺麗で素敵な人だ。でも誰でしょう、私には見覚えがありません)



 『あなたは誰、?』とたずねるようなお互いの視線が、空中を行き交います。
時間にしてほんの数秒間。はるかな距離を置いたまま、二人の間で尋ねる想いが交信します。
もう一度招待客たちのあいだから、大きな歓喜の声が湧き上がりました。
その女性がまた清楚な横顔を見せます。まるで『またね』というように女性客たちに囲まれながら
くるりと背中をむけ、鐘を鳴らすための場所へ移動をはじめました。


 (なんだったのでしょう今の感覚は。なんだか不思議な出会いのような気がしました・・・・)



 ふたたびカラマツの林に、静寂が返ってきました。
愛の教会での結婚式はきわめて簡潔で、かつまた、式はごく短時間で終わります。
ふたりを祝福する鐘の音が鳴り響く頃には、足を止めて見つめていた見物の人達も
軽い心のときめきを思い出としてふたたび散策へ戻り、それぞれの想いの道へ散っていきます。
少し離れていた康平が、ようやく千尋の背中へ戻ってきました。


 「心に染み入るような音色がします、パイプオルガンは。
 素敵です。教会も、結婚式も花嫁も、本物のパイプオルガンの音の響きも」

 「日本でも数少ない、オランダ製ライル社のパイプオルガン導入のために、
 わざわざ設計されたという教会だ。
 熱心に人を探していたようだけど、誰か知り合いでも見つけたの?」


 「いいえ。まったく知らない人です。
 でも横顔が妖精のようで、とても綺麗で素敵な人でした」



 「へぇぇ。花嫁は見ずに、君はそのひとに惹かれていたのかい」


 「花嫁さんも、とても綺麗に美しく輝いていました。
 女性が憧れている人生最大の儀式ですもの、美しすぎるのは誰でも当たり前のことです。
 でもなぜか、その人に見つめられたような気がして、私もその人を探しました。
 初めてお会いした方でしたが、少しエキゾチックな雰囲気などがお洒落です。
 それでいてとても印象深い、とても整った清楚な感じの美人でした」




 
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