落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(24) 

2013-07-10 10:13:32 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(24) 
「それから2時間あまりが経過をして、ふたたび康平の店」






 それから、ほぼ2時間あまり。
スナック由多加では、常連客の大ちゃんの音頭で3度にわたる乾杯の大合唱を
繰り返した後、古き戦友たちによる店内のカラ騒ぎもようやく収まり、大盛況のうちに
やっとのことで散会という運びへたどり着きます。
「また、飲みに来いよな。台湾の別嬪さん」という酔っぱらいのおじさんたちの声に送られ、
貞園と美和子が表に出たのはもう、11時を回っていました。


 「楽しい時間は、あっというまに過ぎるわね」と語る美和子が
康平の店へ着いた時には、もうのれんは中に隠れていて、入口の赤提灯だけが、
少し寂しそうに、ぽつんと風に揺れながら灯っています。
「あら・・・・待ちくたびれて、もう閉めちゃったのかしら・・・」
カラリと開けたガラス戸の先のカウンターには、美和子がいつも絶賛をする大好物の
鱚[きす]と初夏の野菜の酢の物が、貞園の分も含めて二つ並んでいます。



 
 鱚は、きわめて淡白な魚です。
初夏を代表する魚のひとつですが、天ぷらなどで馴染みがあっても、
メニュー的には、あまり進展を見ない魚食材の一つです。
康平が作る酢の物は、丁寧に鱚を下拵えをした後、軽く塩を振り、水分を充分に抜いたあとに
きゅうりと針に切った生姜、大葉、みょうがも添えて、甘酢仕立てで味を整えます。
隠し味として、三陸の若芽(わかめ)を馴染ませておくのも、康平流です。


 「ちょうど出来上がったところさ。
 暑さを感じ始める今頃が、鱚の旬で、これからはますます旨くなる。
 脂が乗ってくると天ぷらもおすすめだが、今の時期は、初夏の野菜との相性が抜群だ。
 もうそろそろ帰ってくるだろうと思って、準備しておいた」


 「へぇぇ。あたしと康平くらい、キスと夏野菜は相性が抜群かしら・・・・」


 酔っ払った貞園が、美和子を差し置いて横やりを挟みます。



 「こいつには、少し辛口の日本酒か、
 アルコール度数が12度くらいの、少し軽めのワインなんかが、よく似合う。
 大丈夫かよ・・・・貞園。足元がふらついているぜ。珍しいなぁ、飲みすぎたか」


 (やっぱり、愛があると心使いにも差というものが出るのよねぇ・・・・
 私にはおざなりでも、美和ちゃんには執着が有るって、料理のここに書いてあるもの。)


 赤い目をした貞園が、ちらりと康平と美和子の横顔を盗み見てから、短い吐息を漏らします。
しかし、やがてすべてを諦めたかのように、崩れるようにしてカンウンター席へ座り込んでしまいます。


 「康平。あがりに、私にはグラスでビールをちょうだい。
 ゆかりママさんのところで日本酒を飲み過ぎちゃったから、それを飲んだら
 もう、今日は先に帰るわね。
 美和ちゃん、今日はありがとう。とても楽しかった」



 差し出されたグラスビールを手にした貞園が、それを一口に飲み干してしまいます。
何か言おうとしている康平を目で制してから、貞園が美和子へ寄り添います。

 (この私が、自ら席を譲ることなんか、滅多にはない奇跡にちかい出来事です。
 ママの誕生会はとても楽しかったけど、どうやらここから先になると、私は邪魔者のようです。
 気が利かないと悪口を言われる前に、私はもうここらあたりで失礼するわ。
 じゃあね、また。またそのうちに楽しく飲もうね。チャーミングな歌姫さん)


 ポンと美和子の肩を叩いた貞園が、康平には4つに小さく折りたたんだ一万円札を握らせ、
声をかけるまもなく、そのままガラス戸を開け放つと、あっという間に風のように表へ消えていきます。




 「なんだい、今夜のあいつ・・・・」

 「貞ちゃんなりに気を使っているのよ。あたしたちに」

 「俺たちに、気を遣う?」


 「私にはよくわかるわよ。貞ちゃんのその気持ちが。
 でもさ。だからといって、勘違いなどをしないでくださいね、康平くん。
 いくら私たちが、高校時代の初恋どうしの間柄と言っても、あたしはもう人の妻なの。
 ほんと。ここへ歌を唄いにやって来て、あなたと再会したときは、
 そりゃもう腰が抜けるくらい、びっくりしたわ」


 「うん。俺も驚いた。
 東京へ就職したと聞いていたが、音信不通のままいつのまにか群馬へ帰ってきて、
 そのうえ、流しの演歌歌手として突然の俺の目の前へ現れたんだ。
 あん時は、俺も正直、腰が抜けるほどに驚いた・・・・」



 「嘘おっしゃい。
 水車のマスターから、随分と経ってから名前を明かされて、やっと私だと気がついたくせに。
 私は、最初からあなただと、ちゃんと気がついていました。
 いいえ。正直に言うとあなたのお友達の五六君から、
 あなたが呑竜マーケットでお店を出していることは、ちゃんと聞いていました。
 でもね、もうその時はあたしは人妻だったの。
 いまだに独り身でいるあなたの目の前へ顔を出すのには、さすがに抵抗などがありました。
 それを、あえて橋渡ししてくれたのが・・・・」


 「貞園だろう。
 君が俺の初恋の相手だということを、あの生き字引のゆかりママから仕入れてきたんだ。
 よせばよかったのにと、酔っ払うたびに愚痴をこぼすくせに、
 あの時は、得意満面で君をこの店に引っ張ってきたんだ。あいつったら。
 君は俺の予想以上に綺麗になりすぎていた・・・・だから気がつかなかったのさ。
 あん時の君に・・・・」



 「そうなの?、ただ、お化粧が上手になっただけの話です。
 でもあたしを見間違ったのは、たぶんお化粧のせいだけではないと思います。
 7~8年も経てば女は変わるというけれど、私はたぶん、あなたが想定をしている
 範囲以上に変わってしまったと思っています。
 あなたの想定を裏切るような方向で、たぶん、あたしが変わりすぎてしまったせいのよ。
 だからひと目見ただけでは、あなたはあたしに気がつかなかったの。
 あたしが、悪い方向の女に変わりすぎてしまった為だと、今でも勝手に思っています」


 
 「そんなことはないさ・・・・君の黒髪も、その前髪は、今でも昔のままじゃないか」



 「黒髪と前髪?
 ああ、これ。そうね、高校時代のままだわね。言われてみれば・・・・
 思い切って上げちゃおうかなと思うんだけど、なかなかねぇ、今でも躊躇ったままなのよ」



 「なんで躊躇うのさ?」


 「黒髪を染めて、前髪をあげちゃうと・・・・あなたには見つけてもらえないでしょう?
 これ以上、あたしが変わりすぎてしまったら。うふっ」






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