落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(30) 第二幕、第一章(4)いわさきちひろという絵本作家

2012-09-21 12:20:11 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(30)
第二幕、第一章(4)いわさきちひろという絵本作家




  
 その日の朝がやってきました。
嬉々としたレイコと茜が、車いすを押しながら笑顔を見せたまま順平の病室までやってきました。

「病人ではあるまいし、歩けるから大丈夫」と嫌がる順平をレイコが半強制的に、車椅子に乗せてしまいました。
一方の茜はナ―スステーションへと駆けつけます。
担当する係の説明などはろくろく聞かず、あっと言う間に外泊確認の事務手続きを片付けてしまいました。
万事が打ち合わせ通りにすすむと、二人は車椅子の順平を元気よく押しながら
早くも駐車場まで連れ出してしまいました。



 「人質の救出の映画みたいで、楽しかったわ。
 茜さんが来てくれて大助かりです。
 順平君、許可を渋っていた主治医を説得してくれたのは、此処に居る茜さんよ。
 一週間目での外泊なんて前代見聞だという話を見事に覆して、
 主治医の先生を説得してしまうんだもの、
 私には到底出来ない芸当です。
 茜さん、一体どんな手を使ったのですか。」



 「レイコちゃん、
 女の武器にも色々あるけど、
 色気よりもやっぱり、女の涙が一番効きめがあるものよ。
 本当の理由なんかどうでもいいことだもの。
 例えば・・・瀕死の姉の見舞いのために、どうしても外泊の許可をくれと
 本気で泣いてしまえば、お医者さんだってイチコロだわ。
 第一、この先で無事に退院してしまえば、二度と用のない病院のことだもの、
 嘘だって、使い放題の方便だわ。」



 「そうですよねぇ~、
 茜さんは、劇団が誇る演技派女優の一人ですもの、
 そのくらいなら、お手の物ですね。」



 さらに女性二人に後押しをされて、大きなワンボックスタイプの車の中へ
順平がまさに荷物なみに「積み込まれて」しまいました。
仲良く運転席と助手席に座った一つ違いの女同士は、出発の前からもうすっかりと順平の存在などは忘れ、
これから行く安曇野の話で充分すぎるほどの盛り上がりを見せていました。


 
 「茜さん、
 ちひろの絵は見たことがありますか。
 あの柔らかい、いわさきちひろの絵は、
 保育園の子供たちも大好きで、
 大人でも、癒されるのもがたくさんあります。」



 「私も東京の、
 ちひろ美術館なら行ったことがあるけれど、
 安曇野に出来たというのは知らなかったなぁ・・・
 ちひろの絵本なら、
 病院にもたくさん置いてあるわよ、
 子供たちより、いい年をしたお母さんたちの方が真剣に見ているわ。
 あの人の絵って、そういう魅力が
 たしかに、たっぷりとあるのよね。」



 碌山と黒光の話題などは、まったく微塵もでてきません。
絵本作家であるいわさきちひろの話で盛り上がっているうちに、車は石川さんが勤務をする
公民館の駐車場に滑り込みました。

 半そで姿の石川さんが、車の到着前からもう手を振っています。
運転席側へ回り込んできた石川さんが、「運転を代わります」とレイコに声をかけました。
頷いたレイコは、運転席と助手席の狭い空間を身をよじりながらすり抜けて、後部座席で横たわる
順平の傍らにまでやってきました。




 「じゃあ、私は、後部座席で荷物の整理係。」



 「誰が・・・荷物だって?」



 「その程度でしょう、今のあなたは。
 自分で身動きがが出来ないんだもの、ほとんど荷物と一緒だわ。
 ねぇ・・・
 石川さんも、わざわざ同行してくださるそうです。
 女ふたりでは、もしもの時があったら大変でしょうからって、
 お休みを取ってくださいました、順平のために。
 贅沢だわょね・・・
 美人の看護婦さんに運転手さんまで付いていて、
 おまけに、レイコがつきっきりでべったりだもの。
 きっとこれから2日間は、
 最高の旅になると思います。」



 「そのわりには、ちひろで会話が盛り上がっていますねぇ。
 本来の目的は碌山の作品だと思うのですが、ここまでの会話を聞く限り、
 女性陣の一番の目的は、どうやら、
 いわさきちひろ絵本美術館のようですね。」



 運転席から石川さんが、目を輝かせて振り返ります。




 「ちひろの絵本美術館ですか!
 いいですね。
 私もちひろの絵は好きですが、原画を見る機会は今までありませんでした。
 印刷された絵本でも、あんなに素敵だと思うくらいですから、
 原画は、もっと凄いと思います。
 へぇ・・・今回の目玉は、ちひろ美術館か。
 運転のし甲斐があります。」



 「い・・・石川さんまで。」




 「順平君、冗談です。
 でも、ちひろは素敵な絵本の作家です。
 一見の価値なら充分に有ると思います。
 もちろん旅の主眼は、あくまでも碌山と黒光の取材です。
 お伴出来る私も、2倍の楽しみが出来ました。
 それじゃ皆さん
 準備ができたようでしたら、
 それぞれの未来の花嫁さんたちを乗せて、
 車は一路、信州へと出発をしたいと思います、
 よろしいでしょうか・・・」






 ゆっくりとスタートした車は、振動を最小限に抑えて、順平への負担を極力減らそうとしている
石川さんの心遣いを充分に感じさせながら市街地へ乗り出しました。
心地よい揺れに、すこし身体の力をぬいてリラックスした表情の順平に
レイコが悪戯っぽい目を近づけてきます。



 「順平・・・あなたは知らないだろうけど
 ちひろは、ただの、そこらへんの絵本作家なんかじゃないわよ。
 まぁ、くどくどと私が説明をするよりも、
 一度、そのいわさきちひろを見て頂戴。
 ねえ、石川さん、
 その先を行ったところに大きな本屋さんがあるはずなの。
 申しわけありませんが、
 そこで止めていただけますか。」



 「あら、レイコちゃん。
 景色が見られない順平君のために、
 せめて、ちひろの絵本を見せてあげようということかしら・・・
 う~ん、さすがに気がきくわねぇ~
 やっぱり保母さんは、違う。」



 「いいえ、茜さん。
 順平は、保育園の幼子たちよりも、はるかに手間暇がかかります。
 保育園の子供たちは、私の愛情だけを欲しがりますが、
 欲張りな順平は、
 いつも私に、キスのおねだりまでするんですから。」




 「おい、レイコッ。」



 爆笑を乗せた車は、晴天の下、碌山と、ちひろ美術館が待つ信州に向かってひたすら走り始めました。
石川さんの運転は病人を乗せているために、傍目にもそれとわかる
慎重で静かな運転、そのものでした。





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