申し訳ありません。本阿弥光悦と松花堂昭乗の説明文を逆にしていました。
近衛信尹の書簡とそれが入っていた外函・内箱などの写真。
三田にゆかりのある人物を次々と再認識させてくださる、丹羽建蔵氏が『開運・なんでも鑑定団』(9月23日火曜日)に出演されます。
今度は、近衛信尹(このえ のぶただ) 安土桃山時代の公家にスポットライトを当てられました。
・近衛信尹は、永禄8年(1565)生まれ、天正5年(1577)に元服。加冠の役をつとめたのが、織田信長で、信長から一字を賜り信基と名乗る。
その後、信輔と名乗る。天正8年(1580)に内大臣、天正13年に左大臣となる。関白の位をめぐり二条昭実と口論(関白相論)となり、菊亭晴季の策動で、豊臣秀吉に関白就任の口実を与えた。秀吉が秀次に関白位を譲ったことに、内心、穏やかではなく、文禄元年(1592)に左大臣を辞した。
江戸時代初期の能筆家、寛永の三筆の一人。
近衛信尹(このえ のぶただ) ・・・・・五摂家の当主、近衛前久の嫡子。
松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)・・男山八幡宮の社僧として仏事に専念の傍ら
画技にも 秀 でて数多くの傑作を残した。
本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)・・・・・刀剣の鑑定を業として聞こえ、他方自ら陶芸・漆芸に妙をえて
数々の名品を伝えている。
『開運・なんでも鑑定団』に出品されたのは、近衛信尹の書。
はて、真贋の結末は・・・・??? まだ誰にも明かしておられません。
是非、是非、番組をご覧いただきたい。
これも、三田市を売り出すことになる、まさしく『民間版・シティセールス』であると考えます。
『開運・なんでも鑑定団』を三田市で開催すれば、「ミタ市」ではなく「さんだ市」を売り出す、まさにシティセールスになるのではないでしょうか。