今日の朝は気持よかった。
窓を開けると涼しい風が入ってきて、気持いいなぁ~~と思わせてくれた。
9月っていいものですね。(^_^;)
私は子供の頃はこの時期が一番好きでした。
しかし・・・年を取るにつれて、日が長くなる夏が好きになり・・その時期の終わりを告げるこの秋という奴が寂しく思われたのです。(ーー;)だから、秋はあまり好きではなかった。。。
でも?
春の桜の頃のあの底冷えするような寒さもなく、5月頃のあのカァーッと暑い日差しでもなく、暑さも峠を越えてこれ以上は暑くならないしという安心感・・まァええかみたいな・・・今日はちょっと蒸しましたけどね。(^_^;)
「9月さん、いらっしゃい~」みたいな気持です。
夕方、nanuさんが「東の空に虹が出てる」と言いながら入ってきたので、スマホ片手に外に出ました。
虹を写真に収めたのは今日が初めてです。(^_^;)
この後、事務所を出た頃は空の雲が赤く色づいて「わぁ~!」と思うような空だったのですが・・・写真を撮れずにいるうちにみるみる暗く夜に落ちて行きました。。
ほんの束の間の間の紅い雲だったのです。
でも、そういう瞬間に出会えたことがうれしいことだと思いませんか。
夢とかそれを手に入れるというのは、いろんな形がありますが・・・・例えばお金をたくさん持っている人ならば、いろんな夢をお金で叶えることができるでしょうね。
でも、お金がなくても「その瞬間」を手に入れることは・・・その瞬間に感動したり喜べることは、同じように・・いやそれ以上に(?)満たしてくれるような気がするのです。
昨日はコロッケのお弁当。
今日はこの残りのコロッケを甘辛醤油味で煮たのを自分のお弁当に入れました。
私は学生時代、この甘辛コロッケのお弁当があまり好きでなかった。「なんでコロッケをわざわざ醤油と砂糖で煮るんだ?」と思ってました。(^_^;)
でもね、揚げたコロッケにもう一度火を通すには(当時はまだ実家に電子レンジがなかったので)、甘辛で煮るのが手っ取り早かったのでしょう。自分が作る側になって分かりました。
私の母は年とったあたりから、「今日は良い陽気だねぇ」とかそんな些細な事で幸せそうにしてました。
だから、私はいつもコバカにしてました。
「あぁ友達もいないし、他に楽しみがないかわいそうな人だな」と思ってたんです。
でも、自分が同じぐらいの年になったら、ホント~に同じことを思って、同じように言っている。
友達も大していないし。
この年になると友達が多い少ないはそれほど大きな問題ではなかったのですね。
きっと母もそうだったんだと思う。
あの人は繊細な人だったから。
今ならば分かることがいろいろある。
いつかあの世に行ったら、語れることが山ほどあるのでしょう。(^_^;)
今日はきれいな虹が見れて、写真も撮れて、本当に楽しかった。
窓を開けると涼しい風が入ってきて、気持いいなぁ~~と思わせてくれた。
9月っていいものですね。(^_^;)
私は子供の頃はこの時期が一番好きでした。
しかし・・・年を取るにつれて、日が長くなる夏が好きになり・・その時期の終わりを告げるこの秋という奴が寂しく思われたのです。(ーー;)だから、秋はあまり好きではなかった。。。
でも?
春の桜の頃のあの底冷えするような寒さもなく、5月頃のあのカァーッと暑い日差しでもなく、暑さも峠を越えてこれ以上は暑くならないしという安心感・・まァええかみたいな・・・今日はちょっと蒸しましたけどね。(^_^;)
「9月さん、いらっしゃい~」みたいな気持です。
夕方、nanuさんが「東の空に虹が出てる」と言いながら入ってきたので、スマホ片手に外に出ました。
虹を写真に収めたのは今日が初めてです。(^_^;)
この後、事務所を出た頃は空の雲が赤く色づいて「わぁ~!」と思うような空だったのですが・・・写真を撮れずにいるうちにみるみる暗く夜に落ちて行きました。。
ほんの束の間の間の紅い雲だったのです。
でも、そういう瞬間に出会えたことがうれしいことだと思いませんか。
夢とかそれを手に入れるというのは、いろんな形がありますが・・・・例えばお金をたくさん持っている人ならば、いろんな夢をお金で叶えることができるでしょうね。
でも、お金がなくても「その瞬間」を手に入れることは・・・その瞬間に感動したり喜べることは、同じように・・いやそれ以上に(?)満たしてくれるような気がするのです。
昨日はコロッケのお弁当。
今日はこの残りのコロッケを甘辛醤油味で煮たのを自分のお弁当に入れました。
私は学生時代、この甘辛コロッケのお弁当があまり好きでなかった。「なんでコロッケをわざわざ醤油と砂糖で煮るんだ?」と思ってました。(^_^;)
でもね、揚げたコロッケにもう一度火を通すには(当時はまだ実家に電子レンジがなかったので)、甘辛で煮るのが手っ取り早かったのでしょう。自分が作る側になって分かりました。
私の母は年とったあたりから、「今日は良い陽気だねぇ」とかそんな些細な事で幸せそうにしてました。
だから、私はいつもコバカにしてました。
「あぁ友達もいないし、他に楽しみがないかわいそうな人だな」と思ってたんです。
でも、自分が同じぐらいの年になったら、ホント~に同じことを思って、同じように言っている。
友達も大していないし。
この年になると友達が多い少ないはそれほど大きな問題ではなかったのですね。
きっと母もそうだったんだと思う。
あの人は繊細な人だったから。
今ならば分かることがいろいろある。
いつかあの世に行ったら、語れることが山ほどあるのでしょう。(^_^;)
今日はきれいな虹が見れて、写真も撮れて、本当に楽しかった。
おはようございます。
養母もsakeさんのお母様と同じような感じの人でした。
何も多くのことは望まないので、失望することも少なかったようです。
養父が長い闘病でしたからいつも何かと耐えていたように。
sakeさん、些細なことで喜ぶことが出来るのは
沢山の資財をもっていることよりも、うんと幸せなことだと思いますね。
スマホで虹が撮れるなんて、いいですね。
私も帰宅途中で夕焼け、ちょっと厚い真っ黒な雲が出ていて不気味でした。
スマホを撮りだしたものの、電線や建物が多くてやめました^^;
私もお友達そんなにいないほうですが、
なんとかなっています。
虹がとれてほんとによかったですね。
きれいな写真ありがとうございました。
お仕事お疲れ様です!
やっぱりそうですよね!
些細なことで喜べるのはたくさんの資材を持っているより幸せなこと・・・その通りだと思います。(^_^;)
物を買ったり持ったりする喜びって、単発的なような気がして、その時はすごく嬉しくても、その気持ってだんだん薄まっていったり、人と比較したりというか・・・
景色の出会いって、その時その時新鮮に喜べるような気がするんです。
そして自分の目が肥えてくると、同じ景色も更にきれいに見えたりして。
写真を撮ってみようと思うようになってから、そういう見方ができるようになったようです。
個人情報が気になるので、ブログはお出かけ写真になってしまいますが、目で見える景色がだんだん楽しく映るようになったんです。
写真っていいですね。(^o^)
新しいカメラを買ってもうじき1年です。
また今年は違うイルミも撮ってみたいですよ。
そうなんですよね、若い頃ってどうしてあんなに友達にこだわったんでしょうね?
友達がなかなかできないことや、本当に打ち明けられる友達が少ないことや、ついていけないことに、卑屈になってました。(^_^;)
でもそれも個性なんですよね。
いつだか本に書いてありました。
友達が少ないのは、その分中身が濃いんですって。
確かにそうかもしれませんね。
たくさん友達がいても、1日には同じ時間しかないから、たくさん連絡取らねばならない人がいれば、どうしても密度は薄くなるでしょう。
このぐらいの気持で学生生活をエンジョイできたら、また人生変わったかもしれません。でもこんな自分もいいかなと思うことにしましょう。^^