きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「東京あたふた族」/益田ミリさん

2024-05-19 | 読んだ本


昨日は焼きそばにした。ビールもおいしそう~に撮ってみた。


今日は餃子を焼いた。
kekeに「足りなかったら冷蔵庫にあるものでもいい?」と言うと「買ってくる」と言っていた。

今日の朝は益田ミリさんのエッセイを読んだ。
「東京あたふた族」と言うタイトルの本である。


この前に「しあわせしりとり」と言うエッセイを読んで、似た表紙のこの本を勝手に続編だと思って読んだわけである。
本によると、益田さんは私より数年後生まれであり、世間的には同じ世代なのかもしれないが、やはりちょっと違うと思う。

私は昭和43年辺りで、世代の太い罫線が引かれていると言う説を立てていて、その前に生まれたか、後に生まれたかで感覚が違うのでは?と思っている。

・前者は青春時代が80年代で、後者は80年代末~90年代になる。
何が言いたいかと言うと、私ら(その前生まれ)は青春時代にポケベルとか携帯がない。カラオケボックスも学生時代はなかった。トレンディドラマの流行りも学生時代を卒業してからである。
何よりも育児休暇制度がなかった。
ユーミンも私らの時代はその後ほど神格化はしていなかったように思う。

いや、ただ単に80年代は実家でゴロゴロしていた自分が、90年代は育児に振り回されていた・・・・だから何となく時代が変わったように思うのかもしれないが。。。

益田さんは、たぶん学生時代に友達たちとカラオケボックスで歌を歌いあったり、恋愛もユーミン風のドラマティックな恋愛をしたり、遅刻しそうな時はポケベルで連絡を取り合うことができたのではないかな。つまり私らの世代よりも感覚がスマートで垢抜けしているようにも思う。

この二つのエッセイを読んで、お子さんがいないことは分かったが、彼氏や旦那さんのことは全く書かれていない。いないとも書いていないのだから、もしかしたら彼氏や旦那に近い存在はいらっしゃるのかもしれない。
「います」とすると、別れた時に報告をしなければならないから、あえて居るとも居ないとも書いていないのではなかろうか。。。と言うのは私の勝手な想像です。

私はアホでまっさらなので、エッセイを書く立場だったら、自分の手の内をみんな最初から広げるだろう、今こういう家族が家に居て、こんなことをしていて、今日はこんなことがありました。
でもそうすると、家族がもめるとか、別れるとか、そう言う時もいちいち報告をしなければならなくなる。まぁ私はアホでまっさらなので、そういうことも厭わず報告するだろう。「エー、昨日家族の1人がこうなりまして、今はどこそこに住んでいます」とか。

・・・想像すると確かに面倒くさいや。

それだったら最初から「いない」「ふれない」方が良いかもしれない。



全然話は変わって、いつか茅ヶ崎に行った時のお祭りの光景写真です。(バスの前でおみこしが見えました。)



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